2017.05.11

北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿

 早くも総力を挙げて激突することとなった岳飛率いる南宋軍と兀朮率いる金軍。梁山泊はそれを静観する形となりますが……その一方で秦容ら南方開拓団は厳しい自然を相手に奮闘を続けるなど、独自の動きを展開することになります。まだまだ混沌とした情勢の中、次に動くのは――

 梁山泊軍との激闘の結果、結果として撃退された形となり、その後、梁山泊と対等な講和を結ぶこととなった金国。しかし梁山泊と講和としたということは、裏を返せば後顧の憂いなく南宋と対決することができるようになったということでもあります。
 かくて実に三十万のとてつもない規模の軍を動かし、南進を始めた兀朮。これに対し、南宋は岳飛の軍に加え、再編されつつある地方軍を動かし、総勢二十万という、こちらも凄まじい規模の軍を動かすことに――


 というわけで、前巻の梁山泊vs金に続いて描かれることとなった南宋vs金の決戦。まだ第4巻という、全体の1/4にもならない時点で(という見方は反則かもしれませんが)、ここまで出し惜しみなしで一体どうなってしまうのか……といささか心配にもなりますが、これまでまさしく腕を撫していた岳飛にとっては、待ちに待った活躍の場であります。

 これまでこの大水滸伝に登場した大将クラスのキャラクターの中では、おそらく最も戦に負け、そしておそらくは最も人間臭い人物である岳飛。彼をタイトルロールとする本作が始まって以来、彼の動きは随所で描かれてきたのですが、しかしここまでの規模の戦いに参加するのは、これが初めてと言って良いでしょう。

 そしてその彼の戦いは、同時に彼の信じる「国」の在り方を示すものでもあります。彼が自らに課した想い……尽忠報国。ここでいう「国」とは、彼にとっては「民」の意。すなわち彼が守るべき国とは、金に制圧された地に生きる漢の民なのであります。
 それに対して、南宋の宰相たる秦檜にとっての「国」とは、帝を頂点とした統治機構のこと……従来の意味での「国」であります。

 南宋のために戦いつつも、その胸に抱く「国」の形は大きく異なる岳飛と秦檜。その違いが行き着く先がどこであるか、それは史実を見れば明らかではありますが、しかしそれに触れるのはまだ少々早いでしょう。
 ここでただ述べておくべきは、本作の秦檜は、彼は彼として宋という国を案じているということでしょう。そしてそれは決して彼の私利私欲から出たものではないのですが……だからこそやりきれないものではあります。


 その一方で、本作においては、こうした二つの国の在り方とはまた異なる国の在り方を提示する者たちがいます。
 言うまでもなくそれは梁山泊。そしてその中心であった楊令が提示した「国」とは、秦檜のような統治機構ではなく、岳飛のような民族に縛られるものではなく、それを超えて広がるもの……「流通」を中心として、地域と民族を超えて繋がる人々の共同体的存在と言えるものであると言えます。

 現代にいう一種のグローバリゼーションであり、そして今なお完全に確立しているとは言い難いその「国」の概念が、当の梁山泊の人間にとっても漠然としか理解できていないのはむしろ当然ではあります。しかしその姿が、岳飛や秦檜の抱く「国」と照らし合わせることで徐々にその姿を鮮明なものとしてくるのが実に興味深い。
 そしてそれを体現するのは、南方で甘藷を栽培すべく悪戦苦闘を続ける秦容たちであり、交易路を広げるために宋を、中華圏を離れて旅する張朔であり、王貴なのでしょう。

 そして、こうして「国」の概念が変わっていけば、それを束ねる想いもまた変わらざるを得ません。
 これまでも本作において、新・新梁山泊において語られてきた「志」の存在。時として梁山泊に集ってきた者たちを縛ってきたその志にも、変化の兆しが現れます。呉用と宣凱、呼延凌の対話の中で現れた、それを象徴する言葉、それは「夢」――

 もちろん、まだまだ新たな「国」の形が明らかになったわけでも、そしてそれが正しいものであるかどうかも示されたわけではありません。それを束ねるのが本当に「夢」であるのかどうかも。
 しかしこれまでの戦いを考えれば時にあまりに漠然とも感じられるその言葉は、それぞれの道を歩み始めた梁山泊の人々を結ぶものとして、相応しいものとして感じられます。

 そしてその「夢」は、岳飛とも共有されることとなるのか。それが異なる想いを抱く人々を結ぶのであれば、異なる国を繋ぐものともなるのではないか……それこそ夢のような話ではありますが、本作の向かう先はそれではないか、とも感じてしまうのです。


『岳飛伝 四 日暈の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 四 日暈の章 (集英社文庫)


関連記事
 北方謙三『岳飛伝 一 三霊の章』 国を壊し、国を造り、そして国を……
 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち

| | トラックバック (0)

2017.05.10

上田秀人『禁裏付雅帳 四 策謀』 思わぬ協力者登場!?

 老中松平定信から密命を受け、禁裏付となった東城鷹矢の苦闘を描くシリーズ第4弾である本作。禁裏の裏を探る活動をいよいよスタートしたものの、もちろん京という異世界の壁は厚く、思わぬ窮地に立たされることになる鷹矢。しかしそこで彼に協力を申し出たのは、意外な人物だったのであります。

 父・一橋治済が大御所の尊号を授けられるよう、徳川家斉から厳命を受けた老中・松平定信によって、突然京に禁裏付として送られることとなった東城鷹矢。
 勝手違いの役目に悪戦苦闘する鷹矢ですが、上からは定信からの厳しい視線が向けられ、そして周囲からは禁裏の公家たちの、そして定信と対立する京都所司代の敵意をぶつけられ、四面楚歌の状況であります。

 しかし家に帰ってみれば、待つのは二人の美女……といっても一人は二条家のスパイとして送り込まれた貧乏公家の娘・温子、そしてもう一人は定信方の若年寄から送り込まれた武家娘・弓江と、要は彼を見張り縛る存在で、家の中も冷戦状態。
 それでも自分の仕事をしなければ定信が恐ろしいと、禁裏を攻略する(=弱みを握る)ために鷹矢は動き出すことに――


 そんな状況の中、前巻では反定信勢力の刺客団に襲われ、上田作品の主人公には珍しく、這々の体で逃れる羽目となった鷹矢。しかし京でものを言うのは武よりも文、そして金……というわけで、彼は禁裏を巡る金の動きを切り口に、行動を開始することになります。
 この辺り、ちょっと意外な展開にも思われましたが、禁裏付とは書院番と目付と勘定吟味役を一人で兼ねる役目、というような作中の表現からすれば、これはむしろ当然の流れであるかもしれません。

 奇しくも三つの役目とも、上田作品の題材となってきたこともあり……というのはさておき、今回鷹矢は京の台所とも言うべき、錦市場――現代でもその立場を変えることなく存在する、その市場に向かうことになるのですが、ここで思わぬ事態が発生することになります。

 かつて敵対する五条市場と、それと結んだ町奉行所によって窮地に陥った過去から、武士に対して激しい敵意を持つ錦市場。そこにノコノコ鷹矢が物価調査に出かけたために、勘違いした市場の人々がエキサイト、暴徒と化して襲いかかったのであります。
 しかも折悪しく弓江が半ば無理やり同行してきたことから彼女を庇い、鷹矢は窮地に陥ることに――

 しかし災い転じて福と成す。一歩間違えれば双方にとって取り返しのつかない事態となったところで、意外な人物が登場する事になります。その名は桝屋源左衛門……またの名を伊藤若冲!

 なるほど、若冲の本業は錦市場の青物問屋、それも町名主を務めたほどの大手であります。しかも、上で触れた五条市場との争いの解決のために、中心となって奔走した人物であったことが、近年知られるようになっています。
 だとすればここで若冲が登場するのは、実は不思議ではありません。しかし本作のメインとなる禁裏という世界、そして何よりも政治的な暗闘とは無縁の人物(それでいて京の上流階級とは大きな繋がりを持つ)ということもあり、全く登場を予想だにしておりませんでした。いや面白い……!

 そして京ではほとんど孤立無援、いやそれどころか四面楚歌であった鷹矢にとって、若冲の存在は大きな助けとなるに違いありません。
 さらに、ここに至りついに物価という切り口を掴んだ鷹矢。これがいよいよ反撃の始まりとなるか……はまだまだわかりませんが、弓江との関係も少しずつ変化してきたこともあり、物語に変化が生じたことは間違いありません。


 また、どうしてもこの記事では鷹矢ばかりに触れてしまいましたが、温子をはじめとして、彼を取り巻く登場人物たちの動きもなかなか面白い本作。

 もちろん、数多くの勢力がそれぞれの思惑を秘めて入り乱れるのは、こうした物語の定番ではあります。
 しかしその各勢力に属する個人の悲哀、そして強かさが、本作では主人公がそれほど強力ではない分、より強く感じられるのが、本作の面白い点ではないかと感じられます。

 権力という怪物に振り回されるのは、鷹矢一人ではない……鷹矢に強力な力がない分、どこか群像劇的味わいも生まれてきた本作ですが、しかしこの世界はゼロサムゲーム。
 最後に報われることになるのは誰なのか……まだまだ先は見えません。


『禁裏付雅帳 四 策謀』(上田秀人 徳間文庫) Amazon
策謀: 禁裏付雅帳四 (徳間時代小説文庫)


関連記事
 上田秀人『禁裏付雅帳 一 政争』 真っ正面、幕府対朝廷
 上田秀人『禁裏付雅帳 二 戸惑』 政治と男女、二つの世界のダイナミズム
 上田秀人『禁裏付雅帳 三 崩落』 渦中の男に迫る二つの危難

| | トラックバック (0)

2017.05.09

入門者向け時代伝奇小説百選 SF

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回紹介するのはSF編。いずれもその作品ならではの独自の世界観を持つ、個性的な顔ぶれです。
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

36.『寛永無明剣』(光瀬龍)【江戸】【剣豪】 Amazon
 大坂の陣の残党を追う中、何故か柳生宗矩配下の襲撃を受けた北町奉行所同心・六波羅蜜たすく。一つの集落そのものを消し去り、幕府要人たちといつの間にかすり替わっているという謎の強大な敵の正体とは……

 と、歴史改変テーマの時代SFを数多く発表してきた作者の作品の中でも、完成度と意外性という点で屈指の本作。
 奇怪極まりない陰謀に巻き込まれた主人公の活躍だけでも、時代小説として実に面白いのですが、しかしそれだけに、中盤に物語の真の構図が明らかになるその瞬間の、一種の世界崩壊感覚は、本作ならではのものであります。

 そしてその先に待つのは、あまりにも途方もないスケールの秘密。まさに「無明」と呼ぶほかないその虚無感と悲哀は、作者ならではの味わいなのであります。

(その他おすすめ)
『多聞寺討伐』(光瀬龍) Amazon


37.『産霊山秘録』(半村良)【戦国】【江戸】【幕末-明治】 Amazon
 時代伝奇SF、いや伝奇SFの巨人とも言うべき作者の代表作である本作は、長き時の流れの中で、強大な超能力を持つ「ヒ」一族の興亡を連作形式で描く壮大な年代記であります。

 戦国時代に始まり、江戸時代、幕末、そして第二次大戦前後に至るまで……強大な異能を活かして、歴史を陰から動かしてきたヒの一族。高皇産霊尊を祖と仰ぐ彼ら一族の血を引くのは、明智光秀、南光坊天海、猿飛佐助、坂本竜馬、新選組……と錚々たる顔ぶれ。
 そんなヒの一族が如何に歴史に絡み、動かし、そして滅んでいくのかを描いた物語は、まさに伝奇ものの興趣横溢。最後にはアポロの月面着陸まで飛び出す奇想天外な展開には、ただ圧倒されるばかりなのです。

 そしてそんな物語の中に、生命とは、生きることとは何か、という問いかけを込めるのも作者ならではであります。


38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 アニメ界の生きる伝説であり、同時にミステリ、ジュブナイルを中心に活躍してきた作者が描いたジャンルクロスオーバーの快作であります。

 22世紀の未来から、享保年間にやってきた五人の高校生+顧問の航時部。彼らは、江戸に到着早々、二つの密室殺人事件に巻き込まれることになります。それぞれ個性的な能力を持つ彼らは特技を活かして事件解決に乗り出すのですが――
 とくれば、未来人が科学知識を活かして江戸時代で事件捜査を行う一種の時代ミステリになると思われますが、その先に待ち受けているのは、様々なジャンルが入り混じり、謎が謎呼ぶ物語。

 「過去」と「未来」が交錯するその先に、思わぬ形で開く「現在」への風穴にはただ仰天、齢八十を超えてなお意気衰えぬ作者が現代の若者たちに送る、まさしく時代を超えた作品であります。

(その他おすすめ)
『戦国OSAKA夏の陣 未来S高校航時部レポート』 Amazon


39.『大帝の剣』(夢枕獏)【江戸】【剣豪】 Amazon
 伝奇バイオレンスで一世を風靡した作者が、時代伝奇小説に殴り込みをかけてきた、記念すべき大作であります。

 主人公は日本人離れした容姿と膂力を持ち、背中に大剣を背負った巨漢・万源九郎。その剣を頼りに諸国を放浪する彼が出会ったのは、奇怪な忍びに追われる豊臣家の娘・舞。しかし彼女の体には、異星からやってきた生命体・ランが宿っていたのであります。
 かくて源九郎の前に現れるのは、徳川・真田両派の忍びに切支丹の妖術師、宮本武蔵ら剣豪、そして不死身の宇宙生物たち……!

 無敵の剣豪が強敵と戦うのは定番ですが、その敵が宇宙人というのはコロンブスの卵。そしてそこに「大帝の剣」を含む三種の神器争奪戦が絡むのですから、面白くないはずがありません。終盤には人類の歴史にまで物語が展開していく実に作者らしい野放図で豪快な物語です。

(その他おすすめ)
『天海の秘宝』(夢枕獏) Amazon


40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)【幕末-明治】 Yahoo!ブックストア
 ハチャハチャSFを得意としながらも、同時に古典SF研究家として活動し、さらに明治時代を舞台としたSFを描いてきた作者。本作はその作者の明治SFの中心人物である実在のSF作家・押川春浪と、その弟子筋の若き小説家・鵜沢龍岳(こちらは架空の人物)を主人公とした短編集であります。

 明治時代の新聞の切り抜きを冒頭に掲げ、春浪自身が経験した、あるいは耳にした、この記事にまつわるエピソードを龍岳が聞くという聞くというスタイルの短編12篇を納めた本書は、いずれも現実と地続きの世界で起きながら、この世の者ならぬ存在がひょいと顔を出す、すこしふしぎな(まさにSF)物語ばかり。
 内容的にはあっさり目の作品も少なくないのですが、ポジでもネガでもない明治を、SFという観点から掘り起こしてみせたユニークな作品集です。

(その他おすすめ)
『火星人類の逆襲』(横田順彌) Amazon



今回紹介した本
寛永無明剣 (角川文庫)産霊山秘録 上の巻<産霊山秘録> (角川文庫)未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団 (講談社ノベルス)大帝の剣 1 (角川文庫)押川春浪回想譚 (ふしぎ文学館)


関連記事
 入門者向け時代伝奇小説百選

 「寛永無明剣」 無明の敵、無明の心
 『未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団』 未来の少年少女が過去から現在に伝えるもの
 夢枕獏『大帝の剣 天魔望郷編』 15年ぶりの復活編
 「押川春浪回想譚」 地に足の着いたすこしふしぎの世界

| | トラックバック (0)

2017.05.05

平谷美樹『鉄の王 流星の小柄』 星鉄伝説! 鉄を造る者とその歴史を巡る戦い

 四社合同企画で連続刊行中の平谷美樹作品、第2弾は徳間文庫から刊行の本作であります。星鉄……いわゆる隕鉄の小柄をきっかけに、鉄を巡る巨大な因縁と陰謀に巻き込まれた男が繰り広げる大活劇、「星鉄伝説」とも呼びたくなるような一大伝奇小説であります。

 主家が無嗣断絶したことから侍を捨て、江戸で鉄屑買いをして暮らす元・鉄山奉行の鉄澤重兵衛。その彼に、ある日、顔なじみの子供・留松が持ち込んできたのは、長屋で見つけたという不思議な輝きを放つ小柄であります。
 その小柄が星鉄製と見抜き、留松から買い取った重兵衛ですが、その晩、留松と両親は何者かに惨殺されてしまうのでした。

 一つには留松の仇討ちのため、一つには探し求めていた星鉄の謎を追って、共に江戸に出てきた仲間たちとともに下手人を追う重兵衛。やがて事件の背後に上総兼地藩での鉄山開発を巡る争いがあったことを知る重兵衛たちですが、彼らに何者かの魔手が迫ることとなります。
 襲撃を切り抜けた重兵衛たちは、大量の鉄の生産が行われていると思しき兼地藩に潜入。そこで出会ったのは、流浪の製鉄技術者である流れ蹈鞴衆で――


 ふとしたことから怪事件に遭遇し、様々な勢力が入り乱れる暗闘に巻き込まれる……というのは、時代伝奇ものの王道パターンですが、本作はまさにそれに当てはまる作品ではあります。
 しかしそこから大きく踏み出す本作の個性が、「鉄」の存在。主人公の名前から事件の発端、繰り広げられる陰謀まで、本作はとにかく鉄尽くし。しかもその要素のほとんどが実は有機的に結びつき、一つの巨大な物語を生み出すのであります。

 思えば作品の全てではないにせよ、作者の作品においてかなりの割合で登場するのは、一種のサイエンス・テクノロジー志向/嗜好ともいうべき要素。
 『蘭学探偵 岩永淳庵』『採薬使佐平次』のように物語の中核を成す作品から、物語の一要素として使われる作品まで、作者の時代小説には、他の作家と比べれば相当多い割合で、こうした要素が登場するのです。

 本作の「鉄」もその系譜に属するものですが、そこに製鉄の歴史――特殊技能民たる蹈鞴衆と、彼らの文化が関わることで、物語に時代伝奇ものとしての深みが加わるのがまた面白い。
 そしてこうした要素がさらに、クライマックスに明らかになるとんでもないガジェット、とんでもない大陰謀に繋がっていくのですから、これはもう、作者でなければ描けない時代伝奇小説と呼ぶべきなのであります。
(似たようなアイディアの作品がないでもありませんが、クライマックスの盛り上がりぶりでは本作は屈指と言えます)


 しかし、この一作では物語の全貌がまだまだ見えないのがまた凄まじいところでしょう。
 もちろん、本作で描かれる事件は、本作できっちり決着が付くのですが、その背後で語られる、この国の隠れた歴史、歴史に隠れた存在には幾多の謎の存在が仄めかされますそして何よりも、主人公が追い求める、自分自身の存在に関する謎もまだ明らかになっていないのですから――

 果たして「鉄」を巡る戦いの先に何が待つのか。そしてそこで主人公のオリジンが如何なる意味を持つのか。何よりも、本作のタイトルの意味とは――
 始まったばかりの壮大な物語のその先の物語、作者にしか描けない時代伝奇小説の続編の登場を、今から心待ちにしている次第です。


『鉄の王 流星の小柄』(平谷美樹 徳間文庫) Amazon
鉄の王: 流星の小柄 (徳間時代小説文庫)


関連記事
 『蘭学探偵 岩永淳庵 海坊主と河童』 科学探偵、江戸の怪事に挑む
 「採薬使佐平次」 江戸のバイオテロと、災厄に挑む者たちの願い

| | トラックバック (0)

2017.04.28

碧也ぴんく『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第5巻 史実通りの悲劇の先に

 源九郎義経の身にその魂を宿すこととなった鬼一法眼の娘・皆鶴の愛と戦いの物語もいよいよ佳境。自らの体を取り戻すため、平家打倒を目指す彼女の戦いは、ついに屋島、そして壇ノ浦に平家を追いつめるのですが……その代償は、あまりにも大きかったのであります。

 父の術の失敗により、義経と二人で一人の状態となってしまった皆鶴。彼女と義経が分離するためには、義経が大望を果たすか、諦めなければならないというのですが……その大望とは言うまでもなく平氏打倒。
 体の主導権をほとんど失った義経に代わり、皆鶴は弁慶、佐藤継信・忠信、伊勢三郎らの頼もしい仲間たちとともに、平氏を追いつめていくことになります。

 しかし「義経」が快進撃を続けるほど、冷たくなっていく兄・頼朝の目。それでもこの戦いが終われば、と突き進む皆鶴たちですが、しかし屋島の戦いにおいて、愛し愛される間柄となった継信が平教経の矢に斃れてしまい――


 義経と鬼一法眼、皆鶴の伝説を踏まえ、中心に義経=皆鶴という巨大なフィクションを抱えつつも、しかし基本的に史実に忠実に展開していく本作(「弓流し」のエピソードの使い方など、思わずニヤリ)。それは、歴史上に名を残した人物の生死においても変わることはありません。
 そのある意味避けられぬ悲劇が、継信の死であったわけですが……しかし、我々はこの先、さらなる悲劇が「義経」を襲うことを知っています。

 ついに壇ノ浦で打倒平氏を果たしたものの、頼朝との距離は広がり、ついには鎌倉に入ることすら禁じられた義経主従。密かにただ一人鎌倉に忍び入り、頼朝対面した皆鶴は、頼朝が心の中に隠していたものを知ることになります(このシーンの兄貴、かなり最低)。
 頼朝の心底を知り、生き延びるために西国に落ち延びんとする主従。既に全員が義経と皆鶴の関係を知った彼らの心は一つなのですが――

 しかし結果としてこの展開もまた史実通りであるとすれば、その先もまた……と思うべきなのでしょう。それを裏付けるかのように、この巻のラストではまた一人の男が命を賭けることになります。

 この悲劇を避ける道があるとすれば、それは歴史のイレギュラーと言うべき皆鶴の存在にかかっているのかもしれません。
 ある意味、ここからが彼女にとって本当の、自分自身のための戦い。その先に何が待っているのか、そして彼女にとってその戦いに本当に意味があるのか、それはわかりませんが……しかしそれが彼女にとって、義経にとって、二人を慕う郎党たちにとって、より幸多き道であることを祈るしかありません。


 作者のブログを見れば、本作もあと1巻で完結する様子。皆鶴は、果たして厳然たる史実に穴を穿つことができるのか……たとえ何が待ち受けていたとしても、彼女の最後の戦いを見届けたいと思います。


『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第5巻(碧也ぴんく 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
義経鬼~陰陽師法眼の娘~(5)(プリンセス・コミックス)


関連記事
 「義経鬼 陰陽師法眼の娘」第1巻 合体事故!? 空前絶後の「義経」登場
 『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第2巻 自分自身になるための彼女の戦い
 碧也ぴんく『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第3巻 皆鶴と九郎、双方向の食い違いの中で
 碧也ぴんく『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第4巻 友と庇護者と愛する人と……

| | トラックバック (0)

2017.04.23

斉藤洋『くのいち小桜忍法帖 3 風さそう弥生の夜桜』 公儀隠密の任と彼女の小さな反抗と

 公儀隠密の総帥の娘である少女・小桜を主人公とした『くのいち小桜忍法帖』……つい先日、完結巻の第4巻が刊行されたシリーズの第3巻であります。江戸の町で起きる小さな事件を追うことになった小桜。しかしその果てに彼女は、自分の家も関わった、思いも寄らぬからくりの存在を知ることになるのです。

 あと数ヶ月で桜が咲こうという中、その次の季節の花をあしらった着物を求めて江戸の町を行く小桜。その途中に出会った顔なじみの岡っ引き・雷蔵親分から彼女が聞かされたのは、またもや怪事件の噂であります。

 江戸の町から姿を消した幾人もの職人。周囲に気付かれないように巧妙に消え、そしていつの間にか戻っている彼らに共通するのは、いずれも金座で小判づくりに携わる職人であることでした。
 なるほど、周囲から隔離された金座であれば、一時期職人が消えていたとしてもすぐに気付かれることはありません。しかしそうだとしても、誰が、何のために……

 探索を始めた小桜たちが掴んだのは、事件の背後にとある外様藩の存在があること。だとすればこれはまさに彼女の、いや彼女の家である外様大名の探索担当の公儀隠密・橘北家の役目であります。
 遠国に出ていた彼女の二番目の兄も加わり、事件の背後で密かに進行していた陰謀を押さえるべく動く橘北家の面々なのですが――


 江戸で次々と起きる怪事件に、小桜が挑むというスタイルで展開してきた本シリーズ。本作も基本的にはそのフォーマットを踏まえたものですが、しかしそこからいささか踏み出した形を見せることになります。

 実は本作においては、事件の謎は比較的早い段階で判明し、その後はその陰謀を明るみに出さんとする橘北家の作戦が描かれることとなります。
 しかし物語の中心となるのは、むしろその作戦が終わってから。中心となるのは、作戦の(小桜にとっては)思いもよらぬ結末であり、そしてそれを目の当たりにした彼女の心の動きなのです。

 思えば、開幕当初より、事件とそれに対する小桜の活躍と同じかそれ以上に、彼女の内面を描いてきた本シリーズ。
 それはまだ未熟ながらも公儀隠密の一員としての彼女の姿を描くと同時に、一人の年頃の少女としての彼女の内面を描くものでもありました。

 これまで彼女の持つこの二つの側面は、矛盾することなく存在してきました。自分は公儀隠密の家に生まれ、当然公儀隠密になる。そしてその任は常に正しい(と言わないまでも道理に叶ったものである)という思いの下に。

 しかし本作の事件の結末において、そしてそれと同時に進行していたある任務の結果(それが史上に残るあの大事件に繋がることに……!)を知ることによって、彼女の中に一つの疑問が生じることになります。
 自分たちのしていることは本当に正しいのか。公儀隠密の任とは何なのか、というような。

 それは大人の目から見れば――そして一般の時代小説は基本的にそのスタンスなのですが――青臭い感傷に過ぎないと断じられるものなのでしょう。
 しかし、そんな感傷を抱くことができるのも、大人の世の中の「当然」に対して異議申し立てするのも、子供の特権でしょう。そしてそんな子供たちが読む物語においてそれが描かれることも、また必要なことであります。

 もちろん、そんな異議申し立ては容易いことではありません。公儀隠密のような立場であればなおさら。
 そんな小桜の小さな反抗が、本作の、いや本シリーズの冒頭から描かれてきた彼女のキャラクターの一端を通じて描かれるのは、これはもうベテランの技だと、大いに感嘆させられた次第です。


 果たして小桜が抱いた想いはどこに向かうのか。本作で描かれた大きな大きな事件に、彼女は今後どのように関わっていくことになるのか。シリーズ最終巻も近日中に紹介いたします。

 ちなみにこの最終巻では、驚くべき(予想はしていましたが……)クロスオーバーの存在が明らかになるのですが、よく読んでみればその痕跡はこの巻から既に存在していたことに驚かされます。
 知っていて読まなければわからない部分ではありますが――


『くのいち小桜忍法帖 3 風さそう弥生の夜桜』(斉藤洋 あすなろ書房) Amazon
3風さそう弥生の夜桜 (くのいち小桜忍法帖)


関連記事
 斉藤洋『くのいち小桜忍法帖 1 月夜に見参!』 美少女忍者の活躍と生きる価値と
 斉藤洋『くのいち小桜忍法帖 2 火の降る夜に桜舞う』 二重生活と江戸の忍びのリアル

| | トラックバック (0)

2017.04.19

『コミック乱ツインズ』2017年5月号

 今月も『コミック乱ツインズ』の時期となりました。今月号は、『そば屋幻庵』と『小平太の刃』が掲載されているほかは、レギュラー陣が並びますが、しかしそれが相変わらず粒ぞろい。今回も印象に残った作品を紹介いたします。

『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』(池田邦彦)
 明治時代、鉄道の黎明期に命を賭ける男たちを描く本作は今回から新エピソードに突入。島安次郎の懸命の説得に、国鉄に移籍した凄腕機関士・雨宮が、島の依頼で碓氷峠の視察に向かうことになります。

 碓氷峠といえば、その急勾配でつい最近まで知られた難所。現代ですらそうなのですから、蒸気機関車が運行されていたこの時代、その苦労はどれほどほどのものだったか……
 と、事故が相次ぐこの峠で奮闘する人々が登場する今回。雨宮が見せるプロの技が実にいいのですが、むしろ今回の主役はそんな現地の人々と感じさせられます。

 時代が明治、題材が鉄道と、本誌では異色の作品と感じてきましたが、一種の職人ものとして読めば全く違和感がないと、今更ながらに気付かされました。


『仕掛人藤枝梅安』(武村勇治&池波正太郎)
 「梅安晦日蕎麦」の後編。彦次郎が、恩のある田中屋に依頼され、仕掛けることとなった容貌魁偉な武士・石川。その彼を尾行した梅安は、真の事情を知ることになって――
 と、腕利きの武士相手のの仕掛けを頼まれてみれば、その実、彼こそは……という展開は、この前に描かれたエピソード「後は知らない」と重なる点が大きくてどうかなあと思うのですが、これは原作もこうなので仕方がありません。

 しかしその点に目を瞑れば、魁偉な容貌を持つ者が必ずしも凶悪ではなく、優しげな容貌を持つ者が必ずしも善良ではないという物語は、梅安たち仕掛人という裏の「顔」を持つ者たちと重なるのはやはり面白い。
 そしてこの点で、男たちの顔を過剰なほどの迫力で描く作画者の作風とは、今回のエピソードはなかなかマッチしていたと感じます。
(その一方で、一件落着してから呑気に年越し蕎麦をすする二人の表情も微笑ましくていい)


『鬼切丸伝』(楠桂)
 まだまだ続く信長鬼編。今回のエピソードは明智光秀の娘・珠(細川ガラシャ)を主役とした前編であります。
 本能寺の変で鬼と化し、自らを討った光秀とその血族に祟る信長。血肉のある鬼というより、ほとんど悪霊と化した感のある信長は、最後に残された珠に執拗につきまとい、苦しめることに――

 というわけで、冷静に考えれば前々回のラストで鬼になったばかりなのに、何だかえらいしつこい印象のある信長ですが、さすがに魔王と呼ばれただけあって、鬼切丸の少年も、久々登場の鈴鹿御前も、なかなか決定打を繰り出せないのがもどかしい。
 そんな中、口では否定しても少しずつ珠を、人間を守る方向に心を動かしつつある少年の「人間にしかできぬ御技で呪いに打ち勝て!!」という至極真っ当な言葉に感心してみれば、それが事態を悪化させるとは――

 この国の魔はこの国の神仏にしか滅せぬという概念には「えっ!?」という気分になりましたが(『神の名は』『神GAKARI』は……<それは別の作品)、そろそろ信長とも決着をつけていただきたいところです。


『勘定吟味役異聞 破斬』(かどたひろし&上田秀人)
 ついに残すところあと2回となった本作ですが、今回はラス前にふさわしい大殺陣というべき展開の連続。敵の本拠とも言うべき金吹き替え所に乗り込んだ聡四郎を待つのは、紀伊国屋文左衛門が雇った11人の殺し屋……というわけで、ケレン味溢れる殺陣が連続するのが実にいい。

 同じ号に掲載された『そば屋幻庵』が静とすればこちらは激しい動、これくらい方向性が異なれば気持ちがいいほどですが、さてその戦いも思わぬ形で妨害を受けて、さあどうなる次号! というところで終わるのは、お約束とはいえ、やはり盛り上がるところであります。


『コミック乱ツインズ』2017年5月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2017年 05 月号 [雑誌]


関連記事
 『コミック乱ツインズ』2016年11月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2016年11月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』2016年12月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2016年12月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』2017年1月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』2017年1月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』 2017年2月号
 『コミック乱ツインズ』 2017年3月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』 2017年3月号(その二)
 『コミック乱ツインズ』 2017年4月号(その一)
 『コミック乱ツインズ』 2017年4月号(その二)

| | トラックバック (0)

2017.04.04

木村忠啓『慶応三年の水練侍』 幕末武士が特訓の果てに見たもの

 毎回ユニークな題材の作品が登場する朝日時代小説大賞の第八回大賞受賞作は、タイトルのとおり水練・水術――水泳を題材とした物語。幕末の動乱に揺れる津・藤堂家を舞台に、藩の行方を左右する水泳勝負に挑む羽目になった一人の侍の奮闘が描かれます。

 佐幕か勤王かで、日本中が割れることとなった動乱の慶応三年。それまで中道を行っていた藤堂家にもその動きが波及してきた頃――砲術師範・市川清之助は、突如、水術試合への参加を命じられます。
 試合の相手は、江戸で水術を修め、そして勤王思想に傾倒した江戸帰りの俊英・谷口善幸。彼は、かつて清之助が敬愛していた先輩・善之丞の息子であります。

 しかし17年前、藩の火薬工場の爆発事故で父が死に、清之助が生き延びたことを逆恨みして、次々と嫌がらせを仕掛けてくる善幸。
 さらに藩内の勤王派のリーダー的存在となっていた彼が勝てば、藩内で勤王派が力を増し、藩を二分しかねない……それを恐れた佐幕派によって、清之助は佐幕派の代表選手扱いをされることになります。

 高慢な善幸に一泡吹かせるため、そして藩内の争いを防ぐため、決して負けられない戦いに挑む清之助。しかし問題が一つ――実は彼は水術は苦手だったのであります。


 という本作の基本設定が描かれるのは、冒頭から1/4程度の辺りまで。本作は、そこから終盤まで、ひたすら清之助の水術訓練が描かれることとなります。

 今の実力では到底かなわない相手に勝つため、主人公が個性的な師匠の下、奇想天外な特訓を繰り広げる……それは、スポーツものや格闘技ものの一つのパターンと言えます。
 本作もそうした物語なのですが、さて、どのような特訓が……と思えば、本作の舞台は津・藤堂家。藤堂家といえば伊賀上野、伊賀といえば――そう、忍者!

 かくて清之助は、伊賀者から特訓を受ける
ことになるのですが、彼のコーチ役を務めるのは、訓練の指示以外はほとんど全く語らぬ無愛想な伊賀者・伊八。清之助は、この伊八から次々と理不尽としか思えぬ特訓を課せられることになります。
 延々と薪を割らされる、地面に落ちた豆を素早く拾って棚の上に置く、尺八を演奏する……清之助は、到底水泳と関係あるとは思えぬ特訓を強いられる上に、食事は粥や豆腐ばかりという過酷な暮らしを数ヶ月に渡り強いられるのです。

 もちろん、実はこれらの特訓に意味があるのは言うまでもありません。その特訓をクリアしていくことで、以前とは比べものにならぬほど水術の腕を上げる清之助ですが……しかしそれでも善幸の壁は高い。
 最後の策として、清之助と伊八は伊賀の秘術を元に新たなる泳法を編み出さんとするのですが、その姿はなんと――


 先に述べたように、本作の大半を割いて描かれるこの特訓シーン。しかしそれが全く飽きることなく一気に読めてしまうのは、一つにはデビュー作とは思えぬ作者の筆力があることは間違いありません。
 しかしそれに加えて本作の魅力は、そのある意味ストレートな勝負に、幕末という時代、藤堂家という舞台を組み合わせ、さらに清之助の成長物語に重ね合わせることで、物語に深みを与えていることでしょう。

 佐幕か勤王か、旗幟を鮮明にすることなく渡ってきた藤堂家(もっともこの後、藤堂家は幕末史に残る大転回を見せるのですが)。その主家において清之助もまた、日々を静かに送ってきました。そこに現れた善幸という存在……それは清之助を大きな嵐に巻き込むこととなります。

 その清之助が挑む特訓で彼を突き動かすのは、初めは善幸への怒り、そして善幸に勝ちたいという思いでしたが……しかしその中で彼は、自分が勝つべき相手は、それまでの環境に安住してきた自分自身であったことに気づくのです。
 そしてその特訓のコーチである伊八に代表される伊賀者も、忍びには思想はない、と超然とした態度を見せつつも、やはり時代のうねりの中に巻き込まれていくことになるのを、清之助は目撃することになります。

 そんな清之助の想いの変化と水術勝負が重なり、その果てに彼が選ぶ道は、そこで見たものは……その結末に、あるいはすっきりとしないものを感じる方もいるかもしれません。しかしこれは物語で提示されてきた一つの価値観を体現した、見事な結末と言うべきではないかと私は思います。


 作者は今後もスポーツ時代小説にチャレンジすることを宣言している由、これは楽しみな作家が登場したものです。


『慶応三年の水練侍』(木村忠啓 朝日新聞出版) Amazon
慶応三年の水練侍

| | トラックバック (0)

2017.04.02

入門者向け時代伝奇小説百選 怪奇・妖怪(その一)

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回はある意味この百選のキモである怪奇・妖怪ものの紹介(その一)であります。

26.『おそろし 三島屋変調百物語事始』(宮部みゆき)
27.『しゃばけ』(畠中恵)
28.『巷説百物語』(京極夏彦)
29.『一鬼夜行』(小松エメル)
30.『のっぺら』(霜島ケイ)

26.『おそろし 三島屋変調百物語事始』(宮部みゆき)【江戸】 Amazon
 数多くのジャンルで活躍する作者が得意とする時代怪談の名品、数年前に波瑠主演でNHKドラマ化された作品です。
 ある事件が原因で心を閉ざし、叔父夫婦の営む三島屋に預けられた少女・おちか。彼女はふとしたことから、様々な人々が持ち込む不思議な話の聞き役を務めることに――

 というユニークな設定で描かれる全5話構成の本作は、題名のとおり真剣に恐ろしい物語揃いの怪談集。しかしそんな恐ろしい物語に聞き手として、時には当事者として向き合うことにより、おちかの心が少しずつ癒され、前に向かって歩き出す姿には、作者の作品に通底する人間という存在の強さが感じられます。
 副題通りの百話目指し、今なお書き継がれているシリーズであります。

(その他おすすめ)
『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』(宮部みゆき) Amazon
『あやし』(宮部みゆき) Amazon


27.『しゃばけ』(畠中恵)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 大店・長崎屋の若だんな・一太郎は生まれついての虚弱体質で、過保護な兄やの佐助と仁吉に口うるさく構われる毎日。しかし若だんなは妖を見る力の持ち主、実は大妖の佐助と仁吉とともに、次々と奇怪な事件に巻き込まれて――という妖怪時代小説の代名詞と言うべきシリーズの第1弾です。

 人間と妖のユーモラスで賑やかな騒動を描くいわゆる妖怪時代小説のスタイルを作ったとも言える本作は、しかし同時に、ミステリ性も濃厚な物語。
 続発する奇怪な殺人事件に巻き込まれた若だんなが解き明かすのは、この世界観だからこそ成立する奇怪なロジック。そしてその先には、苦い人間社会の現実が――

 連作スタイルで今なお続くシリーズを貫く魅力は、この第1弾の時点から健在なのです。

(その他おすすめ)
『ゆめつげ』(畠中恵) Amazon
『つくもがみ貸します』(畠中恵) Amazon


28.『巷説百物語』(京極夏彦)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 妖怪といえばこの人、な作者の代表作の一つであり、幾度も映像化・漫画化されてきた本作。しかし作者の作品らしく一筋縄ではいかない妖怪時代小説であります。

 戯作者志望の青年・百介が旅先で出会った謎めいた男・御行の又市。一癖も二癖もある面々と組む彼の稼業は、表沙汰にできない面倒事の解決や悪党への復讐を請け負うことでありました。
 妖怪の仕業にしか見えない不可解な事件を引き起こし、その陰に隠れて仕掛けを行う本作は、作者が愛してやまない必殺シリーズmeets妖怪的味わいの連作集です。

 百鬼夜行シリーズ(京極堂もの)とは表裏一体とも言える本作は、その後も後日譚・前日譚と数多く書き継がれ、更なる続編が待たれるシリーズです。

(その他おすすめ)
『続巷説百物語』(京極夏彦) Amazon


29.『一鬼夜行』(小松エメル)【幕末・明治】 Amazon
 妖怪時代小説の旗手の一人である作者のデビュー作にして代表作、明治の東京を舞台にした賑やかでほろ苦い妖怪活劇です。

 ある晩、空から古道具屋を営む青年・喜蔵の前に落ちてきた自称大妖怪の少年・小春。百鬼夜行からこぼれ落ちたという小春が居候を決め込んで以来、様々な妖怪沙汰に巻き込まれる喜蔵ですが――

 小生意気な小春と、妖怪も恐れる閻魔顔の喜蔵の凸凹コンビが活躍する本作、人間と妖怪のバディものは定番ですが、ここまで二人のやり取りが楽しい作品は他にはありません。
 その一方で、それぞれ孤独を抱えた人と妖が寄り添い、絆を深める人情ものとしても魅力的な本作。今なおシリーズが書き継がれているのも納得です。

(その他おすすめ)
『夢追い月 蘭学塾幻幽堂青春記』(小松エメル) Amazon


30.『のっぺら あやかし同心捕物控』(霜島ケイ)【江戸】 Amazon
 『封殺鬼』シリーズなど伝奇アクションで90年代から活躍してきた作者の初時代小説は、とんでもなくユニークな妖怪ものであります。
 主人公の千太郎は江戸町奉行所の敏腕同心。腕が立ち、正義感に溢れて情に厚い、江戸っ子の人気者なのですが……何と彼はのっぺらぼう。あやかしを退治する同心ではなく、あやかしが同心なのです。

 しかし本作はパラレルワールドものではありません。江戸にのっぺらぼうがいたらどうなるか……本作は丹念に描写を積み重ねることでその難題(?)をクリアするのです。
 そしてもちろん、千太郎が挑む事件も奇っ怪極まりないものばかり。人間が、妖が引き起こす怪事件に挑む千太郎の姿は、「男は顔じゃない」と思わせてくれるのであります。


今回紹介した本
おそろし 三島屋変調百物語事始 (角川文庫)しゃばけ (新潮文庫)巷説百物語 (角川文庫)(P[こ]3-1)一鬼夜行 (ポプラ文庫ピュアフル)のっぺら あやかし同心捕物控え (モノノケ文庫)


関連記事
 「おそろし 三島屋変調百物語事始」 歪みからの解放のための物語
 「一鬼夜行」 おかしな二人の絆が語るもの
 「のっぺら あやかし同心捕物控」 正真正銘、のっぺらぼう同心見参!

| | トラックバック (0)

2017.03.31

天野行人『花天の力士 天下分け目の相撲合戦』 前代未聞、平安相撲伝奇活劇!

 毎回個性的な作品を輩出している朝日時代小説大賞の第8回の最終選考候補作である本作は、安倍晴明や渡辺綱が活躍する平安ものですが……しかし中心となる題材はなんと相撲。内裏で行われる相撲節会を舞台に、異能の力士たちが激突するユニークな伝奇活劇であります。

 藤原道長が栄華の階段を登り始めた頃――彼と激しく対立する藤原顕光は、毎年七夕に行われる相撲節会において、自分と道長がそれぞれ選んだ最強の相撲人による決闘を提案、道長もそれに乗せられたことから、物語は始まります。

 顕光側の力士は、樹木を壊死させ、空を飛ぶ鳥を落とす怪しげな呪術を操る巨漢・獲麟。この怪人に対抗する力士探しを命じられた安倍晴明は、渡辺綱と二人、寧楽(奈良)は秋篠の里に向かいます。
 その秋篠の里こそは、遥か千年前、垂仁天皇の御前で行われた七夕相撲で勝利した野見宿禰の子孫が暮らす里。そこで地祇と会話する力を持ち、邪を祓う四股を踏む少年・出雲と出会った晴明は、出雲の陰守役である美少女・鹿毛葉らとともに、都に戻るのですが――


 相撲といえばどうしても江戸時代という印象が浮かびますが、その歴史は遥か過去にまで遡ることができるのは言うまでもない話。
 そしてその起源と言われ、そして伝奇ものでしばしば題材となっているのは、本作の中核ともなっている、野見宿禰と当麻蹴速の御前相撲であります。。

 『日本紀』の垂仁天皇7年の項に記されたこの試合は、激しい蹴りの応酬の末に、宿禰が蹴速の腰を踏み折るという、現代のイメージとは程遠い、凄惨な結末を迎えたと言われる一戦。
 本作はこの一戦を題材に、平安に至るまでの千年の因縁を巡る伝奇活劇として物語を構築しているのがユニークなところであります(ちなみに計算するとこの試合は紀元前の出来事なので、本作の時点から遡れば確かに千年前ではあります)。

 安倍晴明や渡辺綱らが妖魔や術者と戦う平安ものは枚挙に暇がありませんが、そこに相撲が絡んでくる物語は、ほとんど記憶にありません。この点は見事な題材選びと言えるでしょう。

 題材と言えば、個人的には、本作の悪役が藤原顕光であることにも感心させられました。
 芦屋道満による道長への呪詛を晴明が見破ったという有名な伝説は、この人物の依頼という話があるこの人物。死後にも数々の祟りを起こし、「悪霊左府」と呼ばれたというのですから穏やかではありません。

 さまで有名ではないものの、こうした逸話から考えれば本作でのキャラクターはまさにはまり役。先の野見宿禰と当麻蹴速の一戦やこの顕光の存在など、本作は既存の伝説を巧みに絡め合うことで、全く新たな物語を生み出しているのに感心させられます。


 とはいえ、残念な点がないわけではありません。晴明や綱、出雲をはじめとして様々なキャラクターが登場する本作ですが、その人物像はさまで掘り下げがなされているとは言い難いように思えます。
 好奇心旺盛な食えない性格の晴明、実直な武人の綱、天真爛漫な出雲、ツンデレの鹿毛葉……わかりやすいキャラクター設定は親しみが持てるのですが、そこから先に広がりが欲しかった、という印象はあります。

 悪役サイドが、わかりやすい悪役で終わってしまったことも含めて――

(これは全く別の話ですが、過去話としてさらっと邪馬台国と神武東征を絡めて物語を設定しているのにも疑問符が)


 とはいえ、達者な物語運びもあり、ラストまで一気に読むことができた本作。おそらくは本作が作者のデビュー作であることを考えれば、今後の活躍に期待してもよいのではないかと思います。
 本作の登場人物たちのその後の姿も描いて欲しい、という気持ちも確かに感じられるところであります。


『花天の力士 天下分け目の相撲合戦』(天野行人 朝日新聞出版) Amazon
花天の力士 天下分け目の相撲合戦

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧