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2024.01.13

美谷尤『鉄腕ザビエル』第1巻

 おそらくは日本で最も知られている宣教師フランシスコ・ザビエル。戦国時代の日本にキリスト教を伝えたこのザビエルが、超人的な肉体を持った男だった、という設定で繰り広げられるギャグ(?)漫画であります。日本人青年アンジロウが見た、ザビエルの真実とは……

 戦国時代の堺で配下を連れて練り歩くうつけ者・信長。火縄銃に目を留めて買い入れた信長に対し、そこに居合わせた一人の南蛮人は、「剣を持つ取る者は皆剣で滅びる」と説くのでした。
 生意気な、とその南蛮人に対して信長が十丁もの火縄銃を向けた次の瞬間――南蛮人がその拳で大地を打てば、砕かれた土塊が信長や兵たちを吹き飛ばしたではありませんか!
 そう、その南蛮人こそはフランシスコ・ザビエル――厳しい修行を積んだイエズス会の猛者たちの中でも、その膂力を以て知られた豪の者であります。

 そして彼の通訳を務めるアンジロウがザビエルに出会ったのは、遡ること四年前、マラッカの教会での結婚式。そこでザビエルが見せたのは、壊れた椅子を空気椅子でしのぎ、花嫁を奪いにやってきた幼馴染を遠くに放擲し、サイズ違いの指輪を握力で縮め、そして天高く飛び上がると落雷を受け止め――明らかに常人ではない行動でありました。

 そんなザビエルを怪しみ、監視のために彼と行動を共にするうち、布教のためにザビエルと薩摩に上陸したアンジロウ。そこでは島津家を二つに割った合戦の真っ只中――その最中で、図らずも貴久の勝利に貢献してしまったザビエルは、貴久に歓待されるのですが……


 キリスト教を日本に伝えたという業績もさることながら、教科書に載っているあの(誰もが落書きしたくなる)肖像画のインパクトで、多くの人の記憶に残るザビエル。
 本作は、そのザビエルが異能の持ち主だった――というより、力こそパワーの人だったという、ある意味設定の時点で勝利している作品であります。
(ちなみに本作のザビエルは頭頂部を剃ったトンスラにしていませんが、件の肖像画自体後世のもので、正確性については疑問符がついている、ということで)

 元々、本作にもちょこちょこ顔を出す創始者イグナチオ・デ・ロヨラの前半生が軍人だったこともあり、イエズス会は体育会系のノリが強い組織。その特徴である「霊操」が、「体操」で身体を鍛える如く、霊魂を鍛えるべし、という概念であることからも推して測るべきでしょう。
 そしてキリスト教が伝わっていない≒西欧人が足をあまり踏み入れていない地は、何かと危険が大きいことは言うまでもありません。そこで本作のロヨラのように、「宣教師こそが最強でなければならない」という主張が生まれるのも、まあ理解できます。

 が、本作のザビエルはある意味その言葉を忠実に実現してしまった男――地を割り、空を駈け、海(上)を走る、先に述べたように超人的な肉体の持ち主なのであります。そんな彼が、戦国時代の日本という修羅の国に解き放たれたのですから、これはただですむはずがないでしょう
 それも(これは史実通りですが)よりによってあの島津の領地に……


 というわけで、バイオレンスでナンセンスなザビエルの空気を読まない活躍ぶりに、アンジロウ同様ただただ驚かされる本作ですが――正直なところ、まだノリが中途半端という印象があるのも事実ではあります。

 (これは個人の趣味の問題かもしれませんが)現実世界に超人を放り込むのであれば、それはあくまでも限られた存在であってほしいものですし、そしてその超人性にも、一定の理屈はほしいと感じます。
 その意味では、島津貴久がザビエル並みの膂力を誇るのはともかく、(馬というブースターありとはいえ)ザビエルと互角に空中戦を演じるのはどうかなあと思いますし――海上走りの時に付された、無茶苦茶ながら現実に即したロジックをもっと見せてほしいと感じるのです。

 ザビエルの日本で最初に洗礼を行ったベルナルドがさりげなく(?)登場したりと、史実を踏まえてニヤリとさせられる部分は嬉しいのですが、現実は現実として描いたほうが、より本作のザビエルの暴れっぷりが楽しめるのではないか――そう感じたところです。


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