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2024.08.15

夢枕獏『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』上巻 土方歳三meets大菩薩峠!

 今なお時代小説・大衆小説の高峰としてそびえ立つ中里介山の『大菩薩峠』に、夢枕獏が挑んだ――そんな本作は、原典冒頭の世界に、土方歳三らを投入した異色作です。続発する辻斬り事件に挑んだことをきっかけに、強者たちが集う死と隣り合わせの世界に足を踏み込んだ土方の運命は……

 世情騒然たる安政五年、府中から日野にかけての甲州街道で、三人の剣客が次々と斬殺される事件が発生。三人目と同じ天然理心流道場に顔を出していた土方歳三は、夜毎出歩いた末に、狙い通りついに辻斬りと対面するのですが――しかし壮絶な打ち合いの末に刀が折れた土方は、その場から振り返りもせず逃げるのでした。

 同じ頃、大菩薩峠では、孫娘を連れた老巡礼が放れ駒の紋の深編笠の男に斬殺され、残された孫娘・お松は、通りかかった盗賊の七兵衛に保護されます。そしてお松は、七兵衛が出入りしている土方の実家に預けられることになります。

 折しも御岳の社で開催される四年に一度の奉納試合が近づいていたことから、続発する辻斬りが、試合の出場者の腕試しではないかと睨む土方。一方、天然理心流では、その奉納試合に参加する予定だった剣士が、江戸で丹波の赤犬なる渡世人によって斬られたため、新たに代表を選ぶことになります。
 その候補の剣士たちを江戸に迎えに出た近藤と沖田は、帰りに日野の渡しで机竜之助と名乗る妖しげな剣士が、馬庭念流の剣士を奇妙な太刀で破るのを目撃するのでした。

 そして日野宿で己の懐を狙った掏摸の腕を斬り捨てた竜之助。その掏摸が丹波の赤犬の一味であったことから騒動が起き、赤犬は旅の途中の娘・お浜を人質に立て籠もります。人質を取って立て籠もった赤犬と対決する土方。実はお浜は、奉納試合の出場者・宇津木文之丞の許婚だったのですが……


 41巻に及びながらも未完に終わった『大菩薩峠』。本作はそのうち冒頭部分にして、おそらくは最もよく知られた「甲源一刀流の巻」(のそのまた前半部分)をベースとした作品です。
 そのため、机竜之助をはじめとして、上でで触れた七兵衛やお松、宇津木文之丞とお浜といった登場人物たちも、元々は『大菩薩峠』に登場するキャラクターとなっています。

 しかし本作の最大の特徴は、そこに若き日の土方をはじめ、近藤・沖田といった試衛館の剣士たちを投入した点にあることは間違いありません。

 実は原典に彼らが登場しないわけではありません。特に土方は、同じ「甲源一刀流の巻」の終盤、新徴組(!)の一員として清河八郎を襲撃したはずが、誤って島田虎之助を襲撃してしまい――という、一部で有名な場面に登場しています。その後も京で芹沢派と近藤派の争いが描かれることになるのですが、しかしそれは物語の背景に近い部分。あくまでも原典では脇役であった土方を、本作は主人公として中心に据えているのです。

 その土方たちはそれぞれに性格は異なるものの、己の腕を磨くことに、強者と戦うことに憑かれた男たちであるという共通点を持ちます。つまりは、彼らもまた、作者がこれまで描いてきた格闘技小説の登場人物たちと同じ地平に立つ人物として描かれるのが、いかにも「らしい」ところでしょう。
(ちなみに本作の土方は冒頭から「太い」男として描かれていて、従来の土方像とちょっと異なるのですが、しかし本作のキャラクター像には似合う姿ではないでしょうか)

 それだけでなく、本作の登場人物たちは、原典に登場する者もしない者も、それぞれに作者らしい造形なのですが――特に己の腕に異常な自信を持ち、女性に優しいかと思いきやサディスティックな宇津木文之丞は非常に「らしい」といえます。しかしその中で、独り竜之助のみは、そんな登場人物たちの中でも、全く異なる位置に在ると感じられます。

 上で述べたように、土方たちが、そして登場する剣士たちのほぼ全てが強さを渇望する中で、全く異なる場所を見つめているように感じられる龍之助。その印象は、果たして当たっているのか否か。
 この上巻では、奉納試合直前までの物語が収録されていますが、さて下巻では何が描かれるのか――こちらも近日中に紹介します。


 それはそれとして本作における竜之助の老巡礼斬殺シーンの描写――
「斬るよ……」
 深編笠の武士は、囁くような声で、そう言った。
 はい……
 老巡礼は、心の中でうなずいていた。

 この辺りなどあまりに作者らしくて、思わずニンマリしてしまった次第です。


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