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2024.04.24

山田風太郎『女人国伝奇』 「伝奇」という切り口から描く綺麗事なしの吉原

 現在、東京藝術大学大学美術館で「大吉原展」が開催されていますが、その吉原――女人(ありんす)国を舞台に、山田風太郎が描く短編集です。1950年代後半という比較初期の作品ではありますが、「伝奇」の名に相応しく、様々な「実在」の人物を配しつつ、奇想を展開した作品が並びます。

 江戸にあって、ありんす言葉をはじめとする独特の文化ともいうべきものが存在していた吉原。男たちの欲望のはけ口となる場でありつつも、一種の文化サロン的性格もあった奇妙なこの「女人国」を舞台とした六編が、本書には収録されています。

 その内容は以下の通り――

 弟の詫びに来たことをきっかけに、吉原一と謳われた花魁・松葉屋の薫と駆け引きを繰り広げる羽目になった男の地獄「傾城将棋」
 津軽侯を執拗に付け狙った末に捕らえられた下斗米秀之進を恋人と慕う遊女が、彼のために辿る運命を描く「剣鬼と遊女」
 生まれてくる子供のため、指一本に十両払うという奇妙な遊女・小式部と関わった勝小吉が、江戸で暗躍する謎の一党や、怪人腕きり頭巾と対決する「ゆびきり地獄」
 薫の客に手を出した末に鉄砲河岸に身を落とした遊女を巡り、間夫の次郎吉から始まる悪因縁と武士道の無惨を描く「蕭蕭くるわ噺」
 薫が津軽侯を振ったことをきっかけに、薫の枕絵を描こうとする絵師、画狂老人・葛飾北斎、そして投込寺の奇妙な老人が交錯する「怪異投込寺」
 水戸徳川家の家督相続を巡り、吉原帰りに悪漢に捕らえられた徳川斉昭、漁夫の利を得ようとする河内山宗春、そして謎の青年「金さん」が繰り広げる「夜ざくら大名」

 二つの作品で主役を張る松葉屋の薫をはじめとして、登場人物や設定を共有しつつも、基本的に独立した、緩い連作というべきこの六編。
 中編というべき「ゆびきり地獄」「夜ざくら大名」のほかは短編ではありますが、短い中に込められたものは多く、特に登場する実在の人物の顔ぶれには驚かされます。

 大田南畝、下斗米秀之進、三千歳、直侍、山田浅右衛門、勝小吉、鼠小僧次郎吉、葛飾北斎、徳川斉昭、藤田東湖、河内山宗俊――物語の核心に触れない程度でも、これだけの面々が吉原という場に集い(居合わせ)、絡み合い、物語が生まれる様は、作者の後年の明治伝奇に通じる味わいがあるというべきでしょう。


 そして、そんな作品の中で、「蕭蕭くるわ噺」と「怪異投込寺」からは、特に作者らしい味わいが感じられるように思います。

 後世に義賊として知られる男の無軌道な行動が、武士道というある意味人の情を拒否した精神性と結びついたことで生まれる地獄を描く「蕭蕭くるわ噺」。
 大田南畝が称賛した花魁・薫の意地と張りがきっかけで起きた奇妙な出来事から、葛飾北斎の登場、そして凄惨かつ妖美な結末――と思いきや意外な方向に物語が展開、「犯人」の動機に慄然とさせられる「怪異投込寺」。

 どちらも強烈な皮肉とともに、苦い――というより索漠とした味わいすら感じさせる結末の物語ですが、作者の作品の持つニヒリズムは、この時期から通底したものであることを、再確認させられます。


 もっともその一方で、今の目で見るとちょっと食い足りない部分もあることは否めません。
 例えば謎の老人の正体がどう見ても明らかな「剣鬼と遊女」や、同じく金さんの存在で結末が予想できてしまう「夜ざくら大名」など、実に勿体無いと感じます。
(個人的には、後者のラストである人物による「金公、やるぜ、やるじゃあねえか。」という言葉からスパン、と終わる結末はかなり好きなのですが)

 その意味ではやはり初期の作品だな、という印象もあるのですが――しかし同時に、今読み返してみても、様々に得るものがある一冊であることも、また間違いないと感じるのです。
 綺麗事なしの女人国を舞台に繰り広げられる人間たちの様々な営みを、「伝奇」という切り口から皮肉たっぷりに描いた、作者ならではの作品集であります。


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