2018.09.07

田中芳樹『新・水滸後伝』下巻 巧みなアレンジを加えた傑作リライト


 あの田中芳樹が水滸伝の世界に――それもその続編である『水滸後伝』に挑むということで、水滸伝ファンの心を大いに騒がせた『新・水滸後伝』の下巻であります。金の侵攻を前に大宋国が揺れる中、各地で立ち上がった梁山泊の豪傑たち。その運命はついに一つに集うことに……

 阮小七が役人と争って以来、各地で再び厄介事に巻き込まれていく梁山泊の生き残りたち。折しも北方から金国が侵攻を開始する中、豪傑たちは貪官汚吏や悪人たち、金軍などと戦いながら、やがて登雲山、飲馬川、そして金鼇島の三ヶ所集っていくことになります。

 そんな中、飲馬川から偵察に出た戴宗と楊林が出会ったのは、一人隠棲していた燕青。相変わらず才知に富んだ燕青を中心に様々な冒険を繰り広げた彼らは、やがて金軍に敗れた王進や関勝らとともに飲馬川に戻ったものの、うち続く金軍の侵攻を前に、ついに登雲山組との合流を決意することになります。
 一波乱も二波乱もあった末に登雲山に着いた一行ですが、しかしそこにも迫る金軍の魔手。そこで李俊たちが南方に雄飛したことを知った一同は、彼らに合流すべく、金の軍船を奪取して海に出るのでした。

 一方その李俊の方は南方の金鼇島で平和に暮らしていた――と思えば、国王が魔人・薩頭陀と手を組んだ宰相・共濤に毒殺されたことににょり、暹羅国は大波乱。国王の敵討ちに攻め込んだものの、逆に薩頭陀と配下の革三兄弟に金鼇島を攻められ、絶体絶命の窮地に陥ることに……


 と、下巻は上巻にも増して、合戦また合戦の連続。合戦になると豪傑たちの個性が弱まるのは、これは原典というか原典の原典以来の欠点ですが、しかしそんな中でも、いかにも水滸伝らしい知恵と度胸で大逆転、という展開が数々散りばめられているのが嬉しいところであります。
 そして戦いの最中、あるいはその合間に見せる豪傑たちの素顔もいかにも「らしく」、この物語の発端であり、どうやら作者のお気に入りらしい阮小七のある種無邪気な無頼漢ぶりや、呼延ギョクと徐晟の義兄弟コンビの初々しい若武者ぶりなど、なかなか魅力的であります。

 そんな中でも特に印象に残るのは、この下巻ではほとんど出ずっぱりを見せる燕青でしょう。知略に武術に、相変わらずのオールマイティーぶりですが、囚われの皇帝に蜜柑と青梅を献じる忠心溢れる名場面から、李師師に迫られて大弱りの迷場面まで、下巻の主役と言ってもよいほどの大活躍であります。


 さて、こうした物語展開やキャラクター描写は(特に前者は)基本的に原典のそれをかなり忠実に踏襲しているのですが――しかしもちろん、随所に作者の手が入り、より整合性の取れた、より盛り上がる、そしてより現代日本の読者の感性に合った物語となっているのが注目すべきところでしょう。

 たとえばそれは、原典で日本の関白(!)が暹羅に来襲するくだりがオミットされていたり(ただし象に乗っていたり「黒鬼」なる水中部隊を擁しているのは他のキャラで再現)、金軍との対決が幾度か増量されていたり、現代人の目で見るとどうかなあという印象のラストの結婚ラッシュがなくなったり――下巻では上巻以上にアレンジが加えられている印象があります。
 しかしここで特筆すべきは――いささかネタばらしになることをお許し下さい――終盤で一度宋に戻り、杭州を訪れた燕青たちの前に現れる「彼」の存在であります。

 この「彼」との出会い自体は原典でも描かれるものの、あちらではかなりしみじみとした場面だったものが、本作においてはそれを作中屈指の一大バトルに改変。
 李俊たちの宿敵としてしぶとく生き残っていたあの男(この展開も本作オリジナルなのですが)を、「彼」が仲間たちを制して単身迎え撃つのですから、これを最高と言わずして何を最高と言いましょうか!
(実は読む前に「折角アレンジするのであれば、こんな場面があればいいのに……」と思っていたものが、ほとんどそのまま出てきたので仰天しました)


 ……と、思わずテンションが上がってしまいましたが、ただでさえ水滸伝ファンであればニヤニヤが止まらない原典を、この場面のように、さらに嬉しい形にリライトしてくれたのですから、水滸伝ファンにはまず必読と言い切ってかまわないでしょう。
 そしてもちろん、本作から逆に遡る形で水滸伝に触れる方がいれば――それはもちろん素晴らしいことであります。

 初心者から大の水滸伝ファンまで、少しでも多くの方が、この水滸後伝の、水滸伝の世界を楽しんでいただければと願う次第です。


『新・水滸後伝』下巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 下巻


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2018.09.01

『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』 17年間、全51巻の締めくくりに


 先日文庫版も完結した北方謙三の大水滸伝第三部『岳飛伝』。その『岳飛伝』と大水滸伝全体の読本であります。対談やインタビュー、エッセイ等に加え、思いもよらぬ企画まで、読み応え十分の一冊です。

 全17巻で完結した『岳飛伝』に加え、『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻と、実に計51巻、17年間に渡って描かれてきた大水滸伝。私も水滸伝ファンの端くれとして、この極めて意欲的で刺激的な「水滸伝」を楽しませていただきました。
 そのある意味締めくくりの一冊として刊行された本書も、ある意味ボーナス的な気分で手に取ったのですが――これが想像以上にユニークで楽しい一冊でした。

 これまで刊行された『替天行道』『吹毛剣』の二冊の読本同様、様々な企画記事を集めて構成された本書。対談4本、インタビュー2本、作者や評論家、担当編集者によるエッセイ、名台詞や用語辞典、さらにはダイジェスト漫画まで――約470ページぎっしりと詰まった内容はなかなか圧巻であります。
 本書に収録された記事は基本的には雑誌やwebサイトに掲載されたものが大半なのですが(作者と原泰久の対談、岳飛伝年表、編集者のエッセイの一部、漫画「圧縮岳飛伝」等が主な書き下ろしでしょうか)、単行本派としてはほとんど初見の内容なのでこれはこれでありがたいところです。

 名台詞と用語辞典は連載途中のものであるため(というより前者は『楊令伝』までの内容)『岳飛伝』を網羅していないのが不満ですが、それ以外の対談やエッセイは連載終了後のものが多く、完結後の今読んでも違和感がないのが嬉しいところであります。
 特に川合章子「『岳飛伝』――その虚と実」は、タイトルのとおり『岳飛伝』の内容と対比しつつ、史実の北宋末期から南宋初期の時代や岳飛の生涯を解説した記事で、必読とも言うべき内容と言えます。

 また語り下ろしの原泰久との対談の中では
(あまり潜在能力を発揮すると寿命が縮むと言われて)「それで縮んだ寿命は、それをもってよしとする覚悟をすれば、縮まない」
(原泰久が無理をして体調を崩したという話に)「それはまだ、技術的に潜在能力を常に出すというところを発揮していないんだよ」
と作中の人物のようなことを語る作者の言葉がたまらないところであります。


 さて――本書の内容について軽く紹介しましたが、しかし個人的に本書において必読の内容はその他にあります。それは「やつら」と題されたwebサイト掲載の内容+αの企画――作者たる北方謙三が、作中で命を落とした登場人物たちと邂逅し、対話する企画であります!
 その相手も、林冲・魯達・楽和・丁得孫・凌振・朱貴・石勇・時遷・扈三娘・王英・鄒潤・張横・李袞・童威・皇甫端・宋清・湯隆・陶宗旺――作中で大活躍した作品を語る上で欠かすことのできない大物から、梁山泊入りしてすぐに亡くなった者、大した活躍はできなかった者まで、多士済済であります。

 そんな面々が、(死後の?)世界に紛れ込んだ作者に対して、あるいは語り合い、あるいは問いかけ、あるいは愚痴をいい――思わぬ裏設定が語られたりするのも嬉しいのですが、何はともあれ、今この時代に作者が作中人物と対談する企画が堂々と描かれるとは、と驚かされます。
 ……そしてそれがきっちりと北方作品として、大水滸外伝として成立しているのには感心するばかりであります

 また、巻末の超ダイジェスト漫画『圧縮大水滸伝』は、作者の、そして作品のイメージとはだいぶ異なる、「今時の」ファン漫画的な内容なのにも驚かされますが、こうした読者層までファンが広がったことが大水滸伝の強さであり、受容の証なのだなあ――と今更ながらに感じたところです。


 何はともあれ、本書は『岳飛伝』全17巻、いや大水滸伝全51巻の締めくくりとして、ファンであれば楽しめる一冊であることは間違いありません。
 さて、『チンギス紀』読本は出るのか……(気が早い)


『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く
 北方謙三『岳飛伝 十七 星斗の章』 国を変える、国は変わる――希望の物語、完結

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2018.08.07

田中芳樹『新・水滸後伝』上巻 帰ってきた豪傑たち 新生の水滸伝続編


 スペースオペラ、ファンタジー等、様々なジャンルで活躍してきた作者のもう一つの得意分野は中国の古典。これまで様々な作品をリライトしてきた作者ですが、その最新作は――『水滸後伝』! あの水滸伝の続編小説をリライトするとあれば、マニアとしてはもちろん黙っていられないのであります。

 朝廷に帰順し、四方の賊を平らげたものの、その数を三十数名にまで減じることとなった梁山泊の豪傑たち。今はそれぞれ各地で平和に暮らす豪傑たちですが――しかし運命は彼らを決して放ってはおかないのであります。
 時あたかも北方で金が遼を滅ぼし、南下を狙っている頃。しかし北宋では相変わらず奸臣や小人たちが幅を利かせてやりたい放題、まさに国の滅びは目前に迫っている状況です。

 そんな中、阮小七が悪徳役人に難癖をつけられたことをきっかけに、各地で梁山泊の豪傑たちが動き始めることになります。貪官汚吏に陥れられ逆襲に転じる者、新天地を求めて雄飛する者、国を守るために奮戦する者――再び集う豪傑たちが向かう先は……


 本作のベースとなった水滸後伝は、16世紀前半に成立したとみられる水滸伝に遅れること百数十年、1668年に陳忱が書いた作品。
 水滸伝ファンであれば誰もが結末にはなにがしかの不満を抱くものですが、それは数百年前でも同じこと、作者が自分なりの続編・後日譚を書いたのが本作であり――いわば二次創作であります。

 もちろんそのような作品は無数にあったと思われますが、しかし本作が現代まで残っているのは、その中でも非常に面白かったからにほかなりません。
 生き残りの豪傑たちはもちろんのこと、その他の原典の登場人物、豪傑たちの二世世代を散りばめて描かれる物語は原典の最も楽しい時期――すなわち、天に替わって道を行い、弱きを助け強きをくじく豪傑たちの野放図な活躍を描き、何よりもハッピーエンドなのですから嬉しい。

 当然、水滸伝ファンには必修の作品と思っていたのですが――しかし作者の言を見ると「原典の存在を知ってもらうだけでも、恥をかく価値はある、と考えて刊行してもらうことにした」と、何やら非常に控えめ。
 もしかして水滸後伝はマイナー作品なのかしら、と頭に上った血を下げて考えてみれば、確かにこの水滸後伝は、現在はアクセスしにくい作品であります。

 完訳は鳥居久靖による東洋文庫で全3巻が出ているのみ、抄訳も寺尾善雄による1巻本があるきりで、リライトに至ってはゼロ! いかに日本で水滸伝が不遇とはいえ、これはあまりに残念な状況であります。
 だとすれば、ここでこうして作者が水滸後伝をリライトしてくれるのは、大いに意味のある、素晴らしい試みであると言うほかありません。何しろ、水滸後伝が書店で平積みになっているのですから、痛快ではありませんか!


 と、中身にほとんど触れず恐縮ですが、この上巻で描かれるのは全三十回の原典の第二十二回まで。豪傑たちが登雲山や飲馬川という原典ファンには懐かしい地に集い、あるいは海を越えて金鼇島に拠る様が描かれることになります。
 しかし先に述べたとおり金軍の侵略は迫り、首都たる開封府までもが危うい状況。そんな中、(最近はスマホゲームでの登場で有名になった)あの男が登場して……という展開であります。

 さて、それでは本作のリライトぶりは、といえば、これが意外なほど原典に忠実な内容。全2巻とはいえやはりある程度ダイジェストされた部分はあるのですが、しかしこの上巻の時点では、原典の内容はほぼ全てフォローされているのは――と感じます。
 むしろ描写や説明についてはかなり丁寧な印象で、特にキャラクター描写については原典の不足をうまく補っていると感じられるところ。特にこの後伝で初登場の二世組のうちの二人――呼延ギョク、徐晟ら若武者の描写は、これまで梁山泊にいないタイプのキャラだけに、なかなか新鮮に感じられます。

 何よりも、全編にどこかあっけらかんとした、明るいムードが漂っているのが、気持ち良いのであります。


 さて、上巻では生き残りの豪傑たちの大半が登場しましたが、さて残る豪傑たちはどこにいるのか。そして上巻ラストで登場した謎の怪人の正体は(あと、こればかりは改変せざるを得ないと思われるあのキャラの扱いは)……
 下巻も近日中にご紹介いたします。


『新・水滸後伝』上巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 上巻

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2018.04.29

稲田和浩『水滸伝に学ぶ組織のオキテ』 実は水滸伝概説本の収穫!?


 それほど数が多くない水滸伝本ですが、さすがにノーチェックだったのが本書。『○○に学ぶ』というタイトルの新書は数多くありますが、しかしそれが「水滸伝」というのは珍しい。そして蓋を開けてみれば、これが実は相当に真っ当な水滸伝概説本だったのであります。

 『水滸伝に学ぶ』といえば真っ先に思い浮かぶのが、大分以前にご紹介した『水滸伝に学ぶリーダーシップ』。あちらは原典の設定を踏まえつつ、オリジナルのシチュエーションでリーダーシップを語るという一種の奇書でありました。
 それでは本書は? と思えば、こちらは水滸伝を紹介しつつ、組織――人事論を語るという内容ではあるのですが、目次を見ると「ん?」となるのは、本書は序論を除けば、全百二十章構成であることです。

 そう、本書は実に百二十回本の内容をダイジェストしつつ、その合間に「ノート」の形で人事論を挿入するというスタイル。ノート自体は49個なので、二、三章に一個挿入されているという計算ですが、いずれにせよ、ダイジェスト部分の方が本書の大半を占めるという形になっています。

 そもそもただでさえ数の少ない水滸伝ダイジェスト、あるいはリライトですが、その中でも七十回以降――すなわち百八星終結後をきちんと紹介しているものはかなり少ない。
 圧縮した内容で載っているのであればまだマシな方で、原典の七十回本同様、ばっさりとカットされているというケースも少なくありません。(大きなアレンジなしでしっかり百二十回書いているのは、最近では渡辺仙州版くらいではないでしょうか)

 それを本書では丁寧に百二十回全て取り上げているのは、一つには本書のテーマである組織として梁山泊が動くのが、この七十回以降(以降、便宜上「後半部分」と呼びます)であることによるでしょう。

 戦争の連続で退屈だ、水滸伝の魅力である個人が埋没してしまっている――と評判の悪いこの後半部分ですが、しかし梁山泊が本格的に組織として動くのはまさにこの部分。
 それまで豪傑個人個人の銘々伝という色彩の強かった物語は、ここに来て集団対集団の戦いの物語へと変貌するのですが――それはとりもなおさず、水滸伝が組織の物語になったということにほかなりません。その意味では、後半部分をきっちりと描くというのはむしろ必然にも思えます。


 しかしここからは全くの想像ですが、むしろ本書は、著者が単純に水滸伝好きであったから、その全てを描きたかったためにこの形になったのではないか――そんな印象を強く受けます。

 先に述べたように、本書のメインである組織/人事論のノート部分は、本書においてはあまり大きな割合ではありません。繰り返しになりますが、本書においては原典ダイジェストの部分が――いわばテーマの前提部分が――大部分を占めているのであります。
 しかしテーマの前提として語るのであれば、何も百二十回を丁寧に全て語ることはありません。中にはテーマと関係ないようなエピソードも含まれており(というよりそちらの方が多い)、ダイジェストにしても必要な部分を大きく取り上げる形式でもよかったはずであります。

 それが百二十回、取り上げられることが少ない後半部分を含めてきちんと全て紹介されているのは、これはもう著者の水滸伝愛がなせる技ではと、私はそう感じてしまったのです。
 そう思うのは、本書が水滸伝ダイジェストとして実に面白いから――という言いがかりのような理由ですが、しかし本書では単なる題材に対するもの以上の関心が、原典に対して向けられていることが、確かに伝わってきます。

 こうして見ると、ノート部分もむしろ、水滸伝を題材に組織/人事論を語るというより、それらの視点から水滸伝という物語を補強するようにも感じられるのですが――さすがにそれは牽強付会が過ぎるでしょうか。


 作者の経歴を見れば、本業は大衆芸能の脚本家とのこと。大衆芸能といえば、まさしく水滸伝は本来それであったわけで、ある意味これほど適した著者はいないのかもしれません。
 本書の真に目指すところがどこであれ――少なくとも本書は、作者の水滸伝愛が感じられる、水滸伝概説本としてよくできた一冊であることは間違いない、と申し上げてよいかと思います。


『水滸伝に学ぶ組織のオキテ』(稲田和浩 平凡社新書) Amazon
水滸伝に学ぶ組織のオキテ (平凡社新書)


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2018.04.13

北方謙三『岳飛伝 十七 星斗の章』 国を変える、国は変わる――希望の物語、完結


 ついにこの時がやってきました。『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻、そして『岳飛伝』全17巻――50巻を超える北方大水滸伝の大団円であります。南宋と金に対して繰り広げてきた岳飛と梁山泊の戦いもついに決着――その戦いを決したものは何か、そしてその先になにが待つのか……?

 果てることなく続く岳飛&秦容軍と南宋軍の、梁山泊軍と金軍の大決戦。奮闘を続ける岳飛たちですが、南宋と金――一つの「国」丸ごとを相手にして、そうそう簡単に決着が着くはずがありません。
 そんな中、死闘の間の一瞬をついてついに史進が兀朮を斃すも、自ら瀕死の重傷を負って……

 というラスト直前に最高に気になる引きで終わった前巻。深手を負い、戦線を離脱することになったものの史進は命を繋ぎ、その一方で兀朮亡き金は崩壊目前――と思いきや、むしろ兀朮という「顔」を無くした金軍は、最後の兵力十万を加えた数の力で梁山泊を圧倒することになります。

 一方、これまでの奇策の応酬はなりを潜め、正面からの戦いとなった岳飛&秦容と、南宋軍総帥・程雲の戦いは長期戦の様相。さらに海上では張朔の梁山泊水軍と夏悦の南宋水軍が決戦の場を求め、そして岳飛たちの留守を守る南方では、不気味な動きを見せる許礼を留守番部隊が迎え撃ち……

 と、前巻以上に戦いまた戦いの連続。史進の「帰郷」や、胡土児の旅立ちなども描かれるものの、物語のほとんど全ては、最後の決戦に費やされると言って過言ではありません。


 しかしその決戦の姿は、これまでの物語で描かれてきた血沸き肉躍るような戦人と戦人の、武人と武人との戦いとはほとんど異なる様相を呈することになります。
 その姿は――特に梁山泊軍と金軍の戦いは――壮絶な潰し合い、殲滅戦とでも言うべきもの。ただひたすらに相手を殺し、殺され、最後の一兵まで斃されるまでは続くような、そんなある種不気味な戦いであります。

 それは残念ながらと言うべきか、戦いのあり方は、既にかつての英雄同士のそれとは異なる、一種システマチックなものとなったということなのでしょう。
 少なくとも、かつての「国」を無くそうとしている――そしてその手段として敵の兵力を無くそうとする――梁山泊にとって、その戦いはある種当然の帰結かもしれません。そしてそれに自分たちが苦しめられるのもまた、当然なのかもしれません。


 それでも、戦いは人が行うものであります。少なくとも、本作で描かれる岳飛と秦容、呼延凌は、人としての顔を以て、戦いに臨んでいるのですから。
 だからこそ、本作のクライマックスで、ついに南方から駆けつけた秦容と呼延凌の再会シーンは、そしてさらに岳飛が驚くべき数の義勇軍を率いて戦場に現れる場面は、熱く熱く盛り上がるのであります。

 特に後者は、岳飛の尽忠報国の戦いの――いや、そこに至るまでの梁山泊の、そこに集い、連なる男たちの命がたどり着いた一つの夢と希望の姿として、この大水滸伝の掉尾を飾る名場面でしょう。
 それはあまりにも理想的に過ぎるのかもしれませんが――革命というものに熱い共感を寄せてきた作者が描いてきた大水滸伝の結末において、いや、民衆の反骨と希望の象徴であった「水滸伝」の名を冠する物語の結末として、誠に相応しいものであったと言うべきでしょう。

 そしてその希望の象徴として、現実世界において長きに渡り愛されてきた岳飛が、この物語のタイトルロールであるのも当然の帰結であった、と今更ながらに感じた次第です


 以前に、北方『水滸伝』は国を壊す物語、『楊令伝』は国を造る物語と評したことがありました。
 そうだとすればこの『岳飛伝』は、国を変える物語――いや、国は変わることを描く物語だったのではないかと、ここに至り感じます。

 そして一つの物語は終わり、そして歴史の中に埋もれていく、回帰していくことになります(本来であればはるか以前に死んでいた岳飛の、ラストでの姿はその象徴でしょう)。
 しかしそこで描かれたものは、いつまでもこちらの心に残り続けることでしょう。自分たちがどこにいるのか、そして自分たちに何ができるのかを問いかけ示す、そんな希望の物語として……


『岳飛伝 十七 星斗の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十七 星斗の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く

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2018.04.08

北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く


 ついに北方岳飛伝もラスト2! 岳飛と秦容の北上をきっかけに突入した岳飛軍&秦容軍vs南宋軍、梁山泊軍vs金軍の決戦はいつ果てることもなく続き、その中で幾人もの豪傑たちが散っていくことになります。そしてついにあの男までもが……?

 国を倒し、国を作り、いま国を根底から変えようとする男たちの戦いもついにクライマックス。これまで営々と蓄えられてきたものが一気に解き放たれたように、この巻においては、ごく一部の例外を除いては、ひたすら続くマラソンバトルが描かれることになります。

 そこで繰り広げられるのは、かつての戦いとは異なり、大将首を取ればそれで終わり、とはならない潰し合い。
 どちらかがどちらかの戦闘能力を完璧に奪うまで続く戦いですが――しかし「国」が総力を挙げてぶつかりあう中で、早々簡単に決着がつくはずもありません。

 もちろんそんな中でも大将を討てば相手の戦闘力を奪うことはできるはず――という計算以上に、そんな「今の」戦いの形に違和感を持った男たちの激突が、ここでは様々な形で描かれていくことになります。

 呼延凌と兀朮の幾度目かの一騎打ち、前回殺されかけたお返しを程雲に仕掛ける岳飛――こうした「これまでの」戦いを目にすると、どこかホッとしてしまうのですが、それはとりもなおさず、こうした個人と個人がぶつかり合うような戦は、作中において既に珍しくなってしまったということなのでしょう。

 しかしそんな中でも、個人としての輝きを放って散っていく男たちがいます。
 李俊を兄と慕い張朔を弟のように慈しんできたあの無頼漢が、梁山泊百八人の残り二人のうち一人となり死に場所を求めていたあの男が、華々しい戦の陰で人知れず戦いを続けてきた男が――ここで命の最後の煌めきを放ち、散っていくことになるのであります。

 男一人が巨大すぎる相手に立ち向かい、その命と引き替えに一大痛棒を食らわせる――それはかつての梁山泊流とでもいうべきものかもしれませんが、そんな「昔の」生き様を貫いてみせた男たちの姿は、勇猛さと同時に、どこか侘しさを感じさせるものがあります。


 もちろん、その一方で、次代を担う者たちは着実に動き始めています。そしてその代表格が、楊令の実子であり、兀朮の養子である胡土児でしょう。
 その複雑な出生から、そして兀朮との血を超えた深い絆から、海陵王の嫉妬を買うこととなった胡土児。兀朮の命で北方(ほっぽう)――蒙古との国境に遣られた後も、海陵王の刺客は幾度となく彼を襲うことになります。

 中原での戦いから切り離された彼の物語は、『岳飛伝』という物語から離れた別個の物語という印象もあります(そして実際に次の物語のプロローグ的位置づけなのだとは思いますが)。
 しかし梁山泊と金の双方のある側面を最も濃厚に受け継ぐ存在である彼が、新天地を求める、ある意味青春真っ直中の姿は、この物語が、ある種のオープンエンド――最後の戦いに決着がついて、それで全てが終わるものではないことを示しているのでしょう。

(そしてその一方で、放浪を重ねた末に新天地にたどり着いた王清の青春の終わりの姿も実に良いのであります)


 と、新旧それぞれの生き様が描かれた末に、この巻はラストにおいて、それらの全てを吹き飛ばすような展開を用意しています。

 ついに梁山泊百八人のうち、最後の一人となった男・史進。
 誰よりも苛烈な戦いの中に身を置き、長きにわたって死に場所を求めてきた彼が、最後の最後で大きな大きな一撃を食らわせることになるのですが――しかしその代償はあまりに大きいとしか言いようがありません。

 あまりに呆気なく命が奪われていく世界(現に、史進に倒された側の呆気なさにはちょっと吃驚)において、彼の命のみが特別ではないことは、誰よりも我々読者が一番良く知っているのですが――それでもなお、唖然とならざるを得ない結末を以て、物語は最終巻に続くことになります。


 ちなみに上で述べられなかったのですが、この数巻でにわかに存在感を増していた程雲の副官・陸甚は、この巻でも素晴らしい存在感を発揮。あの台詞がこう生かされるか!? と驚かされる展開には、ただ詠嘆させられるばかりでありました。


『岳飛伝 十六 戎旌の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 16 戎旌の章 (集英社文庫)


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2018.04.01

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!

 web連載の方では最終章「方臘篇」も佳境でどんどんファンの心を折ってくる『絵巻水滸伝』第二部ですが、単行本刊行がスタートしたその序章「招安篇」も、早くもクライマックス。官軍の総攻撃を前に、約束の地・梁山泊から分断されてしまった百八人の豪傑たちの運命は……

 東京を騒がせたことをきっかけに行われることとなった梁山泊への招安。しかしそれは奸臣たちの罠――招安を梁山泊が蹴ったことを契機に、官軍の総力を結集した攻撃が始まることになります。
 しかし攻めてくるのが童貫や高キュウであれば恐るに足らず――と言いたいところですが、そこに現れたのは大宋国各地から集結した十節度使!

 かつては梁山泊同様の賊徒であったものが、招安を受けて官軍に下った節度使たち。いわば梁山泊にとっては同類であり先輩とも言うべき、文字通り一騎当千の猛将は、宋国四天王の一人・聞探花こと聞煥章の計の下に、梁山泊に襲いかかることになります。
 その攻撃の前に後手後手に回ってしまった梁山泊。しかしその反撃がついに始まることに……


 というわけで、この巻の冒頭で描かれるのは梁山泊勢による済州攻め。官軍を束ねる童貫が駐留する済州を落とし、童貫を討てばこの戦いは終わる――そう読んで主力を投入した梁山泊は、得意の奇計で瞬く間に済州を奪ったかに見えたのですが、しかしここからが本当の戦い、本当の地獄が始まることになります。

 既に童貫は済州を脱出してその姿はなく、逆に済州に押し込められることとなった宋江以下の梁山泊軍。そして主力不在の梁山泊は、思わぬ官軍の策によって、水軍の戦力を一気に失うことになります。
 分断された梁山泊軍に襲いかかる節度使軍。さらに、方臘に備えていたはずの宋国水軍の主力・金陵水軍を率いて高キュウまでもが襲いかかり、梁山泊は絶体絶命の窮地に陥ることになります。

 それでももちろん、梁山泊の豪傑たちがそうそう簡単に屈するはずがありません。
 節度使たちの重囲から脱出し、梁山泊に帰還せんとする林冲や呼延灼、関勝。ほとんど船が失われた状況においてゲリラ戦を仕掛ける李俊、張横、阮三兄弟。そして梁山泊を守るべく動き出す盧俊義と呉用。

 いずれも持てる力を尽くす豪傑たちですが、しかし圧倒的な物量と配下の犠牲を厭わぬ官軍の攻撃を前に、彼らの反抗も虚しく……


 前巻の紹介でも述べましたが、原典ではほとんどボーナスステージのようなノリで梁山泊軍が大暴れした節度使や童貫・高キュウとの戦い。
 しかし本作においては敵もさるもの――どころではなく、梁山泊軍は危機また危機の連続。このまま梁山泊が負けてしまうのではないか、という勢いの戦いが、この第3巻丸々一冊を費やして描かれることになります。

 ここで描かれるものは、細部は異なれど原典から大まかな展開は変えてこなかった本作のこれまでの流れからは、大きく外れたようにも思えます。
 これは今にして思えば、「水滸伝」という物語をより説得力ある物語として描くための構成として、大きな意味があることがわかるのですが――しかしそれはもう少し先の話。今はただ、本当にファンにとっては胃が痛い展開が続きます。

 しかしその一方で、戦場で軍として正面からの戦いで力を発揮する姿よりも、圧倒的な敵に知恵と度胸で挑む姿の方が、より梁山泊の豪傑らしい――そんな想いも確かにあります。
 特にこの巻の後半、絶望的な状況から奇策で反撃を挑む水軍勢の姿は、これぞ梁山泊と言うべき、実に「らしい」ものであると言うべきでしょう。

 しかしその反撃も封じられてしまうのが、本作の恐ろしいところなのですが……


 果たして宋江と呉用の最後の策が功を奏するのか、果たして豪傑たちの勝利の歌は響くのか――まだまだ目が離せない展開が続きます。

『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇3


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 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2018.03.13

北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦

 残すところはわずか3巻、いよいよ最後の決戦に突入した北方版『岳飛伝』の第15巻であります。岳飛と秦容がそれぞれ南宋に突入し、金がほぼ全軍で梁山泊と対峙。そして梁山泊水軍と南宋水軍も決戦に臨む中、果たして最後に生き残るものは?

 ついに南方から飛び出し、南宋との戦いを開始した岳飛と秦容。三千五百の兵とともに南宋内を縦横無尽に駆け、各地の城郭を解放していく岳飛と、大軍でじっくりと地歩を固めつつ進んでいく秦容――対照的な形ながら、両者は着実に南宋の中に楔を打ち込んでいくこととなります。
 しかしそんな岳飛たちの頭を悩ませるのは、南宋軍の総帥・程雲の直属一万がどこかへ姿を消していること。致死軍の情報網でも掴めぬその行方は……

 というわけで、はじめに激突することになるのは、岳飛と程雲。一カ所に足を止めることなく連続で城を落としていく岳飛に対し、奇策でその効果を最小限にしてしまった程雲(もっともこれは彼の発案ではありませんが)は、さらに意外な手段で岳飛を待ち受けます。
 その正体については前巻で既に描かれているところですが、少なくとも軍総帥が行うとは思えない意外な策であることは間違いありません。そしてその策の前に、あの岳飛すら必殺の窮地に……
(そしてその策の途中、妙にノリのよいところを見せる程雲の副官・陸甚のキャラがここに来て立ちまくる)

 これまで幾度か絶体絶命の窮地に陥って来た岳飛。その中でも今回の危機は、彼のホームグラウンドである戦場で襲いかかったという点で、大きな意味を持つと言えるでしょう。
 これまで快進撃を続けてきた岳飛も、ここでついに膝を屈することに――なったと思ったら、何故か浮気相手を見つけてきたのは目が点になりましたが、この辺りの陽性の個性は岳飛ならではのものでしょう。

 手痛い敗北もなんのその、浮気では先輩である梁興とのダメな大人同士のわちゃわちゃっぷりは、大いに愉快でありました。


 と、そんな触れ幅の大きすぎる展開がある一方で、各地では着実に情勢が動いていくことになります。

 東では張朔の下、今度こそ死んでやろうと狄成と項充が腕を撫し、西では顧大嫂がついに大往生を遂げた一方で韓成が西遼の丞相に任命され……
 北では国境の戦場に赴いた胡土児が蒙古と戦いを続け、南では半ば左遷状態の許礼が岳飛と秦容の留守に不穏な動きを見せることになります。

 さらにこれらの動きの中心には、海陵王と兀朮が率いる金の大軍が呼延稜の梁山泊軍といよいよ一触即発の状態に――と、東西南北中央で、情勢が大きくめまぐるしく動いていくのですからたまりません。

 そしてこうした動きの中で、さらに若い世代が姿を見せてくるのが、物語に爽やかな印象を与えます。
 韓順と蕭周材は諸国漫遊の中で深い友情を育み、胡土児は徒空と名付けた蒙古の少年を友と呼び、(若いとは言えないかもしれませんが)謎の日本人・炳成世は張朔の船で初の本格的な海戦を経験し――と、この決戦が終わった後も、新たな物語が続いていくことを予感させてくれるのです。

 そしてそんな物語を象徴するように感じられるのが、小梁山で飼われる鸚鵡の口から出る「やるだけやって、死ぬ。でも」という言葉であります。
 広い広い物語世界で、無数の登場人物たちが懸命に生き、そして死んでいく。しかしその後にも、先人たちの想いを継いだ者たちが現れ、新たな生を繋いでいく……

 それは、呆気ないほどに容易く命が散っていくこの物語において、大きな慰めであり希望であると感じられます。


 と、大いに盛り上がる――はずのシチュエーションなのですが、本作ならではの様々なキャラクターの視点から細かくエピソードを積み上げていく手法が、同時に展開する戦いを描くには、逆効果になっている感があるのも正直なところ。
 また、個々の戦いが互いに結びついているようであまり結びついていないように見えるのもその印象をより強めるように感じられます。

 もっとも、この巻においても決戦はまだ序盤といったところ。戦いが進展し、決着に近づいていけば、そんな印象は吹っ飛ぶことでしょう。
 ラスト2巻――全17巻の、いや全51巻の締めくくりに相応しい盛り上がりを期待します。


『岳飛伝 十五 照影の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十五 照影の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す

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2018.02.17

北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す

 気がつけば北方版『岳飛伝』も残すところ本書をいれてわずか4巻。ついに岳飛が北進を始めた中、金が、南宋が、梁山泊がそれぞれの思惑を秘め、決戦に向けて動き始めることになります。そしてその中でまた一人……

 辛晃率いる南宋軍五万の大軍を打ち破った岳飛と秦容。しかしまだまだ南宋は遠く、そこに至るまではあまりに険しい道のりであります。それでもジリジリと力を蓄えた二人はついにこの巻にて北進を開始。秦容が南宋軍を引きつける間に岳飛軍はついに南宋に足を踏み入れ、戦いを始めることになります。

 その一方で秦檜と析律は不戦協定を締結。これにより秦檜は因縁重なる岳飛を迎え撃ち、そして金は領内に存在する異物たる梁山泊攻撃に専念することが可能となったわけですが――もちろん梁山泊も黙っているはずがありません。
 こうして各地で緊張が高まる中、一人の男が胡土児を訪れます。それは九紋竜史進――史進は胡土児に彼の本当の父・楊令が残した吹毛剣を届けに来たのですが……


 これまで力を溜めに溜め、ようやくダッシュを開始した感のある岳飛。秦檜によって完全に復興し、力を蓄えた(もっともこれこそが岳飛が南宋に挑む理由でもあるのですが)南宋を相手に、如何に精強な岳飛軍とはいえ、ほとんど一軍でどうするものか……
 と思いきや、岳飛軍本隊の機動力と、これまで長きに渡り南宋内に潜伏してきた岳家軍残党の連携により、ほとんど電撃作戦といった形で次々と城市を落としていくのはなかなか爽快であります。

 もちろん、これを黙ってみている南宋軍ではありません。地味キャラに見えて、前巻では意外な策を用いて海陵王をあわやというところまで追いつめた南宋軍総帥・程雲は、岳飛はおろか、致死軍でも動きの掴めぬ潜伏作戦で岳飛を徐々に追い込んでいくのであります(この巻の終盤で明かされるそのカラクリにはさすがに仰天)。

 そんな対照的な戦いが繰り広げられる一方で、まだ全面的な開戦には至っていない梁山泊と金ですが、その両者に関わる一大イベントが、吹毛剣継承であります。

 楊志から楊令に伝わることとなった楊家伝来の吹毛剣。元々は宋建国の英雄であった楊業の剣であったものが、今ここでその宋を滅ぼした金軍総帥の養子・胡土児に伝わるのも皮肉と言えば皮肉なのかもしれません。
 しかし楊志と楊令の間には血の繋がりはなかったことを思えば、それにもかかわらず吹毛剣には間違いなく楊令の魂が籠もっていることを思えば、この剣は国を超えた男の魂の継承を象徴するものと言えるでしょう。

 その吹毛剣を胡土児に託すのが史進というのがまた痺れるところですが(そして新・新生梁山泊の統括組がそれを必死に史進に押し付けるのには笑いましたが)、それを託された胡土児が、兀朮の命によって北辺に赴くことになるのが、また意味深であります。
 兀朮が口にするその理由がまた泣かせるのですが、それはともかく北辺での胡土児の任務は、侵入を続ける蒙古の撃退。蒙古といえば言うまでもなく――というわけで、もしかするとここにまた、新たな魂の継承が行われるのかもしれない、というのは深読みがすぎるかもしれませんが……


 そして南で北で、様々な形で戦いが、戦いに繋がる出来事が描かれる一方で、東の果てで、一人の豪傑が静かにその人生の幕を下ろすことになります。
 その名は李俊――韓世忠を斃し、沙門島を奪回しと、ここのところ凄まじいまでの活躍を繰り広げてきた李俊は、密かに慕っていた瓊英と会うために日本に渡るものの再会目前で彼女を喪い、そのまま十三湊に留まっていたのであります。

 そんな、静かな暮らしを送る李俊の前に現れたのは、ついに日本にやってきた王清。
 梁山泊から距離を置いて流浪を続けてきた彼もまた不思議な人生を送ってきたキャラクターですが、あるいは志とは微妙な距離をおいてきた李俊と共通点があると言うべきでしょうか。そんな二人は静かな交流を続けるのですが……

 そこで何が起き、そしてどのように李俊が逝ったのか、その詳細はここでは語りません。しかしそれは間違いなく男の中の男の最期、まさしく大往生としか言いようのない、見事で、そして美しく素晴らしいものであったことだけは、間違いありません。
(ただ、同じ巻で逝った曹正とちょっと被るのが……)


 秦檜の体の異状も描かれ、いよいよ最後の決戦に向かって大きく動き始めた本作。物語の最後に描かれるものは何か、秦容流に言えばどのような「夢という墓標」が残るのか――心して待ちたいと思います。

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2018.01.23

北方謙三『岳飛伝 十三 蒼波の章』 健在、老二龍の梁山泊流

 いよいよ物語も後半戦に突入した北方岳飛伝、前巻でついに北進への第一歩を踏み出した岳飛と秦容ですが、まだまだ道は遠い状況。その一方、金国では新帝・海陵王が南宋占領を目論んで南進を開始するなど目まぐるしく状況が動く中で、今回気を吐くのは老いたる二龍であります。

 五万の大軍を以て南方侵攻を狙った南宋の辛晃を、秦容との連携で完膚なきまでに打ち破った岳飛。南宋国内に潜伏した三千の岳家軍と、そしてもちろん秦容と連携して、いよいよ北進、中華からの金国放逐を目指した戦いが始まる――のはまだ先、という印象です。
 確かに、一つの国――いや、その前に南宋とも戦わねばならないことを考えれば、決して短い道のりでないのは当たり前のお話。かつて梁山泊が北宋に挑んだ時のことを思えば、岳飛の戦いは、遥かに早く、そして勝ち目を持ったものとして感じられるのも事実です。

 しかしやっぱりもう少し大きく動いてもらえないかな、と思ってしまうのも正直なところではあります。南宋も金も、そして梁山泊も大きな動きを見せているだけに……
 そしてその動きの一つが、先帝を弑するという手段で以て帝位に就いた海陵王の、子午山侵攻――そう、あの子午山であります。


 これまで、梁山泊はもちろんのこと、他の勢力においても一種の聖域として――あるいは存在しないものとして扱われてきた子午山。王進が没し、彼に育てられた男たちが皆山を降りても、それは変わることはありませんでした。
 が、兀朮に対して対抗意識を燃やす海陵王は、兀朮もスルーした子午山に手を伸ばすことで自分の力を示そうという、非常に子供じみた意識で、禁軍の大軍勢を率いて子午山周辺に侵攻することになります。

 が――これが一番怒らせてはいけない男を怒らせることになります。そう、子午山で育てられた最初の世代の最後の生き残り、九紋龍史進を。
 最近では老武人の幕引き役か、生意気な若造シメ役となってきた史進ですが、これは単なる若造のイキリではすまない、絶対にやってはいけない行為。まさしく逆鱗に触れられた史進によって、金国禁軍は散々に叩きのめされることに……

 これはもう、始まる前から結果は分かり切った戦いなのですが、むしろ見どころは、戦いの前、子午山の王進と王母の墓を訪れた史進の言葉でしょう。『水滸伝』からの読者にとっては感涙必至の名場面であります。


 そして九紋龍が大暴れした一方で、もう一人の龍もまた、渾身の活躍を見せることになります。史進と並び、今では梁山泊最古参の一人――混江龍李俊が。
 前巻では韓世忠を一刀両断にするという剛勇をみせた李俊ですが、この巻では引き続いて、一度は梁山泊に放棄され、南宋に奪われた沙門島奪回に動き出すことになります。

 しかし沙門島には数多くの戦船を有した五千の大軍が島を要塞化して駐屯。名のある敵はいないとはいえ、この困難な状況から如何に島を奪回してみせるのか……
 と、これまで死亡フラグを何度も立てている李俊だけに非常に心配にもなりますが、ここで繰り広げられるのは、「元気」としか言いようのない李俊たちの暴れっぷり。最近おとなしめの戦いが続く本作において、久々にド派手な戦いを見せていただいた、という気分であります。

 そして、数は少なくとも精兵で大軍を散々に打ち破るという史進の戦い、そして強敵難敵に対して奇策で挑むという李俊の戦い――この二つの戦いは、(北方版に限らない)「水滸伝」の魅力である、「梁山泊流」とも言うべきものであります。
 その梁山泊流がこうしてまだまだ健在であることを示してくれたのは、何とも嬉しいことではありませんか。

 その先で李俊を待っていたのが、言葉を失うような事態だったのは、これはこれで本作らしい展開ですが……


 しかしその間も、中華を巡る動きは激動の一言。懲りない海陵王は大軍を率いてついに南宋に侵攻し、これに対して南宋軍の新たな総帥・程雲が南宋全軍を率いて対峙。
 作中でも秦檜に茫洋としていると評されるなど、今ひとつ目立たない人物でしたが、ここでその真価を発揮することになります。

 古強者が活躍する一方で、次々と登場する新たな力。その間に挟まれた格好の岳飛の活躍はいつか――繰り返しになりますが、そろそろ大きく動いて欲しいものであります。
 そして個人的には、子午山を出て以来、流される一方に見える(同時に梁山泊の存在に縛られている)王清の行方も気になるのですが……


『岳飛伝 十三 蒼波の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十三 蒼波の章 (集英社文庫)


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