2018.12.04

森川成美『さよ 十二歳の刺客』 人として少女が掴んだ一つの希望


 牛若丸という少年ヒーローがいるためか、特に児童文学における源平合戦は、源氏側から描かれるものが比較的多い印象があります。それに対して本作は、生き延びた平家の姫君――それも当の義経の命を狙う少女を主人公とした、極めてユニークで、そして重く豊かなものを持った物語であります。

 平家方の総大将であった平維盛の姫・さよ。壇ノ浦の戦いで乳母共々入水したものの、平家びいきの漁師たちに奇跡的に助けられた彼女は、素性を隠して奥州藤原氏に仕える清原家に引き取られ、養女として暮らすことになります。
 そこで平和に暮らしながらも、弓馬の腕を磨いてきたさよには、一つの目的がありました。それは卑劣な手段で平家を滅ぼした男・源義経をこの手で討つこと。そして当の義経が奥州に逃れてきたことを知った彼女は、平泉で行われた流鏑馬の場で、ついに義経に出会うことになります。

 流鏑馬を見物するために男のなりをしていたためか、当の義経から息子の千歳丸の遊び相手となるよう命じられたさよ。これ幸いと衣川の接待館で暮らすようになった彼女は、義経が千歳丸に異常に厳しく当たるのを目の当たりにして、いよいよ敵意を燃やすのですが――しかし父を一心に慕う千歳丸を前にして、複雑な心境を抱くようになります。

 それでも仇は討たなければならないとこころを奮い立たせ、足跡が残らないよう雪がとけた時に義経を襲撃することを決めたさよ。しかし決行の日、思わぬ事態が……


 冒頭で述べたように、これまで源氏側から描かれた物語が多かった印象がある源平の合戦。そうした物語では、いきおい平氏の方が武家として劣っていた、驕っていたから敗れたという視点になりがちであります。
 しかしそれが真実であったか。まさしく判官贔屓といいつつ、その九郎判官に敗れた平氏の側が不当に貶められているのではないか。何よりも私自身、気付かぬうちにそんな視線が内面化されていなかったか――本作を読んでまず考えさせられたのはそれでした。

 そう、本作の主人公・さよは、そんなものの見方に真っ向から、自分の身を以て異議申し立てを行う人物として描かれます。
 彼女の父・平維盛は、富士川の合戦で舞い立つ鳥の音に驚いて兵を退いた愚将、敗戦後も武士らしく身を処することなく、その死に様も定かではないと伝えられる人物ですが――しかし少なくともさよにとっては愛すべき父であり、そしてその父をはじめとする平氏方を卑怯な手で滅ぼした義経こそが許せぬ悪なのですから。

 実際のところ、本作で描かれる義経は、そんな彼女の憎悪を向けられるに相応しい人物として感じられます。子供のような体格にしわくちゃの猿のような顔、突然賑やかに振る舞うかと思えば、実の息子である千歳丸に過剰なまでに癇癪を爆発させる――その姿は、およそ後世に伝えられるような名将とは思えません。
 そのような描写も相まって、本作の佐用の姿には、誰でも応援したくなるのではないでしょうか。……物語の中盤までは。


 義経を討つために期を窺い、彼の周囲を調べて回るさよ。しかしその中で明らかになっていくのは、英雄でもない、悪人でもない、もう一つの義経の素顔であります。

 彼にも愛する者がいる。不器用でありながらも千歳丸に対する愛情がある。そして何より、彼にも戦う理由、勝たなければならない理由がある。そして千歳丸もまた――さよ自身がそうであったように――そんな義経を慕っている。
 そんな考えてみれば当たり前の、しかし仇討ちを夢見て生きてきた身にとっては意外で、そして重い事実が、やがて彼女に突きつけられることになります。

 だとすれば彼女はどうすればよいのか。彼女は如何なる道を選べばよいのか。平氏と源氏に、勝者と敗者に、戦う者たちに善も悪もないとすれば――そんな難しい問いかけに、本作はいたずらに相対主義に陥ることなく、一つの答えを示してみせます。

 あるいはそれは最善の答えではないかもしれません。その先に待つのは茨の道であり、結局は同じ結果になるのかもしれません。
 しかし彼女の選んだ道は、彼女自身や彼女の父、そして義経がそうであるような「人」として――そしてこれからの人生で、あるいは彼女と似たような悩みを抱くかもしれない人々が読む物語の結末として――望ましいものであったと、そう強く感じます。

 少なくとも本作の結末二行に静かに描かれた一つの「事実」、それは人が人らしく生きた結果に掴んだ、希望の証なのですから……


『さよ 十二歳の刺客』(森川成美 くもん出版)

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2018.12.03

光瀬龍『所は何処、水師営 SF〈西郷隆盛と日露戦争〉 』 現実に存在した虚構の歴史、現実と化した虚構の歴史


 今年の大河ドラマもいよいよ終盤――つまり西郷隆盛の最期の時が近づいているということですが、西郷は死なず、ロシアに逃れたという有名な伝説があります。本作はそれを踏まえつつ、西郷によって日露戦争でロシアが勝利したことをきっかけに、大きく歴史が変わっていく姿が描かれるのですが……

(以下、作品の性質上、内容の詳細に触れますのでご容赦下さい)

 西南戦争に敗れ、城山で自害した西郷隆盛。しかし彼の生存説はその後も根強く残り、ロシアに渡り、消えた戦艦畝傍に乗ってくる、あるいはニコライ皇太子と共に帰ってくる――そんな奇説が真面目に人の口に上ったほどであります。

 そして本作のほぼ前半を使って描かれるのは、その西郷がロシアに客将として遇され、やがて日露戦争に遭遇する姿であります。
 当時、巨大な国家に相応しい規模の軍隊を持ちながらも、皇帝の親政の名の下に到底近代軍隊とは言い難い制度に留まっていたロシアと、小国ながらもロシアの存在に危機感と怒りを抱き、挙国一致で対決を望んだ日本と――その対決の様が、西郷の視点を中心に描かれるのであります。
(ここでの双方の国家とその軍の在り方の分析、さらに当時の日本と太平洋戦争時の日本の比較分析は、それ自体が非常に興味深いものがあります)

 結果、あまりに杜撰すぎるロシア軍の体制にも助けられる形で日本は快進撃を続け、ついに旅順で両軍は最大の激戦を繰り広げるのですが――ここで西郷の奇策によりロシア軍が大逆転。西郷の指揮により一気に反撃に転じたロシア軍は日本軍を散々に打ち破り、水師営の地において、西郷と乃木大将は勝者と敗者として会談することになって……


 そして一体このまま物語はどこに向かっていくのか――と不安になってくる頃に、舞台は現代に移ることになります。中国に、日本近海に、そして東京のど真ん中に出現する謎の軍隊。強大な戦力を有し、日本共和国を名乗るその軍隊の出現に、元・かもめ・笙子の三人は、恐るべき敵の存在を察知して……

 というわけでここで登場するのはお馴染みの三人組――作者のシリーズキャラクターであります。ある任務を帯びつつも、普段は古本屋や骨董屋に身をやつし、一朝事あらば人知れず奮闘する彼女たちの正体は時間監視員――というわけで、ここに至り、本作は歴史改変テーマのSFであるということを明らかにします。

 過去のある時点で歴史が改変されたことにより、未来、すなわち現代において異変が生じ、それがやがて世界全体を覆い尽くし、歴史を塗り替えるほどになっていく――というのは、この時間監視員シリーズの多くに共通するシチュエーション。
 しかし本作は、ある意味前半で丹念に種明かしをすることによって、逆にその改変された歴史の重さ・大きさを感じさせるのが面白いところでしょう。
(現実にはあり得ない過去の絵葉書や雑誌の出現という、小さなところから広がっていく異変の描写も相変わらず巧みです)

 しかしまあ、それは正直なことを申し上げれば、シリーズの先行する作品、例えば『征東都督府』と同じパターン。ということは、どれだけ派手な事件が起きても、結局なかったことになってしまうのでしょう? と、意地悪なことを言いたくなってしまうのですが――まあ、その予想通りの展開ではあります。

 もっとも、本作は西郷生存説という、「現実」に存在した「虚構」の歴史を題材することによって、更なる「虚構」の歴史に一定の強度を与えていることは、これは流石と言うほかありません。
 また、現代における「敵」の工作員のちょっと意外な正体、そして真の「敵」の意外かつとんでもない正体(といっても冒頭で明かされているのですが……)などはなかなか面白く、特に後者については、ある種メタな意味でも時間監視員の最大の敵に相応しいと言えるでしょう。

 終盤には時間監視局始まって以来の大ピンチ――といっても、この事態は想定できなかったのかしら、という印象――もあり、お話としてはそれなりに盛り上がるところではあります。


 何よりも本作の題名が実に格好良くミステリアスで――これはもちろん、「水師営の会見」の唱歌の一節の引用ではあるのですが、それだけでグッと惹きつけられます。この辺りは間違いなく、練達の技と言うべきではないでしょうか。


『所は何処、水師営 SF〈西郷隆盛と日露戦争〉 』(光瀬龍 角川文庫) Amazon
所は何処、水師営 SF〈西郷隆盛と日露戦争〉 (角川文庫)


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2018.11.18

皆川亮二『海王ダンテ』第6巻 オーストラリア編完結 動物軍団大暴走!


 謎の超古代文明の遺産「書」を持つダンテこと若き日のホレイショ・ネルソンの冒険を描く本作、長きに渡ったオーストラリア編もいよいよ完結であります。宿敵ナポリオ(ナポレオン)に「書」を奪われ、砂漠に放り出されたダンテたちの運命は、そしてナポリオに迫るとんでもない敵とは……

 かのキャプテン・クックとともに、囚人たちを護送してオーストラリアに向かったダンテと仲間たち。しかしそこには既にナポリオとフランス軍機械化部隊が上陸し、原住民を収奪して巨大なプラントを作り上げていたのであります。
 さらにそこに動物を自在に操る海賊女王アルビダ、今はダンテの味方となったオルカら、「生命」の書によって復活した死人たちまでもが乱入し、事態は一層混迷の度合いを深めていくことになります。

 しかしナポリオの持つ「構成」の書が生み出したオーバーテクノロジーの前にダンテは屈し、彼は「要素」の書を奪われ、着の身着のままで、イギリス海軍の仲間たちとともに砂漠の真ん中に放り出されて……


 というわけで、これまでダンテを支え、その力の源となってきた――いわば彼を主人公たらしめてきた――「書」を失い、ほとんどそのままの意味で、裸一貫のサバイバルを強いられることとなったダンテ。
 だとすればここで描かれるのは、素の彼に主人公としての力が、資格があるかの問いかけであります。

 その答えがYESかNOか、それは言うまでもないかと思います。ダンテをはじめとして、等身大の人間たちが決死のサバイバルを繰り広げる姿は、「書」というガジェットに頼らない本作の持つ素の魅力――未知の世界に挑む人間の姿を描いているとも言えるのかもしれません。


 ……が、自然の驚異はそんな人間の存在の遙か上を行く、ということを、我々は思わぬ人物から、想像を絶する形で叩き込まれることになります。
 その人物とは海賊王女アルビダ――元は「生命」の書を持つナポリオの兄・ジョゼによって送り込まれた刺客であり、数世紀前から甦った死人である彼女は、現地の動物たちを遊び半分に殺すフランス軍たちに激怒し、動物たちを率いて敵に回ったのであります。

 動物といってもオーストラリアであれば、それほど危険なものはいないのではないか、と思うかもしれませんが、さにあらず。そして何よりも、作者がかつて(現代ものとはいえ)猟銃で完全武装した猿を描いて伝説になったことを思えば、この動物軍団の猛威が想像できるはずであります。
 というわけで、屈強なカンガルーの跳び蹴りとフックが荒れ狂い、エミューとジャイアントモア(?)の突進が地を揺るがせ、自ら弾丸となったハリモグラが宙を舞うという、目を疑うようなバトル……!

 その一方でオルカも単身フランス軍の空中戦艦に潜入、ついに体を持ち、戦闘モードに突入した「構成」の書と、これはこれで実に作者らしいバトルを展開することになって――ダンテたちの参戦が遅いこともあり、あやうく主役交代しかねないほどのインパクトでありました。


 しかしもちろん最後に〆るのはダンテであることは言うまでもありません。アルビダに合わせてか、あの神を思わせる幻影を操っての大活躍は、これまでの苦闘の溜飲を下げるものがあったのですが――しかしその途中で描かれた、ダンテに関するある疑惑は果たして真実なのか、大いに気になるところであります。
 そしてラストには、全く思わぬ人物が再登場し、全てが巨大な悪意の手の上の出来事であったことが明かされるに至っては、ただただ驚くばかり……

 最後までダンテやクックの優等生的な植民地主義への態度が気になったところではありますが(それをほとんど一言で史実に押し込めてしまうのは、これはこれで凄いと思うものの)、やはり冒険活劇としての本作としての面白さを再確認させられたところです。

 次の巻からはエジプトが舞台とのこと、イギリスともナポレオンとも縁の深い地で何が待ち受けるのか――これからの物語が楽しみです。


『海王ダンテ』第6巻 (皆川亮二&泉福朗 小学館ゲッサン少年サンデーコミックス) 

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2018.11.14

室井大資『レイリ』第5巻 修羅場を超え、彼女が知った意味


 武田勝頼の嫡男・信勝の影武者となった死にたがりの少女・レイリを描く物語も、これではや第5巻であります。織田方による高天神城攻めに対し、命の恩人を救うために単身城に潜入したレイリ。そこで彼女は、若い城兵たちを逃すため決死の任務に挑むことになるのですが……

 信長の命により高天神城を攻める家康軍に対し、救援の兵を送らぬと決めた武田家。しかし城の守将は足軽たちに家族を殺された自分を救い育ててくれた岡部丹波守、恩人を見殺しにすることはできない――と、レイリは単身城に潜入し、丹波守と再会することになります。
 しかしもちろん、如何にレイリが類希なる戦闘力の持ち主といっても、ただ一人で戦況を覆せるわけがありません。そこで丹波守はレイリに対し、若い城兵たちを連れて人一人が通るのがやっとの尾根道・犬戻り猿戻りからの脱出を命じるのでした。

 というわけで、前巻ラストから引き続いてこの巻の前半で描かれるのは高天神城からの脱出作戦。しかし尾根道といっても敵がこれを見逃すはずもなく、味方を逃がす間の時間稼ぎが必要なわけですが――これこそがもちろんレイリの出番であります。

 単身出撃すると、待ち受ける敵兵をある時は刀で、ある時は弓で斃し、そして馬が鉄砲で撃たれればその亡骸を壁代わりにして敵兵をスナイプしていくという恐るべき戦いぶりを見せるレイリ。
 が、しかしそれも所詮は時間稼ぎ、ついに城が落城し、前方だけでなく、後方からも敵兵に挟み撃ちされることとなった彼女は、城兵たちを連れて逃れるものの、文字通り刀折れ矢尽きる形で、雑兵たちに取り囲まれて……


 と、文字通りの修羅場が続いた前半に対し、後半は表向き平和な甲府を中心に、武田家中を舞台とした物語が展開いたします。

 武田を根絶やしにせんとする信長に対し、如何に負けず戦い抜くか――信勝はその策としてなんと籠城を発案、その場として小山田信茂の守る岩殿山をレイリと共に視察することになります。
 ここで信茂の前で信勝が語る策が、ある意味実に壮大で面白いのですが――その合間合間に信勝やレイリが見せる若者としての素の表情もまた面白い。

 本作は戦国ものでありつつも、「派手な」場面はむしろ少な目(来るときはドッと来ますが)という印象ですが、それ以外のいわば「平時」で描かれる人々の姿もまた魅力的であると、今更ながらに再確認させられます。
 もっとも、その「平時」がそう長くは続かないことを、我々は知っているのですが……


 しかしその「平時」を望まない――「死にたがり」だったレイリに、大きな心境の変化が訪れたことが、この後半において示されることになります。

 かつて己の眼前で、自分を庇った家族が惨殺されたのを目の当たりにして以来、早く戦いの中で殺されて家族のもとへと行くことを望むようになったレイリ。
 この主人公の強烈な設定こそが、本作の大きな特徴だったわけですが――しかしここでレイリは、その「死にたがり」を、自らの口から否定するのであります。

 彼らは何のために死んだのか、そして人は何のため戦い、生きるのか――その意味をついに彼女が知った、と文字で書くのは簡単です。しかし恩人である丹波守の死を経験した彼女が語る言葉は、どこまでも重く、そして同時に清々しく感じられるのです。


 そして結末においては、全く思わぬ形で、レイリにもう一つの重大な転機が訪れることになるのですが――死にたがりを止め、そして一つの役目を終えた彼女が、この先如何にして新たな生を生きることになるのか。
 いや、この先の生があるとは限りません。いよいよ信長が武田家殲滅を決定、最後の戦いがいよいよ始まろうとしているのですから……

 おそらくはこの物語もあとわずか、少なくともその時までにレイリが如何に生きるのか、見届けたいと思います。


『レイリ』第5巻(室井大資&岩明均 秋田書店少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)

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2018.11.02

睦月れい『空海 KU-KAI』 元作品の構造を再確認させてくれた漫画版


 一昨日ご紹介いたしました映画『空海 KU-KAI 美しき王妃の謎』の公開前後に刊行された、睦月れいによる全二巻のコミカライズであります。原作小説を漫画化したものではなく、原作小説を映画化したものの漫画化という立ち位置の作品であります。

 というわけで、夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』をベースとした映画を、ほぼ忠実に漫画化した本作。
 すなわち、入唐した沙門空海が皇帝が不可解な死を目撃したのをきっかけに、白居易とともに跳梁する妖猫と対峙し、そしてその陰に潜む楊貴妃の死を巡る謎に迫っていく――その物語を、本作は上下巻で描いています(上巻は空海と白居易が阿倍仲麻呂の日記を読み始めるところまでを収録)。

 冒頭こそ、空海の「皇帝の死因はショック死です」という台詞に驚かされますが(これはおそらく作者の責任ではないのだろうなあと想像しますが)、基本的に物語を丹念に再現してみせた本作。
 スケール感は流石に映画に一歩譲りますが、適度に漫画的表現を織り交ぜた画作りはなかなか巧みで、特に下巻冒頭で描かれる「極楽之宴」の場面は、個人的には映画よりも良かった――と感じます。

 また、これは映画ではなかったように記憶していますが(記憶違いであれば申し訳ありません)、極楽之宴で李白が池に筆を投げ捨てたというエピソードを踏まえ、それを見ることができたのは誰であったかと空海が推理する場面など、随所で物語を補強する箇所があるのも嬉しい。
 もちろん、史実に対する言及も映画よりも豊富で――映像の情報量・質と書籍(漫画も含めた)のそれはもちろん異なるところではありますが、本作はその後者の長所を上手く活かしている印象があります。

 さらに言えば、本作は物語の結末――空海が大青龍寺である人物と出会う場面から始まっており、ある意味原作読者ほど結末のインパクトが大きい仕掛けとなっているのも、なかなか面白いところであります。


 その一方、映画のある意味最大の特長ともいえる猫の活躍については、本作はそれほどでもないのですが――と言いつつ、終盤で見せる泣き顔がえらくグッとくるのですが――ある意味、そのために物語の構造がかえってスッキリと見えてくるのも面白い。

 そう、本作は、登場人物のほとんどが過去の幻想に魅入られ囚われていたものが、それにただ一人囚われなかった(いやもう一人、全てを知る人物がいますが)空海の導きによってその先の真実を知り、それを受け容れる物語――その構造が、本作においては明確に感じられるのです。

 そしてまた、その真実は必ずしも客観的なものではなく、時に主観的なものであるにもかかわらず、それだからこそ、そこにその者にとっての真実が含まれる――本作の持つ、そんな一種逆説的な視点もまた明確になっているのもいい。
 この視点こそがある意味仏教的であり――その意味では、上に述べたように幻想に囚われなかったのが空海ともう一人というのは実に象徴的であると、今更ながらに感じさせられました。


 映像作品のコミカライズは、特にそれが元の作品に忠実であればあるほど隔靴掻痒のきらいがあるものです。
 しかし本作は元の作品に忠実でありつつも、そうした不満を感じさせない――それどころか元の作品の描こうとしていたものを再確認させてくれた、なかなかによく出来た作品であると感じた次第です。


『空海 KU-KAI』(睦月れい&夢枕獏 KADOKAWA単行本コミックス全2巻)

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2018.08.30

都戸利津『嘘解きレトリック』第9-10巻 「嘘」を解き明かした先の二人の「真実」


 嘘を「聞く」能力を持つ少女・鹿乃子と、頭は切れるが金はない探偵・祝左右馬のコンビが繰り広げてきたレトロ探偵譚もついに完結であります。左右馬への恋心を自覚した鹿乃子を狙う謎の男・史郎の影。誘拐された鹿乃子を左右馬は救うことができるのか、そして鹿乃子の想いのゆくえは……

 周囲からは忌避されてきた力を持つ鹿乃子を受け入れ、そして生きる道を示してくれた左右馬。彼への想いが、助手から探偵へのそれだけではないことに気付いてしまった鹿乃子の心は、千々に乱れることになります。
 第9巻で描かれるのは、そんな彼女を襲う思わぬ事件――かつて左右馬に降りかかった冤罪事件の関連で現場に向かうことになった二人ですが、その途中、一瞬の隙をついて鹿乃子は誘拐されてしまうのであります。

 その犯人こそは「史郎」――かつて名家の跡取り探しの一件でその名を名乗って現れ、また件の冤罪事件では別の名で鹿乃子の助っ人役を買って出るなど、何かと二人の前に現れる怪しげな美青年であります。
 そして鹿乃子にとっては大いに気になることに、彼もまた嘘を聞く能力を持っている、いや「いた」人物。そして彼が鹿乃子たちに付きまとう理由が、ここで明かされることになります。

 子供時代、捨て子として名前もなくその日を暮らしてきた「史郎」。しかしその能力を知った男・武上に拾われた彼は、翡翠様なる霊能力者に扮して、武上の指示するまま、人の秘密を握り、利用して生きてきたのであります。
 しかしある日その能力は消え、武上も姿を消して再び孤独の身の上となった「史郎」。探していた武上の所在をようやく掴んだ彼は、鹿乃子の能力を使って、武上にあることを問おうとしていたのですが……


 これまで様々な形で二人の前に現れ、そして何事かを企む姿が描かれてきた「史郎」。しかし単純な悪人でも愉快犯でもないその行動には、何とも不可解なものがありました。
 ここで語られることとなったその動機は、実に本作らしい、ある意味非常に人間臭いものであり――そしてやはり嘘と真実の在処を問いかけるものでありました。

 しかしその嘘と真実は、これまでのように人間の心の中のものだけではありません。それはむしろより大きなもの、ある人間の存在にとっての嘘と真実なのであります。
 自分は誰なのか、自分は何をしたらいいのか――それを見失った「史郎」は、あるいは鹿乃子がそうなったかもしれない姿、もう一人の鹿乃子と言ってもよいかもしれません。

 そしてその運命を分かつことになったのが、左右馬の存在なのでしょう。ここにおいて物語は、もう一人の鹿乃子の姿を通じて、鹿乃子と左右馬の間の強い絆を、再びはっきり描き出すのであります。


 さて、この「史郎」のエピソードは第9巻の冒頭から最終第10巻の冒頭まで。それ以降は、再び二人とその周囲の、ある意味「小さな」物語が描かれることになります。
 この辺り、最終巻全体が物語のエピローグのようにも感じられるところですが――しかしこの巻の後半で2話にわたって描かれる左右馬の過去の物語は、重要な意味を持つと言えます。

 孤独だった子供時代から学生時代に至るまで、その勘と推理力の鋭さから、時に周囲に利用され、時に誤解されてきた左右馬。
 それが今の彼の飄々とした態度と生き様を生んだとも言えるのですが――それは同時に、彼もまた、鹿乃子と同様の悩みを抱えてきた人間であるということにほかならないでしょう。(そしてこれは、だいぶ以前に描かれた鹿乃子の予感が正しかったことを示すものでもあります)

 もちろん、鹿乃子と左右馬の縁を、そして二人がこれまで築き上げてきたものを、こうした共通点のみに帰するのは正しくないかもしれません。しかし鹿乃子にとって左右馬がそうであったように、左右馬にとっても鹿乃子の存在が救いであったという「真実」は、物語の結末において大きな意味を持つと感じられます。


 そして最終話、鹿乃子の心に深く突き刺さった過去の棘から彼女が解放されるエピソードをもって、物語は終わりを告げます。
 その先、最後の最後に描かれる二人の姿は、ある意味ひどくあっさりしたものにも思えるかもしれませんが――しかしこれ以上の説明もドラマも不要でしょう。

 最後のコマで語られた「真実」――この物語の結末にふさわしい、美しく嬉しい「その真実」こそが全てなのですから。優れたミステリにして人間の「真実」を描いた名編の完結であります。

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2018.07.23

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その二) 新たに「八犬伝」を描く二つの視点


 『真田十勇士』の松尾清貴による新たな『南総里見八犬伝』リライトの第1巻の紹介の後編であります。本作を特徴付ける二つの視点の一つ、「正しさ」に対する視点。「正しさ」故に苦しむ人々とは……

 犬との約束を守り大事なものを義実と伏姫、侫人から息子と主君の宝刀を守るために自刃した番作、父の想いを継ぎ武士として立身するために浜路を捨てることとなった信乃。時として愚直に過ぎるその行動は、彼らにむしろ不幸をもたらすことになります。

 本作の前半と後半のそれぞれ中心人物である義実と信乃。二人の行動は、人としてみれば誤っているようにしか見えない時もあるのですが――しかしそれもまた彼らとしての人の道を貫こうとしたためであります。
 たとえば本作の中で義実が八房に伏姫を与えるくだりで、「この国の逆賊たちは人の道から外れていた。(中略)だから、愛する娘を犠牲にしても、人の道を外れられない。人の道を歩むために義実は人でなしの決断を下そうとしていた」とあるように。

 原典はそれを当然のことと受け止めているようにも感じられますが――なぜ正しさが人を苦しめるのか、なぜ正しい者が正しく生きられないのか? それを本作は抑制の効いた筆致で、随所で問いかけていると感じられます。


 そしてもう一つは、本作における「結城合戦」の存在であります。実は本作の前半と後半の最初の章題は、ともに「結城落城」。これは義実と番作の二人が、ともに結城城から落ち延びてきたことを考えれば、当然といえば当然とも思えますが……
 しかし作者はTwitterでこの合戦を評します。「永享の乱の後日談というだけでなく、単なる局地戦とも言えない。重要な歴史の分岐点のひとつ」と。だとすれば、それが単なる背景として済ませられるものではないといえるでしょう。

 鎌倉公方・足利持氏が関東管領・上杉憲実、そして将軍義教と対立した末に滅ぼされた永享の乱。そして持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じる勢力が結城城に籠城した結城合戦。こうしてみれば確かに結城合戦は永享の乱のエピローグ的印象がありますし、そしてまた、武士が幕府を開いて以来無数にあった、中央と地方の争いの一つに過ぎないとも見えます。
 しかしこの結城合戦、実は永享の乱よりも戦いの規模と期間は大きく、長く――特に一年以上の籠城を繰り広げた点においては史上希な戦いであったとも言えるのであります。

 そして鎌倉公方が滅ぼされ、関東管領の力が大きく増したこと、勝った義教がその戦勝会(として招かれた席)で討たれるという、前代未聞の事件が起きたこと等を考えると、(後者は間接的なものであれ)地方と中央の関係、将軍の権威というものを大きく揺るがし、関東における戦国時代の端緒を作った――そう解することもできるでしょう。

 戦国時代がもたらした、あるいは戦国時代をもたらした概念に「下克上」があります。下の者が上の者に逆らい、取って代わる――あるいは当時の社会の、いや世界の則を根底から覆すこの概念が生まれるきっかけの一つがこの結城合戦(の終結)と言えるのかもしれません。
 だとすれば、そこから始まる『南総里見八犬伝』という物語は何を描いているのか? そこに先に述べた、正しい者が正しく生きられない物語の姿を重ね合わせた時、浮かび上がるものがあると感じられます。


 作者はその『真田十勇士』において、戦国時代の終わりと、それによって個人が天下という概念に取り込まれていく様を描きました。それに対して本作で描かれるものは、戦国時代の始まりと、それによって大きく揺り動かされる社会と個人のあり方なのではないか――そう感じられます。。
 しかし『南総里見八犬伝』という物語を原典に忠実に描きつつ、この視点を織り込んでいくことは並大抵のことではないと言えます。それでも私は、この作者ならばできると全幅の信頼を寄せてしまうのです。

 少なくともこの第1巻においては、本作が原典に忠実でありつつも巧みな補足を加えた『南総里見八犬伝』リライトとしての面白さと、作者独自の視点から歴史を読み解くを持つ歴史小説、二つの面白さを兼ね備えていることは間違いありません。
 第2巻以降にも心から期待する次第です。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
南総里見八犬伝 結城合戦始末


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2018.07.22

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その一) 定番の、しかし抜群に面白い「八犬伝」リライト


 その強烈な伝奇性と史実への独特の視線により、児童書の域を遙かに超えた作品となった『真田十勇士』の松尾清貴が次に描くのはあの伝奇小説の源流たる『南総里見八犬伝』――その第1巻である本作は、想像以上に原典に忠実でありつつも、しかし作者ならではの独自の視点を持つ作品であります。

 結城城が落城し、幾多の犠牲を払って安房に落ち延びた里見義実。彼は主君・神余光弘を謀殺して苛政を引く山下定包を討ち、はじめ光弘の、後に定包の愛妾となった美女・玉梓を斬首することになります。
 それから十数年後、妻を迎え一女一男の父となった義実は、飢饉に乗じて隣国の安西景連の侵略を受け、もはや落城寸前の状況まで追い込まれることに。娘の伏姫の愛犬・八房が景連の首を取るという僥倖に恵まれ勝利を収めた義実ですが、八房の望む褒美は伏姫でありました。

 一度口にした約束を違えるわけにはいかないと八房とともに城を去り、深山で暮らす伏姫。時は流れ、八房の気を受けて懐妊した伏姫は、山に入った金碗大輔と義実の前で潔白を示すため自刃、その胎内から出た白気とともに、仁義礼智忠信孝悌の玉は各地に散ることに……

 一方、結城城が落城し、幾多の犠牲を払って大塚に落ち延びた犬塚番作。彼は姉夫婦に所領を奪われながらも争うことなく、妻とともに静かに暮らし、やがて息子の信乃を授かります。しかし運命は信乃から母を、そして父を、愛犬を奪い、彼は敵とも言うべき叔母夫婦に引き取られるのでした。
 孤独のうちに暮らす信乃ですが、叔母の家の使用人・額蔵こと犬川荘助が、自分と同じ痣を持ち、同じ珠を持つことを知った彼は、義兄弟の契りを交わすことになります。

 成人した信乃は、父が命を賭けて守った足利の宝刀・村雨丸を手に、許嫁の浜路を振り切って古河公方・足利成氏に旅立つものの、しかし信乃、そして浜路にそれぞれ悲劇的な運命が降りかかります。そして足利家の家臣に追われ、芳流閣に登った信乃の前に現れたのは……


 というわけで、伏姫と八玉の因縁、そして信乃の成長と受難を描く本作。「八犬伝」でいえば冒頭も冒頭、そして様々な「八犬伝」リライトにおいて、ほとんど全く欠かすことなく描かれる、定番中の定番の部分です。
 正直なところ、「八犬伝」と見ればすぐに飛びつくような私のような人間にとってみれば、もう何度も何度も読まされて食傷気味の部分なのですが――しかしこれが抜群に面白いのであります。いやむしろ、「八犬伝」はこれほど面白かったか、と今更ながらに再確認させられるほどに。

 といっても本作は、原典の内容から、大筋では、いやかなり細かい部分まで、ほとんど変更を加えていません。他のリライトであれば流されそうな部分まできっちりと拾っており、一瞬訳書かという印象すらあります。
 しかし本書は少しずつ、極めて巧みに、作中の描写を、特に人物の心情描写を補うことにより、伝奇小説の古典中の古典を、現代の我々が読んでも面白い物語に――言い換えれば我々の心を、感情を大いに動かす物語として成立させているのです。

 それは作者独特の抑制の利いた、しかしロマンティシズムに満ちた述懐ともいうべき文章(例えば冒頭、結城城から落ち延びた義実が雨の夜空に白龍を見るくだりの美しさ!)によるところが大きいと言えますが、それ以上に印象に残るのは、本作ならではの二つの視点です。

 その一つは、「八犬伝」側に立つ登場人物の姿とその辿る運命を、「正しさ」という点から見つめ、語ることであります。
 「八犬伝」といえば必ずといってよいほど語られる言葉「勧善懲悪」――すなわち、「八犬伝」は、善と悪、正と邪が明確に色分けされた物語と言えます。しかし、八犬士側の登場人物――善の側の人々は、その「正しさ」故に苦しむ姿が、しばしば描かれることになります。

 それでは本作は「正しさ」を如何に描くのか――いささか中途半端な箇所で恐縮ですが、長くなりましたので次回に続きます。


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南総里見八犬伝 結城合戦始末


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2018.07.19

森谷明子『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』 「玉鬘」と「若菜」を通じた権力者との対峙


 作者がデビュー作以来描いてきた紫式部と源氏物語を題材とした平安ミステリ三部作の第三弾――今回舞台となるのは、藤原道長が栄華の絶頂を極めようとしている時代。その道長にまつわる二つの「事件」に、式部たちは関わっていくことになります。そしてそこから生まれた源氏物語のエピソードとは……

 相変わらず源氏物語の執筆に忙しい香子(紫式部)。そんな中、彼女は因縁浅からぬ道長が別邸に密かに一人の姫君を隠していることを知ります。
 親友の和泉式部、そして密かに送り込んだ侍女の阿手木を通じて、その姫君・瑠璃と道長の因縁を知り、瑠璃をモデルに物語を描き始めた香子。道長が瑠璃姫を我がものにしようとする一方、彼女には将来を誓い合った相手がいることを知った香子たちは、一計を案じて瑠璃姫を救い出そうとするのですが……

 という本作の前半部分で描かれるのは、源氏物語の中でも比較的独立したエピソードとして成立している「玉葛」=瑠璃姫にまつわる物語を、道長と現実世界の瑠璃姫に重ね合わせて描く物語であります。

 実は瑠璃の正体は、かつて道長が想いを寄せながら我がものにできなかった相手の娘。あの頃は無理だったが、位人臣を極めた今であれば――と自分を大物と勘違いした中年男そのものの思考回路で行動する道長の毒牙から、いかに瑠璃を救い出すか――すなわちいかに道長を出し抜くか、その仕掛けが楽しいエピソードであります。

 そして同時にここで描かれるのは、男たちの身勝手な欲望に翻弄される女性たちが、何とか自分自身の道を選び、自分自身の足で歩いていこうとする姿。もちろん香子や和泉、さらに瑠璃はその代表ではありますが、ここでさらに印象に残るのは、かつて一条帝の女御であった元子であります。

 女御として帝に侍りながらも、その寵が薄れて一条帝から、そして世間から忘れられた存在となった元子。彼女が一条帝の崩御を前にしての感慨は涙なしには読めないのはもちろんのこと、その彼女が固めたある決意と、それを支えたある男性の姿には(手前勝手な男の代表である道長と正反対の存在として)思わず快哉を挙げたくなるのです。


 そして後半で描かれるのは、本作の副題ともなっている「若菜」の巻。源氏物語の中では最長の巻であり、なおかつ唯一下巻が存在する「若菜」は、同時に光源氏の栄光の頂点と、その没落を描く物語でもあります。そして本作において光源氏になぞらえられているのはもちろん道長。だとすれば……

 道長が栄華を極める一方で、盗賊や貴族の屋敷への付け火が横行し、ついには内裏までもが炎上した都。そんな世情騒然とする中で、定子の娘・修子に仕える少年・糸丸は、秋津という少年と出会います。
 はじめは険悪なムードながら、やがて打ち解けていく糸丸と秋津。しかし糸丸は、やがて民衆が、税や災害でどれだけ苦しんでいるかを秋津を通じて痛感するのでした。

 そして道長と三条帝が激しく対立し、そして相次ぐ不審火が帝の不徳ゆえと囁かれる中、再び炎上する内裏。しかし糸丸はあるきっかけから、火をつけたのが秋津ではないかと恐ろしい疑惑を抱くことになります。
 果たして本当に秋津は付け火の犯人なのか。そしてその背後に潜む存在とは――香子は恐ろしい真実に気づくことになるのです。

 華やかな宮中を舞台とする源氏物語を題材として、貴族の世界の裏表を描いてきた本シリーズ。しかしそこではこれまで、その外の世界――すなわち民衆の世界のことは、完全に抜け落ちていたと言えます。
 それが本作において描かれた理由について、個人的に発表年から想像することはありますがそれはともかく――ここでどん底の暮らしに喘ぐ人々の姿を描くことは、己の権勢を望月に喩える道長の存在をより鮮烈に浮かび上がらせるものと言えるでしょう。

 しかし望月は後は欠けていくだけであります。「若菜」下において光源氏が手にしたものを次々と喪っていくように――そして香子もまた、(シリーズ第一作『千年の黙』に描かれたように)物語の作者の意地を胸に道長と対峙し、一大痛撃を与えることになります。

 本作はシリーズの中ではミステリ性は(もちろん存在はするものの)薄めではあります。その点は残念ではありますが、しかしそこに存在するのは、これまでと全く変わることない視線――香子の、その作品同様全てを貫いて現代にまで至る、透徹したそして権力者に屈することない毅然とした視線なのです。

 そして本作のある描写を読んで、現在を予言したかのような内容に驚きを隠せなかったのですが――7年前に発表された作品がいま文庫化されたのはそれが理由ではないか、というのはもちろん私の妄想であります。


『望月のあと 覚書源氏物語『若菜』』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon
望月のあと (覚書源氏物語『若菜』) (創元推理文庫)


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2018.07.13

もとなおこ『Dear ホームズ』 最も奇妙なシャーロック・ホームズの帰還!?


 シャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝に消え、帰還するまでの数年間――いわゆる「大空白時代」は、これまで様々な作品で扱われてきました。そして本作はその中でも最も奇妙な作品の一つでしょう。何しろホームズは、小さな人形にその身をやつしてロンドンに帰還していたというのですから!

 『最後の事件』において、宿敵モリアーティ教授との対決の末、もろともにライヘンバッハの滝に消えたホームズ。それから『空家の冒険』でドラマチックな帰還を果たすまで、読者は、そして何よりもワトスンは、彼が死んだと思い、悲しみに暮れてきました。

 この間、ホームズはチベットをはじめとして世界を放浪したと言われるのですが、その詳細は謎のまま。それだけに大いにファンの心をそそる時期であります(日本で発表されたパスティーシュの中には、彼が日本を訪れるという趣向の作品も幾つかあります)。
 そんな時期、愛妻メアリを亡くしたワトスンが、懐かしいベーカー街221Bを久しぶりに訪れる場面から物語は始まります。

 あのハドスン夫人はホームズを喪った悲しみもあって引退、今はその姪で若く美しい寡婦のミセス・ハドスンが管理人を務める下宿。そこにある日届いたのは大きなドールズハウス――それもこの221Bをそっくり模したものだったのです。
 差出人不明のこの奇妙な荷物に驚いたミセス・ハドスンに招かれたワトスンですが、彼にとってもこの荷物は不可解。物思いに沈む彼の耳に聞こえてきたのはあの懐かしいバイオリンの音色――そしてそれを弾いていたのはホームズの人形!?

 思わず失神したワトスンが意識を取り戻した時、やはりそこにいたのはホームズの人形(人形のホームズ)。実は生きていたホームズは、かつてある事件で知り合った霊媒体質の少女の力を借り、小さな蝋人形に魂を宿して帰ってきたというではありませんか!
 さすがに驚きを隠せないワトスンですが、霊感少女の存在は彼も知るところであり、何よりも目の前に動かぬ証拠がいるのですから信じるほかありません。かくて、懐かしい221Bに帰ってきたワトスンは、ドールズハウスの221Bに暮らすホームズとともに、再び冒険の日々を送ることに……


 その晩年に心霊主義に傾倒したことで有名なコナン・ドイル。しかしそのドイルをしても、ホームズが人形に霊魂を宿すとは思わなかったでしょう。
 ドールズハウスのミニチュア世界に暮らし、事件現場に赴くときはワトスンの頭に乗り、帽子の中に隠れて移動するホームズ。その姿は何ともコミカルですが、もちろんその知性は以前と変わることはありません。

 そしてこの姿でも彼の好奇心と事件に挑む情熱もそのまま。今なお届く事件の依頼状を受け、以前にも増してワトスンの力を借りることになるもののこの名コンビは、ロンドンを騒がす事件の数々に挑んでいくのです。

 そう、名コンビ――本作に描かれるのは、いささか(どころではなく)変則的ではありますが、我々が長きにわたって愛してきたあの名コンビの姿。本来ではあり得ない時期であり、あり得ない姿であるからこそ――より一層二人の友情は理想化されて、本作で描かれているように感じます。

 絵的に見ると、ワトスンが聖典のイメージとはかけ離れた細面の美青年に描かれていることに(そして別人とはいえハドスンさんがうら若き美女となっていることに)違和感を感じる向きもあるかとは思いますが、これは作者も承知の上でのものでしょう。
 何しろ作中の一エピソードにおいては、熱狂的なホームズ譚――いやワトスンファンの少女が登場、聖典の中の彼にまつわる細かい矛盾点の一つ一つにツッコミを入れていくのですから、これはもうわかってやっていると見做してよいかと思います。

 また、物語の終盤においては、彼らとは同時代人であるブラム・ストーカーが登場。何と彼自身が吸血の魔物の影につきまとわれていて――という二重のパスティーシュ展開も楽しい。そしてラストで、きちんと聖典に帰着してみせるのも心憎いところです。


 しかし本作において一点(それもかなり大きく)残念なのは、物語におけるミステリ、というより推理の比重がかなり小さいことであります。

 描かれる事件にオカルト要素が強いのは、これはもうホームズの設定からしてやむを得ないのですが、しかし事件の謎が「オカルトでした」で済まされるのはいただけない。
 日常と超常が共存する世界だからこそ、その区切りを明確にし、そして超常の世界においても、その論理を貫くホームズの推理が見たかった――と強く感じた次第です。


『Dear ホームズ』(もとなおこ 秋田書店ボニータコミックス全2巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
Dearホームズ 1Dearホームズ 2

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