2017.07.20

北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる

 岳飛死す――と思いきや、梁山泊の介入により生き延び、南方へ脱出という驚天動地の展開を迎えることとなった北方岳飛伝。ただ一人、大理国に足を踏み入れた岳飛の新たな戦いが始まる一方で、梁山泊も西へ東へ南へと活動を続けるのですが――しかし南宋も不気味な動きを見せることになります。

 秦檜による南宋軍総帥への就任要請を断り、謀反の罪を着せられて処刑を待つ身となった岳飛。しかし呉用の「岳飛を救え」の言葉によって動いた燕青は、南宋皇太子の正統を揺るがす印璽と短剣と引き換えに岳飛を救出することになります。
 致死軍のフォローによって南宋を脱しかつての部下の姚平とただ二人、雲南大理国に逃れた岳飛。かつての岳飛軍を糾合するという姚平が北に戻り、ただ一人森に残った岳飛は、その中で己を見つめ直すことに……

 悲劇的な最期を遂げるはずの岳飛が生き延びてしまうという、意外と言えば意外な展開を経てのこの巻で描かれるのは、岳飛と岳家軍の新たな旅立ち。
 戦いには負け続け、それでも生き延びて、南宋最強の戦力となった岳飛ですが、今度こそ絶体絶命――というところで辛うじて拾った命のほかは無一物の状態から、彼は再び立ち上がることになります。

 どん底といえばどん底の状態にあって、ただ己の生を確かめるように、塒の周囲の開墾に没頭する岳飛の不器用な姿は、これはこれで実に彼らしい。
 そこには、決して超人的な英雄ではなく、ただ一人の人間――それも極めてしぶとく、そして非常に魅力的な人間として生きてきた彼らしさが溢れていると言えるでしょう。

 そしてそんな彼の下に、散り散りとなった岳家軍の男たちが馳せ参じる姿は、実に感動的であり――岳飛の戦いは、すなわち岳飛伝は、真にここから始まるのだ、と感じされられるのです。


 とはいえ、この物語世界で生きるのは、岳飛のみではありません。梁山泊も南宋も金も(金は今回は出番少な目ですが)そこに生きる者たちは、皆、自分たちの生を懸命に生きているのです。

 部下を叱咤激励して、十万人規模の都市・小梁山建設に着手した秦容。あの史進や呼延凌をやきもきさせた末に微笑ましいプロポーズを決める宣凱。かつて己の指揮で消えた無数の命を埋め合わせるように、西域で非戦の想いを貫く韓成。そして戦場で己の父の命を奪った岳飛と対面する張朔……

 どの登場人物も、これまでに積み上げてきた自分たちの生き様のその先を掴むべく、必死に生きる様が実に気持ち良い。
 もうこのまま、こいつらの生き様を延々と見ていたい――いささかオーバーに言えば、そんな気持ちにもなるのです。

 そしてその中で、個人的に一番刺さったのは、韓成の姿であります。

 岳飛伝開始時は、妻との関係が冷え切り、彼女に子供を押しつけるようにして、仕事に没頭するという、ある意味非常に現代的なダメお父さんとして登場した韓成。
 しかし西域に招かれ、帝の命でまつろわぬ部族を統合することとなった彼は、そこで思わぬ心の強さを見せるのです。戦を、人の命が失われることを嫌い、言葉でもって相手を説得しようとすることで……

 そんな彼の行為は、端から見れば綺麗事、空虚な理想主義にしか見えないかもしれません。しかし彼が背負ってきたもの、彼を腐らせた本当の理由を知れば、その決意を笑うことなどできようはずがありません。

 この巻で描かれる、彼と妻子の再会の場面――特に彼が、息子の馬にある名前をつけるシーン――は、そんな彼の復活の姿を描くものとして、男泣きの名場面なのであります。(それでもなお、百%報われるわけでもないところがまたいい)


 と、韓成の話ばかりになってしまいましたが、梁山泊の面々が活躍する一方で、南宋の暗躍も続きます。
 岳飛を切り捨ててまで南宋復活までの時間を稼いだ秦檜は、南進しての国力増強と、北の金と結んでの梁山泊攻撃を企図。その時に秦檜から秦容の小梁山を守る盾となるのは、そう、新生岳家軍……!

 因縁の対決はすぐ目の前に迫っているのか――それはわかりませんが、つかの間の平和が破られる日が遠くないことだけは間違いありません。

(ちなみに南宋といえば、それまで散々斜に構えてきた韓世忠が家庭を持っていきなりリア充的になったのも、妙に印象に残るところであります)


『岳飛伝 七 懸軍の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 7 懸軍の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり

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2017.06.15

北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり

 好敵手・兀朮率いる金軍との大決戦をほぼ互角の形で終え、帰還した岳飛。この先を巡り、南宋を代表する秦檜と対峙する岳飛ですが――史実を考えれば、岳飛と秦檜の対立の先にあるものはただ一つ。しかしそこで梁山泊が思わぬ役割を果たし、本作は新たな領域に踏み込んでいくこととなります。

 互いに数十万の軍を率いながらも、最後は一対一に等しい死闘を繰り広げた末、共に矛を収めた岳飛と兀朮。岳飛は岳家軍の本拠に帰還したものの、秦檜から臨安府への出頭を命じられることになります。
 一方、梁山泊では呉用が「岳飛を救え」という言葉を遺して息を引き取り……

 という嵐の予感から始まる第6巻ですが、前半は比較的静かな展開が続きます。

 理由を付けて出頭を引き伸ばす岳飛は、またもやふらりとごく僅かな人数で旅に出て蕭炫材と出会い(ここで蕭炫材の父・蕭珪材のことを語る二人が実にいい)、秦容は相変わらず南方開拓に精を出し、宣凱は微妙にフラグっぽいものを立てたり……
 その中で、燕青のみは岳飛の遺言を踏まえ、一人動き始めるのですが、それはさておき。

 しかし中盤からこの巻は、いやこの物語は、激動とも言うべき展開を見せることになります。
 ついに臨安府に出頭して帝に拝謁した岳飛に対し、岳家軍を解体し、南宋軍の総帥に就くよう迫る秦檜。それを拒否した岳飛は、秦檜に捕らえられることになるのですが――この対立の根底にあるのは、二人の男にとっての、国の在り方であります。

 それは民(民族)を取るか、国(政体)を取るかという、物語の冒頭から描かれてきた二人にとっての国の在り方の違い。
 金に取り残された国の民を救うために戦いを続けようとする岳飛と、南宋が再び中原に君臨するため今は休戦して国力を蓄えようとする秦檜と――二人にとって国に尽くすということは、その根本において大きく異なるのです。

 しかし、岳飛が秦檜の言葉を拒絶するのは、国に逆らうということ、すなわち国家への反逆に等しいことでもあります。かくて岳飛は謀叛人として処刑されることに……


 ついに来たか、という印象であります。実は主戦派の岳飛が、和平派の秦檜と対立の末、謀叛の科で処刑されるというのは、これは史実どおりの展開なのですから。

 理想を胸に抱いて戦い続けながらも、道半ばにして、周囲から汚名を着せられた末に斃れる――これはある意味、実に作者の作品の主人公らしい最期と言えるでしょう。
 当然、この『岳飛伝』の結末は、この岳飛の最期であろうと考えていたのですが……

 が、ここで物語はとてつもない動きを見せることになります。上で述べたように、呉用の遺言に動き始めた燕青。その彼と梁山泊致死軍が、岳飛救出のために動き出すのであります。そう来たか!

 もちろん、南宋の首都深くに囚われた岳飛を救い出すのは容易ではありません。果たしていかにして岳飛を救い、そして逃がすのか……
 その詳細はここでは伏せますが、ここで使われるのが、はるか以前に描かれていたあの伏線であり、そしてそれが南宋という国の正当性すら揺るがしかねないものという皮肉さが実に面白い。

 しかしそれ以上に盛り上がるのは、岳飛救出のために出動した致死軍の活躍であります。
 しばらく大きな動きを見せることがなかった致死軍ですが(そしてそれはそれで当然なのですが)、ここで彼らが見せた動きは、何とも痛快なもので、実に「水滸伝」らしいと感じさせてくれるのが嬉しいのです。


 何はともあれ、表向きは処刑されたものの、その実、梁山泊により救出された岳飛。
 なるほど、本作における梁山泊の役割の一つはここにあったか、と感心させられたのはさておき、ここにおいて物語は史実から大きく異なる領域に踏み出すこととなります。

 梁山泊に加わることなく、同じく死んだはずの身の姚平を供に、南へ南へ、雲南は大理国を目指す岳飛。
 奇しくも南方は、国力増強を目指す秦檜が目を向ける先であり、そして秦容が新天地として開拓を続ける地でもあります。

 この先の物語の中心となるのは南方なのか――それはまだわかりませんが、ある意味これからが、真の北方『岳飛伝』の始まりであることは間違いありません。


『岳飛伝 六 転遠の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 六 転遠の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり

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2017.05.26

北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり

 なおも続く南宋と金、岳飛と兀朮の全面衝突。兀朮を追い北進を続ける岳飛と、迎え撃つ兀朮の決戦の末に待つものは――。そして梁山泊でも、一つの時代の終わりを告げる出来事が起きることになります。

 兀朮の指揮下に南進してきた金軍三十万を迎え撃つこととなった岳飛率いる南宋軍二十万。機動力で勝る金軍の騎馬隊に対し、岳飛は地に伏せた歩兵の長刀による攻撃で反撃、金に大打撃を与えることに成功します。
 そして中原の漢民族を解放するため、北方に引いていく兀朮を追う岳飛ですが、これは同時に危険な賭けでもあります。かつての宋国領といえど今は敵地において、兵站もままならぬ中、戦いを続けることとなるのですから。

 そして互いに相手を倒してこそ勝利があると思い定めた岳飛と兀朮は、それぞれ数万にまで軍を減らし、ほぼ互角の条件下で真っ向からの勝負を挑むことに……


 前巻から、いつ果てるともなく続く岳飛と兀朮の死闘。冷静に考えれば単行本にして一冊程度なのですが、とにかく戦いまた戦いの連続は凄まじい密度、作中の羅辰や??律のように、見ているだけで魅入られ、力をすり減らしてしまいそうな戦いが続きます。
 そしてそれでも戦いを止めぬ二人は、数万の軍を率いながらも、ほとんど一騎打ち、それも素っ裸で正面から殴り合うような戦いを続けるのですが――いやはやこのくだりは、『岳飛伝』でも名勝負の一つに数えられるであろう凄まじい戦いであります。

 しかし如何なる戦いにも終わりはあります。そして如何なる戦いも、始めるより終わらせるのが難しいのですが――南宋、金の両陣営とも「その後」に向けて戦いの最中から動き出し、そして岳飛はその動きに絡め取られて苦しむことになります。

 この彼の悩み・苦しみは、戦いを求める個人である戦人と、組織の一員である軍人の間のジレンマと言えるでしょう。戦いの最中に陣を訪れた宣凱に戦いの後のことを問われて、正直に自分にはわからんと言ってしまう岳飛にとっては、それはある意味兀朮以上の強敵かもしれません。
 そして似た者同士であっても、王族であるためか、兀朮の方がこうした状況を素直に受け入れているのが興味深く、また、かつてその状況に飲まれてしまった老いたる禁軍総帥・劉光世の岳飛への言葉もまた熱いのですが……


 そんな岳飛の悩みは、史実の上での彼の運命に繋がっていくことになるのですがそれはさておき、一方の梁山泊サイドは、ひたすら自由に、そしてひたすら壮大に、活動を広げていくことになります。
 海を越え、藤原氏の治める奥州を訪れた張朔。西遼フスオルドに向かい、西方の部族の平定を任された韓成。秦容は南方で甘庶糖を生み出すために悪戦苦闘し、王清は振られた末に変に達観して放浪し……

 梁山泊を離れ、それぞれの生を生きる二世世代たち。一人一人が物語の主人公として活躍(流されてるだけの人間もいますが――)する姿は、実に魅力的であり、これまでになかった新たな梁山泊の姿を感じさせてくれます。
 個人的には、家庭に倦んで仕事に逃げた韓成が、今まで梁山泊の人間には見られなかった形で人間性を顕わにする姿に、大いに心動かされた次第です。


 そして、若者たちが表舞台に躍り出る一方で、舞台から退場していく者もいます。それは呉用――楊令亡き後の頭領として、敢えて無為の姿を見せることで新たな梁山泊の在り方を提示した呉用が、この巻においてついにこの世を去ることになります。

 既に残すところ数えるほどしか残っていない初代梁山泊の生き残りであり、その中でも首脳陣の一人として色々な意味で活躍してきた呉用の最期は、一つの時代の終わりと言っても過言ではないでしょう。

 既に相当の老齢となり、この数巻は床に伏した姿で登場していた呉用。それでいて核心に迫ったような言葉を残してきた彼は、その後継者たる宣凱に対し最期の言葉を残すことになります。

 幾つかあるその言葉はいずれも印象的ですが、個人的に特に心に残ったのは、「心に梁山泊がある者が、梁山泊を作る」という言葉であります。
 上で述べた、場所としての梁山泊を離れて生きる若者たちの有り様を指し示したが如きこの言葉は、あるいは本作のたどり着くところを示しているのではないか――そんなことすら感じさせるではありませんか。

 そしてもう一つ、宣凱に対する最後の指令とも取れる言葉――この先の展開を予告するかのようなその言葉は、おそらくは梁山泊の、そして岳飛の運命を大きく動かすと思われるのですが……


 いよいよ両者が大きく交錯することになるのか――歴史を大きく動かす前半のクライマックスも間近であります。


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岳飛伝 五 紅星の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿

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2017.05.11

北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿

 早くも総力を挙げて激突することとなった岳飛率いる南宋軍と兀朮率いる金軍。梁山泊はそれを静観する形となりますが……その一方で秦容ら南方開拓団は厳しい自然を相手に奮闘を続けるなど、独自の動きを展開することになります。まだまだ混沌とした情勢の中、次に動くのは――

 梁山泊軍との激闘の結果、結果として撃退された形となり、その後、梁山泊と対等な講和を結ぶこととなった金国。しかし梁山泊と講和としたということは、裏を返せば後顧の憂いなく南宋と対決することができるようになったということでもあります。
 かくて実に三十万のとてつもない規模の軍を動かし、南進を始めた兀朮。これに対し、南宋は岳飛の軍に加え、再編されつつある地方軍を動かし、総勢二十万という、こちらも凄まじい規模の軍を動かすことに――


 というわけで、前巻の梁山泊vs金に続いて描かれることとなった南宋vs金の決戦。まだ第4巻という、全体の1/4にもならない時点で(という見方は反則かもしれませんが)、ここまで出し惜しみなしで一体どうなってしまうのか……といささか心配にもなりますが、これまでまさしく腕を撫していた岳飛にとっては、待ちに待った活躍の場であります。

 これまでこの大水滸伝に登場した大将クラスのキャラクターの中では、おそらく最も戦に負け、そしておそらくは最も人間臭い人物である岳飛。彼をタイトルロールとする本作が始まって以来、彼の動きは随所で描かれてきたのですが、しかしここまでの規模の戦いに参加するのは、これが初めてと言って良いでしょう。

 そしてその彼の戦いは、同時に彼の信じる「国」の在り方を示すものでもあります。彼が自らに課した想い……尽忠報国。ここでいう「国」とは、彼にとっては「民」の意。すなわち彼が守るべき国とは、金に制圧された地に生きる漢の民なのであります。
 それに対して、南宋の宰相たる秦檜にとっての「国」とは、帝を頂点とした統治機構のこと……従来の意味での「国」であります。

 南宋のために戦いつつも、その胸に抱く「国」の形は大きく異なる岳飛と秦檜。その違いが行き着く先がどこであるか、それは史実を見れば明らかではありますが、しかしそれに触れるのはまだ少々早いでしょう。
 ここでただ述べておくべきは、本作の秦檜は、彼は彼として宋という国を案じているということでしょう。そしてそれは決して彼の私利私欲から出たものではないのですが……だからこそやりきれないものではあります。


 その一方で、本作においては、こうした二つの国の在り方とはまた異なる国の在り方を提示する者たちがいます。
 言うまでもなくそれは梁山泊。そしてその中心であった楊令が提示した「国」とは、秦檜のような統治機構ではなく、岳飛のような民族に縛られるものではなく、それを超えて広がるもの……「流通」を中心として、地域と民族を超えて繋がる人々の共同体的存在と言えるものであると言えます。

 現代にいう一種のグローバリゼーションであり、そして今なお完全に確立しているとは言い難いその「国」の概念が、当の梁山泊の人間にとっても漠然としか理解できていないのはむしろ当然ではあります。しかしその姿が、岳飛や秦檜の抱く「国」と照らし合わせることで徐々にその姿を鮮明なものとしてくるのが実に興味深い。
 そしてそれを体現するのは、南方で甘藷を栽培すべく悪戦苦闘を続ける秦容たちであり、交易路を広げるために宋を、中華圏を離れて旅する張朔であり、王貴なのでしょう。

 そして、こうして「国」の概念が変わっていけば、それを束ねる想いもまた変わらざるを得ません。
 これまでも本作において、新・新梁山泊において語られてきた「志」の存在。時として梁山泊に集ってきた者たちを縛ってきたその志にも、変化の兆しが現れます。呉用と宣凱、呼延凌の対話の中で現れた、それを象徴する言葉、それは「夢」――

 もちろん、まだまだ新たな「国」の形が明らかになったわけでも、そしてそれが正しいものであるかどうかも示されたわけではありません。それを束ねるのが本当に「夢」であるのかどうかも。
 しかしこれまでの戦いを考えれば時にあまりに漠然とも感じられるその言葉は、それぞれの道を歩み始めた梁山泊の人々を結ぶものとして、相応しいものとして感じられます。

 そしてその「夢」は、岳飛とも共有されることとなるのか。それが異なる想いを抱く人々を結ぶのであれば、異なる国を繋ぐものともなるのではないか……それこそ夢のような話ではありますが、本作の向かう先はそれではないか、とも感じてしまうのです。


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岳飛伝 四 日暈の章 (集英社文庫)


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2017.03.21

北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち

 北方大水滸の第三部たる本作も、開幕したばかりのこの巻において早くも大戦が展開。梁山泊にとっては怨敵である金国の大軍に対し、梁山泊の精鋭たちが挑むことになります。しかしその戦いの先にあるのは意外な展開……そしてその先では南宋が、岳飛がそれぞれ独自の動きを見せることになります。

 数々の痛手から復活しつつも、楊令時代とは異なり、聚義庁の明確な方針なく、各人にその向かう先が委ねられた梁山泊。そんな新・新梁山泊に戸惑う間もなく、兀朮と撻懶率いる金軍二十万が梁山泊に迫ります。

 対する梁山泊軍は八万、数こそ倍以上の差がありますが、しかし兀朮といえば間接的とはいえ楊令の死の原因を作った相手。これこそ仇討ちの好機と、勇躍迎え撃つのは、呼延凌・秦容・蘇琪・山士奇そして史進と、現時点のベストメンバーであります。

 そして繰り広げられる戦いはまさしく一進一退。正面からの激突あり、奇襲あり、探り合いあり、突撃あり……多大な犠牲を払い、ありとあらゆる手を尽くした後に、梁山泊はほぼ勝ちに等しい引き分けを掴むことになります。
(ここで最後の一撃となった攻撃が、全盛期の梁山泊的というか、実に痛快極まりないもので実にイイ)

 しかしこの時点で本書はまだ四分の一程度、これだけ見れば随分とあっさり終わったようですが、しかしある意味真の戦いはここから始まることになります。

 この機を捉えて、金に講和を結ぶ決定を下した梁山泊。その全権を任せられたのは宣凱……聚義庁に入ってまだ日の浅い若き文官であり、そして同様に金との交渉の最中に、父・宣賛を殺された青年であります。
 いきなり呉用からの指名でこの重責を担わされた宣凱は、悩み、苦しみ、恐れながらも、金国に乗り込んでいくことに――


 第3巻のMVPを挙げるとすれば、間違いなくこの宣凱ということになるでしょう。かつて父が命を奪われた金国に乗り込み、父の命を奪った相手と交渉に挑む。それもほぼ自分一人のみで。
 それを超人的な活躍で見事に成し遂げた彼には驚かされるばかりですが、しかし無事に帰ってきてから呼延凌に飲めない酒を飲んで絡む姿など、実に人間的な顔を見せるのも、楽しいところであります。

 そして、好むと好まざるとにかかわらず、一人で歩み始めた者は彼一人ではありません。

 恋に燃えて韓世忠の造船所で笛を吹く王清も、西域貿易の最中で慢心から思わぬ深手を負うことになった王貴も、そして何よりも、軍を退役して遠く南方の開拓に向かった秦容も――
 皆、一人ひとり、自分自身の考えで、これまでの梁山泊であれば考えられなかったような行動を取っているのです。

 しかしこれは言うまでもなく、前巻で語られた「志」の在り方、梁山泊の在り方と密接に関係するものであり……そしてそれはまた、これまで『水滸伝』『楊令伝』で描かれてきた物語の先にあるものであります。

 国を倒し、国を造ったその先にあったもの……それが個人個人の心の中にある自由、自主自律というべきものであった、というのはもちろん結論を急ぎすぎではありますが、現代の我々には非常に納得できるところではあります。
(そしてそんな国の在り方を模索していたと思われる楊令は、やはりあまりにも早すぎる人物であったとも……)


 しかしそれでも、一人では生きられぬ人々、土地とともに生きる人々は存在します。そしてそのために戦う者も。
 それこそが本作の主人公である岳飛ですが、彼は本書においても、一見マイペースな生き方を貫いているように見えます。
(兀朮にどうせ「つまらないこと」に燃えているのだろうと予想されたら、全くその通りだったのには思わず噴き出しましたが)

 一大勢力の長でありつつもフットワークが軽く、そしてどこかいじられキャラ的な彼の人物像は実に魅力的なのですが、しかしそれが彼の一面に過ぎないこともまた事実。
 これまではいわば雌伏の時であったわけですが……しかしこの巻のラストではいよいよ兀朮との戦が始まります。

 歴史を揺るがす戦いの行方は、そしてその中で明らかになるであろう岳飛の姿とは……こちらも注目であります。


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岳飛伝 三 嘶鳴の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊

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2017.02.15

北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊

 北方謙三の大水滸伝最終章の第2巻であります。楊令の死の衝撃が冷めやらぬ中、行くべき道を模索する梁山泊の人々。金と南宋の思惑が交錯する中、岳飛もまた迷いの中から少しずつ立ち上がっていきます。そして一人の偉大な人物がついに退場することに――

 楊令の死から半年後、梁山泊を襲った大洪水の水もようやく引き、その機能を取り戻しつつある梁山泊。しかし新頭領に選ばれた呉用の聚義庁は何ら命令を下すことなく、軍をはじめとする面々は、自らの、梁山泊の行動に迷いつつ、自分自身の判断で動き始めることになります。
 そして兀朮が南を、秦檜が北を窺い、それぞれに中国全土統一を狙う中、その間に立たされた岳飛は、力を蓄えつつも自分自身を見つめ直すことに――

 と、この巻の前半の展開は、第1巻からあまり大きな動きはないようにも見えます。が、ここで梁山泊にとって、そしてこの物語にとって、大きな事件が起きることとなります。
 それは王進の死……子午山に隠棲し、史進・鮑旭・馬麟・楊令・花飛麟・秦容・張平・ 王貴 ・蔡豹と、数多くの若者を導いてきた武人が最期を遂げることのであります。

 ある意味、原典とは最も大きく異なる人生を歩むこととなった北方大水滸伝の王進。
 作中最強レベルの実力を持ちながら梁山泊の同志となるわけではなく、しかし己の生に迷う梁山泊の若者たちを受け入れ、再生させる……そんな役割を彼は果たしてきました。

 個人的にはこうした人間再生工場とも言うべき王進の在り方には違和感を感じていたのですが(尤も、大水滸伝で初めて泣かされたのは鮑旭のくだりだったのですが……と、これは王母の功績かしら)、やはりその存在は、この大水滸伝の世界にはなくてはならないものであったことは間違いありません。
 そしてその最期もまた、この最強の武人に相応しい、身も蓋もない言い方をすれば無茶な挑戦でありつつも、しかし荘厳さを感じさせる見事なものであったと言うべきでしょう。

 しかし同時に王進の退場は、大水滸伝の世界が大きく変貌しつつあることの、一つの表れなのかもしれません。
 何しろ、この第2巻で描かれる、梁山泊の幹部クラスが一同に会して行われる大会議においては、梁山泊の在り方、その根底にある志――替天行道の在り方までもが、問い直されることとなるのですから。

 大水滸伝における「志」の存在については――これはたぶんに原典の野放図な梁山泊の印象が残っていたために――これも個人的には大いに引っかかっていたのですが、しかし物語と大前提として受け容れてきました。しかしその大前提すら、一種の疑いとすら言える眼差しを向けてくるとは……
 大水滸伝は、こちらの想像していた以上に柔軟な存在、物語世界自体が一人歩き始めるほどのものであったか……と、恥ずかしながら今頃感心させられた次第です。

 そしてその柔軟さは、梁山泊に生まれた第二世代において花開いていくこととなります。兀朮と秦檜が、それぞれの立場から中国統一という壮大な夢を見る中、彼ら若い世代は中国という枠を超えて、西へ東へ南へ……自由の大地を求めて歩み出すのですから。
 それが梁山泊の、国という存在の向かう先であるかはわかりませんが、枠から飛び出した若い世代というのはやはり気持ちの良いものであります。

 そしてもう一人気持ちの良い存在となってきたのが岳飛であります。

 これまで幾多の戦いに参加し、作中でも有数の実力者でありつつも、重要な戦いにはほとんど敗北し、辛くも命を繋いできた岳飛。
 身も蓋もない言い方をすれば「しぶとい敵役」という扱いに近かった彼も、自らの名を関する本作においては、武人としてだけではなく人間として、生き生きとした若者としての素顔を見せてくれることとなります。

 特に自分の義手を作ってくれた毛定や、何よりも娘の崔蘭とのやり取りは、純粋に物語として、登場人物同士の生き生きとしたやりとりとして実に楽しい。
 まだまだ岳家軍の総帥としての――歴史に名を残す英雄・岳飛としての先行きは不明なものの、一人の人間として、この先の彼の行動が楽しみになるというものです。


 さて、大きな変貌を遂げていく梁山泊ですが、しかし変わらないもの、変われないものもあります。それは楊令の死に対する復仇の想い――間接的にせよその引き金となった兀朮への復仇であります。

 本作の終盤では、兀朮率いる金軍が実に二十万の大軍を率いて梁山泊に襲来、迎え撃つは復仇の心に燃える八万の梁山泊軍。
 果たしてこの戦いの行方は……いきなりクライマックスであります。


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岳飛伝 二 飛流の章 (集英社文庫)


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2017.01.26

北方謙三『岳飛伝 一 三霊の章』 国を壊し、国を造り、そして国を……

 ついに北方謙三の大水滸伝の第三部『岳飛伝』の文庫化がスタートしました。実に1999年から始まったこの大河ロマンもついに完結編に突入であります。楊令を失った梁山泊は再び立ち上がれるのか、そしてそれぞれに激流の最中にある金は、南宋の運命は――

 兀朮の奇襲を跳ね返し、岳飛を圧倒的な力で追い詰めつつも、思わぬ刺客の刃に斃れた楊令。楊令が心血を注いだ自由市場も大洪水により多大な被害を受け、梁山泊は計り知れないほど大きな打撃を受けることに――

 物語はそんな『楊令伝』の結末から半年後の時点から始まります。

 呉用の策により水は引き、少しずつ復興を続ける梁山泊。しかし楊令という指導者を喪った梁山泊では指示を出す者がおらず、梁山泊軍もその力を保ちつつも、誰と戦うべきかを決めることができず、宙に浮いたような状態に置かれることに。

 一方、楊令の不意の死により辛うじて命を拾い、敗北感に苛まれながらも軍を再編し、金の来襲に備える岳飛。そしてやはり楊令に大敗を喫した兀朮も、長き苦しみの末にようやくそれを乗り越え、金軍を掌握して南宋を窺います。

 さらにかつては青蓮寺の李富と結んだ秦檜も、南宋を再興し、再び中華に統一国家を打ち立てるために活動を始め……と、四者四様にこれまで受けた打撃からようやく立ち直り、明日に向けて動き出す姿が、この巻では描かれることとなります。

 しかし、その中でも中心に描かれ、そしてその動向が最も気になるのは、梁山泊であることは言うまでもありません。

 前作ラストであれほどの大打撃を受け、それでもその地力自体は決して失われたわけではない梁山泊。しかし新たに頭領に選ばれた呉用は統一した戦略を打ち出すことなく、構成員一人一人が、自分の考えで動くことを求めるのであります。
(その結果、それぞれの軍が統一的に動かぬまま金軍と戦う梁山泊軍、というなかなか珍しいものが描かれることに……)

 それは、楊令という偉大なリーダーに全てを背負わせ、結果として彼を追い詰めてしまったという反省によるものではあるでしょう。
 しかし同時に、梁山泊が国として……あるいはもっと別の運動体として立ち上がるために、これまでにない存在として動き出すために必要な産みの苦しみであると言うべきなのかもしれません。

 だとすれば、その中で――この巻ではまだその萌芽ではあるものの――新しい動きを始めたのが、最初の梁山泊が誕生した頃にはまだこの世に生も受けていなかった二世世代の若者たちであったのは、むしろ必然だというべきでしょう。
 その一方で、その彼らの姿を見つめる老いた者たち、この巻においては李俊などの姿にも、胸を打たれるのです


 そしてそれは「物語の裾野」とでも言うべきものがさらに広がっていくということですが……しかしその一方でその裾野が広がりすぎている、という印象があるのも事実です。

 今後、梁山泊・岳家軍・金・南宋と、単純に考えても四つの大きな勢力が登場する中で、タイトルロールたる岳飛がどこまで存在感を示すことができるのか……少なくともこの巻においては、完全に梁山泊に押されている印象であります。
 あるいは彼がそれを覆した時こそが、真に楊令の影から抜けだしたということなのではないか……というのは、いささか文学的に考えすぎかもしれませんが。


 何はともあれ、最後の物語は始まりました。『水滸伝』が「国を壊す物語」、『楊令伝』が「国を造る物語」であったとすれば、本作は何を描くことになるのか――
 「盡忠報国」を背負った岳飛がタイトルロールであることを考えれば、それは「国を守る物語」であるのかもしれませんが、いずれにせよ念頭に置くべきは、彼にとっての「国」は、「民」であるということでしょう。

 そしてその「国」という概念は、先に挙げた四つの勢力、いやそれを構成するそれぞれによっても異なるものでしょう。
 だとすれば、本作で描かれるのはより根源的なもの、「国(とは何か)を問う物語」になるのではないか……そう感じます。

 その第一印象が合っているか否かも含め、この物語で何が描かれることになるのか、物語の始まりに胸が高鳴ります。


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岳飛伝 1 三霊の章 (集英社文庫)


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2016.04.13

琥狗ハヤテ『メテオラ 参』 いま明かされる「魔星(メテオラ)」の真実!

 獣に変化するという呪われた力と運命を背負った者たち「魔星(メテオラ)」。そのメテオラたる豹子頭林冲、花和尚魯智深らの苦闘を描く変格水滸伝もついに三巻目。過酷な運命に翻弄される林冲たちの前に、新たなメテオラたちが現れ、そしてついにメテオラたちの存在の意味が語られることになります。

 赤子の頃に王進将軍に拾われ、厳しくも温かく育てられた青年・林冲。しかしメテオラたちを狙う謎の男・高キュウと、その配下・高廉によって王進と彼に仕える者たちは滅ぼされ、王進によって事前に旅に出された林冲にも、文字通りの魔の手が迫ります。
 魯智深の助けで辛くも逃れた林冲ですが、その前に新たな異形が……

 という場面から始まるこの巻ですが、登場した異形の鳥人の正体は、王進が林冲を送り出した先である滄州の大富豪・柴進その人。(変身を解いたらいきなりマッパの)この人物もまたメテオラであり、そしてその宿命を知る者の一人だったのであります。

 原典序盤で林冲の庇護者として登場する小旋風柴進。高貴な生まれであり、その地位と財産によって数多くの好漢を庇護する大人物――という設定は原典通りですが、本作の柴進は、鳥人という設定を抜きにしてもなかなかに個性的な人物であります。
 一言で表せば食えない人物、飄々としながらも感情の奥底を見せない男……それが本作の柴進。そんな彼に、林冲と魯智深は庇護されるのでした。

 そしてこの第3巻の物語は、ほぼ柴進の館で展開していくことになります。いかに怪しげな男とはいえ、メテオラの同志としての彼の厚意は真からでたもの。彼と、彼の配下のもふもふちびっ子・阮三兄弟に温かくもてなされる林冲たちですが……

 しかし魯智深を通じてもたらされた都の状況は、林冲にとってはあまりにも衝撃的なもの。失意のどん底に沈んだ林冲に対し、魯智深は己の凄惨な過去を語り始めます。
 そして柴進のもとにいたもう一人のメテオラ、公孫勝(本作では少女!)により、林冲と魯智深は、メテオラの使命と本当の敵の存在を知るのでありました。


 実にこの巻の肝は、この公孫勝により二人が知ることとなるメテオラの真実にあります。公孫勝の術により、記憶の奥底に潜り込んだ二人が見たもの……それはここでは伏せます。
 しかしなるほど、メテオラという異形の姿を持つ者たちのオリジンとして納得のいくものであり、そしてこれまで断片的に描かれてきた「敵」の行動も理解できるように感じます。

 そして何よりも感心させられるのは、ここで語られたメテオラの正体が、原典で登場した百八の魔星の説明として、平仄が合うものとして感じられることでしょう。

 かつて世に災いをなし、地中深く封じられたという魔星たち。一度解放された彼らは、人間に転生して世の災いとなる……という設定は、一見意味が通るようでいて、そんな魔星の転生であるはずの彼らが、天に替わって道を行う(相当に乱暴ではあるものの)正義の味方として活躍する時点で、既に矛盾が生じているやに感じられます。
 そもそも、百八星の存在自体、冒頭と百八人集結の辺りを除けばごくわずかしか語られないわけで、成立事情は色々あるとはいえ、物語内だけでみれば、色々と不思議な点のある設定ではありましょう。

 それに対し、本作で描かれるメテオラの設定は、かなりの部分は――もちろん本作独自の設定ではあるのですが――納得のいく形で答えていた感があります。
 特に、何故同じ時に解放されたはずの魔星の化身たる彼らに年齢差があるかの説明など、その平仄の合い方と内容の過酷さに、ゾクゾクさせられたところです。


 さて、まさしく自分たちが「兄弟」であることを知った林冲と魯智深が旅立つ先は、自分たちメテオラが集うべき地。未だ見ぬその地がどこであるか、それはあの水の滸の地以外ありえませんが、さてそれがどのように描かれるか……この先も必見であります。


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2016.03.23

逢巳花堂『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐』 梁山泊の死闘! そして物語が向かう道

 天命の巫女に反逆者として追われることとなった燕青と林冲。旧知の王倫が籠もるという梁山泊に向かった二人は、そこで朱貴・杜遷・宋万の三人の仙姑と出会う。王倫の言葉に従い、梁山泊の地下に眠る絶大な力を秘めた宝貝を目指す燕青たち。しかしその頃、新たな討伐軍が梁山泊に迫っていた……

 『水滸伝』の一〇八星が、異能を持つ一〇八人(?)の美少女・仙姑として転生した世界。そこで対仙姑部隊たる討仙隊に所属しながらも、同僚・陸謙の裏切りにより、隊を追われ、お尋ね者として放浪を余儀なくされた燕青と林冲が向かう先――それは梁山泊、言うまでもなく、原典において一〇八人の豪傑が依った自由の砦であります。

 が、原典においてはその梁山泊も、元は彼らのものではなく、王倫という書生崩れの賊から奪ったものなのですが……さて、本作は、原典のまさにその部分に当たる物語を描きつつも、大きく違った展開を見せることとなります。
 何しろ本作の王倫は、絶大な力を持つオーパーツ・宝貝の研究者である異国の美女という設定。討仙隊の協力者として、燕青や林冲とは旧知の間柄である彼女は、一足先に都を離れ、途中出会った朱貴たち仙姑とともに、梁山泊に訪れたのであります。

 しかし如何に仙姑たちが一人一芸の異能――朱貴は鰐ならぬ恐竜(!)への変身、杜遷と宋万が巨大機械兵「摸着天」「雲裏金剛」の召還――の持ち主とはいえ、彼女たちはわずか四名の女性。そこに燕青と林冲を加えても六人にしかならぬ状態で、何故王倫はこの梁山泊に籠もる道を選んだのか?
 それは、梁山泊が数々の宝貝が眠る地であり、そしてその中でも最強クラスのもの、地形を自在に変化させるという山河社稷図が地の底深くに眠るためでありました。

 かくて燕青たちは、奇怪な罠と番人たちが蠢く地底迷宮に潜り、その先の伝説の宝貝を求めることになったのですが、しかしそこに迫るのは、高キュウが送り込んだ新たなる刺客。党世雄や劉夢竜ら討仙隊水軍と、かつて燕青と林冲に捕らえられた仙姑・楊志!
 圧倒的な戦力差を覆すためには、伝説の宝貝を甦らせるしかない。しかしその先で燕青たちを待っていたものは……


 いかにもライトノベルらしくと言うべきか、本作の前半部分は、女の子だけの梁山泊(申し遅れましたが、本作の梁山泊には一般兵はおりません。いるのは王倫、燕青と仙姑たちのみ)でただ一人の男である燕青が、ラッキースケベを(主に朱貴相手に)連発する展開が続く本作。

 この辺り、苦手な方は苦手かもしれませんが――しかしそのやり取りの中で、徐々に朱貴の人となりが浮き彫りとなっていくのは巧み――打って変わって繰り広げられる官軍との、楊志との決戦、そしてその先の……は、まさしく超水滸伝とも言うべき、人の域を超えた豪傑、いや仙姑が繰り広げる能力バトル。原典のイメージを踏まえた各人の能力も面白く、本作ならではの味付けを存分に楽しむことができました。

 さて、先に触れたとおり本作で描かれるのは、原典でいえば林冲の放浪から初期梁山泊入り、そして梁山泊の頭領交代のくだりなのですが、しかし、原典とは大きく異なり、本作における王倫とは燕青は旧知の仲。記憶喪失の彼にとっては姉のような存在であった王倫が、果たしてどのような役割を果たすことになるのか? その答えは、故国を離れ、はるばる東の果ての宋を訪れた王倫が真に望むものにあります。……それは、燕青の、林冲の、そして梁山泊に集った敵味方全ての運命を左右することとなるのであります。

 そして、その王倫の望みに対し、燕青がどのように答えたか? それをここで明かすことはできませんが、ただ一つ、その言葉こそは、本作が向かうべき道をはっきりと示したものであり――そしてそれは同時に、作者にとっての水滸伝という物語の在り方を示すものでしょう。

 女体化水滸伝といえば際物のように感じる向きもいらっしゃるかもしれませんが、いやいやその中心を貫くのは、水滸伝という――見る者、描く者によって様々に姿を変える――物語への確かな眼差しであります。
 この先もそれを見続けたい、その向かうところを確かめたい……続編を、強く強く望むところです。


『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐』(逢巳花堂 電撃文庫) Amazon
一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐 (電撃文庫)


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2015.12.21

逢巳花堂『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア』 降臨、美しき一〇八の魔星たち!

 ライトノベルで水滸伝であります。それも本気の! ……といきなりテンションが上がってしまいますが、このような作品の登場に、マニアとしては黙ってはいられません。「宋」国を舞台に、一〇八の魔星の力を得た乙女たちを巡り、「燕青」と「林冲」が繰り広げる冒険を描く意欲作であります。

 かつて天から降り、殷王朝を滅ぼしたという一〇八の魔星。それがこの宋に降るのを目撃した皇帝は、星見の巫女から、このままでは二年の後に、魔星を宿した乙女たち・仙姑によって宋は滅ぼされるとの予言を受けます。
 その予言を裏付けるように、最初の仙姑・魯達により一つの城市が壊滅。かくて皇帝の命により、討仙隊が結成されることになります。

 総隊長・高・と副隊長の陸謙の下に集められた陳希真、燕青、林冲(女性)、トウ元覚(女性)といった隊長たちは、いずれも持ち主に一人一芸の異能を与える宝貝の遣い手。その中でも最強の遣い手が燕青と林冲ですが――しかし二人にはそれぞれ秘密がありました。

 物体の影に潜み、移動する太隠剣を操る少年・燕青。討仙隊の前身たる治安維持部隊・蕩寇隊時代から活躍してきたという彼は、しかし天から落ちた一〇八番目の魔星と遭遇した際にそれ以前の記憶を失っていたのであります。
 そして自在に伸縮する蛇矛の遣い手である美少女・林冲。これまで、史進・楊志と強大な力を持つ仙姑を倒してきた彼女は、しかし自身もその身に魔星を宿す仙姑だったのであります。

 そんな不安材料を抱えつつも、林冲の妹であり、燕青が思いを寄せる少女・小倩と三人、それなりに平和な暮らしを送る燕青と林冲。しかし、僧に身をやつした魯達が都に潜入したという報が、彼らの運命を大きく動かしていくことになります。


 「百八星が女体化」「敵は百八星」「百八星が一人一芸の能力者」……これら本作のコンセプトは、実を言えば、個々のレベルでは先行する作品が存在いたします。しかしこれら全てを一つにまとめ、破綻なく物語を作り上げているのは、本作を於いて他にありますまい。

 それを可能にしているのは、まず第一に、これがデビュー二作目とは思えぬほど安定した作者の筆致によるものであることは間違いありますまい。
 しかしそれと同時に、そしてそれ以上に、作者の水滸伝愛によるところ大であると、強く感じます。

 一種の水滸伝リライトとして、原典の物語展開、キャラクター設定と配置を踏まえて描かれる本作。水滸伝リライトとしては、そこでどの程度原典を活かし、そしてどの程度そこを踏み出してみせるか、その点こそが面白さを左右するわけですが……そのさじ加減が本作は絶妙なのです。

 そもそも一〇八人の豪傑を女体化する自体、冷静に考えてみれば――馬琴先生のように豪腕で正面突破でもしない限り――かなりの難事なのですが、本作はそれを巧みにクリア。なるほど、林冲が、魯智深が女性だとこうなるなあ(後者はかなり想像しやすいですが)と原典ファンでも納得の造形であります。

 そして彼らの辿る運命も、原典のそれを踏まえつつも――登場人物で察しが付くとおり、本作は原典の林冲受難のくだりがメインとなっています――いい意味でライトノベルらしく、破天荒な展開なのが楽しいのです。

 原典読者であれば首を傾げるであろうトウ元覚の登場も、物語上でなるほど、と膝を打つような意味がありますし、そして何よりも、「蕩寇」隊の「陳希真」など、かなりのマニア向けの題材をさらりと入れてくる辺り、作者自身の水滸伝愛と本気度が伝わってくるのです。
(野暮を承知で説明すれば、陳希真は、本邦未訳の水滸伝アフターストーリー『蕩寇志』で梁山泊討伐に当たる人物であります)


 しかし、そんな中で燕青がここで、この役割で登場することだけが――ちょっと斜に構えた熱血漢というキャラクターも含めて――違和感があるといえばあるのですが……それはおそらく、いやまず間違いなく、本作ならではの仕掛けが用意されているのでありましょう。

 本作の時点ではそれは未だ語られておりませんが、それもまた楽しみというもの。これから先、おいしいキャラクターと題材が山盛りの物語を、作者がどのように料理してみせるのか……今は期待しか感じられません。

『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア』(逢巳花堂 電撃文庫) Amazon
一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア (電撃文庫)

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