2008.11.13

「柳生大作戦」第三回 まずはじめに柳生ありき?

 今年度の舟橋聖一文学賞を受賞してしまった「柳生大戦争」に続く荒山先生の柳生もの「柳生大作戦」第三回が掲載された「KENZAN!」誌最新号が発売されました。
 前二回を読んだ時は比較的(荒山作品的に)おとなしめだと思っていた本作ですが、この第三回においてついに本性を現したな、という印象。もう、一体どうしたらいいのか…と読者が途方に暮れるテンションで、荒山節絶好調であります。(色々とネタバレしておりますのでご注意を)

 第三回前半は、前回に引き続き668年サイド。拉致された新羅王女と共に、神器の安置された塔に閉じこめられた謎の剣士“劉仁軌”の運命は…という前回のヒキから始まりますが、最初のうちこそ「やっぱり元ネタ的に、操られるとホイホイついて行っちゃう尻軽なんだな臘鷺守は」とか「冷静に考えたら七色光線を出すのは亀の方じゃなくて冷凍怪獣だろJK」とか呑気に構えていられたのですが…

 前回登場した八岐大蛇の卵が「八岐大蛇は新羅のご当地怪獣だったんだよ!」という狂った理由で孵化してからの展開を何と評すべきか。
 荒山ファン的には、八岐大蛇といえば、どこかで聞いたような歌と共に現れるワンゴン様というのが常識でしたが(最近文庫化された「柳生陰陽剣」(旧題「柳生雨月抄」)ね)、あに図らんや、金星の文明を三日で滅ぼしそうなやつだったとは…
 これには臘鷺守も大ハッスル、三つのしもべというよりは、ソーニックブーム(平田昭彦調)と共に飛び回る空の大怪獣チックに空中大激突であります。

 …誰が得するんでしょうこの展開。僕は大好きですが。
 こうなったら荒山先生には時代怪獣作家として、ぜひ藤原審爾先生の跡を継いでいただきたい(怒られそうだな、色々と)。


 さて、そんなこんなで668年サイドは終了。天正サイドに移りますが、こちらも怪獣こそ登場しないものの、忍法創世記ならぬ柳生創世記、「まずはじめに柳生ありき」とでも言わんばかりの荒山捏造史観で先生大ハッスル。
 あまり詳細に書くわけにはいかないので箇条書きにすると
・柳生流には一千年の歴史があったんだよ!
・上泉伊勢守は実は柳生石舟斎の○○だったんだよ!
・引用ばっかりしてますがそれが何か?
・山岡荘八vs山田風太郎をプロモート
・あまつびん じゃなくて てんしんびん(先生そんなに赤影が好きですか。僕は好きです)


 …読んでいる方もわからないと思いますが、書いている方もよくわかりません。
 ただ一言、感想を書くとすれば「柳生がそんなに好きかーっ!」というところでしょうか。柳生のためなら捏造も辞さないその創作態度、何が荒山先生をそうまで動かしているのか…いや何となくわかるようなわかりたくないような。

 今になってみると第一回の感想で「正直なところ、前作に比べると今のところネタ分は皆無に等しいですが」などと書いていたあの頃は如何に平和だったかと思いつつも、この先、果たして一体どのようなとんでもない波乱が待ち受けているのか、楽しみでなりません。

 ただ一つ言えるのは、舟橋聖一文学賞を取ろうと何を取ろうと、この先も荒山先生は荒山先生であり続けるのだろうな、ということ。
 真面目な作品ももちろん好きですが、やっぱりこういうのもなくちゃ! と思ってしまうのはタチの悪いファンゆえかもしれませんが、正直な気持ちでもあります。


「柳生大作戦」第三回(荒山徹 講談社「KENZAN!」vol.7掲載) Amazon
KENZAN! vol.7


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 「柳生雨月抄」 これ何て民明書房?

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2008.11.11

「本能寺六夜物語」 闇に浮かぶ六つの真実

 本能寺の変より三十数年後、とある山寺に六人の男女が集められた。僧侶、乞食、商人、武士――境遇も職業も全く異なる六人に共通するのは、それぞれがそれぞれの形で本能寺の変に関わったこと。一夜に一人ずつ、己の体験談を語る彼らの物語の末に浮かび上がる真実は…

 私がいま、自信をもっておすすめできる時代小説作家の一人が、岡田秀文先生であります。寡作の気味ではありますが、その歴史解釈とドラマチックな物語展開、そして何よりも、サスペンスとミステリ色の濃厚な作品群は、私の最も好むところであります。
 本作「本能寺六夜物語」は、岡田先生がが小説推理新人賞を受賞した後の第一作、初単行本でありますが、岡田節とでもいうべき味わいは、本作の段階で、既にはっきりと感じられるかと思います。

 作品の構成は、連作短編形式――それぞれの形で本能寺の変に関わった六人の男女が、己の体験談を語る全六話の短編で構成されています。

 信長の茶坊主が見た信長の最後の姿と、ある人物が秘めたおぞましい執念の果てが語られる「最後の姿」。
 変の直後、京から徳川家康と共に逃れた穴山信君の死の陰の策略を、かつての家臣が語る「ふたつの道」。
 商家の奉公人の目に映った、死を覚悟の上で己の意気地を貫き二条城に奔った武士の姿「酒屋」。
 かつての京都所司代の役人が語る、混乱が収まったはずの京に跳梁する黒衣の怪人の怪を描いた「黒衣の鬼」。
 常に信長の傍らにあった森蘭丸に深く懸想した女の、凄まじい恋情と嫉妬の物語「近くで見ていた女」。
 そしてかつての光秀の小姓の口から明かされる、本能寺の変の真実「本能寺の夜」。

 いずれも短編ながらも、その中で描かれる意外な裏面史とでもいうべき内容と、そこに浮かび上がる有名無名の人々の人間模様は実に興趣に富んだ、エキサイティングなもの。
 伝奇的な謎解きの妙味もさることながら、「本能寺の変」という一大事件とその前後の歴史のうねりにより、己の運命を変えられた人々、その時に心に焼き付いたものを胸に生きる人々の姿から感じ取れる、歴史の――そしてそれを形作り動かす人間の世界の――非情には、後の岡田作品に通じるもの見て取れます。

 尤も、完成度の点でいえば、最初期の作品ということもあって、特に構成の点でいささか食い足りない部分――もう少し、各話に有機的な結びつきが欲しかった――はあるのですが、それを差し引いても、完成度の高い作品であることは間違いありません。
 本能寺の変について語った作品は古今無数にありますが、その中でも異色の一冊として、記憶に残るべきものかと思います。


「本能寺六夜物語」(岡田秀文 双葉文庫) Amazon

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2008.11.08

「魔京」第三篇「黄金京」 応仁ダニッチの怪

 管領・細川勝元の嫡子・聡明丸が生まれたときから、京の運命は少しずつ狂い始めた。赤子ながら成熟した知性を持つ聡明丸は、周囲の人々を操り、混乱を広げていく。かくて京を血と炎に染めて始まった応仁の乱の背後で跳梁する奇怪な妖魔。京魄を用いて聡明丸が生み出さんとする黄金京とは…

 魔京第三篇は室町篇。近年、室町時代を舞台とした時代伝奇小説の達人たる作者にとってはまさに自家薬籠中の題材、それも日本史上に名高い応仁の乱を如何に描くかと思えば――意外、それは室町版ダニッチの怪とも言うべき伝奇ホラーでありました(以下、ネタバレご注意下さい)。

 舞台となる応仁の乱は、日本史の授業でも必ず(おそらく)取り上げられる一大事件であり、当然のことながら、これを扱った歴史小説・時代小説も枚挙に暇がありません。朝松作品としても、既にぬばたま一休シリーズの「応仁黄泉圖 」の題材とされておりますが、そちらでは乱がどちらかといえば物語の背景として置かれていたのに対し、本作においては、この乱そのものの成り立ちについて、魔術的解釈が為されることとなります。

 朝鮮王の陰謀(京魄は元々朝鮮から奪われたもの、という設定がここで生きます)によって、歪んだ存在として生まれた細川勝元の二人の子。その狂気は果てなく拡大して未曾有の大戦を引き起こし、ついには京の、いや物理的次元の存在をも危うくすることに…
 これまでのエピソードでは、どれほど奇怪な術法の応酬が描かれようと、その目的は現世における京の――京魄の――主導権を巡る争いであった「魔京」ですが、この室町篇においては、想像を絶する地への「遷都」が企てられることとなるのです。

 そして見逃せないのは、魔童子(という言葉も似合わぬほど更に幼い)・聡明丸(後の妖管領・細川政元)と共に現世に誕生したのが、巨大な顔を持つ姿なき妖魔であるという点。
 透明な怪魔の跳梁、異界から生まれた人外の姉弟、現世を崩壊させんとする企て…ホラーファンであればニヤリとさせられるでしょう。ここで描かれているのは、あのH・P・ラヴクラフトの名作「ダニッチの怪」を想起させる怪奇の世界であります。

 東軍が擁する巨大な動く井楼から放たれる無数の火矢が、西軍が作り出した巨大な地下迷宮「御構」に降り注ぐという黙示録的風景の中で繰り広げられる魔戦は、これまで描かれた応仁の乱の中で、最も奇怪かつ魅惑的なものと言っても差し支えないでしょう。
(結末がいささか唐突という感がなきにしもあらずですが、聡明丸の言葉の通りだとすれば、納得はできます)


 そして次なる舞台は安土桃山、中心となるのはあの織田信長――信長と石、と言えば、やはりあのエピソードが思い浮かびますが、さて。


「魔京」第三篇「黄金京」(朝松健 「SFマガジン」2007年7月号、9月号、11月号、2008年1月号掲載)


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 「魔京」第一篇「さまよえる京」 ゆらぐ世界の中心に
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2008.11.07

今年の舟橋聖一文学賞は…

 舟橋聖一文学賞に荒山徹氏の「柳生大戦争」
 事前に情報を掴んでいながら公式発表が出るまでと思っていたら微妙に出遅れてしまいました。

 えー、正直なところ、作者と作品をご存じの方にとっては目を疑うような内容でありますが、本当です。時代劇ファン的には「花の生涯」の作者として知られる舟橋聖一先生の名を冠して彦根市が開催している舟橋聖一文学賞、その第二回の受賞作は荒山先生の「柳生大戦争」であります。
(ちなみに舟橋聖一文学賞の概要についてはこちらこちらをご覧下さい)
 ちなみに毎日の記事だと「堺市の作家、荒山徹さん(47)」と書いてあるのが妙におかしく感じてしまいました。

 それにしても、ファン的にはよりにもよって若竹に…という気分にはなってしまうのですが、しかしこの「柳生大戦争」、ここ最近の荒山作品の中では、破天荒なエンターテイメントの中に、ある意味初期作品を思わせる「国家と人」の視点と問題意識を色濃く持った――特に最終章において――作品であり、その点において読み応えある作品であったことは間違いありません。
 ――それ以外の部分でかなり狂っているので、そして狂っている部分が目立ちすぎるのでアレなのですが(でもだからといって「柳生百合剣」が受賞するのよりかは文学賞的に納得できるような気がします)。


 と、些か狼狽え気味になっていて大事なことを忘れておりました。
 ――荒山先生、受賞おめでとうございます。ファンとして、これからの一層のご活躍を祈念させていただきます。


 しかし「花の生涯」の主人公が彦根藩主・井伊直弼だったがために設立された(といって良いでしょう)この文学賞を受賞したのが、荒山先生の時代伝奇小説というのは、「伝奇城」に掲載された「其ノ一日」を思い出してちょっと愉快な気持ちになりました。
 「云う、これ時代伝奇小説なり、と」


「柳生大戦争」(荒山徹 講談社) Amazon
柳生大戦争


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2008.11.02

「半七捕物帳」鬼談(その二)

 怪奇・怪談の「半七捕物帳」前回からの続き、以下の後半五編の紹介であります。
「人形使い」
「一つ目小僧」
「むらさき鯉」
「柳原堤の女」
「春の雪解」

「人形使い」
 後半一作目は あやつり人形芝居一座の人形使い二人の間に起きた血なまぐさい事件に半七が乗り出す本作を。
 本作の物語、事件の内容自体は、さまで特別なものではないのですが、その事件の発端となったのは、夜更けに人形たちが独りでに動き出し、互いに切り結んだという怪事なのですから面白い。
 このあり得べからざる怪異とも夢幻とも評すべき景色を、綺堂先生は一流の筆でもって描き出しており、この場面だけでも、本作を人形怪談の佳品と呼ぶのにふさわしいと感じる次第です。


「一つ目小僧」
 前回紹介いたしました「猫騒動」同様、本作も江戸怪談をベースとした作品。しかし本作は、タイトル通り一つ目小僧にまつわる有名な怪談を題材としつつ、それに極めて現実的な解を提示してみせた作品であります。
 正直なところ、捕物帳としての面白みとしては今ひとつではあるのですが、冒頭の、雨のそぼ降る中、古屋敷に現れる一つ目小僧の姿はさすがにムードがあり、その辺りも含めて、ここで取り上げる次第です。


「むらさき鯉」
 魚が人間に変じて命乞いをする、殺生を戒めるという物語は、いわゆる「イワナの怪」のようにしばしば聞く話ではありますが、本作で登場するのは、殺生禁断の御留川で捕らえられた紫鯉。
 ご禁制の紫鯉を捕らえて身すぎとしていた男の妻の前に現れ、その鯉と共に去った怪しげな女――紫鯉の化身としか思えぬその女が招いたかのように次々とおこる奇怪な事件もムードたっぷりで、魚妖にまつわる作品も幾つもものしている綺堂先生ならでは、の作品と言えるかもしれません。


「柳原堤の女」
 江戸には様々な「魔所」というべき場所が存在したことが伝えられていますが、本作はその一つを舞台として描かれる奇譚。
 魔所として恐れられる柳原堤に出没するという怪しの女――町の物好きが正体暴きに乗り出したことから、思わぬ事件に発展する本作は、物語そのものもさることながら、当時の人々の対あやかし観とも言えるものが下敷きとなっているのが実に興味深い。綺堂作品の背後にあるのは、こうした、生の江戸の人々の精神であり――こればかりは現代の人間には書けぬ味わいだな、と感心いたします。


「春の雪解」
 さて、私が「半七捕物帳」全編の中でも最も好きな作品を挙げて結びとしたいと思います。
 入谷のさる寮の前で、按摩を招こうとする女と、そこから逃げようとする按摩という場に行き合わせた半七が、按摩から聞き出した話に興味を持って探索を始めるのですが…
 本作、職業探偵である半七が、果たして事件かどうかもわからぬものを探索するというスタイルも一風変わっていて面白いのですが、半七が興味を持つきっかけとなった按摩の語る内容が、実にいい。
 内容的にはさまで珍しいものではなく、むしろありふれたものではあるのですが、それを補って余りあるのが綺堂先生の筆。按摩が感じた「もの」を想像するに、こちらの背筋までぞうっとしたものが残る…綺堂怪談の妙味ここにありというべきでありましょう。


 以上十編、駆け足で紹介して参りましたが、いかがだったでしょうか。
 短編ミステリの内容を紹介するのはなかなかに難しいもの、それも時として内容そのものではなく、内容を構成する一部分を前面に取り上げてというのは、想像以上に難しいものでありましたが、この拙い文章から、「半七捕物帳」の、意外に語られていない魅力の存在を知っていただければ、これに勝る悦びはありません。

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2008.11.01

「半七捕物帳」鬼談(その一)

 岡本綺堂先生といえば、今ではやはり「半七捕物帳」の作者、ということになるのだと思いますが、このブログ的には、やはり忘れてはいけないのは、怪談・怪奇小説における巨大な業績でしょう。
 その綺堂先生の「半七捕物帳」が、本邦初の捕物帖として登場しながらも、同時に怪奇色・怪談色が濃厚なのは、ある意味当然のことかもしれません。
 というわけで、二回に分けて「半七捕物帳」の中から、特に怪奇色が濃厚なもの、江戸怪談に題材を求めたものを十編取り上げて紹介したいと思います。

 さて前半の五編は次の通り。
「お文の魂」
「津の国屋」
「猫騒動」
「あま酒売」
「白蝶怪」

以下に、各編を簡単に紹介いたします。


「お文の魂」
 「江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズ」たる半七の初お目見えが本作でありますが、そのシリーズ第一作から、怪談を題材としたものであるのは、実に興味深いことです。
 夢枕に夜毎現れては幼女の心を脅かす幽霊の謎を描いた本作は、古今の怪談に通じた作者らしい見事な筆致で、不気味な幽霊譚を描きつつも、結末で快刀乱麻の如く謎を解き明かし、見事に推理小説として成立させた佳品。事件の背後にある人間心理の描写などにはモダンな味わいがあり、綺堂先生らしい一編であります。
 ちなみに本作には題材となった怪談があり、「お住の霊」の題名で「KAWADE夢ムック」の岡本綺堂特集号に収録されておりますので、比較してみるのもまた一興でしょう。


「津の国屋」
 続いてはシリーズの中でも名作の一つ、死霊に祟られたかのように怪事が相次ぐ酒屋にまつわる事件を描いた「津の国屋」。もらい子にまつわる陰惨な過去を持つ津の国屋を舞台に、そのもらい子の死霊が跳梁、店に次々と凶事を引き起こすという陰々滅々とした物語が、一転、終盤でがらりとその裏側の絡繰りを見せるのには驚かされます。
 怪談として見ても、次々と津の国屋で起こる怪事の不気味さもさることながら、何と言っても物語冒頭の、常磐津の師匠が出会う奇怪な少女の描写に、綺堂怪談の骨法とも言えるものが感じられるのが興味深いところです。


「猫騒動」
 お次は、実際の(?)江戸怪談に題材を求めた作品。異常なまでの猫好きの老婆が、怪死を遂げた事件と、その背後の悲劇を描いた本作は、実はかの「耳袋」にほとんど同様のエピソードがあり、これをほぼそのまま下敷きにしております。
 とはいえ、そこはさすがに綺堂先生。巧みにこの奇談を換骨奪胎して、探偵役たる半七を活躍させたミステリにとして仕上げていると同時に、何とももの悲しくやるせない物語として成立させているのが目を引くところです。


「あま酒売」
 さて四作目は、正真正銘のホラーとしても通じるお話。行き会った人間は病を得るという、奇怪なあま酒売りの老婆によって、江戸の町が恐怖に包まれる様が描かれるのですから…
 その恐怖に相対するのはもちろん半七ですが、そうこうするうちに事件は意外な方向に展開。そして語られる老婆の正体は、これはもう怪奇というより伝奇というべきもので、まさか「半七捕物帳」でこのような作品に出会うとは…と大いに驚かされました。
 そしてさらに驚くべきは、本作で描かれた老婆の一件が、本作の設定よりもだいぶ以前ではありますが、「武江年表」に記載されていること。事実は小説よりも奇なり、ということでしょうか。


「白蝶怪」
 前半のラストは、シリーズ中の異色作を。季節外れの冬の夜にひらひらと舞う白い蝶が招くかのように起きた怪事を描く本作は、半七捕物帳とは言い条、半七は登場せず、その一つ前の世代の物語であります。
 分量的にも中編といってよいボリュームの本作、物語のタッチや道具立てもミステリというよりもむしろ怪奇小説調で、綺堂先生の抑えた筆致が、より作中の緊迫した空気を強める効果を挙げており、不思議な味わいの作品となっています。
 半七捕物帳を離れても、一種の怪奇探偵小説として、魅力的な作品であります。


以下、続きます。

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2008.10.29

「密謀 十兵衛非情剣」 折角の面白さながら惜しい一作

 国友村の鉄砲鍛冶たちが、不審火で全滅した背後に、新式銃の密造計画があることを知った柳生家は、富山に隠棲していたかの柳生十兵衛の隠し孫・大和十兵衛に探索を依頼する。江戸に出た十兵衛を、尾張柳生、大盗・梵天丸一味、さらに謎の武士たちが襲う。陰謀の陰に潜む、二階笠の紋を奉じる一党の正体は…

 十代将軍の治世を舞台に、新式銃の密造を巡る激しい暗闘を描く剣豪小説であります。
 主人公の大和十兵衛は、柳生十兵衛の孫で、柳生流のみならず諸流派の奥義に達した美丈夫、それでいて人と関わるのを嫌うという一風変わった人物。その十兵衛が、暗闘に巻き込まれ、数々の強敵を向こうに回し、やむなく必殺の剣を振ることに相成ります。

 この今十兵衛を囲む登場人物は、お人好しの盗賊に鉄火な辰巳芸者、今連也斎の異名を持つ尾張柳生の麒麟児、巨大な勢力を誇る大盗などなど、まずはエンターテイメントとして定番ながら楽しい面々。 そして描かれる陰謀の正体も、ちょっと大味ではありますが、敵の正体にまつわるどんでん返しが実に面白い――時代ものファンであれば、なるほど、言われてみれば! と感心すること請け合いのトリックであります――作品であります。


 が――キャラクターやアイディアは面白いのですが、残念な部分も多い本作。
 何よりも厳しいのは、文体のテンポがよろしくないため、せっかくの波瀾に富んだ物語の興趣がかなり削がれている点。言わずもがなの説明・表現が多く、ストーリー展開やアクションのリズムが崩れているのは全く勿体ないとしかいいようがありません。

 また、主人公である十兵衛も、自分に関わりがなければ目の前で人が殺されようとも見ぬ振りをするが、一度自分に火の粉がかかれば容赦なく牙を剥くという特異なキャラクターが、物語の中で生きていると言い難いのも厳しいところであります。
 さらにいえば武道に関するかなり初歩的な誤りも散見されるのですが、これはまあ、伊賀の柳生一刀流という例もあるので個人的にはさして気にしません。


 普段であれば書かないような厳しいことまで書いてしまいましたが、それも折角の本作ならではの面白さを惜しんでのこととと思っていただければ…と思います。


「密謀 十兵衛非情剣」(江宮隆之 二見時代小説文庫) Amazon
密謀―十兵衛非情剣 (二見時代小説文庫)

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2008.10.24

「魔京」第二篇「髑髏京」 京と京、システムとシステムの対決

 太政大臣として権勢を恣にする平清盛は、平氏が宇宙の中心として栄える世界を生み出すため、世界の中心を規定する力を持つ「京魄」(ミヤコミタマ)を用いて、福原への遷都を目論んでいた。だが何者かが京魄を強奪し、清盛の依頼で探索にあたった真言僧・文覚は、敵の意外な正体を知る。平氏と源氏の争いが激化する中、京のゆくえは…

 第一篇の紹介をしてからだいぶ時間を空けてしまったうちに、平安篇・室町篇・安土桃山篇が終了し、江戸篇に入った朝松健の長編連作伝奇「魔京」。時空に干渉して過去と未来を変容させ、世界の中心を規定する力を持つ呪具・京魄を中心に据え、この国の「京」とは何かを描いていく本作を、これから駆け足で追いかけていきたいと思います。

 今回取り上げるのは、第二篇「髑髏京」。平安時代末期、平清盛を中心に、新たなる京を求める者と、旧来の京を守らんとする者の争いが描かれます。

 今回のエピソードでまず感心させられるのは、物語の中心となる舞台――というより目的地と言うべきでしょうか――を福原としていることであります。
 福原は、わずか半年間とはいえ、確かに我が国の中心たる京だった地であり、そしてその特異性は、史上初めて、武家主導により開かれた京であることにあります。言ってみれば、福原遷都は京概念の一大転換であり、その意味で、京の意味を伝奇的に問い直す本作にまことに相応しいものと言えるのです。

 その福原遷都を巡る争いを、本作では、単に平氏と朝廷・源氏の間の主導権争いとしてだけではなく、世界を変容せんとするシステムと、世界を維持しようとするシステムとの衝突として描くのですから凄まじい。その戦いは当然、現のものに留まるはずもなく、悪源太義平をはじめとする源氏の死霊武者が跳梁し、謎の思念投影体と文覚が秘術でもって激突し――作者お得意の妖術合戦に突入し、歴史上に残るある事件が、その霊的闘争の果てのものとして描かれるのには驚かされます。

 その一方で――分量的には中編ではあるところに、優に大長編一本をかけるほどのアイディア、ガジェット、キャラクターを贅沢に投入したがために、かえって物語が語り足りなく思える部分があるのが個人的には残念なところ。
 一つ一つの事件、戦いが、淡々と――もちろんそれ自体として見ればはきっちりと面白く、盛り上がっているのですが――描かれていくのは、これはこれで歴史の冷徹さというものが感じられるのではありますが…(特にラストは、これで終わり? と感じながらも、同時に、これで良いのだな、と感じさせられる不思議な幕切れでありました)。

 時間と空間の巨大な動きの前には、一人の感慨も小さなもの、と思うべきでしょうか。もっとも本作では、その時間と空間の運行すら、決して不変のものではないのですが――


「魔京」第二篇「髑髏京」(朝松健 「SFマガジン」2007年1月号、3月号、5月号掲載)


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2008.10.15

「忍びのモノグラム」 ネタは楽しいものの…

 「小説新潮」誌10月号の官能小説特集に掲載された荒山先生のこの短編。荒山先生+官能という時点で既に素晴らしく悪い予感がしていたのですが、見事的中と言うかなんというか、官能というよりは衆道満載の怪作となっておりました…

 舞台となるのは徳川幕府三代将軍家光(と言った段階で荒山ファンは顔がヒクつくと思いますが)の頃。衆道一直線で女色を顧みない家光に手を焼いた春日局に依頼された三人のくノ一が、家光に男色を厭わせ、女色の味を教えようというのが本作のあらすじであります。
 性にまつわる忍法の遣い手と、権力者からの珍妙な依頼、そして皮肉な結末と、明らかに山田風太郎先生の短編忍法帖の一つのパターンを意識した作品と言ってよいでしょう――というか、くノ一の一人の名前が「山田のお風」という時点で既にもう何というか。

 とはいえ、作品のクオリティ的に山風の域に達しているかと言えば、これはまことに申し訳ありませんがまだまだ及ばないという印象。
 誰が喜ぶのかわからない――しかし荒山作品にはもはや不可欠ともいえる――衆道ネタの連発はまあ置いておくとして、主人公格の忍法が基本的に無敵すぎて面白味に欠けるのが最大の理由。
 尤も、その無敵ぶりがラストの皮肉な展開に繋がるのではありますが、オチがかなり強引なこともあって結末の皮肉さと虚しさが薄味になってしまった…と申しましょうか。やはり山風先生の忍法対決のバランス感覚はもの凄いものがあったのだな、今さらながらに感心した次第です。
(更に言ってしまえば、女性描写に魅力がないから、こう、官能ものとしても今一つ…)

 とはいえ、最近では「シャクチ」のような新ジャンルや、伝奇抜きの朝鮮ものなど、比較的、いやかなり真面目な方向の作品が多く、これはこれでちょっと寂しい…と思ってはいたので、やっぱり何だかんだ言ってもこういうネタものも楽しいのですが…美遁ノ術など、術の内容とネーミングの組み合わせがうまいものだなあと真面目に(?)感心いたしました。


 ちなみにモノグラムとは、頭文字をデザイン的に組み合わせた記号のこと。よく使われているのは企業やブランドのマーク、つまりは自分を示すサインであり、その意味でオチで描かれたある史実とも絡んでくる…と思えばよいのかしらん。
 …まあ、お瑠衣美遁ノ術を使う作品であれこれ言うのも野暮なのですが。


 しかしまさか本作が「柳生大戦争」の後日談とは…


「忍びのモノグラム」(荒山徹 「小説新潮」2008年10月号掲載)


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 「シャクチ」 新たなる古代日本ファンタジー世界の誕生

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2008.10.09

「真田昌幸 家康狩り」第2巻 対決、二つの武士道

 数え七歳となった真田源五郎は、武田家の「人質」として、信玄の下で武将としての英才教育を受けることとなる。一方、天涯孤独となった醜鳥は、思わぬことから、松平竹千代――後の徳川家康になりかわることとなる。源五郎――後の昌幸と家康、対照的な二人は、運命の交錯の果てに、遠州三方ヶ原で遂に激突する。

 徳川家康を最も苦しめた男・真田昌幸の生涯を、伝奇的視点を用いつつ描いた「真田昌幸 家康狩り」の第二巻の登場であります。
 第一巻では、昌幸の誕生から数え五歳での初陣までが描かれましたが、今回は七歳から二十六歳まで、彼の青春期が描かれることとなります。

 扱われる時期が第一巻よりも長く、また戦国史的に見ても激動期にあること、そして何よりも、本作のもう一人の主人公と言うべき徳川家康サイドからの描写もあって、正直なところ、第一巻に比べると慌ただしい印象もあるこの第二巻。
 特に、なかなかに個性的な登場人物たち一人一人に、十分な活躍の場面が与えられているわけではないのが何とも勿体なく感じます。
 しかしながら、ベテランの技と言うべきか、比較的長期間に起きる様々な事件を、複数の視点から描きながらも、展開は巧みに整理されて、混乱することなく最後まで一気に読み通すことができるのは、さすがと言うべきであります。
 内容にも、影武者徳川家康どころか、影武者松平竹千代というアイディアを投入することにより、単に伝奇性の点からのみならず、昌幸と家康の対比、因縁というものを、より鮮明に描き出しているのが目を引きます。

 さて、そんな中で、個人的に非常に興味深く読んだのは、昌幸と「表裏比興」という言葉の出会いであります。
 「表裏比興」は、昌幸を評する際に必ずと言ってよいほど使われる言葉ですが、本作においては、その言葉が信玄の口から、それも武田軍学の秘伝として語られるのが実に面白いのです。
 「比興」とは、言い換えれば「卑怯」であり、そこにはネガティブなイメージがつきまといますが、しかし彼を評する場合には、それは「したたかさ」「しぶとさ」という、むしろポジティブなものに転化します。

 ここでいかにも作者らしいとニヤリとさせられるのは、その彼の生き様の由来を「室町武士道」に見出しているところであります。
 「武士道」と一口に言っても、戦国時代(=室町時代)と江戸時代以降のそれは大きく異なります。江戸時代のそれが封建社会の秩序維持のための規範だとすれば、戦国時代のそれは――私見ですが――力持てる者が己を律しつつも自己実現を図るための生き方。
 室町時代を舞台とした作品を得意とする作者にとって、こうした室町時代の武士のあり方は自家薬籠中の物として描くことができるものでありましょうし、それだからこそ本作の真田昌幸像が印象的に感じられるのか、と悟った次第です。

 さて、上で触れた江戸武士道が生まれたのは徳川政権下。その徳川政権の生みの親は言うまでもなく徳川家康――そう考えてみると、本作で描かれる真田昌幸と徳川家康の対決は、室町と江戸、二つの武士道の対決でもあります。
 史実からすればその結末は明らかと思えるかもしれませんが、本作の中では、そうそう素直に終わるわけがありません。
 今後描かれるであろう、室町武士道の最後の意地の行方を楽しみにしているところです。


「真田昌幸 家康狩り」第2巻(朝松健 ぶんか社文庫) Amazon
真田昌幸家康狩り 2 (2) (ぶんか社文庫 あ 5-2)


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2008.10.07

「シャクチ」 新たなる古代日本ファンタジー世界の誕生

 「入魂の新シリーズ開幕!」と銘打って、「小説宝石」誌に掲載された荒山徹先生の新作「シャクチ」。ファンのはしくれとして、荒山作品のパターンもある程度はわかっていたつもりでしたが、なるほどこれは新シリーズと言うにふさわしい、これまでの荒山作品とは、場所も時代もテイストも異なる作品となっておりました。

 この作品の舞台となるのは、紀元前三世紀の中国と日本。この時代の中国と言えば、秦の始皇帝が歴史上初の統一王朝を打ち立てた頃であります。
 ここで勘のいい方、あるいは伝奇好きの方であればすぐにお気づきかと思いますが、始皇帝と日本を繋ぐものと言えば、始皇帝の命により、東海の三神山に不老不死の仙薬を求めて旅立った末に、日本に辿り着いたというあの人物。そう、徐福であります。

 本作の主人公の一人は、その徐福(作中では異称の徐市(正確には「くさかんむりに市」)と表記)。過酷な旅の末、ただ一人オオヤマトに漂着した彼が出会ったもの――それは蛇神を崇拝する未開の部族の青年・サメマでありました。
 サメマの部族のもとで不老不死の法を修め、大陸に帰った徐市に対し、始皇帝はオオヤマトの侵略を命じるのですが…

 と、朝鮮も柳生も、そして過剰なパロディもない本作。描かれるのは、極めて真っ当な(?)伝奇ファンタジーであります。
 先に述べたように有名な「史実」である徐福の渡来を、巧みに換骨奪胎して独自の古代世界観・古代史観を構築している様には、荒山先生の地力というものを感じさせられます。


 さて――本作の末尾に掲げられた参考・引用文献の中にあったのは、あのブライアン・ラムレイの「地を穿つ魔」。これには仰天するとともに驚喜いたしましたが、しかしそれ以上に、本作の雰囲気は何かに似ているような…と思っていたところに、ネット上での炯眼の士の指摘に、アッと驚くとともに納得いたしました。
 本作を覆うムードは、ラムレイよりもむしろR・E・ハワードの怪奇色濃厚なヒロイックファンタジーによく似たものがあったのです。

 なるほど、当時の「文明国」たる秦=中国から見れば、オオヤマト=日本は暗黒大陸ならぬ暗黒島。その暗黒の世界から単身乗り込んできたサメマ改めシャクチの姿は、ハワードの蛮人王に繋がるものがあります。
 そして何より感心すべきは、この場所、この時代を舞台とすることにより、見事に無理なく古代日本ファンタジー世界を構築してみせたことでしょう。

 あるようでいて存外少ない――特に大人向けの作品では――古代日本を舞台としたヒロイックファンタジー。もちろんまだ第一話ゆえ先のことはまだまだわかりませんが、本作が新たなる古代日本ファンタジー世界を切り開くことに、大いに期待したいと思います。


 ところでシャクチは、ミシャグジ神の転訛なのかしらん(日本側の舞台は三輪山周辺なので違和感はありますが…)


「シャクチ」(荒山徹 「小説宝石」2008年10月号掲載)

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2008.09.20

「禁裏御みあし帖」 普通のおっさん、天下を揺るがす

 三十も年の離れた押し掛け女房を得た冴えない八卦見・十六斎は、井伊直弼の死を予言したことで、開国派と攘夷派の争いに巻き込まれてしまう。さらに、替え玉と噂される皇女和宮の真贋を見極める「禁裏御みあし帖」争奪戦に巻き込まれた十六斎夫婦。中山道を行く和宮の行列を巡る攻防戦の行方は…

 青春時代伝奇の佳品「総司還らず」の姉妹編が本作「禁裏御みあし帖」です。幕末、皇女和宮降嫁を巡り、幕府・禁裏・薩長の複雑な思惑のぶつかり合いに巻き込まれてしまった足裏占いの夫婦の冒険を描くユニークな伝奇譚であります。

 和宮は、つい最近も大河ドラマ「篤姫」に登場しましたが、幕末に翻弄された悲劇の女性として描かれることがほとんどです。
 もちろん本作でもそれは異なることはないのですが、しかしここで描かれるのは和宮替え玉説という伝奇的変化球。
 しかも面白いのは、輿入れする和宮が果たして真の和宮であるかを判別する証拠となるのが、皇族の足袋を作るための寸法帖である「禁裏御みあし帖」であり、そしてそれを唯一判読することかできるのが、足裏占い師である主人公・十六斎であるという設定でしょう。

 ここに、御みあし帖、そして主人公の身柄を巡る争奪戦が展開することとなるわけですが、災難なのはもちろん十六斎。足裏占いというほとんど予言めいた能力を除けば、助平でがめつくてお人よしの単なる中年のおっさんが、事と次第によっては、日本を真っ二つに割りかねぬ爆弾を抱えることとなってしまうのですから…

 しかし、このごく普通のおっさんが天下の趨勢を決する存在となるのが、本作の醍醐味であります。
 どうもご立派英傑ばかりが天下国家を巡って活躍していたように錯覚してしまいそうになる幕末という時代。その裏側の非情に翻弄されながらも、必死の思いで生き抜いていこうとする十六斎夫婦の姿は、ほほえましくも、人間の自然な情を否定して成り立つ歴史というものに対する痛快な異議申し立てとして感じられます

 創意溢れる時代伝奇であると同時に、歴史のダイナミズムに真っ向から立ち向かう――あくまでも等身大の――人間の姿の素晴らしさを活写してみせた快作です。


 しかし、どうしても十六斎夫婦の姿が、作者ご夫妻に被って見えるのだよなあ…というのは失礼かしら。


「禁裏御みあし帖」(えとう乱星 中央公論社C・NOVELS 全2巻) 上 風雲京洛篇 Amazon/ 下 和宮道中篇 Amazon

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2008.09.19

「舫鬼九郎」第1回 帰ってきたオールスター時代劇!

 一時期は一体どうしたんだろうと思っていた「コミック乱ツインズ」誌ですが、ここに来て新連載攻勢がスタート。その第二弾はなんと高橋克彦先生の「舫鬼九郎」の漫画化、絵師を担当するのはベテラン岡村賢二先生であります。

 舞台は江戸時代前期、吉原近くで、背の皮を剥がされた若い娘の惨殺死体が発見されるところから始まります。その場で曰くありげな男たちを目撃したのは、かの侠客・幡随院長兵衛。男たちを追った長兵衛の前に現れたのは、短筒を操るカブキ者・天竺徳兵衛、隻眼の剣鬼・柳生十兵衛、そして異装の美剣士・舫鬼九郎だった――

 というわけで第一回はメインキャラクターの顔見せ興行といったところか、タイトルページに登場している五人のレギュラーのうち、高尾を除く面子が全員登場し、なかなか賑やかな内容となっています。
 もともと原作は、当時の有名人がほとんどオールスターキャストで登場する豪華なエンターテイメント時代劇、理屈抜きで楽しめる伝奇活劇だったのですが、そのノリは、この漫画版第一回からも感じることができます。

 さてそんなキャストの中で、ほとんど唯一架空の人物である鬼九郎ですが、しかし、周囲に負けない存在感のキャラクターであることは一目瞭然。美しい相貌に似合わぬ――あるいは似合いの――人を食ったような不敵さに、「緋い炎の動きに因んで緋炎」なる剣技の冴え、そして何よりも、印象的なのはその服装であります。
 その服装というのが、着流しの下に、西洋のワイシャツを着た、ニューウェーブにもほどがあるファッション…原作の時点でもインパクトがありましたが、漫画で見てみるとやはりインパクトがある――だけでなく、結構格好良く見えるのは岡村先生の筆のマジックでしょうか(しかし、このファッションにも理由があることが今後明かされることになるのですが…)

 原作は1991年から翌年にかけて連載された作品であり、約十五年ばかりも昔の作品ではありますが、しかし、内容の方は全く古びたところはなく、今読んでも楽しめる作品であるのは間違いない話。それを、同誌で笹沢左保の「真田十勇士」を見事完全漫画化して見せた岡村賢二先生が描くのですから、これは期待してよいのではないでしょうか。


 …これを期に、六年くらい連載が続いている原作最終章「鬼哭鬼九郎」も完結すればよいのですが。

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2008.09.03

「蛍丸伝奇」 勤王の名刀と鎮魂の象徴と

 勤王の象徴として阿蘇に眠る名刀・蛍丸。その蛍丸を後水尾上皇が所望したことから、幕府に緊張が走る。上皇を押さえるべく選ばれた、沢庵和尚の弟子であり上皇の異母弟・化龍は、西へ向かって旅立つが、その旅に、柳生一門が、松山主水が、宮本武蔵がそれぞれの思惑を秘めて関わるのだった。

 思うところあって、えとう乱星先生の処女長篇であるこの「蛍丸伝奇」を読み返しておりました。
 南北朝の頃、南朝の忠臣・阿蘇惟澄の佩いていた来国俊の太刀が合戦で刃こぼれしたものが、一夜、無数の蛍がとまって去った後に直っていたという名刀・蛍丸の伝説。この不思議に美しい伝説が、江戸時代初期の幕府と朝廷の暗闘の最中で甦ることとなります。
 幕府と後水尾上皇との対立というのは、隆慶一郎の諸作にあるように、ある意味この時期の時代ものでは定番ネタの一つではあるのですが、そこに蛍丸という勤王の象徴的存在を絡めるのが、本作の見事な点でしょう。

 そしてこの争奪戦に絡むのが、主人公たる悩める青年僧・化龍の他、柳生十兵衛に宮本武蔵に荒木又右衛門に松山主水といった錚々たる剣豪の面々に加え、八瀬童子、伊賀忍軍に謎の美少女等々と盛りだくさん。特に剣豪連は、一人一人のキャラクターの強烈さもさることながら、それぞれが伝奇的な秘密・バックグラウンドを背負っての参戦とひねりも聞いていて、伝奇エンターテイメントとして第一級の作品として楽しめます(特に松山主水の設定には、作者の初期作品に共通する二階堂流サーガとでも言うべきものがあって興味深い)。

 しかし――本作の真骨頂は、そうした派手な伝奇エンターテイメントを彩る登場人物の一人一人が、それぞれの心に様々な重荷を抱えながらも、懸命に生きていこうとする姿を描き出す人間ドラマにあります。
 一見、明朗な伝奇活劇のようでいて、しかし、主人公をはじめとするキャラクターが、皆どこか青春の影を背負っているのがえとう作品の特徴の一つと私は考えていますが、それはこの処女長編から健在と言うべきでしょうか(その一方で、それが重さや暗さに直結せずに、切なさや哀しさに転化していくのがえとう作品の味わいであります)。

 そして本作において、人々の鎮魂の象徴として描かれるのが、蛍。人々の悲しみや無念といった感情を包み込み、浄化していくかのように、本作において蛍は現れ、消えていきます。
 そして鎮魂とは、必ずしも亡くなった者に対してのみ行われるものではありません。仏道の修行でも到底癒せぬほどの壮絶な悲しみを背負った化龍、孤独と背中合わせのどこまでも荒ぶる魂を持つ十兵衛――彼らの魂をも、蛍は、蛍丸は、優しく受け止めていくのです。

 派手な仕掛けの伝奇活劇と、切なく暖かい人間ドラマ――処女作には作者の全てが現れるものだとよく聞きますが、本作に関しては、まさにその通りと、深く頷くところです。


「蛍丸伝奇」(えとう乱星 青樹社文庫) Amazon

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2008.08.14

「百物語怪談会 文豪怪談傑作選特別編」 文化人の語る怪

 実は僕は怪談、それも実話怪談というのが大の好物なのですが、本書は名だたる文化人たちが集まっての怪談会の模様を収めたもの。実に僕好みの一冊です。
 本書に収録されているのは、「怪談会」「怪談百物語」という、いずれも今からほぼ百年前に発表された怪談記であります(付録として、一種の怪談会記録「不思議譚」も収録)。

 この二つの怪談集に登場するのは、泉鏡花をはじめとして、小山内薫・長谷川時雨・鏑木清方・柳田国男など、実に錚錚たる顔触れ(マニア的には、どちらにも水野葉舟が参加しているのがたまらない)。個人的には絵画も随筆も大好きな清方の怪談が掲載されているというだけでたまりません。

 もっとも、収録された怪談の内容といえば、これは全くもって玉石混淆と言うほかなく、現代の実話怪談ファンの目から見て楽しめるものばかりかと言えば、これは正直に申し上げて首を傾げるしかなく…特に、幽魂(含む生き霊)の知らせネタ――死の間際に知人に挨拶に来るというアレ――が異常に多いのには閉口いたしました。

 しかし、ある意味内容以上に感心してしまったのは、この時期――二十世紀初頭という自然主義文学の勃興期に、これだけの文化人が寄り集まっては怪談を楽しんでいたというその事実。
 本書でも大活躍の泉鏡花と、自然主義文学の関係を考えると、この怪談会の発表時期は何とも意味深く感じられる…というのは半可通の言い草かもしれませんが、面白い符合ではあります。

 何はともあれ、本書に描かれた怪談会の参加者の姿からは、語るのがどれほど恐ろしい物語であっても、どこか愉しさのようなものが感じられます。
 おそらくはこれこそが、怪談がいつの世にも――程度の差はあるのかもしれませんが――受け入れられる由縁なのではないかなと、若干の羨ましさとともに感じた次第です。


「百物語怪談会 文豪怪談傑作選特別編」(泉鏡花ほか ちくま文庫) Amazon

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2008.08.09

「柳生大作戦」第二回 日朝神器争奪戦

 少々紹介が遅れてしまいましたが、「KENZAN!」誌最新号に「柳生大作戦」第二回が掲載されました。が…一読、もしかして一回読み飛ばした? と悩んでしまうような展開。もちろんそんなわけはないのですが、まだまだ全貌の見えない展開であります。
 今回掲載の第一部第二章の舞台は、西暦668年の日本と高句麗。前回は475年と1592年でしたから、既に三つ目の時代が登場です。

 日本で描かれるのは、新羅の諜者による草薙剣強奪未遂事件。中大兄皇子の庶子・伊賀皇子に仕える服部半蔵(「はっとりはんぞう」…ではなく「はとりべのなかくら」)により、草薙剣を奪って逃走しようとした新羅妖術師が捕らえられるのですが、この事件は、現在半島で進む高句麗討伐と、伊賀皇子からその高句麗に使者が送られたことと何やら関係が…

 そして舞台は唐・新羅連合軍に包囲され、既に風前の灯となった高句麗の平壌城へ。高句麗の実権を握る泉男建と会見した伊賀皇子の使者・秦友足は、高句麗の二つの神器を託す旨、伝えられます。一つは霊的レーダーである沸流鼎、そしてもう一つは何と八岐大蛇の卵(ワンゴン様!?)…
 重囲された城から神器を運び出すために友足が用意していたのは、前回冒頭で登場した百済の神器・指南亀と、金色に輝き空を飛ぶ頭八咫烏――その名も怪鳥・臘鷺守(ろうろす)であります。先生、思いつきでどっかで聞いたような名前つけるの止めてください。
 が、ここで異変発生、友足の一行に紛れ込んでいた“劉仁軌”を名乗る男が騒ぎを起こし、高句麗に捕らえられていた新羅王女とともに、神器の安置された塔に立て篭もって…と、今回はここまで。


 さて、前回の冒頭では百済の滅亡が描かれましたが、今回描かれるのは高句麗の滅亡前夜。前回同様、今回も登場人物たちの口を借りて、朝鮮三国時代の歴史が語られますが、個人的には全く縁遠かったこの時代の朝鮮史はなかなか魅力的に映ります(…という時点で作者の目論見は半ば成功しているように思えます)。

 それにしても、本作で描かれる朝鮮神器の行方を見ていると、考えさせられるのは古代朝鮮と日本の歴史の皮肉。百済が滅んでその難民たちが日本に渡り、高句麗が滅んでその難民たちが日本に渡り…そのことを、本作は神器委譲の形で代表していますが、かつて敵対した国の民が、時を隔てたとはいえ、同じ国に逃れてきたという史実は、不思議な気分にさせられます。

 と、これまた作者の術中に陥った感もありますが、物語の本筋の方は、ちょこちょことバカネタも飛び出してきて、先生いよいよ興が乗ってきましたな、というところ。

 しかし前回と今回で、全く時代が違うにも関わらず、同じ名前の登場人物と同じシチュエーションが登場して――もちろんそれは計算づくですが――ちょっと混乱させられました。
 何よりも、今回のエピソードが、前回の1592年とどう繋がるかが見えないのがちょっと残念ですが(目茶苦茶やっているようで前作は連載各回のキリは良かったですしね)、先が見えない物語を素直に楽しみに待つのがよいのでしょう。とりあえず怪獣(怪鳥)が久しぶりに出てきたのは嬉しいですね。


「柳生大作戦」第二回(荒山徹 講談社「KENZAN!」vol.6掲載) Amazon
KENZAN!VOL.6


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2008.08.08

「小説無限の住人 刃獣異聞」 もう一つのむげにんワールド

 剣流統一を画す逸刀流に父を殺された少女・凜は、不死身の男・万次を用心棒とする。逸刀流との戦いを開始する二人だが、しかし彼らの他に逸刀流を狩る影あった。犬の仮面をつけた奇怪な巨漢・イヌガミ――到底常人とは思えぬその存在に凜は関心を抱く。そして遂に逸刀流統主・天津と彼らが対峙する時が来た…

 書店で見かけぬ「無限の住人」の単行本を見つけて、不思議に思って手に取ってみれば、これが何と小説版。それも、作者は大迫純一先生というのに驚きつつ、早速読了いたしました。

 読む前は、原作では描かれなかったエピソードを描いた外伝的内容かと勝手に思っていましたが、これが何と、原作を冒頭から再構成してオリジナル要素を加えた、いわばアナザーストーリーとでもいうべき内容。凜と万次の出会いから始まり、黒衣や凶との戦いを経て、何と無骸流の面々も早々に登場(もっとも、現在放映中のアニメ版でも冒頭から登場していますが)、オリジナルキャラクターを加えて、三つ巴で結末になだれ込んで行くという展開になっています。

 一から物語を始めた上に、原作の序盤~無骸流登場あたりまでのレギュラーキャラをほぼ総登場させて一冊にまとめたという性質上、一人一人のキャラの出番はそれほどでもないのですが、元々が個性の塊のような――その、原作でのブッ飛んだ服装や言動を律義に文章で表しているのが楽しい――連中の上に、それぞれの出番での描写が、原作の味をよく踏まえたものになっていて、違和感や不足感をほとんど感じさせないのは、これはなかなかのものだと思います。特に、黒衣の得物を巡る凜と万次の会話は、二人の微妙な距離感をうまく描いていて感心しました。
(もっともこれは原作読者ゆえの感想で、全く初体験の状態で読めばまた別の感想があるかもしれませんが――)

 さて、原作読者であれば、万次さんの出番のなさというか、勝率の悪さはよくご存知かと思いますが、実はその点は本作でも健在。はじめこれも、一種の原作再現なのかしらんと意地悪なことを考えてしまいましたが、しかしこれがまるで勘違いであったことを思い知らされるのが終盤の展開。
 少々ネタバレになってしまいますが、凜の用心棒である万次が、結果的とはいえ、逸刀流の人間をほとんど斬っていないという状態が、終盤に至って、思わぬ問い掛けを凜に対して投げ掛けることとなります。

 その問い掛け自体は、原作でも幾度となく登場するものではありますが、しかしそれが、このアナザーストーリーとしての展開とうまく噛み合って、何とも言えぬ重みを見せるのには、ただ感心させられた次第です。
 そしてもう一人の万次とも呼べるかもしれないオリジナルキャラ・イヌガミとの死闘を経て、父母の仇である天津を前にした凜がとった行動は、この問い掛けの――つまりは「無限の住人」という物語のテーマの一つへの――答えとして、納得のいくものであったと感じます。

 もちろん、ノベライゼーションゆえの様々な――上に述べたようなキャラ総登場など――制限はあり、またオリジナルキャラもちょっと新味に欠ける部分はあるのですが、しかしもう一つの「無限の住人」として、しっかりと成立している作品だと、感じている次第です。


「小説無限の住人 刃獣異聞」(大迫純一 講談社KCノベルス) Amazon
小説無限の住人刃獣異聞 (KCノベルス)


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2008.08.04

「戦国戦術戦記LOBOS」第3巻 人間とは、真のプロフェッショナルとは

 戦国アクションの快作「戦国戦術戦記LOBOS」の待望の第三巻です。この巻ではほぼ一冊を使って、前の巻でスタートした、柿崎景家暗殺を巡る「狼」と伊賀日隠衆の死闘の顛末が描かれることとなります。

 景家の首を狙う市蔵たち「狼」と、その宿敵である日隠衆の争いは、どちらが先に暗殺を成功させるかという争いから、互いのメンバーの潰し合いへ展開。忍びである日隠衆はもちろんのこと(?)、「狼」の面々もまた一芸に秀でた達人たち。
 この達人同士のバトルがまた、迫力と奇想に満ちていて実に良いのですが――しかしその一方で、このままバトルものに傾斜していくのかな、それはそれで面白いのだけれど、少し勿体ないような…と一瞬思ったのですが、それはもちろん杞憂でありました。

 そう、両者の死闘の中で描き出されるのは、互いの秘術の冴えのみならず、何故戦うのか、何のために戦うのか――両者が寄って立つものの明確な違いであります。
 日隠衆にとって任務は、己の力を発揮し、誇示する以外の何物でもありません。その意義の前では報酬すら二の次であり、己の身を刃として鍛え上げ振るうことにこそ目的を見出だす彼らは、ある意味最も純粋な存在なのかもしれません。
 それに対して「狼」の方の理由は、ある者は復讐のため、ある者はそのものずばり金のため…比べてみれば「不純」ですらあります。

 が、その「不純さ」が――目的達成に留まらず、任務に何かを望む心こそが、人間の心の証であり、そしてそれこそが人の強さの源になると…死闘の中での「純粋さ」との対比で、自然に描き出されているのです。
 ともに銭金のために戦う存在でありながらも、しかしその目指すところは全く異なる――迫力あるバトルを展開させながらも、人間とは、真のプロフェッショナルとは何か浮かび上がらせる業前には脱帽です。

 そしてこの巻のラストからは、市蔵の過去編がスタート。この中で、おそらくは上記の問いかけがより先鋭化された姿で描かれるのではないか――そう期待しているところです。


「戦国戦術戦記LOBOS」第3巻(秋山明子 講談社シリウスKC) Amazon
戦国戦術戦記LOBOS 3 (3) (シリウスコミックス)


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2008.08.02

「遺恨の譜 勘定吟味役異聞」 巨魁、最後の毒

 八代将軍を巡る暗闘が激しさを増す中、紀伊国屋文左衛門の手により、米相場が暴落する。新井白石の命でこれを追う水城聡四郎と家士の大宮玄馬に次々と刺客の群れが襲い掛かる。その一方、死の床にあった柳沢吉保は、遂に大奥に将軍暗殺の手を伸ばす――

 いよいよ終盤戦に突入した勘定吟味役異聞シリーズ、第七巻の本作では、シリーズ当初から主人公たちの巨大な壁であった柳沢吉保が遂に姿を消すこととなります。
 しかしその妄執とも言うべき徳川綱吉への忠誠心は、徳川将軍家への毒針と化し、最後の最後まで、物語を不気味に掻き回すのが、何ともこの人物らしいところです。

 その吉保をはじめ、八代将軍位を巡るプレイヤーたちの間に挟まれて今回も苦闘を繰り広げるのはもちろん聡四郎。上田作品では、主人公が複数の勢力に付け狙われるのはまず常態ですが、本作でも次から次へと襲撃やストーキングに悩まされることとなります。
 正直なところ、読んでいるうちに、この刺客は誰が送ったものかしらんと混乱する場面もなきにしもあらずですが、読者ですらこうなのだから、聡四郎自身はもっと大変だろう…と変な感心の仕方をしてしまうことも。

 本作ではそんな聡四郎が、罷免されることもなく――言われてみればこれは確かに不思議な話で――勘定吟味役を続けることができる理由が描かれ、なるほど! と膝を打ちましたが、これももちろん聡四郎自身のためを思ってではないところがまた辛い…

 表向きは不気味に静まり返った水面下で繰り広げられる八代将軍位を巡る暗闘。聡四郎は、そこに波紋を起こすために投げ込まれる石の役割を担わされることとなりそうですが――しかし、石ころにだって意地が、自分自身の意志がある。武士として人間として、聡四郎がこの状況に如何に立ち向かっていくのか…いよいよ目が離せなくなってきました。


「遺恨の譜 勘定吟味役異聞」(上田秀人 光文社文庫) Amazon
遺恨の譜―文庫書下ろし/長編時代小説 (光文社文庫―勘定吟味役異聞 (う16-8))


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2008.07.31

「復讐する化石 猫子爵冒険譚」 ベルリン大怪獣活劇伝奇

 五月のうららかな日に発見された他殺体に付着していた遺留品…それは数億年前に絶滅したはずの古代魚の鱗だった。それを看破した変人学者ノプシャ男爵と、彼と偶然知り合ったウルリーケは、連続する「獣」による殺人事件の捜査に乗り出す。が、魔術結社・新聖堂騎士団もまた、「獣」を追っていた。ウルリーケの危機に、再び猫子爵・鷹宮洋一郎が立ち上がる。

 猫子爵冒険譚の第二弾は、オカルト・アクションであった前作とは大いに趣を変えて、何とモンスター・ホラー…というより怪獣小説とも言うべき内容の大活劇。
 1926年のベルリンで発見された遺体に付着していたのは、数億年前に絶滅したはずの古代魚の鱗だった…という、実に胸躍る導入部に始まり、次々と古代の怪物たちの影がベルリンの闇を脅かす様は、好きな人間には堪らない展開。怪獣ものには不可欠というべき、正規部隊――軍隊とか警察とか――との激突もしっかりと描かれ、可哀相な人々を蹂躙する規格外の怪物の脅威を、しっかりと見せつけてくれます。
 そして、先の大戦での軍部の狂気の実験と密接に絡んだその悍ましくも哀しい正体と行動原理もあいまって、物凄く独創的というわけではありませんが、実に印象的な存在として描かれていると言えます。

 そして怪獣ものには、その正体を探り対策を立てる碩学の存在が不可欠ですが、それがまた実に本シリーズらしい怪人…いや快人。
 トランシルヴァニア貴族で地質学・考古学・民族学・古生物学に通じ、大のオートバイや自動車好き。第一次大戦では情報将校としてスパイ戦に活躍したという、伝奇冒険活劇のキャラのような人物ですが、これが何と実在の人物とのこと。それだけでも十分にユニークですが、本作ではそのパーソナリティを、実にエキセントリックではた迷惑、しかしどこか茶目っ気があって憎めない、そんなおっさんとして造形しており、血生臭い場面の少なくない本作の清涼剤ともなっています。

 もっとも、実在の人物にあまりに目立つと、架空の主人公たちの存在感が薄れるというのは、時代伝奇ものでしばしば発生する悲しむべき事態ですが、本シリーズの主人公たる猫子爵どのは、元々俺が俺がという自己主張はしないくせにおいしいところはきっちりとさらっていくタイプ(やっぱり猫だ…)。
 本作でも、奇怪な能力を持つにせよ、魔術による生成物ではない――すなわり物理的力でしか滅ぼせない――「獣」を向こうに回し、ヒロインを守っての大活躍。ことに、クライマックスのベルリンの夜を輝きに染めての大追撃戦には興奮させていただきました。

 まあ、その半面、宿敵たる新聖堂騎士団がどうにも目立たないという部分はあり、また、「獣」側のドラマがもう少し突っ込んで描かれていれば、その正体にまつわる悲劇と、ラストのささやかで意外なしかし暖かい奇跡の味わいももう少し高まったかな、