2018.10.04

『忍者大戦 黒ノ巻』(その一) 本格ミステリ作家による忍者大戦始まる


 時代小説界に彗星の如く現れた謎の(?)一冊――時代小説の執筆はほとんど初めての本格ミステリ作家5人が、それぞれ趣向を凝らして忍者と忍者の死闘を描くという、非常にユニークなアンソロジーであります。ここでは一作品ずつ収録作品をご紹介いたしましょう。

『死に場所と見つけたり(安萬純一)
 かつての任務において、その身に深い傷を負った幕府の隠密・右門と相棒の雉八。もはや忍者同士の戦いは不可能と、平穏な小浜藩に派遣された右門は、そこで草の家に生まれた若者・韮山兼明を鍛えることになります。
 厳しい指導もあって、兼明が藩でも頭角を現し始めた頃、彼に下された草としての任務。それは薩摩藩からの暗号解読の鍵となる巻物を、城から奪取するというものでした。

 しかしその任務を伝えてきたのが、自分たちに遺恨を抱くかつての同僚、飛龍と黄猿であることに違和感を覚える右門と雉八。果たしてこの任務の陰には……

 巻頭を飾る本作は、セミリタイアした隠密という、捻りの効いた視点から描かれる物語。一線を退いたはずの老兵が思わぬ力を――という燃えるシチュエーションも実にいいのですが、そこに次代の草の若者を絡ませるのが、物語の深みを与えています。
 右門が抱える秘密の想い――それが昇華される結末が感動的であると同時に苦い後味を残してくれるのが、実に忍者ものらしい味わいと言えるでしょう。


『忍夜かける乱』(霞流一)
 泰平の時代に幕府隠密としての任務は失われ、金で工頼案人(くらいあんと)から雇われて任務をこなす影戦使位(えいせんしー)制の下、影戦人(えいせんと)として活躍する伊賀の忍びたち。今回の任務は、岡場所で腹上死した大洗藩主の死体を寺へ運ぶというものだったのですが――そこに他藩に雇われた甲賀の忍びたちが立ち塞がります。

 かくて繰り広げられる伊賀と甲賀の忍法合戦。伊賀側は狩倉卍丸の逆さ崩れ傘、九十九了仁斉の飛燕腹しずく、天滑新奇郎の陽炎浄瑠璃を繰り出せば、甲賀側は沼鬼泡之介の紅おろちの舞い、霧塚竜太夫の涅槃車が迎え撃つ忍び同士の死闘の行方は……

 バカミス界の第一人者たる作者が忍者ものを!? と思えば、想像以上にとんでもないものが飛び出してきた本作。
 まずギャビン・ライアルに謝りましょう、と題名の時点で言いたくなりますが、繰り出される珍妙な用語(当て字)や奇っ怪な忍法の数々にはただ絶句であります。(特に霧塚竜太夫の涅槃車は、もうビジュアルの時点でアウトと言いたくなるような怪忍法!)

 しかしその果てで明かされる捻りの効いた真実は実に皮肉で、忍者という稼業の空しさをまざまざと浮き彫りにしているように感じられます。この辺りの人を食った仕掛けもまた、作者らしいと言うべきでしょうか。


『風林火山異聞録』(天祢涼)
 幾度も繰り返された川中島の合戦の中でも、最も激戦だったと言われる第四次合戦。この合戦では、武田信玄の軍師であった山本勘助考案の啄木鳥戦法が上杉側に見破られ、一時は武田側が劣勢に立たされた――と半ば巷説的に語られます。

 本作はこの窮地に、実は忍びであった勘助が、己の秘術を尽くして単身上杉政虎(謙信)の首を狙わんと、最後の戦いを決意したことから始まる物語。
 路傍の石の如く、一切の気配を立つ忍術【小石】を用いて上杉の陣深くに潜入した勘助は、政虎を守る軒猿たちと死闘を繰り広げるのですが、その果てに現れた軒猿頭領の恐るべき秘術とその正体とは……

 実は本書で唯一、史実を中心として描かれた本作。勘助自身が忍びというのは、これは伝奇ものではしばしば見かける趣向ではありますが、本作で勘助が死闘を繰り広げるあの人物が忍びというのは、これはほとんどこれまで見たことがないという印象であります。

 しかし本作の面白さはそれに留まらず、勘助の闘志の源――信玄に寄せる忠誠心を軸に、勘助の生き様死に様を浮き彫りにしてみせたことでしょう。そしてその想いが川中島で最も良く知られたあの名場面で、見事に花開いた――そして信玄もそれに応えてみせた――結末は、壮絶なこの物語において、何とも言えぬ爽快な後味を残すのです。

 風・林・火・山それぞれを章題とした構成もよく、このアンソロジーにおいて最も完成度の高い作品ではないかと思います。


 残る二編については、次回紹介いたします。


『忍者大戦 黒ノ巻』(光文社文庫) Amazon
忍者大戦 黒ノ巻 (光文社時代小説文庫)

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2018.09.28

『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画


 今月発売の「ねこぱんち」誌12周年号に、『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』というトリビュート企画が掲載されています。『しろねこ荘のタカコ姐さん』の胡原おみ、『江の島ワイキキ食堂』の岡井ハルコ、『品川宿猫語り』のにしだかなの三氏がそれぞれ『猫絵十兵衛』を描くユニークな企画であります。

 「ねこぱんち」誌でも最古参の一つであり、看板作品である永尾まるの『猫絵十兵衛御伽草紙』。
 ところが今回の企画は、「作者不在!? 慌てた版元は、江戸で名うての代筆屋を三名呼び寄せた…」という設定――作者不在というのはちょっとドキッとさせられますが(そのためか、今回永尾まるによる作品の掲載はなし)、三者三様の作品を読むことができるのは、実に新鮮で楽しいものです。

 以下、一作品ずつ簡単に紹介しましょう。

「迷い猫」の巻(胡原おみ)
 『しろねこ荘のタカコ姐さん』が今号で完結の作者による作品は、同作の登場猫であるリクが江戸時代にタイムスリップしてしまうという、ある意味クロスオーバー作品。
 西浦さんのところに文字通り転がり込んだリクをニタと十兵衛が元の時代に返すために奔走することになります。

 そんな本作ではニタが西浦さんの前で口を利くという「おや?」という場面もあるのですが、そもそもの設定からして番外編ということで、気楽に楽しむべきなのでしょう。
 ちなみに本作、三作品の中では最も原作に忠実な絵柄で、特に原作の名物ともいうべき江戸の町を行き交う物売りの口上などの描き文字などもそっくりなのに感心であります。


「猫田楽がやって来た」の巻(岡井ハルコ)
 百代が十兵衛の長屋に落っこちてきたおかげで、十兵衛お気に入りの机が壊れて――という場面から始まる本作は、その混乱の最中に長屋を訪れた猫田楽社中が、さらに賑やかな騒動を起こすお話であります。

 十兵衛に助けられた常陸の猫王のお礼に舞を献上しに来たというこの三猫組、最初の二匹はよかったものの、最後の一匹・参太は落ちこぼれ。木の葉を花に変えるはずが、何故かハサミが、三ツ目入道が、牛が――とミスにしても不思議なものに変えてしまうのでした。
 自分には才能がないとその場を飛び出した参太に対し、「そのテの話が嫌いじゃねぇから」というちょっとニヤリとさせられるような理由で十兵衛とニタがいつものように一肌脱ぐ――という趣向ですが、愉快なのは参太の術の正体であります。

 いや流石にそれは強引では――と思わなくもないのですが、何ともすっとぼけた内容は、これはこれで猫絵十兵衛らしい楽しさだと思います。


「猫のみち」の巻(にしだかな)
 原作のサブレギュラーである猫又の雪白が暮らす伊勢屋を舞台とした本作、その伊勢屋に勤めるやはりサブレギュラーの徳二の同輩の小僧・喜作が偶然ねこの道に迷い込んでしまい、人間姿で舞っていたニタを目撃してしまい――という場面から始まるお話であります。

 すっかりニタに魅せられてしまった喜作は、仕事も上の空で、周囲から心配されたり気味悪がられたり――なのですが、その「憑かれた」というほかない喜作の描写が実にいい。
 見ためはごく普通のままに平然と暮らしていながらも、その行動は普通ではなく、目は明らかに現世のものを見ていない――という彼の描写は、異界を見て帰ってきた人間の姿として、非常に説得力が感じられるのです。

 原作でもしばしば異界や異界の者と人間の交流は描かれますが、どこかで明確に一線が画されている(あるいは人間はあくまでもこちら側にいて、向こう側の者がやって来る)印象があります。
 本作はそれが逆にこちら側の人間があちら側への一線を踏み出そうとしてしまう点が非常に面白く、この点だけでも、原作者以外の作家の手による作品が描かれた意味があると思います。


 その他、『10DANCE』の井上佐藤のイラスト寄稿1Pもありと豪華なこの企画。今度はぜひ、一冊丸ごとやって欲しい――などと言いたくなるような楽しい内容でありました。


「ねこぱんち」No.145 12周年号 (にゃんCOMI廉価版コミック) Amazon
ねこぱんち No.145 12周年号 (にゃんCOMI廉価版コミック)


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 「猫絵十兵衛 御伽草紙」第2巻 健在、江戸のちょっと不思議でイイ話
 「猫絵十兵衛 御伽草紙」第3巻 猫そのものを描く魅力
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 『猫絵十兵衛御伽草紙』第10巻 人間・猫・それ以外、それぞれの「情」
 『猫絵十兵衛御伽草紙』第11巻 ファンタスティックで地に足のついた人情・猫情
 『猫絵十兵衛 御伽草紙』第12巻 表に現れぬ人の、猫の心の美しさを描いて
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第14巻 人と猫股、男と女 それぞれの想い
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第16巻 不思議系の物語と人情の機微と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語

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2018.09.24

梶川卓郎『信長のシェフ』第22巻 ケンの決意と二つの目的と


 織田軍が上杉軍に大敗を喫したと言われる手取川の戦い。実はこの戦いの背後では信長と謙信が対面していた!? という、実に本作らしい展開の『信長のシェフ』。当然(?)そのお膳立てをする羽目となったケンですが、ようやく謙信にまで近づいたもの、まだまだ試練は続きます。

 諸大名による信長包囲網が狭まる中、迫る軍神・上杉謙信。しかし謙信に興味を持った信長は、「わしは謙信に会ってみようと思う」「よっておぬし武田勝頼に捕まってこい」と爆弾発言。

 今は上杉と同盟関係にある武田経由で謙信に接近し、信長の意思を伝えることとなったケンは、大奮闘の末に謙信に膳を出すまで漕ぎ着けるのですが――ここでまたもやというべきか、牢に入れられる羽目になります。
 その間にも、謙信と会談すべく単身動く信長。そしてその動きを知らぬ秀吉が独断で動き、信長の意志とは正反対に謙信の命を狙うことに……

 ここでサバイバルアクションものでお馴染みのアレを使って窮地を脱するケンにも痺れますが、インパクト絶大なのはここから。ついに対面を果たした信長と謙信が果たして何を語り合うのか――って、ええええ、何やってるの二人とも(というか謙信)!? と言いたくなる超展開が待っているのですから。
 ……いや、冷静に考えてみれば、これは戦国大名としてはごく当たり前、特にこの二人であれば当たり前にやりそうなイメージもある行動。そしてまた、実に本作らしい展開でもあるのですが、あまりにいきなりだったので困惑&大笑いしてしまいました。

 しかしその先に待ち受けるのは、これまた実にこの二人らしい和解、いや理解の姿。
 あまりに信長が通俗的なイメージどおりですし、格好良すぎる姿ですが、旧世代の権威の最後の継承者たる謙信と、その権威(の源)を打ち壊してきた信長の出会いとして、本作ならではの説得力を感じさせられます。


 そしてこの時代の移り変わりの象徴とも言うべき姿を目にしたケンもまた、ついに信長に対してある告白をすることになるのですが――そこから、ケンはついにある決意を固めることになります。
 そのために必要になる条件は二つ。一つは、今が西暦何年であるか確認すること。そうしてもう一つは、この時代にやって来たもう一人の現代人・望月を探すこと……

 一つ目については、正直なところ、今までわかってなかったの!? あれだけ細かい史実を知っているのに――という驚きはあるのですが、西暦と和暦の対比がわからないというのはある意味リアルといえばリアルでしょう。結局今回もその細かい史実の知識が解決に繋げるわけですが、そこに先の秀吉の独走のフォローと、そして実に意外かつ美味しそうな料理が絡む辺りも、本作らしいといえるでしょう。

 そして二つ目は、いずれ必ず語られるであろうと思われたものが、こう絡んでくるか、と少々驚かされたのですが――ここで物語はあの人物の最期に向けて動き出すことになります。
 その人物とは松永久秀――本作においては飄々としたしかし全く油断ならぬ老人として、そして何よりも、未来人の一人である果心居士こと松田と長らく行動を共にしていたと描かれる人物であります。

 史実では手取川の戦いとほぼ時を同じくして信長に反旗を翻し、その結果信貴山城に立て籠もることとなった久秀ですが、何と本作においては、久秀はケンとの対面を要求。
 ケンにとっては久秀は望月の手掛かりを知っているかもしれない数少ない人物、信長の信貴山城を開城させてこいという、なにげに無茶ぶりもあって、ケンは森長成(!)とともに、信貴山城に入ることになります。

 しかし久秀といえば、信長も欲した平蜘蛛の茶釜もろとも爆死したという、戦国史でも屈指のなんか凄い最期を遂げた人物。そんなところに乗り込んでいって大丈夫なのかどうか(というかその辺りの知識はなかったのかケン)。果たして――という、実にいいところで次巻に続くことになります。


 冷静に考えてみると、この巻の内容の背景となっている出来事は、信長自身が合戦に参加するわけでもなく、歴史に及ぼす影響としてもさまで大きくないものではあります。
 しかしだからこそ、その中で信長を、ケンを自由に動かし、物語を作ることができる――最近の本作は、初期のような勢いを感じるのですが、あるいはこの辺りの構図にその理由があるのかもしれません。

 本能寺の変まであと5年、それまでに何が描かれるのか、まだまだ楽しめそうです。


『信長のシェフ』第22巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 22 (芳文社コミックス)


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 梶川卓郎『信長のシェフ』第16巻 後継披露 信忠のシェフ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第17巻 天王寺の戦いに交錯する現代人たちの想い
 梶川卓郎『信長のシェフ』第18巻 歴史になかった危機に挑め!
 梶川卓郎『信長のシェフ』第19巻 二人の「未来人」との別れ、そして
 梶川卓郎『信長のシェフ』第20巻 ケン、「安心」できない歴史の世界へ!?
 梶川卓郎『信長のシェフ』第21巻 極秘ミッション!? 織田から武田、上杉の遠い道のり

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2018.09.23

伽古屋圭市『ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人』 名作が導く二重構造の大正ミステリ


 デビュー以来、大正時代を舞台としたミステリを中心に活躍してきた作者による、新たな大正ミステリであります。神保町の古書店を舞台に、奇妙な日常の謎を無頼派の店主と好奇心旺盛な使用人の少女が解き明かす、なかなかユニークな連作です。

 関東大震災で職を失い、新たな働き口を求めてさまよう少女・石嶺こより。あちこちで断られた末に、最後に彼女が訪れたのは、神保町の古書店街の裏通り――その路地の奥にある古書店「ねんねこ書房」でありました。
 しかし無愛想な店の主人・根来佐久路からも門前払いされそうになったこよりは、佐久路のもう一つの稼業――萬相談に客が来たのをきっかけに、試験代わりに客の相談の背後にあるものを推理することになるのでした。

 同居する古書店員の兄が、夜毎大きなランプを手に出かけていくのを不審に思った少女の依頼。その兄の行動のヒントだと、佐久路はこよりに、芥川龍之介の『羅生門』(それも春陽堂の『鼻』収録版)を佐久路から渡されるのですが……


 この第1話を皮切りに、全5話で構成される本作。元気な少女が、気難しい(でも本当は心優しい)店主が営む小さな店に勤めることになって――というのは、これは今般のライト文芸では定番中の定番、そこにさらにミステリの要素が加わればなおさらですが、しかし本作ならではの独自要素を見逃すわけにはいきません。

 その一つが、関東大震災後の東京――大震災によって一度は灰燼に帰したものの、ようやく復興しつつある東京――という舞台背景であることは、もちろん間違いありません。
 しかしそれ以上にユニークなのは、ミステリとしての本作のスタイルにあるといえます。そう、変形の安楽椅子探偵とも言うべきスタイルに。

 古書店のほかにわざわざ萬相談――一種の探偵業を営むだけあって、佐久路は玄人はだしの推理力の持ち主。依頼人たちが持ち込む相談事の真相を、わずかな手がかりから、ほとんどあっという間に解決する――のは無理な場合でも、こうであろうという目星をつけてしまうのです。
 そしてその助手として、実際に証拠集めや調査に赴くのがこよりの役目なのですが、面白いのは、佐久路がこよりに対しても、謎解きを求めることであります。

 もちろんこよりはごく普通の少女、佐久路並みの推理は求めるべくもありませんが、佐久路は彼女にヒントを――それも「本」という形で示します。上で述べた芥川龍之介『羅生門』のほかにも、黒崎涙香『幽霊塔』、谷崎潤一郎『秘密』、村井呟斎『食道楽』、永井荷風『ふらんす物語』といった本を。
 この本と、そしてそれを手渡すときの佐久路の言葉をヒントに、こよりが佐久路の解いた謎に挑む――いわば本作は、二重構造のミステリと言えるのです。

 収録されたエピソードは、基本的にはいわゆる「日常の謎」がその大半を占めます。それ故に事件性は高くありませんが、この二重構造によって、物語に一定の緊張感がうまれ、そして(古)書店を舞台とする意味も生まれていると言えるでしょう。
(そしてまた、それまでほとんど本に触れたことがなかったこよりが、推理のために本を読んだことで感じる初々しい感動がまた良いのです)

 ちなみに表題作である最終話「文豪の訪ね人」は、その中で謎解きのヒントとなる『ふらんす物語』の作者である永井荷風が依頼人という一風変わったエピソード。
 荷風が可愛がっていたカフェーの女給が行方不明となったことに始まるこのエピソードは、大震災後という舞台の意味、ミステリとしての面白さ、そして有名人の登場という点もあって、表題作にふさわしい内容と言えるでしょう。


 このようにユニークな本作ですが、これまでの作者の大正ミステリを追ってきた読者としては、いささか残念な点もあります。
 それはミステリとしてだいぶおとなしいこと、とでも申しましょうか――作者の作品の多くでこれまで描かれてきた、全編を通じて仕掛けられる大きな謎やどんでん返しが本作になかったことが、いささか不満です。

 もちろん本作にも全編を通じての背骨とも言うべき謎は存在するのですが、少なくとも本作の時点ではそれが有機的に機能していたという印象は小さく、もっと刺激が欲しかった――というのが正直な印象です。
 あまり過激なものばかりを求めるのは、読者としてもあまり良くないことだとはわかってはいるのですが、この作者ならば、とついつい期待してしまったところであります。


『ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人』(伽古屋圭市 実業之日本社文庫) Amazon
ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人 (実業之日本社文庫)

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2018.09.05

重野なおき『信長の忍び』第14巻 受難続きの光秀を待つもの


 長篠の戦いも終わり、天下布武に王手をかけた――というのはまだ気の早い話で、本願寺や毛利といった勢力によって、三度包囲されることとなった信長。千鳥もまた大忙しでありますが、しかし今回物語の中心となるのは光秀であります。相変わらず苦労人の彼を次から次へと襲う苦難とは……

 長篠の戦いで強敵・武田家に壊滅的な打撃を与えた信長。もはや自分が前線に出ることはない、と配下の武将により各地方を攻略・統治させる方面軍構想を取り、自分は(形の上とはいえ)信忠に家督を譲って安土城にて睨みを効かせるという体制を取ることになります。

 その方面軍の一つとして丹波攻略に向かうこととなったのが光秀。丹波の赤鬼と異名を取る赤井直正を攻略することとなった光秀は、信長の軍門に下った波多野秀治を味方として、籠城した赤井を攻めるのですが――前の巻で「光秀挫折編」と予告されているのですから、ただですむわけがありません。
 目にハイライトがなくてどうみても怪しい――と、光秀以外はみんな気付いていたある人物の裏切りにより、光秀は一転窮地に立たされることに……

 一方、この丹波攻略戦でも示されたように、まだまだ信長に服さぬ勢力は数多存在します。宿敵の一つである本願寺、まだ見ぬ西国の強豪・毛利。さらには軍神・上杉謙信までもが動きだし――いわば第三次信長包囲網が形成されることになります。
(その背後には、これはこれでスゴいよな、と言いたくなるあの人物の影もあるのですが、それはさておき)

 そしてその中でも反信長の最右翼と言うべきは、かつて信長によって長島で無数の門徒を撫で斬りにされた本願寺教如。本願寺に籠城する形となっている教如ですが、鉄砲を扱えば無敵の雑賀孫市率いる雑賀衆、そして毛利とも密かに結び、備えは万全であります。
 一方、信長の方も、この宿敵と一気に決着をつけんと兵を動かし、ここに天王寺の戦いが――あれ、天王寺といえば確か、と思っていれば、ここで「光秀救出編」のナレーションが!

 そう、天王寺の戦いといえば、攻め手の一人であった光秀が、思わぬ味方の劣勢によって天王寺の砦に寡兵で立てこもることとなり、その救出に信長本人が駆けつけた戦い。そしてその中でおいて信長は――と、またもや光秀を不幸とストレスとプレッシャーが襲うことになります。
 
 そしてそんな光秀のメンタルにトドメを刺すように、彼を更なる、最大の不幸が襲うことに……


 というわけで、内容的にはほとんど完全に光秀が主役という印象の第14巻。ああ、あと6年でアレだしね――というのは言いすぎにしても、ここで描かれる光秀の一挙手一投足が、フラグに見えてしまうのも無理はないことでしょう。
 しかしこの巻で描かれる信長と光秀の主従関係は悪くない――というよりかなり良好。何度も窮地に陥る光秀を、得難い臣として赦し、救おうとする信長の姿からは、6年後のアレに繋がるような空気は感じられません。

 ……と言いたいところですが、何とも不吉に感じられるのは、信長が寛大さを見せれば見せるほど、光秀が追い詰められていくように見えるところでしょう。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、信長を下げて――失敗はしても理不尽はしないというような形で――描くことがほとんどない本作では、アレは光秀側の(一方的な)理由で起きるような予感があって、正直これは外れて欲しいのですが……
 この巻のラストで光秀が失うある人物の言葉も、何となくフラグに感じられるのが不安になってしまうところであります。

 などと、何となく光秀びいきの気分になってしまうのは、信長だけでなく敗者の側も下げない本作ならではのマジックでしょうか。


 しかしもちろんそれはこの先の話。いまだ本願寺は、そしてその中でも最強の敵と言うべき孫市も健在の中、先の見えない戦いが続くことになります。
 果たしてこの戦いがいかなる決着を迎えるのか、そしてそこに至るまでにいかなるギャグが描かれるのか――まだまだ見所は尽きません。
(ちなみにこの巻では、光秀救出に向かった信長に尽き従う顔ぶれネタに大笑いしました。史実なんですが……)


『信長の忍び』第14巻(重野なおき 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
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 重野なおき『信長の忍び』第11巻 泥沼の戦いと千鳥の覚悟、しかし……
 重野なおき『信長の忍び』第12巻 開戦、長篠の戦 信長の忍びvs勝頼の忍び
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2018.09.04

あさのあつこ『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』 名手の意外な顔を見せる暴走コメディ


 さる藩の江戸屋敷の奥向きを舞台に、奉公に上がった町娘と、実は正体は猫の奥方をはじめとする人々(?)が繰り広げるスラップスティックコメディ時代劇――招き猫文庫『てのひら猫語り』に冒頭が収録され、「WEB招き猫文庫」で約2年半連載された、最後の招き猫文庫ともいうべき作品です。

 幼い頃から常人にはない感覚があったことから周囲に奇異な目で見られ、嫁入りが遅れた呉服屋の娘・お糸。行儀見習いとほとぼりを冷ますために彼女が奉公することになったのは三万石の小藩・鈴江藩の上屋敷――そこで藩主の正室・珠子に仕えることとなったお糸は、すぐにとんでもない秘密を知ることになります。
 実は珠子の正体は猫――猫族なんだけどちょいと不思議な一族の姫である彼女は、藩主・伊集山城守長義に一目惚れした末に、人間に化けたりアレコレしたりして、見事正室に収まり、今は一女を授かっているというのです。

 そんな珠子に一目で気に入られ、腹心の上臈にして虎女の三嶋とともに、珠子近くに仕えることとなったお糸。
 自由な気風の珠子たちに触れ、珠子の娘・美由布姫の可愛らしさに癒やされ、珠子の父で一族の長・権太郎に振り回され――楽しい時間を過ごすお糸ですが、しかし鈴江藩には大変な危機が迫っていました。

 かねてより藩主の座を狙っていた長義の叔父・利栄が暗躍を始め、珠子を正室の座から引きずり下ろそうとしていた――のはまだいいとして、利栄の背後には、鈴江藩征服とちょいと不思議一族滅亡を目論む妖狐族が潜んでいたのであります。
 国元から利栄とともに江戸にやって来た妖狐族に対し、珠子の、そしてお糸の運命は……


 児童文学からスタートしつつも、時代小説においても既にかなりのキャリアを持つ作者。その作品は、基本的に市井に生きる人々を中心にした、かなりシビアでシリアスな内容のもの――というイメージは、本作において完全に吹き飛ぶことになります。
 何しろ本作の登場人物は皆テンションが高い――そしてよく喋る。その内容もほとんどがギャグかネタで、とにかく一旦会話が始まると、それで物語が埋め尽くされてしまうのであります。

 特に権太郎は、齢六千歳という重みはどこへやら、あやしげな洋風のコスチュームで登場しては、片言の英語やフランス語を交えてあることないこと喋りまくる怪人。このキャラが出てくると物語の進行がピタリと止まるのを、何と評すべきでしょうか。
 その権太郎に対する三嶋の容赦ないツッコミや、珠子と長義のバカップルぶりも負けずにインパクト十分なところですが、唯一の常識人というべきお糸も、テンションが上がると子供の頃に覚えた香具師口調でポンポン啖呵を切るという……

 いやはや、生真面目な時代小説ファンあるいは作者のファンであればきっと怒り出すであろう内容なのですが――しかし とにかく、片手間やページ塞ぎでやっているとは思えぬほどの台詞量を見れば、これはやっぱり作者が楽しんで書いているのだろうなあ、と感じさせられます。
(個人的には、天丼で繰り返されるお糸のやけに良い発音ネタがツボでした)

 そしてまた、こうした台詞の煙幕の陰に、何かと不自由な時代、女性が何かと苦労を強いられた時代において、それでも自分らしさを、自分自身が本当にやりたいことを見つけたいというお糸の痛切な想いが透けて見えるのは、これは正しく作者ならではと感じます。

 その想いは、あるいはあまりに現代人的に見えるかもしれませんが、しかし何時の時代においても若者が――何ものにも染まらない自由な心を持つ若者が望むものは変わらないというべきなのでしょう。
 野望だ陰謀だと言いつつ、実は単に時代と世間に雁字搦めになっているだけでしかない連中に対して、この時代から見れば常識はずれのちょいと不思議一族とともに挑む中で、そんなお糸の想いはより輝きを増して見えるのです。

 ……などと格好良いことを言いつつも、やはり台詞とギャグに押されて物語があまり進行しない――作品の分量の割りに物語の山谷が少なく感じられてしまうのは非常に残念なところではあります。だからといって本作の最大の特徴を削ってしまうわけにもいかず――なかなか難しいものではあります。


 ちなみに本書はソフトカバーの単行本で刊行されましたが、冒頭に述べたとおり、元々は招き猫文庫レーベルの一つとして発表された作品。同レーベルがだいぶ以前に休した今、これがまず間違いなく最後の招き猫文庫作品と思うと、レーベルの大ファンだった身としては、別の感慨も湧くのであります。

『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』(あさのあつこ 白泉社) Amazon
にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳


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2018.08.09

霧島兵庫『信長を生んだ男』 等身大の青年・織田信行が下した決断


 織田勘十郎信行(信勝)といえば、信長と母を同じくする弟でありながら、謀反を企てた咎で、若くして兄に誅殺されたと言われる人物。悪役として描かれることも少なくない信行を、本作はこともあろうに覇王信長を「生んだ」男として描く、ユニークにして熱く切ない物語であります。

 若き日は「うつけ者」として知られた信長とは対照的に、折り目正しい優等生的人物であったと評される信行。信長を疎んじた母・土田御前に溺愛されたと言われる人物ですが、本作の前半部分は、基本的にこの人物像を踏まえた形で始まることとなります。

 自分とは正反対の性格のうつけ者でありながら、自分よりも父に認められている信長に反発心を抱き、その力を見せるべく、初陣に臨んだ信行。しかしその結果、五十人もの精兵を失った彼は、頬に負った傷以上に深い傷を心に負うのでした。
 そして志半ばに病に倒れた父が、兄を後継に指名し、その葬儀で信長の挑発を受けたことから、いよいよ反感を抱く信行。信秀亡き後の内訌が絶えぬ尾張で、信行の鬱屈は高まっていくことになります。

 そんな中、兄の正室・帰蝶の口添えもあり、ひとまず兄の側に立つ信行。しかし兄の別働隊として敵にあたることとなった戦で、奮闘空しく追い詰められた末、あわやのところで信行は兄に救われることになります。
 屈辱に震える信行ですが、しかし兄が密かに自分のことを買っており、運命を共にする覚悟であったことを知った彼は、ついに信長こそが天下に号令するに相応しい「虎」であることを悟ります。

 そしてついに長きにわたる対立のしこりを洗い流した信行。彼は信長を支える黒衣の宰相、虎を支える「龍」となることを誓い、兄と手を携えて天下に挑むことに……
 と、ある意味意外な、その後の歴史を覆しかねない展開を迎える本作。ここまでが物語の前半、後半では信長を扶けるため、密かに汚れ役を買って出る彼の姿が描かれることとなります。

 兄と帰蝶と三人、強い絆に結ばれて天下を望む信行。しかし一向に尾張の混乱は収まらず、その中で信行は信長の決定的な弱点――その不羈奔放な顔の下の、優しさ・甘さの存在に気付くことになります。
 そしてある出来事をきっかけに、自分に時間が残されていないことに気付いた彼は、信長を覇王に変え、尾張を固めるために、ある覚悟を固めるのですが……


 冒頭で述べたように、過去の作品では悪役として、あるいは凡愚な人物として描かれることが少なくなかった信行。それは型破りな信長が、桶狭間の戦で天下に躍り出る直前の、ある意味踏み台としての役割を負わされていた、と言えるかもしれません。
 しかしその信行を、本作は史実を踏まえつつも巧みに肉付けし、大望を抱き、肉親の愛を求めつつも、どちらも得られずに苦しみもがく等身大の青年としてまず描きます。

 そんな彼が、理想と現実の間で悩み、そして自らの背負ったものの大きさに苦しむ姿は、中身こそ大きく違えど、誰もが思い当たるものでしょう。だからこそ、彼が自分と信長の器の大きさの違いを思い知った時の衝撃を、その後に訪れる和解の感動を、読者は我がことのように感じ取れるのであります。
 ……そしてその後に待ち受ける、あまりに残酷で哀しい運命を知った時の絶望を、それでも自らの成すべきことを成そうと重すぎる決断を下した彼の覚悟の尊さをも。

 正直なところ、題名と主人公を見れば(さらに序章を読めば)、本作がどういう結末を迎えるかは、ある程度予測できるところではあります。
 それでも本作が単なるイイ話で終わらず、読者の心を大きく揺り動かしてくれるのは、二転三転する状況を描く物語構成の妙に依るのは言うまでもありませんん。
(特に終盤において、ある歴史上の謎に衝撃的な形で答えを提示するくだりの見事さ!)

 しかし本作はそれだけでなく、上で述べたような等身大の青年・信行の人物像と、そこに戦国時代に生を受けた男同士――それも最も近しいところにいる兄弟――という信長と信行の関係性を中心に物語を描く点が素晴らしい。
 さらには帰蝶というファムファタール的な存在(彼女があくまでも常識的な心を持った女性であることが、二人を救い、そして二人を苦しめるのがまた見事)を巧みに絡めてみせた点も大きいと感じます。

 配下との交流のくだりなど、些かセンチメンタルに過ぎるように感じられる部分はありますが――それでも、史実を史実として描きつつ、その中で意外な物語と、深く共感できる人物像を描いた点が大いに評価できる、歴史小説の佳品であります。


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信長を生んだ男

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2018.07.23

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その二) 新たに「八犬伝」を描く二つの視点


 『真田十勇士』の松尾清貴による新たな『南総里見八犬伝』リライトの第1巻の紹介の後編であります。本作を特徴付ける二つの視点の一つ、「正しさ」に対する視点。「正しさ」故に苦しむ人々とは……

 犬との約束を守り大事なものを義実と伏姫、侫人から息子と主君の宝刀を守るために自刃した番作、父の想いを継ぎ武士として立身するために浜路を捨てることとなった信乃。時として愚直に過ぎるその行動は、彼らにむしろ不幸をもたらすことになります。

 本作の前半と後半のそれぞれ中心人物である義実と信乃。二人の行動は、人としてみれば誤っているようにしか見えない時もあるのですが――しかしそれもまた彼らとしての人の道を貫こうとしたためであります。
 たとえば本作の中で義実が八房に伏姫を与えるくだりで、「この国の逆賊たちは人の道から外れていた。(中略)だから、愛する娘を犠牲にしても、人の道を外れられない。人の道を歩むために義実は人でなしの決断を下そうとしていた」とあるように。

 原典はそれを当然のことと受け止めているようにも感じられますが――なぜ正しさが人を苦しめるのか、なぜ正しい者が正しく生きられないのか? それを本作は抑制の効いた筆致で、随所で問いかけていると感じられます。


 そしてもう一つは、本作における「結城合戦」の存在であります。実は本作の前半と後半の最初の章題は、ともに「結城落城」。これは義実と番作の二人が、ともに結城城から落ち延びてきたことを考えれば、当然といえば当然とも思えますが……
 しかし作者はTwitterでこの合戦を評します。「永享の乱の後日談というだけでなく、単なる局地戦とも言えない。重要な歴史の分岐点のひとつ」と。だとすれば、それが単なる背景として済ませられるものではないといえるでしょう。

 鎌倉公方・足利持氏が関東管領・上杉憲実、そして将軍義教と対立した末に滅ぼされた永享の乱。そして持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じる勢力が結城城に籠城した結城合戦。こうしてみれば確かに結城合戦は永享の乱のエピローグ的印象がありますし、そしてまた、武士が幕府を開いて以来無数にあった、中央と地方の争いの一つに過ぎないとも見えます。
 しかしこの結城合戦、実は永享の乱よりも戦いの規模と期間は大きく、長く――特に一年以上の籠城を繰り広げた点においては史上希な戦いであったとも言えるのであります。

 そして鎌倉公方が滅ぼされ、関東管領の力が大きく増したこと、勝った義教がその戦勝会(として招かれた席)で討たれるという、前代未聞の事件が起きたこと等を考えると、(後者は間接的なものであれ)地方と中央の関係、将軍の権威というものを大きく揺るがし、関東における戦国時代の端緒を作った――そう解することもできるでしょう。

 戦国時代がもたらした、あるいは戦国時代をもたらした概念に「下克上」があります。下の者が上の者に逆らい、取って代わる――あるいは当時の社会の、いや世界の則を根底から覆すこの概念が生まれるきっかけの一つがこの結城合戦(の終結)と言えるのかもしれません。
 だとすれば、そこから始まる『南総里見八犬伝』という物語は何を描いているのか? そこに先に述べた、正しい者が正しく生きられない物語の姿を重ね合わせた時、浮かび上がるものがあると感じられます。


 作者はその『真田十勇士』において、戦国時代の終わりと、それによって個人が天下という概念に取り込まれていく様を描きました。それに対して本作で描かれるものは、戦国時代の始まりと、それによって大きく揺り動かされる社会と個人のあり方なのではないか――そう感じられます。。
 しかし『南総里見八犬伝』という物語を原典に忠実に描きつつ、この視点を織り込んでいくことは並大抵のことではないと言えます。それでも私は、この作者ならばできると全幅の信頼を寄せてしまうのです。

 少なくともこの第1巻においては、本作が原典に忠実でありつつも巧みな補足を加えた『南総里見八犬伝』リライトとしての面白さと、作者独自の視点から歴史を読み解くを持つ歴史小説、二つの面白さを兼ね備えていることは間違いありません。
 第2巻以降にも心から期待する次第です。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
南総里見八犬伝 結城合戦始末


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2018.07.22

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その一) 定番の、しかし抜群に面白い「八犬伝」リライト


 その強烈な伝奇性と史実への独特の視線により、児童書の域を遙かに超えた作品となった『真田十勇士』の松尾清貴が次に描くのはあの伝奇小説の源流たる『南総里見八犬伝』――その第1巻である本作は、想像以上に原典に忠実でありつつも、しかし作者ならではの独自の視点を持つ作品であります。

 結城城が落城し、幾多の犠牲を払って安房に落ち延びた里見義実。彼は主君・神余光弘を謀殺して苛政を引く山下定包を討ち、はじめ光弘の、後に定包の愛妾となった美女・玉梓を斬首することになります。
 それから十数年後、妻を迎え一女一男の父となった義実は、飢饉に乗じて隣国の安西景連の侵略を受け、もはや落城寸前の状況まで追い込まれることに。娘の伏姫の愛犬・八房が景連の首を取るという僥倖に恵まれ勝利を収めた義実ですが、八房の望む褒美は伏姫でありました。

 一度口にした約束を違えるわけにはいかないと八房とともに城を去り、深山で暮らす伏姫。時は流れ、八房の気を受けて懐妊した伏姫は、山に入った金碗大輔と義実の前で潔白を示すため自刃、その胎内から出た白気とともに、仁義礼智忠信孝悌の玉は各地に散ることに……

 一方、結城城が落城し、幾多の犠牲を払って大塚に落ち延びた犬塚番作。彼は姉夫婦に所領を奪われながらも争うことなく、妻とともに静かに暮らし、やがて息子の信乃を授かります。しかし運命は信乃から母を、そして父を、愛犬を奪い、彼は敵とも言うべき叔母夫婦に引き取られるのでした。
 孤独のうちに暮らす信乃ですが、叔母の家の使用人・額蔵こと犬川荘助が、自分と同じ痣を持ち、同じ珠を持つことを知った彼は、義兄弟の契りを交わすことになります。

 成人した信乃は、父が命を賭けて守った足利の宝刀・村雨丸を手に、許嫁の浜路を振り切って古河公方・足利成氏に旅立つものの、しかし信乃、そして浜路にそれぞれ悲劇的な運命が降りかかります。そして足利家の家臣に追われ、芳流閣に登った信乃の前に現れたのは……


 というわけで、伏姫と八玉の因縁、そして信乃の成長と受難を描く本作。「八犬伝」でいえば冒頭も冒頭、そして様々な「八犬伝」リライトにおいて、ほとんど全く欠かすことなく描かれる、定番中の定番の部分です。
 正直なところ、「八犬伝」と見ればすぐに飛びつくような私のような人間にとってみれば、もう何度も何度も読まされて食傷気味の部分なのですが――しかしこれが抜群に面白いのであります。いやむしろ、「八犬伝」はこれほど面白かったか、と今更ながらに再確認させられるほどに。

 といっても本作は、原典の内容から、大筋では、いやかなり細かい部分まで、ほとんど変更を加えていません。他のリライトであれば流されそうな部分まできっちりと拾っており、一瞬訳書かという印象すらあります。
 しかし本書は少しずつ、極めて巧みに、作中の描写を、特に人物の心情描写を補うことにより、伝奇小説の古典中の古典を、現代の我々が読んでも面白い物語に――言い換えれば我々の心を、感情を大いに動かす物語として成立させているのです。

 それは作者独特の抑制の利いた、しかしロマンティシズムに満ちた述懐ともいうべき文章(例えば冒頭、結城城から落ち延びた義実が雨の夜空に白龍を見るくだりの美しさ!)によるところが大きいと言えますが、それ以上に印象に残るのは、本作ならではの二つの視点です。

 その一つは、「八犬伝」側に立つ登場人物の姿とその辿る運命を、「正しさ」という点から見つめ、語ることであります。
 「八犬伝」といえば必ずといってよいほど語られる言葉「勧善懲悪」――すなわち、「八犬伝」は、善と悪、正と邪が明確に色分けされた物語と言えます。しかし、八犬士側の登場人物――善の側の人々は、その「正しさ」故に苦しむ姿が、しばしば描かれることになります。

 それでは本作は「正しさ」を如何に描くのか――いささか中途半端な箇所で恐縮ですが、長くなりましたので次回に続きます。


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2018.07.18

廣嶋玲子『妖怪の子預かります 6 猫の姫、狩りをする』 恐ろしくも美しき妖猫姫の活躍


 妖怪の子供専門の子預かり屋になってしまった少年・弥助を主人公とする妖怪時代小説シリーズ、絶好調の第6弾であります。しかし本作では弥助は脇に回り、意外なキャラクターが主役を務めることになります。それは王蜜の君――美しき妖猫族の姫が人間界で巻き込まれた(首を突っ込んだ)事件とは……

 子供の世話に苦労するのは人間も妖も同じ、時には誰かの手を借りたくなるもの――というわけで今日も今日とて妖怪の子預かり屋として奮闘する弥助。すっかり妖たちの間では有名人となった彼の周囲には、時に大妖クラスの妖が現れることがあります。
 その一人が王蜜の君――見かけは美しい少女ながら、気まぐれで騒動好き、そして何よりも悪人の魂をコレクションするのが趣味という、剣呑極まりない猫妖の姫であります。

 これまでも時折弥助と同居人の元・大妖の千弥の前に現れていた王蜜の君ですが、今回は、配下の猫(妖)たちが人の側にいたがることに興味を抱き、人とはそれほどに良いものかと、猫に化けて人間界に現れることに。
 そして彼女が強引に押し掛けたのは――そう、弥助の長屋。千弥には猛烈に嫌な顔をされても一向に構うことなく、猫生活をエンジョイする王蜜の君ですが、しかしその頃、江戸では猫にまつわる悍ましい事件が続発していたのであります。

 それは猫首なる呪い。猫塚に猫四匹の首を捧げれば、何でも望みを叶えることができる。憎い憎い相手を破滅させることも――そんな、はじめは町の片隅で囁かれていた噂が、やがて町中に広がり、ついには猫首の呪いによる犠牲者が出るようになのであります。
 しかしそんな状況を――いや、その生贄とされるのが猫という状況を――猫の守り手たる王蜜の君が見逃せるはずもありません。

 かくて、王蜜の君は、一連の事件を引き起こした者を捕らえ、裁きを与えるべく「狩り」に乗り出すことに……


 個性的な妖が幾人も登場する本シリーズですが、その中でも私が個人的に最も注目していたのが、今回の主役・王蜜の君でした。いえ、単に自分が猫好きだからというのではなく――(これは以前にも何度か申し上げたかもしれませんが)彼女にはモチーフとなったと思われるキャラクターがいるからなのです。

 作者の比較的初期の作品に、『鬼が辻にあやかしあり』という児童文学のシリーズがあります。江戸の魔所・鬼が辻に潜む強大な妖が、人間の訴えに応えて、凶悪な悪人たちを退治するという物語なのですが――しかしこの妖は別に正義の味方ではなく、その目当ては悪人の魂。悪人の魂を集め、愛でることこそが、この妖――妖猫の姫・白蜜の君の目的なのです。

 そう、明言されているわけではありませんが、本作の王蜜の君のモチーフとなっているのは、間違いなく白蜜の君(何しろ本作で王蜜の君が猫に化ける時の名は「白蜜」なのですから……)。
 惜しくも3作しか発表されていない『鬼が辻にあやかしあり』ですが、その児童文学らしからぬ(そして実に作者らしい)ホラーぶりが大好きだっただけに、本シリーズに王蜜の君が登場した時には、私は小躍りしたくなったくらいなのであります。


 と、個人的な話が長くなってしまいましたが、とにかく主役を張るだけのポテンシャルは十二分に備えている王蜜の君。
 「猫」に対する我々人間のイメージ――可愛らしさ、しなやかさ、気ままさ、残酷さ、神秘性などなど――を何百倍にも凝縮したような彼女の存在は実に魅力的であります。いや彼女だけでなく、本作に幾匹となく登場する猫たちもまた……

 そして猫たちが魅力的であればあるほど、その猫たちを虐げ、傷つける人間たちの身勝手さ、非道さには、怒りを覚えざるを得ません。この辺りは人間の負の側面を描くに存分に筆の冴えを見せる作者ならではというべきでしょう。
 ラストに明かされる、ある意味実に皮肉で、そして悍ましい猫首の呪いの真実にもまた、その負の側面はこれでもかと込められているのであります

 しかしご安心を。全ては因果応報、そんな人間たちに罰を下し、悪人を狩る存在が、本作にはいるのですから……


 そしてラストには、前作の主役であり、めでたく華蛇族の姫君と結ばれた久蔵のその後の姿を描く前作と本作共通の後日譚が収められているのも嬉しいところ。
 既に第7弾の刊行も決まっているとのことですが、まだまだ面白くも恐ろしく、魅力的な妖と人の物語を楽しませていただけそうです。


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猫の姫、狩りをする (妖怪の子預かります6) (創元推理文庫)


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