2018.02.18

ドラマ版『荒神』 名作怪獣時代劇を見事に映像化 しかし……

 宮部みゆきの『荒神』が、BSプレミアムのスーパープレミアムドラマとしてドラマ化されました。原作は東北の小藩を舞台に謎の怪物の脅威に立ち向かう人々の姿を描いた怪獣時代小説の傑作、それを映像化するのはかなり難しいのではないかと思っていましたが、それを実現してのけた力作であります。

 東北の永津野藩家老・曽谷弾正の妹・朱音が暮らす名賀村での祭りの最中、深手を負い、旅の浪人・榊田宗栄によって担ぎ込まれた少年・蓑吉。朱音の屋敷に運び込まれた蓑吉は、住んでいた隣の香山藩の山村が、怪物に襲われて壊滅したと語ります。
 国境の砦に警告に向かう朱音と宗栄ですが、時既に遅く、怪物の襲撃を受けて砦は全滅。名賀村の人々は生き延びていた蓑吉の祖父とともに怪物を迎え撃とうと防備を固めます。

 一方、怪物の出現を知った弾正は、怪物が永津野藩主の血筋を狙うことを知り、藩主の娘である自分の妻を生贄にして怪物をおびき寄せんと、名賀村に現れ、朱音と再会するのでした。
 果たして怪物は何者なのか、何故今現れたのか。そして怪物と弾正・朱音の因縁とは……


 というわけで、文庫本で700ページ近い大作を2時間弱に収めるということで随所にアレンジが施されているものの、基本的な設定と物語展開は原作を踏まえたものであるドラマ版。

 放送前に何よりも気になったのは「怪物」の存在とその暴れぶりですが、これが想像以上に、いや想像を遥かに上回る露出で大暴れしたのが実に嬉しい。ビジュアル的にはいささかイメージと異なる部分もあったように思いますが、昼日中から出現して大暴れするその姿は迫力満点、大満足であります。

 特に村を舞台に暴れまわる場面は、対象物があまりない中で迫力を見せるのは難しいのでは――というこちらの予想を嬉しい形で裏切っての問答無用の大殺戮。地上波ではないとはいえ、老いも若きも容赦なく殺し、喰らう様をここまできっちりと見せてくれるとは思いませんでした。

 キャストの方も好印象で、特にこのドラマ版の二人の主人公とも言うべき朱音と弾正をそれぞれ演じた内田有紀と平岳大はまさにはまり役。優しさと凛とした部分を(そして同時にある陰も)併せ持つ朱音、そして野望と執念の男である弾正を、二人は見事に演じていたと思います。


 そんなこのドラマ版において、原作と比べての一番大きく印象に残る変更は、香山藩側の若侍である小日向直弥とやじの存在がバッサリとカットされたことでしょうか。
 直弥のキャラはおそらく宗栄に反映されている(そのため、原作ではもっと世慣れた人物であったのが随分と若い印象に)のかと思いますが、弾正とはまた異なる武家社会の側面を浮き彫りにするキャラクターだっただけに残念ではあります。

 そしてこの改変に象徴されるように、このドラマ版は永津野側に――そして何よりも弾正と朱音側に大きくウェイトを置いて描く形となっています。
 これはこれで限られた時間で描くためには仕方ないものかと思いますが、これによって、怪物に託して人間そのものの「業」を描いていた物語が、二人のそれを描くものにスケールダウンされてしまった印象は否めません(さすがに原作に秘められているであろう、あるモチーフを描くのは無理だとしても)。

 上に述べたように二人の好演はあるものの、それ故に(そして弾正の妻役の前田亜季のリキの入った演技もあり)二人の過去のエピソードが妙に生々しいものとして浮いてしまった感はありますし、そのために宗栄のキャラクターが浮いてしまったのが勿体無い。

 さらに言えば宗栄が終盤に朱音にかける言葉が、原作では非常に美しくも物哀しい、そして朱音に対する一つの救いを与えるものであったのが、全く趣もひねりもないもの(そもそもこの時代にない言葉だろう、というのはさておき)であったのは、個人的にはこのドラマ版最大の不満点でありました。

(も一つ、原作にはあった怪物の○○○○がなかったのも残念ですが、これはなくても話はまあ通るので……)


 と、厳しいことも書いてしまいましたが、BSとはいえプライムタイムに本作のような怪獣時代劇が、それも相当のクオリティを以て描かれたことは、やはり快挙であると言うべきでしょう。
 怪獣とはいわないまでも、今後も本作のような個性的な作品が映像化されることに希望の持てるドラマ化であったことは間違いありません。



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2018.02.01

『グレートウォール』 ハリウッド+中国の伝奇怪獣映画!?

 黒色火薬を求めて放浪する傭兵ウィリアムと相棒は、夜営中に謎の怪物に襲われ辛くも生き延びる。翌日、万里の長城の禁軍に捕らえられた二人は、襲ってきたのが怪物・饕餮であること、まもなくその大群が襲いかかることを知るのだった。果たして始まった襲撃の中、禁軍に助太刀するウィリアムだが……

 莫大な資金を投じて怪獣映画を次々と送り出してくれる、私のような人間には大変ありがたいレジェンダリーが、こともあろうに巨匠チャン・イーモウを監督に迎えて製作した伝奇怪獣映画――万里の長城は、実は怪物・饕餮の群れを阻むためのものだった、という途方もないアイディアを大真面目に映像化した作品であります。

 饕餮とは、中国の古代神話に描かれる四凶の一つ――牛のような体に角と牙、人のような顔を持った怪物のこと。古代の青銅器の、獣を正面から開きにしたような独特の紋様・饕餮紋のモチーフとして知られる存在です。
 それを本作においては、太古に北の地に落ちた隕石を起源とし、六十年に一度出現しては大地を埋め尽くす怪物――女王を中心に行動し、現れる度に知恵を付ける強大な怪物として描くのであります。
(しかし北方から来るのであれば、遼や女真はどうしていたのか……)

 主人公は、西方から流れてきた弓の達人の傭兵・ウィリアム(マット・デイモン)。
 長城での宋禁軍と饕餮の攻防戦に巻き込まれた彼が、女武人・リン(ジン・ティエン――『キングコング 髑髏島の巨神』や『パシフィックリム』の続編など、もうレジェンダリーの怪獣映画常連女優さん)やワン軍師(アンディ・ラウ)とともに必死の戦いを繰り広げることになります。

 しかし相手はあくまでも大群――一匹二匹は自慢の矢で倒せても(ウィリアムの矢、作中の他の兵器に比べても異様に強い)キリがありません。そこで古文書に残された饕餮たちの弱点、すなわち磁石が近くにあると女王の指令が届かず、行動が停止するという現象を利用して、ウィリアムたちは反撃に転じようとするのですが……


 というわけで、怪獣の猛威と人類の奮戦・苦戦、そして怪獣の弱点を突いての決死の逆転作戦と、ある意味怪獣ものの定番展開が繰り広げられる本作。
 実質中国映画らしく、凄まじい物量を感じさせる画面や、次々と繰り出される武侠ものライクな面白武器など、期待していたものはまず観れたように思います。

 キャラクター面でも、リンのゲームから抜け出してきたようなビジュアルは素晴らしく、この辺りを正面から映像化してしまうのも、さすがと言うべきでしょう。
(それにしても、あのバンジージャンプ的アタックは命が鴻毛より軽すぎるかと)

 ただ残念だったのは、肝心の饕餮があまり魅力的ではなかったことで――饕餮紋をモチーフにしたデザインは面白いのですが、あまりに数が多すぎる(そして種類が少なすぎる)ために、かえって緊迫感が薄れた印象があります。
 これは『髑髏島の巨神』もそうでしたが、ある意味野獣の群れとさして変わらないように感じられてしまう、とでも言えばよいでしょうか……

 さらに言えば肝心の弱点が早々にわかってしまうのも少々盛り上がりに欠けるところで、終盤の展開もいささか無理がある(あれだけ大きな国なのだから磁石くらい幾らでもあるでしょう)と、減点法で見るとかなり厳しくなってしまう作品ではあります。
(ツイ・ハークのディー判事ものだったら、この辺りは伏せた物語作りをしていたと思う――というのはさておき)

 戦場に生まれてただ金のために戦うことしか知らなかったウィリアムが信の想いを知る――すなわち人間性を獲得していく姿が、ただ命じるままに戦うしかない饕餮と対比されているであろう点はなかなか面白いとは思いますが……


 しかしこれだけの規模で、大真面目に時代伝奇怪獣映画を作ってくれたのはやはり嬉しいお話。

 こうなったらモンスターバースに繋げて、更なる続編を――というのは無茶な希望ですが、この路線の作品もまだまだみたいなあ、と強く感じた次第です。

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2018.01.06

『ワンダーウーマン』 彼女が第一次世界大戦を戦った理由

 舞台は1918年だから、という屁理屈で、このブログで取り上げさせていただきます。昨年世界中で大ヒットを収めたDCコミックス原作の映画――ガル・ガドットがダイアナ=ワンダーウーマンを演じた、初の女性スーパーヒーローを主人公とした映画であります。

 神話の時代から女性だけで構成されたアマゾン族が住む外界から隔絶された島・セミッシラで、戦士となることを夢見て鍛錬を重ねてきたダイアナ。
 ある日、ドイツ軍に追われて島に現れた連合国の諜報員スティーブ・トレバーと出会ったことから外界のことを知った彼女が、トレバーとともに島を出て、人間の世界とのギャップを経験する……

 という、ある意味『ローマの休日』の変奏曲(ちゃんとアイスに舌鼓を打ちますし)といった味わいもある本作ですが、もちろんその主な舞台は戦争。
 ドクター・ポイズンが開発した新型の毒ガスによって劣勢となった状況を逆転し、さらなる戦いを続けようとする狂的なドイツ軍人ルーデンドルフを止めるため、ダイアナはトレバーと彼が集めた独立愚連隊的な面々とともに、欧州の戦場を行くことになります。

 しかし外界とは隔絶した世界で暮らしていたダイアナにとって、この戦いは人ごととも言えるはず。それなのにこの戦いに加わったのは、その背後に、アマゾン族の宿敵であり、世界中に戦火を広げんとする戦いの神アレスの存在を察知したためであります。
 ルーデンドルフこそがアレスであり、彼を倒せば戦いが終わると考えたダイアナは、トレバーの制止も振り切って、ルーデンドルフに挑むのですが……


 元々は1941年という第二次世界大戦期に生まれたヒーローの物語を、それよりも早い時代――第一次大戦末期に移し替えた本作。
 そのオフィシャルな理由を私は存じ上げないのですが、おそらくはその最大の理由は、第一次大戦が、人類にとっての最初の世界戦争であったことではないでしょうか。

 一つの地方や国、大陸に留まらず、世界中に戦火を広げた第一次世界大戦。
 この世界大戦においては、本作にも登場した飛行機や戦車、そして毒ガスといった兵器の登場が戦場と被害を広げ、そして大規模化した戦いを支えるために「総力戦」――まさに本作のルーデンドルフのモデルであろうエーリヒ・ルーデンドルフが著書の題名に据えた――が展開されることとなりました。

 いわば戦いが戦士のものに留まらず、銃後の人々までも巻き込むこととなった初めての戦い――そこに無辜の民を守り、戦いの元凶を終わらせるために戦うというヒーローが登場する余地と必然性があると感じるのです。


 もっとも(大方の予想通り)ルーデンドルフはただの邪悪な人間であり、彼を倒しても戦いは終わりません。そして彼をはじめ、戦いを始め、終えることができない人類の愚劣さに。彼女も一度は絶望を経験することとなります。
 そんな、人類を救うための戦いに挫折したヒーローの心を、ただの一人の人間の行為が救うという展開は、定番とはいえやはり素晴らしい。いや、ここで初めて彼女は神話を信じる愚直な戦士から、人間を守るヒーローとなったと言えるでしょう。

 ヒーローはヒーローに生まれるのではなく、ヒーローになるのだと私は常々思っています。本作のクライマックスで描かれたものは、まさにこのヒーロー誕生の瞬間であり、ワンダーウーマンのオリジンを描く物語として相応しい内容であったと思います。


 もちろん、そこに至るまでの彼女の思考があまりに単純に見えるのは事実ですし、その後に本物のアレスが出現してしまうのも、物語的に仕方ないとはいえ、引っかかるところではあります。
 それ以上に、アレスを倒したらやっぱり戦争が終わった(ように見える)のは、いかがなものかと思わなくもありません。
(さらに言えば、女性映画的な視点がほとんどなかったのも残念でしたが、本作にその立場を期待すること自体が差別的な視点かもしれないと反省)

 それでもなお、世界最初の大戦争において人類を救うために戦い、その中で戦士からヒーローとして生まれ変わったワンダーウーマン(そして一人の人間として戦い抜いたトレバー)を描いた本作は、現代的な意味と魅力を持つスーパーヒーロー映画であったと、この文章を書いて、改めて感じた次第です。

(なお現代的といえば、ダイアナの外界での最初の戦いが難民を救うためというシチュエーションは『アイアンマン』と重なるのですが――これが現代における明確な正義のアイコンなのかな、と興味深く感じた次第)


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2018.01.02

『風雲児たち 蘭学革命篇』

 2018年の正月時代劇として元旦夜にNHKで放映された『風雲児たち 蘭学革命篇』を観ました。言うまでもなく、みなもと太郎の漫画『風雲児たち』を原作に、三谷幸喜の脚本によって、一昨年の大河ドラマ『真田丸』の出演陣でドラマ化した作品であります。

 物語の始まりは、1792年(寛政4年)――それぞれ古希を迎えた前野良沢と還暦を迎えた杉田玄白の老いた姿から始まります。
 その20年ほど前、彼らが「ターヘル・アナトミア」を翻訳して、刊行した「解体新書」。しかし何故かそこに良沢の名はなく、以来、袂を分かっていた二人。果たして二人の間に何が起きたのか……

 と、ここから物語は過去に遡り、二人が「ターヘル・アナトミア」を手に入れ、千住骨ヶ原で死体の腑分けを見学した日から始まる悪戦苦闘が描かれることになります。

 中川淳庵、桂川甫周を加え、翻訳どころか単語の意味から辿るという気の遠くなるような挑戦を、一歩一歩進めていく良沢と玄白。
 それでも開始から三年を経て、ほぼ翻訳を終えることができたのですが――しかし良沢は翻訳が不完全であることを恐れて刊行の延期を主張、一方玄白は少しでも刊行を早めることがそれだけ多くの人々を救うことになると反発するのでした。

 さらにオランダ医学をはじめとする蘭学を危険視し、弾圧しようとする人々の存在など、刊行に至るまでの問題を前に苦闘する玄白。そんな中で玄白の下した決断は、良沢との関係を決定的に変えることに……


 日本の医学だけでなく蘭学の進歩に、いや西洋そのものへの関心を高めたことによって、歴史を変える原動力となったとも言える「解体新書」の刊行。
 本作は、そのほとんど暗号解読のような翻訳の過程を、コミカルにユーモラスに描きます。時折入り交じる第四の壁を超えるような演出も楽しく、わずか1時間半という時間の中で、テンポ良く展開する物語は、それだけで実に魅力的であります。

 そしてその魅力をさらに高めているのは、豪華なキャストとその好演であることは言うまでもありません。冒頭で触れたとおり、本作のキャストはメインどころだけでも、良沢の片岡愛之助(大谷吉継)、玄白の新納慎也(豊臣秀次)、さらに平賀源内の山本耕史(石田三成)、田沼意次の草刈正雄(真田昌幸)と『真田丸』のメンバーの再結集。
 この他、高山彦九郎や工藤平助、林子平といった本作ではチョイ役(それにしても豪華な面子!)に至るまで、どこかで見たようなメンバーが再結集しているのは、『真田丸』ファンには思わぬサービスであります。

 しかし同時に本作は、こうした顔ぶれの豪華さだけに頼った作品ではありません。
 本作の根幹に据えられているのは、こうした登場人物たち――歴史上に実際に生きた人々の想いと生き様が交錯し、ぶつかり合い、絡み合うその姿そのものなのですから。


 「解体新書」刊行を巡る最大の謎――それは、メンバーの中核であった前野良沢の名がクレジットされていないことであります。本作は後半に至り、その謎を――そこに至るまでの良沢と玄白の心の動きを中心に描き出すことになります。

 お互いに純粋な想いを抱きつつ、しかしそこにほんの僅かのエゴが絡んだこともあって亀裂は決定的となり、二人は袂を分かつことになる――この辺りのすれ違い、行き違いの描写は、ある意味我々も日常的に経験しているようなものだけに、強く胸に刺さります
 そしてれ以上に、袂を分かった二人が、しかしそれぞれほとんど全く同じ想いを抱いていたことが描かれるくだりには大いに泣かされるのです。そしてまた、物語の時点が冒頭に戻り、老いて再会した二人の万感の想いを込めた表情にもまた……
(さらに言えば、この出演陣が、皆『真田丸』では敗者となった側を演じた面々というのもグッときます)

 本作を観て、歴史というものは、決して無機質な出来事の羅列ではなく、その背後に、その時代に生きた人々の想いや生き様が詰まったものであることを――すなわち、一人一人の人生が積み重なって生まれるものであることを、つくづくと再確認させられました。
 そしてそれこそが、私が歴史好きになったそもそもの理由であったことも。


 そしてまた、ラストに流れる有働アナ(こちらもまた『真田丸』組)の「そして時代は、良沢たちの意思を継いだ数多の風雲児たちによって幕末の大革命へと歩みを進めていくのである」というナレーションもたまらない。
 もうこうなったら、この先も毎年『風雲児たち』をドラマ化して欲しい! と心から願う次第です。


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2017.11.28

『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』 少年の冒険と「物語」の力、生きる意味

 三味線の音で折り紙に命を与える力を持つ少年・クボ。彼は幼い頃邪悪な魔力を持つ祖父・月の帝に片目と父を奪われ、母と隠れ住んでいた。しかしついに追っ手からクボを守って母も散り、クボは祖父を倒す力を持つ三つの武具を求める旅に出る。命を得た木彫りのサルと、クワガタの侍をお供にして……

 公開前から絶賛の声を聞いていた『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を観て参りました。
 本作の製作はストップモーション・アニメで知られるスタジオライカ。それだけに、驚くほど精巧に作られた世界の美しさと、とそこで生き生きと動き回るキャラクターたちの姿がまず印象に残ります。

 巨大な波が荒れ狂う夜の海を小舟が行く様を描く冒頭だけで引き込まれますが、それに続く、成長したクボが、村の人々を前にして三味線をかき鳴らすシーンが抜群にいい。
 彼の三味線に合わせ、宙に舞った折り紙がひとりでに形をなし、自由自在に宙を舞って波瀾万丈な冒険物語を描き始める――という心躍るシーンを見せられば、後はもう作品世界に魂を奪われるほかありません。

 本作はこの後、雪原や洞窟、水底から荒れ果てた城に至るまで様々な世界を駆け巡ることになるのですが――しかし面白いのは、これらのシーンにも、日常感に溢れた村のシーンと同様の不思議なリアリティがあり、絵空事としての違和感を感じさせない点でしょう。
 本作の全編を貫いているのは、キャラクターや登場する事物の不思議な存在感――喋るサルやクワガタの侍などという奇妙な連中ですら当たり前に受け容れられる、どこか民話的な世界観なのであります。おそらくはこれこそが、呆れるほどの手間暇をかけて作り上げた映像の力と言うべきなのでしょう。

 ちなみに違和感といえば、本作においては、「外国人が描いた日本」という違和感をほとんど感じさせないのに驚かされます。
 もちろん、全くツッコミどころがないわけではないのですが、少々のことは民話的なファンタジー、あるいは歌舞伎的な世界観のデフォルメということで受け容れられてしまうのは、本作のビジュアル設計の勝利と言えるのではないでしょうか。


 と――ビジュアル面にばかりまず触れましたが、本作の真に優れた点は、その「物語」とそれに対する意味づけにあります。
 自分から片目を、そして父と母を奪った月の帝に抗することができると言われる三つの宝物を求めて旅立つクボ。彼が繰り広げる冒険は、遙か昔から語られる、宝物を求めて遍歴する英雄のそれと重なるものがあります。

 そしてクボにとってその英雄とは、やはり三つの宝物を求めたいう己の父にほかなりません。実に彼が村人たちの前で語るのは、その父を主人公とした冒険の物語なのですから。
 しかし、その物語の結末をクボが語ることはありません。それは父の旅の終わりを彼が知らないことに因るものですが――同時にそれは、その冒険が彼自身のものでない、借り物の物語であるから、とも言えるでしょう。

 そして本作は、父と同じ目的で冒険をする中で、クボが自分自身の「物語」を、その結末を見出す物語でもあります。
 父の「物語」、結末を知らない「物語」を語ってきた少年が、それを受け継いだ末に、自分の「物語」とその結末を手にする――それは言い換えれば、彼が父の人生を追いかけるだけでなく、自分自身の人生を手にしたということでしょう。

 このような冒険譚の姿を借りた少年の成長物語というだけでも胸に迫るものがありますが、しかし本作はそれにとどまりません。
 本作のクライマックスで描かれるある情景(それが何と日本的なものであることか!)、そしてそこで示される本作のタイトルの意味は、この世にある究極の「物語」の存在を、これ以上なく明確に、そして途方もなく美しく描き出すのです。

 この辺りの展開については、作品の核心であるために詳しく語れないのがもどかしいのですが――人が生を受け、その生を生き抜き、そして次の世代に繋いでいくことと、これまで連綿と続いてきた「物語」を受け継ぎ、その先に己の「物語」を語ることを等しいものとして語ってくれるのが何よりも嬉しい。
 そこにあるのはまぎれもなく「物語」の力であり、そして同時に、人の生に価値あることの証明なのですから。


 素晴らしいビジュアルと魅力的なキャラクター、胸躍り胸締め付けられるストーリー、その中の日本的な――いや、きっと世界中の誰の胸にも届くであろう情感。そしてそれらを重ねた末に浮かび上がる「物語」の力と人生の意味を描き切った本作。

 上映館が多くないのがあまりにも口惜しいのですが、機会があれば、いや機会を作って必ずご覧いただきたい名品であります。



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2017.10.06

一峰大二『風雲ライオン丸』 巧みなチョイスによる名コミカライズ

 ピープロ作品のコミカライズはこの人、とも言うべき一峰大二による漫画版『風雲ライオン丸』であります。「冒険王」誌及び「別冊冒険王映画テレビマガジン」誌に掲載されたもの(及びサンケイ新聞に連載された若林不二吾版)を収録した角川書店版の単行本をベースに紹介いたします。

 マントルゴッドの地下帝国に兄を殺された弾獅子丸。彼は兄の遺言を胸に、背のロケット噴射でライオン丸に変身、父を探して旅する志乃と三吉姉弟とともに、マントル一族に戦いを挑む……

 というTV版の内容は基本的にそのままに描かれるこの漫画版二作。
 どちらも月刊誌で半年間の連載ということで各6話構成、それぞれ内容はパラレルということも考慮に入れても、全25話のTV版の全話再現は当然不可能なのですが――しかし巧みなエピソードチョイスで、TV版とも独立した作品として楽しめるのはさすがと言うべきでしょう。

 「冒険王」版で描かれるのは、バラチとネズマ(TV版では第1・2話(以下同))/シャゴン(第4話)/ズク(第10話)/ザグロ(第11話)/ズガング(第18話)/トビゲラ(第23話)。
 一方、「別冊冒険王」版ではネズマ(第1話)/ガー(第5話)/ガン(第12話)/ゾリラ(第15話)/ヤゴ(第16話)/トビゲラ(第23話)と、冒頭とラストは仕方がないとはいえ(しかし何故トビゲラかぶり……)、結果としてバラエティに富んだ内容であります。

 この2バージョンのうち、「別冊冒険王」版は、一話あたり約20ページと少なめなこともあり、内容的にはかなりシンプル(黒影豹馬も登場しない)なのですが、第4回までの冒頭8ページを飾るカラーページの迫力が素晴らしい。
 特に第1回の真っ赤な夕日を背景に荒野を走る幌馬車、第2回のガーの鱗粉で溶けていく森、第3回のガンの弾丸で溶かされる老人と家など、凄まじいインパクトであります。

 そしてシンプルと言いつつも、ヤゴの回はTV版を相当忠実に再現。掟のために死んでいく忍者たちを目の当たりにしつつ、恥ずかしくても苦しくても生きていくことが大事なんだと語る獅子丸の姿は、TV版同様、強く印象に残ります。


 一方、「冒険王」版は、一話あたり約30から40ページということもあり、各回の物語の充実度はかなりのもの。内容的にはドラマよりも怪人との攻防戦がメインなのですが、そのアクション描写が実にいい。
 ロケット噴射で軽快な立体機動アクションを見せる獅子丸、岩をぶち破りながら怪人二人をまとめて叩き斬るライオン丸など、TV版では技術的な制約で描けなかった描写が、きっちり格好良いのです(あの微妙だったズガングの逆立ち鎖鎌まで……)。

 その迫力ある描写が最大限に発揮された場面の一つが、ブラックジャガー(漫画版ではジャガーマン)の最期でしょう。TV版同様、ザグロに挑んで倒されるのですが――こちらでは矛のような巨大な刃が脳天に半ばまで食い込んだ上に、散弾攻撃で五体バラバラになるというインパクト満点の最期。
 いやはや、これを読んだ後でTV版を観ると、ずいぶんあっさりと感じられてしまうのが恐ろしいところです。

 そしてもう一つ、この漫画版ならではの迫力ある展開が楽しめるのは最終回であります。
 ついに地下帝国の本拠に突入し、マントルゴッドと対決する獅子丸。宙を舞いながらマントルゴッドの火球を躱す、次第に追い詰められていく獅子丸に、囚われの謎の男の助言で春の短刀と冬の太刀を合わせればほとばしる稲妻!

 そして稲妻による洞窟の崩落を利用してのライオン千じん落としがガーンとモロにマントルゴッドの顔面に炸裂! これ、映像でも観たかった! と言いたくなる、実に痛快なフィニッシュなのです。
 ちなみに囚われの謎の男は志乃と三吉の父。こちらではマントルの秘密を隠していたために捕らえられていたということで
悪魔に魂を売ってはいないようであります。


 この最終回の内容や上記のチョイスからもわかるように、実はこの一峰版はTV版の曇りエピソードをほとんど外しているために、TV版とはまた異なる印象になっているのは事実ではあります。
 それでも『風雲ライオン丸』としての独特の味わいはしっかり残っているのはのは、コミカライズの名手ならではの妙技でしょう。

 TV版の破天荒な世界観と作者の野太い描線がマッチした、名コミカライズであります。


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2017.09.17

『風雲ライオン丸』を見終えて(後編)

 『風雲ライオン丸』の全編を通じての印象の後半であります。決して悪い作品ではない、むしろ評価できる点も多い本作。しかし……

 それでは本作が手放しで絶賛できる作品かといえば、しかし否という必要があるのでしょう。
 残念ながらあまり評価できないのは、むしろ物語構成や人物配置における迷走ぶり(というのは言葉が強すぎるかもしれませんが)というべきもの――ライバルキャラとして登場したはずの黒影豹馬のあっさりした退場、そして代わって登場した虎錠之助のキャラの弱さに代表される部分であります。

 特に虎錠之助/タイガージョーJrは、言うまでもなく前作の人気キャラクターである虎錠之介/タイガージョーの再来を狙ったキャラですが、作中では出自不明(はいいとして)で目的不明、今ひとつ立場がはっきりしないというキャラクター。
 終盤は出番が少なく、最終決戦にも参加しない――いやそれ以前に、初期は錠之介なのか錠之進なのか錠之助なのか、名前が固まらなかったというのは、ある意味このキャラの立ち位置を雄弁に物語っていると感じます。

 そのほかにも、外したり被ったり(さらに言えば、外した次の回にはまた被っていたり)のライオン丸の兜や、突然再登場して前作との関係性をさらにややこしくした快傑ライオン丸、何よりもヒロインの父であり旅する理由であった勘介の作中での扱いなど……
 色々と画面の外での混乱や試行錯誤が窺われる部分が、結果として本作の完成度を削ぐ結果となっているのは、やはり残念と言わざるを得ません。


 結局のところ本作は、言われているほど悪くない、いや瞬間最大風速的には前作を上回る点もありつつも、残念な点も少なくなかった、という評価になるのかもしれません。
 しかしここには本作ならではの、本作でしか見れないものが――傑作であった前作にもないものがあった――それは間違いないと感じます。

 その最たるものは、舞台となる戦国という時代の一つの有り様が、物語から痛いほど伝わってくる点であります。

 前作の敵・大魔王ゴースンに比べれば、その正体等で謎の点も非常に多いだったマントルゴッド。
 もちろんビジュアルインパクトではゴースンに勝るとも劣らない(というより特撮史上に残る)存在だったなのですが、それはさておき、僕はこのマントルゴッドの、マントル地下帝国の正体不明ぶりこそ、この本作の魅力の一つが現れていると感じます。

 ただひたすらに強大で恐ろしく、非情な存在――それを前にした人々は恐れ惑い死んでいくか、あるいは膝を屈してその一部になるしかない存在。
 それはもちろんヒーローに対する悪というものの定番の描写でありますが、本作においてはその正体不明の悪意に満ちた力こそが、舞台となる戦国時代の――個人の力ではどうにもできぬ巨大な時代の流れの象徴、一つの顕れとして感じられるのです。

 そしてまた、獅子丸が戦ってきた相手は、マントル一族だけではありませんでした。彼の前に立ち塞がったのは、同じ人間の無理解や悪意、利己心など――戦国という時代の隙間から吹き出してきた人間の業とも言うべきものもまた、彼を強く悩ませてきたのです。
 マントル一族がなければ、人々が犠牲になることはなかったのか――その数は減ることはあれど、しかしその答えが否であることを、本作の物語は雄弁に語ります。

 今なお語り草である本作の結末――勝ったと叫びながらも笑顔一つなく消えていく獅子丸の姿には、自分が倒したものはこの時代と世界を象徴する「悪」の一つに過ぎなかったことに気付いてしまった(気付かざるを得なかった)者の苦悩を感じる……
 というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが、そこには時代という壁にぶつかったヒーローの姿が確かにあることは間違いありません。

 その意味で本作は、前作でも至らなかった境地に達してしまった、希有の特撮ヒーロー時代劇であったと言えるのではないでしょうか。


 ついつい熱が入りすぎて妙なところまで入り込んでしまった感もありますが、これがそれが僕の大げさな物言いであるかどうか、ぜひとも機会を見つけてご確認いただきたいと、心から願う次第です。


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2017.09.16

『風雲ライオン丸』を見終えて(前編)

 これまで全25話の紹介をさせていただいた『風雲ライオン丸』。その全編を通じての印象のまとめであります。

 特撮ヒーロー時代劇屈指の名作であることは誰もが認めるであろう『快傑ライオン丸』の後番組である本作。しかしライオン丸の名を冠し、主人公「獅子丸」を演じるのは前作と同じく潮哲也――でありつつも、前作の続編というわけではないという少々ややこしい立場の作品です。
 そのためか、本作は前作とは大きく異なる趣向を導入することになります。そう、「西部劇」のテイストを。

 ポンチョ風のコスチュームをまとった主人公、舞台の多くは延々と続く荒野、ライフルや幌馬車といった小道具等々……
 しかしそれが裏目に出て、視聴者や出演者にも違和感を感じさせた、という逸話は、それはそれで納得できるのですが、しかし今回見直してみて、個人的には言われているほど違和感があると感じなかったのは、一つの発見でした。

 そもそも時代劇と西部劇の組み合わせに親和性が高いのは、『用心棒』が『荒野の用心棒』に翻案されたり、その用心棒を思わせるキャラを主人公とした(本作の前後に放映された)三船プロの素浪人ものがあるのを上げるまでもないお話。
 それよりも時折登場する現代的な「超科学」の方がよほど違和感が――というのはさておき、本作の狙い自体は悪くはなかったと感じます。
(そもそも前作終盤にガンマン怪人たちが登場しているわけで……)

 あの時代に馬車や爆弾がゴロゴロしていたかと言えばまあアレなのですが、しかしひたすら砂と埃と岩が続く世界観は、人々の剥き出しのエゴが描かれ、人の命があっさりと奪われていく物語に、実によく似合う。
 さらにまた、第7話「最後の砦」のように、西部劇要素を時代劇に巧みに落とし込んでみせたエピソードもあることを考えれば、これは一種のアクセントとして認めるべきではないか――というのはやはり過大評価かもしれませんが。

 ちなみにある意味「超科学」であり、本作を語る際にネタ的に扱われる弾丸変身ですが、確かにロケットで天高く舞い上がり、戻ってくると変身しているというのは、悪い意味でインパクトが大きいのは否めません。
 しかし作中では精密機器ゆえロケットが故障して危機に陥るエピソードや、ロケットを利用して窮地を脱出する(洞窟からの水平脱出、変身しながらの空中の敵への一撃等)等、バンクシーンだけで終わらせない工夫が印象に残ります。

 特に印象に残るのは、数々の強烈な演出が飛び出した第19話「よみがえれ弾丸変身!!」でのシーンでしょう。苦悩の末に谷底に身を投げたかに見えた獅子丸が、落下途中で変身、大反転して宙高く舞うことでその精神の復活をも高らかに宣言してみせるくだりは、変身シークエンスと物語の盛り上がりを完璧に融合させたものとして、ヒーロー史上に残る変身シーン――あ、これも過大評価ですか。

 いずれにせよネタ的に(ネガティブな点から)取り上げられることも少なくない本作の趣向は、決してそれだけで終わるものではなく、一つ一つの場面、そして何よりも物語と有機的に結びつくことで大きな効果を上げている(ことも少なくない)ことは声を大にして申し上げてもよいでしょう。

 そしてそれが本作のハードな物語展開と噛み合った時、最大限の効果を発揮するものであり――そこに生まれたものは、前作から繋がる豊かなドラマ性を、さらに押し進めてみせたものと言えるでしょう。
 もちろんそれを曇り方面に押し進めすぎたきらいは否めませんが……


 それでは本作が手放しで絶賛できる作品かといえば――以下、次回に続きます。


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2017.09.14

『風雲ライオン丸』 第25話「マントル地下帝国最後の日!!」

 ライオン丸に最強の怪人マントルテロスを差し向けるマントルゴッド。三吉と志乃を人質に取られつつも、錠之助の助けでマントルテロスを打ち倒した獅子丸は、ただ一人マントルゴッドを倒すことを決意する。死んでいった者たちの面影を胸に、地下帝国に乗り込む獅子丸を待つものは……

 ついに最終回、既にアグダーや勘介を失い、獅子丸に本拠地を知られて後がないマントルゴッドは、自分の分身だという怪人マントルテロス(分身のわりにはマントルゴッドに敬語を使っているのはデボノバのような立場だから?)を放つのでした。

 その頃、ただ一人本拠地に向かう獅子丸ですが――しかし彼を追いかけてきたのは故郷に帰ったはずの志乃の馬車。父の仇を討つと一人戻ってしまったという三吉を追って、二人は先を急ぎます。と、案の定襲われていた三吉は、手に持っていた手製の爆薬(なにげに剣呑この上ない)で地虫を蹴散らしながら逃げますが、追い詰められたところに現れたのは、本当に久々のタイガージョーJr! どこに行っていたんだお前。
 一方、獅子丸は現れたマントルテロスの攻撃に苦戦中のところ、志乃を地虫たちに攫われてしまうのですが――駆けつけた錠之助が救出。形勢不利とマントルテロスはさっさと逃げ出すのでした。

 そして改めて地下帝国に乗り込もうという獅子丸ですが、なんとここで同行しようという錠之助を拒絶。確かに上から目線でかき回しながら、ここのところ大事なエピソードは欠席していたから――ではたぶんなく、自分一人の力でマントルゴッドを倒したいという獅子丸の強い決意に、錠之助も志乃も三吉も、ただ彼を見送るしかないのでした。
 そして行く手に再び立ち塞がったマントルテロスと激闘を繰り広げた獅子丸は、怪人の吐くガスで左腕の自由を奪われながらもテロスを倒すのでした。(一回しか斬ってないのに五体バラバラになったテロス――と思いきや、獅子丸が行った後に再生!)

 兄・影之進、豹馬、虹之助、そして――ええと、第12話の地獄党の雷之介!? を脳裏に思い浮かべながら地下帝国に足を踏み入れる獅子丸。が、早速扉が締り、閉じ込められた獅子丸に地虫、地雷、ガスetc.が襲いかかります。そしてそれをなんとかくぐり抜けたと思いきや足元が崩れ、下のフロアに落ちた獅子丸は、檻に閉じ込められることに……
 その前に三度現れるのは再生したマントルテロス。闘志に燃える獅子丸は、何と地底の、檻の中で強引にロケット変身! マントルテロスと激突します。延々と続く死闘の果てに、マントルテロスが何かを守っていることを気づいた獅子丸は、その物体(冒頭にマントルゴッドが言っていた命の泉?)に一撃!

 それこそはマントルゴッドの急所、地面の巨大な目から口から火花を、炎を吹き出すという、そのビジュアルにふさわしいインパクト満点の断末魔を見せるマントルゴッドは、お前も道連れだ的なことを言い残すのですが、地底帝国が崩れ落ちる中、獅子丸は「俺は勝ったんだーッ!」と絶叫するのでした。
 そして戦い終わり、無事に脱出したらしい獅子丸を見送る志乃と三吉、錠之助。しかし獅子丸は、念願を果たしたヒーローのそれとは思えぬ表情――虚しさとも疲れとも諦めともつかぬものを浮かべ、夕陽の中に消えていくのでした(おわり)。


 というわけで、それ以前に死んだわけでもないライバルキャラが最終決戦に参加しないという、前代未聞の、しかしなんとなく本作らしい最終回である今回。突然出てきた上にそれほど強くない最強怪人マントルテロス、その巨大さのわりには一発で倒されたマントルゴッドなど、突っ込みどころはあれど、しかし情念が込められまくった獅子丸の姿を見ていればそんな気持ちは吹き飛びます。

 そしてラストシーン――自らの命を犠牲としつつも、正義のヒーローとしての運命を全うした快傑ライオン丸に比べれば――いや他のどんなヒーローと比べても(タイガーセブンは除く?)その異様さは際立つものがあります。
 しかしそれもまた、弾獅子丸が己の道を全うした果てのことであり、本作の結末としてふさわしいものであるとも感じられます。少なくとも、見た者の心に強く強く残る結末であることは間違いないでしょう。
(本作全体を通しては、別途まとめ記事を書く予定です)


今回のマントル怪人
マントルテロス

 マントルゴッドの分身であり、地下帝国を守る最後の切り札。先が二又に分かれた槍を獲物とする。槍に巻いた赤い綱で首を締めたり、投げた槍を自在に操るほか、口から相手の動きを封じる白いガスを、左手首からは火花を放つ。マントルゴッドが生きている限り不死身の再生能力を持つが、マントルゴッドの急所を刺されて共に滅んだ。


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2017.09.04

『風雲ライオン丸』 第24話「悲運!! 父との再会!」

 マントルの本拠である播磨に向かう獅子丸一行。地虫に捕らえられた虹之助が残した目印を追って敵の本拠地に近づく一行だが、その前に現れた黒衣の男は虹之助を人間大砲の砲弾にして彼らを狙う。大砲から打ち出される直前、黒衣の男の正体を見破る虹之助。それこそは志乃と三吉の父だった……

 春夏秋冬のアイテムを揃え、ついに手に入ったマントルの秘密――絵図面に記されたマントル一族の本拠地に向かう獅子丸。一方マントルゴッドはアグダーに次ぐ指揮官として謎の黒衣の男を指名し、地虫に人々を襲わせます。一行と離れ、一人地虫たちと戦う獅子丸ですが、その間に志乃たちの馬車を襲う怪人アブ。密かに用意していた虹之助は、ライオン丸の扮装でアブに立ち向かうも捕らえられ、基地に連行されてしまうのでした。
 しかしその間に虹之助が目印として落としていったマキビを追って本拠地に迫る獅子丸。一方、黒衣の男と対面した虹之助は、彼が人間であることを見破りますが、男によって人間大砲の砲弾にされてしまうのでした。

 本拠地に近づき、アブと戦う獅子丸の間近で爆発する砲弾(この後しばらくアブが登場しないのでこれで死んだものかと……)。大砲の威力を誇示しながら現れた黒衣の男は、次は虹之助を撃ち出すと告げます。珍妙な三角帽っぽいものを被せられた虹之助は、死を目前としながらも男の正体が志乃と三吉の父・勘介だと見破ります。
 虹之助に、自分が狙っている中に志乃と三吉がいると告げられ、激しく動揺する勘介ですがそのまま大砲を発射。虹之助は最後の力で砲弾の軌道を変え、地虫たちの中に突っ込み、壮絶な爆死を遂げるのでした(嗚呼……)

 この惨劇の文字通り引き金を引いたのが探し求めてきた父であると知り、愕然とする志乃と三吉。一度は覚悟を決めて大砲を撃った勘介も、二人の非難に衝撃を隠せないのですが――しかしもちろん二人が許すはずもありません。志乃は会いたくなかったと正面から詰り、三吉はあんな奴は父さんじゃないと走り去ってしまうのでした(そして三吉を見守る獅子丸)。

 さすがに娘の面罵が応えたのか、本拠地の地図を志乃に託して去ったという勘介。それを聞いた獅子丸は、勘介が死ぬ気であることを悟ります。果たして(早速)磔にされ、処刑執行される勘介。そこに駆けつけた獅子丸は怒りに燃えて(洞窟の中だけれども画面の外で)変身、アブを一蹴します。
 そのままマントルゴッドを求めて奥に進みますが、落石や花火いや火花、そして吹き出すマグマに阻まれ、やむなくライオンジェット反転(以前どん底に落ちた回で谷底に飛び降りながら変身した時のやつ?)で基地から脱出するのでした。

 父の死を受け止め、故郷に帰るという志乃と三吉に別れを告げ、いよいよ獅子丸はマントルゴッドと最後の対決に望む決意を……


 後半に入ってから獅子丸たちの頼もしい味方として活躍してきた七色虹之助がここに来て爆死という展開に絶句させられるラスト一話前。言われるほどギャグキャラではなかったようにも思える虹之助ですが、重くなりがちだった物語をほんのちょっと明るくしてくれた彼をここまで容赦なく惨殺するというのは、本作らしいというかなんというか……

 そして本作全編を貫く謎的に扱われてきた志乃と三吉の父の行方もついに判明。それが敵の幹部、それも虹之助をほぼ直接殺害した上に、自分たちも殺そうとしたという容赦のなさであります。
 しかし、父の登場にいきなり感が否めないのは事実。その点をそれを補うための虹之助惨殺だとは思いますが、それだけやっておいて、いきなり改心→処刑という慌ただしさも、またある意味で本作らしいと感じます。

 それにしても、彼がなぜマントルという悪魔に魂を売ったのかが一切語られないというのは、これはこれで色々と想像させてくれて嫌いではありません。十年前に志乃の前から姿を消したようですが、物心ついた時からマントル帝国で育てられた志津がいたということは、おそらくはその前からマントルと接触があったということなのでしょう。
(あるいはこれまで登場した超兵器の数々は彼の手になるものだったのか……)

 そして一般の(?)マントル怪人としてはラストのアブ。もうひねるつもりもないネーミングですが、造形はかなり良い……とうより不気味で迫力があります。


今回のマントル怪人
アブ

 勘介の命で人間たちを襲うアブの怪人。細身の直刀と棘付きの鞘を武器とし、空を飛んで口から吐き出す七色の紙テープで相手の動きを封じる。ライオン丸と一度目の対決で弱点の角を斬られ、勘介を処刑した後の二度目の対決であっさり倒される。


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