2018.09.05

重野なおき『信長の忍び』第14巻 受難続きの光秀を待つもの


 長篠の戦いも終わり、天下布武に王手をかけた――というのはまだ気の早い話で、本願寺や毛利といった勢力によって、三度包囲されることとなった信長。千鳥もまた大忙しでありますが、しかし今回物語の中心となるのは光秀であります。相変わらず苦労人の彼を次から次へと襲う苦難とは……

 長篠の戦いで強敵・武田家に壊滅的な打撃を与えた信長。もはや自分が前線に出ることはない、と配下の武将により各地方を攻略・統治させる方面軍構想を取り、自分は(形の上とはいえ)信忠に家督を譲って安土城にて睨みを効かせるという体制を取ることになります。

 その方面軍の一つとして丹波攻略に向かうこととなったのが光秀。丹波の赤鬼と異名を取る赤井直正を攻略することとなった光秀は、信長の軍門に下った波多野秀治を味方として、籠城した赤井を攻めるのですが――前の巻で「光秀挫折編」と予告されているのですから、ただですむわけがありません。
 目にハイライトがなくてどうみても怪しい――と、光秀以外はみんな気付いていたある人物の裏切りにより、光秀は一転窮地に立たされることに……

 一方、この丹波攻略戦でも示されたように、まだまだ信長に服さぬ勢力は数多存在します。宿敵の一つである本願寺、まだ見ぬ西国の強豪・毛利。さらには軍神・上杉謙信までもが動きだし――いわば第三次信長包囲網が形成されることになります。
(その背後には、これはこれでスゴいよな、と言いたくなるあの人物の影もあるのですが、それはさておき)

 そしてその中でも反信長の最右翼と言うべきは、かつて信長によって長島で無数の門徒を撫で斬りにされた本願寺教如。本願寺に籠城する形となっている教如ですが、鉄砲を扱えば無敵の雑賀孫市率いる雑賀衆、そして毛利とも密かに結び、備えは万全であります。
 一方、信長の方も、この宿敵と一気に決着をつけんと兵を動かし、ここに天王寺の戦いが――あれ、天王寺といえば確か、と思っていれば、ここで「光秀救出編」のナレーションが!

 そう、天王寺の戦いといえば、攻め手の一人であった光秀が、思わぬ味方の劣勢によって天王寺の砦に寡兵で立てこもることとなり、その救出に信長本人が駆けつけた戦い。そしてその中でおいて信長は――と、またもや光秀を不幸とストレスとプレッシャーが襲うことになります。
 
 そしてそんな光秀のメンタルにトドメを刺すように、彼を更なる、最大の不幸が襲うことに……


 というわけで、内容的にはほとんど完全に光秀が主役という印象の第14巻。ああ、あと6年でアレだしね――というのは言いすぎにしても、ここで描かれる光秀の一挙手一投足が、フラグに見えてしまうのも無理はないことでしょう。
 しかしこの巻で描かれる信長と光秀の主従関係は悪くない――というよりかなり良好。何度も窮地に陥る光秀を、得難い臣として赦し、救おうとする信長の姿からは、6年後のアレに繋がるような空気は感じられません。

 ……と言いたいところですが、何とも不吉に感じられるのは、信長が寛大さを見せれば見せるほど、光秀が追い詰められていくように見えるところでしょう。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、信長を下げて――失敗はしても理不尽はしないというような形で――描くことがほとんどない本作では、アレは光秀側の(一方的な)理由で起きるような予感があって、正直これは外れて欲しいのですが……
 この巻のラストで光秀が失うある人物の言葉も、何となくフラグに感じられるのが不安になってしまうところであります。

 などと、何となく光秀びいきの気分になってしまうのは、信長だけでなく敗者の側も下げない本作ならではのマジックでしょうか。


 しかしもちろんそれはこの先の話。いまだ本願寺は、そしてその中でも最強の敵と言うべき孫市も健在の中、先の見えない戦いが続くことになります。
 果たしてこの戦いがいかなる決着を迎えるのか、そしてそこに至るまでにいかなるギャグが描かれるのか――まだまだ見所は尽きません。
(ちなみにこの巻では、光秀救出に向かった信長に尽き従う顔ぶれネタに大笑いしました。史実なんですが……)


『信長の忍び』第14巻(重野なおき 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
信長の忍び 14 (ヤングアニマルコミックス)


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2018.09.04

あさのあつこ『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』 名手の意外な顔を見せる暴走コメディ


 さる藩の江戸屋敷の奥向きを舞台に、奉公に上がった町娘と、実は正体は猫の奥方をはじめとする人々(?)が繰り広げるスラップスティックコメディ時代劇――招き猫文庫『てのひら猫語り』に冒頭が収録され、「WEB招き猫文庫」で約2年半連載された、最後の招き猫文庫ともいうべき作品です。

 幼い頃から常人にはない感覚があったことから周囲に奇異な目で見られ、嫁入りが遅れた呉服屋の娘・お糸。行儀見習いとほとぼりを冷ますために彼女が奉公することになったのは三万石の小藩・鈴江藩の上屋敷――そこで藩主の正室・珠子に仕えることとなったお糸は、すぐにとんでもない秘密を知ることになります。
 実は珠子の正体は猫――猫族なんだけどちょいと不思議な一族の姫である彼女は、藩主・伊集山城守長義に一目惚れした末に、人間に化けたりアレコレしたりして、見事正室に収まり、今は一女を授かっているというのです。

 そんな珠子に一目で気に入られ、腹心の上臈にして虎女の三嶋とともに、珠子近くに仕えることとなったお糸。
 自由な気風の珠子たちに触れ、珠子の娘・美由布姫の可愛らしさに癒やされ、珠子の父で一族の長・権太郎に振り回され――楽しい時間を過ごすお糸ですが、しかし鈴江藩には大変な危機が迫っていました。

 かねてより藩主の座を狙っていた長義の叔父・利栄が暗躍を始め、珠子を正室の座から引きずり下ろそうとしていた――のはまだいいとして、利栄の背後には、鈴江藩征服とちょいと不思議一族滅亡を目論む妖狐族が潜んでいたのであります。
 国元から利栄とともに江戸にやって来た妖狐族に対し、珠子の、そしてお糸の運命は……


 児童文学からスタートしつつも、時代小説においても既にかなりのキャリアを持つ作者。その作品は、基本的に市井に生きる人々を中心にした、かなりシビアでシリアスな内容のもの――というイメージは、本作において完全に吹き飛ぶことになります。
 何しろ本作の登場人物は皆テンションが高い――そしてよく喋る。その内容もほとんどがギャグかネタで、とにかく一旦会話が始まると、それで物語が埋め尽くされてしまうのであります。

 特に権太郎は、齢六千歳という重みはどこへやら、あやしげな洋風のコスチュームで登場しては、片言の英語やフランス語を交えてあることないこと喋りまくる怪人。このキャラが出てくると物語の進行がピタリと止まるのを、何と評すべきでしょうか。
 その権太郎に対する三嶋の容赦ないツッコミや、珠子と長義のバカップルぶりも負けずにインパクト十分なところですが、唯一の常識人というべきお糸も、テンションが上がると子供の頃に覚えた香具師口調でポンポン啖呵を切るという……

 いやはや、生真面目な時代小説ファンあるいは作者のファンであればきっと怒り出すであろう内容なのですが――しかし とにかく、片手間やページ塞ぎでやっているとは思えぬほどの台詞量を見れば、これはやっぱり作者が楽しんで書いているのだろうなあ、と感じさせられます。
(個人的には、天丼で繰り返されるお糸のやけに良い発音ネタがツボでした)

 そしてまた、こうした台詞の煙幕の陰に、何かと不自由な時代、女性が何かと苦労を強いられた時代において、それでも自分らしさを、自分自身が本当にやりたいことを見つけたいというお糸の痛切な想いが透けて見えるのは、これは正しく作者ならではと感じます。

 その想いは、あるいはあまりに現代人的に見えるかもしれませんが、しかし何時の時代においても若者が――何ものにも染まらない自由な心を持つ若者が望むものは変わらないというべきなのでしょう。
 野望だ陰謀だと言いつつ、実は単に時代と世間に雁字搦めになっているだけでしかない連中に対して、この時代から見れば常識はずれのちょいと不思議一族とともに挑む中で、そんなお糸の想いはより輝きを増して見えるのです。

 ……などと格好良いことを言いつつも、やはり台詞とギャグに押されて物語があまり進行しない――作品の分量の割りに物語の山谷が少なく感じられてしまうのは非常に残念なところではあります。だからといって本作の最大の特徴を削ってしまうわけにもいかず――なかなか難しいものではあります。


 ちなみに本書はソフトカバーの単行本で刊行されましたが、冒頭に述べたとおり、元々は招き猫文庫レーベルの一つとして発表された作品。同レーベルがだいぶ以前に休した今、これがまず間違いなく最後の招き猫文庫作品と思うと、レーベルの大ファンだった身としては、別の感慨も湧くのであります。

『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』(あさのあつこ 白泉社) Amazon
にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳


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2018.08.09

霧島兵庫『信長を生んだ男』 等身大の青年・織田信行が下した決断


 織田勘十郎信行(信勝)といえば、信長と母を同じくする弟でありながら、謀反を企てた咎で、若くして兄に誅殺されたと言われる人物。悪役として描かれることも少なくない信行を、本作はこともあろうに覇王信長を「生んだ」男として描く、ユニークにして熱く切ない物語であります。

 若き日は「うつけ者」として知られた信長とは対照的に、折り目正しい優等生的人物であったと評される信行。信長を疎んじた母・土田御前に溺愛されたと言われる人物ですが、本作の前半部分は、基本的にこの人物像を踏まえた形で始まることとなります。

 自分とは正反対の性格のうつけ者でありながら、自分よりも父に認められている信長に反発心を抱き、その力を見せるべく、初陣に臨んだ信行。しかしその結果、五十人もの精兵を失った彼は、頬に負った傷以上に深い傷を心に負うのでした。
 そして志半ばに病に倒れた父が、兄を後継に指名し、その葬儀で信長の挑発を受けたことから、いよいよ反感を抱く信行。信秀亡き後の内訌が絶えぬ尾張で、信行の鬱屈は高まっていくことになります。

 そんな中、兄の正室・帰蝶の口添えもあり、ひとまず兄の側に立つ信行。しかし兄の別働隊として敵にあたることとなった戦で、奮闘空しく追い詰められた末、あわやのところで信行は兄に救われることになります。
 屈辱に震える信行ですが、しかし兄が密かに自分のことを買っており、運命を共にする覚悟であったことを知った彼は、ついに信長こそが天下に号令するに相応しい「虎」であることを悟ります。

 そしてついに長きにわたる対立のしこりを洗い流した信行。彼は信長を支える黒衣の宰相、虎を支える「龍」となることを誓い、兄と手を携えて天下に挑むことに……
 と、ある意味意外な、その後の歴史を覆しかねない展開を迎える本作。ここまでが物語の前半、後半では信長を扶けるため、密かに汚れ役を買って出る彼の姿が描かれることとなります。

 兄と帰蝶と三人、強い絆に結ばれて天下を望む信行。しかし一向に尾張の混乱は収まらず、その中で信行は信長の決定的な弱点――その不羈奔放な顔の下の、優しさ・甘さの存在に気付くことになります。
 そしてある出来事をきっかけに、自分に時間が残されていないことに気付いた彼は、信長を覇王に変え、尾張を固めるために、ある覚悟を固めるのですが……


 冒頭で述べたように、過去の作品では悪役として、あるいは凡愚な人物として描かれることが少なくなかった信行。それは型破りな信長が、桶狭間の戦で天下に躍り出る直前の、ある意味踏み台としての役割を負わされていた、と言えるかもしれません。
 しかしその信行を、本作は史実を踏まえつつも巧みに肉付けし、大望を抱き、肉親の愛を求めつつも、どちらも得られずに苦しみもがく等身大の青年としてまず描きます。

 そんな彼が、理想と現実の間で悩み、そして自らの背負ったものの大きさに苦しむ姿は、中身こそ大きく違えど、誰もが思い当たるものでしょう。だからこそ、彼が自分と信長の器の大きさの違いを思い知った時の衝撃を、その後に訪れる和解の感動を、読者は我がことのように感じ取れるのであります。
 ……そしてその後に待ち受ける、あまりに残酷で哀しい運命を知った時の絶望を、それでも自らの成すべきことを成そうと重すぎる決断を下した彼の覚悟の尊さをも。

 正直なところ、題名と主人公を見れば(さらに序章を読めば)、本作がどういう結末を迎えるかは、ある程度予測できるところではあります。
 それでも本作が単なるイイ話で終わらず、読者の心を大きく揺り動かしてくれるのは、二転三転する状況を描く物語構成の妙に依るのは言うまでもありませんん。
(特に終盤において、ある歴史上の謎に衝撃的な形で答えを提示するくだりの見事さ!)

 しかし本作はそれだけでなく、上で述べたような等身大の青年・信行の人物像と、そこに戦国時代に生を受けた男同士――それも最も近しいところにいる兄弟――という信長と信行の関係性を中心に物語を描く点が素晴らしい。
 さらには帰蝶というファムファタール的な存在(彼女があくまでも常識的な心を持った女性であることが、二人を救い、そして二人を苦しめるのがまた見事)を巧みに絡めてみせた点も大きいと感じます。

 配下との交流のくだりなど、些かセンチメンタルに過ぎるように感じられる部分はありますが――それでも、史実を史実として描きつつ、その中で意外な物語と、深く共感できる人物像を描いた点が大いに評価できる、歴史小説の佳品であります。


『信長を生んだ男』(霧島兵庫 新潮社) Amazon
信長を生んだ男

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2018.07.23

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その二) 新たに「八犬伝」を描く二つの視点


 『真田十勇士』の松尾清貴による新たな『南総里見八犬伝』リライトの第1巻の紹介の後編であります。本作を特徴付ける二つの視点の一つ、「正しさ」に対する視点。「正しさ」故に苦しむ人々とは……

 犬との約束を守り大事なものを義実と伏姫、侫人から息子と主君の宝刀を守るために自刃した番作、父の想いを継ぎ武士として立身するために浜路を捨てることとなった信乃。時として愚直に過ぎるその行動は、彼らにむしろ不幸をもたらすことになります。

 本作の前半と後半のそれぞれ中心人物である義実と信乃。二人の行動は、人としてみれば誤っているようにしか見えない時もあるのですが――しかしそれもまた彼らとしての人の道を貫こうとしたためであります。
 たとえば本作の中で義実が八房に伏姫を与えるくだりで、「この国の逆賊たちは人の道から外れていた。(中略)だから、愛する娘を犠牲にしても、人の道を外れられない。人の道を歩むために義実は人でなしの決断を下そうとしていた」とあるように。

 原典はそれを当然のことと受け止めているようにも感じられますが――なぜ正しさが人を苦しめるのか、なぜ正しい者が正しく生きられないのか? それを本作は抑制の効いた筆致で、随所で問いかけていると感じられます。


 そしてもう一つは、本作における「結城合戦」の存在であります。実は本作の前半と後半の最初の章題は、ともに「結城落城」。これは義実と番作の二人が、ともに結城城から落ち延びてきたことを考えれば、当然といえば当然とも思えますが……
 しかし作者はTwitterでこの合戦を評します。「永享の乱の後日談というだけでなく、単なる局地戦とも言えない。重要な歴史の分岐点のひとつ」と。だとすれば、それが単なる背景として済ませられるものではないといえるでしょう。

 鎌倉公方・足利持氏が関東管領・上杉憲実、そして将軍義教と対立した末に滅ぼされた永享の乱。そして持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じる勢力が結城城に籠城した結城合戦。こうしてみれば確かに結城合戦は永享の乱のエピローグ的印象がありますし、そしてまた、武士が幕府を開いて以来無数にあった、中央と地方の争いの一つに過ぎないとも見えます。
 しかしこの結城合戦、実は永享の乱よりも戦いの規模と期間は大きく、長く――特に一年以上の籠城を繰り広げた点においては史上希な戦いであったとも言えるのであります。

 そして鎌倉公方が滅ぼされ、関東管領の力が大きく増したこと、勝った義教がその戦勝会(として招かれた席)で討たれるという、前代未聞の事件が起きたこと等を考えると、(後者は間接的なものであれ)地方と中央の関係、将軍の権威というものを大きく揺るがし、関東における戦国時代の端緒を作った――そう解することもできるでしょう。

 戦国時代がもたらした、あるいは戦国時代をもたらした概念に「下克上」があります。下の者が上の者に逆らい、取って代わる――あるいは当時の社会の、いや世界の則を根底から覆すこの概念が生まれるきっかけの一つがこの結城合戦(の終結)と言えるのかもしれません。
 だとすれば、そこから始まる『南総里見八犬伝』という物語は何を描いているのか? そこに先に述べた、正しい者が正しく生きられない物語の姿を重ね合わせた時、浮かび上がるものがあると感じられます。


 作者はその『真田十勇士』において、戦国時代の終わりと、それによって個人が天下という概念に取り込まれていく様を描きました。それに対して本作で描かれるものは、戦国時代の始まりと、それによって大きく揺り動かされる社会と個人のあり方なのではないか――そう感じられます。。
 しかし『南総里見八犬伝』という物語を原典に忠実に描きつつ、この視点を織り込んでいくことは並大抵のことではないと言えます。それでも私は、この作者ならばできると全幅の信頼を寄せてしまうのです。

 少なくともこの第1巻においては、本作が原典に忠実でありつつも巧みな補足を加えた『南総里見八犬伝』リライトとしての面白さと、作者独自の視点から歴史を読み解くを持つ歴史小説、二つの面白さを兼ね備えていることは間違いありません。
 第2巻以降にも心から期待する次第です。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
南総里見八犬伝 結城合戦始末


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2018.07.22

松尾清貴『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(その一) 定番の、しかし抜群に面白い「八犬伝」リライト


 その強烈な伝奇性と史実への独特の視線により、児童書の域を遙かに超えた作品となった『真田十勇士』の松尾清貴が次に描くのはあの伝奇小説の源流たる『南総里見八犬伝』――その第1巻である本作は、想像以上に原典に忠実でありつつも、しかし作者ならではの独自の視点を持つ作品であります。

 結城城が落城し、幾多の犠牲を払って安房に落ち延びた里見義実。彼は主君・神余光弘を謀殺して苛政を引く山下定包を討ち、はじめ光弘の、後に定包の愛妾となった美女・玉梓を斬首することになります。
 それから十数年後、妻を迎え一女一男の父となった義実は、飢饉に乗じて隣国の安西景連の侵略を受け、もはや落城寸前の状況まで追い込まれることに。娘の伏姫の愛犬・八房が景連の首を取るという僥倖に恵まれ勝利を収めた義実ですが、八房の望む褒美は伏姫でありました。

 一度口にした約束を違えるわけにはいかないと八房とともに城を去り、深山で暮らす伏姫。時は流れ、八房の気を受けて懐妊した伏姫は、山に入った金碗大輔と義実の前で潔白を示すため自刃、その胎内から出た白気とともに、仁義礼智忠信孝悌の玉は各地に散ることに……

 一方、結城城が落城し、幾多の犠牲を払って大塚に落ち延びた犬塚番作。彼は姉夫婦に所領を奪われながらも争うことなく、妻とともに静かに暮らし、やがて息子の信乃を授かります。しかし運命は信乃から母を、そして父を、愛犬を奪い、彼は敵とも言うべき叔母夫婦に引き取られるのでした。
 孤独のうちに暮らす信乃ですが、叔母の家の使用人・額蔵こと犬川荘助が、自分と同じ痣を持ち、同じ珠を持つことを知った彼は、義兄弟の契りを交わすことになります。

 成人した信乃は、父が命を賭けて守った足利の宝刀・村雨丸を手に、許嫁の浜路を振り切って古河公方・足利成氏に旅立つものの、しかし信乃、そして浜路にそれぞれ悲劇的な運命が降りかかります。そして足利家の家臣に追われ、芳流閣に登った信乃の前に現れたのは……


 というわけで、伏姫と八玉の因縁、そして信乃の成長と受難を描く本作。「八犬伝」でいえば冒頭も冒頭、そして様々な「八犬伝」リライトにおいて、ほとんど全く欠かすことなく描かれる、定番中の定番の部分です。
 正直なところ、「八犬伝」と見ればすぐに飛びつくような私のような人間にとってみれば、もう何度も何度も読まされて食傷気味の部分なのですが――しかしこれが抜群に面白いのであります。いやむしろ、「八犬伝」はこれほど面白かったか、と今更ながらに再確認させられるほどに。

 といっても本作は、原典の内容から、大筋では、いやかなり細かい部分まで、ほとんど変更を加えていません。他のリライトであれば流されそうな部分まできっちりと拾っており、一瞬訳書かという印象すらあります。
 しかし本書は少しずつ、極めて巧みに、作中の描写を、特に人物の心情描写を補うことにより、伝奇小説の古典中の古典を、現代の我々が読んでも面白い物語に――言い換えれば我々の心を、感情を大いに動かす物語として成立させているのです。

 それは作者独特の抑制の利いた、しかしロマンティシズムに満ちた述懐ともいうべき文章(例えば冒頭、結城城から落ち延びた義実が雨の夜空に白龍を見るくだりの美しさ!)によるところが大きいと言えますが、それ以上に印象に残るのは、本作ならではの二つの視点です。

 その一つは、「八犬伝」側に立つ登場人物の姿とその辿る運命を、「正しさ」という点から見つめ、語ることであります。
 「八犬伝」といえば必ずといってよいほど語られる言葉「勧善懲悪」――すなわち、「八犬伝」は、善と悪、正と邪が明確に色分けされた物語と言えます。しかし、八犬士側の登場人物――善の側の人々は、その「正しさ」故に苦しむ姿が、しばしば描かれることになります。

 それでは本作は「正しさ」を如何に描くのか――いささか中途半端な箇所で恐縮ですが、長くなりましたので次回に続きます。


『南総里見八犬伝 1 結城合戦始末』(松尾清貴 静山社) Amazon
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2018.07.18

廣嶋玲子『妖怪の子預かります 6 猫の姫、狩りをする』 恐ろしくも美しき妖猫姫の活躍


 妖怪の子供専門の子預かり屋になってしまった少年・弥助を主人公とする妖怪時代小説シリーズ、絶好調の第6弾であります。しかし本作では弥助は脇に回り、意外なキャラクターが主役を務めることになります。それは王蜜の君――美しき妖猫族の姫が人間界で巻き込まれた(首を突っ込んだ)事件とは……

 子供の世話に苦労するのは人間も妖も同じ、時には誰かの手を借りたくなるもの――というわけで今日も今日とて妖怪の子預かり屋として奮闘する弥助。すっかり妖たちの間では有名人となった彼の周囲には、時に大妖クラスの妖が現れることがあります。
 その一人が王蜜の君――見かけは美しい少女ながら、気まぐれで騒動好き、そして何よりも悪人の魂をコレクションするのが趣味という、剣呑極まりない猫妖の姫であります。

 これまでも時折弥助と同居人の元・大妖の千弥の前に現れていた王蜜の君ですが、今回は、配下の猫(妖)たちが人の側にいたがることに興味を抱き、人とはそれほどに良いものかと、猫に化けて人間界に現れることに。
 そして彼女が強引に押し掛けたのは――そう、弥助の長屋。千弥には猛烈に嫌な顔をされても一向に構うことなく、猫生活をエンジョイする王蜜の君ですが、しかしその頃、江戸では猫にまつわる悍ましい事件が続発していたのであります。

 それは猫首なる呪い。猫塚に猫四匹の首を捧げれば、何でも望みを叶えることができる。憎い憎い相手を破滅させることも――そんな、はじめは町の片隅で囁かれていた噂が、やがて町中に広がり、ついには猫首の呪いによる犠牲者が出るようになのであります。
 しかしそんな状況を――いや、その生贄とされるのが猫という状況を――猫の守り手たる王蜜の君が見逃せるはずもありません。

 かくて、王蜜の君は、一連の事件を引き起こした者を捕らえ、裁きを与えるべく「狩り」に乗り出すことに……


 個性的な妖が幾人も登場する本シリーズですが、その中でも私が個人的に最も注目していたのが、今回の主役・王蜜の君でした。いえ、単に自分が猫好きだからというのではなく――(これは以前にも何度か申し上げたかもしれませんが)彼女にはモチーフとなったと思われるキャラクターがいるからなのです。

 作者の比較的初期の作品に、『鬼が辻にあやかしあり』という児童文学のシリーズがあります。江戸の魔所・鬼が辻に潜む強大な妖が、人間の訴えに応えて、凶悪な悪人たちを退治するという物語なのですが――しかしこの妖は別に正義の味方ではなく、その目当ては悪人の魂。悪人の魂を集め、愛でることこそが、この妖――妖猫の姫・白蜜の君の目的なのです。

 そう、明言されているわけではありませんが、本作の王蜜の君のモチーフとなっているのは、間違いなく白蜜の君(何しろ本作で王蜜の君が猫に化ける時の名は「白蜜」なのですから……)。
 惜しくも3作しか発表されていない『鬼が辻にあやかしあり』ですが、その児童文学らしからぬ(そして実に作者らしい)ホラーぶりが大好きだっただけに、本シリーズに王蜜の君が登場した時には、私は小躍りしたくなったくらいなのであります。


 と、個人的な話が長くなってしまいましたが、とにかく主役を張るだけのポテンシャルは十二分に備えている王蜜の君。
 「猫」に対する我々人間のイメージ――可愛らしさ、しなやかさ、気ままさ、残酷さ、神秘性などなど――を何百倍にも凝縮したような彼女の存在は実に魅力的であります。いや彼女だけでなく、本作に幾匹となく登場する猫たちもまた……

 そして猫たちが魅力的であればあるほど、その猫たちを虐げ、傷つける人間たちの身勝手さ、非道さには、怒りを覚えざるを得ません。この辺りは人間の負の側面を描くに存分に筆の冴えを見せる作者ならではというべきでしょう。
 ラストに明かされる、ある意味実に皮肉で、そして悍ましい猫首の呪いの真実にもまた、その負の側面はこれでもかと込められているのであります

 しかしご安心を。全ては因果応報、そんな人間たちに罰を下し、悪人を狩る存在が、本作にはいるのですから……


 そしてラストには、前作の主役であり、めでたく華蛇族の姫君と結ばれた久蔵のその後の姿を描く前作と本作共通の後日譚が収められているのも嬉しいところ。
 既に第7弾の刊行も決まっているとのことですが、まだまだ面白くも恐ろしく、魅力的な妖と人の物語を楽しませていただけそうです。


『妖怪の子預かります 6 猫の姫、狩りをする』(廣嶋玲子 創元推理文庫) Amazon
猫の姫、狩りをする (妖怪の子預かります6) (創元推理文庫)


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2018.06.13

鳴神響一『能舞台の赤光 多田文治郎推理帖』 江戸の名探偵、巨大な密室の中の「舞台」に挑む


 時代小説でユニークなクローズド・サークルを展開した『猿島六人殺し』から約半年――多田文治郎が帰ってきました。今回殺害されたのはただ一人――しかし大大名の催した能が演じられる中、その観客が殺されたというのですから、江戸の名探偵が出馬するに相応しいと言うべき事件であります。

 あの陰惨な猿島の事件から数ヶ月後――故あって事件の際に出会った公儀目付役・稲生正英の屋敷を訪れることとなった文治郎。そこで黒田左少将継高が催す猿楽見物に誘われた文治郎は、二つ返事で正英に同行することになります。
 47万石の大大名、それも能好きで知られる継高が開催するだけあって、当日演じられた五番能は素晴らしいものばかり。能好きの文治郎も大いに楽しんだのですが――しかし最後に演じられた、シテと四人のワキが乱舞する『酒瓶猩々』の最中に事件が発生していたのです。

 当日は武士だけでなく町人たちも招かれていたこの能会。その一人、札差の上州屋が、会の終了後に死体となって発見されたのであります。
 黒田家が正英に検分を依頼したことがきっかけで、これに同行することとなった文治郎。彼の観察眼により、上州屋が毒を塗った細い刃物で刺されたことがすぐに判明したのですが――犯人は如何にして上州屋に近づき、周囲から気付かれることなく殺害してのけたのか。

 いやそもそも、何故上州屋が殺されなければならなかったのか? 正英の依頼により、友人で正英の部下である宮本五郎左衛門と共に事件解明のために調査を開始した文治郎は、上州屋には人から恨まれる理由を十分持った人物だと知ることになります。
 しかしどうすれば能の最中に上州屋を殺すことができるのか、肝心のそれがわかりません。調査と推理の末、文治郎は容疑者を絞り込むのですが、しかし彼には確たるアリバイが……

 孤島で六人が次々と奇怪な死を遂げていくという前作に比べれば、いささか事件の内容は地味に見えるかもしれない本作。しかし一つの謎をじっくりと追いかけるその内容の密度の濃さは、前作に勝るとも劣らないものがあります。

 劇場という場は、収容人数が多い(上に人の出入りがある)こと、そして場が暗いことが多いこと、そして何よりもその「舞台」としてのドラマチックさから、古今のミステリで事件の現場となることが少なくない印象があります。
 本作ももちろんその系譜にある作品、能という幽玄の世界が展開する一方で、世俗の極みというべき醜い殺人が行われるという、その取り合わせの面白さにまず魅せられます。

 そして本作で事件の現場となるのは、大名家の中に作られた能舞台(ちなみに黒田継高が大の能好きだったというのは史実であります)という、いわば巨大な密室の中の「舞台」という趣向が楽しい。
 大名家が客を招いて行う能会という、まず不審者が入り込めるはずもない場。そんな密室の中で、どうすれば人一人に近づき、殺し、逃げることができるのか? 本作もまた、変形の密室ミステリと呼ぶべきでしょう。

 ……が、実のところ、本作のトリックは、ミステリ慣れした方であれば、その詳細はわからないまでも、ここが怪しいとすぐに感づくものであるかもしれません。
 この辺り、時代小説ではなく一般レーベルとして(すなわちミステリ小説として)刊行されている本作としてはいかがなものかな、と意地悪なことを感じないでもありません。

 しかし本作の場合、それが能という題材と綺麗に結びつき、一定以上の必然性を持って描かれるのが素晴らしい。
 特に(これは作品の性質上、触れるのにかなり神経を使うのですが)、ある人物のアリバイを描くのに、「この手があったか!」という理由を設定してみせるのには、唸るしかありません。

 そして本作ならではの人物配置と、それが生み出すドラマも含めて、本作はまさしく能楽ミステリと呼ぶに相応しい内容の作品であると言うことができると思います。

 上では意地の悪いことも申し上げましたが、ミステリ味のある時代小説ではなく、時代小説の世界を舞台としたミステリとして成立している――別の表現を使えば、謎が謎を描くためのものとして機能している本作。

 こうした作品を文庫書き下ろし時代小説的なペースで刊行するのは難しいのではないかと思いますが――しかし早くも次の作品が楽しみになってしまうのであります。

『能舞台の赤光 多田文治郎推理帖』(鳴神響一 幻冬舎文庫) Amazon
能舞台の赤光 多田文治郎推理帖 (幻冬舎文庫)

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2018.05.22

梶川卓郎『信長のシェフ』第21巻 極秘ミッション!? 織田から武田、上杉の遠い道のり


 その過去も明かされ、西洋料理の封印も解かれて、戦国生活も新たな段階に入ったケン。信長も最前線に出ることもなくなりましたが、まだまだ彼とケンの行方は波瀾万丈であります。この巻では、ついに動き出した謙信に対し、直接の会見を望んだ信長のため、ケンは決死の試みに出ることに……

 というわけで、「わしは謙信に会ってみようと思う」「よっておぬし(ケン)武田勝頼に捕まってこい」と、いきなり衝撃的なことを言い出した信長。
 久々に(?)人の一歩も二歩も先を行く信長の命令が飛び出した印象ですが、突然命令されてしまったケンも、それを聞いてしまった柴田勝家も面食らうどころではありません。

 しかし勝家がツッコんだように、これから合戦中の大将同士が会談するなどという前代未聞な試みを行うのであれば、正規ルートで話を通せるはずもありません。
 そもそも、織田軍は上杉方に攻められる七尾城救援のため、能登を目指している状況。一方、七尾城が陥落すれば、上杉軍は織田軍と対決するために一気に南下を始めることになります。そしてその七尾城では、親上杉方が力を持ち、落城は目前の状況……

 そんな中で、仮に大将同士が会談を望んだとしてもそれが円満に進むはずもありません。そして密使を送ろうにも伝手がなく、また地理的にも潜入は難しい――というわけでケンの出番となるわけであります。
 武将でも官僚でもなく、しかし信長の意を最も良く知るケン。その彼を、上杉とは現在同盟関係にある武田に捕らえさせ、陣中見舞いの名目で上杉に送らせる――いやはや、無茶苦茶ですが、実に本作らしい作戦でしょう。

 そしてそのための細い細い伝手が、以前ケンが協力した織田信忠と勝頼の妹・松姫の恋仲。この無茶な案のために使えるものは何でも使おうという信長の中に、謙信であれば自分の目指すところを理解できるのではないか――と期待する信長の孤独を見て、ケンが協力を決意するという展開も、また本作らしくて良いのであります。

 しかし考えれば考えるほど無茶なこの作戦、そもそも信忠と松姫の仲は秘密である上に、そこから勝頼との面談に持っていく手段がない。
 そして仮に勝頼と対面したとしても、ケンとはやたらに因縁のある彼が、素直に頼みを聞いて上杉に送ってくれるとは限らない。そして上杉に入ったとしても、どうやって謙信と対面し、彼だけに信長の意を伝えて納得させるのか……

 いやはや、あまりの不可能ミッションぶりに、こうして挙げていて逆に楽しくなってきましたが、この難題の数々を料理の力でクリアしていくのこそ本作の真骨頂。
 前巻ではケンの料理シーンが少なかったのが少々不満でしたが、この巻の後半では材料も不十分な中で、機転とテクニックで次々と難関を乗り越えていくケンの姿が存分に味わえるのも嬉しいところであります。
(そして作中で妙に美味しそうに見えたあの料理が、巻末で紹介されているのにも納得)

 また、久々に対面したケンと勝頼の対話の面白さも、これまでの積み重ねがあってこそのものでしょう(勝頼の「おぬしに飯を作らせるとろくなことがない!!」の言には爆笑)。
 そしてその一方で男として、武将としての器を見せる勝頼の描写も良く、ある意味この巻の裏のMVPは勝頼なのではないか――としら感じた次第です。

 さて、何とか上杉の陣中に入り込み、謙信の前で料理を作ったものの、やっぱり窮地に陥ったケン。
 その一方で織田軍の中では、唯一信長の真意を知る勝家と他の将の軋轢が深まり、ついに秀吉は勝頼と対立した末に離陣――のふりをして、独自に状況を探り始めることになります(なるほど、あの史実をこのように使うか、と感心)。

 そしてこの先に待ち受けているのは、手取川の戦い――謙信が織田軍を圧倒したと言われる合戦ですが、実はその規模や結果については諸説あり、不明な点も多いこの合戦を、本作がどのように扱うのでしょうか。
 前巻辺りからクローズアップしてきた、史実との整合性――歴史は変わってしまうのか否か?――も含めて、先が大いに気になるところであります。

『信長のシェフ』第21巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 21 (芳文社コミックス)

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 梶川卓郎『信長のシェフ』第14巻 長篠への前哨戦
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 梶川卓郎『信長のシェフ』第19巻 二人の「未来人」との別れ、そして
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2018.04.27

魅月乱『鵺天妖四十八景』第2巻(その二) 悲しみの物語から生まれ変わった先に


 人の肉を、魂を喰らい、代わりにその望みを叶えるという仮面の妖・鵺天を中心に語られる和風ダークファンタジー第2巻の紹介の後編であります。この巻の後半に収められた前後編の最終話「美しい人々」において、ついに鵺天の過去が語られることに……

 今は強大な力を持つ妖として人々から、妖から恐れられる鵺天。しかし彼にはかつて、人間の少年であった頃がありました。

 予言を生業とする「姫神」であった母から、その座を継ぐために幼い頃から娘として生きることを強いられ、女の名前を与えられた少年「つぐみ」。
 母からは厳しく躾けられ、周囲から好奇の目を向けられ、自分に自分に価値がないと思い込むようになった彼は、ある日、美しい女の妖・鵺と出会うことになります。

 人を喰らうと周囲からは忌避されつつも、ざっかけない性格の鵺と触れ合う中で、善悪の価値判断は自分自身で行うべきこと、そして己の生きる道もまた、自分自身で選ぶべきことを学んだつぐみ。
 そして彼は母の前で男に戻ることを宣言して虎次と名を改め、彼の決意は(母を除く)周囲にも受け入れられたかに見えたのですが――しかしほどなくして、彼は自分自身に刻み込まれた、あまりに無残な真実を知ることになります。

 そして彼の家を襲う更なる悲劇。完全に心が壊れてしまった母を前に、再び道を選ぶこととなる虎次/つぐみ。しかしそんな彼の決意も、最後の悲劇の前に脆くも……


 いわゆる毒親による児童虐待とも言うべき題材に、飢饉による極限状態という時代ものならではのシチュエーションを重ねて描かれるこのエピソード。
 当然ながらと言うべきか、ここで描かれるのは地獄に地獄を重ね合わせたような物語。これまで狂言回し的な存在として、様々な地獄絵巻を見つめてきた鵺天ですが、その過去は、目を覆わんばかりの哀しみに彩られたものとして描かれるのであります。

 しかしそこで描かれるのはただ哀しく、無惨な物語だけではありません。このエピソードで鵺天の過去とともに描かれるのは、「美しい人としての営み」とは何か、という問いかけなのですから。
 それは言い換えれば、望ましい生き方とは何か、この世は生きるに足る場所なのか? という問いかけであり――このエピソードは、その答えを描く物語でもあります。

 そしてその問いは、振り返ってみれば本作の全てのエピソードにおいて、陰に陽に様々な形を以て描かれていたものであると、今更ながらに気付かされます。

 それぞれに事情はあれど、決して生きやすいばかりではないこの世界。人間も妖も、生きる者も死んだ者も、美しいものも醜いものも――全てが入り混じりながら存在しているこの世界で起きる物事を、鵺天は見つめ、介入してきました。
 そんな彼の行動はひどく皮肉で、独善的なものであります。しかし同時にそこには、美しく生きることへの、ある種の決意と憧憬とも言うべきものが感じられたのも、また事実でしょう。

 気紛れに数多くの死を生み出しつつも、同時に善き者を救い、生を繋ぐ。そんな謎めいた鵺天の行動原理が、ここで描かれるあまりに大きな悲劇によって生み出されたものだとすれば――それ自体が、本作で描かれてきたこの世界に溢れる皮肉の一つと言えるでしょう。
 しかしそれは同時に、大いなる救いでもあります。そして物語の結末において、彼にそれを与えたものの正体を鵺天が語ることによって、この悲しみの物語は、素晴らしく美しい物語へと、鮮やかに生まれ変わることになります。つぐみが、鵺天へと生まれ変わったように……


 本作において「妖」は、「あやかし」ではなく「およずれ」と呼ばれ(読まれ)ます。
 「およずれ」とは「他を惑わす言葉、妖言」の意。――なるほど、本作は鵺天の妖言によって惑わされた人と妖の姿をどきつい色彩で描く物語でありました。

 しかし本作はそれだけに留まりません。その物語は同時に、その妖言によって生まれた真実の美しさをも描くものであった――それはあまりに美しすぎる結論かもしれませんが、しかし私の正直な想いでもあります。

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2018.04.26

魅月乱『鵺天妖四十八景』第2巻(その一) 死なずの妖が知った真実の愛


 人の肉を喰らい、人の望みを叶える仮面の妖・鵺天(ぬえてん)を狂言回しに、人間と妖(およずれ)が共存する世界で繰り広げられる複雑怪奇な愛と哀しみの物語を描く連作時代ファンタジー漫画の続編、完結巻であります。様々な悲喜劇の中で浮かび上がる人と妖の姿とは……

 いつかの時代、どこかの場所のとある村外れの祠に祀られる、鳥の面をつけた長身痩躯の男・鵺天――「俺ぁただバカみてぇに生きてるだけで何者でもねぇぜ」と嘯く彼は、しかし人を食らう妖。
 そして同時に求めるものを与えれば、望みを叶えてくれるという彼は、村の人間たちの畏れと敬意を同時に受けている存在なのであります。

 本作は、そんな彼が出会った人間たち、あるいは妖たちの姿を、少々どぎつい味付けで描く一話完結の連作漫画。この第2巻には、全4回3話の物語が収録されています。

 その最初のエピソード「残滓を抱く脳食い鳥」は、妖の脳を食うことで人の姿になり、死んでも生き返る力を得たシジュウカラの妖・楸の物語であります。

 女性に恋しては振られ、その度に自害しては生き返る――という暮らし(?)を送っていた彼は、ある日、男に騙されて毒殺された娘の死骸と出会い、彼女に一目惚れして……
 というあらすじの時点で不穏極まりないこの物語。もちろん娘は死体ゆえ意思も心もなく(亡霊は体の近くに留まっているものの、それは楸には見えず、鵺天にしか見えないというのがまた面白い)、それゆえどれだけ楸が愛を語ってもそれは一方通行にすぎません。

 そして何よりも、死んでも生き返ることができる楸には、死ぬということが、その恐ろしさがわからない。だからこそ死体を愛せるのかもしれませんが、しかし決して彼は娘の生前の想いを理解できない――その皮肉を本作は痛烈に描き出します。

 しかしその深い溝の――人と妖、生と死の間の深い溝の――存在を、ある出来事を(それがまた実に本作らしいどぎつさなのですが)きっかけに楸も知ることになります。
 しかし気付いたとしても決して超えられぬその溝を彼は超えることができるのか――その先に、我々は一つの奇跡を目にするのであります。

 人の心を、愛を知らぬ男が、ふとしたことをきっかけに無償の愛の存在を知り、生まれ変わる――そうした物語はこれまで無数に描かれてきました。本作もその一つではありますが――その中でも極めて奇怪で、そしてだからこそ感動的な物語、本作だからこそ描ける物語であります。


 続く第2話「たゆらなる娑婆っ気」は、男性に依存しなければ生きていけない娘に惚れ込まれ、生活を共にすることになった絵師の男を主人公とする物語。
 出会った直後に酔って転んで両足を折った絵師は、娘に世話されて日々を送るようになるものの、実はその足は娘が――と、いわば『ミザリー』の変奏曲的な物語なのですが、しかし一つ決定的に異なる点があります。

 それは、男の側も実は自分の才能に限界を感じており、奇怪な形とはいえ、娘に必要とされる生活を自ら選んでしまうということであります。
 現代の言葉で言えば共依存の一種というべきでしょうか――そんな地獄めいた人間関係が、ここでは描かれるのです。

 しかしそんな中で、ある理由から一部始終を見ていた鵺天と出会ったことで、男は真実を知ることになります。
 それでもなお娘を信じようとする彼に、鵺天が告げるさらなる真実がまた実にキツいのですが――しかし、男の目を覚まさせるのがその真実ではなく、別の現実であった、というのが更に刺さります。

 果たして男が、娘が本当に望んでいたものは何だったのか? そして二人はそれを手に入れることができたのか?
 一見ハッピーエンドのようでいて、どうにもならない不思議な味が舌に残るような結末――おそらくは鵺天も予見できなかったような――も含め、おぞましくも皮肉で、そして等身大の人間の姿を描いた物語として印象に残ります。
(ただ一つ、これは前話も含めて、悪役が悪役のための悪役になってしまった感があるのだけは残念)


 興が乗って長くなってしまったため、次回に続きます。


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