「江戸宵闇妖鉤爪」(その二) 人間豹、江戸に消ゆ
江戸川乱歩「人間豹」を原作とした歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪」の感想、続きであります(以下、本作や他の作品の核心に触れる部分がございますのでご注意)。
さて、本作を乱歩ファンが見た時に驚くべきは、原作にない、本作ならではの独自展開を、他の乱歩作品を引いて作り上げている点でしょう。
原作では「永遠に解きがたき謎」とすら記されて、ついぞ明かされることのなかった人間豹・恩田の正体。それが、この「江戸宵闇妖鉤爪」の中で語られるのです。
人間豹の正体――それは、百御前によって幼い頃に体を作り替えられ、ケモノの姿を与えられた男でありました。
それだけではなく、百御前は自分が集めてきた赤子たちも同様に改造し、奇形の世界を作り出していたのでありました。
…と言えば、乱歩ファンであれば驚く方、あるいは頷かれる方も多いでしょう。この件は、乱歩の「孤島の鬼」をベースとしているのですから。
さらに驚かされるのは、こうして生み出された子供たちが、浅草奥山の見世物小屋で働かされているという設定。
かつての日本に限らず、世界各地で見られた見世物小屋の実状についてここでは触れませんが、そこで時には人道的ではない行為があったことはしばしば語られる話。
そのため現代では一種タブーとされている世界を、ここで変化球とはいえ題材として描いたきたのには、ちょっとどころではなく驚かされました。
しかしながら――ここで再確認させられたのは、歌舞伎というメディアが持つ特殊な作用であります。
生々しい人間の欲望も残忍無惨な殺人も、いい意味で現実味が薄れ、まるで絵草紙の中の物語のように見えてくるという歌舞伎独特の作用――そして、乱歩作品にもこうした性格は少なからずあるのですが――が、ここでは働いており、思ったよりもどぎつくは感じられなかったのが、興味深いところでありました。
閑話休題、この人間豹・恩田の出自の設定は、ある意味当然のことながら、その後の物語の内容にまで影響を与えることとなります。
恩田は明智との対決の中で語ります。
親に捨てられ無惨な怪物に変えられた子が親を憎んでどこが悪い、人を呪ってどこが悪い。人の面をして獣の心をもった悪人どもがゴマンといるこの世に俺を裁く掟はない…と。
もっとも、この辺りは、正直なところ、原作読者の間では、大きく賛否が分かれるのではと――そしておそらく後者の方が多いのではと――強く感じます。
私個人としても、謎めいた怪物・人間豹が説教めいた言葉を口にするのには、些か違和感を感じないでもありません。
しかし同時に――本来暴力と怪奇の化身たる人間豹が、己の凶行の理由として斯様な言葉を口にしたこと自体、彼が、彼の否定する人間性に敗北したとも取れるのではないか…そう感じたのも事実です。
実は、私の座ったのは二階席で、宙乗りの経路のほとんど真横でした。自然、宙乗りで消えていく染五郎の、人間豹の姿は、頭から爪先まではっきりと見えたのですが…
私の目に映った彼の表情は、台本には「哄笑とともに」とあったにも関わらず、むしろ悲しげに歪んでいたように見えたというのは、いささかセンチメンタルに過ぎるでしょうか。
斯様に、単に話題性のみに寄りかからず、作品に新しい要素を加えて物語性を広げてみせた本作。
その試みは、必ずしも評価されるものばかりではない(上で述べたほかにも、人間豹の存在を幕末の混乱に結びつけるのは、少々苦しかったと感じます)かもしれませんが、歌舞伎ファンとして、乱歩ファンとしては、大いに興味深く、かつ楽しく拝見させていただきました。
まだまだ乱歩作品には、歌舞伎の題材となりそうな素材が山のように眠っているのではと感じているところ、江戸の明智小五郎の再登場を、期待する次第です。
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