2017.06.15

北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり

 好敵手・兀朮率いる金軍との大決戦をほぼ互角の形で終え、帰還した岳飛。この先を巡り、南宋を代表する秦檜と対峙する岳飛ですが――史実を考えれば、岳飛と秦檜の対立の先にあるものはただ一つ。しかしそこで梁山泊が思わぬ役割を果たし、本作は新たな領域に踏み込んでいくこととなります。

 互いに数十万の軍を率いながらも、最後は一対一に等しい死闘を繰り広げた末、共に矛を収めた岳飛と兀朮。岳飛は岳家軍の本拠に帰還したものの、秦檜から臨安府への出頭を命じられることになります。
 一方、梁山泊では呉用が「岳飛を救え」という言葉を遺して息を引き取り……

 という嵐の予感から始まる第6巻ですが、前半は比較的静かな展開が続きます。

 理由を付けて出頭を引き伸ばす岳飛は、またもやふらりとごく僅かな人数で旅に出て蕭炫材と出会い(ここで蕭炫材の父・蕭珪材のことを語る二人が実にいい)、秦容は相変わらず南方開拓に精を出し、宣凱は微妙にフラグっぽいものを立てたり……
 その中で、燕青のみは岳飛の遺言を踏まえ、一人動き始めるのですが、それはさておき。

 しかし中盤からこの巻は、いやこの物語は、激動とも言うべき展開を見せることになります。
 ついに臨安府に出頭して帝に拝謁した岳飛に対し、岳家軍を解体し、南宋軍の総帥に就くよう迫る秦檜。それを拒否した岳飛は、秦檜に捕らえられることになるのですが――この対立の根底にあるのは、二人の男にとっての、国の在り方であります。

 それは民(民族)を取るか、国(政体)を取るかという、物語の冒頭から描かれてきた二人にとっての国の在り方の違い。
 金に取り残された国の民を救うために戦いを続けようとする岳飛と、南宋が再び中原に君臨するため今は休戦して国力を蓄えようとする秦檜と――二人にとって国に尽くすということは、その根本において大きく異なるのです。

 しかし、岳飛が秦檜の言葉を拒絶するのは、国に逆らうということ、すなわち国家への反逆に等しいことでもあります。かくて岳飛は謀叛人として処刑されることに……


 ついに来たか、という印象であります。実は主戦派の岳飛が、和平派の秦檜と対立の末、謀叛の科で処刑されるというのは、これは史実どおりの展開なのですから。

 理想を胸に抱いて戦い続けながらも、道半ばにして、周囲から汚名を着せられた末に斃れる――これはある意味、実に作者の作品の主人公らしい最期と言えるでしょう。
 当然、この『岳飛伝』の結末は、この岳飛の最期であろうと考えていたのですが……

 が、ここで物語はとてつもない動きを見せることになります。上で述べたように、呉用の遺言に動き始めた燕青。その彼と梁山泊致死軍が、岳飛救出のために動き出すのであります。そう来たか!

 もちろん、南宋の首都深くに囚われた岳飛を救い出すのは容易ではありません。果たしていかにして岳飛を救い、そして逃がすのか……
 その詳細はここでは伏せますが、ここで使われるのが、はるか以前に描かれていたあの伏線であり、そしてそれが南宋という国の正当性すら揺るがしかねないものという皮肉さが実に面白い。

 しかしそれ以上に盛り上がるのは、岳飛救出のために出動した致死軍の活躍であります。
 しばらく大きな動きを見せることがなかった致死軍ですが(そしてそれはそれで当然なのですが)、ここで彼らが見せた動きは、何とも痛快なもので、実に「水滸伝」らしいと感じさせてくれるのが嬉しいのです。


 何はともあれ、表向きは処刑されたものの、その実、梁山泊により救出された岳飛。
 なるほど、本作における梁山泊の役割の一つはここにあったか、と感心させられたのはさておき、ここにおいて物語は史実から大きく異なる領域に踏み出すこととなります。

 梁山泊に加わることなく、同じく死んだはずの身の姚平を供に、南へ南へ、雲南は大理国を目指す岳飛。
 奇しくも南方は、国力増強を目指す秦檜が目を向ける先であり、そして秦容が新天地として開拓を続ける地でもあります。

 この先の物語の中心となるのは南方なのか――それはまだわかりませんが、ある意味これからが、真の北方『岳飛伝』の始まりであることは間違いありません。


『岳飛伝 六 転遠の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 六 転遠の章 (集英社文庫)


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2017.06.09

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第5巻 化け物か、生き物か

 超常の力を持ち人を喰らう鬼と、鬼を討つ者たち・鬼殺隊の死闘を描く物語も巻を順調に重ねてきました。既に第6巻まで発売されているところに恐縮ですが、今回はまず第5巻を紹介しましょう。

 家族を鬼に殺され、唯一残った妹・禰豆子を鬼に変えられた末、鬼殺隊の隊士となった炭治郎。これまで隊の命で数々の鬼と戦う中、善逸や伊之助といった仲間(?)もできた彼の新たな任務は、那田蜘蛛山に潜んで人々を襲う蜘蛛鬼の家族との対決でありました。
 鬼殺隊の先遣隊を壊滅に追いやった、父母と兄姉、そして末子からなる鬼たち。善逸は兄鬼を倒したものの蜘蛛化の毒に侵され、伊之助は強力な父鬼に苦戦、そして二人とはぐれた炭治郎は、この山の鬼の真の主である末子・累と対峙することに……

 というわけで第4巻の後半から始まった那田蜘蛛山での死闘は、この巻を丸々使って描かれることになります。
 ユルい描写も少なくない一方で、残酷描写・ホラー描写も容赦ない本作ですが、ここで登場する蜘蛛鬼の一家は、ビジュアルも能力も、実に悍ましく恐ろしいもの。しかしその言葉が最もふさわしいのは、この山で最強の鬼・累でしょう。

 見かけは少年でありながら、最強の鬼・十二鬼月の一角を占める累。その力もさることながら、真に恐るべきはその精神性――家族に異常に執着し、自らの力で従えた鬼たちに両親や兄姉の役を強制する様は、歪んだ心を持つ者が多い本作の鬼の中でも屈指の狂気を感じさせます。
 そんな恐怖でこしらえた偽りの家族を持つ累と対峙するのが、炭治郎と禰豆子という本物の兄妹というのも、ドラマ的に実に面白い構図であります。

 そして自分たちよりも遙かに実力が上の相手との戦いの中で、それぞれ新たな技を会得するのも、定番ではありますがやはりいい。
 特に炭治郎の方は、物語開始以前にこの世を去っている父――鬼たちの長・鬼舞辻無惨とも因縁があるらしい――の思い出がきっかけにするというのも、今後の伏線的なものを感じさせてくれます。


 しかし本作ならではの物語が描かれるのは、この戦いが決着した後であります。

 鬼殺隊最強の「柱」の一人・冨岡の救援によってもあって辛くも累を倒した炭治郎。しかし彼は、鬼を醜い化け物と評し、文字通り踏みつけにする(それは決して悪意からではなく鬼殺隊にとっては当然の反応なのですが)冨岡の言葉を否定するのです。
 鬼は自分と同じ人間だったと――そして虚しい生き物、悲しい生き物であると。

 容赦なく鬼を斬ることと、その鬼を哀れみ悼むことと――それを両立させることは、一見矛盾に満ちたものであり、そこにあるのは優しさよりも甘さに近いのかもしれません。そして何よりも、禰豆子という存在がいるからこそ出るものなのでしょう。
 しかしそんな炭治郎の想いが、これまで鬼の中の「人間性」とでも言うべきものを掬い上げ、彼らに一片の救いを与えてきたのも事実であります。

 そしてここにおいても、それが悲しくも最も感動的な形で描かれることになります。詳細は伏せますが、「地獄へ」とサブタイトルが冠されたその回において描かれるものこそは、不吉な印象とは裏腹の、いやその言葉だからこそ輝く、深い愛と救済の姿なのであります。
 そしてそれが、本作を人外の化け物退治の物語に終わらせない、人と人であった者との悲しい戦いと和解(それは後者の死によって成されるものではあるのですが)の物語へと昇華させていることは間違いありません。


 もちろんそれは数ある本作の魅力の一つに過ぎないとも言えます。
 個性的過ぎるキャラクターたちと、そんなキャラたちが、時に何かがすっぽ抜けたかのように繰り広げるユルいやりとりも本作の魅力なのですが――それは次の巻にて存分に描かれることになりますので、その紹介の時にまた。


『鬼滅の刃』第5巻(吾峠呼世晴 集英社少年ジャンプコミックス) Amazon
鬼滅の刃 5 (ジャンプコミックス)


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2017.06.02

上田秀人『危急 辻番奮闘記』 幕府と大名と町方を繋ぐ者たちの戦い

 辻番といえば江戸の治安維持のために武家屋敷周辺に置かれた、現代の交番のような存在。その辻番が奮闘とは、作者には珍しい市井に近い主人公の物語なのかな? と思いきやさにあらず、辻番を主人公としつつも幕府と外様大名の暗闘の物語でもあるという、実にアクロバティックな作品でありました。

 未だ戦国の気風が完全に消えやらぬ中で勃発した島原の乱。九州から遠く離れた江戸においてもその影響は小さくなく治安は悪化、辻斬りが横行することとなります。
 そんな中、和蘭陀商館を抱える平戸藩松浦家は、幕府に対するポイント稼ぎのため(そして幕府の不信の目を逸らすため)、辻番を強化することで江戸の治安維持への貢献をアピールしようと考えます。

 かくて新たな辻番の一人に選ばれたのが、本作の主人公というべき青年武士・斎弦ノ丞ですが――着任早々、彼は隣の島原藩松倉家の前で、二派に分かれた武士たちの斬り合いに遭遇することとなります。
 乱戦の中、仲間の一人が弦ノ丞らに捕らえられ、自害したのをきっかけに姿を消す謎の武士たち。その一人は、お家が大事ならば首を突っ込むなと、弦ノ丞たちに言い捨てるのでした。

 なるほど、お家を守るために余所の面倒ごとにはできるだけ関わらないのが江戸の武士。ましてや松倉家はまさに乱の原因を作った家だけに、裏に何があるかわかりません。
 お家大事と、町奉行所の追求もそらっとぼける松浦家の面々ですが、しかし思わぬ状況の変化から、弦ノ丞たちは老中・酒井雅楽頭の命を受けて事件の真相を探ることに――


 冒頭で述べたとおり、辻番は江戸の街角の監視役。といっても、本作から百年ほど後の時代では運営は町人に全て委託され、その結果、番とは名ばかりのガバガバのザル状態となったことからも察せられるように、武士が熱心に力を入れるようなお役目とは言い難いものがあります。

 藩命とはいえ、そんな役目に就かされる弦ノ丞たちも災難ですが、さらにそこに、藩の浮沈を賭けた(幕府のお偉方との取引による)裏の任務まで加わって……という展開は、彼には申し訳ないものの実に面白い。
 それにしても、外様大名家の下級武士の涙ぐましい奮闘記が描かれるかと思いきや(それはそれで間違いではないのですが)、あれよあれよという間に物語はスケールアップし、幕府と外様大名、外様大名と外様大名、果ては老中と老中の間の暗闘に繋がっていくのですから、大いに驚かされました。

 いや、冷静に考えてみれば、この辻番という存在は、幕府と大名、大名と大名(あるいは旗本)、そして大名と町方を繋ぐ存在であります。
 その点からすれば、こうした物語の連鎖は、十分あり得ることなのかもしれませんが――しかしこれまで幕府や大名家の様々な役目を題材としてきた作者ならではの離れ技というほかありません。


 そしてまた、上で述べたように、辻番は町方とも繋がる役目であることもあり、その治安を守る存在――町奉行所が大きなウェイトを持って登場するのも面白いところであります。

 江戸市中の治安維持に責任を持ちつつも、諸大名家の内側は管轄外の彼ら。しかしそれでもおかしな事件があれば、何とか解決の糸口を掴むべく食らいつく……
 という奉行所の存在は、善良な市民であれば頼もしいところですが、後ろ暗いとまでは言わないものの、色々と事情を抱えた人間にとっては迷惑で仕方ありません。

 そう、本作における町奉行所の役人――その代表であるベテラン与力・相生は、事件に巻き込まれ、そして巻き込まれたことを隠そうとする弦ノ丞たちにとっては迷惑極まりない存在。
 彼の執拗な追求を如何に避けるか、その辺りもなかなかサスペンスフルなのですが――しかしこの相生の立ち位置にも一ひねりあって、通り一遍の人物造形に終わることなく、上田作品では少々珍しい立ち位置となるのも、ユニークなところであります。


 そして奮闘の末、ひとまずは窮地を切り抜けた弦ノ丞と松浦家。本作の物語はこの一作できっちりと完結しているのですが――しかし数多くの人々を繋ぐこの辻番という存在を、この一作限りで手放してしまうのは何とも勿体ないように思われます。

 ラストの一文も意味ありげで、まだまだ弦ノ丞に、相生に活躍してもらいたい……そんな期待も抱いてしまう作品なのであります。


『危急 辻番奮闘記』(上田秀人 集英社文庫) Amazon
危急 辻番奮闘記 (集英社文庫)

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2017.05.30

入門者向け時代伝奇小説百選 ミステリ

 今回の入門者向け時代伝奇小説百選はミステリ。物語の根幹に巨大な謎が設定されることの多い時代伝奇は、実はミステリとはかなり相性が良いのです。

41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)
42.『義元謀殺』(鈴木英治)
43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍)
44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる)
45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介)


41.『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子) 【古代-平安】 Amazon
 日本最大の物語と言うべき源氏物語。本作はその作者・紫式部を探偵役として、源氏物語そのものにまつわる謎を解き明かす、極めてユニークな物語です。

 本作で描かれるのは、大きく分けて宮中でおきた猫の行方不明事件と、題名のみが現代に残されている「かかやく日の宮」の帖消失の謎。片や日常の謎、片や源氏物語そのものに関わる謎と、その趣は大きく異なりますが、どちらの事件もミステリとして興趣に富んでいるだけでなく、特に後者は歴史上の謎を解くという意味での歴史ミステリとして、高い完成度となっているのです。

 そして本作は、「物語ることの意味」「物語の力」を描く物語でもあります。源氏物語を通じて紫式部が抱いた喜び、怒り、決意……本作は物語作家としての彼女の姿を通じ、稀有の物語の誕生とそれを通じた彼女の生き様を描く優れた物語でもあるのです。

(その他おすすめ)
『白の祝宴 逸文紫式部日記』(森谷明子) Amazon


42.『義元謀殺』(鈴木英治) 【戦国】 Amazon
 文庫書き下ろし時代小説の第一人者であると同時に、戦国時代を舞台としたミステリ/サスペンス色の強い物語を送り出してきた作者のデビュー作は、戦国時代を大きく変えたあの戦いの裏面を描く物語です。

 尾張攻めを目前とした駿府で次々と惨殺されていく今川家の家臣たち。義元の馬廻で剣の達人の宗十郎と、その親友で敏腕目付けの勘左衛門は、事件の背後にかつて義元の命で謀殺された山口家の存在を疑うことになります。彼らの懸念どおり事件を実行していたのは山口家の残党。しかしその背後には、更なる闇が……

 戦国最大の逆転劇である桶狭間の戦。本作はその運命の時をゴールに設定しつつ、どんでん返しの連続の、一種倒叙もの的な味わいすらあるミステリとして成立させた逸品であります。最後の最後まで先が読めず、誰も信用できない、サスペンスフルな名作です。

(その他おすすめ)
『血の城』(鈴木英治) Amazon


43.『柳生十兵衛秘剣考』(高井忍) 【剣豪】【江戸】 Amazon
 歴史上の事件の「真実」をユニークな視点から解き明かす作品を得意とする作者が、名だたる剣豪たちの秘剣の「真実」を解き明かす連作であります。
 それだけでも興味津々な設定ですが、主人公となるのはかの剣豪・柳生十兵衛と、手裏剣の達人・毛利玄達(男装の麗人)。この凸凹コンビが探偵役だというのですからつまらないわけがありません。

 本作の題材となるのは、塚原卜伝の無手勝流、草深甚十郎の水鏡、小笠原源信斎の八寸ののべかね、そして柳生十兵衛(!?)の月影と、名だたる剣豪の名だたる秘剣。いずれもその名が高まるのと比例して、神秘的ですらある逸話がついて回るようになったその秘剣の虚像と実像を、本作は見事に解き明かしていくのです。

 十兵衛と玄達のキャラクターも楽しく、剣豪ファンにも大いにお薦めできる作品です。

(その他おすすめ)
『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』(高井忍) Amazon
『名刀月影伝』(高井忍) Amazon


44.『ギヤマン壺の謎』『徳利長屋の怪』(はやみねかおる) 【幕末-明治】【児童文学】 Amazon / Amazon
 自称名探偵・夢水清志郎が活躍する児童向けミステリ『名探偵夢水清志郎事件ノート』シリーズの登場人物の先祖的キャラが活躍する外伝であります。

 幕末の長崎出島に住み着いていた謎の男・夢水清志郎左右衛門。出島で事件を解決した彼は、ふらりと江戸に出ると、徳利長屋に住み着いて探偵稼業を始め……という本作、前半は呑気な事件が多いのですが、終盤にガラリとシリアスかつ驚天動地の展開を迎えることとなります。
 江戸を舞台に激突寸前の新政府軍と幕府軍。これ以上の時代の犠牲を防ぐべく、清志郎左右衛門は勝と西郷を前に、江戸城を消すというトリックを仕掛けるのですから――

 時代劇パロディ的な作品でありつつも、人を幸せにしない時代において、「事件を、みんなが幸せになるように解決する」べく挑む主人公を描く本作。子供も大人も必読の名作です。


45.『股旅探偵 上州呪い村』(幡大介) 【幕末-明治】 Amazon
 『大富豪同心』をはじめとするユニークな作品で活躍する作者による伝奇ミステリの問題作であります。

 旅先で看取った青年の末期の言葉を携え、モウリョウの伝説が残る上州の火嘗村を訪れた渡世人の三次郎。そこで彼を待ち受けるのは、猟奇的な事件の数々。関わりねえ事件に巻き込まれた三次郎の運命は――
 と、奇怪な伝説や因習の残る僻地の謎と、それに挑む寡黙な渡世人という、どこかで見たような内容満載の本作。しかし本作はそこに濃厚な怪奇性と、きっちり本格ミステリとしての合理的謎解きを用意することで、さらに独特の世界を生み出しているのが何とも心憎いのです。

 そして本作のもう一つの特徴は、作中の人物がミステリのお約束に突っ込みを入れるメタフィクション的な言及。路線的に前作に当たる『猫魔地獄のわらべ歌』ほど強烈ではありませんが、後を引く味わいであります。



今回紹介した本
千年の黙 異本源氏物語 (創元推理文庫)義元謀殺 上 (ハルキ文庫 す 2-25 時代小説文庫)柳生十兵衛秘剣考ギヤマン壺の謎<名探偵夢水清志郎事件ノート外伝> (講談社文庫)徳利長屋の怪<名探偵夢水清志郎事件ノート外伝> (講談社文庫)股旅探偵 上州呪い村 (講談社文庫)


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 鈴木英治『義元謀殺』上巻 「その時」に向けて交錯する陰謀
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 「ギヤマン壺の謎 名探偵夢水清志郎事件ノート外伝」 名探偵幕末にあらわる
 「徳利長屋の怪 名探偵夢水清志郎事件ノート外伝」 時代に挑む大仕掛け
 『股旅探偵 上州呪い村』 時代もの+本格ミステリ+メタの衝撃再び?

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2017.05.29

『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 絆の煙草入れ』 彼女の仲間たち、彼女たちの絆

 この春から初夏にかけ四社合同フェア展開中の平谷美樹、三社目の作品は草紙屋を舞台とした時代ミステリの第二弾です。頭の回転と鼻っ柱の強さは随一の新米戯作者・鉢野金魚と、残念イケメンの先輩戯作者の本能寺無念を中心としたメンバーに、今回意外な実在の人物が加わることになります。

 江戸の娯楽書専門店・草紙屋の一つ、薬楽堂にたむろっている面々が、江戸で起きるあやかしの仕業としか思えぬ怪事件の数々に挑む本シリーズ。
 今回も、娘幽霊にドッペルゲンガー、幽霊寺と様々な怪異が描かれるのですが、その謎を解いて戯作のネタにしてやろうという怖いもの知らずの金魚を探偵役に、何故か幽霊を異常に怖がる無念を助手役に据えて展開する物語の楽しさは健在であります。

 そして物語だけでなく、金魚&無念コンビをはじめとするキャラクターの面白さも、もちろん本シリーズの大きな魅力であります。
 海千山千で油断のならぬ大旦那に、木刀を持つといきなりキレる番頭、元御庭番の読売屋等々、一癖も二癖もある面々が集う薬楽堂ですが――さらに今回そこに、実在の人物、それも極めてユニークな人物が加わることになります。

 その人物とは只野真葛――女性国学者にして文学者、あるいは思想家、そして『赤蝦夷風説考』の工藤平助の娘であります。
 この真葛の事績についてここで詳しくは述べませんが、幼い頃から「女の本(手本)になるべし」と思い定め、和文・和歌・書に通じた才女であり、その著作も一種の政治・哲学論から随筆、奇談集に至るまで、多岐に渡ったという、実に興味深い人物であります。

 そして何よりも、あの偏屈で知られる曲亭馬琴が「男魂ある者にてその才優れたり」と認めたというのですから驚かされるではありませんか。
 もっとも色々あって後に(実に馬琴らしい形で)絶交状態となるのですが、本作においてはその直後、仙台から江戸にやって来た真葛の姿が描かれることになります。

 大旦那と旧知の間柄であった縁で薬楽堂に現れた真葛。その著作で示されるように、この世の諸相について独自の見解を持つ彼女は、薬楽堂に持ち込まれる事件について、怪異の存在を否定しません。
 ……ということは、金魚とは正反対の立場だということであります。ともに鋭い観察眼と頭の回転の速さを持ち、そして当時の男社会にも屈しない強い心を持つ女性でありつつも、その立場が異なることによって眞葛が一種のライバル探偵役として存在しているのが、実にユニークなのです。

 しかし本作は、眞葛を単純なライバルとしてのみ描くものではありません。これは作品の核心にも関わるところですので詳しくは書けないのですが、本作は、上で触れた彼女の背景を踏まえつつ、その彼女だからこそありえる物語展開を用意しているのですから。
 そしてその中で描かれるのは、あるいはありえるかもしれない金魚の未来の姿なのかもしれません。溢れんばかりの才能を持ちながらも、男社会の壁に突き当り、立ち止まるを得なかった女性の姿の。


 しかし本作において、金魚はそんな眞葛を軽々と超える姿を見せてみせます。それは
彼女の若さゆえの、経験不足ゆえの怖いもの知らずのパワーゆえなのかもしれません。しかしそれだけではないと私は感じます。
 何故ならば、金魚は一人ではないのですから。彼女の周囲には、無念が、薬楽堂の仲間たちがいる。薬楽堂に集う連中は、誰かが躓けば誰かが支え、誰かが道に迷いそうになれば誰かが引っ張り戻す――本作の後半二話で描かれているのは、そんな薬楽堂の姿なのです。
(さらに言ってしまえば、そんな彼らだからこそ、眞葛という実在の人物を前にしても、金魚と仲間たちの存在感は負けないのでしょう)

 だからこそ本シリーズのタイトルには、『草紙屋薬楽堂』と冠されているのではないか、というのはいささか牽強付会にすぎるかもしれませんが、しかし少なくともそこには確かな「絆」があると感じるのです。


 怪異にしか見えぬ事件の謎を解き明かす物語だけでなく、薬楽堂に集う仲間たちの姿もまた魅力的な本作。実在の人物が大きく関わることで物語世界も広がり、この先のシリーズの展開も楽しみになるではありませんか。


『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 絆の煙草入れ』(平谷美樹 だいわ文庫) Amazon
草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 絆の煙草入れ (だいわ文庫 I 335-2)


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2017.05.28

長谷川卓『嶽神伝 鬼哭』下巻 二つの合戦と別れの時

 山の者サーガとも言うべき作者の物語の集大成、『嶽神伝』シリーズの最新巻の下巻であります。平穏な暮らしを望みつつも、これまでに培われた人の縁により里の争いに巻き込まれていく無坂。この巻においても、彼は戦国史に残る二つの合戦の目撃者となるのですが……

 山の者として暮らしながらも、武田・北条・上杉・今川と、数々の戦国大名に関わり、幾多の合戦や争いに関わってきた無坂。
 上巻においては、長尾景虎の出奔騒動に巻き込まれ、景虎暗殺のために送り込まれた武田の忍びたちと、彼は死闘を繰り広げることとなりました。

 さらに、山の者の分断を図る武田家の陰謀とも対峙することとなった無坂ですが、面白いのは決して彼は武田家を敵とするのではなく、むしろその一部とは深い繋がりを持っていることでしょう。
 そもそも『嶽神伝』という物語自体、彼が後の諏訪御寮人を救ったことから始まった物語であるわけですが、もう一人彼とは関わりの深い山本勘助が、この下巻では大きな役割を果たすこととなります。

 不具に近い体ながら、その頭脳でもって武田晴信の腹心として活躍してきた勘助。彼はその物事に拘らぬユニークなキャラクターで、無坂をはじめとする山の者とも親しく交流してきました。
 実際のところ、武田の忍びと幾多の死闘を繰り広げてきた無坂が、彼らと全面戦争にならずに済んでいるのは、勘助の存在あってのことなのですが――今回無坂は、その勘助の供として、今川による織田攻めに同行することとなります。

 その戦が、桶狭間で如何なる結果を迎えたのか――それをここで申し上げるまでもありませんが、その結果は、ある意味今川家以上に勘助に大きな衝撃を与えることになります。そう、彼は今川の大勝を全く疑わなかったのですから……
 軍配者にとって致命的ともいえるこの読み違えに自らの老いを感じ取った勘助は、やがて、かねてから予感めいたものを持っていた、自分の死に場所となる戦場を見つけだすことになります。

 その戦場とは川中島。己の最期の力を振り絞る勘助の戦いを見届けることとなった無坂は……


 こうして見てみると勘助に振り回された感のある今回の無坂ですが、本シリーズの勘助は、それだけ大きな存在であったと言うべきでしょう。様々な戦国武将と接点を持ってきた無坂ですが、その中でも勘助は彼にとっては一種の同志ともいうべき存在だったのですから。
 その勘助とともに無坂が川中島で繰り広げる死闘は、本作のクライマックス。人と人の命が渦となってぶつかり合うような戦場での戦いは、これまで描かれてきた忍びたちや野生の獣たちとの戦いとは全く異なる、異様な迫力を持ってこちらに迫ってくるのです。


 とはいえ、上巻に比べると、この下巻はいささかおとなしめの展開であることは否めません。特に作中で描かれるタイムスパンがかなり長いこともあって、いささか駆け足の印象すらあるのですが――しかし個々の場面場面はしみじみと味わい深いものがあるのは、無坂という人物の存在感あってのことでしょう。

 そしてその無坂も年を重ね、本作の結末においては、なんと還暦を迎えることとなります。
 思えば長い時を無坂とともに暮らしてきたものだ――という気分にもなってしまいますが、本作の結末で描かれるある光景は、その時の中で次代を担う若者たちが育ち(『嶽神』に繋がっていく描写にはニヤリ)、そして長きに渡る怨讐もやがては洗い流されていくことの象徴として、静かな感動を生みます。

 そしてこうした積み重ねの先に、無坂にとっての「その時」が、それも遠からぬうちに訪れることでしょう。
 果たしてそれがどのような形で描かれることとなるのか、それはわかりませんが、その中で、嶽神という存在の一つの形が浮かび上がることになるのではないか――今はそう感じているところです。


『嶽神伝 鬼哭』下巻(長谷川卓 講談社文庫) Amazon
嶽神伝 鬼哭 下 (講談社文庫)


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2017.05.26

北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり

 なおも続く南宋と金、岳飛と兀朮の全面衝突。兀朮を追い北進を続ける岳飛と、迎え撃つ兀朮の決戦の末に待つものは――。そして梁山泊でも、一つの時代の終わりを告げる出来事が起きることになります。

 兀朮の指揮下に南進してきた金軍三十万を迎え撃つこととなった岳飛率いる南宋軍二十万。機動力で勝る金軍の騎馬隊に対し、岳飛は地に伏せた歩兵の長刀による攻撃で反撃、金に大打撃を与えることに成功します。
 そして中原の漢民族を解放するため、北方に引いていく兀朮を追う岳飛ですが、これは同時に危険な賭けでもあります。かつての宋国領といえど今は敵地において、兵站もままならぬ中、戦いを続けることとなるのですから。

 そして互いに相手を倒してこそ勝利があると思い定めた岳飛と兀朮は、それぞれ数万にまで軍を減らし、ほぼ互角の条件下で真っ向からの勝負を挑むことに……


 前巻から、いつ果てるともなく続く岳飛と兀朮の死闘。冷静に考えれば単行本にして一冊程度なのですが、とにかく戦いまた戦いの連続は凄まじい密度、作中の羅辰や??律のように、見ているだけで魅入られ、力をすり減らしてしまいそうな戦いが続きます。
 そしてそれでも戦いを止めぬ二人は、数万の軍を率いながらも、ほとんど一騎打ち、それも素っ裸で正面から殴り合うような戦いを続けるのですが――いやはやこのくだりは、『岳飛伝』でも名勝負の一つに数えられるであろう凄まじい戦いであります。

 しかし如何なる戦いにも終わりはあります。そして如何なる戦いも、始めるより終わらせるのが難しいのですが――南宋、金の両陣営とも「その後」に向けて戦いの最中から動き出し、そして岳飛はその動きに絡め取られて苦しむことになります。

 この彼の悩み・苦しみは、戦いを求める個人である戦人と、組織の一員である軍人の間のジレンマと言えるでしょう。戦いの最中に陣を訪れた宣凱に戦いの後のことを問われて、正直に自分にはわからんと言ってしまう岳飛にとっては、それはある意味兀朮以上の強敵かもしれません。
 そして似た者同士であっても、王族であるためか、兀朮の方がこうした状況を素直に受け入れているのが興味深く、また、かつてその状況に飲まれてしまった老いたる禁軍総帥・劉光世の岳飛への言葉もまた熱いのですが……


 そんな岳飛の悩みは、史実の上での彼の運命に繋がっていくことになるのですがそれはさておき、一方の梁山泊サイドは、ひたすら自由に、そしてひたすら壮大に、活動を広げていくことになります。
 海を越え、藤原氏の治める奥州を訪れた張朔。西遼フスオルドに向かい、西方の部族の平定を任された韓成。秦容は南方で甘庶糖を生み出すために悪戦苦闘し、王清は振られた末に変に達観して放浪し……

 梁山泊を離れ、それぞれの生を生きる二世世代たち。一人一人が物語の主人公として活躍(流されてるだけの人間もいますが――)する姿は、実に魅力的であり、これまでになかった新たな梁山泊の姿を感じさせてくれます。
 個人的には、家庭に倦んで仕事に逃げた韓成が、今まで梁山泊の人間には見られなかった形で人間性を顕わにする姿に、大いに心動かされた次第です。


 そして、若者たちが表舞台に躍り出る一方で、舞台から退場していく者もいます。それは呉用――楊令亡き後の頭領として、敢えて無為の姿を見せることで新たな梁山泊の在り方を提示した呉用が、この巻においてついにこの世を去ることになります。

 既に残すところ数えるほどしか残っていない初代梁山泊の生き残りであり、その中でも首脳陣の一人として色々な意味で活躍してきた呉用の最期は、一つの時代の終わりと言っても過言ではないでしょう。

 既に相当の老齢となり、この数巻は床に伏した姿で登場していた呉用。それでいて核心に迫ったような言葉を残してきた彼は、その後継者たる宣凱に対し最期の言葉を残すことになります。

 幾つかあるその言葉はいずれも印象的ですが、個人的に特に心に残ったのは、「心に梁山泊がある者が、梁山泊を作る」という言葉であります。
 上で述べた、場所としての梁山泊を離れて生きる若者たちの有り様を指し示したが如きこの言葉は、あるいは本作のたどり着くところを示しているのではないか――そんなことすら感じさせるではありませんか。

 そしてもう一つ、宣凱に対する最後の指令とも取れる言葉――この先の展開を予告するかのようなその言葉は、おそらくは梁山泊の、そして岳飛の運命を大きく動かすと思われるのですが……


 いよいよ両者が大きく交錯することになるのか――歴史を大きく動かす前半のクライマックスも間近であります。


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岳飛伝 五 紅星の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿

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2017.05.11

北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿

 早くも総力を挙げて激突することとなった岳飛率いる南宋軍と兀朮率いる金軍。梁山泊はそれを静観する形となりますが……その一方で秦容ら南方開拓団は厳しい自然を相手に奮闘を続けるなど、独自の動きを展開することになります。まだまだ混沌とした情勢の中、次に動くのは――

 梁山泊軍との激闘の結果、結果として撃退された形となり、その後、梁山泊と対等な講和を結ぶこととなった金国。しかし梁山泊と講和としたということは、裏を返せば後顧の憂いなく南宋と対決することができるようになったということでもあります。
 かくて実に三十万のとてつもない規模の軍を動かし、南進を始めた兀朮。これに対し、南宋は岳飛の軍に加え、再編されつつある地方軍を動かし、総勢二十万という、こちらも凄まじい規模の軍を動かすことに――


 というわけで、前巻の梁山泊vs金に続いて描かれることとなった南宋vs金の決戦。まだ第4巻という、全体の1/4にもならない時点で(という見方は反則かもしれませんが)、ここまで出し惜しみなしで一体どうなってしまうのか……といささか心配にもなりますが、これまでまさしく腕を撫していた岳飛にとっては、待ちに待った活躍の場であります。

 これまでこの大水滸伝に登場した大将クラスのキャラクターの中では、おそらく最も戦に負け、そしておそらくは最も人間臭い人物である岳飛。彼をタイトルロールとする本作が始まって以来、彼の動きは随所で描かれてきたのですが、しかしここまでの規模の戦いに参加するのは、これが初めてと言って良いでしょう。

 そしてその彼の戦いは、同時に彼の信じる「国」の在り方を示すものでもあります。彼が自らに課した想い……尽忠報国。ここでいう「国」とは、彼にとっては「民」の意。すなわち彼が守るべき国とは、金に制圧された地に生きる漢の民なのであります。
 それに対して、南宋の宰相たる秦檜にとっての「国」とは、帝を頂点とした統治機構のこと……従来の意味での「国」であります。

 南宋のために戦いつつも、その胸に抱く「国」の形は大きく異なる岳飛と秦檜。その違いが行き着く先がどこであるか、それは史実を見れば明らかではありますが、しかしそれに触れるのはまだ少々早いでしょう。
 ここでただ述べておくべきは、本作の秦檜は、彼は彼として宋という国を案じているということでしょう。そしてそれは決して彼の私利私欲から出たものではないのですが……だからこそやりきれないものではあります。


 その一方で、本作においては、こうした二つの国の在り方とはまた異なる国の在り方を提示する者たちがいます。
 言うまでもなくそれは梁山泊。そしてその中心であった楊令が提示した「国」とは、秦檜のような統治機構ではなく、岳飛のような民族に縛られるものではなく、それを超えて広がるもの……「流通」を中心として、地域と民族を超えて繋がる人々の共同体的存在と言えるものであると言えます。

 現代にいう一種のグローバリゼーションであり、そして今なお完全に確立しているとは言い難いその「国」の概念が、当の梁山泊の人間にとっても漠然としか理解できていないのはむしろ当然ではあります。しかしその姿が、岳飛や秦檜の抱く「国」と照らし合わせることで徐々にその姿を鮮明なものとしてくるのが実に興味深い。
 そしてそれを体現するのは、南方で甘藷を栽培すべく悪戦苦闘を続ける秦容たちであり、交易路を広げるために宋を、中華圏を離れて旅する張朔であり、王貴なのでしょう。

 そして、こうして「国」の概念が変わっていけば、それを束ねる想いもまた変わらざるを得ません。
 これまでも本作において、新・新梁山泊において語られてきた「志」の存在。時として梁山泊に集ってきた者たちを縛ってきたその志にも、変化の兆しが現れます。呉用と宣凱、呼延凌の対話の中で現れた、それを象徴する言葉、それは「夢」――

 もちろん、まだまだ新たな「国」の形が明らかになったわけでも、そしてそれが正しいものであるかどうかも示されたわけではありません。それを束ねるのが本当に「夢」であるのかどうかも。
 しかしこれまでの戦いを考えれば時にあまりに漠然とも感じられるその言葉は、それぞれの道を歩み始めた梁山泊の人々を結ぶものとして、相応しいものとして感じられます。

 そしてその「夢」は、岳飛とも共有されることとなるのか。それが異なる想いを抱く人々を結ぶのであれば、異なる国を繋ぐものともなるのではないか……それこそ夢のような話ではありますが、本作の向かう先はそれではないか、とも感じてしまうのです。


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岳飛伝 四 日暈の章 (集英社文庫)


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2017.05.10

上田秀人『禁裏付雅帳 四 策謀』 思わぬ協力者登場!?

 老中松平定信から密命を受け、禁裏付となった東城鷹矢の苦闘を描くシリーズ第4弾である本作。禁裏の裏を探る活動をいよいよスタートしたものの、もちろん京という異世界の壁は厚く、思わぬ窮地に立たされることになる鷹矢。しかしそこで彼に協力を申し出たのは、意外な人物だったのであります。

 父・一橋治済が大御所の尊号を授けられるよう、徳川家斉から厳命を受けた老中・松平定信によって、突然京に禁裏付として送られることとなった東城鷹矢。
 勝手違いの役目に悪戦苦闘する鷹矢ですが、上からは定信からの厳しい視線が向けられ、そして周囲からは禁裏の公家たちの、そして定信と対立する京都所司代の敵意をぶつけられ、四面楚歌の状況であります。

 しかし家に帰ってみれば、待つのは二人の美女……といっても一人は二条家のスパイとして送り込まれた貧乏公家の娘・温子、そしてもう一人は定信方の若年寄から送り込まれた武家娘・弓江と、要は彼を見張り縛る存在で、家の中も冷戦状態。
 それでも自分の仕事をしなければ定信が恐ろしいと、禁裏を攻略する(=弱みを握る)ために鷹矢は動き出すことに――


 そんな状況の中、前巻では反定信勢力の刺客団に襲われ、上田作品の主人公には珍しく、這々の体で逃れる羽目となった鷹矢。しかし京でものを言うのは武よりも文、そして金……というわけで、彼は禁裏を巡る金の動きを切り口に、行動を開始することになります。
 この辺り、ちょっと意外な展開にも思われましたが、禁裏付とは書院番と目付と勘定吟味役を一人で兼ねる役目、というような作中の表現からすれば、これはむしろ当然の流れであるかもしれません。

 奇しくも三つの役目とも、上田作品の題材となってきたこともあり……というのはさておき、今回鷹矢は京の台所とも言うべき、錦市場――現代でもその立場を変えることなく存在する、その市場に向かうことになるのですが、ここで思わぬ事態が発生することになります。

 かつて敵対する五条市場と、それと結んだ町奉行所によって窮地に陥った過去から、武士に対して激しい敵意を持つ錦市場。そこにノコノコ鷹矢が物価調査に出かけたために、勘違いした市場の人々がエキサイト、暴徒と化して襲いかかったのであります。
 しかも折悪しく弓江が半ば無理やり同行してきたことから彼女を庇い、鷹矢は窮地に陥ることに――

 しかし災い転じて福と成す。一歩間違えれば双方にとって取り返しのつかない事態となったところで、意外な人物が登場する事になります。その名は桝屋源左衛門……またの名を伊藤若冲!

 なるほど、若冲の本業は錦市場の青物問屋、それも町名主を務めたほどの大手であります。しかも、上で触れた五条市場との争いの解決のために、中心となって奔走した人物であったことが、近年知られるようになっています。
 だとすればここで若冲が登場するのは、実は不思議ではありません。しかし本作のメインとなる禁裏という世界、そして何よりも政治的な暗闘とは無縁の人物(それでいて京の上流階級とは大きな繋がりを持つ)ということもあり、全く登場を予想だにしておりませんでした。いや面白い……!

 そして京ではほとんど孤立無援、いやそれどころか四面楚歌であった鷹矢にとって、若冲の存在は大きな助けとなるに違いありません。
 さらに、ここに至りついに物価という切り口を掴んだ鷹矢。これがいよいよ反撃の始まりとなるか……はまだまだわかりませんが、弓江との関係も少しずつ変化してきたこともあり、物語に変化が生じたことは間違いありません。


 また、どうしてもこの記事では鷹矢ばかりに触れてしまいましたが、温子をはじめとして、彼を取り巻く登場人物たちの動きもなかなか面白い本作。

 もちろん、数多くの勢力がそれぞれの思惑を秘めて入り乱れるのは、こうした物語の定番ではあります。
 しかしその各勢力に属する個人の悲哀、そして強かさが、本作では主人公がそれほど強力ではない分、より強く感じられるのが、本作の面白い点ではないかと感じられます。

 権力という怪物に振り回されるのは、鷹矢一人ではない……鷹矢に強力な力がない分、どこか群像劇的味わいも生まれてきた本作ですが、しかしこの世界はゼロサムゲーム。
 最後に報われることになるのは誰なのか……まだまだ先は見えません。


『禁裏付雅帳 四 策謀』(上田秀人 徳間文庫) Amazon
策謀: 禁裏付雅帳四 (徳間時代小説文庫)


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2017.05.09

入門者向け時代伝奇小説百選 SF

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回紹介するのはSF編。いずれもその作品ならではの独自の世界観を持つ、個性的な顔ぶれです。
36.『寛永無明剣』(光瀬龍)
37.『産霊山秘録』(半村良)
38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)
39.『大帝の剣』(夢枕獏)
40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)

36.『寛永無明剣』(光瀬龍)【江戸】【剣豪】 Amazon
 大坂の陣の残党を追う中、何故か柳生宗矩配下の襲撃を受けた北町奉行所同心・六波羅蜜たすく。一つの集落そのものを消し去り、幕府要人たちといつの間にかすり替わっているという謎の強大な敵の正体とは……

 と、歴史改変テーマの時代SFを数多く発表してきた作者の作品の中でも、完成度と意外性という点で屈指の本作。
 奇怪極まりない陰謀に巻き込まれた主人公の活躍だけでも、時代小説として実に面白いのですが、しかしそれだけに、中盤に物語の真の構図が明らかになるその瞬間の、一種の世界崩壊感覚は、本作ならではのものであります。

 そしてその先に待つのは、あまりにも途方もないスケールの秘密。まさに「無明」と呼ぶほかないその虚無感と悲哀は、作者ならではの味わいなのであります。

(その他おすすめ)
『多聞寺討伐』(光瀬龍) Amazon


37.『産霊山秘録』(半村良)【戦国】【江戸】【幕末-明治】 Amazon
 時代伝奇SF、いや伝奇SFの巨人とも言うべき作者の代表作である本作は、長き時の流れの中で、強大な超能力を持つ「ヒ」一族の興亡を連作形式で描く壮大な年代記であります。

 戦国時代に始まり、江戸時代、幕末、そして第二次大戦前後に至るまで……強大な異能を活かして、歴史を陰から動かしてきたヒの一族。高皇産霊尊を祖と仰ぐ彼ら一族の血を引くのは、明智光秀、南光坊天海、猿飛佐助、坂本竜馬、新選組……と錚々たる顔ぶれ。
 そんなヒの一族が如何に歴史に絡み、動かし、そして滅んでいくのかを描いた物語は、まさに伝奇ものの興趣横溢。最後にはアポロの月面着陸まで飛び出す奇想天外な展開には、ただ圧倒されるばかりなのです。

 そしてそんな物語の中に、生命とは、生きることとは何か、という問いかけを込めるのも作者ならではであります。


38.『TERA小屋探偵団 未来S高校航時部レポート』(辻真先)【江戸】【ミステリ】 Amazon
 アニメ界の生きる伝説であり、同時にミステリ、ジュブナイルを中心に活躍してきた作者が描いたジャンルクロスオーバーの快作であります。

 22世紀の未来から、享保年間にやってきた五人の高校生+顧問の航時部。彼らは、江戸に到着早々、二つの密室殺人事件に巻き込まれることになります。それぞれ個性的な能力を持つ彼らは特技を活かして事件解決に乗り出すのですが――
 とくれば、未来人が科学知識を活かして江戸時代で事件捜査を行う一種の時代ミステリになると思われますが、その先に待ち受けているのは、様々なジャンルが入り混じり、謎が謎呼ぶ物語。

 「過去」と「未来」が交錯するその先に、思わぬ形で開く「現在」への風穴にはただ仰天、齢八十を超えてなお意気衰えぬ作者が現代の若者たちに送る、まさしく時代を超えた作品であります。

(その他おすすめ)
『戦国OSAKA夏の陣 未来S高校航時部レポート』 Amazon


39.『大帝の剣』(夢枕獏)【江戸】【剣豪】 Amazon
 伝奇バイオレンスで一世を風靡した作者が、時代伝奇小説に殴り込みをかけてきた、記念すべき大作であります。

 主人公は日本人離れした容姿と膂力を持ち、背中に大剣を背負った巨漢・万源九郎。その剣を頼りに諸国を放浪する彼が出会ったのは、奇怪な忍びに追われる豊臣家の娘・舞。しかし彼女の体には、異星からやってきた生命体・ランが宿っていたのであります。
 かくて源九郎の前に現れるのは、徳川・真田両派の忍びに切支丹の妖術師、宮本武蔵ら剣豪、そして不死身の宇宙生物たち……!

 無敵の剣豪が強敵と戦うのは定番ですが、その敵が宇宙人というのはコロンブスの卵。そしてそこに「大帝の剣」を含む三種の神器争奪戦が絡むのですから、面白くないはずがありません。終盤には人類の歴史にまで物語が展開していく実に作者らしい野放図で豪快な物語です。

(その他おすすめ)
『天海の秘宝』(夢枕獏) Amazon


40.『押川春浪回想譚』(横田順彌)【幕末-明治】 Yahoo!ブックストア
 ハチャハチャSFを得意としながらも、同時に古典SF研究家として活動し、さらに明治時代を舞台としたSFを描いてきた作者。本作はその作者の明治SFの中心人物である実在のSF作家・押川春浪と、その弟子筋の若き小説家・鵜沢龍岳(こちらは架空の人物)を主人公とした短編集であります。

 明治時代の新聞の切り抜きを冒頭に掲げ、春浪自身が経験した、あるいは耳にした、この記事にまつわるエピソードを龍岳が聞くという聞くというスタイルの短編12篇を納めた本書は、いずれも現実と地続きの世界で起きながら、この世の者ならぬ存在がひょいと顔を出す、すこしふしぎな(まさにSF)物語ばかり。
 内容的にはあっさり目の作品も少なくないのですが、ポジでもネガでもない明治を、SFという観点から掘り起こしてみせたユニークな作品集です。

(その他おすすめ)
『火星人類の逆襲』(横田順彌) Amazon



今回紹介した本
寛永無明剣 (角川文庫)産霊山秘録 上の巻<産霊山秘録> (角川文庫)未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団 (講談社ノベルス)大帝の剣 1 (角川文庫)押川春浪回想譚 (ふしぎ文学館)


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 「寛永無明剣」 無明の敵、無明の心
 『未来S高校航時部レポート TERA小屋探偵団』 未来の少年少女が過去から現在に伝えるもの
 夢枕獏『大帝の剣 天魔望郷編』 15年ぶりの復活編
 「押川春浪回想譚」 地に足の着いたすこしふしぎの世界

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