2018.01.17

都戸利津『嘘解きレトリック』第3-5巻 人の中の嘘と本当を受け止める少女の成長

 昭和初期を舞台に、人の嘘を聞き分ける能力を持つ少女・鹿乃子と貧乏探偵・左右馬のコンビが様々な事件の中の嘘を解いていく連作シリーズの第3巻から第5巻の紹介であります。左右馬とともに様々な人々と出会う中、鹿乃子にも変化が……

 人の言葉の中の嘘を聞き分ける力故に、周囲から嫌悪の目に晒されてきた鹿乃子。両親に迷惑をかけまいと九十九夜町に出てきた彼女が出会ったのは、貧乏だが驚くべき洞察力を持つ青年・祝左右馬でした。
 成り行きから一緒に事件を解決した鹿乃子は、自分の能力を知り、そしてそれを自然に受け容れてくれた左右馬の助手として探偵事務所に住み込むことになるのでした。

 というわけで、鹿乃子が左右馬を助けて難事件を次々と解決していく姿を描く本作――と言いたいところですが、二人が真面目に事件に挑むエピソードが少ないのが、むしろちょっと楽しい。

 何しろ左右馬は貧乏のくせに大の怠け者で、その月の家賃さえ払えれば後は働きたくないという男。そのため、偶に来た依頼にも(家賃を払った後は)露骨にイヤな顔をするという困った人物なのであります。
 それゆえ、二人が巻き込まれる事件も、いきおい「日常の謎」的なものが多くなるのですが――しかしそれが本作の緩やかで温かいムードとよく似合います。


 が、そんな二人が珍しく大事件に挑むことになるのが、第3巻に収録された長編「人形殺人事件」であります。

 両親を亡くし、人里離れた屋敷で、自分の成長に合わせて作られた人形たちと暮らす少女。その屋敷の女中が崖から落ちて死んだのですが――彼女は死の直前、人形を殺してしまったと怯えていたのでした。
 家賃が払えず夜逃げの途中、左右馬の親友の姉で雑誌記者の雅と出くわしたことから、彼女の助手として屋敷を訪れた二人は、そこで事件の真相を追うことに……

 と、人里離れた屋敷・奇怪な風習・謎の美少女と、ザ・探偵小説的なこのエピソード。
 正直なところ事件自体はかなり豪腕な真相なのですが、それを嘘を見抜くはずの鹿乃子の能力が逆にミスリードするという展開が実に面白いのです(そして左右馬が気付く真相の伏線がまたフェアなのが素晴らしい)。

 そして何よりも、事件を解決した後に明かされる真相を生み出した巨大な「嘘」と、そこから救済の姿が、実に本作らしい清々しさなのであります。(特にラスト1ページに描かれた嘘からの解放の美しさ!)


 そして続く第4巻・第5巻は日常の謎を描く短編エピソードが主体で、コミカルさとハートウォーミングさのブレンドも絶妙な、キャラクターものとしても楽しいお話揃い。
 その一方で、孤島での殺人事件や、老婦人の生き別れの孫探しといった、比較的ストレートなミステリもキッチリ用意されているのも心憎いところであります。

 しかし、そんなバラエティに富んだ物語に共通するのは、人の心の中の嘘と本当の存在――そしてそれを受け止め、人を信じることの意味を鹿乃子が学んでいく姿であります。

 嘘を見抜く能力があるということは、本当を知ることができるのイコールではありません。そしてその能力があるからといって、相手を信じられるわけでもありません。
 それは事件に対する鹿乃子の能力の位置づけにも当てはまるものですが――同時に事件に挑む中で、そのことを知り、向き合うことによって鹿乃子が少しずつ成長していく姿が、本作の最大の魅力であると感じます。

 そしてそんな鹿乃子の成長譚の集大成が、第5巻に収録された、彼女の母との再会のエピソードであります。

 冒頭に述べたように、両親のためにも家を出た鹿乃子ですが、それは彼女が親を捨てたわけでも、その逆でもありません。
 むしろ互いを思うが故の行動だったのですが――しかしもしその想いが嘘であったら、それを知ってしまったらという悩みが、両者の間に、微妙な距離を開けていたのです。

 しかしこのエピソードにおいて、鹿乃子が、その母親が知ったものは――それを巧みに導く左右馬の存在もまた実にいい――ここで鹿乃子の物語は一区切りと言ってよいのではないかとも思います。


 その一方、第5巻のラストでは、鹿乃子の能力に気付いているらしい謎の美青年「史郎」が登場。果たして彼の正体は――と、一つの大きな物語としても、この先が気になるところです。


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 都戸利津『嘘解きレトリック』第1-2巻 嘘を知ること、人の内面を知ること

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2018.01.11

都戸利津『嘘解きレトリック』第1-2巻 嘘を知ること、人の内面を知ること

 先日このブログでご紹介した『少女マンガ歴史・時代ロマン 決定版全100作ガイド』で知ることができた作品――昭和初年を舞台に、他人の嘘を聞き分ける能力を持った少女と、頭は極めて切れるが貧乏な探偵のコンビが様々な事件に挑む、人情味の強いミステリであります。

 幼い頃から、他人が嘘をついた時にその声が固くぶれて聞こえるという不思議な能力を持ち、そのために周囲から忌避されてきた少女・浦部鹿乃子。他者が自分に向ける嫌悪の視線と、それによって母親が傷つくことに耐えきれなかった彼女は、生まれ故郷を出て九十九夜町に出て来るのでした。
 しかし職も行く宛もなく、行き倒れてしまった彼女を助けたのは、町で探偵事務所を開く貧乏探偵の祝左右馬。彼の行きつけの和食屋に連れて行かれた鹿乃子は、成り行きから、店の子供の行方不明事件を左右馬とともに追うことになって……

 というエピソードから始まる本作ですが、その最大の特徴が、他人の嘘を聞き分けることができる鹿乃子の能力の存在であることは言うまでもありません。
(ちなみに彼女がこの能力を発揮する時、その嘘の言葉のフキダシの色に、斑になったようなエフェクトがかかるという漫画ならではの描写となっているのがまず楽しい)

 事件捜査の上で、誰が嘘をついているかを聞き分けることができるというのは、もちろん大きな武器であることは間違いありません。しかしそれは同時に、(主に作品の構造的な点で)一歩間違えれば諸刃の剣となりかねないものでもあります。
 何故ならば、まさしく直感的に相手の嘘を見抜くことができるのであれば、そこに推理の余地はなくなってしまうのですから。

 しかしもちろん、本作にはそこに大きな工夫があります。これは第2話で左右馬によって明確に示されるのですが、この能力は隠れた真実がわかるのではなく、発言者の嘘の意識がわかる――すなわち、思い込みや勘違いでも、相手が嘘だと思っていないことは嘘とわからない――ものに過ぎないのであります。
 つまりこの力は謎を解く上で大きなヒントになることはもちろんですが、しかしそれには大きな制限と、解釈の余地があるのです。そこに本来の意味での名探偵である左右馬の活躍の余地があり、さらに左右馬と鹿乃子がコンビを組む意義があるのです。

 そしてそれ以上に、この制限には大きな意味があります。鹿乃子が嘘を聞き分けることができるということは、決してそれ以上でもそれ以下でもなく――彼女はある意味表層に出ている部分のみを感知しているだけであり、その内面、言い換えれば相手がなぜ嘘をついているのかまではわからないのです。
 そしてまた、その嘘が相手にとって、そして周囲の人間にとってどんな意味を持つかも……


 実に本作でミステリとして側面と並んで大きく描かれるのは、こうした能力を持ったことから他人以上にナイーブな心を抱えることとなった鹿乃子の成長物語であります。

 人が嘘をつくこととそれを知ることは、言い換えれば他者の心に触れ、そして自分の心の内面と向き合うことであります。
 誰かの嘘を暴くことは、自分や人の心身を守ることに繋がることが多いのはもちろんですが――しかしそれは必ずしも正しい行為となるわけではありません。幼い頃の彼女がそうしてしまったように、嘘を暴くことが誰かを傷つけることも少なくないのですから。

 そんな嘘と、そしてそれを知ってしまう自分自身とどう向き合うか――探偵という隠された物事を暴き、それと対峙する役割は、その営為と極めて似たものであり、彼女が左右馬の探偵助手を務めることは、同時に彼女がそれを身につける道筋にほかならないのです。
 そしてそれが本作がミステリである意味の一つなのでしょう。

 そしてそんな本作をより感動的なものとしているのは、そんな鹿乃子を信じ、見守り、導く左右馬の存在にあることは間違いありません。

 貧乏でセコく、金に汚い左右馬でありますが、彼は深い洞察力を持つ有能な探偵であり――そして何よりも、人間として非常に温かい心を持つ人物です。
 そんな彼の存在が、悩める鹿乃子を優しく受け止める姿にはこちらまで嬉しくなってしまうのですが――それが人間の数々の嘘を描きつつも、本作の読後感を極めて爽快で暖かく、感動的なものとしているのであります。

 実は私が現時点で読んでいるのは単行本が第9巻まで出ているうちの第2巻まで。ほんの序盤の段階でこのように結論めいたことを申し上げるのは恐縮ですが――この印象に嘘はないと、これは自身を持って言うことができるのです。


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2017.12.25

三好昌子『京の絵草紙屋満天堂 空蟬の夢』 絡み合う人情と伝奇サスペンス

 『縁見屋の娘』で第15回『このミステリーがすごい! 大賞』優秀賞を受賞した作者の第二作――過去を捨て名を捨て、今は京で戯作者として暮らす男が、迫る過去の影から己と己の大切な者を守るために奔走する、伝奇風味も漂う時代サスペンスの佳品です。

 諸国を彷徨った末、京に辿り着いた月夜乃行馬。そこで懇意となった絵草紙屋・満天堂から京の案内本の執筆を頼まれた行馬は、挿絵師として京で一番の人気を誇る女絵師・冬芽に引き合わされることになります。
 目を引くような美貌を持ちながらも、人を寄せ付けぬ雰囲気を持つ冬芽に気圧されながらも、少しずつ打ち解けていく行馬。今度は絵草紙の執筆を依頼された行馬は、再び冬芽と組むことになりますが、やがて彼女の抱えた重い過去と現在を知るのでした。

 そんな中で行馬は、自分を尋ねてきたかつて国元で同じ役目についていた親友から、同じ役目についていた者たちが、次々と何者かに殺害されていると告げられます。
 かつて藩命で無数の命を奪った行馬たち。仲間の殺害はその時の恨みによるものではないかと考えた行馬ですが、やがて一連の事件には、いや彼の過去には大きを秘密が隠されていたことを知ることに……


 前作と同じく京を舞台とした作品、そして人情ものとしての性格を色濃く持ちつつも、同時にそれとは大きく異なる顔を――前作は伝奇ファンタジー、本作はサスペンス・ミステリ――持つ本作。
 その前者――人情ものの要素の中心となるのは、絵草紙屋を舞台に交錯する、行馬と冬芽を中心とする人々の姿であります。

 上で述べたように、刀を振るって数多の人を殺めた過去を持つ行馬と、道ならぬ恋に溺れ、今なおその残り火に苦しむ冬芽。
 その歩んできた道は全く異なりますが――しかしともに深い孤独と傷を抱え、今この時の平穏がかりそめのものでしかないと悟っている点で、二人は大きな共通点を持ちます。

 本作の主題の一つは、この二人の魂が次第に距離を縮め、そして傷を癒やしていく姿であり――それを時に静かに、時に真剣にに、あるいは時に賑やかに見守る周囲の人々の姿なのです(特に、妻に逃げられてアル中になった彫師の存在がなかなか面白い)。
 そしてそんな物語の中でも、個人的に特に印象に残ったのは冬芽の造形であります。

 運命のいたずらとはいえ、女性として、人間として大きな過ちを犯した冬芽。その傷を押し殺しながらも絵師として大成し、しかしその絵師としての未来も長くはないということに内心恐れおののく……
 自立した強い女性としての顔と、脆く弱い女性としての顔――そんな相反するものを抱えた彼女の姿は、ひどく生々しいものではありますが、しかしそれだからこそ非常に魅力的に感じられるのです。

 そしてそんな彼女の人間らしさが、半ば彼岸に踏み出しかけていた行馬を繋ぎとめるという構図もいい。
 特に決戦を前に、行馬が冬芽に残そうとした「もの」など、その内容もさることながらその形(そこに彫師の存在が大きな意味を持つのも巧い!)、そしてそれが必要になる理由ともども、実に泣かせるのです。


 そして、人情ものの部分が冬芽に代表されるとすれば、サスペンスの部分を代表するのは、もちろん行馬を巡る物語であります。
 過去に所属した場で犯した罪とその復讐、そしてそこに隠された秘密と陰謀という展開は、時代ものに限らずある種普遍的なものではありますが、そこに本作は「般若刀」というキーアイテムを設定しているのが面白い。

 かつて名匠が主のために打ちながらも、「斬れない刀」であったために怒りを買い、その刀で殺されたという曰くを持つ般若刀。
 以来、その刃に血を吸わせることを禁じられ、しかし行馬によって無数の血を吸うこととなった(「斬れない刀」を用いるための刀術が編み出されたという設定も、また非常に面白い)この刀は、様々な形で本作の中心に位置することになるのです。

 そしてそこに実は伝奇的な秘密が存在し、それがまた本作の人間ドラマと思わぬところで絡み合って――というのも実に面白い。
 尤も、この辺りは少々風呂敷を広げすぎたきらいもあって(特にその謎解きが少々反則気味だったこともあり)、個人的には大歓迎ながら少々さじ加減を誤ったかな、という点はあるかもしれません。


 そんなマイナス面はあるものの、物語の二つの側面が溶け合う様が実に魅力的な本作。
 正直に申し上げて、第一作を遙かに上回る完成度であり――作者には、このスタイルをさらに洗練させた作品をこの先も書いていって欲しいと、心より感じた次第です。


『京の絵草紙屋満天堂 空蝉の夢』(三好昌子 宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) Amazon
京の絵草紙屋満天堂 空?の夢 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)


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2017.12.05

森美夏『八雲百怪』第4巻 そして円環を成す民俗学伝奇

 9年ぶりに2ヶ月連続で単行本が刊行されることとなった大塚英志の民俗学三部作の第3弾、『八雲百怪』の第4巻であります。見えぬ片目に異界のものを映す小泉八雲、そして隠した両目で異界とこの世の境を探す甲賀三郎の見たものは……

 世界を放浪した末に日本に落ち着き、日本を愛して日本人となった小泉八雲。そんな彼は、その片目の力ゆえか、明治の世に消えゆく異界のものにまつわる事件に次々と巻き込まれることになります。
 その中で八雲の前に現れるのは、両目を包帯で隠した異形の男・甲賀三郎。柳田國男に雇われ、異界とこの世を繋ぐ門を封じて回る彼は、異界に憧憬と哀惜の念を抱く八雲を時に導き、時に阻むことになるのであります。

 そんな二人を中心に描かれる物語の最新巻の前半に収録されているのは、第3巻から続くエピソード「隘勇線」の後半であります。

 死の行軍として知られる八甲田山での軍の遭難事件。その背後には、八甲田山で目撃されたという、伝説のコロポックル族を探さんとする軍のある思惑が秘められていました。
 その調査に向かった柳田と三郎に同行していたのが台湾帰りの青年学者・伊能嘉矩であり、その伊能を追ってきた山岳民族の少年・マクと出会ことから、八雲もこの一件に巻き込まれることになります。

 マクの境遇に共感し、伊能たちを追って青森に向かう八雲。さらにマクに目をつけた台湾総督府の刑事が怪しげな動きを見せる中、八甲田山に集った人々が見たものとは……


 毎回この表現を使ってしまい恐縮ですが、今回のエピソードも、伝奇三題噺と言いたくなるような奇想の塊。
 八甲田山+コロポックル+台湾先住民(さらにはオシラサマ)という組み合わせから生まれる物語は、意外としか言いようもありませんが、しかしそれ故の興奮と、不思議な説得力とをもって描かれることになります。

 そしてその幻想的な物語で描かれるのは、これまでの本作で描かれた、いや民俗学三部作に通底する、近代化していく日本の中で、あってはならないものとして切り捨てられていく者たちの姿であります。
 特にこのエピソードにおいては、当時の台湾という日本のある種鏡像めいた世界を遠景に置くことにより、その存在がより鋭く浮かび上がります。終盤でのマクの血を吐くような言葉の哀しさたるや……

 さらにもう一つ、柳田絡みで『北神伝綺』読者にはニヤリとさせられるシーンがあるのも見逃せないところであります。


 そして後半で描かれるのは最新のエピソードにして甲賀三郎の過去を描く、八雲の登場しない前日譚「蝮指」であります。

 九州某所で講演を行っていた際、近くの山中に山民の村があると聞かされ、興味を持った柳田國男。その前に案内人として現れたのは、着物に散切り頭、黒眼鏡という異装の男・甲賀三郎でした。
 枝の代わりに市松人形を用いる三郎のダウジングで導かれた村が、隠れキリシタンの村であることを見抜いた柳田。三郎とともに村で一夜を明かすことになった柳田は、そこで思わぬ怪物と遭遇し、三郎の過去を知ることになるのであります。

 民俗学三部作それぞれに登場する「仕分け人」あるいはそれに類する立場の怪人物――本作でそれに当たるのが甲賀三郎であることは言うまでもありません。
 甲賀三郎といえば、血族の裏切りの末に地底に落とされ、遍歴の末に蛇体と化して地上に戻ったという諏訪地方の伝説の人物。その名をそのまま冠する彼が登場した時には、彼と初めて出会った柳田同様、偽名(あるいはファンサービス)と思ったものですが……

 しかしここで描かれる三郎変生は、まさしく伝説のそれに重なるもの。そしてその陰惨極まりない過去の物語を見れば、三郎が八雲に接する時に見せる冷たさ、敬意、同情――それらが入り混じったような表情の淵源がわかるというものです。

 そしてもう一つ注目すべきは、彼との出会いが、柳田をして日本近代化のための手段に気づかせたことでしょう。
 民俗学三部作に共通する柳田の立ち位置――異界に心惹かれながらも近代化のための「神殺し」たらんとする柳田の誕生を描くこのエピソードは、柳田が陰の主役であり、本作の未来に位置するシリーズ第一作『北神伝綺』へと円環を描いたと感じられます。

 幸いにも本作は今後も新作の発表が予定されているとのこと。次なる物語に触れるのがいつの日かわかりませんが――過去と未来の繋がりの一端が描かれた本作の広がりを楽しみに待ちたいと思います。


『八雲百怪』第4巻(森美夏&大塚英志 角川書店) Amazon
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2017.11.26

入門者向け時代伝奇小説百選 拾遺その一

 先日地味に作品紹介を終了した初心者向け伝奇時代小説百選ですが、作品選定が拡散するのを避けるために条件をつけた結果、百選に入れたいのにどうしても入らない作品が出てしまいました。あまりに残念なので、ここにまとめて紹介いたします。まずは、いま入手可能なのに入れられなかった10作品……

『忍びの者』(村山知義) 【忍者】【戦国】
『吉原螢珠天神』(山田正紀) 【SF】【江戸】
『黄金の犬 真田十勇士』(犬飼六岐) 【戦国】【忍者】
『大江戸剣聖一心斎』シリーズ(高橋三千綱) 【江戸】【剣豪】
『闇の傀儡師』(藤沢周平) 【江戸】
『山彦乙女』(山本周五郎) 【江戸】
『花はさくら木』(辻原登) 【江戸】
『大奥の座敷童子』(堀川アサコ) 【幕末-明治】【怪奇・妖怪】
『鈴狐騒動変化城』(田中哲弥) 【児童】【怪奇・妖怪】
『風の王国』(平谷美樹) 【中国もの】【古代-平安】

 忍者ものの『忍びの者』(村山知義)は、百地三太夫と藤林長門守という対立する二人の上忍に支配された伊賀を舞台に、歴史に翻弄される下忍たちに姿を描いた作品。50年代末から60年代初頭にかけての忍者ブームの一角を担い、後世の忍者ものに与えた影響も大きいマスターピースであります

 SFものでは『吉原螢珠天神』(山田正紀)は、元御庭番の殺し屋が、吉原に代々伝わるという不可思議な玉を巡って死闘を繰り広げるSF時代小説の名品。時代小説として面白いのはもちろんのこと、家康の御免状どころか何と――という凄まじい発想に唸らされます。

 戦国時代ものの『黄金の犬 真田十勇士』(犬飼六岐)は、真田十勇士を、忠誠心の欠片もない流浪の十人のプロフェッショナルとして描いた痛快な作品であります。

 激戦区だった江戸時代ものでは、まず『大江戸剣聖一心斎』シリーズ(高橋三千綱)は、奇妙な風来坊剣士・中村一心斎が、歴史上の偉人たちを自分勝手な言動で振り回しながらも、いつしかその悩みを解決してしまう味わい深い作品であります。

 また、『闇の傀儡師』(藤沢周平)は、ある意味人情もの的側面の強い作者が、秘密結社・八嶽党と、それと結んだ田沼意次に立ち向かう剣士の戦いを描いた正調時代伝奇。
 一方『山彦乙女』(山本周五郎)は、禁断の地に踏み入って発狂した末に行方を絶った叔父の遺品というホラーめいた導入部から、山中異界を巡る冒険が展開されていく、これも作者には珍しい作品です。

 さらに『花はさくら木』(辻原登)は、改革者たる田沼意次と謎の海運業者との暗闘が、皇位継承を巡るある企てと思わぬ形で絡み合い、切なくも美しい結末を迎える佳品であります。

 そして幕末-明治ものでは、大奥に消えたという座敷童子を探す少女を主人公にした『大奥の座敷童子』(堀川アサコ)。いわゆる大奥もののイメージとはひと味異なる、バイタリティ溢れる楽しい作品です。

 児童ものでは『鈴狐騒動変化城』(田中哲弥)。作者の新作落語をベースに、バカ殿に目をつけられたヒロインを救うために町の若者たちと狐が奮闘するナンセンス大活劇。読みながら「むははははは」と笑い転げたくなる作品であります。

 そして中国ものでは大作『風の王国』(平谷美樹)。幻の渤海王国の興亡を舞台に、東日流に生まれ育った男が大陸で繰り広げる壮大な愛と戦いの物語。悲劇を予感させる冒頭で描かれたものの意味が明かされる結末には、ただただ感動させられる名作です。


 というわけで非常に駆け足でありますが10作品――何故選から漏れることになったかはご勘弁いただきたいと思いますが、いずれもギリギリまで悩んだ作品揃い、こちらも併せてお読みいただければ、これに勝る喜びはありません。



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 「吉原螢珠天神」 天才エンターテイメント作家の初時代小説
 犬飼六岐『黄金の犬 真田十勇士』 十勇士、天下の権を笑い飛ばす
 「大江戸剣聖一心斎 黄金の鯉」 帰ってきた剣聖!
 「闇の傀儡師」 闇の中で嗤うもの
 「山彦乙女」 脱現実から脱伝奇へ
 辻原登『花はさくら木』 人を真に動かすものは
 堀川アサコ『大奥の座敷童子』 賑やかな大奥の大騒動
 『鈴狐騒動変化城』 痛快コメディの中に浮かび上がる人の情
 「風の王国 1 落日の渤海」 二つの幻の王国で

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2017.11.20

森美夏『八雲百怪』第3巻 還ってきた者と異郷の鬼と

 大塚英志の民俗学三部作の一つが、実に9年ぶりに復活しました。あの小泉八雲を主人公に、明治の世から失われてゆく古きもの――妖怪や神、異界の姿を描く連作シリーズの最新巻の登場であります。この巻でもまた、思いも寄らぬ奇怪な事件に巻き込まれる八雲が、その隻眼で見るものは……

 幼い頃に片目の視力を失い、この世のものならぬものを見る力を持つラフカディオ・ハーン。
 流浪の果て、古きものたちが息づく日本にたどり着き、小泉八雲の名で日本人となった彼は、次々と奇怪な事件に巻き込まれ、その中で常人ならざる者たちと関わりを持っていくことになります。

 額に第三の目を持つ押し掛け弟子の会津八一。普段は目を包帯で覆い、この世と異界を繋ぐ門を封じて回る怪人・甲賀三郎。はじめは三郎と行動を共にし、今は八雲邸に住み着いた生き人形のキクリ様――
 いずれも異界を見る力を持つ者たちとともに、八雲は新しい時代にはあってはならないモノとして消されていく者たちの目撃者となるのです。


 そんな基本設定で展開する本作ですが、この第3巻の前半に収録されているのは、おそらくは単行本のページ数の関係で収録されてこなかったと思われる、9年前に雑誌連載されたエピソード「狢」であります。

 娘を亡くして以来、学校に出てこなくなった同僚の様子を見に行くことになった八雲。男の屋敷には、のっぺらぼうが出没するらしいと聞かされて興味を持ち、キクリさまと共に男の元を訪れた八雲は、果たしてそこでのっぺらぼうと対面することになります。
 古から伝わるという秘術により、遺骨から愛娘を蘇らせたという男。しかし蘇った娘はのっぺらぼうだったのであります。

 一方、変人科学者の土玉が、のっぺらぼうの子供たちを集めていることを知り、彼を脅しつけて、どこからのっぺらぼうがやって来たかを聞き出す三郎。
 子供の親たちが、いずれも何処からか現れた巨大な「鬼」と出会い、その手ほどきによって子供たちを蘇らせたと知った三郎は、鬼を追った末に、同僚の男に監禁された八雲とキクリさまの前に現れるのですが……

 八雲の『怪談』によって広く人口に膾炙することとなったのっぺらぼう=狢。夜道でのっぺらぼうと出会った男が、逃げていった先で出会った夜泣きそば屋にこれを語るも、そば屋の顔も――というお話であります。

 本作はこれを巧みに換骨奪胎し(ちゃんと本物の(?)のっぺらぼうのそば屋も登場するのが楽しい)、新たな物語を生み出しているのですが――いやはや、いつもながら驚かされるのは、伝奇三題噺と言いたくなるような組み合わせの妙であります。

 のっぺらぼうと、○○の秘術と、○○○○○○○○○○の怪物と――未読の方の興を削がないように伏せ字にさせていただきましたが、よくもまあ、この三者を組み合わせたものだと感嘆させられます。
(実は後二者については先駆がないわけではありませんが、本作はさらにその先というか根元に踏み込むわけで……)

 物語的に、娘を蘇らせた男の真実については容易に予想できてしまうのですが、それをきっかけに、異郷の鬼がその真の姿を現すという展開は予想の遙か上を行くもの。
 さらにそこに物語作者としての八雲が絡むことにより、不可思議で、そして何とも切ない余韻が残るのも見事と言うほかありません。

 そして物語的には今回は脇役だった三郎――これまで冷然と異界の門を処分してきた彼が、どこか同情や哀惜めいたものをうかがわせるのも印象に残ります。
 それと同時に、彼が物語の前に「敗北」する姿も……


 そして後半に収録された「隘勇線」は、これまたとんでもない組み合わせが猛威を振るうエピソード。あの八甲田山死の行軍の背後には、伝説のコロポックルの存在があり、さらにそこに日露戦争に備えた軍の極秘の計画が……という展開には、良い意味で開いた口が塞がりません。

 その一方で、八雲の前には台湾からやってきた原住民の少年(伊能嘉矩絡みというのにニヤリ)が現れ、彼もまたコロポックルを求める旅に出ることに――ということになるのですが、この巻に収録されているのはエピソードの途中まで。

 何とも気を持たせる展開ですが、幸い来月には第4巻の刊行が予定されているところ、これまで待たされた分、存分に楽しませていただこうと思います。

『八雲百怪』第3巻(森美夏&大塚英志 角川書店) Amazon
八雲百怪 3 (単行本コミックス)


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2017.11.15

入門者向け時代伝奇小説百選 中国もの

 入門者向け時代小説百選、ラストはちょっと趣向を変えて日本人作家による中国ものを紹介いたします。どの作品もユニークな趣向に満ちた快作揃いであります。
96.『僕僕先生』(仁木英之)
97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都)
98.『琅邪の鬼』(丸山天寿)
99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬)
100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州)

96.『僕僕先生』(仁木英之) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 唐の時代、働きもせずに親の財産頼みで暮らす無気力な青年・王弁。ある日出会った美少女姿の仙人・僕僕に気に入られて弟子となった王弁は、彼女とともに旅に出ることになります。世界はおろか、天地を超えた世界で王弁が見たものは……

 実際に中国に残る説話を題材としつつも、それをニート青年とボクっ娘仙人という非常にキャッチーな内容に生まれ変わらせてみせた本作。現代の我々には馴染みが薄い神仙の世界をコミカルにアレンジしてみせた面白さもさることながら、旅の中で異郷の事物に触れた王弁が次第に成長していく姿も印象に残ります。
 作者の代表作にして、その後シリーズ化さえて10年以上に渡り書き続けられることとなったのも納得の名作です。

(その他おすすめ)
『薄妃の恋 僕僕先生』(仁木英之) Amazon
『千里伝』(仁木英之) Amazon


97.『双子幻綺行 洛陽城推理譚』(森福都) 【ミステリ】 Amazon
 デビュー以来、中国を舞台とした歴史ミステリを次々と発表してきた作者が、唐の則天武后の時代を舞台に描く連作ミステリです。

 則天武后の洛陽城に宦官として献上された怜悧な美少年・馮九郎と、天真爛漫な双子の妹・香連。九郎は複雑怪奇な権力闘争が繰り広げられる宮中で、次々と起きる奇怪な事件を持ち前の推理力で解決していくのですが、権力の魔手はやがて二人の周囲にも……

 探偵役が宦官という、ユニークな設定の本作。収録された物語が、いずれもミステリとして魅力的なのはもちろんですが、則天武后の存在が事件の数々に、そして主人公たちの動きに密接に関わってくるのが実に面白い。結末で明かされる、史実との意外なリンクにも見所であります。

(その他おすすめ)
『十八面の骰子』(森福都) Amazon
『漆黒泉』(森福都) Amazon


98.『琅邪の鬼』(丸山天寿) 【ミステリ】 Amazon
 中国史上初の皇帝である秦の始皇帝。本作は、その始皇帝の命で不老不死の研究を行った人物・徐福の弟子たちが奇怪な事件に挑む物語であります。

 徐福が住む港町・琅邪で次々と起きる怪事件。鬼に盗まれた家宝・甦って走る死体・連続する不可解な自死・一夜にして消失する屋敷・棺の中で成長する美女――超自然の鬼(幽霊)によるとしか思えない事件の数々に挑むのは、医術・易占・方術・房中術・剣術と、徐福の弟子たちはそれぞれの特技を活かして挑むことになります。

 とにかく起きる事件の異常さと、登場人物の個性が楽しい本作。本当に合理的に解けるのかと心配になるほどの謎を鮮やかに解き明かす人物の正体が明かされるラストも仰天必至の作品です。

(その他おすすめ)
『琅邪の虎』(丸山天寿) Amazon
『邯鄲の誓 始皇帝と戦った者たち』(丸山天寿) Amazon


99.『もろこし銀侠伝』(秋梨惟喬) 【ミステリ】 Amazon
 遙かな昔、黄帝が悪を滅するために地上に下したという「銀牌」。本作は、様々な時代に登場する銀牌を持つ者=銀牌侠たちが、江湖(官に対する民の世界)で起きる怪事件の数々に挑む武侠ミステリであります。

 本書に収録された四つの物語で描かれるのは、武術の奥義による殺人事件の謎。日本の剣豪小説同様、中国の武侠小説でも達人の奥義の存在と、それを如何に破るかというのは作品の大きな魅力ですが、本作ではそれがそのまま謎解きとなっているのが、実にユニークであります。

 そしてもう一つ、ラストの中編『悪銭滅身』の主人公が浪子燕青――「水滸伝」の豪傑百八星の一人なのにも注目。水滸伝ファンの作者らしい、気の利いた趣向です。

(その他おすすめ)
『もろこし紅游録』(秋梨惟喬) Amazon
『黄石斎真報』(秋梨惟喬) Amazon


100.『文学少年と書を喰う少女』(渡辺仙州) 【児童】【怪奇・妖怪】 Amazon
 時代伝奇小説の遠い祖先とも言える中国四大奇書。その一つ「西遊記」の作者――とも言われる呉承恩を主人公とした奇譚です。

 父との旅の途中、みすぼらしい少女・玉策に出会って食べ物を恵もうとした作家志望の少年・承恩。しかし玉策の食べ物は何と書物――実は彼女は、泰山山頂の金篋から転がり落ちた、人の運命を見抜く力を持つ存在だったのです。
 玉策の力を狙う者たちを相手に、承恩は思わぬ冒険に巻き込まれることに……

 「西遊記」などの中国の古典を児童向けに(しかし大人も唸る完成度で)リライトしてきた作者。本作もやはり本格派かつ個性的な味わいを持った物語ですが、同時に物語の持つ力や意味を描くのが素晴らしい、「物語の物語」であります。

(その他おすすめ)
『封魔鬼譚』シリーズ(渡辺仙州) Amazon



今回紹介した本
僕僕先生 (新潮文庫)双子幻綺行―洛陽城推理譚琅邪の鬼 (講談社文庫)もろこし銀侠伝 (創元推理文庫)(P[わ]2-1)文学少年と書を喰う少女 (ポプラ文庫ピュアフル)


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 入門者向け時代伝奇小説百選

 「僕僕先生」
 「双子幻綺行 洛陽城推理譚」(その一) 事件に浮かぶ人の世の美と醜
 「琅邪の鬼」 徐福の弟子たち、怪事件に挑む
 「もろこし銀侠伝」(その一) 武侠世界ならではのミステリ
 渡辺仙州『文学少年と運命の書』 物語の力を描く物語

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2017.10.25

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!

 書籍化がスタートした『絵巻水滸伝』第二部、その第1章というべき「招安篇」の第2巻であります。一時の平安を楽しんでいた梁山泊に対して行われた朝廷からの招安。しかし交渉は決裂し、童貫率いる官軍三万が梁山泊を襲うことになります。それに対し、オールスターで当たる梁山泊ですが……

 天子のお膝元、東京での元宵節の灯籠祭りで梁山泊一党が騒動を引き起こしたことをきっかけに――そしてさらに朝廷内の暗闘も絡んで――降って湧いたように行われた梁山泊への招安。
 しかし高キュウらの陰謀もあり、当然というべきか招安の交渉は決裂し、いよいよ朝廷軍の攻撃が始まることになります。

 その朝廷軍の総大将は四奸の一人・童貫――権謀術数に長けた宦官にして武人という怪人物。
 彼の率いる三万の大軍が四門斗底陣で挑めば、迎え撃つ梁山泊軍は九宮八卦陣で迎え撃ち……

 と、この辺りは原典ではほとんど梁山泊の一人いや百八人舞台、ひたすら派手に豪傑たちが暴れ回る展開だったのですが――本作では官軍側も決して一方的に押されるばかりではありません。
 しかしそれでも梁山泊軍は強い。次々と襲いかかる官軍を蹴散らし、ついに童貫に猛追するかに見えたその時――梁山泊の四方から突如として現れたのは十の軍団!

 「宋国に十人の節度使あり。武勇をもって、賊寇夷狄を圧殺す」――その大半が元緑林の豪傑たち、招安を受けて官軍となった猛将たちが、梁山泊撃滅のために大宋国各地から集結したのであります。

その名も――
 老風流王煥
 薬師叙京
 鉄筆王文徳
 梅大郎梅展
 飛天虎張開
 あだ名なき韓存保
 李風水李従吉
 千手項元鎮
 西北風荊忠
 ラン路虎楊温

 一人一万、合わせて十万の大軍で梁山泊を包囲する節度使軍。そして童貫の傍らで計を巡らせる軍師は、呼延灼・関勝・韓存保とともに宋国四天王と並び称された男、聞煥章……
 官軍の総力を結集した布陣に、さしもの豪傑たちも梁山泊への撤退がやっとの状況で、かつてない危機を迎えることになります。


 原典でいえば第76回から第78回にかけての内容となる今回。しかし上で述べたとおり、童貫軍は原典ではあっさりと敗れ、十節度使もそれよりはマシ、という程度の扱いで敗退することとなります。
 しかし本作――原典の足りない部分を補い、より魅力的なキャラクターと物語を生み出してきた本作において、それが彼らに対しても及ぶとは! と驚くほかありません。

 たとえば十節度使は、原典では渾名なしだったものが、上で挙げたように本作ではなかなかに格好良い渾名を設定(「あだ名なき」というのもシビれます)。
 しかしそれが単なる創作ではなく、例えば王煥であれば彼を主人公とした劇から、楊温であれば彼を主人公とする小説からと、その多くに由来があるのもまた心憎いところであります。

 そう、彼ら十節度使の多くは、それぞれに元代や明代の講談や小説にルーツを持つキャラクター。いわば梁山泊の豪傑たちにとっては先輩あるいは同輩とも言うべき存在で、梁山泊がそうであるように、彼らもまた一種のオールスターチームなのであります。
 その来歴を踏まえた上でのこの趣向は、さすがは本作ならでは――と何度目かわからないような感心をしてしまった次第であります。


 しかしその十節度使を敵に回した梁山泊にとっては、感心しているどころではありません。着々と田虎篇への伏線も張られる中、物語はどこに向かっていくのか……
 まだまだ招安篇は前半戦であります。


 ちなみにこの招安篇の第1巻と第2巻の表紙は、これまでに描かれた百八星のイラストのコラージュ。
 これはこれで群星感があって良いのですが、やっぱり書き下ろしを見たかったな――という気持ちは正直なところあります
(と思いきや、第一部の単行本(十巻本)でも、確か書き下ろし表紙はなかったのですが……)


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇2


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 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

関連サイト
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2017.10.24

室井大資『レイリ』第4巻 死にたがりの彼女の、犬死にが許されぬ戦い

 武田勝頼の嫡男・信勝の影武者にして、戦の中で死ぬことを夢見る少女・レイリが戦国の荒波を駆ける物語も第4巻。彼女にとっては命の恩人である岡部丹波守が高天神城で徳川軍に重囲される中、ただ一人、彼女は高天神城に向かうことに……

 織田からと思しき刺客が信勝を襲撃するなど、日増しに高まる武田家と織田家の緊張。
 影武者として、土屋惣三とともに信勝を守り抜いたレイリですが、その信勝と勝頼は、高天神城を巡り意見を対立させることになります。

 徳川軍に包囲された高天神城から送られた書状――救援を要請する主将・岡部丹波守からのものと、救援を断る副将・横田甚五郎からのもの、その二つを前に救援を送るべきか否かで意見が分かれた信勝と勝頼。
 その結果、高天神城への援兵は見送られることに……


 という展開を受けて始まるこの第4巻。恩人であり唯一の肉親にも等しい岡部丹波守の身を案じるレイリですが、、援兵見送りがある意味戦略的判断によって城側に伝えられていなかったことを知った彼女は、怒りを募らせることになります。
(このくだりで登場する真田昌幸の小才子ぶりが妙におかしい)

 勝頼とのわだかまりを抱えた信勝がそれどころではないのに見切りをつけ、惣三の制止を振り切って(何しろ斬ると言われれば本望な子であるからして)ただ一人レイリは高天神城へ……。
 というわけで、史実を踏まえつつも、ここから物語は一気に飛躍することになります。

 しかし、十重二十重に徳川軍に囲まれた城にそもそも彼女が入ることができるのか。そしていくら剣を取ってはほぼ最強の腕前とはいえ、彼女一人、合戦の場で彼女にできることはあるのか。――道場破りではあるまいし。
 その答えが一つ一つ示されていくこの先の展開が、この巻の白眉であります。

 本作の最大の特徴であるレイリの「死にたがり」という性格。それは言い換えれば「命知らず」ということでもあります。
 そしてその命知らずがしでかすことが、時に掟や道理、建前や理屈にがんじがらめに縛られた世界を打ち砕き、新たな答えを示すこともまた、あるのでしょう。

 正直なところ、これまで本作には、人物描写などは面白いものの、物語のエネルギーとしてはどこに向かうのかが今ひとつわからなかったのですが――なるほどこういう方向だったのか、と今更ながらにこの展開には感じ入りました。

 そしてその中で、彼女が信勝の影武者であるという要素も見事に活かされるとくれば、これまでの自分の不明を恥じるしかありません。(さらにそれを受けての守将たちの決断がまた泣かせる)
 さらにそこに、本作の細やかな描写――特に人物の表情で見せる感情表現が加われば鬼に金棒であります。

 特に再会したレイリと岡部丹波守のやり取りは、一つ一つのコマが(表情が)見所と呼びたくなってしまうようなクオリティ。
 ある「作戦」のために自ら望んで死地に赴くレイリにかけた丹波守の言葉に見せた彼女の表情などは、屈指の名場面というべきでしょう。


 死にたがりであった彼女にとっては、ある意味最良の戦場とも言うべきこれからの戦い。しかしここからは、決して彼女一人が死んで終わるものではない戦い、犬死には許されない戦いであります。
 我々はこの先の合戦の行方を史実として知っていますが――しかし、史実に決して残らない彼女の戦いの結末は、まだ誰も知りません。

 それを早く知りたい――そういう思いが高まる本作、いよいよ佳境に入ったと言うべきでしょう。


『レイリ』第4巻(室井大資&岩明均 秋田書店少年チャンピオン・コミックス・エクストラ) Amazon
レイリ 第4巻 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)


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 室井大資&岩明均『レイリ』第3巻 レイリの初陣、信勝の初陣

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2017.10.19

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!

 1998年からweb連載が開始、今なお書き継がれている『絵巻水滸伝』――私の信じるところでは、原典ベースの水滸伝リライトで最も面白い作品の、第二部の書籍化がついにスタートしました。梁山泊に集結した百八人の豪傑のその後が、ここに再び語られることになります。

 絵・正子公也、文・森下翠という担当で描かれてきたこの『絵巻水滸伝』。「絵巻」という語からもわかるように、言うなれば本作は絵物語――文章に挿絵が付されたというより、文章と挿絵が対等な作品であります。

 最近は戦国武将のイラストでも知られる正子公也の美麗かつ独自の解釈の加えられた挿絵と、原典をきっちりと踏まえ押さえつつも、そこに欠けた部分・矛盾した部分を巧みに補った森下翠の文章。
 その二つが絶妙に絡み合った本作は、現在進行中の、いやこれまで日本で書かれた水滸伝リライトの中でも、ほとんどベストに近い内容のものであると、連載開始時から私は確信しているところです。

 さて、原典の120回本でいえば第71回まで、梁山泊に百八人の豪傑が集結するまでを描いた第一部は約10年前に完結し、全10巻で書籍化&電子書籍化されていますが(なお、今後書籍版が全20巻に再編集の上、再版されるとのこと)、今回刊行されるのはその続き、第71回からの「招安」篇全5巻であります。

 招安とは、簡単に言えば国が賊の過去の罪を許し、帰順させて軍に編入すること。国から見れば討伐のための様々なコストを省いた上に精強な軍を手に入れることができ、賊からすれば身の安全と職を手に入れられるという、ある意味win-winの関係であります。
 後者が「自由」を失うことを除けば――

 この第二部のベースとなっている原典の第72回以降は、招安を受けて帰順した梁山泊が、宋国のために遼国や叛徒たちを討ち平らげる物語。
 フルメンバーの豪傑たちが並み居る敵を蹴散らしていくのは、それなりに痛快ではありますが――しかし(戦争続きでかえって平板という構成上の問題点はさておき)大前提として、豪傑たちが招安を受け、国の下についてしまったという点で、ファンにとっては評価が厳しくなってしまうのは無理もない話でしょう。


 その招安を、本作はどのように描くのか――それはまだ先の話で、今回取り上げる第1巻に収録されているのは、原典の第72回から第75回までに当たる部分。
 東京に潜入した宋江たちが李師師と出会い、李逵と燕青が偽宋江を退治し、燕青が泰山奉納相撲で任原を破り、朝廷の使者の高慢さに怒った豪傑たちによって招安が決裂し……というくだりであります。

 このとおり、招安を巡る物語としてはまだ冒頭、第二部の特色とも言うべき大規模な戦争もまだ描かれていないのですが――しかしもちろん、それでも本書は面白い。
 ここで描かれているのは、いわば梁山泊が最も梁山泊であった頃。百八人の豪傑たちが梁山泊に集い、好き勝手に暮らしていた頃なのですから。

 そんな彼らの生き生きとした姿(その描写も『絵巻水滸伝』の大きな魅力であります)だけでも楽しいのですが、そこにさらに本作ならではの捻りが随所に入るのがたまらない。
 梁山泊で相撲といえばこの人、でありながら泰山相撲で出番がなかったあの好漢のエピソードが用意されていたり、その泰山相撲の中で今後重要な役割を果たすキャラクターが登場していたり……

 そのまま読んで面白いのはもちろんのこと、水滸伝ファンであればあるほど楽しい、そんな仕掛けが本書には仕掛けられています。

 正直なことを申し上げれば、この118頁で1944円という価格は決して安いものではないかもしれません。しかし、フルカラーということを考えればこれはやむなしといったところでしょうか(サイズ、想定とも邦訳アメコミを連想していただければよいかと思います)。
 何よりも本書は、豪傑たちの鮮やかな活躍を、手に取って「読み」「見る」楽しみを与えてくれるのですから……


 ちなみにこの第1巻には、招安篇に登場するキャラクターや用語等の紹介、地図等が収録された小冊子も付録となっており、これもまた嬉しいところであります。
 まずは全5巻、豪傑たちが朝廷との対峙の果に何を掴むのか、見届けたいと思います。


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇1(付録小冊子付)


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