2019.07.21

夢枕獏『陰陽師 女蛇ノ巻』 定番に留まらない怪異と霊異の世界


 実に3年ぶりの『陰陽師』シリーズ新刊であります。本書に収録されているのは全12編――いつもと変わらぬ、そして同時にそれぞれ極めてユニークな物語が収められた、楽しい一冊です。

 平安の大陰陽師・安倍晴明と、彼の親友で笛の名手・源博雅――このコンビが様々な怪異や霊異に出会う連作も、本書でもう16作目であります。
 本シリーズといえば、のんびりと風景を眺めながら酒を楽しんでいた二人のもとに依頼が持ち込まれ、「ゆくか」「ゆこう」そういうことになったのであった――というのが定番ではありますが、本書ではそれを踏まえた作品ももちろん多いものの、それだけに留まらない作品も少なくないのが、一つの特徴と言えるでしょう。

 晴明とは敵とも友人ともつかぬ、何ともユニークな立ち位置の蘆屋道満が主人公を務める『狗』『にぎにぎ少納言』や、そのタイトルどおり、むしめずる姫君が主人公となる掌編『露子姫』など、シリーズのサブレギュラーたちが中心となる物語。
 あるいは、観相の名手として「今昔物語集」に登場する登照の背負ったものを、少々捻った構成で博雅と晴明が解き明かす『相人』など――このように本書は先に述べた定番に収まらない物語も、様々に含まれているのです。

 あるいはその理由の一つは、冒頭に述べた全12編という作品数にあるかもしれません。シリーズのファンであれば気付かれるかと思いますが、この数は、一冊に収められるにはずいぶん多い数字(これまでは9編前後を収録)であり――言い換えれば一作辺りの分量は比較的抑えめということになります。
 そのため、定番に依らない(定番を描かない)作品が多いのでは――いや、そんなことを云々するのは、無粋というものでしょう。

 大事なのは、こうして描かれた作品の一つ一つが、それぞれ独自の味わいを持って、この『陰陽師』の世界を広げ、そして我々を楽しませてくれるということなのですから。


 もちろん、その一方で、本書にはシリーズの定番をきっちり踏まえ、晴明と博雅が恐ろしくも奇怪な怪異に挑む物語も、当然ながら収められております。

 その代表格は、『土狼』と『墓穴』の二作でしょうか。前者は、京の夜の闇の中で突如人の片足を食いちぎる謎の獣の正体と、突如人が変じたように凶暴となった貴族を結ぶ因縁を描く物語。そして後者は、近江の野中の墓穴で恐怖の一夜を明かした男が奇怪な症状で倒れたことをきっかけに、この地に潜む魔物の姿が明らかになる物語――と、どちらも定番でありつつも、本シリーズらしいひねりを効かせた内容となっています。

 特に『墓穴』は、結末に至り大いに伝奇的な――そしてシリーズファンであればニヤリとさせられる真実が明かされる点も面白く、怪異との対決という点では、本書随一の内容ではないでしょうか。

 また、本シリーズの魅力の一つである、どこかすっとぼけた霊異の物語という点では『月を呑む仏』が面白いところであります。
 神泉苑に夜毎現れる薬師如来が、水面に映る月を呑み込んで消してしまうという奇怪極まりない怪異もさることながら、その背後のある霊異と「真犯人」の意図が何とも楽しい。
 そしてクライマックスに描かれるある光景の突き抜けたスケール感にはただ驚き呆れるほかなく――これもまた、本シリーズの面白さをよく表した物語かと思います。

 ちなみに本書は、巻末の一編を除いて全て「オール讀物」に掲載されたものですが、その一編『蝉丸』は、CD+書籍というユニークな形式で発売された『蝉丸 陰陽師の音』に掲載された作品。
 内容的にはこれまでシリーズで何度か言及された、蝉丸にまつわるある出来事を描いたものなのですが――これまた『陰陽師』シリーズに欠かせない魅力である「自然」「音」「美」といったものの描写がたっぷり詰まった作品で、何ともたまらないものがあります。


 シリーズ開始から実に30年以上を経過した『陰陽師』ですが、まだまだこれほど豊饒な世界を見せてくれるとは――と嬉しくなってしまうような一冊であります。


『陰陽師 女蛇ノ巻』(夢枕獏 文藝春秋) Amazon
陰陽師 女蛇ノ巻


関連記事
 全ては一つの命 「陰陽師 瘤取り晴明」
 「陰陽師 瀧夜叉姫」 晴明が晴明で、博雅が博雅である限り
 「陰陽師 首」 本当は恐ろしい…のに魅力的なおとぎ話
 「陰陽師 鉄輪」 絵物語で甦る代表作
 「陰陽師 夜光杯ノ巻」 変わらぬ二人の世界
 「陰陽師 天鼓ノ巻」 変わらぬからこその興趣
 「陰陽師 醍醐ノ巻」 居心地の良い怪異譚
 「陰陽師 酔月ノ巻」 変わらないようでいて変わり続けるということ
 「陰陽師 蒼猴ノ巻」 ルーチンワークと変化球と
 『陰陽師 螢火ノ巻』 なおも新しい魅力とともに
 夢枕獏『陰陽師 玉兎ノ巻』 30年目の物語、月の物語

|

2019.07.13

仁木英之『飯綱颪 十六夜長屋日月抄』(新装版) 伝奇ものと人情ものを結びつけた快作ふたたび


 約12年前、歴史群像大賞最優秀賞と日本ファンタジーノベル大賞を受賞した直後に刊行された、作者の最初期の作品――そして伝奇ものと人情ものという、全く異なるジャンルの物語を結びつけた快作の加筆修正版であります。深川の長屋に拾われた記憶喪失の巨漢、その驚くべき正体とは……

 深川の十六夜長屋で、男手一人、泥鰌取りでもって幼い娘・とみを育てる甚六。ある日深手を負って倒れていた記憶喪失の男を見つけた彼は、男に山さんと名付け、共に暮らすことになります。
 時にその巨体からは考えられぬほどの運動能力を発揮しつつも、普段は気弱でおとなしい山さんと、慎ましくも楽しい毎日を送る甚六親子。しかしやがて彼らの周囲に、不審な人物が出没するようになります。

 そしてそんな中、娘と山さんを置いて長屋の男衆と善光寺詣でに出かけた甚六は、そこで驚くべき真実を知ることになります。松代真田家に戦国時代から仕え、今は藩内の争いによって分裂した忍たちの存在。そして山さんこそは……


 加筆修正版ということで、内容的には当然ながら同一の本作。その意味では改めて取り上げる理由は薄いといえば薄いのですが――しかしこうして読み返してみると、初版を読んだ時とは別の印象を受けることに気付きます。

 実は本作の特徴の一つは、物語を語る視点の多さであると言えます。
 甚六、とみ、山さんといった物語の中心人物だけでなく、甚六が想いを寄せる長屋の未亡人・さえや同じ長屋の寺子屋の先生などの長屋の人々、そして強引と言われようと復興に邁進する国家老、それと対立して江戸で暗躍する江戸家老、快活な仮面の下に仇への憎悪を秘めた青年武士、そして江戸家老と結んだ忍びの首魁……

 本作は、これらの登場人物の間で次から次へと物語に対する視点が入れ替わり、そして同時に、その視点の主の想いが描かれていく――そんな構成にあります。
 それは初読時には非常にめまぐるしく、そしてまたそれぞれのキャラクターの心情描写が、物語のテンポを削いでいるようにも感じられたのですが――しかしそれはこちらの理解が浅かったと今であれば感じます。

 冒頭に述べたとおり、本作は伝奇ものと人情ものという、全く異なる――ほとんど水と油の――ジャンルを折衷して、新たな物語を生み出してみせた作品であります。
 それはもちろん、全く異なる二つの世界を巧みに並べ、結びつけてみせたストーリーテリングの妙に依るところも大きいでしょう。しかしそれ以上に大きいのは、その二つの世界に生きる人々、本来であれば決して交わらぬ人々の姿を、その内面も含めて丹念に描いてみせたことであると、今ならばわかります。

 ミクロなユートピアを作り上げ、その中で生きる人々を描く人情ものと、マクロな歴史の中で、ある目的のために血で血を洗う戦いを繰り広げる伝奇ものと――全く異なる二つの世界を、決してご都合主義に陥ることなく、結びつけるのはどうすればよいのか?
 その一つの答えが、ここにはあります。

 そして初読時に、いや今回も呆気にとられた、というより置いてけぼり感すらあった、北斗の拳のようなラストバトルの展開も、むしろその感覚を生み出すことで、この二つの世界の距離を描いてみせたのではないか、というのは牽強付会かもしれませんが……


 しかしいずれにせよ、静かな序盤から始まり、徐々に物語がスケールアップする中盤、そして一気呵成に展開する終盤と、波瀾万丈な本作を貫いているのは、これはデビュー時から現在まで変わらない作者の視点であることは間違いありません。
 それは、時に対立し、時に孤立し、分かり合うことなくぶつかり合う人間たちの姿であり――そしてそんな中にふと浮かび上がる相互理解の可能性の美しさ、素晴らしさであります。

 どれほど深い悲しみや恨みを抱えようと、どれほど(物理的にも精神的にも)異なる世界に暮らそうとも、この世に生きる者同士はわかりあえる、手を取り合うことができる……
 字にしてみれば理想主義に過ぎるものを、エンターテイメントの中で、強く実感できるものとして描いてみせる。そんな作者の精神は、伝奇ものと人情ものという二つの世界を交わらせてみせた本作において、特に強く感じられるのであります。

 そしてそれが、本作を現在に至るまで色あせることない物語として成立させていることは、言うまでもありません。


『飯綱颪 十六夜長屋日月抄』(仁木英之 徳間文庫) Amazon
飯綱颪: 十六夜長屋日月抄 (徳間時代小説文庫)


関連記事
 「飯綱颪 十六夜長屋日月抄」 人情ものと伝奇ものの不思議な融合

|

2019.07.06

蓮生あまね『去にし時よりの訪人』 室町の謎の中で過去と向き合う人々


 近頃何かと話題の室町時代――それも応仁の乱前夜を舞台とした本作は、能の観世小次郎信光とその謎めいた弟子を中心に様々な人間群像を描く、ミステリ味も濃厚な連作であります。京の闇を騒がす事件の背後に潜む存在とは……

 かの世阿弥が足利将軍の不興を買った後に能の世界の中心となった音阿弥の七男である小次郎信光。その名を挙げてもすぐにはわからない方も多いかもしれませんが、「羅生門」「紅葉狩」「舟弁慶」といった、現代まで残る名作を残した人物です。
 本作に登場する小次郎はまだ青年時代――才気は溢れながらもどこか暢気で飄々とした人物。そしてその小次郎の弟子として近くに仕えるのが、小次郎と並んで(そしてほとんど彼以上に)主人公格である那智であります。

 観世座に拾われるまでは何をやっていたのか不明ながら、頭は切れるし腕っ節は立つ那智。師である小次郎を師とも思わぬようなぶっきらぼうな言動を見せると思えば、連れ子である幼い少年・天鼓は過剰に大切にするという、なかなかユニークな男であります。
 本作はそんな那智と小次郎を中心に、応仁の乱も間近な京を舞台に起きる奇妙な事件の数々を描く連作集です。

 観世座出入りの能面師が、顔に火傷を負い、生きたまま野辺送りされた娘を拾ってきたことから始まる『鬼女の顔』。
 貧乏貴族のところに出入りしていた小次郎が、貴族の庭の見事な桜を巡る争いに巻き込まれたことをきっかけに、都の闇に跳梁する者たちと出くわす『桜供養』。

 そして、そんなプロローグ的短編2話を踏まえて展開するのが、表題作である中編『去にし時よりの訪人』であります。

 とある妓楼での宴席に招かれた際に、その妓楼の近くで起きた辻斬りの下手人として囚われてしまった那智。被害者の持ち物が彼の荷物から出てきたためですが、もちろん那智には身に覚えなどあるはずがありません。
 那智の無実を証明するために奔走する小次郎たちですが、しかしこの時代、一度罪を問われればそうそう簡単に解放されることはありません。

 それでも那智を救うために調べを続ける小次郎たちは、やがて都の土倉(金貸し)が何者かに相次いで襲われ死者も多数出ていること、その一方で貧乏貴族たちの屋敷から秘蔵の宝物が次々と盗まれていることを知るのでした。
 何者かの手引きで牢を脱した那智自身も交え、謎に迫る小次郎たち。やがて一連の事件の背後には、数年前に吉野で起きたある惨劇が関わっていることが明らかになるのですが……


 冒頭でミステリ味も濃厚、という表現を使いましたが、本作のエピソードは、いずれも提示された大小様々な謎の解明が中心となって展開する物語であります。

 その意味では本作は時代ミステリに区分されるのかもしれませんがしかし実際に読んでみれば、そのようなジャンルの枠に囚われない――強いていえば「室町小説」とも言うべき内容であることがわかります。
 そう、本作で謎を通じて描かれるものは、応仁の乱も間近――というのはもちろん登場人物たちにはわからないのですが――の、ほとんど無法とも言える混沌たる京の姿であり、そしてその中で生きる人々の姿なのであります(脇役で若き日の伊勢新九郎が登場するのもちょっと楽しい)。

 帝や貴族とといった既存の権威が衰え始め、その後を襲った将軍や幕府ですら、時代の波に飲み込まれつつある時代。その一方で、まさに能に代表される新たな芸術が育っていく時代――そんな厳しく混沌とした時代の中で、人々は現在を懸命に生きることになります。
 しかしその現在を生きようとする人々を縛るものの姿が、本作では描かれることになります。それこそは過去――すなわち「去にし時」、ある者は隠しある者は忘れようとしながらも――決して逃れられない過去なのです。

 その過去と如何に向き合うのか、それはもちろん人によって様々ですが、その向き合う姿、向き合おうともがく姿こそが、本作の最大の魅力なのではないか――そう感じます。


 ……と、本作の最大の仕掛け(これがまた非常に伝奇的なんですが!)を伏せたおかげで抽象的な表現が多くなってしまいましたが、これがデビューとは思えぬ筆致で、時代と人間と謎の姿を描いてみせた本作が、優れた物語であることは間違いありません。
 終盤にちらりと登場した黒幕の正体も気になるところ、是非とも続編を――すなわち、彼らの未来の姿を――期待したいところであります。


『去にし時よりの訪人』(蓮生あまね 双葉社) Amazon
去にし時よりの訪人

|

2019.06.25

石川ローズ『あをによし、それもよし』第2巻 ミニマリスト山上、「山上憶良」になる!?


 現代のミニマリスト・山上が奈良時代にタイムスリップするという、極め付きにユニークな歴史コメディ『あをによし、それもよし』、待望の続巻であります。相変わらずマイペースに奈良ライフを満喫する山上ですが、思わぬ形でこの時代で新たなしがらみが……

 とにかく物を持たず、物に執着せずに暮らすことに全てを賭けてきたサラリーマン・山上(やまがみ)。日頃、物質社会の現代の生き辛さを嘆いてきた彼ですが――どうしたことか突然タイムスリップし、奈良時代に行ってしまったのでした。
 そこで、「あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と詠んだ一発屋(と作中で呼ばれる)小野老と出会い、彼と共同生活を始めることになった山上。

 現代と違って質素で不便な奈良時代の生活ですが、むしろ彼にとってはこれこそが求めていたもの。水を得た魚のように奈良ライフをエンジョイする彼は、違和感なくこの時代に溶け込んで……


 と、(最近の)タイムスリップものでは定番である、過去の時代に現代の知識やアイテムを持ち込んで無双するという展開にきっぱり背を向けて――というより、過去の時代の不便さを満喫するという、ある意味非常に斬新な本作。
 もちろんその流れはこの巻でも全く変わらず、風呂がない中でも蒸し風呂に入ったり、夏バテに川でアレを捕まえて食したり――相変わらずマイペースな山上と俗物根性旺盛な老の愉快なやり取り、そして絶妙な史実アレンジの数々が楽しめるのですが――しかし、この巻では山上の身に、さらにとんでもない事態が発生することになります。

 時の中納言・粟田真人――遣唐使として則天武后時代の唐に渡り、そこその儀容の見事さを讃えられたという逸話を持つ(でもやっぱり本作では何かヘンな)彼が、偶然出会った山上のことを「山上憶良」と言い出したのです。
 聞けば「山上憶良」は真人と同じ時に遣唐使になりながらも、その途上で消息を断ったという人物。彼を引き立てた真人は、その才を惜しんでいたというのであります。

 ……いやはや、本作では山上が後に「山上憶良」と呼ばれるようになるものだとばかり思い込んでいましたが、何と「山上憶良」が別に存在していたとは!
 意外な展開に驚いていれば、さらに以外なのは「山上憶良」は妻子持ちだというではありませんか。真人からは従五位下の位を用意すると言われ、妻子までいるとなれば、普通の人間であれば喜ぶところですが、しかしミニマリスト・山上の選択は――?


 山上憶良といえば「貧窮問答歌」、という組み合わせのおかげで、何となく本人も貧窮していたイメージのある憶良ですが、しかし史実では遣唐使に選ばれたエリートであり、帰国してからは従五位下、すなわち貴族として国守にもなった人物(そして子煩悩)であります。
 どう考えてもミニマリストにはほど遠い人物ですが――といっても本作の「山上憶良」もしっかりミニマリストだったようですが――さて山上は「山上憶良」としてやっていくことができるのか?

 ……と、あまり深刻にならないのが本作の良いところ。何となくノリで物語は進行し、いよいよ山上も歴史に名を残すことになりそうですが――さて。
 同じくタイムスリップしてきた(元)カリスマミニマリスト・フジワラさん改め藤原不比等との対決(?)の行方も含め、この先の山上の運命が気になる――いや、良い意味で全く気にならない、実に楽しい物語であります。


『あをによし、それもよし』第2巻(石川ローズ 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon
あをによし、それもよし 2 (ヤングジャンプコミックス)


関連記事
 石川ローズ『あをによし、それもよし』第1巻 ミニマリスト、奈良時代を満喫!?

|

2019.06.20

唐々煙『泡沫に笑う』 鎌倉から明治へ、二人の道の先に待つもの

 『曇天に笑う』『煉獄に笑う』の前日譚でもあり、『曇天に笑う』の後日譚でもある物語――『泡沫に笑う』が刊行されました。オロチと戦うために生み出された式神・牡丹と彼女を愛する隻腕の青年・比良裏の、時を超えて繰り返されてきた愛の物語は、ここに結末を迎えることになります。

 300年に一度復活する呪大蛇と人間たちの戦い――鎌倉時代を舞台としたその前々回の戦いにおいて、曇神社の初代当主・景光とともに戦い、大蛇を封じた牡丹と安倍比良裏。
 人ならざる牡丹を深く愛しながらも、大蛇を封印したことで牡丹は消滅し、比良裏はいつか彼女と再会することを誓うことになります。

 そして時は流れて明治時代、曇の三兄弟たちの奮闘によりついに大蛇は消滅。彼らとともに戦ってきた比良裏、そして牡丹にも安らぎの時が訪れたはず、だったのですが――しかし牡丹は人々の記憶から自分の存在を消し去り、一人姿を消してしまったのであります。比良裏を残して……

 この『曇天に笑う』第1巻に収録された(というか第1巻の大半を占める)前日譚である短編版『泡沫に笑う』の物語と、シリーズ全体の後日譚である『曇天に笑う外伝』の物語。本作はその間に挟まる物語であり、そしてその後に位置する物語であります。

 これらの作品――呪大蛇サーガというべき物語は、もちろん曇の一族を中心とするものであります。
 その一方で、長きに渡る物語を見届ける者として登場してきたのが比良裏と牡丹。この二人は、物語全体を繋ぐ縦糸とも言うべき者として存在すると言ってもよいでしょう。

 しかし物語の中心からほんの少しずれたところにいるためか、冷静に考えれば謎も少なくないこのカップル。
 消滅した牡丹が復活したのは何故か。比良裏は何故転生を繰り返しているのか(どのようにして転生できるようになったのか)。牡丹は何故戦国時代に「髑髏鬼灯」と呼ばれていたのか。比良裏と織田信長が瓜二つなのは偶然なのか。そして何よりも、牡丹はどこに消えたのか、比良裏は牡丹と再会できるのか……

 正直なところ、これまで謎を謎と認識していなかったものもあります(比良裏、根性で後追っかけてるんだなあ、とか)。また、明かされると思っていなかった謎もあります。
 しかし本作は、短編版『泡沫に笑う』の後の比良裏と景光の新たな冒険を描きつつ、その謎の全てに答えを用意してみせるのです。

 そう、本作は、短編版『泡沫に笑う』の後日譚であり、同作と『煉獄に笑う』を繋ぐ物語であり、『曇天に笑う』の結末であり、そして比良裏と牡丹の物語の結末である――そんないう離れ業を演じてみせる物語。
 その内容について詳しくは述べませんが――一連の物語を未読の方にはさすがにお勧めしないものの、逆に言えばこれらの作品をこれまで読んできた方にとっては必読の物語であると、そう断じさせていただきたいと思います。


 本作と第10巻が同時発売の『煉獄に笑う』の方は、まだまだ完結は遠いようですが、しかし一足先に、美しい形で終わりを見せてくれた二人の物語。
 それはファンにとっては、ちょっと寂しいことではありますが――しかし道の先にこの物語が待っていると考えれば、それは何とも暖かく嬉しいことに感じられます。


『泡沫に笑う』(唐々煙 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon
泡沫に笑う (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


関連記事
 「曇天に笑う」第1巻
 「曇天に笑う」第2巻 見えてきた三兄弟の物語
 「曇天に笑う」第3巻 曇天の時代の行く先は
 「曇天に笑う」第4巻 残された者たちの歩む道
 「曇天に笑う」第5巻 クライマックス近し、されどいまだ曇天明けず
 「曇天に笑う」第6巻 そして最後に笑った者
 「曇天に笑う 外伝」上巻 一年後の彼らの現在・過去・未来
 唐々煙『曇天に笑う 外伝』中巻 急展開、「その先」の物語
 唐々煙『曇天に笑う 外伝』下巻 完結、三兄弟の物語 しかし……

 「煉獄に笑う」第1巻 三百年前の戦いに集う者たち
 『煉獄に笑う』第2巻 へいくわいもの、主人公として突っ走る
 唐々煙『煉獄に笑う』第3巻 二人の真意、二人の笑う理由
 唐々煙『煉獄に笑う』第4巻 天正婆娑羅活劇、第二幕突入!
 唐々煙『煉獄に笑う』第5巻 絶望の淵で現れた者
 唐々煙『煉獄に笑う』第6巻 誕生、曇三兄弟!?
 唐々煙『煉獄に笑う』第7巻 開戦、第二次伊賀の乱!
 唐々煙『煉獄に笑う』第8巻 伊賀の乱の混沌に集う者、散る者
 唐々煙『煉獄に笑う』第9巻 彼らの刃の下の心 天正伊賀の乱終結

|

2019.06.07

『妖ファンタスティカ』(その四) 朝松健・芦辺拓・彩戸ゆめ・蒲原二郎・鈴木英治


 操觚の会の「書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー」『妖ファンタスティカ』の紹介も今回で最終回。まとめて五編紹介させていただきます。

 『夢斬り浅右衛門  小伝馬町牢屋敷死罪場』(朝松健)
 本作は、『伝奇無双』に掲載された『夢斬り浅右衛門』のある意味本編とも言うべき物語。
 「夢を拾う」、すなわち他人の夢を自分のものとして見る力を持つ仙台藩士が、夢で見た浅右衛門の仕置きの場に立ち会うことで、更なる不思議な世界に入り込む――という物語は、作者ならではの丹念かつ静謐さを感じさせる文章で読ませる作品ですが、長編の一部という印象が否めないのが残念なところです。


 『浅茅が学問吟味を受けた顛末  江戸少女奇譚の内』(芦辺拓)
 本作もやはり『伝奇無双』収録作品の『ちせが眼鏡をかけた由来』と同じシリーズに属する作品。
 男装して昌平黌の学問吟味を受けることとなった少女が巻き込まれた騒動を描く物語は、作者にしてはミステリ味がちょっと控えめなのが惜しいところであります。

 本作や『ちせが眼鏡をかけた由来』は、長編『大江戸黒死館』のプリクウェルに当たるとのことですが――早くこちらもを読みたいものです。


『神楽狐堂のうせもの探し』(彩戸ゆめ)
 神楽坂で美青年が営む喫茶店兼失せ物探しを訪れた少女の不思議な体験を描く本作は、本書で唯一の純粋な現代もの。まさか本書であやかしカフェものを読むことになるとは……!
 舞台は好きな場所ですし、描かれる「失せ物」の正体もグッとくるのですが、伝奇アンソロジーである以上、「彼」の正体にもっと伝奇的な仕掛けが欲しかったところです。


『江都肉球伝』(蒲原二郎)
 江戸で妖怪変化絡みの事件を専門とする同心に、配下の猫又たちが持ち込んだ事件。それは江戸を騒がす連続怪死事件の始まりで――という、変格の捕物帖ともいうべき作品。
 猫又が主人公の作品や、妖怪と人間のバディものは、今ではしばしば見るシチュエーションですが、本作のように猫又が完全に人間の子分として使われているのはなかなか珍しいのではないでしょうか。


『熱田の大楠』(鈴木英治)
 桶狭間の戦の直前に、信長の奇襲を察知した今川家の忍び。信長が出陣前に熱田に詣でることを知った彼は信長狙撃を狙うも……
 作者の桶狭間ものといえば、やはりデビュー作の『義元謀殺』が浮かびますが、本作は全く異なる角度でこの戦いを扱った掌編。この路線を突き詰めると非常に面白い伝奇ものになるのでは――と感じます。


 以上、駆け足の部分もありましたが、全十三篇を取り上げさせていただきました。いずれも短編ながら、作者の個性が発揮された作品も少なくなく、時代小説プロパー以外の作家の作品も含めた貴重な――そして何よりもバラエティーに富んだ伝奇アンソロジーとして楽しめる一冊であります。
 正直なところ、「怪奇」よりの作品が多かった印象もあり、この辺り、実は短編で伝奇ものを描く難しさにも繋がっていくように思われますが……

 何はともあれ、この伝奇ルネッサンスの流れがこれからも絶えることなく続き、さらなるアンソロジーにも期待したい――心よりそう思います。


『妖ファンタスティカ 書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー』(書苑新社ナイトランドクォータリー別冊) Amazon
妖(あやかし)ファンタスティカ?書下し伝奇ルネサンス・アンソロジー (ナイトランド・クォータリー (別冊))


関連記事
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その一) 谷津矢車・神家正成
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その二) 早見俊・秋山香乃・新美健
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その三) 誉田龍一・鈴木英治・芦辺拓
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その四) 朝松健

|

2019.06.06

『妖ファンタスティカ』(その三) 日野草・誉田龍一・谷津矢車


 操觚の会の「書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー」『妖ファンタスティカ』の紹介の第三弾であります。

『遠夜』(日野草)
 養子に出された後に職を転々とし、今は手習い指南所の師匠として静かに暮らす青年・京悟。ある晩、「首(おびと)」とだけ名乗る傷だらけの男を助け、匿った京悟ですが、男は謎めいた言葉を残して姿を消すのでした。
 その翌日、遺恨から不良武士たちと果たし合いをすることとなった京悟。相手の刃が彼に迫ったまさにその瞬間、首が現れ……

 結成以来、驚くほどの勢いでメンバーを増やしてきた操觚の会ですが、作者は最も新しいメンバーの一人であり――そしてミステリをホームグラウンドとしている作家です。

 その物語で主役を務めるのは、いかにも時代小説らしい手習い所の師匠の好青年。しかし彼の前に謎めいた人物が現れそして消え、そして剣戟の場に彼が立たされた時――隠された数々の真実が明かされ、そして物語は思わぬ方向に向かっていくこととなります。
 青年が抱えていた屈託と、罪の記憶。しかしそれよりも遙かに深い闇と対峙した時、彼は何を思うのか……

 ミステリの手法を用いて揺れる青年の心の揺らぎを描き、そしてホラーとしてそれをちっぽけな感傷とあざ笑うような怪異を叩きつける――作者の実力のほどをうかがわせる作品です。


『血抜き地蔵』(誉田龍一)
 大学時代の友人から久々に呼び出された語り手。そこで彼を待っていたのは、二人が学生時代に出会った、とある寺院に伝わる血抜き地蔵の伝承の証拠とも言うべきものでした。
 それに関わった者は、悉く体内から赤い血を失い、苦しみ抜いて息絶えたといわれる血抜き地蔵。彼らが知ったその正体とは……

 現代人が語り手という思わぬスタイルの本作は、しかし彼の目を通じて、江戸時代の山村を襲った土俗的怪異の存在を語るという、変格の時代伝奇というべき物語。
 もちろん語り手が血抜き地蔵の奇怪な伝承を知るのは、古文書を通じてなのですが――過去という遠くに存在し、彼らに関わるはずもなかった怪異が、気付けば目の前にあるという、一種の遠近法的怪異描写は、なかなかにスリリングであります。

 あ実に豪快な怪異の正体や、(語り手にとっては)理不尽極まりない結末といい、どこか懐かしい伝奇ホラーの味わいを漂わせる佳品です。


『生き過ぎたりや』(谷津矢車)
 「生き過ぎたりや廿五 逸兵衛」と鞘に大書された太刀を手に、江戸のかぶき者たちを束ねてきた大鳥逸兵衛の耳に入ってきた奇怪な噂。それは江戸に彼と瓜二つの男が出没して、派手に暴れ回っているというものでした。
 もちろん彼にとっては覚えのない話――噂の主を捕らえるべく江戸を奔走し、ついに出会った逸兵衛は、まさに自分と瓜二つの相手が奇怪な存在であると知るのですが……

 本書のトリを務めるのは、『伝奇無双』では巻頭を飾った作者の作品。そしてこれが実に作者らしさに溢れた作品であります。

 開府直後の江戸で、主に中間や小者たちを束ね、武士たちの向こうを張って暴れ回った実在のかぶき者・大鳥逸兵衛(逸平)。
 タイトルにもなっている刀の文字に表れているように、明日を考えぬ勢いで生き、そしてその通りに死んでいった人物ですが――しかし本作はその彼が巻き込まれたドッペルゲンガー騒動を通じて、彼の隠された心中を描き出すのです。

 デビュー以来、能力を持ちながらも社会という壁にぶつかり、あがきながら生きる(あるいは死ぬ)若者の姿を多くの作品で描いてきた作者。
 そんな彼らの姿は作者自身に通じるものを感じる――というのはさておき、本作もまた、怪異という鏡を通じて、彼らの姿を、痛烈に浮かび上がらせているといえます。

 ……と、実はこの辺りは作者自身の言葉にもはっきりと表れているのですが、いずれにせよ、短編ながら実に作者らしい作品と申し上げた所以であります。


 次回(最終回)に続きます。


『妖ファンタスティカ 書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー』(書苑新社ナイトランドクォータリー別冊) Amazon
妖(あやかし)ファンタスティカ?書下し伝奇ルネサンス・アンソロジー (ナイトランド・クォータリー (別冊))


関連記事
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その一) 谷津矢車・神家正成
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その二) 早見俊・秋山香乃・新美健
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その三) 誉田龍一・鈴木英治・芦辺拓
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その四) 朝松健

|

2019.06.05

『妖ファンタスティカ』(その二) 坂井希久子・新美健・早見俊


 操觚の会の「書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー」『妖ファンタスティカ』の紹介の第二弾であります。

『万屋馬込怪奇帖 月下美人』(坂井希久子)
 金もなければ女にももてない万屋を営む浪人・馬込慎太郎。そんな彼のもとに久々に舞い込んだ依頼は、さる人形絵師が作った、豪商の亡き愛娘に生き写しの人形を壊して欲しいというものでした。
 折しも江戸では、健康な男が一晩で干からびて死ぬという事件が発生、その事件は思わぬ形で馬込の仕事と繋がって……

 総勢十三人、様々な作家が居並ぶ本書の中で、ある意味最も意外なのは本作ではないでしょうか。時代小説としては「居酒屋ぜんや」シリーズが代表作となる作者ですが、おそらく本書のメンバーの中で最も伝奇というイメージが薄いのですから。
 そんな作者が描く本作は、万屋の浪人と、江戸の夜に徘徊する危険極まりない妖女との対決を描く時代ホラーなのですから、さらに驚きであります。

 ……が、そこに「艶笑」の二文字が付くとなれば、一転して作者らしいと感じられます。
 正直なところ、怪異の正体はこれ以外ない、という存在であって、意外性はないのですが――しかしクライマックスでの馬込のぬけぬけとした(しかししっかり伏線がある)大逆転には、もう脱帽するしかありません。この路線でシリーズを読みたいものです。


『妖しの歳三』(新美健)
 禁門の変を経て、京洛にその名を轟かせた新選組。しかし近頃京では、怪鳥の声とともに現れる辻斬りが出没、ついに隊士の一人が斬られたことから、土方は自ら対決を決意することになります。
 山南や一夜を共にした島原の太夫らの、この事件には京の都に潜む魔が関わっているという言葉を一笑に付して、犯人と対峙する土方。彼が見た犯人の姿は……

 言うまでもなく歴史時代小説界では衰えることのない人気を誇る新選組。伝奇小説ゲリラにして冒険小説残党を名乗る作者も、デビュー作『明治剣狼伝』では(明治の)斎藤一を、『幕末蒼雲録』では芹沢鴨らを描くなど、折に触れて新選組を題材としてきましたが――本作はその新選組を通して、幕末という時代の裂け目に吹き出した魔性の姿を描く作品であります。

 多摩の田舎道場から、幕末の混乱の中で時流を掴み、京の治安を守る武士集団に成り上がった新選組。そんな彼らの存在は、ある意味、京の歴史の陰に潜んできた魔とは対になる存在とも感じられます。
 クールに野望に燃える土方のキャラクターもよいのですが、京の魔に憑かれたように変貌していく山南や、謎めいた存在感の太夫なども面白く、この先の物語も読んでみたいと思わされる作品です。


『ダビデの刃傷』(早見俊)
 赤穂浪士の討ち入りから数年後、ただ一人生き残った寺坂吉右衛門を襲う謎の武士団。窮地の吉右衛門を救ったのは、吉良の旧臣を名乗る野村という浪人でありました。
 未だに謎が残る松の廊下の刃傷の真相を知るため、大石内蔵助の書付を探しているという野村。彼に引き込まれ、ともに手がかりを求めて赤穂に向かった吉右衛門は、赤穂のとある神社に眠る思わぬ因縁の存在を聞かされることに……

 タイトルからおそらく忠臣蔵ものと想像できるものの、しかしあまりにそれとは不釣り合いな言葉が冠されていることに驚かされる本作。
 しかしこれまで(時代伝奇もので)様々に描かれた松の廊下の真実の中でも、屈指の奇怪な真実を描く本作を結末まで読めば、このタイトルは全く以て正しかった、と納得させられます。

 何を書いても物語の興を削ぎかねず、なかなか内容を紹介しにくい作品なのですが、ある意味本書において最も「伝奇」を――伝奇ものならではの飛躍感を――感じさせてくれる作品である、と述べれば、そのインパクトは伝わるでしょうか。


 次回に続きます。


『妖ファンタスティカ 書き下ろし伝奇ルネサンス・アンソロジー』(書苑新社ナイトランドクォータリー別冊) Amazon
妖(あやかし)ファンタスティカ?書下し伝奇ルネサンス・アンソロジー (ナイトランド・クォータリー (別冊))


関連記事
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その一) 谷津矢車・神家正成
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その二) 早見俊・秋山香乃・新美健
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その三) 誉田龍一・鈴木英治・芦辺拓
 操觚の会書き下ろしアンソロジー『伝奇無双 「秘宝」』(その四) 朝松健

|

2019.05.30

楠桂『鬼切丸伝』第8巻 意外なコラボ!? そして少年の中に育つ情と想い


 この世で唯一鬼の肉を断つ刀・鬼切丸を持つ少年が、様々な時代を彷徨い、様々な人々と鬼に出会う見る『鬼切丸伝』の最新巻であります。この巻の途中から、掲載媒体が「コミック乱ツインズ」誌からpixivコミックに変更となった本作。しかしこの巻では思いも寄らぬ作品とのコラボが……?

 人間の怨念が凝った存在である「鬼」に対して、その身を唯一斬り、滅ぼす力を持つ神剣・鬼切丸。
 本作は鬼でありながらも人間と同じ姿を持ち、鬼切丸を手に鬼を斬る名無しの少年を主人公に、少年が生まれた平安時代から戦国、江戸時代に至るまで、様々な時代を舞台とした連作であります。

 さて、この第8巻に収録されるのは、江戸時代の尾張での切支丹弾圧事件を題材とした「鬼理支丹」、秀次謀反の巻き添えで斬首された悲劇の姫・最上の駒姫を題材とした「泣き鬼姫」、そして平安時代の歌人・僧侶である西行と鬼の数奇な関わりを描く「鬼反魂の章」の全3話が収録されています。

 このうち、冒頭の「鬼理支丹」までが「コミック乱ツインズ」誌掲載であり、紹介についてはこちらこちらをご覧いただければと思いますが――驚くべきはその次の「泣き鬼姫」であります。
 これはあとがき漫画を読むまですっかり見落としていたのですが、このエピソード、なんと作者が以前に発表した『あっぱれこま姫』とのコラボ漫画なのですから!

 『あっぱれこま姫』は、昭和末期から平成初期にかけて発表された、作者のナンセンスコメディ時代劇。那古里城の破天荒なお姫様・こま姫と、何の因果か彼女のボディーガードとなった腕利き忍者・佐平を主人公とした何でもありのドタバタコメディです。

 その懐かしい作品と本作がどのように結びつくか――といえば、それはなんと「こまひめ」繋がりなのであります。
 といっても上で述べたようにこま姫と駒姫はもちろん別人(確かめるためにあわててコミックスを読み返しましたが……)。キャラクターデザインがこま姫に寄せているという形で、コラボというよりスターシステム的な印象ではあります。

 と、作品を読む前から驚かされたこの「泣き鬼姫」ですが、しかし内容の方もシリーズ屈指の名品なのであります。

 関白・豊臣秀次にかけられた謀反の疑いにより、三条河原で次々と斬首された秀次の妻妾たち。その中には、いまだ秀次とは対面もしていなかった最上の駒姫の姿がありました。
 その処刑より以後、三条河原に響く泣き声。それが鬼の仕業かと現れた鬼切丸の少年は、旧知の鬼・鈴鹿御前と対面、さらにそこで駒姫の亡霊と出会うのですが……

 およそ戦国史で女性にまつわる悲劇においても最大級のものと思われる秀次の妻妾の処刑と駒姫の悲劇。本作で描かれる鬼の存在が、歴史上の悲劇に由来するものが少なくないことを考えれば、駒姫が鬼となるのはむしろ当然と言えるかもしれません。
 しかしこのエピソードは、そこに意外な、そして残酷な捻りを――それも一度ではなく幾度も入れてくるのです。そしてそれだけでなく、この悲劇の鬼に対する鬼切丸の少年の行動にもまた。

 そこに浮かび上がるものは、未曾有の悲劇に対する情と、それを受け止めようとする想いであり――それが鬼切丸の少年の中にも育っていることを、このエピソードは見事に描いてみせるのであります。
 コラボという話題性のみならず、本作の中でも屈指の名品と申し上げた所以であります。


 また、ラストの「鬼反魂の章」は、ぐっと時代は遡って平安時代末期の物語。西行上人で反魂とくれば、これはもう伝奇ものにはお馴染みのあのエピソードなのですが――本作はそれを本作らしい視点から描くことになります。
 あまりに周囲の人間を魅了しすぎるが故に周囲に鬼を生み出すこととなり、人の世を捨てざるを得なかった西行。そんな彼が人恋しさに造りだしたものとは……。

 人とは何か、鬼とは何か――人と鬼の物語を描き続けてきた本作ならではの、異形の愛の物語。物語の時系列的にはかなり最初に近い物語ではありますが、これもまた、少年の成長と物語の深化を感じさせるエピソードであります。


『鬼切丸伝』第8巻(楠桂 リイド社SPコミックス) Amazon
鬼切丸伝 8 (SPコミックス)

|

2019.05.27

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5 集え! 「梁山泊」の下に!


 長きにわたった官軍との死闘もついに終わり、招安を受けることとなった梁山泊。しかし百八星全員がそれを良しとするはずもありません。散り散りとなった豪傑たちが一つに再び集う時は果たして来るのか――いよいよ『絵巻水滸伝 招安篇』大団円であります。

 梁山を舞台とした壮絶な死闘の末、辛うじて官軍と引き分ける形となった梁山泊軍。しかし戦いの最中に梁山は炎上し、彼らの帰るべき梁山泊は炎の中に消えることとなります。
 まさしく呉越同舟となって梁山泊を離れた両軍を待ち受けていたのは、朝廷が梁山泊を招安し、そして梁山泊がそれを受けたという知らせだったのですが……


 というわけで、ついに招安を受けることとなった梁山泊。もちろんこれは原典と同様の結果ではありますが、しかしそこに至るまでの経緯は全く異なります。

 原典では高キュウや童貫、そして節度使たちの軍を圧倒的な力の違いで散々に打ち破った後に招安を受けたのに対し、ギリギリまで追い詰められ、ついには帰る場所を失った末の苦渋の選択として招安を受けた本作。
 どちらの梁山泊が「強い」かといえばそれは原典かもしれませんが、しかしどちらが「らしい」かと言えば、それは本作ではないでしょうか。

 迫られて梁山に向かった者たちが、その地を望んで捨てて、それを迫った者たちへ帰順する――あの豪傑たちがその選択を容易に肯んぜるかといえば、それはやはり違和感が残ります。
 それを思えば、迫られて梁山を捨てた者たちが、苦渋の選択として招安を受ける方が、まだ梁山泊「らしい」――というのは牽強付会に過ぎるでしょうか。


 しかし、帰るところを失ったとはいえ、そのまま官軍に加わるのを良しとしない者たちがいるのもまた、当然であります。しかも本作においては、去りたい者は梁山泊軍を去ってよろしいと宋江が語った故に、仲間たちと袂を分かつ者たちが続出。
 当て所なく旅立った武松と魯智深、史進、裴宣、燕順。李師師のもとに転がり込んだ燕青。相変わらず二人で旅を続ける楊雄と石秀、故郷に帰った朱仝と雷横、かつての根城に帰った黄門山組……

 官軍を好まない者、束縛を嫌う者、他にやるべきことがある者――理由は様々ですが、それはそれで納得できる一方で、もちろん寂しさが残るのも事実であります。

 そして彼らを失った一方で、梁山泊の主力は東京の帝のもとに粛々と向かうのですが――しかし、あの高キュウが、彼らをただで済ますはずもありません。
 帝の閲兵にかこつけて豪傑たちを武装解除、兵とも切り離して宮城に誘い込み、一網打尽にして皆殺しにする。まさしく、行けば死の罠、いかねば天下の笑い者――そんな状態に追い込まれた豪傑たちの運命は……


 もちろん、その先に描かれるものをわざわざ述べる必要はないでしょう。ここではただ、梁山泊は失われたとしても、百八星の豪傑は「梁山泊」にあるのだと、そしてその絆は何者にも――そう、彼ら自身にも――断ち切ることはできないと、そう述べるだけで足ります。

 この招安で豪傑たちが失ったもの――それは決して小さくはありません。しかしそれでも失われないものを、いうなれば「梁山泊」の心意気というべきものを、本作はここで描き出すのであります。
 それが本作の「招安篇」の最大の収穫と言うべきではないでしょうか。

 しかしその一方で、招安を受けた梁山泊を待ち受けるのは、決して明るい道ではありません。各地で覇を唱える田虎・王慶・方臘ら叛徒たち。宋国を虎視眈々と狙う遼国。そして何よりも宮中に巣くう奸臣たち……
 そんな中で梁山泊の豪傑たちは生き延びることができるか。宋江はかつて見た滅びの運命を変えることができるのか。盧俊義は梁山泊の救い主となることができるのか。呉用の秘策は成就するのか。

 これまで以上に苦難の道を行く豪傑百八星の前にまず立ち塞がるのは遼国――「遼国篇」ももちろん近日中にご紹介いたします。


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇5(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 第五巻 招安篇5


関連記事
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!
 正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇4 立て好漢!! 明日なき総力戦!!

 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

関連サイト
 公式サイト
 公式ブログ

|

より以前の記事一覧