2018.09.17

「コミック乱ツインズ」2018年10月号


 今月の『コミック乱ツインズ』は、表紙が『軍鶏侍』、巻頭カラーが『勘定吟味役異聞』。特別読切等はなしの、ほぼ通常運転のラインナップです。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介いたします。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 上に述べたとおり巻頭カラーの本作ですが、主人公のチャンバラは今回なし。というより、今回のエピソードに関わる各勢力の思惑説明回という趣であります。シリーズ名物の上役から理不尽な命を下される(そして聡四郎を逆恨みする)役人も登場、文章で読むとさほどでもありませんが、絵でみるとかなり可哀想な印象が残ります(普通のおじさんなので)。

 さて、今回聡四郎の代りに活躍するのは、相模屋の職人頭の袖吉。これまでも何かと聡四郎をフォローしてきた袖吉ですが、今回は潜入・探索要員として寛永寺に潜入して重要な情報を掴むという大金星であります。すごいな江戸の人入れ屋……


『軍鶏侍』(山本康人&野口卓)
 久々の登場となった印象のある本作ですが、面白いことに今回の主役は軍鶏侍こと岩倉源太夫ではなく、彼が家に作った道場に通う少年・大村圭二郎。父が横領で腹を切った過去を持ち、鬱屈した日々を追る彼は、ある日、淵で主のような巨大な鯉と出会って……

 と、少年の一夏の冒険を描く今回。周囲の人間とうまく係われずにいた圭二郎が大鯉と対峙する姿を、時に瑞々しく、時に荒々しく描く筆致の見事さは作者ならではのものと言うほかありません。
 師として、大人として、圭二郎を見守る源太夫の立ち位置も実に良く(厭らしい言い方をすれば、若い者に格好良く振舞いたいという読者の要望にも応えていて)、彼の命で圭二郎を扶ける老僕の権助のキャラクターも味わいがあり、良いものを読むことができました。


『カムヤライド』(久正人)
 出雲編の後編である今回は、出雲国主の叛乱に乗じて復活した国津神・高大殿(タカバルドン)との決着が描かれることとなります。
 真の姿を現した高大殿の前に、流石のモンコ=神逐人(カムヤライド)も追い詰められることになるのですが……
 変身ヒーローのピンチ描写では定番の、そして大いに燃えるマスク割れも出て、クライマックス感満点であります(ここでサラリとモンコのヒーロー意識を描いてくれるのもいい)。

 ここでカムヤライドの攻撃も通用しない強敵を前に、モンコが用意する対抗手段も意外かつユニークなのですが、盛り上がるのはそのためにモンコがヤマトタケルを対等の相棒として協力を求めるシーン。自分の王家の血にはそんな特別な力はない、と躊躇うヤマトタケルに対するモンコのセリフは、もう殺し文句としかいいようのないもので、大いに痺れます。
(この出雲編では、冒頭から「王家の血」の存在が様々な形で描かれていただけに、モンコがそれをバッサリと切り捨ててみせるのが、実にイイのです)

 そしてラストでは意外な(?)次回へのヒキも用意され、大いに気になるところであります。


『用心棒稼業』(やまさき拓味)
 冒頭のセリフ「酷暑(あつ)い…」が全てを物語る、ひたすら暑い強烈な日差しの下で男たちが過剰に汗を流しながら繰り広げられる今回の主人公は、冒頭のセリフの主である海坂坐望。「仇討」の仇名のとおり、兄の仇を追って長きに渡る旅を続けている坐望ですが……

 川で流されていた少女を助けのがきっかけで、その父である髭浪人・左馬之助と出会った坐望。竜水一刀流の遣い手である左馬之助と語るうちに、かつて主命によって望まぬ人斬りを行い、藩を捨てたという彼の過去を知る坐望ですが、それは彼と無縁ではなく――というより予想通りの展開となります。
 そしてクライマックス、町のヤクザ同士の出入りの助っ人として対峙することとなる坐望と左馬之助。坐望の心の中に既に恨みはなく、左馬之助は坐望の過去を知らず――ただ金のためという理由で向き合う二人の姿は、武士の、用心棒という稼業の一つの姿を示しているようで実に哀しい。

 その哀しさを塗りつぶすかのように過剰にギラギラ照りつける日差しと、ダラダラ流れ続ける汗の描写も凄まじく、息詰まる、という表現がふさわしい今回のクライマックス。
 ラストでちょっと一息つけるものの、これはこれで気になる展開ではあります。


「コミック乱ツインズ」2018年10月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年10月号[雑誌]


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2018.09.13

北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第3巻 二人のますらおを分かつ死と生


 人を信じず、ただ戦の中においてのみ生を実感する青年・源義経を描く『ますらお 秘本義経記』の第2シリーズ、待望の第3巻であります。愛する人のため、義経の首級を挙げるために孤独な戦いを続ける那須与一と義経の対決の決着は、そして源氏と平氏の決戦の行方は……

 人や動物の心を感じることができる異形の右目と、恐るべき弓矢の腕を持つ男・那須与一。己を広い、慈しんでくれた「姉」――ただ一人自分を人間扱いし、己に「与一」の名を与えてくれた彼女に報いるため、彼は執拗に義経を狙うものの、天運味方せず幾度も取り逃がすことに。
 さらに女子供の窮地を見過ごせない性格故に源範頼の暗殺に失敗した彼は、逃走中に瀬戸内の海賊衆頭目の女丈夫・瑠璃に救われたものの、彼女に迫られて……

 と、前シリーズに登場したキャラクターの久々の登場(色々な意味で逞しく成長して……)で昔からのファンには盛り上がる展開ですが、しかし与一は相変わらず良くも悪くも一途な男。
 瑠璃の誘惑を撥ね付け、逆に彼女に気に入られた与一は、平氏の陣に帰るのですが――その彼を思わぬ悲劇が待ち受けます。

 度重なる暗殺失敗のため、そして敗戦の責をなすりつけられて、裏切りの濡れ衣を着せられて捕らえられる与一。
 家族であったはずの那須一門からも裏切られ罵られ、それでも耐える与一ですが、最愛の姉までもが裏切り者として捕らえられ、手荒に扱われるのを目の当たりにして、ついに彼の怒りは大爆発することになります。

 それでも彼が生き延びることを望む姉の想いを受け、瑠璃の手引きでその場を逃れる与一。もはや姉を救うには、義経の首を手土産にするしかないと、瑠璃を謀り、与一は義経に会うために京へ向かいます。
 一方義経は、戦に出ることも許されぬまま、妻に迎えた郷御前と静御前に挟まれ、それなりに賑やかな毎日を送っていたのですが、再び現れた与一を前にして……


 こうして第2巻冒頭以来、再び出会うこととなった義経と与一。かたや源氏の(一応)御曹司、かたや平氏方の武家に拾われた野生児と、その身分や立ち位置はほとんど正反対であれど、この二人は極めて似た、大きな共通点を持つ存在として描かれてきたという印象があります。
 その共通点とは、戦いの中でしか己の存在を肯定できないこと――すなわち、戦いの中でしか他者とのコミュニケーションを取れないこと。

 共に孤独な少年時代を送り、その中から這い上がってきた彼らは、己の力のみが頼りであり、それ故にその力を発露する場――すなわち戦場においてのみ、人間として認められるという、極めて皮肉な存在なのであります。
 普通であれば人間性が否定される場においてのみ、人間性を発露できる――そんな義経の悲劇を描くのがこの『ますらお』という物語であるとすれば、与一は、もう一人の義経であると言ってもよいのでしょう。

 しかし、義経は与一をもう一人の自分――とは言わないまでも、己と同類と見なしているふしがある一方で、与一は己と義経を異なる存在と見ているのがまた面白い。
 そして与一にそう感じさせるのは、言うまでもなく彼にとっては生きる理由、生きなければならない理由があるから――己の命よりも大事な女性がいるからにほかなりません。

 義経がどれだけ周囲を惹きつけ、慕われても、それを弱さと否定し、他者を拒絶して戦に――死に向かうのに対して、与一はただ一人の女性を愛し、そのために生きようとする。(もっともそのために与一には彼女以外の他者がいないようにも見えるのですが……)
 そんな死にたがりと生きたがりの違いは、この巻の終盤においてクローズアップされることになります。

 果たしてこの極めて近く、そして同時に極めて遠い二人が互いを理解する日が来るのか――来るとすれば、それはこの『波弦、屋島』という物語が終わる時かもしれません。


 そしてまた、そんなギリギリの二人の周囲に生きる人間たちもまた、それぞれの想いがあります。
 この巻において、与一と接することでその一端が描かれたのは佐藤継信――奥州からやってきた佐藤兄弟の兄であります。義経に惹かれ、郎党となりながら、周囲とは目に見えぬ壁を感じている彼が、与一と触れて何を思ったか、そしてそれが何をもたらすのか。

 史実を知っていればそれは予想がつくのですが、さて――いよいよ次巻では屋島の戦が開戦、こちらにも注目であります。


『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第3巻(北崎拓 少年画報社YKコミックス) Amazon
ますらお秘本義経記~波弦、屋島~ 3 (ヤングキングコミックス)

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2018.09.01

『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』 17年間、全51巻の締めくくりに


 先日文庫版も完結した北方謙三の大水滸伝第三部『岳飛伝』。その『岳飛伝』と大水滸伝全体の読本であります。対談やインタビュー、エッセイ等に加え、思いもよらぬ企画まで、読み応え十分の一冊です。

 全17巻で完結した『岳飛伝』に加え、『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻と、実に計51巻、17年間に渡って描かれてきた大水滸伝。私も水滸伝ファンの端くれとして、この極めて意欲的で刺激的な「水滸伝」を楽しませていただきました。
 そのある意味締めくくりの一冊として刊行された本書も、ある意味ボーナス的な気分で手に取ったのですが――これが想像以上にユニークで楽しい一冊でした。

 これまで刊行された『替天行道』『吹毛剣』の二冊の読本同様、様々な企画記事を集めて構成された本書。対談4本、インタビュー2本、作者や評論家、担当編集者によるエッセイ、名台詞や用語辞典、さらにはダイジェスト漫画まで――約470ページぎっしりと詰まった内容はなかなか圧巻であります。
 本書に収録された記事は基本的には雑誌やwebサイトに掲載されたものが大半なのですが(作者と原泰久の対談、岳飛伝年表、編集者のエッセイの一部、漫画「圧縮岳飛伝」等が主な書き下ろしでしょうか)、単行本派としてはほとんど初見の内容なのでこれはこれでありがたいところです。

 名台詞と用語辞典は連載途中のものであるため(というより前者は『楊令伝』までの内容)『岳飛伝』を網羅していないのが不満ですが、それ以外の対談やエッセイは連載終了後のものが多く、完結後の今読んでも違和感がないのが嬉しいところであります。
 特に川合章子「『岳飛伝』――その虚と実」は、タイトルのとおり『岳飛伝』の内容と対比しつつ、史実の北宋末期から南宋初期の時代や岳飛の生涯を解説した記事で、必読とも言うべき内容と言えます。

 また語り下ろしの原泰久との対談の中では
(あまり潜在能力を発揮すると寿命が縮むと言われて)「それで縮んだ寿命は、それをもってよしとする覚悟をすれば、縮まない」
(原泰久が無理をして体調を崩したという話に)「それはまだ、技術的に潜在能力を常に出すというところを発揮していないんだよ」
と作中の人物のようなことを語る作者の言葉がたまらないところであります。


 さて――本書の内容について軽く紹介しましたが、しかし個人的に本書において必読の内容はその他にあります。それは「やつら」と題されたwebサイト掲載の内容+αの企画――作者たる北方謙三が、作中で命を落とした登場人物たちと邂逅し、対話する企画であります!
 その相手も、林冲・魯達・楽和・丁得孫・凌振・朱貴・石勇・時遷・扈三娘・王英・鄒潤・張横・李袞・童威・皇甫端・宋清・湯隆・陶宗旺――作中で大活躍した作品を語る上で欠かすことのできない大物から、梁山泊入りしてすぐに亡くなった者、大した活躍はできなかった者まで、多士済済であります。

 そんな面々が、(死後の?)世界に紛れ込んだ作者に対して、あるいは語り合い、あるいは問いかけ、あるいは愚痴をいい――思わぬ裏設定が語られたりするのも嬉しいのですが、何はともあれ、今この時代に作者が作中人物と対談する企画が堂々と描かれるとは、と驚かされます。
 ……そしてそれがきっちりと北方作品として、大水滸外伝として成立しているのには感心するばかりであります

 また、巻末の超ダイジェスト漫画『圧縮大水滸伝』は、作者の、そして作品のイメージとはだいぶ異なる、「今時の」ファン漫画的な内容なのにも驚かされますが、こうした読者層までファンが広がったことが大水滸伝の強さであり、受容の証なのだなあ――と今更ながらに感じたところです。


 何はともあれ、本書は『岳飛伝』全17巻、いや大水滸伝全51巻の締めくくりとして、ファンであれば楽しめる一冊であることは間違いありません。
 さて、『チンギス紀』読本は出るのか……(気が早い)


『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
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 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵
 北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ
 北方謙三『岳飛伝 十一 烽燧の章』 戦場に咲く花、散る命
 北方謙三『岳飛伝 十二 瓢風の章』 海上と南方の激闘、そして去りゆく男
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 北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す
 北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦
 北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く
 北方謙三『岳飛伝 十七 星斗の章』 国を変える、国は変わる――希望の物語、完結

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2018.08.22

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8-9巻 劉邦を囲む人々、劉邦の戦の流儀


 「項羽と劉邦」の戦いを、張良の視点から見た新解釈で描く本作も、早くも単行本の巻数は二桁目前。しばらく物語は項羽サイドを中心に描かれていた印象がありますが、この第8、9巻では、再び劉邦と張良の活躍が描かれることになります。が、もちろんその戦いの道のりは決して平坦ではないのですが……

 項梁が章邯率いる秦軍の前に思わぬ敗死を遂げ、混沌とした状況となった抗秦の戦い。その中で恐るべき「狂」の力を発揮した項羽は、(窮奇のフォローはあったものの)七万の楚軍で二十万の秦軍を破るという大勝利を挙げ、一気にその名を高めることになります。

 が、もちろん秦との戦いはそれで終わったわけではありません。この戦いにあたっては、項羽が奉戴する楚王・懐王により、一番先に関中――秦の都たる咸陽一帯に入った者をその地の王とする、と宣言されている以上、先に関中に入ったものが「あがり」なのであります。
 一度は敗れたとはいえ章邯はいまだ健在、項羽が章邯と対峙している間に、するりと関中に入ってしまえば――という漁夫の利を狙うのが、ある意味劉邦らしいといえばらしいところであります。

 が、もちろんそれがそうそううまくいくはずもありません。主力ではないとはいえ、咸陽を守る軍が弱兵であるはずもなく、しかも戦力差はまだまだ大きい。そしてそもそも劉邦はそれほど戦に強くなく、何よりも張良は韓の地で韓王を奉じて戦っている最中――とくれば、迷走しない方が不思議であります。
 かくて、あちらの敵軍にちょっかいを出し、こちらの城を攻め、そのたびに反撃を食らっては這々の体で逃れる――ということになるのでした。

 と、そこに颯爽と帰還したのは張良であります。項羽とも見紛う巨漢にして韓王家の傍流の血を引く姫信(韓王信)と援軍を伴って駆けつけた張良は早速秦軍を一蹴。さらに関中を目指すため、堅牢で知られる函谷関を避け、より南にある、そして手薄な武関を攻めるべし、と的確な指示を下すのです。
 さすがは主人公、張良が劉邦の側にいる時の安心感は相当のものがあります。……側にいる時は。

 ここのところの連戦で体調を崩したこともあり、一端劉邦と別行動を取ることになった張良。そんな中でもしっかり策は残していったのですが――張良の言を容れるのに躊躇わない劉邦は、同時に他の人間の言を容れるのも躊躇わず、そのために思わぬ窮地に陥ることに……


 というわけで、実に危なっかしい、見ようによっては何だか楽しい劉邦軍の戦いが描かれることになるこの2巻。前巻の鬼神の如き項羽の暴れっぷりに比べると、お人好しでお調子者の劉邦の頼りなさは、あまりに対照的に映ります。
 しかし対照的なのは将本人の姿だけではありません。将を囲む人々の姿――それこそが二人の大きな違いであるとわかります。

 范増という軍師はいるものの、基本的にその強さは項羽自身の武威に依る楚軍。前巻で嫌というほど描かれたその姿は、今回も項羽が韓信の献策を一蹴することで明確にされていると言えます。
 それに対して劉邦の軍は――本人の人柄と言うべきか、何ともユルい。将としての威厳・威圧感のなさもさることながら、元々が任侠の仲間たちであるためか、彼と配下の面々との距離感は、非常に近いことは間違いありません。

 それは彼が強く信を置く張良との関係にも現れているところであり、それがこれまでの、そしてこれからの劉邦の躍進に大きな影響を与えることは間違いありませんが――本作におけるそれは、項羽と劉邦の間の違いを象徴しているようにも感じられます。

 そしてまた、その違いが今回取り上げた巻では随所に現れていると言えるでしょう特に蕭何の地道な兵站(そこには張良の策があるものの)が勝利に繋がるくだりは、項羽と劉邦の戦の流儀の違いとも直結する内容で、感心させられたところであります。


 そして、こうしたキャラクター描写の妙に加えて、これまでも何度も述べてきたように、「史記」の数行の描写の行間を読む作者の努力――には、基本的にあとがきを読むまでは読者は気付かないのですが――が本作の面白さを支えていることは言うまでもありません。
 特に第8巻のあとがきに記された、張良と劉邦の合流場所については、作者の拘りが物語の起伏に直結する形で昇華されていて、改めて感心させられたところであります。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8-9巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) 第8巻 Amazon/ 第9巻 Amazon
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(8) (講談社コミックス月刊マガジン)龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(9) (講談社コミックス月刊マガジン)


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2018.08.21

楠章子『夢見の占い師』 まぼろしの薬売りが怒り、悲しむもの


 前作『まぼろしの薬売り』から5年後に刊行された待望の続編――明治初期の日本を舞台に、人里離れた村々に薬を届ける時雨と小雨の師弟が出会った事件の数々を描く物語です。が、本作の後半では少々意外な展開が……

 未だ近代化の波が及ばない僻地を訪れては、人々に薬を与える「まぼろしの薬売り」こと時雨と、その弟子・小雨。世にも美しい青年である時雨と、元気いっぱいの少年である小雨には、それぞれ隠された過去がありましたが――今は二人で人々に希望と元気を与えるために旅を続ける毎日であります。
 前作は全四話構成の連作短編集といった趣の作品でしたが、本作も基本的な構成はほぼ同様であります。

 第一話「野ざらしさま」の舞台となるのは、医者や薬師が必要ないという海辺の小村。他所とほとんど交流がないというこの村を訪れた二人は親切な夫婦に歓待されるのですが、小雨が食あたりで倒れ、薬も効かない状態で苦しむことになります。
 そこで村に伝わる万病を治す存在・野ざらしさまを頼ろうとする夫婦ですが――しかしその正体は意外なものであったのです。

 そして第二話「赤花の人たち」は、不治の病と恐れられる赤花病の患者が捨てられる山中の村を舞台とした物語。そこで暮らすのは、みな捨てられた元患者たち――実は病は完治するものでありながら、伝染を恐れる人々に追われた彼らは、一つの共同体を作って暮らしていたのであります。
 その村を訪れた時雨と小雨は、途中で赤花病を発症した幼い少女と出会うのですが……

 共同体を維持するために、か弱いものを犠牲にせざるを得ない人々を描く第一話、周囲の人々の偏見の目によりやむなく隔離された環境で生きざるを得ない人々を描く第二話――いずれもそこで描かれるものは、近代化以前の、因習や迷信に囚われた者たちの姿ではあります。

 しかしそれは決してこの時代のものだけではなく、様々に形を変えて現代に通じるものであることを、我々は知っています(特に第二話のモチーフが何かは明白でしょう)。
 ここで描かれるのは過去の物語であるだけでなく、現在の現実――そんな重く苦い(もちろんそれだけではないのですが)味わいは、前作同様と言えるでしょう。


 一方、前後編的な内容である後半の「さるお方」「奇跡の子ども」は、前半とは少々変わり、伝奇的味わいすらある内容です。

 謎の一団によって攫われた小雨。かつてなみだ病なる奇怪な病で家族や周囲の人々を全て失いながらも生き延びた彼は、「奇跡の子供」と呼ばれ万病に効く「薬」として狙われていたことから、小雨を救うべく時雨は奔走することになります。
 しかしその前に現れたのは、かつて時雨を広い、医術を仕込んでくれた師にして老忍びの雷雨。手違いで配下の者が小雨を攫ってしまったと語る雷雨は、時雨を自分たち忍びが暮らす村に迎えるのでした。

 そこで周囲から丁重に扱われていたのは、白い髪と白い肌を持った少女・ユキ。夢によって将来を占う力を持つユキは、雷雨たちの主にとって大事な存在なのですが、体が弱く、日の光の下では暮らせぬ身だったのです。そんな彼女と仲良くなった小雨は、何とか彼女を救い出そうとするのですが……

 前作では時雨の背景として描かれる程度であった、雷雨と忍びたちの存在がクローズアップされるこのエピソード。そこに明治初期という時代背景と「国」という存在を絡めることによって、物語は意外なスケールの大きさを見せることになります。

 しかしあくまでも物語の中心にあるのは、一人の人間の命の重さと尊さ、儚さ。そしてその命を守り、癒やすための犠牲は許されるのか、という問いかけであります。
 もちろん、その問いに簡単に答えが出せないことは言うまでもありません。いかに優れた腕を持ち、「まぼろしの薬売り」とまで呼ばれるとはいえ、時雨もただの人間。全ての病を治すことはできず、そしてそのためにあらゆる手段を用いようとする人々の心は、誰よりもよくわかっているのですから。

 しかし、それでも守らなくてはいけないことが、許してはいけないことがあります。物語の結末で時雨が語る言葉――弱者の犠牲を当然とする世界に対する怒りと悲しみの念は、それを知る時雨の口から出るからこそ、この上もない重みを持って感じられます。
 そしてその時雨だからこそ、人の命を救うという重圧を背負いながらも、旅を続けられるのだと、理解できるのです。

 そんな時雨と、時雨を支える小雨の旅路をこの先も読んでみたい――そう感じさせられる佳品であります。


『夢見の占い師』(楠章子 あかね書房) Amazon
夢見の占い師


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2018.08.17

「コミック乱ツインズ」2018年9月号

 お盆ということでか今月は少々早い発売であった「コミック乱ツインズ」誌の2018年9月号。表紙は『仕掛人藤枝梅安』、新連載は星野泰視『宗桂 飛翔の譜』であります。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介していきましょう。

『宗桂 飛翔の譜』(星野泰視 監修:渡辺明)
 『哲也 雀聖と呼ばれた男』の星野泰視による新連載は、江戸時代に実在した将棋名人・九代目大橋宗桂の若き日の活躍を描く物語であります。

 1775年、十数年前から「名人」が空位となっている時代。亀戸の将棋会所を営む桔梗屋に敗れた不良侍・田沼勝助が、家宝の大小を奪われる場面から物語は始まります。
 初段の免状を笠に着て、対局相手に高額の対局料を要求するという博打めいたやり口の桔梗屋から刀を取り戻すため、茶屋で出会った若い侍の大小を盗んだ勝助。その大小をカタに再戦を望む勝助ですが、彼を追ってきた侍が代わって桔梗屋と対局することに……

 と、言うまでもなくこの若侍こそが大橋宗桂。素人をカモにする悪徳勝負師を主人公が叩き潰すというのは、ある意味ゲームものの第一話の定番と言えますが、今回はラストに宗桂が勝負を行った本当の理由がほのめかされるのが興味を引きます。
 ちなみに田沼勝助は、かの田沼意次の三男。後世に事績はほとんど残っていない人物ですが、それだけに今後の物語への絡み方も楽しみなところです。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 宿敵たちの陰謀で尾張徳川家に狙われることとなった聡四郎。橋の上でただ一人、多数の刺客に狙われるという窮地に、謎の覆面の助っ人が現れ――というところから始まる今回、冒頭からこれでもかと派手な血闘が描かれることになります。
 己に勝るとも劣らない剣士の出現に、敢えて一放流の奥義を見せる聡四郎と、それに応えて自らも一伝流なる剣の秘技を見せる謎の男。二人の今後の対決が早くも気になるところですが――しかしその因縁は、師・入江無手斎の代から続くものであることが判明します。

 かつて廻国修行の最中、浅山一伝斎なる剣客と幾度となく試合を行った無手斎。いずれも僅差で無手斎が勝負を収めたものの、いつしか一伝斎は剣士ではなく剣鬼と化し、無手斎の前に現れて……
 こうしたエピソードは剣豪ものであればさまで珍しいものではありませんが、一種の官僚ものとも言うべき本作に絡んでくると、途端に異彩を放ちます。あの無手斎までもが恐れる一伝流に対し、紅さんのためにも一歩も引かず戦うと決めた聡四郎――いよいよこの章も佳境に突入でしょうか。


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 政宗最大の危機とも言うべき、伊達家包囲網と最上義光との対決。そんな中で政宗の母であり、義光の妹である義姫は、戦を止めるために単身戦場のど真ん中に乗り込んで――と、漫画みたいな(漫画です)前回ラストから始まる今回は、なんと主人公の一人である政宗不在で進むことになります。

 もちろんその代わりとして物語の中心にいるのは義姫。無茶苦茶のようでいて意外としたたかな行動を見せる彼女の姿を、振り回される周囲の人々も含めて浮かび上がらせ、その先に彼女が動いたただ一つの理由を描くのは、もう名人の技と言いたくなるような印象であります。
 そんな中で、義光の口から真に恐るべき相手――豊臣秀吉の名を出して今後に繋げるのも巧みなところ。……秀吉? かつて描かれた(というか今も描かれている)秀吉は、やたら体が頑丈で、奥さんの料理が殺人級の人物でしたが、さて。


『用心棒稼業』(やまさき拓味)
 あてどなく旅を続ける浪人三人組の物語、今回は終活こと雷音大作の主役回。御炭納戸役を辞して炭焼きとなった旧友を十年ぶりに訪ねてみれば、その旧友は……
 というわけで、今回は暴利を貪る御炭奉行と炭問屋から、炭焼きたちが焼いた備長炭を守るために戦う三人組。正直に申し上げて今回の悪役の類型ぶりはちょっと驚くほどなのですが、その悪役たちに対して怒りを爆発させる雷音の表情は衝撃的ですらあります。

 激流を下る小舟の上での殺陣といういつもながらに趣向を凝らした戦いの末、悪役を叩き潰した雷音の決め台詞も、ちょっとそれはいかがなものかしらと思わないでもありませんが、これはこれでインパクト十分で良し、であります。


「コミック乱ツインズ」2018年9月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年9月号 [雑誌]


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2018.08.11

賀来ゆうじ『地獄楽』第3巻 明かされゆく島の秘密、そして真の敵!?


 不老不死の仙薬を求め、地獄とも極楽ともいうべき奇怪な孤島に送り込まれた十人の死罪人と、監視役の十人の山田浅ェ門。死罪人同士の、死罪人と浅ェ門との、そして彼らと怪物たちとの殺し合いが繰り広げられた末に、ついにこの島の秘密の一端が姿を現すことになります。そして真の敵たちもまた……

 赦免と引き替えに、不老不死の仙薬を手に入れるために謎の島に送り込まれた死罪人たちと浅ェ門たち。しかし彼らを待っていたものは、人間を花に変える奇怪な蟲たちと、禍々しい姿と力を持つ巨大な怪物たちでありました。
 さらに、一つしかないと思われる仙薬を巡るライバルを消すために、あるいは監視役を潰して自由になるために、互いに潰し合いを始める死罪人たち。死闘の末にこの巻の冒頭の時点で生き残っているのは、5人の死罪人と6人の浅ェ門――実にほぼ半数であります。

 そんな中、この島で初めて、自分たち以外の人間である少女・めいを見つけた画眉丸と佐切、杠と仙汰の一行。めいを捕らえ、彼女を守る奇怪な木人・ほうこを倒した一行は、ほうこの口から、ついにこの島の姿を知ることになります。
 「こたく」と呼ばれ、「えいしゅう」「ほうじょう」「ほうらい」と呼ばれる三つの地域に分かれるこの島。そして島の中心である「ほうらい」には、確かに不老不死の薬「たん」があると、ほうこは語ります。しかしこの島を統べ「たん」を守る存在――「てんせん様」がいるとも。

 その言葉を裏付けるように、島の各地で死罪人と浅ェ門たちに襲いかかる謎の存在。人間と同じ姿と知性を持ちながらも、性別を自在に変え、島の怪物たちをも遙かに上回る力を振るう彼ら(?)によって、次々と生き残りの者たちは倒されていくことになります。
 そしてその「てんせん様」は、仙薬を手に入れ、愛する妻の元に帰るために単独行動に出た画眉丸の前にも出現。持てる力の全てを尽くして戦う画眉丸ですが……


 連載スタート以来、どこに向かっていくのか、何が現れるのかわからない――刻一刻と姿を変える物語として描かれていた本作。
 これまで描かれてきた仙薬たちを求める人間たちのデスゲームはほぼ一段落し、残った面々が仙薬のため、生還のために手を組み始めた状況に入った印象ですが――ここに至り、今まで謎であった島の正体がようやく語られ始めることになります。

 数百年前からここで暮らすという奇怪な木人が語る秘密――その全ての意味がわかるわけではありませんが、少なくとも「たん」は「丹」、「えいしゅう」「ほうじょう」「ほうらい」は瀛州・方丈・蓬莱、そして「てんせん」は「天仙」のことでしょう。
 まさしく仙薬である丹、東方に存在する三神山(あるいは島)と言われる瀛州・方丈・蓬莱、そして最上級の仙人である天仙――それが伝説にいうものと全く同一の存在かはわかりませんが、しかしいずれも仙道・仙界にまつわるものであることは間違いありません。

 しかし伝説にいう仙人が暮らす地は、奇怪な怪物たちが徘徊したりしなければ、人間から咲く奇怪な花も存在しません。ましてや仙人は、その地に入り込んだ者を問答無用で血祭りにあげるような存在でもないでしょう。
 だとしたらこの地は、彼らは一体何なのでしょうか?

 正直なところ、これまで謎だらけだった物語に答えの一端が明かされ、そしてこれまでの怪物たちとは異なる、意志の疎通が可能な敵が登場したことは、本作の魅力を削ぐのではないかと心配していました。
 しかしそれは全くの杞憂――一端が明かされたことで逆に謎は一層深まり、そして恐るべき敵が登場したことで、倒すべき本当の敵が明らかになったのですから。


 しかしこの島のボスとも言うべき存在だけあって、天仙たちは並みの強さではありません。賊王・亜左弔兵衛が、山の民のヌルガイが手も足も出せずに敗れ、画眉丸が死力を尽くしてもなおその上を行く敵であり――そしてその前にまた一人、新たな犠牲者が出てしまうのですから。
 しかもこの巻のラストには彼らが勢揃い。一人一人であれだけの強さであったものが、これだけ揃えばどうなるのか――これまで以上の絶望としか言いようがありません。

 それでも――人間たちも並みの人間ではありません。たとえ天仙たちにとってはちっぽけな存在に見えても、人間にも心がある、意地がある、力がある――死を乗り越え、生を掴もうとする意志がある。
 この巻のラストで同時に描かれるのは、そんな人間たちの再起の姿。ここから人間たちがどのような逆襲を見せるのか、期待するなというほうが無理なのであります。


『地獄楽』第3巻(賀来ゆうじ 集英社ジャンプコミックス) Amazon
地獄楽 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)


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2018.08.09

霧島兵庫『信長を生んだ男』 等身大の青年・織田信行が下した決断


 織田勘十郎信行(信勝)といえば、信長と母を同じくする弟でありながら、謀反を企てた咎で、若くして兄に誅殺されたと言われる人物。悪役として描かれることも少なくない信行を、本作はこともあろうに覇王信長を「生んだ」男として描く、ユニークにして熱く切ない物語であります。

 若き日は「うつけ者」として知られた信長とは対照的に、折り目正しい優等生的人物であったと評される信行。信長を疎んじた母・土田御前に溺愛されたと言われる人物ですが、本作の前半部分は、基本的にこの人物像を踏まえた形で始まることとなります。

 自分とは正反対の性格のうつけ者でありながら、自分よりも父に認められている信長に反発心を抱き、その力を見せるべく、初陣に臨んだ信行。しかしその結果、五十人もの精兵を失った彼は、頬に負った傷以上に深い傷を心に負うのでした。
 そして志半ばに病に倒れた父が、兄を後継に指名し、その葬儀で信長の挑発を受けたことから、いよいよ反感を抱く信行。信秀亡き後の内訌が絶えぬ尾張で、信行の鬱屈は高まっていくことになります。

 そんな中、兄の正室・帰蝶の口添えもあり、ひとまず兄の側に立つ信行。しかし兄の別働隊として敵にあたることとなった戦で、奮闘空しく追い詰められた末、あわやのところで信行は兄に救われることになります。
 屈辱に震える信行ですが、しかし兄が密かに自分のことを買っており、運命を共にする覚悟であったことを知った彼は、ついに信長こそが天下に号令するに相応しい「虎」であることを悟ります。

 そしてついに長きにわたる対立のしこりを洗い流した信行。彼は信長を支える黒衣の宰相、虎を支える「龍」となることを誓い、兄と手を携えて天下に挑むことに……
 と、ある意味意外な、その後の歴史を覆しかねない展開を迎える本作。ここまでが物語の前半、後半では信長を扶けるため、密かに汚れ役を買って出る彼の姿が描かれることとなります。

 兄と帰蝶と三人、強い絆に結ばれて天下を望む信行。しかし一向に尾張の混乱は収まらず、その中で信行は信長の決定的な弱点――その不羈奔放な顔の下の、優しさ・甘さの存在に気付くことになります。
 そしてある出来事をきっかけに、自分に時間が残されていないことに気付いた彼は、信長を覇王に変え、尾張を固めるために、ある覚悟を固めるのですが……


 冒頭で述べたように、過去の作品では悪役として、あるいは凡愚な人物として描かれることが少なくなかった信行。それは型破りな信長が、桶狭間の戦で天下に躍り出る直前の、ある意味踏み台としての役割を負わされていた、と言えるかもしれません。
 しかしその信行を、本作は史実を踏まえつつも巧みに肉付けし、大望を抱き、肉親の愛を求めつつも、どちらも得られずに苦しみもがく等身大の青年としてまず描きます。

 そんな彼が、理想と現実の間で悩み、そして自らの背負ったものの大きさに苦しむ姿は、中身こそ大きく違えど、誰もが思い当たるものでしょう。だからこそ、彼が自分と信長の器の大きさの違いを思い知った時の衝撃を、その後に訪れる和解の感動を、読者は我がことのように感じ取れるのであります。
 ……そしてその後に待ち受ける、あまりに残酷で哀しい運命を知った時の絶望を、それでも自らの成すべきことを成そうと重すぎる決断を下した彼の覚悟の尊さをも。

 正直なところ、題名と主人公を見れば(さらに序章を読めば)、本作がどういう結末を迎えるかは、ある程度予測できるところではあります。
 それでも本作が単なるイイ話で終わらず、読者の心を大きく揺り動かしてくれるのは、二転三転する状況を描く物語構成の妙に依るのは言うまでもありませんん。
(特に終盤において、ある歴史上の謎に衝撃的な形で答えを提示するくだりの見事さ!)

 しかし本作はそれだけでなく、上で述べたような等身大の青年・信行の人物像と、そこに戦国時代に生を受けた男同士――それも最も近しいところにいる兄弟――という信長と信行の関係性を中心に物語を描く点が素晴らしい。
 さらには帰蝶というファムファタール的な存在(彼女があくまでも常識的な心を持った女性であることが、二人を救い、そして二人を苦しめるのがまた見事)を巧みに絡めてみせた点も大きいと感じます。

 配下との交流のくだりなど、些かセンチメンタルに過ぎるように感じられる部分はありますが――それでも、史実を史実として描きつつ、その中で意外な物語と、深く共感できる人物像を描いた点が大いに評価できる、歴史小説の佳品であります。


『信長を生んだ男』(霧島兵庫 新潮社) Amazon
信長を生んだ男

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2018.08.08

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第12巻 新章突入、刀鍛冶の里での出会い


 連載本誌の方でも快調に飛ばす『鬼滅の刃』ですが、単行本の方では、長い長い死闘を繰り広げた遊郭編も前巻で大団円を迎え、この第12巻からは新展開に突入。ついに全ての上弦の鬼が集結し、一方で炭治郎が向かった刀鍛冶の里では、次々と新たな出会いが描かれ――と見所だらけの一冊であります。

 遊郭に潜む二身一体の強敵、上弦の陸こと妓夫太郎と堕姫を、ギリギリの死闘の末に倒して全員生還した炭治郎たち。百年ぶりの敗北に対し、鬼の首魁・鬼舞辻無惨は、怒りに燃えて残る上弦全員を召集することになります。
 そして登場するのは玉壺・半天狗・猗窩座・童磨・黒死牟――いずれも上弦に相応しい異形の姿を持ち、狂気を漂わせる五人であります。強敵たちの勢揃いはそれだけで大いに盛り上がるものですが、しかしそこで一切の反論を許さぬブラック企業さながらの追い込みをかける無惨様と、チームワーク皆無のギスギスさを見せる上弦たち(というか猗窩座)。本当に恐ろしい連中であります。

 その一方で、ようやく復活した炭治郎が向かうことになったのは、鬼殺隊の隊士たちの用いる日輪刀を打つ刀鍛冶の里。
 隊士たちの刀、すなわち鬼にとっては何よりも恐ろしい武器を作り、直すだけにその存在はトップシークレットのこの里に、一人炭治郎が向かうそのわけは――毎回戦いで刀にダメージを与える炭治郎に激烈な怒りを燃やす刀鍛冶・鋼鐵塚(今回、非常に可愛らしい本名が判明)が、刀を打つことを放棄したため、というのが、またらしいというか何というか……

 何はともあれ、直談判のために里を訪れた炭治郎の前には、新登場――ではないものの、これまでほとんど顔見せのみだったキャラたちが、次々と登場することになります。
 そのビジュアルと言動、何よりも流派名が衝撃的な恋柱・甘露寺蜜璃、あの宇随天元をして化物と言わしめた霞柱・時透無一郎、そして炭治郎の同期最後の一人でありながらこれまでほとんど出番がなかった謎の男・不死川玄弥。

 これがまた、どいつもこいつも期待以上のキャラの濃さで、そこに新キャラクターの純粋毒舌少年・小鉄、おなじみの三十七歳児・鋼鐵塚と絡んでくるのですからたまりません。バトルシーンはかなり少ないものの、次々と登場する(ほとんど)新キャラクターたちのやりとりだけでも本当に楽しいのであります。
 これまで毎回書いてきたように、物語の緩急の付け具合が絶妙な本作ですが、この巻は言ってみれば「緩」。どこかズレたキャラクターたちのやりとりは、ギャグ漫画としても成り立つ――というよりほとんどそのもので、特に満を持して(?)の鋼鐵塚登場シーンはもはや衝撃映像クラスと言うほかありません。


 そんな中、一人でシリアス――というか異質な空気を漂わせているのが時透無一郎であります。
 炭治郎よりも小柄で年下ながら、日輪刀を手にしてわずか数ヶ月で柱になったという怪物――には似合わぬ儚げな美少年の時透ですが、その言動は冷徹とも無神経とも高飛車とも言うべきもの。悪意はないものの、柱としての立場からの強烈な合理性で周囲を圧し、子供に暴力を振るうことも躊躇わない姿は、悪い意味で意外性満点であります。

 あの温厚な炭治郎が、「こう…何かこう…すごく嫌!! 何だろう配慮かなぁ!? 配慮が欠けていて残酷です!!」と困惑混じりに激昂するのもむべなるかな、と言うほかない造形で、時折記憶が曖昧になることも含め、まだまだ得体の知れないキャラクターなのです。(その印象が後にガラリとひっくり返されるのが本作なのですが――それはまたのお楽しみ)

 しかしそれでも鬼殺隊としては頼もしい戦力であることは間違いのないお話。この巻の終盤では刀鍛冶の里に上弦の伍・玉壺と上弦の肆・半天狗が襲来、一人でも(分裂しましたが)あれだけ苦戦した上弦が二人、それも完全な奇襲という絶望的な状況で、彼の本領が発揮されるか!? と思ったら――と相変わらず油断できない展開ですが、ダークホースとも言うべき玄弥が登場し、なかなかに気になるヒキで次巻に続くことになります。


 ……しかしこの玄弥、相変わらず感じのいい炭治郎の挨拶に対して、いきなり「死ね!」と返す意味不明の荒くれぶりを発揮するものの、おまけページで純情過ぎる姿をバラされるには思わず爆笑。
 本当にどこまでも油断できない作品であります。


『鬼滅の刃』第12巻(吾峠呼世晴 集英社少年ジャンプコミックス) Amazon
鬼滅の刃 12 (ジャンプコミックス)


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2018.07.25

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第7巻 覇王の「狂」、戦場を圧する


 劉邦を扶けて天下を取らせた軍師・張良の活躍を描く本作――ですが、前の巻同様、いやそれを遙かに上回る存在感を見せるのは、項羽その人。力みなぎるポーズで表紙を独占していることからもわかるように(?)この巻の主役はほとんど彼なのであります。

 叔父の項梁亡き後に楚軍を率いた宋義を斬り捨て、上将軍となった項羽。目指すは項梁が討たれた地であり、今は二十万以上の秦軍に包囲された鉅鹿城であります。しかしいかに彼が一騎当千の豪傑であるとしても、楚軍は七万足らず。彼の下の奇才・范増の頭脳を以てしても、この戦力差を覆すのは容易ではありません――というよりほとんど不可能であります。

 それを裏付けるように威力偵察に出た黥布が見たものは、攻城戦というよりもほとんど土木工事状態で鉅鹿城を囲んだ秦軍の備え。砦と砦の間を壁で繋ぎ、あたかも新たな城壁を作ったような状態ですが、もちろんこれは内を逃さず、外を阻む必殺の構えであります。
 壁を崩そうとすれば、周囲の砦から敵が湧き出て包囲してくる――項羽には及ばずとも豪勇を誇る黥布であっても、これを崩すのはほとんど不可能な状況と言えます。

 しかしここで河を渡った項羽が兵たちを前に取ったのは――向かう先はまさしく死地、それであれば死人に甑も釜も要らぬ! 船や天幕も不要! と全てぶっ壊して後退のスイッチを切って見せるアピール。
 背水の陣といえば韓信のそれが有名ですが、それに先立つ項羽のこれは、彼の中の「狂」を兵たちに存分に見せつけ、そして伝染させる儀式によって始まったと言えます(ちなみにその韓信はこの時この兵たちの中にいたのですが、ひたすらドン引き状態)。

 そして目つきや表情も項羽写しとなった兵たちを率いた項羽の陣は――ひたすら横に長い布陣で秦軍を包囲。
 いや、七万で二十万を包囲できるはずはないのですが――薄く薄く陣を組む、いやもうそれが陣と呼べるかは別として、とにかく横に延びた形で、兵たち全てが最前線に立つことになった楚軍は、項羽以下、バーサーク状態で大暴れを始めることに……!


 というわけで、1巻丸々、鉅鹿城周囲を舞台とした項羽の軍と章邯の軍の激突が描かれるこの巻。これまで同様、ここで描かれるものもまた、史実――「史記」に描かれたそれを踏まえたものではあります。
 しかし「史記」においてわずか数行、淡々と描かれたそれを、本作はまさに行間を埋める形で、絵に、そして物語として見せる――そしてその結果生まれたものが素晴らしいのです。

 たとえば上で述べた項羽の布陣。「史記」で述べられたそれを忠実に絵で見せたものではあるのですが、しかし漫画としての絵、そして構図でもって描かれるのは、その陣形であると同時に、それを支える項羽軍の「狂」の姿――「二十万以上の兵を擁する軍を五万の兵で包囲する……常軌を逸した光景がそこにあった」とナレーションで語られるその姿なのです。

 そしてその直接の発露である項羽の暴れっぷりたるや――凄まじい、というよりもう「
恐い」。人間の形をした化け物、あるい化け物を内に棲まわせた人間――伝奇的な意味でではなく、あくまでも比喩で――を描かせれば屈指の描き手である作者だけあって、ここで項羽が繰り広げる異常な暴れぶりは自家薬籠中のものと言えます。
 特に決着直前のある行動たるや……

 しかしここで唯一不満なのは、項羽に一人の助っ人が――それも彼同様の化け物が――登場してしまうことであります。いや、本来であれば漫画として大いに盛り上がるはずの(実際に盛り上がるのですが)場面でこう感じてしまうのは、こちらも本作の項羽の「狂」にやられてしまったということなのでしょう。
 少なくとも、助っ人に感謝するどころか「あの男、今度会ったら、必ず殺す!」と、本来であれば明らかに異常なことを言い放つ項羽の言葉が、それなりに頷けるものとして感じられてしまうほどには。


 こんな怪物を向こうに回しては、ある意味凡人中の凡人というべき劉邦も、神算鬼謀を誇る張良も(この巻の時点ではまだ負け惜しみを言っているようにしか見えない韓信も)色あせざるを得ないのですが――しかしそれを鮮やかに色付けしてみせるのが漫画家の業というものでしょう。

 そしてその業の冴えに疑いはないことは、この巻をはじめとして、これまでの物語が示していることは、言うまでもありません。次巻から始まるであろう張良の活躍に期待であります。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第7巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(7) (月刊少年マガジンコミックス)


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