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2024.07.20

『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』 幻の雑誌に考えるミステリの定義

 私はミステリについてほぼ門外漢ですが、それでも意欲的な新作が次々と発表され、過去の名作に比較的容易にアクセスできる現在は、かなり良い時代なのではないかと思います。本書もそう思わせるに足る企画――幻の『中央公論 秘密と開放号』(大正七年七月臨時増刊)の復刻を中心とした一冊です。

 「中央公論」の名編集長として知られた滝田樗陰が、文壇の錚々たる面々に働きかけて誕生したミステリ特集が掲載された『中央公論 秘密と開放号』。かの江戸川乱歩が「大正期文壇の一角に燃え上がった、かくの如き犯罪と怪奇への情熱」と評したものの、長らく幻と呼ばれてきた雑誌です。
 本書はそこに掲載された作品のうち、分量が多くかつ比較的読むのが容易な谷川潤一郎の「二人の芸術家の話」を除く、全作品を収録し、さらに江戸川乱歩と佐藤春夫のエッセイ、北村薫の解説を収録しています。

 さてその顔ぶれとは――
「指紋」(佐藤春夫)
「開化の殺人」(芥川龍之介)
「刑事の家」(里見弴)
「肉屋」(中村吉蔵)
「別筵」(久米正雄)
「Nの水死」(田山花袋)
「叔母さん」(正宗白鳥)
 執筆者のほとんどが国語の教科書でお目にかかりそうな、一般の読者的にはミステリとは無縁に思える顔ぶれですが――さて、この特集においてはどのような作品を発表しているのでしょうか。

「指紋」遊学中に阿片中毒となった友人を家に置くことになった私が、ある映画を見て以来狂気のように指紋に取り憑かれた友人から聞かされた、ある事実とは。
「開化の殺人」ある医師が遺書の中で綴った、自分がかつて行った殺人と、その後のある恐るべき葛藤。
「刑事の家」刑事一家が管理人を勤める別荘に出かけた学生の一団が、そこで目撃した一家の有様とは。
「肉屋」妻が、自分に隠れて前夫と通じているという疑惑に取り憑かれた肉屋は、煩悶の果てに……
「別筵」友人の婚約者の令嬢と通じ合った青年が、海外に栄転するという友人を令嬢一家と送別会に招くが……
「Nの水死」K博士が死の間際に愛妻の治子夫人に告げた、若い頃に水死した二人の親友Nを巡るある事実。
「叔母さん」旅の途中に立ち寄った先で、微妙な間柄の叔母さんと外出することになった青年は……

 本当にあらましのみで恐縮ですが、指紋による人物の同定という科学的な(しかしその中に、ポォめいた幻視的描写が入るのがまた面白い)内容を描く「指紋」や、殺人者の告白というミステリ的テーマを、その魂の葛藤という実に文学的に料理した「開化の殺人」など、現代人の目から見てもミステリとして読んでも十分に面白い作品だと感じます。

 その一方で、イヤミス的シチュエーションに、一転してものすごい結末がつけられる「刑事の家」、ネガな人情噺というべき「肉屋」、過去の秘密をこれも文学的に描く「Nの水死」など、面白いけれどもミステリと言ってよいものか――と悩ましい作品が収録されているのも、今となっては貴重というべきでしょう。
 元々この特集のタイトルは「秘密と開放」――企画意図はさておき、必ずしもミステリには限らない内容ということもありますが、それ以上に、この時代におけるミステリというジャンルの範囲に対する送り手(と受け手)の様々な考え方が、ここには浮かび上がっていると感じられるのですから。

 その辺りを丹念に語っているのが、巻頭の乱歩のエッセイ「一般文壇と探偵小説」であり、送り手の一人である佐藤春夫の回顧談である巻末の「「指紋」の頃」で、この二編を併録した編集者の慧眼には敬意を表するしかありません。

 思うに文学というものが、人間の内面に秘められたものと向き合い、それを描き語るものであるとすれば、それをあるベクトルで描いたものが、ミステリなのかもしれない――そんなことを考えつつ、ここで元のタイトル「秘密と開放」を見て、改めて感嘆させられた次第です。


 ちなみに北村薫の解説「大正七年 滝田樗陰と作家たち」は、各作品とその作者、そして背景となる文壇の状況について丹念に記した名品ですが――「別筵」については、ぜひ本編を読んだ後に解説を読んでいただきたいと思います。これもまた文学、と言いたくなるようなある事実が待っています。


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