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2024.10.06

棠庵の悩み、藤介の悩み 京極夏彦『病葉草紙』(その三)

 京極夏彦『病葉草紙』の紹介の第三回です。これまで謎に包まれていた棠庵の正体(?)が徐々に明らかになっていく中、棠庵と藤介の関係性にも少しだけ変化が……?

「肺積」
 長屋で特にしつこい住人であるお澄が棠庵に持ち込んできたのは、何と彼への縁談。さすがの棠庵も困惑する事態ですが、相手は以前、彼が助けた宿場の本陣の娘・登勢でした。
 棠庵が去ってから登勢の様子がおかしくなり、周囲から、恋の病ではということになったのですが、しかしその振る舞いは、厠の近くを好んだり、辛いものばかりを食べるようになったという、確かにおかしなもので……

 物語もいよいよラスト一話前に来て、棠庵がある意味事件の発端となるエピソードが描かれます。これまで、棠庵が年に一度か二度、姿を消す時期があるという謎が語られていましたが、その際に出会った娘が棠庵に恋煩いを!? という、およそありえないシチュエーションから物語は展開していきます。

 しかし一番不可解なのは登勢の症状で、これはもう、何かおかしな虫に憑かれたとしか思えない状態。それを棠庵が、以前に彼女と出会った時の状況のほかは、安楽椅子探偵状態の知見で解決してしまうのが痛快です。(まさか××××が伏線だったとは!)

 それにしても、嫁を迎えるかもしれないという話に対する棠庵の(住環境というか保存環境に関する)戸惑いには、理解できる方も多いのではないでしょうか……


「頓死肝虫」
 その日は父親が家で転倒したり、長屋では泥棒騒動が起こったりたりと、散々な状況だった藤介。しかも伍平のもとには銅物屋の主人の死体が持ち込まれ、棠庵は検屍を依頼されることになります。
 騒動はさらに続きます。長屋に越してきた登勢の部屋を訪ねていた志乃が、登勢と間違えて攫われ、棠庵に五百両もの身代金が要求されたのです。銅物屋の主人の死と関わりがあるらしいこの事態に頭を悩ませる棠庵に対し、藤介は……

 サブレギュラーであるお志乃の誘拐、これまで謎だった棠庵の資金源(いきなりサラッと伝奇的な秘密が!)の判明など、最終話に相応しい展開となった今回。しかし何よりも印象的なのは、自分の存在が、自分の行動が事件のきっかけとなってしまった棠庵の姿でしょう。

 これまでにも棠庵は、幾度となく物語の中で判断を迫られ、悩んできました。彼はこれまで、法を守ることと、人の命や心を救うこと――その両者のジレンマを、「虫」という存在を持ち出すことによってくぐり抜けてきたといえます。
 しかし今回彼が迫られるのは、法を守るのではなく、法を破ること――はたして人の命を救うために悪事に加担することは許されるのか? 何よりも理を重んじてきた棠庵にとっては最大の問題であり、それが彼の限界というべきかもしれません。

 そしてここで語られる本作のタイトルの意味にも唸らされるのですが――そこから繰り広げられる怒涛の展開は痛快の一言。語り手に当たる人物が、探偵役の変人に振り回されてひどい目にあうというのは京極作品ではおなじみのシチュエーションですが、しかし――その意味でも、最終話にふさわしい物語だったといえるでしょう。


 かくして本作は完結し、棠庵と藤介との、そして周囲との人間関係も少しずつ変化を見せましたが――しかしまだまだ棠庵を主人公に描ける物語はあるはずです。

 本作は天明年間を舞台としていますが、『前巷説百物語』は文政年間と、40年近い差があります。もちろんその間を全て埋める必要はありませんが、この朴念仁で理屈屋の――しかしどこか人間臭い棠庵の物語を、もっと読んでみたいと思うのが今の正直な気持ちです。
(実のところ、巷説百物語シリーズでほぼ唯一、去就が不明な人物ということもあります)

 何よりも、「針聞書」にはまだまだ「虫」がいるのですから……


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