2018.08.30

都戸利津『嘘解きレトリック』第9-10巻 「嘘」を解き明かした先の二人の「真実」


 嘘を「聞く」能力を持つ少女・鹿乃子と、頭は切れるが金はない探偵・祝左右馬のコンビが繰り広げてきたレトロ探偵譚もついに完結であります。左右馬への恋心を自覚した鹿乃子を狙う謎の男・史郎の影。誘拐された鹿乃子を左右馬は救うことができるのか、そして鹿乃子の想いのゆくえは……

 周囲からは忌避されてきた力を持つ鹿乃子を受け入れ、そして生きる道を示してくれた左右馬。彼への想いが、助手から探偵へのそれだけではないことに気付いてしまった鹿乃子の心は、千々に乱れることになります。
 第9巻で描かれるのは、そんな彼女を襲う思わぬ事件――かつて左右馬に降りかかった冤罪事件の関連で現場に向かうことになった二人ですが、その途中、一瞬の隙をついて鹿乃子は誘拐されてしまうのであります。

 その犯人こそは「史郎」――かつて名家の跡取り探しの一件でその名を名乗って現れ、また件の冤罪事件では別の名で鹿乃子の助っ人役を買って出るなど、何かと二人の前に現れる怪しげな美青年であります。
 そして鹿乃子にとっては大いに気になることに、彼もまた嘘を聞く能力を持っている、いや「いた」人物。そして彼が鹿乃子たちに付きまとう理由が、ここで明かされることになります。

 子供時代、捨て子として名前もなくその日を暮らしてきた「史郎」。しかしその能力を知った男・武上に拾われた彼は、翡翠様なる霊能力者に扮して、武上の指示するまま、人の秘密を握り、利用して生きてきたのであります。
 しかしある日その能力は消え、武上も姿を消して再び孤独の身の上となった「史郎」。探していた武上の所在をようやく掴んだ彼は、鹿乃子の能力を使って、武上にあることを問おうとしていたのですが……


 これまで様々な形で二人の前に現れ、そして何事かを企む姿が描かれてきた「史郎」。しかし単純な悪人でも愉快犯でもないその行動には、何とも不可解なものがありました。
 ここで語られることとなったその動機は、実に本作らしい、ある意味非常に人間臭いものであり――そしてやはり嘘と真実の在処を問いかけるものでありました。

 しかしその嘘と真実は、これまでのように人間の心の中のものだけではありません。それはむしろより大きなもの、ある人間の存在にとっての嘘と真実なのであります。
 自分は誰なのか、自分は何をしたらいいのか――それを見失った「史郎」は、あるいは鹿乃子がそうなったかもしれない姿、もう一人の鹿乃子と言ってもよいかもしれません。

 そしてその運命を分かつことになったのが、左右馬の存在なのでしょう。ここにおいて物語は、もう一人の鹿乃子の姿を通じて、鹿乃子と左右馬の間の強い絆を、再びはっきり描き出すのであります。


 さて、この「史郎」のエピソードは第9巻の冒頭から最終第10巻の冒頭まで。それ以降は、再び二人とその周囲の、ある意味「小さな」物語が描かれることになります。
 この辺り、最終巻全体が物語のエピローグのようにも感じられるところですが――しかしこの巻の後半で2話にわたって描かれる左右馬の過去の物語は、重要な意味を持つと言えます。

 孤独だった子供時代から学生時代に至るまで、その勘と推理力の鋭さから、時に周囲に利用され、時に誤解されてきた左右馬。
 それが今の彼の飄々とした態度と生き様を生んだとも言えるのですが――それは同時に、彼もまた、鹿乃子と同様の悩みを抱えてきた人間であるということにほかならないでしょう。(そしてこれは、だいぶ以前に描かれた鹿乃子の予感が正しかったことを示すものでもあります)

 もちろん、鹿乃子と左右馬の縁を、そして二人がこれまで築き上げてきたものを、こうした共通点のみに帰するのは正しくないかもしれません。しかし鹿乃子にとって左右馬がそうであったように、左右馬にとっても鹿乃子の存在が救いであったという「真実」は、物語の結末において大きな意味を持つと感じられます。


 そして最終話、鹿乃子の心に深く突き刺さった過去の棘から彼女が解放されるエピソードをもって、物語は終わりを告げます。
 その先、最後の最後に描かれる二人の姿は、ある意味ひどくあっさりしたものにも思えるかもしれませんが――しかしこれ以上の説明もドラマも不要でしょう。

 最後のコマで語られた「真実」――この物語の結末にふさわしい、美しく嬉しい「その真実」こそが全てなのですから。優れたミステリにして人間の「真実」を描いた名編の完結であります。

『嘘解きレトリック』第9-10巻(都戸利津 白泉社花とゆめCOMICS) 第9巻 Amazon/ 第10巻 Amazon
嘘解きレトリック 9 (花とゆめコミックス)嘘解きレトリック 10 (花とゆめCOMICS)


関連記事
 都戸利津『嘘解きレトリック』第1-2巻 嘘を知ること、人の内面を知ること
 都戸利津『嘘解きレトリック』第3-5巻 人の中の嘘と本当を受け止める少女の成長
 都戸利津『嘘解きレトリック』第6-8巻 探偵の正体、少女の想いの正体

| | トラックバック (0)

2018.07.23

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その二) 新たに「八犬伝」を描く二つの視点


 『真田十勇士』の松尾清貴による新たな『南総里見八犬伝』リライトの第1巻の紹介の後編であります。本作を特徴付ける二つの視点の一つ、「正しさ」に対する視点。「正しさ」故に苦しむ人々とは……

 犬との約束を守り大事なものを義実と伏姫、侫人から息子と主君の宝刀を守るために自刃した番作、父の想いを継ぎ武士として立身するために浜路を捨てることとなった信乃。時として愚直に過ぎるその行動は、彼らにむしろ不幸をもたらすことになります。

 本作の前半と後半のそれぞれ中心人物である義実と信乃。二人の行動は、人としてみれば誤っているようにしか見えない時もあるのですが――しかしそれもまた彼らとしての人の道を貫こうとしたためであります。
 たとえば本作の中で義実が八房に伏姫を与えるくだりで、「この国の逆賊たちは人の道から外れていた。(中略)だから、愛する娘を犠牲にしても、人の道を外れられない。人の道を歩むために義実は人でなしの決断を下そうとしていた」とあるように。

 原典はそれを当然のことと受け止めているようにも感じられますが――なぜ正しさが人を苦しめるのか、なぜ正しい者が正しく生きられないのか? それを本作は抑制の効いた筆致で、随所で問いかけていると感じられます。


 そしてもう一つは、本作における「結城合戦」の存在であります。実は本作の前半と後半の最初の章題は、ともに「結城落城」。これは義実と番作の二人が、ともに結城城から落ち延びてきたことを考えれば、当然といえば当然とも思えますが……
 しかし作者はTwitterでこの合戦を評します。「永享の乱の後日談というだけでなく、単なる局地戦とも言えない。重要な歴史の分岐点のひとつ」と。だとすれば、それが単なる背景として済ませられるものではないといえるでしょう。

 鎌倉公方・足利持氏が関東管領・上杉憲実、そして将軍義教と対立した末に滅ぼされた永享の乱。そして持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じる勢力が結城城に籠城した結城合戦。こうしてみれば確かに結城合戦は永享の乱のエピローグ的印象がありますし、そしてまた、武士が幕府を開いて以来無数にあった、中央と地方の争いの一つに過ぎないとも見えます。
 しかしこの結城合戦、実は永享の乱よりも戦いの規模と期間は大きく、長く――特に一年以上の籠城を繰り広げた点においては史上希な戦いであったとも言えるのであります。

 そして鎌倉公方が滅ぼされ、関東管領の力が大きく増したこと、勝った義教がその戦勝会(として招かれた席)で討たれるという、前代未聞の事件が起きたこと等を考えると、(後者は間接的なものであれ)地方と中央の関係、将軍の権威というものを大きく揺るがし、関東における戦国時代の端緒を作った――そう解することもできるでしょう。

 戦国時代がもたらした、あるいは戦国時代をもたらした概念に「下克上」があります。下の者が上の者に逆らい、取って代わる――あるいは当時の社会の、いや世界の則を根底から覆すこの概念が生まれるきっかけの一つがこの結城合戦(の終結)と言えるのかもしれません。
 だとすれば、そこから始まる『南総里見八犬伝』という物語は何を描いているのか? そこに先に述べた、正しい者が正しく生きられない物語の姿を重ね合わせた時、浮かび上がるものがあると感じられます。


 作者はその『真田十勇士』において、戦国時代の終わりと、それによって個人が天下という概念に取り込まれていく様を描きました。それに対して本作で描かれるものは、戦国時代の始まりと、それによって大きく揺り動かされる社会と個人のあり方なのではないか――そう感じられます。。
 しかし『南総里見八犬伝』という物語を原典に忠実に描きつつ、この視点を織り込んでいくことは並大抵のことではないと言えます。それでも私は、この作者ならばできると全幅の信頼を寄せてしまうのです。

 少なくともこの第1巻においては、本作が原典に忠実でありつつも巧みな補足を加えた『南総里見八犬伝』リライトとしての面白さと、作者独自の視点から歴史を読み解くを持つ歴史小説、二つの面白さを兼ね備えていることは間違いありません。
 第2巻以降にも心から期待する次第です。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
南総里見八犬伝 結城合戦始末


関連記事
 八犬伝特集 インデックス

 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その一) 容赦なき勇士たちの過去
 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その二) 人間を、自分を勝ち取るための戦い
 松尾清貴『真田十勇士 2 淀城の怪』 伝奇活劇の果ての人間性回復
 松尾清貴『真田十勇士 3 天下人の死』 開戦、天下vs真田!
 松尾清貴『真田十勇士 4 信州戦争』 激闘上田城、そしてもう一つの決戦
 松尾清貴『真田十勇士 5 九度山小景』 寄る辺なき者たちと小さな希望と
 松尾清貴『真田十勇士 6 大坂の陣・上』 決戦、自分が自分であるために
 松尾清貴『真田十勇士 7 大坂の陣・下』 そして英雄の物語から人間の歴史へ

| | トラックバック (0)

2018.07.22

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その一) 定番の、しかし抜群に面白い「八犬伝」リライト


 その強烈な伝奇性と史実への独特の視線により、児童書の域を遙かに超えた作品となった『真田十勇士』の松尾清貴が次に描くのはあの伝奇小説の源流たる『南総里見八犬伝』――その第1巻である本作は、想像以上に原典に忠実でありつつも、しかし作者ならではの独自の視点を持つ作品であります。

 結城城が落城し、幾多の犠牲を払って安房に落ち延びた里見義実。彼は主君・神余光弘を謀殺して苛政を引く山下定包を討ち、はじめ光弘の、後に定包の愛妾となった美女・玉梓を斬首することになります。
 それから十数年後、妻を迎え一女一男の父となった義実は、飢饉に乗じて隣国の安西景連の侵略を受け、もはや落城寸前の状況まで追い込まれることに。娘の伏姫の愛犬・八房が景連の首を取るという僥倖に恵まれ勝利を収めた義実ですが、八房の望む褒美は伏姫でありました。

 一度口にした約束を違えるわけにはいかないと八房とともに城を去り、深山で暮らす伏姫。時は流れ、八房の気を受けて懐妊した伏姫は、山に入った金碗大輔と義実の前で潔白を示すため自刃、その胎内から出た白気とともに、仁義礼智忠信孝悌の玉は各地に散ることに……

 一方、結城城が落城し、幾多の犠牲を払って大塚に落ち延びた犬塚番作。彼は姉夫婦に所領を奪われながらも争うことなく、妻とともに静かに暮らし、やがて息子の信乃を授かります。しかし運命は信乃から母を、そして父を、愛犬を奪い、彼は敵とも言うべき叔母夫婦に引き取られるのでした。
 孤独のうちに暮らす信乃ですが、叔母の家の使用人・額蔵こと犬川荘助が、自分と同じ痣を持ち、同じ珠を持つことを知った彼は、義兄弟の契りを交わすことになります。

 成人した信乃は、父が命を賭けて守った足利の宝刀・村雨丸を手に、許嫁の浜路を振り切って古河公方・足利成氏に旅立つものの、しかし信乃、そして浜路にそれぞれ悲劇的な運命が降りかかります。そして足利家の家臣に追われ、芳流閣に登った信乃の前に現れたのは……


 というわけで、伏姫と八玉の因縁、そして信乃の成長と受難を描く本作。「八犬伝」でいえば冒頭も冒頭、そして様々な「八犬伝」リライトにおいて、ほとんど全く欠かすことなく描かれる、定番中の定番の部分です。
 正直なところ、「八犬伝」と見ればすぐに飛びつくような私のような人間にとってみれば、もう何度も何度も読まされて食傷気味の部分なのですが――しかしこれが抜群に面白いのであります。いやむしろ、「八犬伝」はこれほど面白かったか、と今更ながらに再確認させられるほどに。

 といっても本作は、原典の内容から、大筋では、いやかなり細かい部分まで、ほとんど変更を加えていません。他のリライトであれば流されそうな部分まできっちりと拾っており、一瞬訳書かという印象すらあります。
 しかし本書は少しずつ、極めて巧みに、作中の描写を、特に人物の心情描写を補うことにより、伝奇小説の古典中の古典を、現代の我々が読んでも面白い物語に――言い換えれば我々の心を、感情を大いに動かす物語として成立させているのです。

 それは作者独特の抑制の利いた、しかしロマンティシズムに満ちた述懐ともいうべき文章(例えば冒頭、結城城から落ち延びた義実が雨の夜空に白龍を見るくだりの美しさ!)によるところが大きいと言えますが、それ以上に印象に残るのは、本作ならではの二つの視点です。

 その一つは、「八犬伝」側に立つ登場人物の姿とその辿る運命を、「正しさ」という点から見つめ、語ることであります。
 「八犬伝」といえば必ずといってよいほど語られる言葉「勧善懲悪」――すなわち、「八犬伝」は、善と悪、正と邪が明確に色分けされた物語と言えます。しかし、八犬士側の登場人物――善の側の人々は、その「正しさ」故に苦しむ姿が、しばしば描かれることになります。

 それでは本作は「正しさ」を如何に描くのか――いささか中途半端な箇所で恐縮ですが、長くなりましたので次回に続きます。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
南総里見八犬伝 結城合戦始末


関連記事
 八犬伝特集 インデックス

 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その一) 容赦なき勇士たちの過去
 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その二) 人間を、自分を勝ち取るための戦い
 松尾清貴『真田十勇士 2 淀城の怪』 伝奇活劇の果ての人間性回復
 松尾清貴『真田十勇士 3 天下人の死』 開戦、天下vs真田!
 松尾清貴『真田十勇士 4 信州戦争』 激闘上田城、そしてもう一つの決戦
 松尾清貴『真田十勇士 5 九度山小景』 寄る辺なき者たちと小さな希望と
 松尾清貴『真田十勇士 6 大坂の陣・上』 決戦、自分が自分であるために
 松尾清貴『真田十勇士 7 大坂の陣・下』 そして英雄の物語から人間の歴史へ

| | トラックバック (0)

2018.07.19

森谷明子『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』 「玉鬘」と「若菜」を通じた権力者との対峙


 作者がデビュー作以来描いてきた紫式部と源氏物語を題材とした平安ミステリ三部作の第三弾――今回舞台となるのは、藤原道長が栄華の絶頂を極めようとしている時代。その道長にまつわる二つの「事件」に、式部たちは関わっていくことになります。そしてそこから生まれた源氏物語のエピソードとは……

 相変わらず源氏物語の執筆に忙しい香子(紫式部)。そんな中、彼女は因縁浅からぬ道長が別邸に密かに一人の姫君を隠していることを知ります。
 親友の和泉式部、そして密かに送り込んだ侍女の阿手木を通じて、その姫君・瑠璃と道長の因縁を知り、瑠璃をモデルに物語を描き始めた香子。道長が瑠璃姫を我がものにしようとする一方、彼女には将来を誓い合った相手がいることを知った香子たちは、一計を案じて瑠璃姫を救い出そうとするのですが……

 という本作の前半部分で描かれるのは、源氏物語の中でも比較的独立したエピソードとして成立している「玉葛」=瑠璃姫にまつわる物語を、道長と現実世界の瑠璃姫に重ね合わせて描く物語であります。

 実は瑠璃の正体は、かつて道長が想いを寄せながら我がものにできなかった相手の娘。あの頃は無理だったが、位人臣を極めた今であれば――と自分を大物と勘違いした中年男そのものの思考回路で行動する道長の毒牙から、いかに瑠璃を救い出すか――すなわちいかに道長を出し抜くか、その仕掛けが楽しいエピソードであります。

 そして同時にここで描かれるのは、男たちの身勝手な欲望に翻弄される女性たちが、何とか自分自身の道を選び、自分自身の足で歩いていこうとする姿。もちろん香子や和泉、さらに瑠璃はその代表ではありますが、ここでさらに印象に残るのは、かつて一条帝の女御であった元子であります。

 女御として帝に侍りながらも、その寵が薄れて一条帝から、そして世間から忘れられた存在となった元子。彼女が一条帝の崩御を前にしての感慨は涙なしには読めないのはもちろんのこと、その彼女が固めたある決意と、それを支えたある男性の姿には(手前勝手な男の代表である道長と正反対の存在として)思わず快哉を挙げたくなるのです。


 そして後半で描かれるのは、本作の副題ともなっている「若菜」の巻。源氏物語の中では最長の巻であり、なおかつ唯一下巻が存在する「若菜」は、同時に光源氏の栄光の頂点と、その没落を描く物語でもあります。そして本作において光源氏になぞらえられているのはもちろん道長。だとすれば……

 道長が栄華を極める一方で、盗賊や貴族の屋敷への付け火が横行し、ついには内裏までもが炎上した都。そんな世情騒然とする中で、定子の娘・修子に仕える少年・糸丸は、秋津という少年と出会います。
 はじめは険悪なムードながら、やがて打ち解けていく糸丸と秋津。しかし糸丸は、やがて民衆が、税や災害でどれだけ苦しんでいるかを秋津を通じて痛感するのでした。

 そして道長と三条帝が激しく対立し、そして相次ぐ不審火が帝の不徳ゆえと囁かれる中、再び炎上する内裏。しかし糸丸はあるきっかけから、火をつけたのが秋津ではないかと恐ろしい疑惑を抱くことになります。
 果たして本当に秋津は付け火の犯人なのか。そしてその背後に潜む存在とは――香子は恐ろしい真実に気づくことになるのです。

 華やかな宮中を舞台とする源氏物語を題材として、貴族の世界の裏表を描いてきた本シリーズ。しかしそこではこれまで、その外の世界――すなわち民衆の世界のことは、完全に抜け落ちていたと言えます。
 それが本作において描かれた理由について、個人的に発表年から想像することはありますがそれはともかく――ここでどん底の暮らしに喘ぐ人々の姿を描くことは、己の権勢を望月に喩える道長の存在をより鮮烈に浮かび上がらせるものと言えるでしょう。

 しかし望月は後は欠けていくだけであります。「若菜」下において光源氏が手にしたものを次々と喪っていくように――そして香子もまた、(シリーズ第一作『千年の黙』に描かれたように)物語の作者の意地を胸に道長と対峙し、一大痛撃を与えることになります。

 本作はシリーズの中ではミステリ性は(もちろん存在はするものの)薄めではあります。その点は残念ではありますが、しかしそこに存在するのは、これまでと全く変わることない視線――香子の、その作品同様全てを貫いて現代にまで至る、透徹したそして権力者に屈することない毅然とした視線なのです。

 そして本作のある描写を読んで、現在を予言したかのような内容に驚きを隠せなかったのですが――7年前に発表された作品がいま文庫化されたのはそれが理由ではないか、というのはもちろん私の妄想であります。


『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon
望月のあと (覚書源氏物語『若菜』) (創元推理文庫)


関連記事
 森谷明子『千年の黙 異本源氏物語』 日本最大の物語作者の挑戦と勝利
 森谷明子『白の祝宴  逸文紫式部日記』 「日記」に込められた切なる願い

| | トラックバック (0)

2018.07.13

もとなおこ『Dear ホームズ』 最も奇妙なシャーロック・ホームズの帰還!?


 シャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝に消え、帰還するまでの数年間――いわゆる「大空白時代」は、これまで様々な作品で扱われてきました。そして本作はその中でも最も奇妙な作品の一つでしょう。何しろホームズは、小さな人形にその身をやつしてロンドンに帰還していたというのですから!

 『最後の事件』において、宿敵モリアーティ教授との対決の末、もろともにライヘンバッハの滝に消えたホームズ。それから『空家の冒険』でドラマチックな帰還を果たすまで、読者は、そして何よりもワトスンは、彼が死んだと思い、悲しみに暮れてきました。

 この間、ホームズはチベットをはじめとして世界を放浪したと言われるのですが、その詳細は謎のまま。それだけに大いにファンの心をそそる時期であります(日本で発表されたパスティーシュの中には、彼が日本を訪れるという趣向の作品も幾つかあります)。
 そんな時期、愛妻メアリを亡くしたワトスンが、懐かしいベーカー街221Bを久しぶりに訪れる場面から物語は始まります。

 あのハドスン夫人はホームズを喪った悲しみもあって引退、今はその姪で若く美しい寡婦のミセス・ハドスンが管理人を務める下宿。そこにある日届いたのは大きなドールズハウス――それもこの221Bをそっくり模したものだったのです。
 差出人不明のこの奇妙な荷物に驚いたミセス・ハドスンに招かれたワトスンですが、彼にとってもこの荷物は不可解。物思いに沈む彼の耳に聞こえてきたのはあの懐かしいバイオリンの音色――そしてそれを弾いていたのはホームズの人形!?

 思わず失神したワトスンが意識を取り戻した時、やはりそこにいたのはホームズの人形(人形のホームズ)。実は生きていたホームズは、かつてある事件で知り合った霊媒体質の少女の力を借り、小さな蝋人形に魂を宿して帰ってきたというではありませんか!
 さすがに驚きを隠せないワトスンですが、霊感少女の存在は彼も知るところであり、何よりも目の前に動かぬ証拠がいるのですから信じるほかありません。かくて、懐かしい221Bに帰ってきたワトスンは、ドールズハウスの221Bに暮らすホームズとともに、再び冒険の日々を送ることに……


 その晩年に心霊主義に傾倒したことで有名なコナン・ドイル。しかしそのドイルをしても、ホームズが人形に霊魂を宿すとは思わなかったでしょう。
 ドールズハウスのミニチュア世界に暮らし、事件現場に赴くときはワトスンの頭に乗り、帽子の中に隠れて移動するホームズ。その姿は何ともコミカルですが、もちろんその知性は以前と変わることはありません。

 そしてこの姿でも彼の好奇心と事件に挑む情熱もそのまま。今なお届く事件の依頼状を受け、以前にも増してワトスンの力を借りることになるもののこの名コンビは、ロンドンを騒がす事件の数々に挑んでいくのです。

 そう、名コンビ――本作に描かれるのは、いささか(どころではなく)変則的ではありますが、我々が長きにわたって愛してきたあの名コンビの姿。本来ではあり得ない時期であり、あり得ない姿であるからこそ――より一層二人の友情は理想化されて、本作で描かれているように感じます。

 絵的に見ると、ワトスンが聖典のイメージとはかけ離れた細面の美青年に描かれていることに(そして別人とはいえハドスンさんがうら若き美女となっていることに)違和感を感じる向きもあるかとは思いますが、これは作者も承知の上でのものでしょう。
 何しろ作中の一エピソードにおいては、熱狂的なホームズ譚――いやワトスンファンの少女が登場、聖典の中の彼にまつわる細かい矛盾点の一つ一つにツッコミを入れていくのですから、これはもうわかってやっていると見做してよいかと思います。

 また、物語の終盤においては、彼らとは同時代人であるブラム・ストーカーが登場。何と彼自身が吸血の魔物の影につきまとわれていて――という二重のパスティーシュ展開も楽しい。そしてラストで、きちんと聖典に帰着してみせるのも心憎いところです。


 しかし本作において一点(それもかなり大きく)残念なのは、物語におけるミステリ、というより推理の比重がかなり小さいことであります。

 描かれる事件にオカルト要素が強いのは、これはもうホームズの設定からしてやむを得ないのですが、しかし事件の謎が「オカルトでした」で済まされるのはいただけない。
 日常と超常が共存する世界だからこそ、その区切りを明確にし、そして超常の世界においても、その論理を貫くホームズの推理が見たかった――と強く感じた次第です。


『Dear ホームズ』(もとなおこ 秋田書店ボニータコミックス全2巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
Dearホームズ 1Dearホームズ 2

| | トラックバック (0)

2018.06.27

皆川亮二『海王ダンテ』第5巻 今明かされる二人のルーツ、そしてこれからの戦い


 超古代の英知の結晶たる「書」を巡り、若き日のホレイショ・ネルソン(ダンテ)とナポレオン(ナポリオ)が世界を股に掛けて激突する大冒険活劇の最新巻であります。オーストラリアを舞台に幾度めかの激突を繰り広げる二人。その戦いのルーツとは果たして……

 かのジェームズ・クックとともに、任務でオーストラリアに向かったダンテと仲間たち。しかしそこで待ち受けていたのは、一足先にオーストラリアに上陸し、無法の限りを尽くすナポリオたちフランス軍と、ナポリオの兄・ジョゼによって送り込まれた海賊女王アルビダでありました。
 かつての敵にして今は頼もしき友であるオルカとともに辛うじて難敵たちとの戦いをくぐり抜けたダンテ。しかし魔導器を用いた代償は、彼の体に奇怪な痣として残ることになります。

 ダンテとナポリオに超人的な知識と力を与える「書」と魔導器。それはかつて彼らがまだ幼かった頃――コルシカ島に共に暮らす頃に出会ったものでした。
 育ての親であるコロンバス牧師の下、平和に暮らしてきたダンテ。しかしある日、ダンテはコロンバスが密かに隠してきた二冊の「書」のうち、「要素」と魔導器を託されることとなります。

 何者かが現れることを強く恐れるコロンバスは、ダンテに書の主たる資格があることを見届け、南極に眠るというもう一冊の「書」である「生命」を封印するように語るのですが――時すでに遅し。
 コロンバスとは因縁を持つらしい海賊の一団がコルシカ島を襲撃し、略奪と虐殺を繰り広げることとなります。コロンバスも殺され、その混乱の中で、ナポリオも「構成」の書を手にし、その主となるのでした。

 怒りに燃えて魔導器の力を解放したダンテによって海賊は撃退されたものの、「書」を狙う者たちはいずれまた現れるに違いない。これ以上故郷を巻き込まないため、そして(特にナポリオは)「書」の力を広い世界で試すため――ダンテはコロンバスの友人であるイギリスのネルソン家を頼り、そしてナポリオはフランス軍に潜り込むことになります。
 そんな二人の姿を、ジョゼが意味ありげに見つめるとも知らず……


 物語の始まりの時点において、既にそれぞれ「書」の持ち主として登場し、南極で「生命」の書の争奪戦を繰り広げたダンテとナポリオ。そんな二人の過去はこれまで断片的に語られてきましたが、ここでようやく物語冒頭と繋がることになります。
 ジョゼをして「できすぎ」と言わしめる優等生のダンテと、才に優れながらも鬱屈を抱えるナポリオ――と、少年時代から全く変わらない二人の腐れ縁は愉快ですが、しかしそんな二人の日常が一瞬にして奪われる様は、なかなかに痛ましいものがあります。

 もっとも、過去を描くといっても、実は謎はほとんど明かされていないのも事実であります。コロンバスはどこで「書」を手に入れ、何故海賊に追われていたのか。いやそもそも、何故彼は「書」の力と「生命」の書の危険性を知っていたのか。
 前巻においてクックが語るところによれば、「書」はピサロが新大陸から持ち帰り、博物館に収められていたはずなのですが……

 さらに言えばこれらの秘密をジョゼがあらかじめ知っていたかに見えるのも不審でありますし、個人的にはどうもダンテ自身にまだ秘密があるようなのが気になるのですが――いずれにせよ、かえって謎は深まってしまった印象があります。
 これは、見事に作者の掌の上で踊らされてしまっているのだと思いますが――もちろんそれは望むところであります。


 さて、こうして過去の物語は語られたものの、現在の戦いが終わったわけではありません。
 アボリジニの人々が恐れ、「構成」の書が求める「毒」とは何か――それがまだわからぬまま(これはまず間違いなく○○○だと思いますが)、フランス軍の奇襲と囚人たちの反乱の前に、ダンテたちが捕らわれ、さらなる窮地に追い込まれることとなります。

 全てを奪われ、絶望的な状況に陥ったダンテたちを救う者は誰か――この漫画における「大の男どもを千切っては投げ」枠となった感のあるアルビダ様の動向も含めて、先の展開が大いに気になるところです。


 それにしても――ナポリオによって機械仕掛けの体を与えられ、「総司令官」と呼ばれるようになった「構成」の書(の意志)。これ、どう考えてもナポリオが捨てられるフラグのような……


『海王ダンテ』第5巻 (皆川亮二&泉福朗 小学館ゲッサン少年サンデーコミックス) Amazon
海王ダンテ 5 (ゲッサン少年サンデーコミックス)


関連記事
 皆川亮二『海王ダンテ』第1巻 二人の少年が織りなす海洋伝奇活劇
 皆川亮二『海王ダンテ』第2巻 いよいよ始まる異境の大冒険
 皆川亮二『海王ダンテ』第3巻 植民地の過酷な現実と、人々の融和の姿と
 皆川亮二『海王ダンテ』第4巻 新章突入、新大陸で始まる三つ巴の戦い

| | トラックバック (0)

2018.06.17

「コミック乱ツインズ」7月号(その一)


 早いもので号数の上ではもう今年も後半に突入した「コミック乱ツインズ7月号」。巻頭カラー&表紙を『鬼役』が飾り、シリーズ連載の『そば屋 幻庵』も久々に登場、小島剛夕の名作復活特別企画も掲載されています。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介しましょう。

『桜桃小町』(原秀則&三冬恋)
 江戸で起きる子供たちの神隠しを題材とした「神隠し綺譚」の後編は、全編を通してのアクション編といった印象。人手不足を補うために子供たちを拐かしていた那珂藩に、やはり子供の頃に拐かされ、今はその手先となっていた男・清吉が、江戸で出会った女性・お律とその娘・お鈴のために改心、藩に殴り込みをかけることになります。

 その殴り込みの助っ人を買って出た桃香は、これまでの罪滅ぼしと、止めても聞かない清吉をフォローして、いかにも忍者らしい(?)火薬玉やらをフル装備で大暴れするのですが、しかしこの後、悲劇の連続。子供たちを救い出したはいいものの、清吉が、そして思いも寄らぬ人物までが――という容赦ない展開に驚かされます。
 さらに桃香も、子供たちを人質に取られて藩の追っ手の前にあわやの危機。もちろんそこは豪快な大逆転が待っているのですが――しかしそれにしてもこのような結末になるとは全く予想ができませんでした。

 結末に一抹の救いは残されているものの、これは明確に桃香の失態で、ちょっとどうなのかなあ――という印象は強くあります。


『薄墨主水地獄帖 狂気の夜』(小島剛夕)
 小島剛夕の名作復活特別企画第6弾は、薄墨主水の3回目の登場。この世の地獄をのぞいて歩くと嘯く主水が、今回も奇怪な人間模様に巻き込まれることになります。

 放浪の末に立ち寄ったとある城下町で、春の夜のそぞろ歩きを楽しんでいた主水。しかしそこで美しい女性・幾代と出会ったことがきっかけで、辻斬りに襲われることになります。実は辻斬りの正体はこの藩の若君・東吾、取り巻きとともに夜毎人々を殺めていた相手に刃を向ける主水ですが、家老が割って入ったことでその場は引くことになります。
 その後、宿を借りた寺で幾代と出会う主水。実は自分に横恋慕してきた東吾に夫を謀殺され、以後もつきまとわれ続けていた彼女は、夫の仇を取るためであればいかなる恥も辞さないと主水にその身を任せようとするのですが……

 冒頭の展開を見た時は、眠狂四郎の『悪女仇討』のような物語かと思いきや、手段は選ばぬものの、まずは貞女(といってもその手段には矛盾があるわけですが)であった幾代。作者の筆が浮き彫りにするそんなー彼女の美しさと危うさが印象に残ります。
 しかし本作はそれで終わらず、最後の最後に彼女のもう一つの表情を描くことになります。その表情を何と評すべきか――そこにも主水が求める地獄の一つがあったのかもしれません。

 それにしてもこれまで以上にキメキメの台詞を連発する主水。こういう皮肉めいた表現は本来は好きではありませんが、柴錬原作であったかと一瞬思うほどでありました。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 冒頭に述べたように、今回は『そば屋 
幻庵』も掲載している作者。しかしコミカルなあちらに比べて、こちらはあくまでもシリアスな展開が続きます。

 何者かに人違いで襲われたことを師匠に報告したら油断を説教されたり、白石から将軍家宣の墓所が増上寺となった裏のからくりを探れと無茶ぶりされたり、相変わらずの聡四郎。墓所の造営にかかる金の動きを知ろうと、久々に相模屋を訪れるのですが――はいお待ちかねの紅さんの登場であります。
 ここのところご無沙汰だったのにお冠の紅さん、あえて普通の武士に対するようなよそよそしい丁寧語を使ってくるのが、怒りの度合いと、それと背中合わせのいじらしさを感じさせるのですが――聡四郎の新たな傷を見て一転あんた馬鹿モードになるのもまた可愛らしいところです。

 しかしそれでももちろん戦わねばならない聡四郎、自分の「人違い」の裏に気付いた彼は、今度は玄馬をお供に再び襲撃してきた相手に大決闘。上田イズム溢れる言動を見せる刺客(ビジュアル的には普通のおじさんたちなのがまた哀愁漂います)を迫力の太刀で撃退して――さて敵の正体は、というところで次回に続きます。


 長くなりましたので次回に続きます。


「コミック乱ツインズ」7月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年7月号 [雑誌]


関連記事
 「コミック乱ツインズ」2018年1月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2018年1月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年2月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2018年2月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年3月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2018年3月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年4月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2018年4月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年5月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」2018年5月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年6月号

| | トラックバック (0)

2018.06.11

森みつ『カリガネ』 油断の出来ない二人が培った「絆」


 東北に覇を唱えた独眼竜こと伊達政宗と、柳生新陰流の礎を築いた柳生宗矩――あまり接点のないように感じられるこの二人は、実は親しく交流する間柄でした。本作はその史実を踏まえて描かれる二人の物語――戦国の終わり、泰平の始まりに生きた二人とその時代を描く、なかなかにユニークな作品です。

 秀吉の北条攻めの最中、ひとり陣を抜け出したところを野盗に襲われた伊達政宗。彼を救ったのは、そこに居合わせた凄腕の剣士・柳生又右衛門――後の宗矩でありました。
 しかしそこで宗矩が人を斬れないという弱みを見破り、それをネタに、将軍家指南役となった宗矩から情報を得ようと企む政宗。
 一方の宗矩も、主であり次の将軍である秀忠を支えるため、北の雄藩である伊達家の力を利用するべく動くのでした。

 かくて、徳川幕府が地盤を固めていく中、水面下で丁々発止とやり合う政宗と宗矩。しかし、豊臣家との大戦が迫る中、二人の運命もまた歴史に翻弄されることに……

 政宗といえば戦国時代の人、宗矩といえば江戸時代の人――なんとなくそんな印象がありますが、実はこの二人はわずか四歳違い。完全に同時代人であります。
 そして片や有力外様大名、片や将軍家指南役/大目付と、ある意味水と油の中の二人ですが、しかし共に秀忠を支え、個人的にも親しく行き来する仲であったというのは、何とも興味深い史実であります。

 もっとも、政宗が秀忠を支えたのも、その腹心たる宗矩に接近したのも、伊達家生き残りのため――と容易に想像できるところではあります。そして宗矩の方も、トップクラスの要注意人物として政宗に接していたであろうこともまた。
 本作もそのスタンスで描かれてはいるのですが――しかしこの二人のキャラクター、そしてそのやり取りが、なかなか味があるのです。

 小田原合戦以来の因縁である二人。お互いがお互いの腹の底を知り、そしてそれを利用しあうという、何ともドライな仲なのですが、しかし見方を変えれば二人は腹蔵なき関係。
 そんな二人がやり合う様は、信用できない連中ばかりの中で、唯一お互いを知り尽くした、ライバル同士のぶつかり合いにも似た潔さすら感じられます。
(もちろん、そのお互いが一番信用できない、油断できない相手なのですが……)

 本作で描かれる二人の青年期から晩年まで――大きな時代の境目をまたいで、単純な敵とも味方とも言い難い二人の、戦場での命のやり取りとはまた異なるやり取りを経た二人の関係性はなかなか興味深いところであります。

 しかしそんな強者二人も、時代の巨大なうねりの前には、大きく翻弄されることになります。
 戦国最後の戦い、泰平のための最後の試練とも言うべき大坂の陣――そこで二人は、それぞれの立場から、かつてのような自分ではいられぬほどの、歴史の荒波に晒されることになります。

 そしてその荒波は二人だけではなく、彼の周囲の人々――彼らの次の代を担うべき、松平忠輝、五百八姫、そして豊臣秀頼といった若者たちにも等しく、いや、より激しく襲いかかることになります。
 それはあるいは、この国を先頭に立って動かしてきた二人にとっては、耐え難い無力感を感じさせるものであったかもしれません。自分たちが苦しむよりも遥かに苦しいものとして感じられたかもしれません。

 しかしそれでも時は流れる。その先にも残るものがある。本作の終盤で描かれるものは、そんなことを感じさせます。
 本作のタイトルである「カリガネ」は、作品の結末に描かれる、最晩年の政宗が宗矩に送った和歌の一節。そこにあるのは、そんな残ったものの一つ――長く激しい時の中で培われた「絆」に他ならないのですから。

 単行本2巻とそれほど長くないこともあり、第1巻の宣伝で言われる「戦国ロビイスト漫画」という印象はそこまで強くないのですが――しかし他では得難いものを感じさせる作品ではあることは間違いないでしょう。

『カリガネ』(森みつ 新潮社BUNCH COMICS 全2巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
カリガネ 1 (BUNCH COMICS)カリガネ 2 (BUNCH COMICS)

| | トラックバック (0)

2018.05.31

モーリス・ルブラン『カリオストロ伯爵夫人』 最初の冒険で描かれたルパンのルパンたる部分

 美少女クラリスと将来を誓い合っていた20歳のラウール・ダンドレジー(ルパン)。「七本枝の燭台」を求める怪しげな一団と共にジョゼフィーヌ・バルサモなる美女を私刑にかけるのを救ったラウールは、名うての女盗賊だった彼女と激しい恋に落ち、共に冒険を繰り広げようになるが……

 『ルパン逮捕される』で初登場し、以後断片的に過去の物語が描かれてきたルパン。しかしその初登場から実に19年後に発表された本作において、彼がルパンとして立った最初の冒険が描かれることになります。
 いわば本作はアルセーヌ・ルパンのエピソード・ゼロを描く物語なのであります。
(そんな作品が描かれたのは、ルブランがルパンシリーズの掉尾を飾るために、最後と対応する最初の冒険を描いたものとでしょうか。その「最後の冒険」はそれからさらに先の発表になるのですが……)

 いずれにせよ、これまでルパンシリーズ(とシリーズ外の『女探偵ドロテ』)で語られた四つの謎の存在をさらりと作中で語るなど、ルパン・ユニバースの確立に一役買っている本作。そしてその謎というのが、かの伝説の怪人・カリオストロ伯爵ことジュゼッペ・バルサモ由来のもの、というのも、何とも嬉しいではありませんか。

 ルパンといえばミステリ、ピカレスクであると同時に、伝奇もの冒険ものとしての性格を色濃く持つ印象があります。
 本作で語られる七本枝の燭台の秘密も、フランス革命で命を落とした修道士が遺した莫大な財宝の在処を示すものとして、伝奇色濃厚。当然、ルパン最初の冒険も、伝奇活劇になるかと思われるのですが……

 しかし、むしろ恋愛ものと呼びたくなる内容なのが、本作の面白いところでしょう。
(もちろん、終盤に明かされる宝の在処は、伝奇性とロマンチシズム濃厚で実に素晴らしいのですが)

 その恋愛の相手というのが、本作のタイトルロールであるジョセフィーヌ(ジョジーヌ)・バルサモ。上で述べたカリオストロ伯爵の娘を称する人物であり、数十年変わらぬ美貌を持つという妖艶な美女です。

 そもそも本作の冒頭で語られるのは、若きラウール(ルパン)が美少女クラリスと恋に落ち、彼女との結婚を夢見る姿。
 しかし男爵の娘である彼女に対し、ラウールは無位無冠の青年、当然ながら結婚に激しく反対する父親の弱みを握るべくその周囲を探ってみれば、彼はボーマニャンなる怪人物の配下として、七本枝の燭台の秘密を追っていて――という展開になります。

 そしてそのボーマニャン一派と対立していたのがジョジーヌ。成り行きから彼女を救ったラウールはクラリスのことはコロッと忘れ、ジョジーヌの盗賊稼業を助けつつ、彼女との愛に溺れることになるのです。
 ルパンといえば、数々のヒロインに惹かれ、愛し合った男という印象もあります。しかし本作のルパンはその片鱗を見せつつも、年齢も盗賊としての経験も悪党としての器も遙かに上の、文字通り美魔女に翻弄されるのが、いかにも若さを感じさせて微笑ましい(?)ではありませんか。

 その一方で面白いのは、ジョジーヌの側も単なる打算や色欲だけでなく、真剣にルパンを愛してしまうことであります。
 そんな二人が互いに互いを求め合い、翻弄し合い、やがて敵として激しく憎み合うという、その関係性の複雑さが、本作の面白さのかなりの部分を占めていると感じます。

 しかし本作はそんなルパンの若さだけを描くものではありません。本作では同時に、ルパンのルパンたる部分――人から物を盗む悪党でありながらも、決して超えてはならない(と彼が自身に誓った)一線の姿を描き出すのですから。

 それは言ってみれば徒に人を傷つけないこと――人を殺さず、拷問などはもってのほか。あくまでも怪盗「紳士」、それがアルセーヌ・ルパンであると、本作は描くのです。その一線を越えた存在――そう、ジョジーヌの姿と対比することによって。
 たとえどれだけ愛し合おうと、強く惹かれようと、平然と一線を越える相手は愛せない。許せない。ある意味それも若さ故かもしれませんが――しかしそれこそが我々のよく知るルパンの姿であり、彼の魅力の一つであることは間違いありません。

 なるほど本作はルパンのエピソード・ゼロであると、感じさせられた次第であり――そしてそれを描いた物語を巧みに織り上げてみせたルブランの手腕にも、改めて感心させられるのです。

『カリオストロ伯爵夫人』(モーリス・ルブラン ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon
カリオストロ伯爵夫人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

関連記事
 岩崎陽子『ルパン・エチュード』第2巻 天使と女神の間に立つラウールとルパン

| | トラックバック (0)

2018.05.21

道雪葵『女子漫画編集者と蔦屋さん』 逆ハーレム? 江戸の出版界の変人たち


 お仕事ものというべきか、有名人ギャグというべきか――なんと現代の漫画編集者の女性が江戸時代にタイムスリップ、出版社の元祖ともいうべき蔦屋の下で、様々な浮世絵師・戯作者たちと賑やかな毎日を繰り広げるという四コマ漫画であります。

 祖父の家で、漫画の原点ともいうべき黄表紙を手にした途端、江戸時代にタイムスリップしてしまった女子漫画編集者の千代子。そこで当時飛ぶ鳥を落とす勢いの出版人・蔦屋重三郎と出会った彼女は、なりゆきから彼の店で働くことになります。
 現代でも過去でも変わらぬ(?)編集者の仕事をこなすなかで、後世に名を残す文化人たちと出会う千代子ですが、彼らはいずれもイケメンながらどこかヘンで……

 と、問答無用でタイムスリップした現代の女子編集者(同人経験アリの腐女子)が、江戸の出版界に飛び込んで――というと真面目な(?)お仕事もの、あるいは逆ハーレムものに見えるかもしれませんが、本作の眼目は登場する文化人のエキセントリックなキャラクターであります。

 何しろ、メインキャラたちがこんな調子なのですから――
蔦屋重三郎:人の心に無頓着な根っからの商売人
喜多川歌麿:重三郎にベッタリのオネエ浮世絵師
葛飾北斎:仕事に打ち込むと周囲が見えない浮世絵馬鹿
東洲斎写楽:常に能面を被った超引っ込み思案
曲亭馬琴:上から目線の俺様ドS
山東京伝:何事も体験してみないと気が済まない天然

 いずれもタイプの異なるイケメンなのはお約束ですが、こんな面子とラブい展開になるはずもなく、唯一の現代人かつ常識人である千代子が、彼らの行動にツッコミを入れる――というのが、毎回の定番であります。

 しかし上で述べた文化人たちのキャラクターは、本作独自のキャラ付けも多いものの、しかしその背景となっているのはきっちりと史実通りなのが、本作の最大の魅力であります。
(たとえば馬琴が蔦屋に奉公する前に、武士が商家に奉公できるかとわざわざ名を変えたエピソードなど)。

 また作中で取り上げられる(ネタにされる)作品も、馬琴の「尽用而二分狂言」や京伝の「江戸生艶気樺焼」など、もちろん実在の作品。
 江戸の黄表紙のユニークさ――というよりぶっ飛び具合は、時にネット上で話題になることもありますが、本作でも漫画らしくデフォルメされているものの、描かれる内容はなるほど原典通り。そこに千代子がツッコミを入れることで、さらにおかしみが増してくる、その塩梅も実に良いのであります。

 細かいことを言えば、黄表紙を漫画の先祖として強調するあまり、馬琴や京伝が現代でいう漫画業界の人間のような描写になっている点は気にならないでもありません。
 また馬琴が手代になった時期と京伝が手鎖くらった時期は逆ではないかな、など史実の上でのツッコミもありますが、それはさすがに野暮というものでしょう。

 基本的に(これ大事)史実を踏まえつつ、ギャグでデフォルメすることでその人物の存在やその作品の楽しさ、意義を描いてみせるというのは、これはやはり愛があって初めて為せるものであることは、間違いないのですから……

 ちなみに本作の舞台は寛政年間(1790年代初頭)。寛政といえば松平定信によって出版界が規制された寛政の改革ですが、本作のラストエピソードでこの改革が登場人物たちに与えた影響もきっちり描かれることとなります。
 もっともそれも笑い飛ばすのが本作、ラストは本当にギリギリのひどい(ほめ言葉)オチで終わるのですが……

 もちろんこの後もまだまだ元気な江戸の出版人。ここで終わるなんてもったいない、まだまだ愉快でパワフルな彼らの姿を見せてもらいたいところであります。

『女子漫画編集者と蔦屋さん』(道雪葵 一迅社ZERO-SUMコミックス) Amazon
女子漫画編集者と蔦屋さん (ZERO-SUMコミックス)

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧