2017.12.14

北方謙三『岳飛伝 十二 瓢風の章』 海上と南方の激闘、そして去りゆく男

 いよいよ物語が大きく動き出した感のある『岳飛伝』。呼延凌と兀朮の決戦が決着がつかぬまま終わった後も海上で、南方で戦いは続き、そして長きに渡り戦い続けてきた男が、また一人静かに退場していくことに……

 梁山泊打倒のために総力を結集した兀朮をやはり総力で迎え撃った呼延凌。その戦いは両軍に多大な犠牲を払いつつも痛み分けで終結し、梁山泊は金、南宋という大敵からの攻撃をひとまず凌ぎきったのでした。
 しかしもちろん、それはあくまでも新たな戦いの始まりにすぎません。海上では、張朔に敗れて左遷された韓世忠が梁山泊の交易船を次々と襲い、南方では、ついに北上の意思を固めた岳飛と秦容が戦いの準備を進め――一触即発の状況はそこかしこに存在しているのであります。

 そしてここで動いたのが、梁山泊の長老格の一人・李俊。これまで己の死に場所を求めてきた彼は、水軍を動かして韓世忠討伐に向かったのであります。
 韓世忠が潜む孤島に目星をつけ、韓世忠の周到な策を躱して迫る李俊。追い詰める李俊と追い詰められた韓世忠、両者の運命が交錯したとき……

 というわけで、今回まず退場することとなったのは韓世忠。梁山泊の前に幾度となく立ち塞がりつつも、特に『岳飛伝』に入ってからは梁山泊の男たちと変わらぬウェイトで描かれてきた彼の生も、ついに結末を迎えることとなります。
 肉親に対する屈折した情と女性に対する不信感を抱き、優れた才を持ちつつも負けぬための戦いしかできず、最後はみじめと言ってもよいような最期を遂げた韓世忠――なかなか共感を抱くのが難しい人物ではあります。

 しかし、彼がなぜそのような結末を迎えることとなったのか――同じ男として、個人的には大いに考えさせられたところであります。
(彼の女性に対する態度には全く共感できなかった一方で、「本気なのに本気になっていないつもり」の生き方は身につまされるものがあったので……)

 それは作中でも触れられていたように、彼が周囲の人間との正常な関係を築けなかった、周囲の人間と向き合えなかったということなのでしょう。そしてそれは、梁山泊や岳家軍に集った者たちとは対局にある生き方であったと言うべきでしょうか。


 一方、南方での戦いは、五万の大軍を擁する辛晃に対して、秦容と岳飛の同盟軍がついに動き出すことになります。
 南方制圧軍を率いて駐留する辛晃は、岳飛の悲願である国土奪還のためのいわば第一関門。北征のためにはここで立ち止まっているわけにはいかないのですが――しかし辛晃もさるもの、堅牢な城塞と独自に編み出した森林戦略で二人を苦しめるのであります。

 この辺りの戦いは、本当に久々に感じる攻城戦あり、秦容側の思わぬ危機あり(それを救ったのが、いわば南方に来てからの彼らの積み重ねにあったというのが熱い)となかなか盛り上がるのですが、正直に申し上げて岳飛の道のりはまだまだ険しい――という印象。
 二人ともほとんどゼロからのスタート、将軍クラスがほとんど自身のみという状況ではありますが、この調子では南宋に、金に辿り着く頃には皆退場して誰もいなくなっているのでは――と少々不安にもなります。

 死にゆく孫範を前にして素直になれなかったり、姚平と脱走兵ネタでじゃれあう姿などキャラクター的には本当に好感しかない岳飛。その未完の大器が今度こそ立ち上がることを期待したいと思います。


 そして退場といえば、感慨深いのはこの巻で描かれる梁山泊長老(という印象が全くなかった人物なのですが……)の一人の退場。
 本作においては既に一歩引いた立ち位置にあったキャラクターですが、しかしここで描かれたその最期は、それが結果だけ見れば必然ではなかったもと感じられるだけに、かえって彼の強い想いを感じさせます。

 思えば本作は、場所としての「梁山泊」を離れて若い力が立ち上がる様を描く物語であると同時に、「梁山泊」を造った老いた者たちが退場していく姿を描く物語でもあります。
 その中で彼は、自分の望んだ時に、自分の望んだ人と対面して去ったという点で、恵まれたものであったのかもしれません。


 梁山泊・南宋・金で若い力と老いた力が幾重にも絡み合う中、物語はどこに落着するのか。
 胡土児がついに自分の出自の一端を知ることとなった(そのくだりがまた実に「巧い」としか言いようがない)ことが、この物語で如何なる意味を持つのかも含め、まだまだ結末が見えない物語であります。


『岳飛伝 十二 瓢風の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 12 瓢風の章 (集英社文庫)


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2017.12.07

『水滸伝の豪傑たち 歴史をうつす武勇伝』 北宋史に見る物語と史実の間の皮肉な関係

 久々の水滸伝紹介、今回はなかなかの変わり種――中央公論社から刊行されていた中公コミックス『中国の歴史』のうちの第8巻『水滸伝の豪傑たち 歴史をうつす武勇伝』であります。いわゆる学習漫画シリーズの1冊なのですが、学習漫画で水滸伝!? と思いきや、これがなかなか面白い内容なのです。

 この『中国の歴史』は、今からほぼ30年前の1986年から87年にかけて全12巻刊行されたシリーズ。今から考えるとちょっと驚かされるような企画ですが、監修が陳舜臣と手塚治虫と、なかなか気合いの入っていたようです。
 もっとも、全巻のシナリオは武上純希が担当。アニメや特撮もので活躍してきた脚本家ですが、小説家としても『不死朝伝奇ZEQU』や『古代幻視行』シリーズなどの古代中国を題材とした作品を発表していたことを考えれば、それなりに納得の人選であります。

 このシリーズ、作画担当は各巻で異なるのですが(玄宗皇帝と楊貴妃の巻は小林智美が!)、この巻の作画は堀田あきお。最近ではご夫妻でのアジア紀行ものでの活躍が中心のようですが、このシリーズでは「項羽と劉邦」の巻も担当している模様です。


 さて、こうした背景はともかく、内容を見てみれば、冒頭は百八星解放――は納得として、そこから大きく飛んで、後半のクライマックスということか、呼延灼戦がいきなり描かれているのがなかなか面白いところ。
 その他、原典の内容としては、林冲受難と魯智深の活躍(本作では二竜山に行かずにそのまま梁山泊入り)、武松の虎退治、晁蓋の逃走と林冲のクーデター、江州での宋江(と戴宗)の危機、宋江の頭領就任が描かれています。(ちなみに呉用のうっかりシーンもあり)

 と、これだけであれば非常に粗めのダイジェストといった趣きですが、先に述べた通り本書は中国の歴史の学習漫画。あくまでも架空の物語である水滸伝を描くのは大いに不思議に感じられますが――実は本書の冒頭とラストで、二つの史実が描かれるのであります。

 冒頭で描かれる史実とは、徽宗皇帝の時代の姿――社会の爛熟と花石綱の収奪。そしてラストで描かれる史実は、遼との戦争と、それに続く金の侵攻、北宋の滅亡であります。
 どちらもこの時代の象徴的な出来事ではありますが――注目すべきは、この二つが、水滸伝においても、舞台背景として存在していたことでしょう。

 すなわち、この二つの出来事において、水滸伝という物語と、北宋の史実は重なり合っていたわけであり、この重なり合いを利用して、北宋の歴史を切り取って見せるという本書の趣向はなかなか興味深いものがあります。
(「歴史をうつす武勇伝」という本書のサブタイトルにもそれは表されているでしょう)

 ちなみに冒頭では「史実」の宋江、宋江三十六人の宋江の姿も描かれているのが、また面白いところであります。


 とはいえ、このような本書の構造(あくまでも想像ですが)は面白いものの、やはり本書は中国史の学習漫画としてはいささかアンバランスな内容であることは否めません。

 結局虚構部分(水滸伝部分)は、全体の2/3と決して少なくはない割合を占めるのは、仕方ないとはいえやはり違和感が残ります。
 またエピソードについても、史実との繋がりが薄い(もっとも林冲や宋江も、実在の人物である高キュウや蔡京(の息子)に苦しめられた、という以上のリンクではないですが)武松の虎退治が含まれているのには疑問符がつきます。

 この辺り、宋代に1巻割かないわけにはいかないけれども、他の時代に比べると題材として苦しかったからなのかな、と邪推したくもなるのですが……


 しかし、このようなスタイルだからこそ浮かび上がる構図もあります。
 物語の上では豪傑たちを利用して遼という外敵を除き、豪傑たちも除いて最後まで生きながらえた皇帝や奸臣たちが、豪傑たちが登場しない史実においては、外敵に蹂躙された末に悲惨な末路を迎える……

 水滸伝には、このような物語と史実の間のある種の皮肉が存在することを、浮かび上がらせてくれた本書に対しては、ファンとしてはなかなか愉快な気分になるのであります。

『中国の歴史 8 水滸伝の豪傑たち 歴史をうつす武勇伝』(堀田あきお&武上純希 中央公論社中公コミックス) Amazon

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2017.11.13

北方謙三『岳飛伝 十一 烽燧の章』 戦場に咲く花、散る命

 全17巻の第11巻ということで、ほぼ全体の三分の二まで来た北方岳飛伝。前の巻では同盟を結んだ金と南宋、双方からの攻撃を凌いだ梁山泊ですが、この巻で描かれるのは、兀朮率いる金軍との大決戦であります。そして北で西で戦いが繰り広げられる中、南で岳飛はある決意を固めることに……

 共通の敵である梁山泊打倒のために動き出した金と南宋を、複数の戦線で迎撃することとなった梁山泊。
 海上と南方では南宋軍を撃破した一方、梁山泊と金の総力戦が膠着状態となっていたところに、梁山泊が密かに進めてきた米と麦の買い占めが南宋と金を揺るがし――と、硬軟の攻め手により、梁山泊は戦いを優位に進めてきた印象があります。

 しかし兀朮はそのような状況でも禁軍を除くほぼ全軍を結集。それに対して呼延凌も決戦を決意し、双方のほぼ総力を結集しての戦いが繰り広げられることとなります。
 互いに互いの出方を読み合い、溜めに溜めた力を一気に出し合う戦いに際して、呼延凌は「四つの花」を咲かせると部下たちに告げ、己の命を的にした大勝負に出ることに……

 と、前巻ではさらりと語られるのみであった兀朮と梁山泊の対決はこの巻が本番。とにかくギリギリまで互いの力を出し尽くす戦いの描写はさすがと言うべきですが、特に印象に残ったのは、呼延凌が詩的とすら言えるような表現で戦いに臨む点であります。
 上で述べた「四つの花」とは――読めばなるほど、と思わされる戦法ではありますが、しかしそれをこのように評するのはこれまでのキャラクターになかったところで、あるいはこれが彼の個性と言うべきなのでしょうか。

 それだけでなく、戦いの合間に空や星を見上げる呼延凌や兀朮の、荒々しさとは別の意味での男のロマンチシズム溢れる姿も印象に残りますが――しかし、戦場はあくまでも非情であります。
 そんな彼らの戦いの果てに消えていく幾多の命。そしてその中で、あの老雄がついに――と、戦いの結果は梁山泊的には勝ちに等しい引き分けながら、苦いものを残す結末なのは、実に本作らしいと言うべきでしょう。

 もっとも、史進の奇襲や胡土児のブロックなど、そろそろデジャヴを感じさせる描写が多いのも気になりましたが……


 さて、その一方で、各地ではそれぞれの物語が進んでいきます。
 左遷された韓世忠により船を沈められ、報復のために出撃する李俊。これまで金と戦ってきた蒙古の来襲を迎え撃つ韓成。北で兀朮に、南で秦檜に、梁山泊で宣凱と王貴にと忙しく出会い、新たな商人の在り方を垣間見させる蕭炫材。

 そして南方で力を蓄えてきた岳飛は、己の成すべきこととして、南宋をも呑み込んで金に挑む北進を決意し、その前に南宋に潜伏した岳家軍の兵たちに会うための旅に出ることになります。
 実に三ヶ月にもわたる旅の中で、自分を信じて雌伏の時を続けてきた兵たちと再会した岳飛の胸に去来するものは……


 と、前半の呼延凌と兀朮の総力戦以外は、実はこれまで以上に静かなイメージの本書。
 もちろんそれでつまらないということはなく、すぐ上で触れたように様々な視点から描かれるそれぞれの物語――というより人生――の姿には大いに惹きつけられると同時に、その中で本作のテーマ的な部分も少しずつ語られていくのも目を引きます。

 その中で、動きは大きくないものの、存在感は抜群なのが、言うまでもなく岳飛。これまでも述べたかと思いますが、これまでの主人公たちと比べて、英雄・豪傑というよりも人間としての面が目立つ彼のナマの姿は、何とも魅力的に映ります。
(この巻では、相棒の猿・骨郎との何ともほのぼのするやり取りが実にいい)

 そんな岳飛ですが、しかし確かに、これまである意味状況に流され続けてきたと言えなくもありません。本書の結末はそんな彼が、ついに自分の意思で立つ日も間近となったことを感じさせるのですが……
 冒頭に述べたように、この物語も三分の二まで来て、ラストスパートをかける準備が終わったと考えるべきでしょうか。

 言ってみれば一つの大陸を敵に回す彼の、そして梁山泊の戦いがどのような結末を迎えるのか、少々気が早いですが楽しみになろうというものです。


 ちなみにその岳飛の同盟相手と言うべき秦容は、この巻でついにお相手を見つけるのですが、何だかマチズモに満ちた展開で、ちょっとすっきりしないものが――というのはもちろん個人の印象であります。


『岳飛伝 十一 烽燧の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 11 烽燧の章 (集英社文庫)


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2017.11.04

琥狗ハヤテ『メテオラ 肆』 過去との決別と新たな出会いと

 琥狗ハヤテによる獣人水滸伝『メテオラ』、待望の続巻であります。自分たち魔星(メテオラ)の前世と宿命を知り、メテオラの拠点となる地を拓くために宿敵の目から隠れることのできる聖域を探す旅に出た林冲と魯智深。二人の前に現れる追っ手、そして新たなる魔星とは――

 獣人に変化する力を持つことから、呪われた存在として忌避される者たち「魔星(メテオラ)」。その一人でありながら、育ての親の王進らの愛に包まれ、人として育った林冲は、しかし自分たちを狙う敵の存在を知ることになります。
 その敵の名は「混沌」――かつて魔星との戦いに敗れ、封印された災いが、魔星を食らい、この世に舞い戻るために活動を始めたのであります。

 混沌の化身と化した高キュウの配下により王進をはじめとする周囲の人々を失い、親友であり同じ魔星である魯智深と都を逃れた林冲。彼らは、やはり魔星である柴進のもとで、ついに自分たちの運命と成すべきことを知ることになります。
 そして柴進が二人に託したのは、混沌の目を逃れ、魔星たちが拠ることのできる地を探すこと。今はまだ見ぬ地に向けて旅立った二人ですが……


 というところから始まったこの巻、いきなり道に迷う羽目になった二人は、風が吹き、雪が降る中、古ぼけた廟に一夜の宿を借りることになります。
 ……とくれば、このくだりは「風雪山神廟」。原典では、林冲が都からの高キュウの追っ手となったかつての知人・陸謙と対決することになる見せ場の一つであります。

 そして本作においても、やはり陸謙は林冲の前に現れるのですが――しかしその姿は本作に相応しいというべきか、悍ましくも哀しきもの。
 混沌の餌食となり、配下とされた彼は、一種のゾンビとして、林冲と対峙するのであります。

 これまで様々な水滸伝の中で、幾度も対峙してきた林冲と陸謙。本作はそんなある意味手垢のついた対決を、獣人vs屍人という、本作に相応しい異形の者同士の対峙として描きます。
 しかしそれが一転、子供時代の二人の姿にオーバーラップしていく描写は、林冲が姿は獣であっても、どこまでも人間であることを何よりも強く示すものでしょう。

 子供時代の描写の中で陸謙が林冲にかける言葉の哀しさも相まって、本作で幾度となく描かれてきた悲劇の中でも、特に心に刺さるくだりであります。


 しかし、なおも二人の旅は続くことになります。旅の途中、人喰い虎が出没するという山にさしかかった二人は、酒屋のおやじが止めるのも構わず(何しろこの二人が野獣を恐れるはずもないわけで)先に進むのですが……
 果たしてその前に現れた一匹の巨大な虎。しかしその虎に襲いかかるもう一匹の、いやもう一人の隻眼の虎の姿が!

 そう、ここで新たに登場する魔星は、虎退治の豪傑、行者武松。武松が虎の姿に変じる作品は本作が初めてではありませんが、やはりしっくりくる組み合わせであります。

 仲間と出会ったことを喜ぶ武松に誘われた二人が出会ったのは、病床にある武松の兄・武大と、その妻・潘金蓮。そして魯智深に対して怪しからぬ振る舞いをみせる潘金蓮ですが……

 というわけで、この巻の後半で描かれるのは、武十回ミーツ林冲&魯智深というべき展開。この辺りは、基本的に武松側のシチュエーション的には原典通りということもあり、前巻や、そのエピローグとも言うべきこの巻の前半の展開に比べるとかなり大人しめの印象があります。

 しかし見慣れたシチュエーションの中に、本来であれば全く無関係(もっとも、原典では柴進と武松には繋がりがあるわけですが)の林冲と魯智深がいるというのはなかなか面白い刺激であることはまちがいありません。

 実は本作は、この巻からは電子書籍のみでの刊行となる模様ですが、しかしどのような形であれ物語が続くというのは素晴らしいことであります。
 武松の物語もまだまだプロローグ、それがここからどのように本作流に料理されるのか――楽しみになるではありませんか。


『メテオラ 肆』(琥狗ハヤテ KADOKAWA/エンターブレインB's-LOG COMICS) Amazon
メテオラ 肆 (B's-LOG COMICS)


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 「ネリヤカナヤ」第一巻 ユニークな試みの水滸伝記
 「ネリヤカナヤ 水滸異聞」第2巻 帰ってきた林冲!
 「ネリヤカナヤ 水滸異聞」第3巻 正義が喪われる日

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2017.10.25

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!

 書籍化がスタートした『絵巻水滸伝』第二部、その第1章というべき「招安篇」の第2巻であります。一時の平安を楽しんでいた梁山泊に対して行われた朝廷からの招安。しかし交渉は決裂し、童貫率いる官軍三万が梁山泊を襲うことになります。それに対し、オールスターで当たる梁山泊ですが……

 天子のお膝元、東京での元宵節の灯籠祭りで梁山泊一党が騒動を引き起こしたことをきっかけに――そしてさらに朝廷内の暗闘も絡んで――降って湧いたように行われた梁山泊への招安。
 しかし高キュウらの陰謀もあり、当然というべきか招安の交渉は決裂し、いよいよ朝廷軍の攻撃が始まることになります。

 その朝廷軍の総大将は四奸の一人・童貫――権謀術数に長けた宦官にして武人という怪人物。
 彼の率いる三万の大軍が四門斗底陣で挑めば、迎え撃つ梁山泊軍は九宮八卦陣で迎え撃ち……

 と、この辺りは原典ではほとんど梁山泊の一人いや百八人舞台、ひたすら派手に豪傑たちが暴れ回る展開だったのですが――本作では官軍側も決して一方的に押されるばかりではありません。
 しかしそれでも梁山泊軍は強い。次々と襲いかかる官軍を蹴散らし、ついに童貫に猛追するかに見えたその時――梁山泊の四方から突如として現れたのは十の軍団!

 「宋国に十人の節度使あり。武勇をもって、賊寇夷狄を圧殺す」――その大半が元緑林の豪傑たち、招安を受けて官軍となった猛将たちが、梁山泊撃滅のために大宋国各地から集結したのであります。

その名も――
 老風流王煥
 薬師叙京
 鉄筆王文徳
 梅大郎梅展
 飛天虎張開
 あだ名なき韓存保
 李風水李従吉
 千手項元鎮
 西北風荊忠
 ラン路虎楊温

 一人一万、合わせて十万の大軍で梁山泊を包囲する節度使軍。そして童貫の傍らで計を巡らせる軍師は、呼延灼・関勝・韓存保とともに宋国四天王と並び称された男、聞煥章……
 官軍の総力を結集した布陣に、さしもの豪傑たちも梁山泊への撤退がやっとの状況で、かつてない危機を迎えることになります。


 原典でいえば第76回から第78回にかけての内容となる今回。しかし上で述べたとおり、童貫軍は原典ではあっさりと敗れ、十節度使もそれよりはマシ、という程度の扱いで敗退することとなります。
 しかし本作――原典の足りない部分を補い、より魅力的なキャラクターと物語を生み出してきた本作において、それが彼らに対しても及ぶとは! と驚くほかありません。

 たとえば十節度使は、原典では渾名なしだったものが、上で挙げたように本作ではなかなかに格好良い渾名を設定(「あだ名なき」というのもシビれます)。
 しかしそれが単なる創作ではなく、例えば王煥であれば彼を主人公とした劇から、楊温であれば彼を主人公とする小説からと、その多くに由来があるのもまた心憎いところであります。

 そう、彼ら十節度使の多くは、それぞれに元代や明代の講談や小説にルーツを持つキャラクター。いわば梁山泊の豪傑たちにとっては先輩あるいは同輩とも言うべき存在で、梁山泊がそうであるように、彼らもまた一種のオールスターチームなのであります。
 その来歴を踏まえた上でのこの趣向は、さすがは本作ならでは――と何度目かわからないような感心をしてしまった次第であります。


 しかしその十節度使を敵に回した梁山泊にとっては、感心しているどころではありません。着々と田虎篇への伏線も張られる中、物語はどこに向かっていくのか……
 まだまだ招安篇は前半戦であります。


 ちなみにこの招安篇の第1巻と第2巻の表紙は、これまでに描かれた百八星のイラストのコラージュ。
 これはこれで群星感があって良いのですが、やっぱり書き下ろしを見たかったな――という気持ちは正直なところあります
(と思いきや、第一部の単行本(十巻本)でも、確か書き下ろし表紙はなかったのですが……)


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇2


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 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!

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 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2017.10.19

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!

 1998年からweb連載が開始、今なお書き継がれている『絵巻水滸伝』――私の信じるところでは、原典ベースの水滸伝リライトで最も面白い作品の、第二部の書籍化がついにスタートしました。梁山泊に集結した百八人の豪傑のその後が、ここに再び語られることになります。

 絵・正子公也、文・森下翠という担当で描かれてきたこの『絵巻水滸伝』。「絵巻」という語からもわかるように、言うなれば本作は絵物語――文章に挿絵が付されたというより、文章と挿絵が対等な作品であります。

 最近は戦国武将のイラストでも知られる正子公也の美麗かつ独自の解釈の加えられた挿絵と、原典をきっちりと踏まえ押さえつつも、そこに欠けた部分・矛盾した部分を巧みに補った森下翠の文章。
 その二つが絶妙に絡み合った本作は、現在進行中の、いやこれまで日本で書かれた水滸伝リライトの中でも、ほとんどベストに近い内容のものであると、連載開始時から私は確信しているところです。

 さて、原典の120回本でいえば第71回まで、梁山泊に百八人の豪傑が集結するまでを描いた第一部は約10年前に完結し、全10巻で書籍化&電子書籍化されていますが(なお、今後書籍版が全20巻に再編集の上、再版されるとのこと)、今回刊行されるのはその続き、第71回からの「招安」篇全5巻であります。

 招安とは、簡単に言えば国が賊の過去の罪を許し、帰順させて軍に編入すること。国から見れば討伐のための様々なコストを省いた上に精強な軍を手に入れることができ、賊からすれば身の安全と職を手に入れられるという、ある意味win-winの関係であります。
 後者が「自由」を失うことを除けば――

 この第二部のベースとなっている原典の第72回以降は、招安を受けて帰順した梁山泊が、宋国のために遼国や叛徒たちを討ち平らげる物語。
 フルメンバーの豪傑たちが並み居る敵を蹴散らしていくのは、それなりに痛快ではありますが――しかし(戦争続きでかえって平板という構成上の問題点はさておき)大前提として、豪傑たちが招安を受け、国の下についてしまったという点で、ファンにとっては評価が厳しくなってしまうのは無理もない話でしょう。


 その招安を、本作はどのように描くのか――それはまだ先の話で、今回取り上げる第1巻に収録されているのは、原典の第72回から第75回までに当たる部分。
 東京に潜入した宋江たちが李師師と出会い、李逵と燕青が偽宋江を退治し、燕青が泰山奉納相撲で任原を破り、朝廷の使者の高慢さに怒った豪傑たちによって招安が決裂し……というくだりであります。

 このとおり、招安を巡る物語としてはまだ冒頭、第二部の特色とも言うべき大規模な戦争もまだ描かれていないのですが――しかしもちろん、それでも本書は面白い。
 ここで描かれているのは、いわば梁山泊が最も梁山泊であった頃。百八人の豪傑たちが梁山泊に集い、好き勝手に暮らしていた頃なのですから。

 そんな彼らの生き生きとした姿(その描写も『絵巻水滸伝』の大きな魅力であります)だけでも楽しいのですが、そこにさらに本作ならではの捻りが随所に入るのがたまらない。
 梁山泊で相撲といえばこの人、でありながら泰山相撲で出番がなかったあの好漢のエピソードが用意されていたり、その泰山相撲の中で今後重要な役割を果たすキャラクターが登場していたり……

 そのまま読んで面白いのはもちろんのこと、水滸伝ファンであればあるほど楽しい、そんな仕掛けが本書には仕掛けられています。

 正直なことを申し上げれば、この118頁で1944円という価格は決して安いものではないかもしれません。しかし、フルカラーということを考えればこれはやむなしといったところでしょうか(サイズ、想定とも邦訳アメコミを連想していただければよいかと思います)。
 何よりも本書は、豪傑たちの鮮やかな活躍を、手に取って「読み」「見る」楽しみを与えてくれるのですから……


 ちなみにこの第1巻には、招安篇に登場するキャラクターや用語等の紹介、地図等が収録された小冊子も付録となっており、これもまた嬉しいところであります。
 まずは全5巻、豪傑たちが朝廷との対峙の果に何を掴むのか、見届けたいと思います。


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇1(付録小冊子付)


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2017.10.15

北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ

 梁山泊対金、梁山泊対南宋――北で、南で、海で繰り広げられる戦いはいよいよ佳境に向かい、北方『岳飛伝』もついに二桁の大台に突入。波乱に次ぐ波乱の末に、次代を背負う若者たちに、それぞれの幸せが訪れるのですが――しかしそれで安心できないのが北方大水滸の恐ろしさであります。

 共通の敵のために同盟を結んだ金と南宋、それぞれを迎撃することとなった梁山泊。
 梁山泊近くでは呼延凌と兀朮が率いるそれぞれの本隊が激突、南方では梁山泊と岳飛双方に因縁深い辛晃が秦容と岳飛を窺い、そして海上では張朔と韓世忠の水軍が一進一退の攻防を見せることになります。
 そしてこれらの戦いの陰では、米と麦の買い占めにより相手国の根底を揺るがそうという、いわば経済戦争(というより経済攻撃)というべき、梁山泊の奇策が……

 そして、互いの首を狙って呼延凌と兀朮がいつ果てるともしれぬ戦いを続ける中、ついに正面から激突する史進と胡土児。互いの策の読み合いの末、韓世忠に父譲りの飛礫を放つ張朔。その張朔の命令で、造船所焼き討ちという死地に向かう狄成と項充。ついに秦容と手を携え、辛晃の心理を読み取って乾坤一擲の勝負に出る岳飛。
 彼らだけでなく、今は商人として活動する王清や蔡豹もまた、それぞれの立場で戦いに参加することになります。

 物語の舞台の広がりに伴い、各地で同時進行的に繰り広げられるこれらの戦いは、中盤のクライマックスに相応しいものというべきでしょう。
 個人的には、梁山泊にとっては鬼門である造船所焼き討ちに向かう狄成と、彼に強引に付き合う項充の二人のエピソードが、その結末も含めて、実にグッとくる内容でありました。


 さて、戦いが奪うもの、失うものだとすれば、生まれるもの、与えるものもまたあります。この巻においては、これらの戦いと並行して、あるいは戦いの後に、三人の若者たちが伴侶を得る姿が描かれることになります。

 王貴、王清、蔡豹――王貴と王清は異母兄弟、そして王清と蔡豹は子午山で兄弟同様に育ったという関係にある三人が、それぞれ全く異なる形で、しかしこのように同時期に素晴らしい伴侶を得たのには、彼らが生まれる前から物語を追いかけてきた身にとっては何やら感慨深いものがあります。

 特に王貴と岳飛の娘・崔蘭の結婚は、以前からずっと引っ張られていただけにようやく――といったところですが、何よりも花嫁の父たる岳飛のリアクションが面白い。

 王貴に対しては唸るだけで、思わぬ形で月下氷人となった蕭炫材(ちなみにこの巻で一番化けたのは彼ではないかと思います)に当たり散らし、真情を吐露する姿が、何とも人間臭くて良いのです。
 この辺りは、本作の始まりから一貫して描かれてきた、これまでの物語の主人公たちとはまた異なる彼の魅力が、強く出ていると言ってもよいでしょう。

 そしてまた、ここしばらくはある意味一番危なっかしかった王清が、複雑な関係にあった鄭涼と結ばれることになったのも嬉しい。
 特に王清の象徴とも言える笛を通じて描かれる二人の交流が感動的で、彼の心を受け止めてみせた鄭涼は、本作において今のところ最も好感の持てる女性とすら感じられます。

 そして蔡豹――母から義父への怨念を吹き込まれ、さらに目の前でその母が首を吊るという過去から深いトラウマを背負っていた彼も、ある意味意外と言えば意外な相手を見つけることになります。
 子午山でも癒やせなかった深い闇を背負ってきた彼が、ついにそれから解放され、自分が真に戦うべき理由を見つける場面は、これもまた感動的なのですが……


 しかしこの巻において、本作が、いやこの大水滸が、どれだけ人の命において無情な――いや無常な物語であるかを、我々は嫌と言うほど思い出さされることとなります。
 あまりにあっけない、そしてあまりに無惨な死。死の重みに軽重をつけることは、本来であれば許されるものではないかもしれませんが、しかしここで描かれるそれは、戦場でのその他の死よりもはるかに重く、衝撃的なものであったと言うほかありません。

 この巻においてもう一つ印象的な、梁山泊と替天行道の在り方、そしてその行方も含め、まだまだ進んでいく道は、その行き着くところはわからない――そんな印象を新たにしたところでもあります。


 しかし梁紅玉が出会った日本人「炳成世」、人から言われて気づいたその正体に吃驚……


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岳飛伝 十 天雷の章 (集英社文庫)


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2017.09.28

北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵

 全17巻の折り返し地点を超えた北方『岳飛伝』第9巻。これまで一時の平穏を保っていた中華――いやその周辺を含めた世界ですが、ここに来て梁山泊を中心に一気に戦いの火蓋が切って落とされることになります。しかしその戦いの様相は、これまでとは少々違ったものとなることに……

 淮河を境界に、にらみ合う形となった金と南宋。緊張を孕みつつも一種の膠着状態となっていた両国にとって共通の敵は梁山泊。
 梁山泊を領内に抱える金と、梁山泊とはいわば宿敵の間柄の南宋と――まずはともに頭痛の種である梁山泊を潰すために、両国は密約を結ぶことになります。

 そしてその密約を踏まえてまず動き出したのは南宋であります。
 韓世忠率いる南宋水軍は、前巻の時点で既に梁山泊の交易船を襲撃したものの、これはあくまでもジャブのようなもの。彼の水軍による梁山泊の海上の拠点・沙門島攻めにより、梁山泊第一世代の一人が命を散らすことになります。

 一方、秦容が順調に開拓を続けてきた南方では、開拓の中心であった甘蔗園が、そして新たな形の街である小梁山が、奇怪な武器を操る謎の敵の襲撃を受け、多大な犠牲を出すことに。

 さらにこれらと期を一にして梁山泊に迫る兀朮率いる金軍本隊。北で、南で、海上で、様々な形と規模で、三つの国の戦いが始まったのであります。


 というわけでついに本格開戦となった第9巻ですが、しかし戦いの様相はこれまでの戦いとはいささか異なるものとなっているのが目を惹きます。

 何しろ、水軍同士の戦いといっても、河や湖ではなく、海の上での話。この戦いの始まりとなった沙門島攻めは格別、普段の戦いは広い海上で、遭遇戦の形で繰り広げられることとなります。
 さらに水軍にとっては船以上に人が――経験を積んだ水夫が――重要。さらに当然ながら船の存在も欠かせないことから、いきおい戦いは総力戦という形にはなりにくいのであります。

 そして南方の戦いですが――こちらはそれ以上にこれまでと全く異なる戦いと言ってもよいかもしれません。
 何しろ、秦容たちの入植地を襲うのは、グルカ兵を思わせる高地民族の傭兵。ブーメランのような飛刀を操り、尋常ではない運動能力を持つ彼らには、奇襲を受けたとはいえ、梁山泊の兵たちも大いに苦しめられることになるのであります。

 これまでにない戦場、これまでにない敵――物語の舞台が大きく広がった本作に相応しい戦いの形と言えるかもしれません。


 が、それでも梁山泊は梁山泊なのがたまらないのであります。
 沙門島壊滅に対しては、報復のために史進の遊撃隊がなんと南宋の首都・臨安に突撃あいrw、禁軍を粉砕。高地兵に対しては、秦容が単身半数以上を文字通り叩き潰し、逆に味方につけるために、高山に乗り込むことに……

 ここしばらく、梁山泊自体が、一つの「場」というよりも「運動体」へと移行していったこともあり、激しい戦いは久しくなかった印象もある梁山泊。
 しかしここで描かれた史進の、秦容の活躍は、初期梁山泊のそれを思わせるような破天荒かつ痛快なもの。特に史進の無茶苦茶な突撃には、敵であるはずの南宋軍人までもが「痛快」と評するほどなのですから……
(もっとも、その背後には史進の深い屈託があるのですが……)


 そしてもう一つ、梁山泊は破天荒な攻撃を仕掛けることになります。それは一言でいえば「国の兵站を切る」――麦を、米を買い占め、流通を支配することで、相手の国そのものに圧力をかけようという凄まじいスケールのものであります。

 武と武の戦いが、局地戦にしか見えないようなスケールのこの攻撃は、この『岳飛伝』における新・新生梁山泊ならではのものと言うべきでしょう。

 果たしてこの攻撃がいかなる効果を上げるのか――それを含めて、海上の、南方の、そして梁山泊の戦いの行方が(ことに、これでもかとフラグを立てまくった狄成の運命が)、気になって気になって、仕方ないのであります。
 そしてその中でのタイトルロールたる岳飛の役割も……


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岳飛伝 9 曉角の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方

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2017.09.15

北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方

 北方大水滸伝の最終章も折り返し地点間近、史実を離れて南宋に処刑されなかった岳飛の戦いが、いよいよここから始まることになります。同盟を結んで梁山泊に当たらんとする兀朮の金と秦檜の南宋が暗躍し、海上で、南方でいよいよ戦いの火蓋が切って落とされる中、岳飛と梁山泊がついに……

 国家と民族を巡る考え方の違いの末に秦檜と対立し、処刑されるところを、梁山泊の助けで南方に逃れた岳飛。元・岳家軍の兵たちが集まり始める中、彼は再起に向けて動き出すことになります。
 といっても初めはたった二人で始めた新生岳家軍、兵は集まっても彼らを食べさせ、備えさせるには先立つものが――ということで、軍閥として立っていた頃からは考えられない苦労をすることとなった岳飛たちですが、しかし梁山泊の、地元の住民たちの、そして友人とも仲間とも言うべき大商人・梁興の助けで、その力を蓄えていくことになります。

 しかしそんな中でも中原での状勢は刻一刻と変化し、宿敵であったはずの金と南宋の同盟は秒読み状態。それぞれに北と南にまつろわぬ国を抱えながらも同盟を結んだ両国の敵は、もちろん梁山泊であります。

 そんな中、日本からの帰路で遭難した梁紅玉を張朔の船が救助したことから、勝手に瞋恚を抱いた韓世忠が、半ばそれを口実に王貴の船を襲撃(また襲われ役……)。小規模とはいえ、ついに南宋と梁山泊の水軍の間の戦いの火蓋が切って落とされることになります。
 一方、国力増強のために南方を傘下に治めんとする秦檜の命により、南宋軍が阮廉の村を襲撃。新生岳家軍はこれを完膚なきまでに打ち払ったものの、もちろんこれが第一歩に過ぎないことは言うまでもありません。

 かくて梁山泊と南宋、さらに金との間が一触即発となる中、その最前線とも言うべき南方では、ついに岳飛と秦容が対面することに……


 というわけで、いつまでも岳飛の生存に驚いている場合ではなく、いよいよ風雲急を告げる物語。岳家軍と金の全面対決が終結して以来、しばらく大きな戦が描かれなかったこの物語ですが、束の間の平穏はついに破られることとなります。

 と言ってもこの巻で描かれるのはまだまだ局地戦も局地戦――小競り合いというか、感触を探る程度に過ぎないレベルであります。本気になれば数万、数十万単位のぶつかり合いとなる、国と国との戦いにはまだほど遠い状況ではあります。
 しかし戦いそのものもさることながら、そこに至るまでに、各所で蓄えられた力がグツグツと煮えたぎっていく様がまたたまらないのは、これまで同様。致死軍が思わぬ形で金に食い込めば、ほとんど唯一それに気付いた蕭炫材がこれに抗しようとし――というくだりなど、初期の梁山泊の戦いを思わせてくれます。

 そして山岳戦という思わぬ形で活路を見出そうとする岳家軍の特訓も続き、全面対決が始まった時に何が起こるのか、楽しみになるばかりなのであります。


 しかし――この巻のハイライトは、別のところにあります。

 中原を漢民族の手に取り戻すために戦ってきた岳飛。しかし故国であったはずの南宋に命を奪われかけ、南方に落ち延びてきた彼に、これまで同様の戦いができるのか。何を戦いの目的とすべきなのか――その答えが、彼とも梁山泊とも関係の深い梁興の口から語られることになります。
 梁山泊が水だとすれば、おまえは器を作ればいい。器が良ければ水はその中にきれいに収まる――と。

 その一方で、秦檜は南宋を器にし、同時に水にしようともしているという評も興味深い。
 これまで何となくわかっていたようで、明確に示されていなかった三者の在り方の違いが、彼らのことを深く知りつつ、独自の距離をおく梁興の口から語られるというのは、これは見事な構図と感じさせられます。

 ここに金が加わった四者の戦いで、その関係はどのように変わっていくのか。既に一種の概念となった梁山泊を、岳飛は見事に受け止めることができるのか――いよいよ物語は中盤、戦いの始まりの時であります。


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岳飛伝 8 龍蟠の章 (集英社文庫)


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2017.07.20

北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる

 岳飛死す――と思いきや、梁山泊の介入により生き延び、南方へ脱出という驚天動地の展開を迎えることとなった北方岳飛伝。ただ一人、大理国に足を踏み入れた岳飛の新たな戦いが始まる一方で、梁山泊も西へ東へ南へと活動を続けるのですが――しかし南宋も不気味な動きを見せることになります。

 秦檜による南宋軍総帥への就任要請を断り、謀反の罪を着せられて処刑を待つ身となった岳飛。しかし呉用の「岳飛を救え」の言葉によって動いた燕青は、南宋皇太子の正統を揺るがす印璽と短剣と引き換えに岳飛を救出することになります。
 致死軍のフォローによって南宋を脱しかつての部下の姚平とただ二人、雲南大理国に逃れた岳飛。かつての岳飛軍を糾合するという姚平が北に戻り、ただ一人森に残った岳飛は、その中で己を見つめ直すことに……

 悲劇的な最期を遂げるはずの岳飛が生き延びてしまうという、意外と言えば意外な展開を経てのこの巻で描かれるのは、岳飛と岳家軍の新たな旅立ち。
 戦いには負け続け、それでも生き延びて、南宋最強の戦力となった岳飛ですが、今度こそ絶体絶命――というところで辛うじて拾った命のほかは無一物の状態から、彼は再び立ち上がることになります。

 どん底といえばどん底の状態にあって、ただ己の生を確かめるように、塒の周囲の開墾に没頭する岳飛の不器用な姿は、これはこれで実に彼らしい。
 そこには、決して超人的な英雄ではなく、ただ一人の人間――それも極めてしぶとく、そして非常に魅力的な人間として生きてきた彼らしさが溢れていると言えるでしょう。

 そしてそんな彼の下に、散り散りとなった岳家軍の男たちが馳せ参じる姿は、実に感動的であり――岳飛の戦いは、すなわち岳飛伝は、真にここから始まるのだ、と感じされられるのです。


 とはいえ、この物語世界で生きるのは、岳飛のみではありません。梁山泊も南宋も金も(金は今回は出番少な目ですが)そこに生きる者たちは、皆、自分たちの生を懸命に生きているのです。

 部下を叱咤激励して、十万人規模の都市・小梁山建設に着手した秦容。あの史進や呼延凌をやきもきさせた末に微笑ましいプロポーズを決める宣凱。かつて己の指揮で消えた無数の命を埋め合わせるように、西域で非戦の想いを貫く韓成。そして戦場で己の父の命を奪った岳飛と対面する張朔……

 どの登場人物も、これまでに積み上げてきた自分たちの生き様のその先を掴むべく、必死に生きる様が実に気持ち良い。
 もうこのまま、こいつらの生き様を延々と見ていたい――いささかオーバーに言えば、そんな気持ちにもなるのです。

 そしてその中で、個人的に一番刺さったのは、韓成の姿であります。

 岳飛伝開始時は、妻との関係が冷え切り、彼女に子供を押しつけるようにして、仕事に没頭するという、ある意味非常に現代的なダメお父さんとして登場した韓成。
 しかし西域に招かれ、帝の命でまつろわぬ部族を統合することとなった彼は、そこで思わぬ心の強さを見せるのです。戦を、人の命が失われることを嫌い、言葉でもって相手を説得しようとすることで……

 そんな彼の行為は、端から見れば綺麗事、空虚な理想主義にしか見えないかもしれません。しかし彼が背負ってきたもの、彼を腐らせた本当の理由を知れば、その決意を笑うことなどできようはずがありません。

 この巻で描かれる、彼と妻子の再会の場面――特に彼が、息子の馬にある名前をつけるシーン――は、そんな彼の復活の姿を描くものとして、男泣きの名場面なのであります。(それでもなお、百%報われるわけでもないところがまたいい)


 と、韓成の話ばかりになってしまいましたが、梁山泊の面々が活躍する一方で、南宋の暗躍も続きます。
 岳飛を切り捨ててまで南宋復活までの時間を稼いだ秦檜は、南進しての国力増強と、北の金と結んでの梁山泊攻撃を企図。その時に秦檜から秦容の小梁山を守る盾となるのは、そう、新生岳家軍……!

 因縁の対決はすぐ目の前に迫っているのか――それはわかりませんが、つかの間の平和が破られる日が遠くないことだけは間違いありません。

(ちなみに南宋といえば、それまで散々斜に構えてきた韓世忠が家庭を持っていきなりリア充的になったのも、妙に印象に残るところであります)


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岳飛伝 7 懸軍の章 (集英社文庫)


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