2018.07.15

TAGRO『別式』第3巻 強く正しく美しい彼女の残酷さ、無神経さ


 江戸時代初期を舞台に、剣術自慢の娘――別式たちの姿を描く本作もいよいよ佳境。無類の強さを誇る剣士にして面食いの主人公・類の存在を、一人の男と一人の女が問い直すことになります。そしてその先に描かれるものは……

 自分より強いイケメンを求めて次々と男たちと立ち会う類、そんな彼女にコンプレックスを抱きつつ秘めた恋に悩む魁、表では伝法に振る舞いつつも仇である狐目の男を密かに追う切鵺、日本橋の母と異名を持つ占い師にして二刀流の達人の刀萌――今日も江戸でそれぞれに暮らす別式たち。
 そんな中でも今日も類は絶好調、亡父の主である土井大炊守が差し向ける婿候補(その他街角でエンカウントするモブ侍)をバッタバッタと薙ぎ倒す毎日であります。

 ということはすなわち、相変わらず類は男に縁なしということですが――そこに新たな挑戦者が現れます。その名は菘十郎――かつての類の父の門下生であり、そして類の視界から自動的に抹消されるほどの微妙なルックスの持ち主であります。
 その風貌により、幼い頃から周囲にいじめ抜かれ、理不尽な嘲りを受けてきた十郎ですが、しかしその実、彼は類の父直伝の剣の達人。試合の場で類の父と瓜二つの剣技を見せる十郎は、ついに類を圧倒するのですが……

 そしてそのエピソードに次いで描かれるのは、刀萌の過去編であります。占い師と二刀流の剣士――いや、金で人を死末する凄腕の殺し屋という二つの顔を持つ刀萌。その優しげな姿には似合わぬ裏の顔を彼女が持つに至ったのは何故か、その二刀流はどこで身につけたものか、そして彼女は何のために人を斬るのか――すなわち、金を稼ぐのか。
 それはあまりにも重く無惨な物語。青春残酷物語どころではない、純粋に残酷時代劇であります。

 そして次の死末のターゲットとして彼女が挑むことになったのは、狐目の男・岩渕源内……


 これまで物語の中では圧倒的に「強く」「正しく」「美しい」存在として描かれてきた類。イケメン以外や自分より弱い者に徹底的に冷たいという欠点などはあるものの、それは主人公としての一種の特権の前には塗りつぶされるものであります。

 そんな類に対して、この巻で描かれる十郎と刀萌の姿は、正反対とすら感じられます。
 (かつては)理不尽な暴力の前に萎縮するしかないほど「弱く」、人として正道ではない道を歩むという「誤り」を犯し、そしてその姿あるいは生き様はあまりにも「醜い」――容赦のない言い方をしてしまえば、それが二人の在り方なのです。
(そしてそのあまりの無残さを、本作ならではの可愛らしい絵柄が巧みに中和し、そして同時に増幅しているのには唸るほかありません)

 しかしそんな二人は、類というキャラクターの根本的にある、どうしようもないほどの残酷さ、無神経さを容赦なく剔抉する存在として機能します。
 他のキャラクターが大なり小なりの悩みを、陰を抱える中で、彼女のみは――もちろん皆無ではないものの――あまりにも軽い。いやむしろ、その悩みを無神経に周囲にぶつけ、あまりにも自分本位に生きていると言うほかありません。

 そしてその根底にあるもの、それを許しているものが彼女自身の「強さ」「正しさ」「美しさ」にあるとすれば――それはなんと残酷なことでしょうか。彼女が彼女である限り、彼女はそれに気付くことはないのですから。
 源内との決闘に向かう直前、刀萌が彼女に対して予言したように……


 もちろんそれは、彼女に「情」がないということではありません。いやむしろ、彼女は様々な形で「情」が濃すぎると言うべきかもしれませんが――だとすれば、その彼女を変えることがあるとすれば、それは彼女の「情」を揺るがせるほど、周囲から失われるものがあった時かもしれません。
 かつて早和が去った時のように。そしてこの巻のラストのように。

 果たしてその先に彼女を待つものが何なのか。それを経験してなお、彼女は「強く」「正しく」「美しく」存ることができるのか。
 そしてそれは本作の第1巻の冒頭で描かれたあの昏い未来図に繋がっていくのかもしれませんが――そこに至るまでの道の辛さから目を背けたいのにもう目が逸らせない、そんな強烈な力を持つ作品であります。


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2018.06.25

銅大『アンゴルモア 異本元寇合戦記』 良質で良心的な小説版、もう一つのアンゴルモア


 ついにこの夏からアニメも開始の『アンゴルモア 元寇合戦記』。そのノベライゼーションが本作であります。副題には「異本」とありますが、内容自体は原作に忠実な本作。しかしそこから受けるイメージは、原作からほんの少し異なったものがある、まさしく副題通りの作品であります。

 流人として対馬に流された元御家人の朽井迅三郎。対馬で意外な歓待を受けた迅三郎たち流人ですが、しかしすぐに元軍が対馬目前まで迫っていること、自分たち流人がその戦いの駒として用意されたことを知ることになります。
 ほどなくして対馬に来襲する無数の元軍。地頭代の宗助国をはじめ、迎え撃った対馬の兵たちは善戦するも、初めて目にする元軍の戦法・兵器、そして何よりも物量の前に瞬く間に潰走する羽目となるのでした。

 そんな中、奇策を以て元軍に挑み、痛撃を与えた迅三郎と流人たち。しかし彼らをしても元軍の動きを一時的に抑えることができたのみ、対馬の難民たちとともに、迅三郎たちは絶望的な撤退戦を繰り広げることに……


 そんな原作序盤――単行本でいえば第5巻の冒頭、迅三郎がある人物と対面するまでを描くこの小説版。先に述べましたが、「異本」とは言い条、その内容は驚くほど原作に忠実で、物語展開はもちろんのこと、キャラクターの動きや情景描写、台詞のひとつ一つまで、原作を再現したものとなっています。

 もちろん本作で初めて『アンゴルモア』という物語に触れる読者にとってはそれで良いと思いますが、しかしそれでは原作読者はわざわざ本作を読む必要はないのか――と思われるかもしれませんが、その答えは否。むしろ原作を読んだ人間ほど楽しめるのではないか――そんな印象すらあります。
 しかし原作に忠実なのに新たに楽しめるとはいかなる理由か? それは本作が小説として再構成される際に、新たに付け加えられたもの、補われたものによります。

 その一つは、史実に基づく、史実に関するデータや解説の補足であります。
 作中で描かれる数々の史実や、独自の用語や事物――特に兵器の数々。それらは、もちろん原作でも説明はされているのですが、漫画という作品のスタイルを考えれば、それにも限界があることは言うまでもありません。

 それを本作は、地の文できっちりと補っていきます。例えば原作冒頭で「アンゴルモア」の意味を語る際に描かれたポーランド軍と元軍の戦い――そのポーランド軍がいかに戦い、そして敗れた後に何があったのか。本作はそれを簡潔かつ丁寧に語り、より物語の輪郭を明確に浮かび上がらせるのです。

 そしてもう一つ、個人的にはより大きな意味を持つものとして感じられるのが、登場人物たちの心理描写の補強であります。
 こちらももちろん原作では様々な形で描かれているところですが――しかしその内面を事細かに描くわけにはいきません。

 しかし小説であれば、それを――漫画では見えなかった部分まで――不自然さなく、丹念に描くことが可能になります。もちろんそれはあくまでも補強に過ぎませんが、しかし「ああこの時、この人物はこんなことを考えていたのか!」と(違和感なく)感じさせてくれるのが実に大きいと感じます。
 特に序盤、宗助国が迅三郎に郎党たちの面前で面罵されるくだり――それ自体は原作にもありますが、ここで助国が無表情な外見の内側で「――よし、殺そう。」と思っていたという描写など、実に中世武士らしくて良いではありませんか。

 そしてこの内面描写の影響を最も大きく受けているのは、やはり迅三郎でしょう。戦場での獰猛さと裏腹に、平時は飄々とした人物であるだけに、内面が比較的見えにくい人物だから――という点はもちろんありますが、しかしそれだけではありません。
 原作の、特に序盤ではかなり色濃く感じられる迅三郎のヒロイズム。絶望的な戦いの中でのそれが作品の魅力の一つであるのはもちろんですが、時に超人的なヒーローに見えてしまった彼の姿を、本作は良い意味で抑え、人間として再構築してみせていると感じます。

 それは同時に、原作を読んでいた時に常に頭の片隅にあった、侵略戦争を――それも自分の国でかつて確かに行われたものを――エンターテイメントとしていかに描くか、という問いへの答えともなっている、というのはいささか考えすぎかもしれませんが……


 しかしいずれにせよ、ノベライゼーションとして、本作がかなり良質で良心的なものであることは間違いありません。
 先に述べたとおり原作半ばまでで終わっている本作ですが、この続きもぜひ読んでみたいと感じさせられる一冊であります。


『アンゴルモア 異本元寇合戦記』(銅大&たかぎ七彦 KADOKAWA Novel 0) Amazon
アンゴルモア 異本元寇合戦記 (Novel 0)


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2018.06.24

ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組 結』 新たな魂を吹き込まれた物語

 舞台上で声優が舞台上に映し出される漫画の台詞をアフレコするという、LIVEリーディングイベントを観劇(聴劇?)して参りました。ほぼ一年前に上演されたことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』の続編・完結編であります。

 朝日曼耀 作画、富沢義彦 原作の原作漫画についてはこれまでこのブログでも紹介して参りましたが、タイトルのとおりと言うべきか、戦国時代にタイムスリップしてしまった新撰組の活躍を描く物語であります。
 突然桶狭間の戦直前の時代に放り出され、全く勝手の異なる戦いの中で幾多の犠牲を出しつつも、徐々に頭角を現していく土方らの姿を、佐久間象山の息子・三浦啓之助の目を通じて描く作品です。

 乱戦のどさくさに紛れて啓之助に信長が射殺され(!)、その後釜に濃姫が座るという場面まで――全3巻の原作のうち、第2巻の中盤までが上演された前回。
 今回はこれを受けて残る後半部分――清洲城に来襲した今川義元との決戦、さらに竹中半兵衛が守る斎藤家との死闘が、敵味方同士に分かれた新撰組隊士たち同士の戦いを交えて描かれることになります。

 LIVEリーディングというイベントは、冒頭に述べたとおり漫画の画を(吹き出しは消して)そのままスクリーンに映し出し、それに声を当てていくというものだけに、内容は必然的に原作に忠実にならざるを得ません。
 それだけに内容的には原作既読者には(当たり前ですが)目新しさはない――はずなのですが、しかし声優の声が付いてみると、物語がまた全く異なったものとなって見えてくるのが面白いところであります。

 漫画を読んでいる時に何となく脳内で再生しているのとは異なり、生きている人間一人一人がそれぞれのキャラクターとして喋る――本作のようなキャラクター数がかなり多い作品では、それがある意味物語の輪郭を明確にしていくものだと、再確認させられました。
 実は原作の方は、正直に申し上げて後半はかなり駆け足になった印象があるのですが、それがこのLIVEリーディングでは、違和感や不足感を感じさせず、むしろ状況が刻一刻と変わっていく緊迫感を醸し出していたのも、この声の力に依るところが大きいのでしょう。

 ちなみに主人公の三浦啓之助役は、前回と異なり酒井広大が演じていたのですが、前回にも勝るとも劣らぬ啓之助っぷり――特にラストにこれまでの自分を捨て、新たな道を撰ぼうと踏み出す場面はなかなかに良かったと思います。

(しかし前回もそうだったと思いますが、RDJをモデルにした今川義元の声を、「あの声優」チックに演じるのはズルくも楽しかったです)


 なお、今回は本編の前に同じ原作者の作品(作画 たみ)『さんばか』を同形式で上演。こちらは寛政年間の江戸を舞台に、戯作者を夢見る少年・菊池久徳と、戯作ファンの三人娘が風呂屋を(主な)舞台に繰り広げるお色気多めの時代コメディであります。

 原作漫画を読んだのはかなり前でしたが、男臭い『戦国新撰組』に比べると、グッと華やかな内容で、女の子たちがわちゃわちゃと騒がしい展開は、これはこれでこの媒体にかなり似合う――という印象。
 映画で言えば本編前の併映の短編といった趣きですが、ちょうど良い塩梅の作品であったと思います。


 何はともあれ、『戦国新撰組』と『さんばか』――漫画で楽しんだ物語をこうして新たな魂を吹き込んだ形で追体験するというのは、なかなか楽しい経験でありました。機会があれば、またぜひ。



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 「さんばか」1 江戸の風呂屋に自由と交流の世界を見る

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2018.06.20

TAGRO『別式』第2巻 新たな別式が抱える陽と陰


 何でもアリ日常系時代漫画のようでいて、実は青春残酷時代劇――そんな『別式』の第2巻であります。団子四別式の一人にして要だった早和が去った江戸に登場した新たな別式――類たちとはタイプの違う美女にして二刀流の遣い手である刀萌。しかし彼女もまた、何やら暗い影を背負っていて……

 古河藩土井家の武芸指南役だった亡父の技を継ぎ、無敵の剣の腕を持つ女武芸者(=別式)の佐々木類。そして彼女とは幼馴染みで古河藩の別式女筆頭・魁、島原藩別式の早和、渡世人の切鵺――彼女たち四人は、団子四別式などと名乗って日々を楽しく過ごす友人同士であります。

 しかし島原で勃発した切支丹一揆において早和の父は戦死。早和もお役御免となり、残った家族を助けるために帰国することになるのでした。
 明るく脳天気で、だからこそそれぞれ個性の異なる類たちを束ねる団子の串だった早和が姿を消したことで、彼女たちの関係も微妙なものに変わっていくことになります。

 そんな中、江戸で日本橋の母と評判の女占い師の噂を聞きつけて出かけた魁の前に現れたのは、豊満な肢体と母のような包容力を持った娘・刀萌。
 モモンガの斬九郎をお供に、宙に投げ上げた紙を二刀で瞬く内に切り刻むという変わった占いの技で、ぴたりと魁の悩みを当てただけでなく、それに対する答えまで語ってみせる刀萌に、魁は強い安らぎを覚えるのでした。

 そしてそれがきっかけとなったように、様々な形で関わり合うことになる四人の別式。しかしそんな中、類の弟子の少年・慎太郎の父が逆手斬りを操る何者かに斬殺されるという事件が発生し、古河藩士で魁や類とは何かと絡む遊び人・九十九は、刀萌に疑いをかけるのですが……


 早和が去って後、現れた別式・刀萌を中心に進んでいくこの第2巻。どちらかというと(体型的にも性格的にも)「女性らしさ」というものとは縁遠い類たちでしたが、刀萌はその二つを兼ね備えた、彼女たちとはちょっとタイプが異なる人物であります。
 その癒し系のキャラクターは、早和なき後の類たちを結びつけ、人間関係が希薄な(というか無神経な)類をも惹きつけるのですが――しかしその刀萌には裏の顔があります。それも安らぎとは正反対の顔が。

 果たして彼女は慎太郎の父親殺しに関わっているのか――ーという謎はすぐに解けるのですが、しかし物語はむしろそこからが本番。
 どうやら九十九とは顔なじみらしい(それどころか――)彼女は果たしてどこで二刀を学び、そして何故もう一つの顔を持つのか? それはここではまだわかりませんが、背負ったものの大きさ、重さでは別式随一のものを感じさせます。

 いや、重いものを背負ったといえばもう一人――類たちには想い人だと語る(そしてそれが早和に大きな犠牲を払わせることとなったのですが)狐目の男・源内を追う切鵺がいます。
 断片的に描かれる彼女の記憶によれば、両親の仇であり、彼女の心に深いトラウマを残した源内。物語の陰に見え隠れするこの男も、この巻で本格的に姿を現し、その異常性を露わにしていくことになります。

 そんな刀萌と切鵺が(そして九十九が)この世の陰の側を向いているのに比べれば、婿探し(という名の人斬り)に明け暮れる類と、九十九に一途に思いを寄せる魁は、悩み知らずにも思えますが――しかし彼女たちも、この先そんな陰と無縁ではないのでしょう。
 何よりも、不吉な予言とも言うべきあの第1巻冒頭の未来図では、類と切鵺は、敵同士として対峙しているのですから……


 もちろんそれはまだ先のこと。第1巻ほどではないですが、この巻でも蹴鞠ーグなる代物が登場したりして、何でもありの賑やかな楽しさは健在であります。
 そしてそれと同時に、別式たちの剣術描写も、ディフォルメされた可愛らしい等身のキャラらしからぬ巧みなもので――これは第1巻の冒頭で描かれた類と早和の立ち合いからも感じられましたが――時代劇としてもきっちり決めてくるのが心憎い。

 そんな様々な顔を、様々な魅力を持つ本作において、類たち別式がどこに向かい、どこにたどり着くのか――最新巻の第3巻も近々にご紹介いたします。


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別式(2) (モーニング KC)


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2018.06.06

TAGRO『別式』第1巻 彼女たちのなんでもありの日常と、史実という残酷な現実と


 江戸時代、幾つかの藩に置かれたという女性の武芸指南役「別式」(別式女)。本作はそんな女性武芸者たちを主人公とした時代漫画――可愛らしい絵柄で、現代の言葉が普通に出てくる一見何でもありのコミカルな作品ですが、しかしそれでは終わらない、棘と陰を持った作品であります。

 舞台は江戸時代前期の寛永年間、主人公は古河藩土井家の武芸指南役を父に持つ娘・佐々木類。男勝り――どころではなく、そこらの男では全く歯が立たない剣の腕を持つ彼女は、父亡き後、婿を取るでもなく、江戸に剣術道場を開いて暮らす毎日であります。

 しかし一見生真面目に見えて、実は人並み以上に男性には興味のある彼女。「自分より弱い男に家督を継がせるわけにはいかない」「ただしイケメンに限る!」と、日々街に現れては男漁り――いや腕試しを仕掛けるも、高すぎる理想にマッチした相手は現れないジレンマに苦しんでいるのでした。

 そしてそんな類を取り巻くのも、皆「別式」、武芸自慢の娘たち。人懐っこく脳天気な島原藩別式の早和、類と同じ古河藩の別式女筆頭で生真面目な魁、腕利きでボーイッシュな渡世人の切鵺――と、生まれも育ちも性格も異なる面々ですが、意気投合して遊び歩く仲なのでありますす。

 そんな類と仲間たちの姿を描く本作は、どのキャラクターも4頭身くらいという可愛らしいビジュアルで描かれていることもあり、一種の「日常系」的な趣が感じられます。
 そしてまた本作は、現代の言葉や風物が(後者はアレンジされているとはいえ)ポンポン飛び出してくる、「なんでもあり」系でもあります。合コン、コミケ、温泉回と、時代劇とは思えないような題材の中で、女の子たちがキャッキャと楽しげに日々を送る姿が描かれるのですが……

 しかし本作は、それだけでは終わりません。そんな楽しげな日常と同時に描かれるのは、ひどく残酷で、厳しい現実の姿なのですから。

 冒頭で述べたように、本作の舞台は寛永年間。天下太平が続き、(本作に登場する男たちのように)武士もだいぶだらしなくなってきた時代ですが――しかしこの時代に、最後の戦とも言うべき戦いがありました。
 その戦とは島原の乱――島原? そう、この戦の勃発により、島原藩に仕える早和はもちろんのこと、類たちもまた、大きな影響を受けることになるのであります。

 いかに彼女たちが腕自慢の別式であれ、そして本作がいかになんでもありに見えたとしても――しかし決して「この時代」「この社会」から逃れることはできません。
 史実という現実からは、決して目を逸らすことはできないのであります。

 この第1巻で描かれるのは、類たち別式の楽しげな日常の姿と、そのモラトリアムが現実の前に終わっていく姿。そしてそれと並行して、一見明るく振る舞っていても、皆それぞれに背負う陰の存在もまた、徐々に描かれていくことになります。
 本作は終わらない楽しい日々を描く日常系などではなく、むしろ「ツラい(刺さる)青春もの」とでも言うべき作品であったかと――この第1巻のラストにおいて、我々は痛いほど知ることになるのです。

 いや、そこまで待つまでもなく、この第1巻の冒頭――どれほど先のことか、おそらく近い未来の時間軸を描いた場面では、本作が決して幸せな結末を迎えることがないことが、はっきり描かれているのであります。
 楽しい日々を過ごした別式たちも、気になるアイツも、まだ見ぬもう一人も――仲間は誰も類の前から消えてしまった。刀を向けた目の前の一人を除いては。

 一体どれだけの日常を失い、どれだけの現実を背負えば、このような結末にたどり着くのか――今はまだ、想像すらできない状況であります。

 実は史実では、本作の舞台とほぼ同じ時代の同じ江戸に、佐々木累という人物が存在します。彼女もやはり腕自慢の女武芸者でしたが、最終的にはある人物を婿に迎えたと言われています。
 しかし本作の佐々木類は、おそらくは同じ道は辿らないのでしょう。そうだとすれば彼女の辿る道は一体……

 今はまだ明るさの残るその道の果てに何があるのか、それを知るのが怖い、しかし決して目が離せない――そんな残酷青春時代劇の開幕であります。

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2018.05.27

高代亞樹『勾玉の巫女と乱世の覇王』 復活した神の望みと少年の求めたもの


 神代から続く壮大な戦いと、それに巻き込まれた少女を救わんとする少年の奮闘が交錯する、極めてユニークな時代伝奇小説である本作――『宿儺村奇譚』のタイトルで第九回角川春樹小説賞最終候補作に残った作品が、改訂・改題を経て刊行された作品です。

 本作の背景となるのは、永禄から元亀年間にかけての、織田信長が天下布武に向けて動き出した時代。桶狭間で奇跡的な勝利を収めた信長が美濃を攻略し、将軍義昭を奉じて上洛し、周囲の大名たちと戦いを繰り広げていた頃であります。
 そして物語の始まりは、その信長と対立した北畠家領内の南伊勢・宿儺村――はるか昔から「お南無様」なる神を信奉してきた、半ば世間から隠れた村であります。

 織田と北畠の戦で村が揺れる中、村の少女・サヨの祈りを受けて、その姿を現した「お南無様」。蓬髪に巨躯、赤い目と黒い肌という、むしろ明王のような姿を持つお南無様は、戦の世を終わらせると嘯き、サヨを無理やり引き連れて信長の動静を探り始めるのでした。
 これに心中穏やかでないのは、かつて旅の途中に母親を追い剥ぎに殺されたサヨを村に迎え入れ、許嫁として共に育った少年・真吉。サヨを取り返そうとする真吉に、お南無様は遙か西の海で失われた神剣を取り戻すように命じます。

 命がけの苦闘の末、ついに神剣を回収し、お南無様の元に帰った真吉。しかしサヨは人が変わったかのように彼を拒み、神剣を手にしたお南無様と共に姿を消します。
 一度は絶望に沈んだ真吉ですが、お南無様を遙かな昔から付け狙う一門と出会ったことで、お南無様が信長に注目するその真の狙いを知ることになります。

 そしてお南無様を、信長を追って京に出た真吉。果たしてお南無様の正体とは。その彼に従うサヨの真意とは。そして次代の帝たる親王を巻き込んで信長に接近する二人の狙いとは。そして真吉とサヨの運命は……

 曰く因縁の地に封じられた神(あるいは魔王)が復活し、猛威を振るう――というのは、ファンタジーや伝奇ものでは定番中の定番の展開といえるでしょう。
 本作も一見その定番に沿ったものに見えますが――しかし本作におけるその神、「お南無様」の目的と手段は、これまでに類を見ないものであります。

 何しろお南無様の目的は、上に述べたように戦の世を終わらせること。それはその恐ろしげな外見と言動に似合わぬものに見えますが――前回復活した際には平清盛に接近し、今回は信長に興味を抱いた彼の目的が、その言葉通りのものであるかどうか。
 そして信長に近づくことで、如何にして戦の世を終わらせるのか、その先に何が待つのか――それが本作の大きな謎として機能することになります。

 そしてそれと平行して描かれる、神という大きすぎる相手に愛する者を奪われ、そして取り返そうとする真吉の純な想いもまた、共感できるものとして描かれています。
 お南無様を守るため、代々村に伝わる気を操る武術を学んでいるとはいえ、真吉自身は肉体も精神も、あくまでも普通の少年に過ぎません。それが如何にして神に挑むのか――それも、信長の天下布武という巨大な歴史の流れに巻き込まれた中で。

 全てを知り、人外の力を持つお南無様に対し、何も知らず、人より少々優れた力しか持たない真吉は、我々読者の分身といえます。
 神代から人間の歴史に干渉してきた魔人と、彼にかき乱される歴史が、その彼の目に如何に映るのか――日常と非日常、平常と異常の間のふれ幅が大きいほど増す時代伝奇ものの醍醐味は、彼を通じてよりビビッドに伝わってくるのです。

 そしてまた本作の場合、その伝奇的な設定、仕掛けの数々を支え、確たるものとして見せていくガジェットの存在や伏線の描写が抜群にうまいのにも驚かされます。
 並の作品であれば「そういうもの」で済ませてしまいそうな点まで、丹念に理由を(あるいはエクスキューズを)用意し、穴を潰してみせる。当たり前のようでいて難しいこれを、本作は巧みにやってのけるのです。

 それが見えた瞬間の「アッそうだったのか!」「やられた!」感は、大きな快感であすらあります(特に、「お南無様」の真の名が明らかになった時の驚きたるや……)

 そして激しい戦いの末にたどり着く結末も、神や歴史といった巨大なものに抗った人間がたどり着く、ある種のもの悲しさと希望を感じさせるものであるがまた素晴らしい。
 これがほぼデビュー作というのが信じられない、完成度の高い時代伝奇小説であります。

『勾玉の巫女と乱世の覇王』(高代亞樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
勾玉の巫女と乱世の覇王 (時代小説文庫)

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2018.05.07

武内涼『敗れども負けず』(その二) 彼らは何故、何に負けなかったのか?


 歴史上の敗者を題材にした短編集の紹介の後編であります。今回ご紹介する二編は、本書のテーマに即しながらも、作者の小説に通底するものがより色濃く現れた作品です。

『春王と安王』
 足利義教と対立した末に討たれた足利持氏の子として奉じられ、結城合戦の大将となった足利春王丸・安王丸。圧倒的な力の前に散った幼い子供たちの姿を、本作は瞽女――盲目の女性芸能者を通して描きます。

 幼い頃に瞽女となり、長じてのち琵琶法師の夫と出会い、坂東に出た千寿。ならず者に襲われていたところを二人の少年に助けられた彼女は、やがてその二人が春王丸・安王丸であったことを知ります。
 義教に反旗を翻し、結城城に依った二公子に求められ、その心を慰めるために城に入った千寿たち。善戦を続けるものの、幕府軍の物量に押されついに迎えた落城の日、城を脱した二公子の伴をする千寿たちですが……

 現代でいえば小学生くらいの年齢ながら、反幕府の旗頭として祭り上げられ、そして非業の最期を遂げた春王丸と安王丸。
 本作はその二人の姿を――その少年らしい素顔を、千寿という第三者の目を通じて瑞々しく、だからこそ痛々しく描きます。そしてそれと対比する形で、「万人恐怖」と呼ばれた暴君・義教の姿が浮かぶのですが――しかし本作が描くのはそれだけに留まりません。本作が描くのはもう一つ、そんな「力」に抗する者――芸能の形で敗者たちの物語を愛し、語り継いできた庶民たちの姿なのです。

 思えば、作者の作品は常に弱者――忍者や暗殺者など、常人離れした力を持っていたとしても社会的にはマイノリティに属する存在――を主人公として描いてきました。その作者が描く歴史小説が、強者・勝者の視点に立つものではないことはむしろ当然でしょう。
 そして本作においてその立場を代表するのが、千寿であることは言うまでもありません。強者たる義教があっさりと命を落とした後に、春王丸・安王丸の姿が芸能として後世に語り継がれることを暗示する本作の結末は、決して彼らが、千寿たちを愛した者たちが負けなかったことを示すのであります。


『もう一人の源氏』
 最後の作品の主人公は、源氏嫡流の血を引きながらも、将軍位を継ぐことはなかった貞暁。頼朝亡き後、頼家が、実朝が、公暁が相次いで死に、源氏の血が途絶えたかに見えた中、ただ一人残された頼朝の子の物語です。

 頼朝が側室に産ませ、妻・政子の目を恐れて逃し、高野山に登った貞暁。彼を四代将軍に望む声が高まる中、政子は九度山で貞暁と対面することになります。表向きは将軍就任への意思を問いつつも、是と答えればこれを討とうとしていた政子に対し、貞暁は己の師の教えを語るのですが……

 本書に登場する中で、最も知名度が低い人物かもしれない貞暁。幼い頃に出家し、高野山で生き、没したという彼の人生は、メインストリームから外れた武士の子の典型に思えますが――しかし本作は政子に対する貞暁の言葉の中で、それが一面的な見方に過ぎないことを示します。
 高野聖に加わり、自然の中で暮らした貞暁。初めは己の抱えた屈託に苦しみつつも、しかし師との修行の日々が、彼を仏教者として、いや人間として、より高みに近づけていく――そんな彼の姿が露わなっていく政子の対話は、静かな感動を生み出します。

 そしてその師の言葉――「この世界は……愛でても、愛でても、愛で足りんほど美しく、さがしても、さがしても、さがし切れぬほどの喜びで溢れとる」は、作者の作品における自然観を明確に示していると言えるでしょう。
 デビュー以来、作者の作品の中で欠かさずに描かれてきた自然の姿。登場人物を、物語を包むこの自然は、この世の美しさを、そして何よりも、決して一つの枠に押し込めることのできないその多様性を示しているのだと――そう感じられます。

 その多様性に触れた末に、武士の戦いの世界を乗り越えた貞暁の姿は、本書の掉尾を飾るに相応しいというべきでしょう。


 以上全五作の登場人物たちが戦いに敗れた理由は、そしてその結果は様々です。しかしその者たちは、あるいはその者たちの周囲の者たちは、戦いに敗れたとしても決して負けなかったと、本作は高らかに謳い上げます。何に負けなかったか? その人生に――と。

 作者はこれまでその伝奇小説において、正史の陰に存在したかもしれない敗者の、弱者の姿を描いてきました。勝者の、強者の力に苦しめられながらも、決してそれに屈することなく、自分自身を貫いた者たちを。
 本書は、そんな作者の姿勢を以て描かれた歴史小説――作者ならではの、作者にしか描けない歴史小説なのであります。


『敗れども負けず』(武内涼 新潮社) Amazon
敗れども負けず


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2018.05.06

武内涼『敗れども負けず』(その一) 様々な敗者の姿、そして残ったものの姿


 デビュー以来、常に時代伝奇小説を手がけてきた一方で、最近は独自の視点に立った歴史小説『駒姫 三条河原異聞』を発表している作者。本書も伝奇色のない歴史小説――歴史上の敗者とその周囲にあった者を主人公に、「その先」を描いてみせる全五編の短編集であります。以下、一作ずつ紹介してきます。

『管領の馬』
 関東管領でありながら、北条氏康に惨敗し、居城の平井城を喪った上杉憲政。本作の巻頭に言及されるように、甲陽軍鑑において臆病な大将などと厳しい評価を与えられた武将ですが――本作はその己の愚かさから敗北を喫した憲政のその後の姿を、その若き臣・曾我祐俊の目を通じて描く物語であります。

 それまで幾度も北条氏との戦を繰り返しながらも、腰巾着の甘言に乗せられ、戦に出ようとしなかった憲政。その果てに上杉軍は追いつめられて嫡男の龍若丸は討たれ、さらに混乱の中で憲政は居城の平井城を喪うことになります。何とか死を思い留まって再起のために逃れ、平井からの難民の中に潜り込んだ憲政が見たものとは……

 城を奪われた末に民たちの間に身を隠し、そして信じていた者たちから次々と裏切られ、ついには命を狙われる――敗軍の将としての辛酸をこれ以上はないほど舐めた憲政。本作はその苦しみをつぶさに描きつつも、それだからこそ再び立ち上がる力を得た憲政の姿を浮かび上がらせます。
 主がいつまでも主が戦場に出なかったことから、動かぬことの喩えに使われた憲政の馬。その馬が放たれ、自然の中で厳しくも新たな道を歩み始めた姿を、憲政自身が求める新たな戦いの姿に重ねて見せる結末が、何とも爽やかな後味を残します。


『越後の女傑』
 巴御前と並び、女傑として歴史に名を残す板額御前。並の男の及びもつかぬ力を持ちつつも、鎌倉幕府を向こうに回し、いわば時流の前に敗れた女性を本作は瑞々しく描きます。
 叔父・長茂とともに倒幕計画に加わりながらも、長茂を討たれ、鳥坂城に籠城を余儀なくされた城資盛。その甥の救援に駆けつけた板額は、寡兵を率いて幕府の討伐軍を散々に悩ませながらも、しかし衆寡敵せず、ついに城を落とされることとなります。そして捕らえられた板額を待ち受けるものとは……

 正史に記録は残るものの、むしろ浄瑠璃や歌舞伎などの芸能で後世に知られる板額。越後の豪族・城氏に連なる彼女を、しかし本作は蝦夷の血を引く者として描くのが面白い。
 なるほど、彼女が身の丈八尺、美女とも醜女などと評されるのは、当時の人々の尺度から外れる人物であったことを示すものでしょう。しかしその源流に蝦夷を設定したのは、伝奇小説家たる作者ならではの発想であります。(城氏の祖が蝦夷と戦っていた史実からすればあり得ないものではないと感じます)

 自然の中で獣を狩り、そして狩った動物を神として崇める誇り高き狩人であった蝦夷。その血を引く彼女は、武内主人公の一人として相応しいと言えるのではないでしょうか。

 本作の結末は、そんな彼女が武器を捨てて「女の幸せ」を得たように見えるかもしれません。しかし彼女が求めていたのが自分と同じ価値観を持ち、そして自分を一個の人間として認める相手であったと明示されているのを思えば、本作がそのような浅薄な結末を描いた作品ではないことは、明らかでしょう。


『沖田畷』
 その勇猛さと冷酷さから「肥前の熊」と呼ばれながらも、絶対的に有利なはずの戦で大敗し、首を取られたことで後世の評判は甚だ悪い龍造寺隆信。本作で描かれるのは、その疑心故に自滅した彼の姿であります。

 主君の疑心により祖父と父をはじめとする一族のほとんどを討たれ、以来幾度も裏切り裏切られながら、ついに肥前を支配するに至った隆信。本作の隆信は、そんな過去から一度疑った相手は無残に処断する冷酷さを持ちながらも、同時に自ら包丁を振るい周囲に振る舞う美食家という側面をも持つ複雑な人物として描かれます。
 そんな彼とは兄弟同様に育ちつつも、彼に諫言するうちに溝が深まり、冷遇されるに至った鍋島信生(後の直茂)。彼の懸念は当たり、ついに隆信は沖田畷で……

 数万対数千という圧倒的な戦力差、しかも相手の島津家は当初持久戦を狙っていたにもかかわらず、大敗することとなった沖田畷の戦い。しばしばその敗因を増長に求められる隆信ですが、本作においてはむしろ、疑心とそれと背中合わせの独善に求めています。
 その視点は非常に説得力がありますが――敗れた隆信の姿が強烈すぎて、「負け」なかった信生の姿が薄いのは、少々残念なところではあります。

 残り二話は次回に紹介いたします。


『敗れども負けず』(武内涼 新潮社) Amazon
敗れども負けず


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2018.05.04

田中啓文『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(その二) ホームズをホームズたらしめたもの


 様々な有名人が名探偵として活躍す短編集の紹介の後編であります。残る三話も、これまたいずれも趣向を凝らした物語揃いです。

『2001年問題』
 本作に登場するのは、あの黒後家蜘蛛の会の面々――様々な謎を抱えた人々をゲストに、喧々囂々と謎解きを楽しむ六人の男たちと一人の給仕の姿を描いた、アイザック・アシモフの連作ミステリの登場人物たちが、現代を舞台に謎に挑むのですが――その謎というのが、アシモフがアーサー・C・クラークに宛てた手紙から失われた秘密なのであります。

 それも『2001年宇宙の旅』に隠された謎、ディスカバリー号で起きたことの真実――そう、本作はあの名作が現実の出来事として起きた世界での物語。木星に向かったディスカバリー号の事件の顛末をドキュメンタリー化したものがキューブリックの映画であり、クラークの小説だというのであります!

 映画の終盤の、数々の難解な映像。本作では、それは木星で保護され、後に姿を消したボーマン船長の供述によるというのですが――さて本当は船内で何が起きていたのか、船長以外の乗組員の死の真相は何なのか? 
 いやはや、謎のために物語世界を作ってしまうのが本書の特徴の一つですが、ここまでやってしまうとは驚くほかありません。

 しかし、給仕のヘンリーが解き明かすあまりに合理的なその真相もさることながら、彼がそこにたどり着く、その根拠が実に楽しい。
 そういえばアシモフ先生にはそういうミステリもあったなあ……と愉快な気持ちになってしまう本作。その先の更なる真実はどうかと思いますが、本書でも一二を争う好編です。


『旅に病んで……』
 とくれば松尾芭蕉の辞世の句。本作は同じく死を目前とした大俳人・正岡子規と弟子の高浜虚子が、芭蕉の門人・服部土芳の書状から、芭蕉の死の真相に迫ります。

 大阪で客死した芭蕉が直前まで健康であったことから死因に疑問を抱き、調査を進めていたという土芳。芭蕉が死の間際に残した句に着目した土芳は、ついにたどり着いた恐るべき真実は――それは書状に残されていなかったのですが、子規はそこまでの内容から、自力で真相にたどり着いたと語ります。
 しかしその子規もそれを語ることなく亡くなり、残された虚子は一人謎に挑むことになります。そして彼も真相に至るのですが……

 本作は一種の暗号ミステリですが、ある事物を詠んだ俳句の中にまた別の意味が、というのは技巧として存在するわけで、ミステリとの親和性は高いのでしょう。
 そしてそれはまた、一つの言葉を別の言葉に繋げてみせる駄洒落とも親和性が――というのは言いすぎですが、こじつけのような言葉合わせが、とんでもない伝奇的真実を導き出すのは、(人を食ったような結末も含めて)作者ならではのダイナミズムと感じるのです。


『ホームズの転生』
 そしてラストはホームズを探偵役に据えた物語――なのですが本作のホームズは老人。しかも探偵になることなく老いさらばえてしまったホームズなのですから驚かされます。

 町医者として平凡かつ平和な人生を送り、妻に先立たれて一人暮らす老ワトスンが訪れた小さなコンサート。その舞台上で、ホルン奏者が背中から撃たれて死亡するという事件が発生します。警察は当然、被害者の後ろにいた人間を疑うのですが――しかしそれに異論を唱えた人物がいました。
 それは舞台に上がっていた老バイオリニスト・ホームズ――音楽家を志すも芽が出ず、場末の楽団で演奏していた彼は、実は類稀なる推理の才能を持っていたのであります。たちまち意気投合したホームズとワトスンは、事件の捜査に乗り出すのですが……

 ホームズものと言うものの、そのほとんどは正確にはホームズとワトスンものと言うべきでしょう。名探偵は、彼の助手にして記録者、そして親友があってこそ存在し得る――それを本作は、これ以上なく力強く語ります。
 若き日に一度出会いながらも、些細な行き違いからベイカー街で同居することはなかった二人。それが大きな歴史の分岐となってしまうとは――二人のファンには大いに悲しくも、しかし大きく頷ける内容であります。

 もちろん事件の方も、そのトリックの面白さ(そして時代がかった豪快さ)も含めて、実に「らしい」本作。できることなら、ここから始まる二人の物語をもっと読みたくなってしまうような快作でした。

 そして数々のトリッキーな作品を描いた本作のラストに、それらにも負けずトリッキーでいて、しかし見事なパスティーシュを描いてみせる、作者のセンスには脱帽するほかありません。もちろん三冊目も期待したくなる快作であります。


『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文 東京創元社) Amazon
シャーロック・ホームズたちの新冒険

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2018.05.03

田中啓文『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(その一) 有名人探偵たちの饗宴ふたたび


 多芸多才の作家・田中啓文が、実在の、あるいは虚構の中で実在の(?)人物を探偵役に描くミステリ短編集の続編が刊行されました。いずれの作品も、お馴染みの人物が探偵役として、奇想天外なシチュエーションで活躍する作品ばかり。まさしく作者ならではの作品集であります。

 5年前に刊行された前作『シャーロック・ホームズたちの冒険』同様、 巻末の一作を除いて、いずれもホームズとは直接の関係がない名探偵を描く作品が収録されている本書ですが、いずれもユニークな作品揃い。以下、収録作品を一作ずつ紹介していきます。

『トキワ荘事件』
 ミステリではしばしば舞台となる(タイトルに冠される)「○○荘」。では日本で一番有名な○○荘といえば――というわけで本書の舞台となるのは、後に日本を代表する漫画家たちを次々と輩出したトキワ荘。漫画界の特異点のようなこの地を舞台に、ユニークなミステリが展開します。

 今日も若き漫画家たちが奮闘を続けるトキワ荘に現れた編集者・丸谷。某社の手塚治虫番である彼は、〆切当日になっても手塚が行方不明で、このままでは二ヶ月連続で連載に穴が空いてしまうと語るのでした。
 そこで丸谷の依頼に応え、手塚の代作に挑んだトキワ荘の面々は、協力しあって何とか〆切に間に合わせたのですが、描き上げたばかりの原稿がどこかに消えてしまい……

 というわけで、活気溢れる日本漫画界の創世期あるいは青春期の空気も楽しい本作。探偵役も藤子・石森・赤塚・寺田という錚々たる面々が努めることになりますが――実は原稿紛失の謎自体はそこまで面白いものではありません(というよりちょっと無理が?)
 しかしハウではなくホワイダニットの方はなかなか面白く、漫画界のある種の空気(と手塚治虫の逸話)に親しんだ者ほど、気付きにくい真相なのが愉快であります。

 そしてもう一つ、本作には隠れた(?)真実があるのですが――これは正直に申し上げてあまり必然性はないようにも感じられます。
 しかし彼らの存在が一つの分岐点に――それも明るい歴史への――なっていたとすれば、それはそれで素晴らしいことではあると、ちょっと良い気分になれました。


『ふたりの明智』
 名探偵で明智といえばもちろん小五郎。しかしタイトルは「ふたり」、もう一人有名な明智とは――その遠い祖先だという光秀であります。本作はその二人が競演するのであります。死の世界で!

 太平洋戦争中にさる華族邸に届けられた怪人二十面相の予告状。警視庁の中村警部も一度見事に出し抜かれ、明智小五郎が出馬するも、二十面相がまんまと密室から目的の品を盗んだかにみえたのですが――小五郎は皆の前で謎解きを始めることになります。
 しかしそこで何が起きたのか、気付けば死の世界にいた小五郎。そこは自分の死んだ理由がわからなければ天国にも地獄にもいけないルール、同様の立場の光秀を前に、小五郎は自分の死の真相を探ることになります。

 ……密室からの盗難の謎、明智小五郎殺害の謎、それに加えて明智光秀死亡の謎という三つを解き明かそうという本作。いくら何でもそれは――と思えば、それぞれにきっちりと謎が解かれてしまうのはなかなか面白い。
 とはいえ、かなり強引に感じられる部分もあって、特に二番目の謎は、その結末も相まって、どうにもすっきりしないものが残ります(三番目の謎までくると、もう作者らしいとしか言いようがないのですが)。

 この辺り、謎を語るために作られた世界が、逆にその物語を縛る形となってしまっているというべきでしょうか……

 これはちょっと核心に触れずに書くのが難しいのですが、戦前と戦後の乱歩の作風の違い(そして○○○○の年齢の謎)に一つの回答を与えようとしているようにも感じられるのですが、どうにもすっきりしないものが残る結末でした。


 残る三話は次回ご紹介いたします。


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シャーロック・ホームズたちの新冒険

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