2018.09.20

武内涼『はぐれ馬借 疾風の土佐』の解説を担当しました


 本日集英社文庫から発売の武内涼『はぐれ馬借 疾風の土佐』の解説を担当させていただきました。室町時代の土佐を舞台に、諸国往来御免の「はぐれ馬借」に加わった青年・獅子若の活躍を描くシリーズの第2弾――攫われた子を探す僧を助けて獅子若たちが死闘を繰り広げる室町アクションの快作です。

 先達が源義経から過書(通行許可証)を与えられ、諸国往来御免の特権を持つ「はぐれ馬借」。並外れた体躯と印地(石投げ)の腕で鳴らした馬借・獅子若は、ある事件がきっかけで坂本を追放された末に、このはぐれ馬借の一員に加わることになります。
 敵であっても命を奪わないというはぐれ馬借の掟に戸惑いつつも、徐々に仲間と馬たちにも馴染み、旅を続ける獅子若の冒険が描かれた前作『はぐれ馬借』。

 その続編である本作は、獅子若たちが鳴門海峡を越え、四国に入る場面から始まります。
 一仕事を終え、攫われた子を探しているという雲水の一人・昌雲とともに土佐に向かうことになった一行ですが、しかしその先に待ち受けるのは厄介事の数々。火付けの疑いをかけられ、土地の悪徳代官からは義経の過書を売るように執拗に迫られ、さらには獅子若に恨みを持つ凶賊・猿ノ蔵人率いる盗賊連合に追われ……

 四面楚歌の状況の中、己の命を、荷を、そして誇りを守るため、土佐の山林を舞台に、獅子若と仲間たちは、幾多の敵を向こうに回し、死闘を繰り広げることになります。


 というわけで、「飛び交う金礫、疾駆する荒馬! これぞ室町ウェスタン!」という帯の文句そのままのアクションが繰り広げられる本作。
 特に、獅子若をはじめとする登場人物たちが――この時代では弓矢を除いてほとんど唯一の飛道具である――印地打ちを得意とするだけに、作中では様々なシチュエーションで礫が飛び交うことになり、その面白さと迫力は、このシリーズならではのものと言えます。

 しかし、アクションがスゴい、ヒーローが強い――では終わらないのが武内作品の魅力であります。
 本作の主人公である獅子若は、単純な力という点では、作中屈指の存在であります。しかし、その力を振るって敵を倒せばそれで全てが解決するのか? そうではありません。力で勝つだけでは何かが足りない――その先にあるものを求めて、獅子若は悩みながら歩を進めていくことになります。

 人が人らしく生きるというのは如何なることなのか。そしてそのためには何が必要なのか――その道を常に問いかけ、辛く厳しくともその道を行こうとする人々を、作者は本作のみならず、その作品のほとんど全てで描いてきました。
 そしてそんな人々の姿は、室町という時代において、より大きな意味を持つことになります。それも、我々現代の人間にも無縁ではない形で。

 さて、それは一体どのような意味か――それはまあ、読んでのお楽しみということで、よろしくお願いいたします。


 というわけで、作品の紹介なのか、解説の紹介なのか、いささかこんがらがってしまいましたが、本作が、血湧き肉躍る時代活劇であるのと同時に、室町時代ならではの(そして現代にまで通底する)人間の姿を鋭く描いてみせた歴史時代小説であることは、私が保証いたします。

 獅子若の物語と平行して、ある歴史的事件に繋がる動きが描かれるのも気になるところで――まずは本作を通じて、この『はぐれ馬借』の世界、武内作品の魅力に触れていただければと思います。


『はぐれ馬借 疾風の土佐』(武内涼 集英社文庫) Amazon
はぐれ馬借 疾風の土佐 (集英社文庫)


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2018.09.07

田中芳樹『新・水滸後伝』下巻 巧みなアレンジを加えた傑作リライト


 あの田中芳樹が水滸伝の世界に――それもその続編である『水滸後伝』に挑むということで、水滸伝ファンの心を大いに騒がせた『新・水滸後伝』の下巻であります。金の侵攻を前に大宋国が揺れる中、各地で立ち上がった梁山泊の豪傑たち。その運命はついに一つに集うことに……

 阮小七が役人と争って以来、各地で再び厄介事に巻き込まれていく梁山泊の生き残りたち。折しも北方から金国が侵攻を開始する中、豪傑たちは貪官汚吏や悪人たち、金軍などと戦いながら、やがて登雲山、飲馬川、そして金鼇島の三ヶ所集っていくことになります。

 そんな中、飲馬川から偵察に出た戴宗と楊林が出会ったのは、一人隠棲していた燕青。相変わらず才知に富んだ燕青を中心に様々な冒険を繰り広げた彼らは、やがて金軍に敗れた王進や関勝らとともに飲馬川に戻ったものの、うち続く金軍の侵攻を前に、ついに登雲山組との合流を決意することになります。
 一波乱も二波乱もあった末に登雲山に着いた一行ですが、しかしそこにも迫る金軍の魔手。そこで李俊たちが南方に雄飛したことを知った一同は、彼らに合流すべく、金の軍船を奪取して海に出るのでした。

 一方その李俊の方は南方の金鼇島で平和に暮らしていた――と思えば、国王が魔人・薩頭陀と手を組んだ宰相・共濤に毒殺されたことににょり、暹羅国は大波乱。国王の敵討ちに攻め込んだものの、逆に薩頭陀と配下の革三兄弟に金鼇島を攻められ、絶体絶命の窮地に陥ることに……


 と、下巻は上巻にも増して、合戦また合戦の連続。合戦になると豪傑たちの個性が弱まるのは、これは原典というか原典の原典以来の欠点ですが、しかしそんな中でも、いかにも水滸伝らしい知恵と度胸で大逆転、という展開が数々散りばめられているのが嬉しいところであります。
 そして戦いの最中、あるいはその合間に見せる豪傑たちの素顔もいかにも「らしく」、この物語の発端であり、どうやら作者のお気に入りらしい阮小七のある種無邪気な無頼漢ぶりや、呼延ギョクと徐晟の義兄弟コンビの初々しい若武者ぶりなど、なかなか魅力的であります。

 そんな中でも特に印象に残るのは、この下巻ではほとんど出ずっぱりを見せる燕青でしょう。知略に武術に、相変わらずのオールマイティーぶりですが、囚われの皇帝に蜜柑と青梅を献じる忠心溢れる名場面から、李師師に迫られて大弱りの迷場面まで、下巻の主役と言ってもよいほどの大活躍であります。


 さて、こうした物語展開やキャラクター描写は(特に前者は)基本的に原典のそれをかなり忠実に踏襲しているのですが――しかしもちろん、随所に作者の手が入り、より整合性の取れた、より盛り上がる、そしてより現代日本の読者の感性に合った物語となっているのが注目すべきところでしょう。

 たとえばそれは、原典で日本の関白(!)が暹羅に来襲するくだりがオミットされていたり(ただし象に乗っていたり「黒鬼」なる水中部隊を擁しているのは他のキャラで再現)、金軍との対決が幾度か増量されていたり、現代人の目で見るとどうかなあという印象のラストの結婚ラッシュがなくなったり――下巻では上巻以上にアレンジが加えられている印象があります。
 しかしここで特筆すべきは――いささかネタばらしになることをお許し下さい――終盤で一度宋に戻り、杭州を訪れた燕青たちの前に現れる「彼」の存在であります。

 この「彼」との出会い自体は原典でも描かれるものの、あちらではかなりしみじみとした場面だったものが、本作においてはそれを作中屈指の一大バトルに改変。
 李俊たちの宿敵としてしぶとく生き残っていたあの男(この展開も本作オリジナルなのですが)を、「彼」が仲間たちを制して単身迎え撃つのですから、これを最高と言わずして何を最高と言いましょうか!
(実は読む前に「折角アレンジするのであれば、こんな場面があればいいのに……」と思っていたものが、ほとんどそのまま出てきたので仰天しました)


 ……と、思わずテンションが上がってしまいましたが、ただでさえ水滸伝ファンであればニヤニヤが止まらない原典を、この場面のように、さらに嬉しい形にリライトしてくれたのですから、水滸伝ファンにはまず必読と言い切ってかまわないでしょう。
 そしてもちろん、本作から逆に遡る形で水滸伝に触れる方がいれば――それはもちろん素晴らしいことであります。

 初心者から大の水滸伝ファンまで、少しでも多くの方が、この水滸後伝の、水滸伝の世界を楽しんでいただければと願う次第です。


『新・水滸後伝』下巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 下巻


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2018.08.29

武内涼『東遊記』(その二) 確かにあった世界で描く人間たちの冒険と希望


 武内涼が中国は唐を舞台に描く一大伝奇絵巻の紹介の後編であります。本作とよく似通った構図の作品とは、そしてその一方で本作ならではの魅力とは……

 その作品の名は、『指輪物語』。これは本作の帯にもその名が挙げられており、自覚的なものではないかだと思いますが、本作の物語構造は、あのトールキンの名作、ファンタジーの中のファンタジーと言うべき『指輪物語』と重なる部分を多く持ちます。

 かつて滅ぼされ、今復活を目論む魔王を滅するため、その象徴的アイテムを火山に投じるという旅の目的。旅には幾人もの英雄・達人が参加するものの、その中心となるのが無力な人物であること。一行の旅を阻むのが、魔王の眷属(すなわち魔物)だけでなく、エゴに囚われた人間たちでもあること……
 『指輪物語』自身、神話的物語に共通的に見られる要素を多々取り込んでいるだけに、ある程度似通ってくるのはむしろ当然ではあるのですが、やはり類似性は相当に高い、という印象はあります。

 しかし本作の驚くべき点は、この構図を、完全に時代伝奇ものの枠の中に落とし込んでいる――言い換えれば、史実によって規定された世界の中に、現実を踏まえた物語として成立させていることです。
 そしてそれこそが、本作をして作者独自の――それも実に作者らしい作品として成立させている所以なのであります。


 本作の舞台となるのは9世紀初頭、唐の皇帝でいえば憲宗が即位したばかりの時代。隆盛を誇った大唐国に大きな爪痕を残した安史の乱から半世紀近くが過ぎた頃です。
 その安史の乱の影響は未だ大きく残り続け、地方では節度使たちが力をつけることにより、唐の支配に服さぬ独立国に近い姿を見せつつあった時代であります。

 そしてそんな背景は、物語にも大きな影を落とすことになります。中央の政治の乱れは地方にはより大きく広がり、そんな中で海燕の祖父は、貧しき人のために心を配りながらも、そのために没落したことが語られます。
 また呂将軍は、武人としてそんな平民たちを守りたいと望みながらも、皇帝一人を守ることのみを命じられ、心中複雑なものを抱えてきた人物として描かれるのであります。

 そんな時代の在り方は、作中において西川節度使の劉闢の反乱という形で最も大きく噴出することになります。そしてそれが海燕一行の旅の中でも最大の障害の一つとして描かれるのを、なんと評すべきでしょうか。
 妖魔の脅威をこの世界から除くべく、いわば人間の代表として旅する海燕たち。その事情を知らぬとはいえ、そして作中では妖魔に唆された設定とはいえ、同じ人間が自分たちを救うために旅する者を苦しめるとは……

 本作において描かれるのは、どこか架空の世界の架空の物語ではありません。本作はかつて確かにあった世界で、確かにあったことを背景に描く物語。そして主人公たちを阻むのは、この世に非ざる奇怪な妖魔であると同時に、同じ人間なのであります。
 それはなんと悲しく、恐ろしいことでしょうか。そこにあるのは現実に存在する人間の心の中の負の側面――恐ろしい憎悪や欲望、嫉妬や絶望の念なのですから。

 そしてそれは決して敵の側だけのものではありません。あまりに強大な敵、遠大な旅を前に、時として挫けそうになる海燕。蚩尤の眼が持つ魔力の前に、一族を追い落とした藤原氏に対する憎悪の念を甦らせる逸勢――負の念は彼女たちの中にもあるのです。


 それでは、この世界には希望はないのでしょうか。海燕たちには主人公の資格はないのでしょうか。

 いいえ、決してそうではありません。どれだけ魔の力が強くても、そしてどれだけ人間が弱く儚くても――決して人間は無力なだけの存在ではない。そして私利私欲のために他人を踏みつけにする者がいる一方で、より人間らしい生き方のために、己の弱さに打ち克とうとする者がいる――そのことを、本作は海燕たちの冒険を通じて高らかに謳い上げるのです。

 そしてそれは、作者がこれまで描いてきた物語――強大な権力や残酷な運命に決して屈することなく、人間の善き心を信じて戦い続けた人間たちの物語に通じるものであることは、言うまでもありません。
 冒険ファンタジーの一類型を用いつつも、その中でどこまでも現実の世界を、そしてより善き人間の理想を描く物語が、本作なのであります。

 実は本作の時点で物語はまだ完結していないのですが――海燕の冒険の旅の終わりが、人間の善き心の勝利が描かれる日を、心から楽しみに待っている次第です。


『東遊記』(武内涼 KADOKAWA) Amazon
東遊記

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2018.08.28

武内涼『東遊記』(その一) 大スケール! 作者初の中国伝奇見参


 忍者もの、伝奇もの、歴史もの――様々なジャンルで活躍する作者の新機軸はなんと中国もの。それもいまだ神話の息吹の残る大陸を舞台に、妖魔の王・蚩尤の復活を防ぐために、はるばる日本に向かう少女・許海燕と、橘逸勢、空海ら彼女を守って戦う旅の仲間たちの冒険を描く奇想天外な物語であります。

 神話の時代、黄帝と激闘を繰り広げた末に倒された妖魔の王・蚩尤。復活を阻むために焼き払われたその体は、しかし二つの眼のみが焼け残り、代々の皇帝の命で堅く封印されていました。しかし9世紀初頭、蚩尤の眼は不気味に咆哮を始め、その復活が近いことを窺わるのです。
 蚩尤の復活を阻み、その眼を完全にこの世から消滅させるには、蟄竜の珠を持つ者によって、東の果ての霊峰の火口に投げ込むしかない――その予言を受けて白羽の矢を立てられたのは、美しい珠を手に生まれたという饅頭売りの少女・許海燕でした。

 突然背負わされたあまりに大きすぎる使命に驚き悩む海燕。しかし両親とこの世界を守るため、この運命を受け入れ、東の果て――日本の富士への旅を決意した彼女に対し、市場で交流のあった日本の留学生・橘逸勢と空海も同行することになります。
 さらに剛勇と仁慈を兼ね備えた呂将軍と正規軍、これまで蚩尤の眼の一つを封じてきた終南山の黄仙人と、同じく峨眉山の少年道士・馬童子を加えた旅の仲間は、この世を救うための旅に出立することになります。

 しかし、海燕の持つ珠に封じられた竜を解き放つ呪文を知る霊獣・白澤は、蚩尤復活を目論む謎の鬼仙・黒屍魔王に封じられ、余命幾ばくもない状態に。さらに彼ら妖魔たちに使嗾された人間たちが各地で一行を妨害する上に、蚩尤の眼の魔力は、眠っていた各地の妖魔たちを復活させることになります。
 次々と仲間たちが倒れ、孤立無援となる中、海燕と逸勢たちは目的を果たすことができるのか……?


 冒頭に述べたとおり、作者にとっては初の中国ものである本作。旅の目的地は日本、そして物語の中心人物にかの橘逸勢と空海がいるとはいえ、読者にとっては馴染みの薄い時代と場所であることは間違いありません。
 しかし、だからといって作品のクオリティが、物語の面白さが減じられるかといえば、もちろん否であります。神話の時代から繰り広げられてきた人と魔の戦いを背景に繰り広げられる物語は気宇壮大、ロードノベル形式というのも、中国大陸という広大な舞台にはぴったりの趣向と言えます。

 そしてキャラクターも、作者がこれまで描いてきたヒロイン像に通底する、無力でも清く強い心を持つ少女・海燕をはじめ、魅力的な人物揃い。
 特に海燕を支える(準)主人公格として設定されている逸勢は、登場した時こそドロップアウト寸前の不良留学生という趣でしたが、海燕を支える中で使命感に目覚め、得意の弓術をはじめとして、一行のリーダーとして成長していくのが印象に残ります。

 さらに、一行を守護する頼もしい武人・呂将軍は、その背負ったドラマもさることながら、ある種の武人の理想像とも言うべき人物像が実に素晴らしい。
 妖魔の脅威や私利私欲の前に屈する人間も少なくない中、ただ牙なき人々のために戦い抜く彼の姿は、実は本作最強の敵・黒屍魔王と鏡合わせの存在であり、二人の対決における将軍の咆吼は、涙なしには読めない名場面と言えます。

 そしてまた、伝奇――というよりファンタジー色を強く感じさせる妖魔たちも、実に個性豊かで、かつ恐ろしい。
 蚩尤の眼の力に反応して各地で復活するキョンシーの群れ(理屈上、どこに行っても現れるのが恐ろしい)、百鬼森に潜んで獲物を狩る不可視の妖魔、呂将軍の仇である人の声を真似る怪鳥・酸与――いずれも妖魔妖怪好きには堪らない存在ですが、圧巻は中盤の山場に登場する相柳氏です。

 節度使の反乱に巻き込まれ、長江の支流を下ることとなった海燕一行。その前に出現した相柳氏は、恐ろしく長大な体の上に九つの顔を持ち、毒の息を吐く妖魔――と、ここまでくれば、もはや怪獣ではありませんか!
 この相柳氏(しかも同時に二匹登場)の大晴れには、ここまでやるか、と大いに驚かされましたが――しかし作者のデビュー作である『忍びの森』は、忍者と妖怪の死闘を描くとは言い条、その中には明らかに怪獣と評すべき存在いたわけで、むしろこれは原点回帰と言うべきかもしれません。


 などと魅力十分な本作ですが、人によってはある作品との類似が気になるかもしれません。その作品の名は……
 と、申し訳ありませんが、長くなりましたので次回に続きます。


『東遊記』(武内涼 KADOKAWA) Amazon
東遊記

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2018.08.25

殿ヶ谷美由記『だんだらごはん』第3巻 再会、温め直す一と仲間たちの想い


 「食」から描くユニークな新撰組物語の第3巻――といっても新撰組誕生はまだもう少し先、この巻では浪士組として上洛しながら、清河八郎の裏切りによって放り出される形となった試衛館組(と芹沢一派)の姿が描かれることとなります。そして総司と再会した斎藤一は……

 幕府に仕える浪士組として活躍するために京に上った近藤・土方・沖田ら試衛館組。しかしその中には、共に汗を流してきた斎藤一はいません。
 江戸出発直前に事件に巻き込まれ、人を斬った彼は一足先に京に流れてきていたのですが――しかし想いは千々に乱れ、成すべきことも見つからずに彷徨うばかりであります。

 が、そんなある日にうどん屋で総司と出くわした一。しかし総司たちは浪士組を裏切る形で江戸に帰ろうとする清河八郎を斬るべく待ち伏せの最中。初めての人斬りに悩む総司に、思わずため込んだ気持ちをぶつける一ですが……


 と、うどん屋という妙なところで気まずい再会を果たした二人の姿から始まる第3巻。ある意味総司のために人を斬る羽目になり、互いにそれがわだかまりとなって残る二人ですが、それよりも目前の人斬りに悩む総司に怒りを爆発させる一――という二人の微妙なすれ違い方には、不思議なリアリティを感じます。

 そして子供みたいな取っ組み合いを演じる二人は、永倉に見つかって八木邸に連行されて、そのまま一はなし崩し的に一行と共同生活を始めるのですが――しかし当時の彼らは無職。とりあえず八木邸の家事を(もちろん食事の支度を含めて)こなすしかない、というのが哀しくもおかしい。
 それでも何とか芹沢の伝手をたどり、会津候に嘆願書を提出することになった元浪士組の面々の中に、ついに一も加わることに……


 第1巻のラスト以来、約1巻半ぶりに試衛館組と対面することになった一。ずいぶんと久々ですが、それだけに彼が再び「仲間」に戻る――と思っていたのは実は彼だけで、皆の中ではずっと「仲間」だと思っていた、というのもいいのですが――のはなかなか感慨深いものがあります。

 そのくだりも、「茶飯」――朝に米を炊く江戸と異なり、前日の昼に米を炊く京で、前日の冷えたご飯を食べるために茶飯にするという風習(?)を、「冷めたごはんもおいしく変えられる」=過去は変えることができるという象徴に使うというのも、本作らしくて実に良いと思います。
 その一方で、一天万乗の君が、経済的な窮乏から碌なものを食べていない、とビジュアルで見せる展開も面白く、そこから(やっぱり前巻のあの人物だった)松平容保が天下を安んずるためには新たな力が必要、と決意させるのもまたうまいと感じます。

 さて、そんな中で互いの望むところが一致し、めでたい宴席を経て会津藩預かりとなった元浪士組ですが――しかしそれで万事丸くいくわけではありません。
 試衛館組の台頭を面白く思わぬ殿内義雄が、会津藩に認められた彼らに一方的に嫉妬した上に近藤暗殺を計画(!)、それを知ってしまった土方と総司は、殿内粛正を決意、ついに総司も人を斬ることに……


 と、今回も緩急(基本的に前者)を織り交ぜつつも、重い部分はきっちり重い本作。一が初めての思わぬ人斬りの衝撃で刀を抜けなくなってしまった一方で、自ら望んで人を斬った総司はどうなってしまうのか、気になるところであります。
 そして時期的には新撰組結成前夜、ということは、おそらく次の巻辺りではあの人物が――と、まだまだ楽しい展開の合間に、ズンと重い展開が差し挟まれることになりそうであります。

 正直なところ、面白い部分はもちろん多い一方で、殿内の言動の雑さなど、時代ものとして、物語として、粗削りな部分は目に付くきます(松平容保まで月代剃っていないのはもう諦めるとして)。
 それでもなお、やはり「食」を切り口とした青春もの要素多めの新撰組ものというのは珍重すべき存在であり――この先も頑張って欲しいと思います。


『だんだらごはん』第3巻(殿ヶ谷美由記 講談社KCxARIA) Amazon
だんだらごはん(3) (KCx)


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2018.08.10

滝口琳々『明朝幻想夜話 『聊斎志異』選集』 美女と怪異と道士と 甦る中国怪談集


 『北宋風雲伝』や『新再生縁』など、かなりマニアックな原典を巧みに少女漫画として再生させてきた作者による、中国怪談集『聊斎志異』のコミカライズ――ユニークなアレンジにより、一種の連作としての味わいも感じられる全5編の短編集であります。

 『聊斎志異』は清代の文人・蒲松齢による全491編の志怪小説(怪奇小説)集。「聊斎(作者の号)が異を志す」という題を冠する本書は、現代に至るまで親しまれ、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』など、映像化作品も少なくありません。
 日本でも特に明治時代以降様々な作家によって翻訳・翻案されている、おそらくは日本で最も有名な中国怪談集でしょう。

 本作はこの『聊斎志異』のうちから以下の5話をピックアップ。物語の舞台を明代に設定し、原典ではそれぞれ全く別個の物語であったものに、共通の主人公(狂言回し)としてオリジナルキャラクターの侠客道士・郭玄礼を設定しているのがユニークなところであります。

『連瑣』 20年前に亡くなった美女・連瑣と相思相愛となった書生・楊于畏。しかし二人は生と死の壁に隔てられ、さらに連瑣を我がものにしようとする者が……

『瑞雲』 強く惹かれあう杭州一の名妓・瑞雲と貧乏書生の賀。しかし賀に身請けの金はなく、悲しみに暮れる瑞雲の前に現れた郭玄礼の術が思わぬ運命の変転をもたらす。

『画壁』 荒れ寺で一夜を過ごすことになった郭玄礼と朱沖。寺の壁画に描かれた仙女に恋をした朱沖は、絵の仲に引き込まれ、彼女と情を交わすものの……

『画皮』 夜道で出会った美女・周玉卿を妾にしようと連れ帰った王準。しかし彼女の正体は美女の皮を被った魔物だった。魔物は退治されたものの、命を奪われた王準は……

『五通』 蘇州で次々と美女を辱める妖魔・五通神。街で出会った男装の美少女が五通神と婚礼を挙げるよう強いられていると知った郭玄礼は、魔物退治に乗り出す。


 いずれも翻訳されたり映像化されたり(『画壁』は『チャイニーズ・フェアリー・ストーリー』、『画皮』は『画皮 あやかしの恋』の邦題でそれぞれ映画化)と、比較的有名な作品が題材となっている本作。
 私もほとんどの作品の内容を知っていましたが、しかし本書はまたそれらとは一風異なる味付けで楽しませてくれます。

 本書に収録された5編の共通点の一つは、いずれも美女が登場し、登場人物と恋に落ちる点。もっともその美女は普通の人間ではなく、彼女と愛し合ったために大変なことになって――という『聊斎志異』の定番パターンも少なくないのですが、それでも彼女たちが実に美しく、存在感があるのは、この漫画ならではの魅力でしょう。

 エピソードによってはかなり甘々な展開となるのですが、それもまた原典どおり。ここは素直に美男美女の微笑ましくも温かい恋愛の行方に胸を熱くするべきなのでしょう。エピソードによってはかなり露骨な内容も含まれているのですが、その辺りを生々しくなく、サラリと描いているのもまた魅力であります。

 そしてもう一つの共通点は、そんな男女を見つめ、助ける郭玄礼の存在です。
 恋愛には障害がつきもの、ましてやそこにこの世ならぬものが絡むとすれば――と、二人の恋路を邪魔する魔物、美女を苦しめる魔物を颯爽と退治するのが、本書における彼の役回りであります(もっとも、『瑞雲』のみはちょっと役回りが異なりますが、二人を助ける役回りであることには変わりはありません)

 もちろん先に述べたように郭玄礼はオリジナルキャラクターではあります。しかし、彼の役割を果たす豪傑や道士は原典にも登場しており(『画壁』は結構アレンジが入っていますが)、作品のチョイス的にこうした点が影響しているのかな――という印象もありますが、何はともあれ、本書を一つの世界としてまとめるに彼の存在が意味を持っていることは間違いありません。


 何はともあれ、長きにわたり語り継がれた魅力的な怪異譚を、これまた魅力的にリライトしてくれた本作。原典は491話もあるだけに、まだまだ漫画化して欲しい――と今でも思ってしまう一冊であります。


『明朝幻想夜話 『聊斎志異』選集』(滝口琳々 秋水社ORIGINAL) Amazon
明朝幻想夜話~『聊斎志異』選集~ (少女宣言)

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2018.08.07

田中芳樹『新・水滸後伝』上巻 帰ってきた豪傑たち 新生の水滸伝続編


 スペースオペラ、ファンタジー等、様々なジャンルで活躍してきた作者のもう一つの得意分野は中国の古典。これまで様々な作品をリライトしてきた作者ですが、その最新作は――『水滸後伝』! あの水滸伝の続編小説をリライトするとあれば、マニアとしてはもちろん黙っていられないのであります。

 朝廷に帰順し、四方の賊を平らげたものの、その数を三十数名にまで減じることとなった梁山泊の豪傑たち。今はそれぞれ各地で平和に暮らす豪傑たちですが――しかし運命は彼らを決して放ってはおかないのであります。
 時あたかも北方で金が遼を滅ぼし、南下を狙っている頃。しかし北宋では相変わらず奸臣や小人たちが幅を利かせてやりたい放題、まさに国の滅びは目前に迫っている状況です。

 そんな中、阮小七が悪徳役人に難癖をつけられたことをきっかけに、各地で梁山泊の豪傑たちが動き始めることになります。貪官汚吏に陥れられ逆襲に転じる者、新天地を求めて雄飛する者、国を守るために奮戦する者――再び集う豪傑たちが向かう先は……


 本作のベースとなった水滸後伝は、16世紀前半に成立したとみられる水滸伝に遅れること百数十年、1668年に陳忱が書いた作品。
 水滸伝ファンであれば誰もが結末にはなにがしかの不満を抱くものですが、それは数百年前でも同じこと、作者が自分なりの続編・後日譚を書いたのが本作であり――いわば二次創作であります。

 もちろんそのような作品は無数にあったと思われますが、しかし本作が現代まで残っているのは、その中でも非常に面白かったからにほかなりません。
 生き残りの豪傑たちはもちろんのこと、その他の原典の登場人物、豪傑たちの二世世代を散りばめて描かれる物語は原典の最も楽しい時期――すなわち、天に替わって道を行い、弱きを助け強きをくじく豪傑たちの野放図な活躍を描き、何よりもハッピーエンドなのですから嬉しい。

 当然、水滸伝ファンには必修の作品と思っていたのですが――しかし作者の言を見ると「原典の存在を知ってもらうだけでも、恥をかく価値はある、と考えて刊行してもらうことにした」と、何やら非常に控えめ。
 もしかして水滸後伝はマイナー作品なのかしら、と頭に上った血を下げて考えてみれば、確かにこの水滸後伝は、現在はアクセスしにくい作品であります。

 完訳は鳥居久靖による東洋文庫で全3巻が出ているのみ、抄訳も寺尾善雄による1巻本があるきりで、リライトに至ってはゼロ! いかに日本で水滸伝が不遇とはいえ、これはあまりに残念な状況であります。
 だとすれば、ここでこうして作者が水滸後伝をリライトしてくれるのは、大いに意味のある、素晴らしい試みであると言うほかありません。何しろ、水滸後伝が書店で平積みになっているのですから、痛快ではありませんか!


 と、中身にほとんど触れず恐縮ですが、この上巻で描かれるのは全三十回の原典の第二十二回まで。豪傑たちが登雲山や飲馬川という原典ファンには懐かしい地に集い、あるいは海を越えて金鼇島に拠る様が描かれることになります。
 しかし先に述べたとおり金軍の侵略は迫り、首都たる開封府までもが危うい状況。そんな中、(最近はスマホゲームでの登場で有名になった)あの男が登場して……という展開であります。

 さて、それでは本作のリライトぶりは、といえば、これが意外なほど原典に忠実な内容。全2巻とはいえやはりある程度ダイジェストされた部分はあるのですが、しかしこの上巻の時点では、原典の内容はほぼ全てフォローされているのは――と感じます。
 むしろ描写や説明についてはかなり丁寧な印象で、特にキャラクター描写については原典の不足をうまく補っていると感じられるところ。特にこの後伝で初登場の二世組のうちの二人――呼延ギョク、徐晟ら若武者の描写は、これまで梁山泊にいないタイプのキャラだけに、なかなか新鮮に感じられます。

 何よりも、全編にどこかあっけらかんとした、明るいムードが漂っているのが、気持ち良いのであります。


 さて、上巻では生き残りの豪傑たちの大半が登場しましたが、さて残る豪傑たちはどこにいるのか。そして上巻ラストで登場した謎の怪人の正体は(あと、こればかりは改変せざるを得ないと思われるあのキャラの扱いは)……
 下巻も近日中にご紹介いたします。


『新・水滸後伝』上巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 上巻

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2018.07.26

DOUBLE-S『イサック』第4巻 宿敵大暴走!? 混沌の防衛戦終結


 欧州に渡った日本の銃士・イサックの戦いはまだまだ続き、ローゼンハイム市防衛戦もいよいよ佳境。不倶戴天の敵であるロレンツォの狙撃によりほとんど行動不能となり、スピノラ軍の攻撃を前に追い詰められるイサックたちに生存の目はあるのか。そして事態はあまりにも意外な方向に……

 その凄まじい狙撃の腕によって幾度となくフックスブルク城のプリンツ・ハインリッヒを救い、ついにアルフォンソ王太子とスピノラ将軍を退けたイサック。
 次いでプリンツとともにローゼンハイム市防衛に向かったイサックですが、その前に彼の仇敵であり、欧州に渡った理由であるロレンツォが立ち塞がることになります。

 スピノラ方に加わり、ローゼンハイム市に籠城した人々を次々と狙撃していくロレンツォ。一方のイサックは片腕を負傷して銃の扱いもままならぬ状況ですが、ロレンツォを封じないことには攻撃も防御もできない状況であります。
 そこでイサックを助けるのは、彼と行動をともにしてきた少女・ゼッタ――イサックに代わって彼女が引き金を引いた銃弾はロレンツォを捕らえるのか!?


 という非常に緊迫した場面から始まるこの第4巻ですが――ここで予想外の姿を晒したロレンツォ。詳しくは述べませんが、一ページブチ抜きで描かれたそれは、あまりにも衝撃的というか、一言で言ってキモい。変態以外の何ものでもありません。

 ……何はともあれこの銃弾によって戦意を失い、彼を気に入ったアルフォンソ王太子とともに後方に下がることになったロレンツォ。が、そこに、プリンツの要請に応えて明日の夜にはイギリス軍の援軍が市に到着するとの一報が入ることになります。
 それを知ったスピノラは、援軍到着までに決着をつけるべく、総攻撃を決意。それに対してイサックも背水の陣、いや背火の陣とも言うべき構えで決戦を挑みます。

 一方、アルフォンソに招かれたロレンツォですが、戦場の混沌を求めてやまない彼と、さっさと戦争を終えて遊び暮らしたいと言わんばかりの王太子は水と油。王太子の言葉に怒りを燃やしたロレンツォは……


 これまではイサックが狙撃のみならず武術の腕、そして戦術の冴えで大暴れしてきた本作ですが、この巻をかき回したのは完全にロレンツォ。
 先に述べた変態ぶりだけでも驚かされますが、まさかそれ以上の驚きが待っているとは――いやはや、ある意味、戦いを始め、終わらせたのは彼と言っても過言ではありません。

 正直なところ、設定や描写などは非常にリアルであるだけに(この巻で描かれた、地縁社会と密着した当時の傭兵団の在り方には感心)、一人のキャラクターによって歴史が左右されるかのような展開はどうかなあ、とは思いますが、ここはギリギリ許容範囲と言うべきでしょうか。
 あのイサックと真っ正面から対峙し、そして彼を圧倒するのであれば、これくらいのキャラクターでなければならないのは間違いないのですから。

 そしてひとまず終結したローゼンハイム市防衛戦ですが――しかし二人の対決は終わりません。思わぬ窮地に陥ったプリンツを救うため死地に飛び込むイサックと、待ち受けるロレンツォ。己の義のため、ついに死を覚悟したイサックの刀はロレンツォを捕らえるのか!?
 もうこのまま結末に突入してもおかしくない勢いで次巻に続きます。


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2018.07.15

TAGRO『別式』第3巻 強く正しく美しい彼女の残酷さ、無神経さ


 江戸時代初期を舞台に、剣術自慢の娘――別式たちの姿を描く本作もいよいよ佳境。無類の強さを誇る剣士にして面食いの主人公・類の存在を、一人の男と一人の女が問い直すことになります。そしてその先に描かれるものは……

 自分より強いイケメンを求めて次々と男たちと立ち会う類、そんな彼女にコンプレックスを抱きつつ秘めた恋に悩む魁、表では伝法に振る舞いつつも仇である狐目の男を密かに追う切鵺、日本橋の母と異名を持つ占い師にして二刀流の達人の刀萌――今日も江戸でそれぞれに暮らす別式たち。
 そんな中でも今日も類は絶好調、亡父の主である土井大炊守が差し向ける婿候補(その他街角でエンカウントするモブ侍)をバッタバッタと薙ぎ倒す毎日であります。

 ということはすなわち、相変わらず類は男に縁なしということですが――そこに新たな挑戦者が現れます。その名は菘十郎――かつての類の父の門下生であり、そして類の視界から自動的に抹消されるほどの微妙なルックスの持ち主であります。
 その風貌により、幼い頃から周囲にいじめ抜かれ、理不尽な嘲りを受けてきた十郎ですが、しかしその実、彼は類の父直伝の剣の達人。試合の場で類の父と瓜二つの剣技を見せる十郎は、ついに類を圧倒するのですが……

 そしてそのエピソードに次いで描かれるのは、刀萌の過去編であります。占い師と二刀流の剣士――いや、金で人を死末する凄腕の殺し屋という二つの顔を持つ刀萌。その優しげな姿には似合わぬ裏の顔を彼女が持つに至ったのは何故か、その二刀流はどこで身につけたものか、そして彼女は何のために人を斬るのか――すなわち、金を稼ぐのか。
 それはあまりにも重く無惨な物語。青春残酷物語どころではない、純粋に残酷時代劇であります。

 そして次の死末のターゲットとして彼女が挑むことになったのは、狐目の男・岩渕源内……


 これまで物語の中では圧倒的に「強く」「正しく」「美しい」存在として描かれてきた類。イケメン以外や自分より弱い者に徹底的に冷たいという欠点などはあるものの、それは主人公としての一種の特権の前には塗りつぶされるものであります。

 そんな類に対して、この巻で描かれる十郎と刀萌の姿は、正反対とすら感じられます。
 (かつては)理不尽な暴力の前に萎縮するしかないほど「弱く」、人として正道ではない道を歩むという「誤り」を犯し、そしてその姿あるいは生き様はあまりにも「醜い」――容赦のない言い方をしてしまえば、それが二人の在り方なのです。
(そしてそのあまりの無残さを、本作ならではの可愛らしい絵柄が巧みに中和し、そして同時に増幅しているのには唸るほかありません)

 しかしそんな二人は、類というキャラクターの根本的にある、どうしようもないほどの残酷さ、無神経さを容赦なく剔抉する存在として機能します。
 他のキャラクターが大なり小なりの悩みを、陰を抱える中で、彼女のみは――もちろん皆無ではないものの――あまりにも軽い。いやむしろ、その悩みを無神経に周囲にぶつけ、あまりにも自分本位に生きていると言うほかありません。

 そしてその根底にあるもの、それを許しているものが彼女自身の「強さ」「正しさ」「美しさ」にあるとすれば――それはなんと残酷なことでしょうか。彼女が彼女である限り、彼女はそれに気付くことはないのですから。
 源内との決闘に向かう直前、刀萌が彼女に対して予言したように……


 もちろんそれは、彼女に「情」がないということではありません。いやむしろ、彼女は様々な形で「情」が濃すぎると言うべきかもしれませんが――だとすれば、その彼女を変えることがあるとすれば、それは彼女の「情」を揺るがせるほど、周囲から失われるものがあった時かもしれません。
 かつて早和が去った時のように。そしてこの巻のラストのように。

 果たしてその先に彼女を待つものが何なのか。それを経験してなお、彼女は「強く」「正しく」「美しく」存ることができるのか。
 そしてそれは本作の第1巻の冒頭で描かれたあの昏い未来図に繋がっていくのかもしれませんが――そこに至るまでの道の辛さから目を背けたいのにもう目が逸らせない、そんな強烈な力を持つ作品であります。


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2018.06.25

銅大『アンゴルモア 異本元寇合戦記』 良質で良心的な小説版、もう一つのアンゴルモア


 ついにこの夏からアニメも開始の『アンゴルモア 元寇合戦記』。そのノベライゼーションが本作であります。副題には「異本」とありますが、内容自体は原作に忠実な本作。しかしそこから受けるイメージは、原作からほんの少し異なったものがある、まさしく副題通りの作品であります。

 流人として対馬に流された元御家人の朽井迅三郎。対馬で意外な歓待を受けた迅三郎たち流人ですが、しかしすぐに元軍が対馬目前まで迫っていること、自分たち流人がその戦いの駒として用意されたことを知ることになります。
 ほどなくして対馬に来襲する無数の元軍。地頭代の宗助国をはじめ、迎え撃った対馬の兵たちは善戦するも、初めて目にする元軍の戦法・兵器、そして何よりも物量の前に瞬く間に潰走する羽目となるのでした。

 そんな中、奇策を以て元軍に挑み、痛撃を与えた迅三郎と流人たち。しかし彼らをしても元軍の動きを一時的に抑えることができたのみ、対馬の難民たちとともに、迅三郎たちは絶望的な撤退戦を繰り広げることに……


 そんな原作序盤――単行本でいえば第5巻の冒頭、迅三郎がある人物と対面するまでを描くこの小説版。先に述べましたが、「異本」とは言い条、その内容は驚くほど原作に忠実で、物語展開はもちろんのこと、キャラクターの動きや情景描写、台詞のひとつ一つまで、原作を再現したものとなっています。

 もちろん本作で初めて『アンゴルモア』という物語に触れる読者にとってはそれで良いと思いますが、しかしそれでは原作読者はわざわざ本作を読む必要はないのか――と思われるかもしれませんが、その答えは否。むしろ原作を読んだ人間ほど楽しめるのではないか――そんな印象すらあります。
 しかし原作に忠実なのに新たに楽しめるとはいかなる理由か? それは本作が小説として再構成される際に、新たに付け加えられたもの、補われたものによります。

 その一つは、史実に基づく、史実に関するデータや解説の補足であります。
 作中で描かれる数々の史実や、独自の用語や事物――特に兵器の数々。それらは、もちろん原作でも説明はされているのですが、漫画という作品のスタイルを考えれば、それにも限界があることは言うまでもありません。

 それを本作は、地の文できっちりと補っていきます。例えば原作冒頭で「アンゴルモア」の意味を語る際に描かれたポーランド軍と元軍の戦い――そのポーランド軍がいかに戦い、そして敗れた後に何があったのか。本作はそれを簡潔かつ丁寧に語り、より物語の輪郭を明確に浮かび上がらせるのです。

 そしてもう一つ、個人的にはより大きな意味を持つものとして感じられるのが、登場人物たちの心理描写の補強であります。
 こちらももちろん原作では様々な形で描かれているところですが――しかしその内面を事細かに描くわけにはいきません。

 しかし小説であれば、それを――漫画では見えなかった部分まで――不自然さなく、丹念に描くことが可能になります。もちろんそれはあくまでも補強に過ぎませんが、しかし「ああこの時、この人物はこんなことを考えていたのか!」と(違和感なく)感じさせてくれるのが実に大きいと感じます。
 特に序盤、宗助国が迅三郎に郎党たちの面前で面罵されるくだり――それ自体は原作にもありますが、ここで助国が無表情な外見の内側で「――よし、殺そう。」と思っていたという描写など、実に中世武士らしくて良いではありませんか。

 そしてこの内面描写の影響を最も大きく受けているのは、やはり迅三郎でしょう。戦場での獰猛さと裏腹に、平時は飄々とした人物であるだけに、内面が比較的見えにくい人物だから――という点はもちろんありますが、しかしそれだけではありません。
 原作の、特に序盤ではかなり色濃く感じられる迅三郎のヒロイズム。絶望的な戦いの中でのそれが作品の魅力の一つであるのはもちろんですが、時に超人的なヒーローに見えてしまった彼の姿を、本作は良い意味で抑え、人間として再構築してみせていると感じます。

 それは同時に、原作を読んでいた時に常に頭の片隅にあった、侵略戦争を――それも自分の国でかつて確かに行われたものを――エンターテイメントとしていかに描くか、という問いへの答えともなっている、というのはいささか考えすぎかもしれませんが……


 しかしいずれにせよ、ノベライゼーションとして、本作がかなり良質で良心的なものであることは間違いありません。
 先に述べたとおり原作半ばまでで終わっている本作ですが、この続きもぜひ読んでみたいと感じさせられる一冊であります。


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アンゴルモア 異本元寇合戦記 (Novel 0)


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