2017.07.22

上田秀人『御広敷用人大奥記録 12 覚悟の紅』 物語の結末を飾る二人の女性の姿

 吉宗の大奥改革を発端に始まった激しい暗闘を描く水城聡四郎シリーズ第2シーズンとも言うべき『御広敷用人大奥記録』も、この第12巻でついに完結。愛する竹姫に、そして嫡男の長福丸に次々と魔の手を伸ばした天英院と直接対決に及んだ吉宗と聡四郎を待つ結末とは?

 以前は大奥の五菜(雑用係の男)に竹姫を襲わせ、そして今度は長福丸に毒を盛った天英院についに怒りを爆発させ、聡四郎とともに大奥に乗り込んで、彼女の一派に一大痛撃を与えた吉宗。
 しかし吉宗と竹姫に対して深い恨みを抱いた天英院は、最後の手段として京の実家・近衛家に文を送り、さらに元御広敷伊賀者、今は裏社会の住人となった藤本に将軍暗殺を依頼。一方、吉宗は長福丸が自分の改革の犠牲となったことに深い心の傷を抱えることになって……

 と、最後まで先の読めない展開が続きますが、この物語は本作で間違いなく、それも極めて美しい形で結末を迎えることになります。そして聡四郎や吉宗以上に大きな役割を果たすのは、二人の女性である――そう申し上げても良いでしょう。

 その一人は紅――言うまでもなく聡四郎の妻であり、もうすぐ彼の子を産む、聡四郎の物語を通じてのヒロインであります。
 吉宗の養女という形で聡四郎の妻となった紅は、竹姫にとっては姉のような存在。これまでのシリーズにおいても竹姫を支えてきた紅ですが――本作において、彼女は竹姫とともに吉宗と対峙することになります。

 上で述べたように、長福丸が自分の改革の巻き添えを食う形で毒を盛られ、不具の身となってしまった吉宗。改革のためであれば何をも恐れず、剛毅をもって鳴らす彼にとっても、さすがにこの事態は、深刻なダメージをもたらすことになります。

 そんな吉宗を見るに見かねた聡四郎から助けを求められた竹姫は、さらに紅の力を借りるのですが――なんと、ここにきてあのフレーズが、第1シーズンとも言うべき『勘定吟味役異聞』で、結婚前の彼女が幾度となく聡四郎にぶつけたあのフレーズが、こともあろうにその場で爆発!
 いやはや、最近はずいぶんおとなしくなったかと思いきや、まさかシリーズのラストにきての大爆発に、本作のタイトル『覚悟の紅』の「紅」とは彼女のことであったかとすら思ってしまったのですが……

 そんなつまらない冗談を一瞬でも思ったことを反省するほかない展開が、ラストには待っています。そしてそれは、もう一人の女性――本シリーズのヒロインともいうべき竹姫を通じて描かれることになります。

 これはいささか踏み込んだ表現になってしまうかもしれませんが、本作において、吉宗と竹姫の恋は、史実通りの結末を迎えることとなります。
 それが如何なる経緯を経てのものであるか、それはもちろんここで触れるようなことはいたしませんが、決して変えられない史実の壁が、ここに待っていた――そう言うことができるでしょう。

 しかし本作は同時に、その結末において、その冷厳たる壁に小さな穴を開けてみせます。そしてそこに至り、我々は初めて知ることになります。本作のタイトルである『覚悟の紅』の意味と、そこに込められた竹姫の深い想いを……


 将軍吉宗の大奥改革――大奥の勢力を二分する天英院と月光院への宣戦布告から始まった『御広敷用人大奥記録』。その物語を貫くのは、自分の理想を実現し、次代に引き継ぎたいという吉宗の強い意志であり、聡四郎はその実現のために戦い続けてきたと言えます。
 しかし、次の代へ世を引き継いでいくことは、男たちだけの力のみでできるものではありません。そこには必ず、彼らの子を産む女性たちの存在が必要なのですから。

 そしてこの物語は、大奥という女の城を舞台とする以上に、女性の存在がクローズアップされる物語となっていくことになります。吉宗に愛され、共に次代を目指す竹姫というヒロインの存在を中心に据えることで……
 だとすればその結末を彼女の姿を通じて語ることは、必然であったと言えるでしょう。

 そしてその姿はもの悲しくも、極めて美しく、そして力強いものであったと……


 これにて聡四郎の第二の戦いは幕を下ろすことになります。しかし吉宗の改革の意志は衰えることなく、いやむしろ、本作の結末をもって、より強まったと言えるでしょう。
 だとすれば、聡四郎の次なる戦いが始まる日も遠くはありません。その日を、今はひたすら楽しみに待ちたいと思います。


『御広敷用人大奥記録 12 覚悟の紅』(上田秀人 光文社文庫) Amazon
覚悟の紅: 御広敷用人 大奥記録(十二) (光文社時代小説文庫)


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2017.07.20

北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる

 岳飛死す――と思いきや、梁山泊の介入により生き延び、南方へ脱出という驚天動地の展開を迎えることとなった北方岳飛伝。ただ一人、大理国に足を踏み入れた岳飛の新たな戦いが始まる一方で、梁山泊も西へ東へ南へと活動を続けるのですが――しかし南宋も不気味な動きを見せることになります。

 秦檜による南宋軍総帥への就任要請を断り、謀反の罪を着せられて処刑を待つ身となった岳飛。しかし呉用の「岳飛を救え」の言葉によって動いた燕青は、南宋皇太子の正統を揺るがす印璽と短剣と引き換えに岳飛を救出することになります。
 致死軍のフォローによって南宋を脱しかつての部下の姚平とただ二人、雲南大理国に逃れた岳飛。かつての岳飛軍を糾合するという姚平が北に戻り、ただ一人森に残った岳飛は、その中で己を見つめ直すことに……

 悲劇的な最期を遂げるはずの岳飛が生き延びてしまうという、意外と言えば意外な展開を経てのこの巻で描かれるのは、岳飛と岳家軍の新たな旅立ち。
 戦いには負け続け、それでも生き延びて、南宋最強の戦力となった岳飛ですが、今度こそ絶体絶命――というところで辛うじて拾った命のほかは無一物の状態から、彼は再び立ち上がることになります。

 どん底といえばどん底の状態にあって、ただ己の生を確かめるように、塒の周囲の開墾に没頭する岳飛の不器用な姿は、これはこれで実に彼らしい。
 そこには、決して超人的な英雄ではなく、ただ一人の人間――それも極めてしぶとく、そして非常に魅力的な人間として生きてきた彼らしさが溢れていると言えるでしょう。

 そしてそんな彼の下に、散り散りとなった岳家軍の男たちが馳せ参じる姿は、実に感動的であり――岳飛の戦いは、すなわち岳飛伝は、真にここから始まるのだ、と感じされられるのです。


 とはいえ、この物語世界で生きるのは、岳飛のみではありません。梁山泊も南宋も金も(金は今回は出番少な目ですが)そこに生きる者たちは、皆、自分たちの生を懸命に生きているのです。

 部下を叱咤激励して、十万人規模の都市・小梁山建設に着手した秦容。あの史進や呼延凌をやきもきさせた末に微笑ましいプロポーズを決める宣凱。かつて己の指揮で消えた無数の命を埋め合わせるように、西域で非戦の想いを貫く韓成。そして戦場で己の父の命を奪った岳飛と対面する張朔……

 どの登場人物も、これまでに積み上げてきた自分たちの生き様のその先を掴むべく、必死に生きる様が実に気持ち良い。
 もうこのまま、こいつらの生き様を延々と見ていたい――いささかオーバーに言えば、そんな気持ちにもなるのです。

 そしてその中で、個人的に一番刺さったのは、韓成の姿であります。

 岳飛伝開始時は、妻との関係が冷え切り、彼女に子供を押しつけるようにして、仕事に没頭するという、ある意味非常に現代的なダメお父さんとして登場した韓成。
 しかし西域に招かれ、帝の命でまつろわぬ部族を統合することとなった彼は、そこで思わぬ心の強さを見せるのです。戦を、人の命が失われることを嫌い、言葉でもって相手を説得しようとすることで……

 そんな彼の行為は、端から見れば綺麗事、空虚な理想主義にしか見えないかもしれません。しかし彼が背負ってきたもの、彼を腐らせた本当の理由を知れば、その決意を笑うことなどできようはずがありません。

 この巻で描かれる、彼と妻子の再会の場面――特に彼が、息子の馬にある名前をつけるシーン――は、そんな彼の復活の姿を描くものとして、男泣きの名場面なのであります。(それでもなお、百%報われるわけでもないところがまたいい)


 と、韓成の話ばかりになってしまいましたが、梁山泊の面々が活躍する一方で、南宋の暗躍も続きます。
 岳飛を切り捨ててまで南宋復活までの時間を稼いだ秦檜は、南進しての国力増強と、北の金と結んでの梁山泊攻撃を企図。その時に秦檜から秦容の小梁山を守る盾となるのは、そう、新生岳家軍……!

 因縁の対決はすぐ目の前に迫っているのか――それはわかりませんが、つかの間の平和が破られる日が遠くないことだけは間違いありません。

(ちなみに南宋といえば、それまで散々斜に構えてきた韓世忠が家庭を持っていきなりリア充的になったのも、妙に印象に残るところであります)


『岳飛伝 七 懸軍の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 7 懸軍の章 (集英社文庫)


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2017.07.17

『コミック乱ツインズ』2017年8月号

 今月の『コミック乱ツインズ』誌は、表紙&巻頭カラーが、単行本第1・2巻が発売されたばかりの『勘定吟味役異聞』。今回も印象に残った作品を一作品ずつ取り上げましょう。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 というわけで新章突入の本作は、原作の第2巻『熾火』の漫画化となる模様。

 死闘の末、勘定奉行・荻原重秀と紀伊国屋文左衛門を追い落とすことに成功したかに見えた水城聡四郎ですが、結局重秀は奉行の座を退いたのみで健在。彼が手にしたものはわずか五十石の加増のみ、周囲からは新井白石の走狗と見做され、その白石からはもっと働けと責められるという理不尽な扱いを受けることになります。
 そんな中、名門・本多家に多額の金が下賜されていることを知った聡四郎ですが、その背後にはあの柳沢吉保が……

 というわけで新章第1回はまだプロローグといった印象ですが、大物の登場で物語は早くも波乱の予感であります。


『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』(池田邦彦)
 徳川慶喜相手に、「自らの手で日本の鉄道を世界一にする」と宣言した島安次郎。相棒(?)の凄腕機関手・雨宮とともに、その世界一を目指すために彼が向かった先は――最新鋭のアメリカ製機関車が走る北の大地・北海道! というわけで、こちらも新章スタート。これまで同様、雨宮が現地の鉄道の関係者とやりあって……という展開になりますが、さらりと雨宮が凄腕ぶりを見せてくれるのが楽しい。

 しかし底意地の悪さでは洒落にならない現地の機関手の妨害であわや列車から振り落とされかけた彼は、さらに列車強盗にまで出くわして……と災難続きであります。
 その強盗たちの正体が○○○というのはベタといえばベタかもしれませんがやはり面白い。さてこの出会いが、この先どう物語に作用するか、楽しみであります。


『エイトドッグス 忍法八犬伝』(山口譲司&山田風太郎)
 クライマックス目前となった本作、冒頭で描かれるのは、前回繰り広げられた犬江親兵衛と服部半蔵の死闘の行方。孤軍奮闘の末に半蔵に深手を負わされた親兵衛の最後の忍法・地屏風が炸裂! と、原作で受けたイメージ以上に壮絶なその効果に驚きますが、彼がそれを会得するに至ったエピソードは省かれてしまったのは、猛烈に残念……

 それはさておき、死闘の末に八玉のうちの二つを取り戻し、残るは二人のくノ一が持つ二つの玉。しかし半蔵は外縛陣ならぬ内縛陣で二人を閉じこめ、時間切れで里見家お取り潰しを狙います。
 しかし、人の顔を別人に変える術を持つ大角は己の顔にそれを施し、そしてついに最後の八犬士・荘助の素顔(そういえばイケメンだった)を見せ……と、物語は本多佐渡守邸に収斂し始めました。

 あと数刻でお取り潰しという状況下でも決して希望を失わず、「諦めてはいけません 彼らを信じるのです 里見(わたしたち)の八犬士を!!」と語る村雨姫の周囲に、これまで散っていった者たちも含めた八犬士の姿が描かれるという、最高に盛り上がるラストで、次回に続きます。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 信長鬼の蒔いた鬼の種により、生前強い因縁を残して死んだ武将たちが鬼に転生! とまさかの転生バトルロイヤルもの展開に突入した本作ですが、いよいよ今回からバトルスタートいたします。

 子孫を残すという妄念に取り憑かれ、次々と女たちを襲う秀吉鬼と鈴鹿御前が対峙、鬼切丸の少年の方は、その秀吉を討たんとする長秀鬼と対決するという状況で両者は合流。武将鬼の意外な強さに苦戦する御前と少年ですが、さらにそこに第三の鬼が……と、いきなりの激戦であります。
 秀吉鬼の目的や悍ましい行動等、単独で題材にしても面白かったのでは……という印象がある今回のエピソード。その意味では少々勿体ない印象もありますが、甦った者たちの目的が単一ではなく、それどころか相争うことになるのが、実に面白いところです。

 人としての妄念を貫いた末に、鬼の本能すら上回ってしまった戦国武将たち。果たしてこのバトルロイヤルの終わりはどこにあるのか……次回以降も気になるところです。


『コミック乱ツインズ』2017年8月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2017年8月号 [雑誌]


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2017.07.14

『決戦! 忠臣蔵』(その二)

 『決戦!』シリーズ中でも異色の一冊、赤穂浪士の討ち入りを描く『決戦! 忠臣蔵』の紹介の後編であります。

『与五郎の妻』(諸田玲子)
 磯貝十郎左衛門の「妻」を主人公とし、昨年、『忠臣蔵の恋』のタイトルでNHKドラマ化された『四十八人目の忠臣』の作者が、今度は(?)神崎与五郎の妻――その前妻・ゆいを主人公とした物語であります。

 かつて津山藩森家の家臣であった与五郎のもとに嫁ぎながら、藩が一度改易となった際に藩を離れた彼から離縁され、今は藩の江戸作事奉行の妻としてくらすゆい。
 そんなある日、出入りの商人が、扇の行商人から託されたと持ってきた扇に、かつての夫の影を感じ、彼女は大きな戸惑いを覚えます。藩を離れた後は浅野家に仕え、今は新たな家庭を築いていたはずの与五郎が何故――と。

 心は千々に乱れる中、一度だけと彼の呼びかけに応えて与五郎のもとに向かいながらも、面と向かっては彼の不実を詰ってしまうゆい。しかし与五郎が何のために行商人に身をやつしていたか知った彼女は……

 赤穂浪士の中でも人気者の一人・神崎与五郎は、実は浅野家の前にも主家を取り潰されていたという、興味深い史実(もっとも、彼がその際に森家を離れたかは諸説あるようですが)を踏まえた本作。
 それだけでも実に興味深いのですが、そこに彼の元妻を絡めることで、討ち入りの完全に外側からの――しかし全く無縁ではない――視点を設定してみせた点に唸らされます。

 今の家庭とかつての夫との間で揺れるヒロインの心理を丹念に描くのはこの作者ならではですが、男の目から見ると損な役回りの現在の夫が器の大きさを見せる結末もよく、ラスト一行の爽やかさは見事としか言いようがありません。


 その他の作品――『鬼の影』(葉室麟)は、山科隠棲時代の大石内蔵助を描いた作品。クライマックス堀部安兵衛との「対決」シーンが印象に残りますが、いささか淡白な印象ではあります。
 一方、『妻の一分』(朝井まかて)は、同じく大石が題材ながら、その妻――を、飼い犬視点で描くという飛び道具的内容。語り手だけでなく、聞き手の側の仕掛けもユニークです。

 『首無し幽霊』(夢枕獏)は赤穂浪士討ち入りよりもはるか後の時代の物語。以前、作者の別の短編にも登場した謎の知恵者・遊斎が、ある男のもとに出没する幽霊の謎を描くこれまたユニークな作品であります。
 もっとも、オチは別の作品でも読んだことがあるような……

 そしてラストの『笹の雪』(山本一力)は、こちらも外の目から忠臣蔵を描いた一編。討ち入りを終えて凱旋した浪士たちを迎えた泉岳寺の修行僧の目から、壮挙の直後の浪士たちの生の姿が描かれることになります。
 決してドラマチックではなく、むしろ淡々とした筆致で描かれる物語は作者らしい印象ですが、浪士たちが「義士」となる結末は、本書の掉尾を飾るにふさわしいと言えるでしょう。


 以上七編、概要をご覧いただければお気づきのように、人物一人に一作というわけではなく(変則的とはいえ大石は二作品の主役)、また吉良サイドは(これまた変則的な作品を含めても)二作品のみと、これまでの『決戦!』シリーズとは大きく異なる形式となっています。

 これは『冥土の契り』以外は雑誌掲載という点にもよるのかもしれませんが、ユニークな形式が呼び物のシリーズであっただけに、残念な点ではあります。
 もちろん、当代一流の作家たちの新作が集められたテーマアンソロジーとしては魅力的なのですが……しかし厳しいことをいえば、『決戦!』でなくともよかったのでは、という印象は否めないところです。


『決戦! 忠臣蔵』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!忠臣蔵


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 『決戦! 新選組』(その一)
 『決戦! 新選組』(その二)

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2017.07.13

『決戦! 忠臣蔵』(その一)

 様々な合戦を舞台に一作家一人で描く「決戦!」シリーズの中でも本書は異色の内容。ある意味江戸時代で最も有名な合戦である「忠臣蔵」の世界を題材とした一冊であります。全7作品のうち、特に印象に残った作品を一作ずつ取り上げます。

『冥土の契り』(長浦京)
 四十七士の中でも豪の者として知られる不破数右衛門。しかし彼は松の廊下の刃傷の時点では藩を放逐されて一足先に(?)浪々の身の上の人物でもありました。本作はその彼が何故赤穂浪士の決起に加わったかを描く物語です。

 藩を放逐されて以来、商品の輸送を警護する番手元締めを生業としていた数右衛門。そんなある日、彼の前に白い霞のような異形が出没するようになります。
 時に直接、時に人の口を借りて数右衛門に語りかけてくるその異形の正体は、浅野内匠頭の亡霊――特に恩義も恨みもない、しかし松の廊下で吉良上野介を討てなかったことには不甲斐なさを感じていた相手が自分の前に現れたことに数右衛門は激しく戸惑います。

 亡霊の望みは当然ながらというべきか、自分の仇討ち。実際に刀を振るったことも少ない浪士たちの中で、危険な生業を送っていたことから自分を選んだ旧主の勝手な言い草に反発する数右衛門ですが、ある事件をきっかけに亡霊と約束を交わすことに……

 冒頭に述べたように、浪士の中では少々ユニークな立ち位置であった数右衛門。放逐されていたにも関わらず討ち入りに参加した彼は、ある意味義士の鑑とも言うべき存在かもしれませんが、本作はそこに彼を討ち入りに導く奇妙な物語を描くことになります。
 しかしここで違和感を感じさせないのは、数右衛門の視点から、彼の心の変化を丹念に描いてみせていることでしょう。終盤で描かれるある真実も、物語にある種の深みを感じさせます。

 それにしても本作の「番手元締め」、中国のヒョウ(金+票)局のような存在で非常に興味深いのですが、実際にこの時代この仕事がこう呼ばれていたのでしょうか。


『雪の橋』(梶よう子)
 一つの合戦に参加した者を、勝者敗者問わず主人公とする「決戦!」シリーズですが、本書では少々残念なことに吉良サイドの視点で描かれた作品は本作のみ(正確にはもう一作あるのですが。吉良方で数少ない剣の達人、主を守って散った清水一学を主人公とした物語であります。

 百姓の子から上野介に取り立てられ、以来必死に武士たらんと励んできた一学。国元では領民に身近に接する「赤馬の殿さま」として慕われる上野介に一心に仕え、上野介夫妻からも可愛がられてきた彼は、故郷の幼馴染を妻に迎える日を目前としていたのですが……
 しかし、松の廊下の刃傷が全てを狂わせることになります。幕府の勝手な裁きにより理不尽な世評を立てられ、追い詰められていく主を守る一学。しかしついに餓狼の如き浪士たちが屋敷に乱入、一学は決死の戦いを挑むことになるのです。

 最近は流石に少なくなってきましたが、これまで長きに渡り、一方的に悪役として描かれてきた吉良上野介。その上野介を守る吉良家の人々も、義士たちの「敵」程度の扱いがほとんどだったわけですが――本作は、一学と吉良家の人々を、あくまでもごく普通の人々、思わぬ理不尽な運命に翻弄され、命を奪われる者として描きます。

 タイトルの「雪の橋」は、忠臣蔵クライマックスの討ち入りシーンでしばしば登場する吉良邸の池の橋であると同時に、一学が上野介の妻から与えられ、許嫁に送った櫛の意匠。
 いわば一学に、吉良家にも存在し、奪われることとなった平穏な、ごく普通の日常の象徴であります。

 それを奪おうとする浪士たちへの怒りも凄まじい本作、「これが仇討ちだというのか!」という、終盤の登場人物の叫びがするどく突き刺さります。
 ラスト一行に記されたものを何と受け止めるべきか……深い切なさと哀しみが残ります。


 少々長くなってしまったので次回に続きます。


『決戦! 忠臣蔵』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!忠臣蔵


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 『決戦! 新選組』(その一)
 『決戦! 新選組』(その二)

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2017.07.07

『決戦! 新選組』(その二)

 新選組の隊士たちを主人公とした幕末版「決戦!」の紹介後編であります。いよいよ幕府が崩壊に向かう中、彼らの運命は……

『決死剣』(土橋章宏)
 幕府の敗勢が決定的となった鳥羽伏見の戦いを舞台に描かれるのは、新選組二番隊隊長にして最強の剣士の呼び名も高い永倉新八であります。
 近藤が傷つき、沖田が倒れる中、なおも剣を以て戦わんとする永倉。薩長の近代兵器の前に劣勢を強いられ、そして将軍までもが逃げ出した戦場において、なおも剣士たらんとする彼は、もはや命の尽きる日が目前に迫った沖田に対して、真剣での立ち会いを申し出るのですが……

 代表作である『超高速! 参勤交代』から、ちょっとゆるめの物語を得意とするという印象のあった作者ですが、しかし本作は、この一冊の中でも最も時代劇度というか、剣豪もの度が高い作品。
 すでに剣と剣、剣士と剣士の戦いの時代ではなくなった中、様々な意味で最後の決闘を繰り広げる永倉と沖田の決闘は、本書一の名シーンと言って差し支えないでしょう。


『死にぞこないの剣』(天野純希)
 そして新選組は敗走を続け、次々と仲間が去っていく中、戦いの舞台は会津戦争へ。そう、ここで描かれるのは斎藤一の物語であります。

 多くのフィクションにおける扱いがそうであるように、本作においても無愛想で人付き合いの悪さから、隊の中でも孤独な立場にあった斎藤。
 そんな彼が、最も近しい存在であった土方の北上の誘いを蹴ってまで会津に残った理由、それは、彼と新選組を心から頼りにしていた松平容保公の存在だった……

 という本作、内容的には戦闘また戦闘という印象ですが、終盤に明かされる、斎藤が戦い続ける理由の切なさが印象に残ります。
 武士は己を知る者のために死す――そんな想いを抱えてきた彼が、死にぞこなった末にラストに見せる戦いの姿にも、ホッと救われたような想いになった次第です。


『慈母のごとく』(木下昌輝)
 そしてトリを務めるのは、いま最も脂の乗っている作者による土方歳三最後の戦い――函館五稜郭の戦いであります。

 かつて、新選組を、近藤勇を押し上げるために、粛正に次ぐ粛正を重ね、鬼の副長と呼ばれた土方。しかし意外なことに、この五稜郭の戦いの際には、隊士から「慈母の如く」慕われていたというのも、また記録に残っております。
 本作で描かれるのは、「鬼」が「慈母」になった所以。仏の如く隊士たちから親しまれてきた近藤からの最後の言葉を胸に、鬼を封印することとなった土方の姿が描かれることになります。

 最愛の友の願いを叶えるためとはいえ、これまでの自分自身の生き方を否定するにも等しい行為に悩む土方。そんな彼の姿は、しかし数少ない残り隊士たちを惹きつけ、そして彼自身をも変えていくのであります。
 それでもなお、慈母ではいられない極限の戦場、再び鬼と化そうとした土方が見たものは……

 その美しくも皮肉な結末も含めて、深い感動を呼ぶ本作。極限の世界を題材にしつつ、なおもその中に人間性の光を見いだす作品を描いてきた作者ならではの佳品です。


 以上6編、冒頭に述べたように、一つの戦場ではなく、時とともに変わっていく新選組と隊士たちの姿を描いてきた本書。そのほぼ全ての作品に共通するのは、主人公である隊士「個人」と、新選組という「場」との一種緊張感を孕んだ関係性が、そこに浮かび上がることでしょうか。
 実は各話には、主人公と対になるような副主人公的な存在が設定されているのが、その印象をより強めます。

 我々が新選組に魅せられるのは、隊士個々人の生き様もさることながら、新選組という「場」に集った彼らの関係性にこそその理由があるのではないかと、個人的に以前から感じてきました。
 今回、彼ら一人一人を主人公とした本書を手にしたことで、一種逆説的に、その想いを確かめることができたようにも思えます。


 そして戦国時代だけでなく、多士済々の幕末を舞台とした「決戦!」は、まだまだ描けるのではないか――という想いもまた、同時に抱いているところであります。


『決戦! 新選組』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!新選組


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 『決戦! 川中島』(その二) 奇想と戦いの果てに待つもの
 『決戦! 桶狭間』(その一)
 『決戦! 桶狭間』(その二)

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2017.07.06

『決戦! 新選組』(その一)

 一つの合戦を舞台に、そこに参加した様々な武将たちの姿を一人一作で描く『決戦!』シリーズ。非常にユニークな試みだけに、戦国時代以外でもいけるのではないか、と考えていたところに登場したのが本書――幕末最強の戦闘集団たる新選組を題材とした一冊であります。

 これまでのシリーズとは異なり、一つの合戦ではなく(池田屋や鳥羽伏見でも面白かったとは思いますが)、「新選組」という組織とそこに集った人々の姿を、芹沢暗殺から五稜郭まで、時代を追って描く本書。
 趣向がいささか異なるためか、登板する作家もニューフェイスが含まれているのも魅力的なところ、ここでは一作ずつ紹介していくこととしましょう。

『鬼火』(葉室麟)
 決戦シリーズのほぼ常連である作者による本作の主人公は沖田総司、描かれる事件は芹沢鴨暗殺――ある意味鉄板の組み合わせですが、しかし沖田にある過去を設定することで、彼の不安定な胸のうちを描き出します。
 それは沖田が幼い頃、見ず知らずの浪人に性的に暴行されていたという過去――その経験から心を凍てつかせ、うわべだけの喜怒哀楽を見せるようになった彼の心は、芹沢との出会いで大きく動いていくこととなるのです。

 沖田と芹沢という、ある意味水と油の二人は、実はそれだけに描かれることが多い組み合わせではあります。
 そんな中で本作は、それぞれに胸の内に深い屈託を抱えた――芹沢もまた、単純粗暴なだけの男としては描かれない――人物として描くことにより、互いを補い合い、求め合う存在として二人を描き出すことになります。

 しかしその果てに待つものが何であるかは、史実が示すとおり。そしてその時に沖田の胸に去来するものは――ある意味鉄板の内容ではありますが、それだけに作者の職人芸的うまさが光る作品であります。


『戦いを避ける』(門井慶喜)
 新選組の名を一躍高めた池田屋事件。本作はその事件での局長・近藤勇の姿を描きます――非常に個性的な角度から。

 不逞浪士を追い、市中を探索する中、池田屋で不逞浪士たちを発見した近藤。しかし近藤の心中にあるのは困惑と焦燥――まさか自分の方が「当たり」を掴むと思わなかった近藤は、別働隊が早く到着するよう、出来る限り戦いを引き延ばそうとするのであります。
 しかしそのいわば片八百長を仕掛けた理由は決して怯懦などからではなく、周平のため――そう、養子とした周平に手柄を立てさせるためだったのであります。

 近藤に見込まれてその養子となった周平。しかしその後何故か養子を取り消され、天寿を全うしてしまった(?)ことから、フィクションの世界でも芳しくない扱いの周平ですが、本作の周平は、これまでとは一風異なる人物として描かれます。
 さらにそこに、周平が板倉周防守の落胤だった説を絡めることで、近藤の深謀遠慮を浮かび上がらせる本作。しかし――だからこそ、ラストに描かれる悲喜劇のインパクトが強烈に浮かび上がるのです。

 ただ、個人的にはちょっと文体が苦手というのが正直なところではあります。


『足りぬ月』(小松エメル)
 個人的には、最近の作家で新選組で隊士個人を主人公とした短編集とくれば、真っ先に名を挙げたくなる作者の作品。藤堂平助を主人公に、油小路の決闘を描いた本作は、その期待に十二分に応える作品であります。

 津藩藤堂家の落胤とも言われる藤堂。しかし本作においては冒頭から、そこに彼の生き方を決定するような痛烈な裏切りと偽りを描き出します。以来、自分が世に出るためのいわば踏み台となる相手を探し求めて生きてきた藤堂。山南、近藤、伊東――次々と相手を乗り換えてきた彼が最期に見たものとは……

 「魁先生」の渾名からか、直情径行な若者として、あるいは原田や永倉、沖田らと若者同士の交流が描かれることが多い藤堂。しかし本作は、そんな彼を、上に這い上がろうとひたすらにあがく青年として描き出します。
 一歩間違えれば嫌悪感を招きかねないその姿も、しかしその根底にあるものを我々が知っていることで、むしろ彼の深い喪失感を際立たせるのであります。

 冒頭で触れたように近年は新選組隊士個人にスポットを当てた作品で活躍する作者らしい好編。そちらの作品群と繋がる世界観を感じさせる内容も嬉しいところであります。

 残り三編は次回紹介いたします。


『決戦! 新選組』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!新選組


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 『決戦! 本能寺』(その二) 死線に燃え尽きた者と復讐の情にのたうつ者
 『決戦! 本能寺』(その三) 平和と文化を愛する者と戦いと争乱を好む者
 『決戦! 川中島』(その一) 決戦の場で「戦う者」たち
 『決戦! 川中島』(その二) 奇想と戦いの果てに待つもの
 『決戦! 桶狭間』(その一)
 『決戦! 桶狭間』(その二)

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2017.06.30

入門者向け時代伝奇小説百選 古代-平安(その二)

51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧)
52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明)
53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次)
54.『風神秘抄』(荻原規子)
55.『花月秘拳行』(火坂雅志)


 入門者向け時代伝奇小説百選、平安ものの後編であります。

51.『安倍晴明あやかし鬼譚』(六道慧) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 突然人の命を奪う鬼撃病が流行し、怪異が頻発する都。この事態を収めるべく奔走する齢84歳の晴明は、自分が少年となった夢を見て以降、徐々に若返り、陰陽師の力を失っていきます。
 自分が夢の中で光源氏と一体化してしまったことを知る晴明。さらに現実世界と、「源氏物語」の物語世界が入り交じるような出来事が次々と起こって……

 平安の有名人・安倍晴明。そして平安を代表する物語「源氏物語」――本作はその両者を組み合わせるという趣向のみならず、現実が物語と混淆し、侵食されていくという、一種の物語の怪を描きます。しかしそこに、政略の道具とされてきた二人の女性が、自分の物語を取り戻す様が重ね合わされることで、本作の物語は深みを増します。
 ユニークな伝奇物語であるだけでなく、同時に物語の力を様々な側面から描く快作です。


52.『かがやく月の宮』(宇月原晴明) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 独特の美意識に貫かれた伝奇物語を発表してきた作者が、日本最初の物語と日本最大の物語の奇妙な交錯を描く作品であります。

 自らの物語の書き出しに悩むある女性が手にした秘巻「かがやく月の宮」。かぐや姫の物語を記したそれは、しかし巷間に知られた竹取物語とは似て非なる物語を語ることになります。
 そして徐々に明らかになっていくかぐや姫の正体。仙道書「抱朴子」に記された玉女とは、波斯で月狂外道に崇められた月の女神とは……

 海を越えて展開する幻妖華麗な世界と同時に、その根底にある深い「孤独」の存在を描いてきた作者。本作はその孤独を、日輪に比されるこの国の帝のそれとして描き、日と月の出会いの先に、奇妙な救いを描き出します。 さらにそこから新たな物語の誕生が生まれるのも面白い、作者ならではの奇想に満ちた物語です。


53.『ばけもの好む中将』シリーズ(瀬川貴次) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 少女向けの平安伝奇を中心に活躍してきた作者が一般読者向けに描く本作は、実に作者らしいコミカルでエキセントリックな物語であるります。
 タイトルの「ばけもの好む中将」とは、左近衛中将宣能のこと。右大臣の御曹司にして容姿端麗な彼は、しかし怪異が好きでたまらず、わざわざ探しに出かけてしまう奇人であります。

 そんな宣能と、何故か彼に気に入られてしまった中流貴族の青年・宗孝。二人が怪異を求めて繰り広げる珍騒動は、作者が自家薬籠中とする平安コメディの楽しさに満ちています。
 その一方で、「怪異」の中に浮かび上がる人間模様もまた興味深い。特に各エピソードに絡む宗孝の十二人の(!)姉のキャラクターは、歴史の表舞台には現れない当時の女性たちの姿を掘り下げることで、本作に可笑しさに留まらない味わいを与えているのです。

(その他おすすめ)
『暗夜鬼譚 春宵白梅花』(瀬川貴次) Amazon


54.『風神秘抄』(荻原規子) 【児童文学】 Amazon
 古代を舞台とした「勾玉三部作」の作者が、その先の平安末期を舞台に描くボーイミーツガールの物語です。

 平治の乱に敗れ、一人生き残った源義平の郎党・草十郎。笛のみを友に生きてきた彼は、自分の笛と共鳴する舞を見せる白拍子の少女・糸世と出会い、惹かれ合うようになります。
 時空さえ歪めるほど自分たちの笛と舞の力で、幼い源頼朝の運命を変えようとする草十郎。しかしその力に後白河法皇が目をつけて……

 文字通り時空を超えるファンタジーであると同時に、実在の人物を配置した歴史ものでもある本作。その中では、神の世界と人の世界の合間で、自分の価値と居場所を求めて彷徨う少年少女の姿を描き出されることになります。
 草十郎にまとわりつくカラス、鳥彦王のキャラクターも魅力的で、重たくも明るく、微笑ましさすら感じさせる快作です。

(その他おすすめ)
『あまねく神竜住まう国』(荻原規子) Amazon


55.『花月秘拳行』(火坂雅志) Amazon
 後に大河ドラマ原作をも手がけた作者のデビュー作――平安末期を舞台とした奇想天外な拳法アクションであります。
 漂泊の歌人として歌枕を訪ねて陸奥へ旅立った西行。しかし実は彼は藤原貴族の間に連綿と伝えられてきた伝説の秘拳「明月五拳」の達人。もうひとつの秘拳「暗花十二拳」の謎を求める彼の行く手には、恐るべき強敵たちの姿が……

 西行といえば人造人間製造など、逸話には事欠かない人物。しかし本作は、その彼に歌人としての要素を踏まえつつ、拳法の達人というキャラクターを与えたのが素晴らしい。
 さらに、暗花十二拳を大和朝廷に怨みを持つまつろわぬ民の末裔に伝わる拳法と設定したのも見事。秘術比べの域を超え、歴史の陰に隠された怨念の系譜を浮かび上がらせることで、本作は優れた伝奇ものとして成立しているのです。


(その他おすすめ)
『人造記』(東郷隆) Amazon
『宿神』(夢枕獏) Amazon



今回紹介した本
安倍晴明あやかし鬼譚 (徳間文庫)かがやく月の宮ばけもの好む中将―平安不思議めぐり (集英社文庫)風神秘抄【上下合本版】 (徳間文庫)花月秘拳行 (角川文庫)


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 入門者向け時代伝奇小説百選

 「安倍晴明あやかし鬼譚」(その一) 晴明と紫式部、取り合わせの妙を超えるもの
 「かがやく月の宮」 奇想と孤独に満ちた秘巻竹取物語
 「ばけもの好む中将 平安不思議めぐり」 怪異という多様性を求めて
 荻原規子『風神秘抄』上巻 歌舞音曲が結びつけた二人の向かう先に
 「花月秘拳行」 衝撃のデビュー作!?

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2017.06.29

上田秀人『日雇い浪人生活録 3 金の策謀』 「継承」の対極にある存在

 上田秀人の最新シリーズである『日雇い浪人生活録』も、これで早くも第3弾。田沼意次の壮大な試みに手を貸すことになった両替商・分銅屋を守って今日も用心棒稼業の左馬介。しかし難敵を辛うじて退けたものの、そのために彼と分銅屋は思わぬ窮地に陥ることに……

 米本位制から金本位制への移行という、大御所吉宗の遺命実現のためのパートナーを捜していた意次に見出され、手を貸すこととなった分銅屋。
 人柄と鉄扇術を買われてその分銅屋の用心棒となった浪人・諫山左馬介ですが、剣術の腕はからっきし、謎の敵の襲撃に大苦戦を強いられることになります。

 それでも何とか切り抜けた彼の前に今回現れるのは、分銅屋を蹴落とそうとする札差・加賀屋がし向けてきた刺客。歴とした旗本の家臣であり、剣術の遣い手を向こうに回して、浪人・左馬介は再び苦戦を強いられるのですが……


 そんなわけで、生きる糧のためとはいえ、今回も命がけの用心棒として奮闘する左馬介。本来であれば守りの術である鉄扇術で剣術使いに立ち向かうという苦境に立たされた彼の戦いがクライマックスと思いきや――実は物語の本番は、この後に待っていました。

 死闘の末、辛うじて刺客を斃した左馬介。相手の命を奪っただけでなく、一つの家系を滅ぼしてしまったことに悩みながらも、何とか立ち直った(ここで思わぬ役割を果たすお庭番ヒロインが楽しい)彼は、しかし思わぬ追求を受けることになるのです。

 主人公が襲ってきた刺客を倒す――これは時代小説においては当然の展開、上田作品でもお馴染みの展開ですが、しかし本作は少々状況が異なります。
 何しろ左馬介は単なる浪人――密命を受けた幕府の役人などではなく、無宿者よりも少しマシな扱いという程度の身分。たとえ正当防衛とはいえ、歴とした武士を殺してお咎めなしとはいかないのであります。

 そして用心棒である彼が罪に問われれば、雇い主である分銅屋もただでは済まず、得をするのは(そもそもこの事態を引き起こした)加賀屋――というわけで、本作のメインとなるのは、如何にこの事態を切り抜けるかという、一種の頭脳戦なのです。

 この辺りの展開は、浪人という作者の主人公としては珍しい設定を存分に生かしたものであり、本シリーズならではの面白さというほかありません。
 そしてこの苦境からの脱出も、単に意次の権力にすがってというだけでなく(そもそも主人公サイドとしてそれはいかがなものか)、そこから一捻りも二捻りも加わり、左馬介ならずとも呆然としてしまうような結末を迎えるのには唸らされました。


 このように金本位制への移行というミッション以上に、「浪人」である左馬介の存在が生み出すドラマと、そのキャラクターの掘り下げに力点を置いている感のある本作。  その彼の存在が、上田作品において、本作を、本シリーズを、特異な位置のものとしていることに、今回改めて気づかされます。

 上田作品に通底するものとして、作者自身が挙げるテーマ――「継承」。
 人間の当然の営みとして、家を、血を、地位を、財を、親から子へと受け継いでいく「継承」。その最たるものである将軍の座を巡る争いなどは、上田作品でしばしば見られるモチーフでしたが――左馬介は、その「継承」とは無縁の、対極にある存在なのであります。

 何しろ、浪人である彼にとっては後世に残すべき家も地位もない。そもそも財がないわけですが、そのために家庭を持って血を残すこともできない。
 そんな、その日を生きるのがやっとで明日に残すものがない――そうしたいという夢もない――彼の身の上を示す「日雇い」という言葉は、「継承」のある種のアンチテーゼであると言えるのではないかと感じられるのです。

 しかし同時に彼ら浪人は、実質的には無為徒食の武士とは違い、働くことの意味を、「金の価値」を知る者でもあります。
 武士でもない、庶民でもない、その間にある浪人。今はひどく宙ぶらりんではありますが、あるいはその存在は一つの可能性と……言うのはさすがに無理はありますが、せめて左馬介には、彼自身の生きた意味を見出して欲しい、と声援を送りたくなるというのが、正直な気持ちであります。


 米から金への世の中が実現するのか――それと同じウェイトで、主人公のこれからの「生活」が気になる物語であります。


『日雇い浪人生活録 3 金の策謀』(上田秀人 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
日雇い浪人生活録(三) 金の策謀 (ハルキ文庫 う 9-3 時代小説文庫 日雇い浪人生活録 3)


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 上田秀人『日雇い浪人生活録 2 金の諍い』 「敵」の登場と左馬介の危険な生活

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2017.06.24

上田秀人『日雇い浪人生活録 2 金の諍い』 「敵」の登場と左馬介の危険な生活

 幕府を米本位制から金本位制に切り替えるという吉宗の遺命を受けた田沼意次に力を貸すこととなった両替商・分銅屋仁左衛門。その分銅屋に挟まれた日雇い浪人・諫山左馬介の苦闘を描くユニークなシリーズの第2弾であります。早くも現れた「敵」に対し、左馬介と分銅屋はいかに挑むのでしょうか。

 分銅屋仁左衛門に雇われ、分銅屋が買った隣の空き店の片付けをしていた際に不審な帳面を見つけた左馬介。その帳面がきっかけで、二人の周囲には怪しげな連中が出没することになります。
 一方、吉宗がし残した最後の改革として、既に行き詰まりを見せた米本位制を、金本位制に切り替えることを命じられたお側御用取次・田沼意次は、餅は餅屋と、江戸市中の商人を手駒に引き入れることを目論みます。

 かくて交錯することとなった江戸屈指の両替商と、幕府きっての出世頭の運命。そしてその誠実さを見込まれて分銅屋の用心棒となった左馬介も、否応無しに江戸の世を動かす企てに巻き込まれることになって……


 と、一見人情ものめいたタイトルとは裏腹に、やっぱり危険な「生活」を送ることになってしまった左馬介の奮闘を描く本作。
 今回はいよいよ本格的に分銅屋を狙う敵が登場、江戸有数の札差・加賀屋に加え、幕府側にも分銅屋を、いや田沼を敵視する勢力がいることから、状況はいよいよややこしく、上田作品らしくなってきました。

 そしてそんな敵勢力が数々登場する中で重要になるのは、言うまでもなく左馬介の存在なのですが――しかし人柄は申し分なしなれど、腕前の方は少々心許ないのが面白い。
 剣豪ものでは定番の、相手の殺気を背中で感じ取るというスキルがあるはずもなく、そのままでは心配だからとわざわざ剣術道場に通わされるのですから(そんな主人公初めて見ました)、用心棒としてはいささか心許ないキャラクターが、逆に個性的に映ります。

 しかしもちろん全くの役立たずではなく、父譲りの鉄扇術の遣い手というのがユニークで、間合いは狭く、ほとんど完全に防御主体という鉄扇術が果たして実戦でどこまで役に立つのか――と興味をそそられます。
 強すぎる主人公は時に興を削ぐものですが、その辺りをうまくかわし、個性的な殺陣を用意してみせたのは、さすがというべきでしょう。

 そして、これは前作の紹介でも述べたかと思いますが、武士の世界――「権」の世界と、商人(庶民)の世界――「財」の世界、二つの世界を描く本シリーズにおいて、武士と庶民の間の存在である、強すぎない主人公、武士だけれども刀を使えない主人公という設定は、物語のテーマに即したものと言えるでしょう。

 そしてそんな彼と対照的に、ヒロイン(?)のクールビューティーな御庭番の神出鬼没ぶりも楽しく、この辺りの人物配置も、またベテランの技であります。


 さて、こうして「敵」は登場してきたものの、田沼と分銅屋の壮大すぎるプロジェクトはまだまだ始まったばかり。
 帳面を武器に、幕府の財務担当たる勘定吟味役に揺さぶりをかける分銅屋の策は当たるのか。動き出した政敵たちの攻撃を、田沼はかわすことができるのか。

 そしてその中で左馬介の生活はどうなってしまうのか――いよいよ本格化する金の諍いがどこに向かうのか、最新巻の第3巻も近々にご紹介いたします。

『日雇い浪人生活録 2 金の諍い』(上田秀人 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
金の諍い―日雇い浪人生活録〈2〉 (時代小説文庫)


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