2017.04.26

梶川卓郎『信長のシェフ』第18巻 歴史になかった危機に挑め!

 信長の天下布武もいよいよ佳境、ついに始まった宿敵・本願寺との天王寺合戦。しかしその背後では、三人の現代人たちの思惑が絡み合っています。打倒信長のため、毛利を動かして歴史を変えようとする果心居士=松田に対し、その毛利対策を信長からただ一人任されたケンの策とは――

 自分を認めなかった信長を滅ぼすため、松永久秀と手を組んだ松田。自分が歴史を動かすと豪語する彼は、明智光秀に接近し、本願寺攻めの中で彼に信長を討たせんと暗躍します。
 それも全ては本願寺顕如と久秀の手の上で踊らされているだけだと知り、同じ現代人、いやかつての同僚を見殺しにはできないと、ケンにメッセージを送るようこ。しかし既に本願寺と毛利は手を組み、そして光秀も天王寺砦に追いつめられることに――


 これまで信長を襲った数々の危機を、料理の腕と知識、そして機転で乗り越え、信長を支えてきたケン。しかしそれらの危機は、いずれも史実の上のものであり、あるいは彼の存在がなくとも、信長はその危機を乗り越えることができたのかもしれません。
 しかし今回信長を襲うのは、その歴史にはなかった危機なのであります。

 この巻で描かれる天王寺砦の合戦は、確かに信長が敵よりも劣る戦力で、しかも自らが陣頭に立った数少ない戦いですが、この戦いの相手は本願寺のみでありました。
 しかしこの戦いに毛利が――この後の木津川口の合戦で一度は織田軍に大勝を収めたほどの毛利が参戦していれば、大きく歴史は変わったことでしょう。

 松田が狙うのは、大げさに言えばまさにこの毛利参戦による歴史改変。
 なるほど、タイムスリップした現代人が歴史改変を目論むというのは、タイムスリップ時代劇ではある意味定番ですが、本作においてはこれまでケンがある意味歴史そのものに興味がなかったために、この展開はかなり新鮮に感じられます。

 さて、イレギュラーにはイレギュラーと言うべきか、その毛利にはケンが当たることになるのですが……しかし信長を待ち受けるのは、松田によって巧妙に暗示にかけられた光秀が籠もる天王寺砦に仕掛けた罠。
 史実では自ら砦を囲む敵軍を突破した信長が光秀と合流、すぐさまとって返したことで大勝利を収めるのですが、上に述べたとおり、これも信長にとっては異例の、薄氷を踏む勝利であることは間違いありません。そこで何か一つ歯車が狂えば――

 そんなわけで、この巻で描かれるのは、ケンと信長それぞれが立ち向かう戦いであります。その結果がどうなるか……それをここで述べるのは野暮というものですが、しかし、その過程と結果は、本作をこれまで読んできた者にとっては納得の、そして当然のものであると言うことはできるでしょう。

 物語がある意味二分化されることもあり、これまで以上にケンの料理の出番は少ないこの巻。しかしそれでもここで描かれたものは、『信長のシェフ』という物語が紡ぎ、築いてきたものを踏まえたものであり、例え料理シーンが少なくとも、その味は変わらない……そう再確認させられた次第です。


 しかし一つの戦いが終わり、また浮かぶのはケンと歴史の関係に対する疑問であります。
 果たしてケンの存在は、本当に歴史を変えていないのか。今は結果として歴史は変わっていないだけで、やがては大きく歴史は変わるのではないか。そしてもう一つ、この先、ケンが自らの意志で歴史を変えようとすることはないのか……と。

 しかし信長にとって大きな危機が去った今、その答えが示されるのは、まだまだ先のことかと思いきや……この後ケンを待ち受けているのは、おそらくは小さくとも歴史を変えかねない決断であります。
 そこでまず何が示されるのか。思わぬところで描かれたケンの過去の記憶も含めて、まだまだ気になることは尽きない作品であります。


『信長のシェフ』第18巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 18 (芳文社コミックス)


関連記事
 「信長のシェフ」第1巻
 「信長のシェフ」第2巻 料理を通した信長伝!?
 「信長のシェフ」第3巻 戦国の食に人間を見る
 「信長のシェフ」第4巻 姉川の合戦を動かす料理
 「信長のシェフ」第5巻 未来人ケンにライバル登場!?
 「信長のシェフ」第6巻 一つの別れと一つの出会い
 「信長のシェフ」第7巻 料理が語る焼き討ちの真相
 「信長のシェフ」第8巻 転職、信玄のシェフ?
 「信長のシェフ」第9巻 三方ヶ原に出す料理は
 「信長のシェフ」第10巻 交渉という戦に臨む料理人
 『信長のシェフ』第11巻 ケン、料理で家族を引き裂く!?
 『信長のシェフ』第12巻 急展開、新たなる男の名は
 梶川卓郎『信長のシェフ』第13巻 突かれたケンの弱点!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第14巻 長篠への前哨戦
 梶川卓郎『信長のシェフ』第15巻 決戦、長篠の戦い!
 梶川卓郎『信長のシェフ』第16巻 後継披露 信忠のシェフ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第17巻 天王寺の戦いに交錯する現代人たちの想い

| | トラックバック (0)

2017.04.21

久保田香里『緑瑠璃の鞠』 鬼と人を分かつもの、人が人として生きる意味

 児童向けの歴史小説で活躍している作者が、闇深い平安時代を舞台に描く、一風変わった物語であります。没落貴族の姫君のもとに現れた見目麗しき青年貴族。しかし彼にはある目的が……
(以下、物語の内容にかなり踏み込むことをご容赦下さい)

 前の大宰権帥の娘でありながら、父が亡くなって以来寄り付く者もなく、次々と仕える者も消え、今は女房と女童、下男の三人と荒れ果てた屋敷に暮らす夏姫。そんな中、母の代から姫に仕える女童のわかぎは、自分が屋敷を支えねばと奮闘の毎日であります。
 一方、都では神出鬼没の盗賊「闇の疾風」が跳梁。しかし取るものとてない屋敷とは無縁に思われたのですが……

 そんなある日、屋敷に現れた美しい青年貴族。右近の少将の大江高藤と名乗る彼は、かつて夏姫の父に世話になった恩を返したいと、様々な形で援助を申し出るのでした。
 高藤によって屋敷は美しい姿を取り戻し、何よりも夏姫が高藤に惹かれている様子なのを見たわかぎは、大いに喜ぶのですが……しかし、やがて彼女は高藤にもう一つの顔があることを知ることになるのです。


 正直な印象を申し上げれば、一本の物語としてはかなり大人しめで、平安時代の説話集の一挿話といった趣もなきにしもあらずの本作。
 冒頭で描かれる、夜の都で出会った「小鬼」と「少女」が、誰と誰なのかもすぐに予想がつくため、物語の展開もそのまま予想できるところではあります。

 しかしそれでも本作にはどこか得難い魅力が漂っていると感じられるのは、これは本作の中心となるアイテムであり、本作の題名でもある「緑瑠璃の鞠」によるものであることは間違いないでしょう。
 鬼の宝と言われ、闇の中でも朧な光を放つ鞠。上で述べた小鬼が、かつて少女に与えたこの鞠は、手にした者から恐れや悲しみといった感情を消し去る力を持つアイテムであります。

 夜の闇の恐ろしさや、大事な人間を失う悲しみも、この鞠があればもう感じることはないと小鬼は告げるのですが……しかしそれが真に正しいこと、幸せなことであるかを、本作は問いかけます。
 そしてこの鞠の輝きは、鬼と人を分かつものを、言い換えれば人を人たらしめるものを浮かび上がらせる存在でもあります。さらに言えば、人が人として生きる意味をも――

 恐れを感じないことが、悲しみを感じないことが、人として真に在るべき姿なのか。そこから得られるものも、人の生を豊かにするものもあるのではないか? 
 ストレートに描けばいささか気恥ずかしいこの問いかけを、本作は不思議な鞠の存在を通じて、ごく自然に浮かび上がらせるのです。
 そしてこの鞠にまつわる物語を、夏姫と高藤の姿を見届けるのが、しっかり者のようでまだまだ幼いわかぎというのが、またよくできていると感心させられます。

 紛れもなく夏姫と高藤がこの物語の中心にいるものの、二人の目からでは、本作の物語の景色は、どこか偏ったものとなってしまうでしょう。
 ある意味第三者であり、そしてまだ真っ直ぐにものを見つめることができるわかぎの視点こそが、本作に必要なのだと、本作を最後まで読めば理解できます。


 先に述べたように、本作の物語としての起伏はさほど大きなものではなく、意外極まりない展開が用意されているというわけもありません。
 しかしそれでも、本作で描かれているものは、静かに、そして深く心に染み入るものがあります。それはあるいは、人生のあれこれを経験してしまった大人の方が、より深く頷けるものではないか……そんな気がいたします。


『緑瑠璃の鞠』(久保田香里 岩崎書店) Amazon
緑瑠璃の鞠 (物語の王国 7 )

| | トラックバック (0)

2017.04.19

『コミック乱ツインズ』2017年5月号

 今月も『コミック乱ツインズ』の時期となりました。今月号は、『そば屋幻庵』と『小平太の刃』が掲載されているほかは、レギュラー陣が並びますが、しかしそれが相変わらず粒ぞろい。今回も印象に残った作品を紹介いたします。

『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』(池田邦彦)
 明治時代、鉄道の黎明期に命を賭ける男たちを描く本作は今回から新エピソードに突入。島安次郎の懸命の説得に、国鉄に移籍した凄腕機関士・雨宮が、島の依頼で碓氷峠の視察に向かうことになります。

 碓氷峠といえば、その急勾配でつい最近まで知られた難所。現代ですらそうなのですから、蒸気機関車が運行されていたこの時代、その苦労はどれほどほどのものだったか……
 と、事故が相次ぐこの峠で奮闘する人々が登場する今回。雨宮が見せるプロの技が実にいいのですが、むしろ今回の主役はそんな現地の人々と感じさせられます。

 時代が明治、題材が鉄道と、本誌では異色の作品と感じてきましたが、一種の職人ものとして読めば全く違和感がないと、今更ながらに気付かされました。


『仕掛人藤枝梅安』(武村勇治&池波正太郎)
 「梅安晦日蕎麦」の後編。彦次郎が、恩のある田中屋に依頼され、仕掛けることとなった容貌魁偉な武士・石川。その彼を尾行した梅安は、真の事情を知ることになって――
 と、腕利きの武士相手のの仕掛けを頼まれてみれば、その実、彼こそは……という展開は、この前に描かれたエピソード「後は知らない」と重なる点が大きくてどうかなあと思うのですが、これは原作もこうなので仕方がありません。

 しかしその点に目を瞑れば、魁偉な容貌を持つ者が必ずしも凶悪ではなく、優しげな容貌を持つ者が必ずしも善良ではないという物語は、梅安たち仕掛人という裏の「顔」を持つ者たちと重なるのはやはり面白い。
 そしてこの点で、男たちの顔を過剰なほどの迫力で描く作画者の作風とは、今回のエピソードはなかなかマッチしていたと感じます。
(その一方で、一件落着してから呑気に年越し蕎麦をすする二人の表情も微笑ましくていい)


『鬼切丸伝』(楠桂)
 まだまだ続く信長鬼編。今回のエピソードは明智光秀の娘・珠(細川ガラシャ)を主役とした前編であります。
 本能寺の変で鬼と化し、自らを討った光秀とその血族に祟る信長。血肉のある鬼というより、ほとんど悪霊と化した感のある信長は、最後に残された珠に執拗につきまとい、苦しめることに――

 というわけで、冷静に考えれば前々回のラストで鬼になったばかりなのに、何だかえらいしつこい印象のある信長ですが、さすがに魔王と呼ばれただけあって、鬼切丸の少年も、久々登場の鈴鹿御前も、なかなか決定打を繰り出せないのがもどかしい。
 そんな中、口では否定しても少しずつ珠を、人間を守る方向に心を動かしつつある少年の「人間にしかできぬ御技で呪いに打ち勝て!!」という至極真っ当な言葉に感心してみれば、それが事態を悪化させるとは――

 この国の魔はこの国の神仏にしか滅せぬという概念には「えっ!?」という気分になりましたが(『神の名は』『神GAKARI』は……<それは別の作品)、そろそろ信長とも決着をつけていただきたいところです。


『勘定吟味役異聞 破斬』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに残すところあと2回となった本作ですが、今回はラス前にふさわしい大殺陣というべき展開の連続。敵の本拠とも言うべき金吹き替え所に乗り込んだ聡四郎を待つのは、紀伊国屋文左衛門が雇った11人の殺し屋……というわけで、ケレン味溢れる殺陣が連続するのが実にいい。

 同じ号に掲載された『そば屋幻庵』が静とすればこちらは激しい動、これくらい方向性が異なれば気持ちがいいほどですが、さてその戦いも思わぬ形で妨害を受けて、さあどうなる次号! というところで終わるのは、お約束とはいえ、やはり盛り上がるところであります。


『コミック乱ツインズ』2017年5月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2017年 05 月号 [雑誌]


関連記事
 『コミック乱ツインズ』2016年11月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2016年11月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』2016年12月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2016年12月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』2017年1月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2017年1月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』 2017年2月号
 『コミック乱ツインズ』 2017年3月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』 2017年3月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』 2017年4月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』 2017年4月号(その二)

| | トラックバック (0)

2017.04.18

風野真知雄『密室 本能寺の変』 探偵光秀、信長の死の謎を追う

 戦国史最大の事件たる本能寺の変の謎に挑んだ作品は数多くありますが、本作はその中でもかなりユニークな部類に入るでしょう。何しろ探偵役となるのが、本来であれば犯人であるはずの明智光秀。そして彼が挑む謎とは、自分が攻め込んだ時、既に密室で殺されていた信長の死なのですから――

 天下統一を目前として、ごくごく僅かの手勢のみで、公家、僧侶、商人と、彼に恨みを持つ者たちばかりが集う本能寺に入った信長。愛する信長を守るために警備を固めようとする森蘭丸ですが、しかし信長に一笑に付されることになります。
 なるほど、防備は城塞並み、特に寝所は完全に密室となっている本能寺ですが、しかし刺客の影がちらつく中、危機感を募らせていく蘭丸。

 そしてこの状況に危機感を募らせていた男がもう一人。自分こそが信長に最も信頼されていると自負し、そして蘭丸の存在に嫉妬を燃やす明智光秀であります。
 信長の過信が現在の危険極まりない状況を招いたと憂える光秀は、煩悶の末、ほかの人間に殺されるくらいならばと信長弑逆を決断、本能寺に攻め入ることになります。

 そして始まった明智軍の猛攻の中、信長が寝所から姿を見せないことに不審を抱いた蘭丸。閉め切られた寝所の扉をこじあけてみれば、中にあったのは何と信長の無惨な遺体ではありませんか!

 その事実を知った光秀は、自分が手を下すよりも先に信長が殺されたことに怒りを燃やし、犯人を見つけだそうとするのですが……彼の前に次々登場する、犯人を自称する者たち。
 しかし信長の最期の姿は、彼らの主張する犯行方法ではいずれも成し得ないものであったことから、事態は混迷を極めることになるのであります。


 その作品のかなりの割合でミステリ的趣向を用いたものが含まれている作者。本作もその一つということになりますが、題材といい探偵役といい展開といい、それらの作品の中でも群を抜いてユニークな作品であることは間違いありません。

 とは言うものの、終盤で解き明かされる信長殺害のトリックは、ビジュアル的には面白いものの、実現するにはあまりに無理があり、これはミステリファンの方は激怒するのでは……というのが正直な感想であります。

 しかし、真犯人の犯行理由は――こちらはむしろ普通の歴史小説ファンが怒り出しそうなのですが――作者のファンとしては、なるほど、と感じさせられました。
 本作に登場する(光秀を含めた)容疑者の誰に比べても、遙かに「つまらない」ものである彼の動機。しかしその動機は、まさしく信長がこれまでの覇道で踏みにじり、一顧だにしなかったものの象徴と感じられるものなのですから。

 思えば作者は、デビュー作以来、常に強者より弱者、勝者よりも敗者、高所よりも低所からの視点を好んで描いてきた作家。だとすればこの真犯人像も、(小説として盛り上がるかは別として)大いに頷けるものがあるのです。
 そしてさらに言えば、光秀と容疑者たちの対話の中から、言い換えれば容疑者たちの犯行動機から浮かび上がるのは、英雄と称されてきた信長の負の側面……と言うのがキツい表現であれば、信長の英雄らしからぬ側面であります。

 本作はユニークなミステリとしての形式を取りながらも、むしろその中で信長の姿を、通常とは異なる角度から描き出そうとしていたのではないか――
 と牽強付会気味に感じたのは、これは作者がこれまで、『魔王信長』『死霊大名』といった作品の中で、これまた特異な形で信長を扱ってきたからなのですが。


 とはいえ、このような内容であれば、その信長の正の側面……光秀と蘭丸が愛する信長の魅力も、より掘り下げて描かれる必要があるように思うのですが、それが今ひとつ見えないのもまた事実。やはりアイディアと趣向は非常に面白いものの、色々と勿体ない作品と言うべきでしょうか。


『密室 本能寺の変』(風野真知雄 祥伝社) Amazon
密室 本能寺の変

| | トラックバック (0)

2017.04.07

唐々煙『煉獄に笑う』第6巻 誕生、曇三兄弟!?

 舞台化も決定し、『曇天に笑う』にも負けず盛り上がる本作。巻数も本編と並びつつも、まだ先のわからぬ物語が展開していきますが……しかし今回、ついに佐吉と曇の双子が結びつき、そして佐吉が信長と対面と、物語を左右する数々の出来事が描かれることになります。そして最後には大きな爆弾が……

 ついに明らかになった大蛇の器候補者たちの顔ぶれ。その一人であった佐吉は、大蛇の力を求める百地一党と結んだ安倍清鳴の罠で、故郷の石田村襲撃の濡れ衣を着せられることになります。
 最高のタイミングで登場した曇の双子によって辛くも佐吉たちと石田村は救われたものの、人々の目は佐吉に厳しいまま。しかしそこで佐吉はある行動を……

 ということで、曇の双子の満を持しての復活という前巻のラストを経ても、なおも重い展開が続くこの第6巻。
 何もそこまでしなくとも……と佐吉の行動には思わされますが、しかしそれでもなお、自分の無力さを嘆きながらも、時代の不幸を不幸として受け入れることを拒否して立ち向かおうとする佐吉の姿は、清々しく映ります。

 そしてその佐吉の不器用な真っ直ぐさは、ついにあの二人を動かすこととなります。一人では無理でも、二人なら、いや三人ならば……主と部下ではなく、兄弟として、佐吉と曇芭恋、曇阿国は、義兄弟の契りを交わすのであります。
 ここに曇の三兄弟が誕生、さらに佐吉は「三人ならば成せる」と、三成の名乗りを――

 そうきたか! と唸り、そしてニンマリしてしまうようなこの展開。ここに至るまで本当に長かった……としみじみ思いますが、正直に言って予想だにしなかった展開であるものの、しかし同時にこれこそが見たかったものだと心から思わされる内容に、ただただ脱帽であります。


 しかしここで三兄弟はいきなり難敵にぶつかることになります。大蛇を求め、そして自らも器の一人である信長――安土城に潜む魔王が、佐吉の持つ髑髏鬼灯の巻物を求め、出頭を命じたのですから。
 というより信長による佐吉召喚は、この騒動以前からのもの。ある意味ようやく本筋に戻ったわけですが……しかし本作の信長は一筋縄でいく存在ではありません。

 何しろ、そのビジュアルはどうみても(安倍)比良裏……大蛇との戦いのために転生を続け、『泡沫に笑う』『曇天に笑う』とシリーズ皆勤(?)を果たしている人物なのですから。
 あるいは他人の空似ということもあるかと思いましたが、しかしこの巻でのある描写を見るに、やはりこの信長は比良裏の転生と思うべきなのでしょう。

 しかし少なくとも現時点では、大蛇打倒を志しているとは到底思えぬ信長。その信長に対して、佐吉の、「三成」の選択は……もちろん、期待に決して違わぬものなのですが、しかしそれに巻き込まれる者もおります。
 この巻の後半では、佐吉の数少ない友であり、巻物を託された大谷紀之介と、百地八它烏の一人・海臣が激突が描かれることになるのであります。

 ……正直に申し上げて、八它烏が登場すると話が長くなるので個人的には好きになれない(しかも今回は、紀之介には申し訳ないのですが主役級不在のバトル)のですが、曇の双子に仕える伊賀者・鬼平太という助っ人を絡めてのバトルはそれなりに面白い。
 しかも実は紀之介もまた大蛇を……? という捻った展開もあり、これ以上話が広がるのはどうかなあ、と思いつつも、やはり楽しんでしまうのもまた事実であります。
(しかし紀之介の後の名を考えれば、彼のアレはアレなのでしょう……)


 などと思っている間にも歴史は動き続け、迫るは信長による伊賀攻め。これに抗する急先鋒である百地丹波は、何故か芭恋の前に現れ、ある言葉を告げるのですが――
 いやはや、ここに来て、とんでもない爆弾が大爆発。果たしてこれが真実かはわかりませんが、一歩間違えれば、がらりと物語の勢力分布が変わりかねない内容ではあります。

 さて、これを受けての芭恋の選択は……全くもって気になるところで次の巻に続くのであります。


『煉獄に笑う』第6巻(唐々煙 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon
煉獄に笑う 6 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


関連記事
 「煉獄に笑う」第1巻 三百年前の戦いに集う者たち
 『煉獄に笑う』第2巻 へいくわいもの、主人公として突っ走る
 唐々煙『煉獄に笑う』第3巻 二人の真意、二人の笑う理由
 唐々煙『煉獄に笑う』第4巻 天正婆娑羅活劇、第二幕突入!
 唐々煙『煉獄に笑う』第5巻 絶望の淵で現れた者

| | トラックバック (0)

2017.04.06

久保田香里『青き竜の伝説』 絶対的な存在などない世界で

 2001年に創設されて以来、「小学校高学年から読め、冒険心に満ち溢れた長編小説」を輩出してきた岩崎書店のジュニア冒険小説大賞。その第3回大賞を受賞した本作は、一人の少年を通じて、古代を舞台に、人と人、人と精霊の関わりを描くファンタジーであります。

 遙かな昔、山と谷に囲まれた遠見の村で暮らす少年・あかるは、西国からやって来た倭国の皇子・一鷹の一行と出会います。
 一行を村に迎え入れたあかるですが、倭の将軍であり一鷹の祖父・大彦は、兵を率いて村を占拠。あかるは、幼なじみの新米巫女・更羽とともに、一つの伝説を頼りに辛くも村から逃がれることになります。

 その伝説とは、偉大な力を持つ湖の巫女と、湖の精霊である青き竜・みずちの物語。強大な力で悪しきものを押し流すというみずちの力を求め、巫女がいるという那見の国を目指す二人ですが、しかしようやく辿り着いたその国は姿を変えていて――


 東征を続ける倭の軍勢と、精霊を崇める土着の人々という題材を見れば、その両者の対立を描く物語だと想像できる本作。その想像は全くの外れではありませんが、しかし本作は決してそれのみに終わる物語ではありません。

 倭を撃退するためにあかると更羽が頼った那見の国。しかし二人の見たその国は(倭が単純な悪ではないのと同様)決して聖なる国というわけではなく、むしろある側面においては倭と全く変わらないものであることが描かれることとなります。

 そしてまた、あかるが出会った初めての倭国人である一鷹もまた、単純な侵略者としては決して描かれません。
 東征軍に皇子として戴かれながらも、その実、お飾りでしかない自分の立場に屈託を抱えた一人の少年であった一鷹。そして彼は、その想いを抱えつつ、あかると少年同士共鳴する姿が描かれるのです。

 そして本作に登場するその他の国も、その他の登場人物も、また同様に様々な側面を持つ存在として描かれることとなります。
 完全に善の国もなければ、完全に悪の国もない。完全な善人もいなければ、完全な悪人もいない。現実世界を見回せばごく当たり前の真実ではありますが、本作はその真実を、様々な角度から浮き彫りにしてみせるのです。

 そんな物語の中で、偉大な精霊であるみずちは、ある意味最もニュートラルな存在と言えるかもしれません。しかしクライマックスで描かれるそのみずちの存在もまた、決して万能の神などではないことが浮き彫りとなるのです。
(その点からすれば、作中でみずちが無人格的存在として描かれるのは正しい、と感じます)


 みずちを含め、絶対的な存在などない世界。それはこの物語に単純な価値判断の基準などなく、そして単純に敵を倒せば、味方を救えばめでたしめでたしとなるわけではない、ということを意味します。
 戦って勝てば良しというのであればどれだけ楽であったか……あかるは、そんな困難に直面しつつも、自らにできることを模索していくこととなります。

 そしてその模索の先に、彼がたどり着いたもの――それは決して百点満点のものではなく、一抹の苦みを伴うものあるといえるでしょう。
 しかしその結末以上に、そこに至るまでの過程にこそ、大きな意味と価値がある……本作のラストで描かれる人々の姿は、それを何よりも雄弁に物語るものなのです。
(そしてそこに、少年の成長と、人間の発展を重ね合わせて見ることは容易いでしょう)


 遙かな古代を舞台とした冒険ファンタジーを展開しつつ、その中に陰影に富んだ世界の、人々の姿を……そしてその中から生まれる希望の姿を描いてみせる。
 大賞もむべなるかな、と言うべき佳品です。


『青き竜の伝説』(久保田香里 岩崎書店) Amazon
青き竜の伝説

| | トラックバック (0)

2017.04.04

木村忠啓『慶応三年の水練侍』 幕末武士が特訓の果てに見たもの

 毎回ユニークな題材の作品が登場する朝日時代小説大賞の第八回大賞受賞作は、タイトルのとおり水練・水術――水泳を題材とした物語。幕末の動乱に揺れる津・藤堂家を舞台に、藩の行方を左右する水泳勝負に挑む羽目になった一人の侍の奮闘が描かれます。

 佐幕か勤王かで、日本中が割れることとなった動乱の慶応三年。それまで中道を行っていた藤堂家にもその動きが波及してきた頃――砲術師範・市川清之助は、突如、水術試合への参加を命じられます。
 試合の相手は、江戸で水術を修め、そして勤王思想に傾倒した江戸帰りの俊英・谷口善幸。彼は、かつて清之助が敬愛していた先輩・善之丞の息子であります。

 しかし17年前、藩の火薬工場の爆発事故で父が死に、清之助が生き延びたことを逆恨みして、次々と嫌がらせを仕掛けてくる善幸。
 さらに藩内の勤王派のリーダー的存在となっていた彼が勝てば、藩内で勤王派が力を増し、藩を二分しかねない……それを恐れた佐幕派によって、清之助は佐幕派の代表選手扱いをされることになります。

 高慢な善幸に一泡吹かせるため、そして藩内の争いを防ぐため、決して負けられない戦いに挑む清之助。しかし問題が一つ――実は彼は水術は苦手だったのであります。


 という本作の基本設定が描かれるのは、冒頭から1/4程度の辺りまで。本作は、そこから終盤まで、ひたすら清之助の水術訓練が描かれることとなります。

 今の実力では到底かなわない相手に勝つため、主人公が個性的な師匠の下、奇想天外な特訓を繰り広げる……それは、スポーツものや格闘技ものの一つのパターンと言えます。
 本作もそうした物語なのですが、さて、どのような特訓が……と思えば、本作の舞台は津・藤堂家。藤堂家といえば伊賀上野、伊賀といえば――そう、忍者!

 かくて清之助は、伊賀者から特訓を受ける
ことになるのですが、彼のコーチ役を務めるのは、訓練の指示以外はほとんど全く語らぬ無愛想な伊賀者・伊八。清之助は、この伊八から次々と理不尽としか思えぬ特訓を課せられることになります。
 延々と薪を割らされる、地面に落ちた豆を素早く拾って棚の上に置く、尺八を演奏する……清之助は、到底水泳と関係あるとは思えぬ特訓を強いられる上に、食事は粥や豆腐ばかりという過酷な暮らしを数ヶ月に渡り強いられるのです。

 もちろん、実はこれらの特訓に意味があるのは言うまでもありません。その特訓をクリアしていくことで、以前とは比べものにならぬほど水術の腕を上げる清之助ですが……しかしそれでも善幸の壁は高い。
 最後の策として、清之助と伊八は伊賀の秘術を元に新たなる泳法を編み出さんとするのですが、その姿はなんと――


 先に述べたように、本作の大半を割いて描かれるこの特訓シーン。しかしそれが全く飽きることなく一気に読めてしまうのは、一つにはデビュー作とは思えぬ作者の筆力があることは間違いありません。
 しかしそれに加えて本作の魅力は、そのある意味ストレートな勝負に、幕末という時代、藤堂家という舞台を組み合わせ、さらに清之助の成長物語に重ね合わせることで、物語に深みを与えていることでしょう。

 佐幕か勤王か、旗幟を鮮明にすることなく渡ってきた藤堂家(もっともこの後、藤堂家は幕末史に残る大転回を見せるのですが)。その主家において清之助もまた、日々を静かに送ってきました。そこに現れた善幸という存在……それは清之助を大きな嵐に巻き込むこととなります。

 その清之助が挑む特訓で彼を突き動かすのは、初めは善幸への怒り、そして善幸に勝ちたいという思いでしたが……しかしその中で彼は、自分が勝つべき相手は、それまでの環境に安住してきた自分自身であったことに気づくのです。
 そしてその特訓のコーチである伊八に代表される伊賀者も、忍びには思想はない、と超然とした態度を見せつつも、やはり時代のうねりの中に巻き込まれていくことになるのを、清之助は目撃することになります。

 そんな清之助の想いの変化と水術勝負が重なり、その果てに彼が選ぶ道は、そこで見たものは……その結末に、あるいはすっきりとしないものを感じる方もいるかもしれません。しかしこれは物語で提示されてきた一つの価値観を体現した、見事な結末と言うべきではないかと私は思います。


 作者は今後もスポーツ時代小説にチャレンジすることを宣言している由、これは楽しみな作家が登場したものです。


『慶応三年の水練侍』(木村忠啓 朝日新聞出版) Amazon
慶応三年の水練侍

| | トラックバック (0)

2017.04.02

入門者向け時代伝奇小説百選 怪奇・妖怪(その一)

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回はある意味この百選のキモである怪奇・妖怪ものの紹介(その一)であります。

26.『おそろし 三島屋変調百物語事始』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)

26.『おそろし 三島屋変調百物語事始』(宮部みゆき)【江戸】 Amazon
 数多くのジャンルで活躍する作者が得意とする時代怪談の名品、数年前に波瑠主演でNHKドラマ化された作品です。
 ある事件が原因で心を閉ざし、叔父夫婦の営む三島屋に預けられた少女・おちか。彼女はふとしたことから、様々な人々が持ち込む不思議な話の聞き役を務めることに――

 というユニークな設定で描かれる全5話構成の本作は、題名のとおり真剣に恐ろしい物語揃いの怪談集。しかしそんな恐ろしい物語に聞き手として、時には当事者として向き合うことにより、おちかの心が少しずつ癒され、前に向かって歩き出す姿には、作者の作品に通底する人間という存在の強さが感じられます。
 副題通りの百話目指し、今なお書き継がれているシリーズであります。

(その他おすすめ)
『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』(宮部みゆき) Amazon
『あやし』(宮部みゆき) Amazon


27.『しゃばけ』(畠中恵)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 大店・長崎屋の若だんな・一太郎は生まれついての虚弱体質で、過保護な兄やの佐助と仁吉に口うるさく構われる毎日。しかし若だんなは妖を見る力の持ち主、実は大妖の佐助と仁吉とともに、次々と奇怪な事件に巻き込まれて――という妖怪時代小説の代名詞と言うべきシリーズの第1弾です。

 人間と妖のユーモラスで賑やかな騒動を描くいわゆる妖怪時代小説のスタイルを作ったとも言える本作は、しかし同時に、ミステリ性も濃厚な物語。
 続発する奇怪な殺人事件に巻き込まれた若だんなが解き明かすのは、この世界観だからこそ成立する奇怪なロジック。そしてその先には、苦い人間社会の現実が――

 連作スタイルで今なお続くシリーズを貫く魅力は、この第1弾の時点から健在なのです。

(その他おすすめ)
『ゆめつげ』(畠中恵) Amazon
『つくもがみ貸します』(畠中恵) Amazon


28.『巷説百物語』(京極夏彦)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 妖怪といえばこの人、な作者の代表作の一つであり、幾度も映像化・漫画化されてきた本作。しかし作者の作品らしく一筋縄ではいかない妖怪時代小説であります。

 戯作者志望の青年・百介が旅先で出会った謎めいた男・御行の又市。一癖も二癖もある面々と組む彼の稼業は、表沙汰にできない面倒事の解決や悪党への復讐を請け負うことでありました。
 妖怪の仕業にしか見えない不可解な事件を引き起こし、その陰に隠れて仕掛けを行う本作は、作者が愛してやまない必殺シリーズmeets妖怪的味わいの連作集です。

 百鬼夜行シリーズ(京極堂もの)とは表裏一体とも言える本作は、その後も後日譚・前日譚と数多く書き継がれ、更なる続編が待たれるシリーズです。

(その他おすすめ)
『続巷説百物語』(京極夏彦) Amazon


29.『一鬼夜行』(小松エメル)【幕末・明治】 Amazon
 妖怪時代小説の旗手の一人である作者のデビュー作にして代表作、明治の東京を舞台にした賑やかでほろ苦い妖怪活劇です。

 ある晩、空から古道具屋を営む青年・喜蔵の前に落ちてきた自称大妖怪の少年・小春。百鬼夜行からこぼれ落ちたという小春が居候を決め込んで以来、様々な妖怪沙汰に巻き込まれる喜蔵ですが――

 小生意気な小春と、妖怪も恐れる閻魔顔の喜蔵の凸凹コンビが活躍する本作、人間と妖怪のバディものは定番ですが、ここまで二人のやり取りが楽しい作品は他にはありません。
 その一方で、それぞれ孤独を抱えた人と妖が寄り添い、絆を深める人情ものとしても魅力的な本作。今なおシリーズが書き継がれているのも納得です。

(その他おすすめ)
『夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記』(小松エメル) Amazon


30.『のっぺら あやかし同心捕物控』(霜島ケイ)【江戸】 Amazon
 『封殺鬼』シリーズなど伝奇アクションで90年代から活躍してきた作者の初時代小説は、とんでもなくユニークな妖怪ものであります。
 主人公の千太郎は江戸町奉行所の敏腕同心。腕が立ち、正義感に溢れて情に厚い、江戸っ子の人気者なのですが……何と彼はのっぺらぼう。あやかしを退治する同心ではなく、あやかしが同心なのです。

 しかし本作はパラレルワールドものではありません。江戸にのっぺらぼうがいたらどうなるか……本作は丹念に描写を積み重ねることでその難題(?)をクリアするのです。
 そしてもちろん、千太郎が挑む事件も奇っ怪極まりないものばかり。人間が、妖が引き起こす怪事件に挑む千太郎の姿は、「男は顔じゃない」と思わせてくれるのであります。


今回紹介した本
おそろし 三島屋変調百物語事始 (角川文庫)しゃばけ (新潮文庫)巷説百物語 (角川文庫)(P[こ]3-1)一鬼夜行 (ポプラ文庫ピュアフル)のっぺら あやかし同心捕物控え (モノノケ文庫)


関連記事
 「おそろし 三島屋変調百物語事始」 歪みからの解放のための物語
 「一鬼夜行」 おかしな二人の絆が語るもの
 「のっぺら あやかし同心捕物控」 正真正銘、のっぺらぼう同心見参!

| | トラックバック (0)

2017.03.28

八犬伝特集その二十 越水利江子『南総里見八犬伝 運命に結ばれし美剣士』

 越水利江子といえば、『忍剣花百姫伝』『うばかわ姫』といったオリジナルの時代ものがまず浮かびますが、その一方で児童向けの偉人伝や古典リライトでも活躍している作家。本作もその系譜に属する作品ですが、なかなかに完成度の高い、単純なダイジェストに留まらぬ八犬伝として成立しています。

 この『ストーリーで楽しむ日本の古典』は、児童文学の老舗・岩崎書店が刊行しているヤングアダルト作家による古典リライトシリーズ。執筆陣には金原瑞人、那須田淳、令丈ヒロ子等々、錚々たる面々が並びますが、本書の越水利江子も、これまで『とりかえばや物語』『落窪物語』『東海道中膝栗毛』を刊行しています。

 そのシリーズの最新巻である本作は、言うまでもなく曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』をベースとしたもの。
 この八犬伝、大人よりもむしろ子供の間で人気なのではないか……と思ってしまうほど、児童文学の出版社それぞれからリライトが刊行されており、その幾つかはこのブログでも紹介させていただいております。

 もちろんそのアプローチは千差万別、可能な限り原典に忠実な作品もあれば、原典をベースにアレンジを加えたもの、あるいは題材のみを借りたほとんどオリジナルの作品すらありますが……本作は、相当に原典に忠実な部類と言えるでしょう。

 結城合戦に始まり、里見義実と伏姫の物語から、八犬士誕生と来て、信乃の登場と荘介との義兄弟の契り、浜路くどきから道節登場、芳流閣の決闘――いずれも八犬伝ならではの見せ場ですが、本作は原典の要素をほぼそのままに、それらを巧みに再構築してみせます。
 もちろん、必ずしも原典そのままではないものの(特に房八とぬいのくだりは相当にアレンジ)、本作は基本的に新しい要素は足さずに、原典の物語を再現してみせることに成功しているのです。
(玉梓が怨霊の出番がほとんどないというのも、実はリライトでは非常に珍しい)

 しかし、個人的に一番印象に残ったのは、その情景・心理描写の美しさであります。
 富山の自然の中での伏姫と八房の生活、信乃と浜路の出会い、芳流閣の上からの眺望など、原典の名場面の間にふと差し挟まれる描写の美しさは、本作ならではの魅力として、特筆すべきものでしょう。
 例えば、
「冬ごもりの雪雲はいつしか晴れ、春霞が立てば、朝鳥が友を呼んで鳴きかわす。(中略)
 夏の夜には、谷川の苔石は、昼間の陽のぬくみを残してやわらかく、苔石に腰かけ、見上げれば、三日月の青く冴えわたるのに、伏姫の胸はせまった。
 夏の夕立で洗い流した黒髪も、秋ともなればやや冷えて、織りなす谷の紅葉も散りつもり、松風が吹きこむ伏姫の寝床の岩窟は、いつしか錦の床となっていた。」
というように――


 このように、子供に限らず、我々が読んでも十分に面白い本作ですが、しかし一点本当に残念なのは、本作が荒芽山のくだり――一旦は集結した五人の犬士が、管領軍の襲撃に散り散りとなる場面で終わっていること。

 もちろん原典の分量を考えれば、一冊で全てを収めることは不可能であることは間違いありませんが、これだけの水準のものであるからこそ、勿体無いというほかありません。
 この後も数々の名場面が存在する『南総里見八犬伝』。いつかそれらの名場面を作者の筆で読むことができるよう、願う次第です。


『南総里見八犬伝 運命に結ばれし美剣士』(越水利江子 岩崎書店ストーリーで楽しむ日本の古典) Amazon
ストーリーで楽しむ日本の古典 (19) 南総里見八犬伝 運命に結ばれし美剣士


関連記事
 八犬伝特集 インデックス

| | トラックバック (0)

2017.03.23

唐々煙『曇天に笑う 外伝』下巻 完結、三兄弟の物語 しかし……

 アニメ化、舞台化、実写映画化と、本編終了から時間が経ってなおも盛り上がる『曇天に笑う』。その外伝である本作もアニメ化が決定とのことですが、物語はこの巻でいよいよ完結となります。。大蛇(オロチ)が滅んでもなおその力を弄ぶ人間たちに対して、曇三兄弟が最後の戦いを挑むことになります。

 かつて政府によって極秘裏に研究されてきた大蛇細胞。大蛇が倒されて以来、破却されたはずの研究が、今なお続けられている……人体実験の被験者と遭遇したことで、この忌まわしい事実を知ってしまった空丸と武田。
 兄・天火のような犠牲者を出さないため、実験施設の存在を探った二人は、そこで自分たちの上司であった「犲」の隊長・安倍蒼世をはじめとするメンバーが企てに関わっていたのを知ることになります。

 大蛇と戦うために存在してきた、そして誰よりも大蛇の脅威を知る蒼世たちの、裏切りにも等しい行為に衝撃を受ける二人。そんな二人と、同行する宙太郎と錦に襲いかかるのは、被験者の最後の生き残りである凶暴な男・虎。
 そして妃子とともに旅を続けていた天火も、(意外な人物から)一連の事件を聞かされ、空丸たちに合流すべく急ぐのですが――


 本編終了後に描かれる前日譚や後日譚という、文字通りの「外伝」としてスタートした本作。その後、中巻辺りから本作はその様相を変え、むしろもう一つの本編、「続編」とも言えるような内容で展開してきました。

 この大蛇細胞実験のエピソードに加え、さらに比良裏と三兄弟の前から姿を消した牡丹のエピソードまで並行して展開し、果たしてあと1巻で完結するのか……と中巻を読んだ時には感じたのですが、中巻よりも約100ページ増量となったものの、ここに大蛇細胞を巡る物語は完結することになります。。

 天火と蒼世との対決、空丸と蒼世との対決、空丸たちと黒幕の対決、空丸と虎の対決……バトルに次ぐバトルの果てに描き出されたのは、天火の跡を継ぎ、曇家の当主として、そして一人の剣士として空丸が立つ姿であります。

 この『曇天に笑う』という物語の本編において、曇家と大蛇の長きに渡る因縁には決着がつきました。その中で空丸の成長も描かれてはきたのですが――
 なるほど、空丸の天火超え、蒼世超えは明確には描かれなかったことを思えば、この外伝は「曇家と大蛇」の物語を踏まえたものでありつつも、「曇家の三兄弟」の物語、特に曇空丸の物語であったと言うべきなのでしょう。

 この巻に入ってからのバトルの釣瓶撃ちはまさにこれを描くためのものであった……そう感じます。

 もっとも、その中で描かれた空丸のある種異常な、危険なまでの捨身ぶり、さらにいえば宙太郎の強さへの想いについては、その先が描かれずに終わった感もあります。
 しかしそれは『曇天に笑う』とはまた別の――大蛇との戦いを描く物語とは離れた――三兄弟自身の物語ということになると思えばいいのでしょう。

 何はともあれ外伝も大団円。これまでの三兄弟の、周囲の人々の過去を振り返りつつ、その先の未来にも希望の光を感じさせる美しいエピローグとともに、本作は完結したのであります。
(以下、本作のある意味核心に踏み込みます)


 ――いや、比良裏と牡丹はどこへ行った?

 そう、本作において牡丹を探す比良裏は、この下巻冒頭でフェードアウト。物語が終盤に近づくにつれ、その不存在が気になって仕方がなかったのですが……まさかそのまま終わるとは。

 これは一体どういうことなのかしら……とさすがに考え込んでしまったのですが、どうやら二人の物語は、『泡沫に笑う』として完結する様子。
 外伝の外伝というのはちょっと驚かされましたが、大蛇に対する存在として、曇家に並んで比良裏と牡丹のカップルが存在することを思えば、この複線化はありえることなのかもしれません。
(この辺り、『煉獄に笑う』では両者の関係をうまくアレンジしていると思いますが)

 何はともあれ、ファンとしては最後までついていくしかありません。長きに渡る物語の最後の最後に何が描かれるのか……それが笑顔であることを疑わず、待ちたいと思います。

『曇天に笑う 外伝』下巻(唐々煙 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon
曇天に笑う 外伝 下 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


関連記事
 「曇天に笑う」第1巻
 「曇天に笑う」第2巻 見えてきた三兄弟の物語
 「曇天に笑う」第3巻 曇天の時代の行く先は
 「曇天に笑う」第4巻 残された者たちの歩む道
 「曇天に笑う」第5巻 クライマックス近し、されどいまだ曇天明けず
 「曇天に笑う」第6巻 そして最後に笑った者
 「曇天に笑う 外伝」上巻 一年後の彼らの現在・過去・未来
 唐々煙『曇天に笑う 外伝』中巻 急展開、「その先」の物語

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧