2017.10.19

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!

 1998年からweb連載が開始、今なお書き継がれている『絵巻水滸伝』――私の信じるところでは、原典ベースの水滸伝リライトで最も面白い作品の、第二部の書籍化がついにスタートしました。梁山泊に集結した百八人の豪傑のその後が、ここに再び語られることになります。

 絵・正子公也、文・森下翠という担当で描かれてきたこの『絵巻水滸伝』。「絵巻」という語からもわかるように、言うなれば本作は絵物語――文章に挿絵が付されたというより、文章と挿絵が対等な作品であります。

 最近は戦国武将のイラストでも知られる正子公也の美麗かつ独自の解釈の加えられた挿絵と、原典をきっちりと踏まえ押さえつつも、そこに欠けた部分・矛盾した部分を巧みに補った森下翠の文章。
 その二つが絶妙に絡み合った本作は、現在進行中の、いやこれまで日本で書かれた水滸伝リライトの中でも、ほとんどベストに近い内容のものであると、連載開始時から私は確信しているところです。

 さて、原典の120回本でいえば第71回まで、梁山泊に百八人の豪傑が集結するまでを描いた第一部は約10年前に完結し、全10巻で書籍化&電子書籍化されていますが(なお、今後書籍版が全20巻に再編集の上、再版されるとのこと)、今回刊行されるのはその続き、第71回からの「招安」篇全5巻であります。

 招安とは、簡単に言えば国が賊の過去の罪を許し、帰順させて軍に編入すること。国から見れば討伐のための様々なコストを省いた上に精強な軍を手に入れることができ、賊からすれば身の安全と職を手に入れられるという、ある意味win-winの関係であります。
 後者が「自由」を失うことを除けば――

 この第二部のベースとなっている原典の第72回以降は、招安を受けて帰順した梁山泊が、宋国のために遼国や叛徒たちを討ち平らげる物語。
 フルメンバーの豪傑たちが並み居る敵を蹴散らしていくのは、それなりに痛快ではありますが――しかし(戦争続きでかえって平板という構成上の問題点はさておき)大前提として、豪傑たちが招安を受け、国の下についてしまったという点で、ファンにとっては評価が厳しくなってしまうのは無理もない話でしょう。


 その招安を、本作はどのように描くのか――それはまだ先の話で、今回取り上げる第1巻に収録されているのは、原典の第72回から第75回までに当たる部分。
 東京に潜入した宋江たちが李師師と出会い、李逵と燕青が偽宋江を退治し、燕青が泰山奉納相撲で任原を破り、朝廷の使者の高慢さに怒った豪傑たちによって招安が決裂し……というくだりであります。

 このとおり、招安を巡る物語としてはまだ冒頭、第二部の特色とも言うべき大規模な戦争もまだ描かれていないのですが――しかしもちろん、それでも本書は面白い。
 ここで描かれているのは、いわば梁山泊が最も梁山泊であった頃。百八人の豪傑たちが梁山泊に集い、好き勝手に暮らしていた頃なのですから。

 そんな彼らの生き生きとした姿(その描写も『絵巻水滸伝』の大きな魅力であります)だけでも楽しいのですが、そこにさらに本作ならではの捻りが随所に入るのがたまらない。
 梁山泊で相撲といえばこの人、でありながら泰山相撲で出番がなかったあの好漢のエピソードが用意されていたり、その泰山相撲の中で今後重要な役割を果たすキャラクターが登場していたり……

 そのまま読んで面白いのはもちろんのこと、水滸伝ファンであればあるほど楽しい、そんな仕掛けが本書には仕掛けられています。

 正直なことを申し上げれば、この118頁で1944円という価格は決して安いものではないかもしれません。しかし、フルカラーということを考えればこれはやむなしといったところでしょうか(サイズ、想定とも邦訳アメコミを連想していただければよいかと思います)。
 何よりも本書は、豪傑たちの鮮やかな活躍を、手に取って「読み」「見る」楽しみを与えてくれるのですから……


 ちなみにこの第1巻には、招安篇に登場するキャラクターや用語等の紹介、地図等が収録された小冊子も付録となっており、これもまた嬉しいところであります。
 まずは全5巻、豪傑たちが朝廷との対峙の果に何を掴むのか、見届けたいと思います。


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇1(付録小冊子付)


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 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2017.10.18

入門者向け時代伝奇小説百選 江戸(その二)

 入門者向け時代伝奇小説百選、江戸もののその二は、フレッシュで個性的な作品を中心に取り上げます。

76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

76.『退屈姫君伝』(米村圭伍) Amazon
 ユーモラスかつスケールの大きな時代小説を描けば右に出る者がいない作者の代表作、好奇心旺盛な姫君の活躍を描くシリーズの開幕編です。
 陸奥の大藩から讃岐の小藩・風見藩に嫁いだ、めだか姫。夫がお国入りして暇を持て余し、謎解きをしたり町をぶらついたりといった日々を過ごす姫は、田沼意次が風見藩と実家を狙っていることを知り、俄然張り切ることに……

 作者お得意のですます調で繰り広げられるユーモラスでペーソス溢れる物語が、あれよあれよという間にスケールアップしていく、実に作者らしいスケール感の本作。
 冒頭で述べたとおり「退屈姫君」シリーズの第一作でもあり、また作者の他の作品とのリンクも魅力の一つです。

(その他おすすめ)
『風流冷飯伝』(米村圭伍) Amazon


77.『未来記の番人』(築山桂) 【忍者】 Amazon
 大坂を舞台に、したたかな商人たちの姿や、爽やかな青春群像を描いてきた作者が、聖徳太子の予言書「未来記」を題材に描く活劇です。
 大坂四天王寺に隠されていると言われる未来記奪取を命じられた、南光坊天海直属の忍び・千里丸。千里眼の異能を持つ彼は、そこで初めて自分と同様に異能を持つ少女・紅羽と出会うのですが……

 この二人を中心に、様々な思惑を秘めた様々な人々が繰り広げる未来記争奪戦を描く本作。その内容は、まさに伝奇ものの醍醐味に満ちたものであります。
 しかし本作は同時に、その戦いの中の人々の姿を丹念に描くことにより、歴史の激流の中で人が生きることの意味を問いかけるのです。作者ならではの佳品というべきでしょう。

(その他おすすめ)
『緒方洪庵浪華の事件帳』シリーズ(築山桂) Amazon
『浪華の翔風』(築山桂) Amazon


78.『燦』シリーズ(あさのあつこ) Amazon
 瑞々しい少年たちの姿を描く児童文学と、人の心の陰影を鮮やかに描く時代小説を平行して描いてきた作者が、その両者を巧みに融合させたのが本作です。

 田鶴藩の筆頭家老の家に生まれ、藩主の次男・圭寿に幼い頃から仕えてきた吉倉伊月。しかしある日彼らの前に、かつて藩に滅ぼされた神波一族の生き残りの少年・燦が現れます。
 突然藩主を継ぐことになった圭寿を支える伊月と、彼らと奇妙な因縁に結ばれた燦。三人の少年は、やがて藩を簒奪せんとする勢力、そして藩が隠してきた闇と対峙することになるのですが……

 三人の少年たちの戦いと成長と同時に、彼らと関わる女性たちの姿も巧みに描き出す本作。ラストに待ち受ける驚愕の真相も必見です。


79.『荒神』(宮部みゆき) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 時代小説においても人情ものからミステリ、ホラーなど様々な作品を発表してきた作者が、何と怪獣ものに挑んだ傑作であります。

 ある晩、北東北の山村が一夜にして壊滅。その山村が敵対する二つの藩の境目にあったことから緊張が高まる中、その犯人である謎の怪物が出現、次々と被害を増やしていくことになります。
 両藩の対応が遅れる中、事件に巻き込まれた人々は、生き残るために、あるいは怪物を倒すために、それぞれ必死の戦いを繰り広げることに……

 怪獣映画のフォーマットを時代小説に見事に落とし込んでみせた本作。怪物の存在感の見事さもさることながら、理不尽な事態に翻弄されながらも決して屈しない人々の姿が熱い感動を呼びます。


80.『鬼船の城塞』(鳴神響一) Amazon
 日本では比較的数少ない海洋時代小説。本作はその最新の成果というべき冒険活劇であります。

 日本近海で目撃が相次ぐ謎の赤い巨船「鬼船」。御用中にこの鬼船に遭遇した鏑木信之介は、鬼船を操る海賊・阿蘭党に一人捕らわれることになります。
 彼らの賓客として遇される中、徐々に彼らの存在を理解していく真之介。しかし鬼船を遙かに上回る巨大なイスパニアの軍艦が出現したことから、事態は大きく動き出すことに……

 デビュー以来、通常の時代小説の枠に収まらない作品を次々発表してきた作者らしく、壮大なスケールの本作。散りばめられた謎や秘密の面白さはもちろんのこと、迫真の海洋描写、操船描写が物語を大いに盛り上げる快作です。

(その他おすすめ)
『私が愛したサムライの娘』(鳴神響一) Amazon
『海狼伝』(白石一郎) Amazon



今回紹介した本
退屈姫君伝未来記の番人 (PHP文芸文庫)燦〈1〉風の刃 (文春文庫)荒神 (新潮文庫)鬼船の城塞 (ハルキ文庫 な 13-3 時代小説文庫)


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 入門者向け時代伝奇小説百選

 「退屈姫君伝」 めだか姫、初の御目見得
 『未来記の番人』 予言の書争奪戦の中に浮かぶ救いの姿
 「燦 1 風の刃」
 『荒神』 怪獣の猛威と人間の善意と
 鳴神響一『鬼船の城塞』 江戸の海に戦う男たち

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2017.10.17

佐野しなの『刑事と怪物 ヴィクトリア朝エンブリオ』 異能が抉る残酷な現実と青年の選択

 狂気の天才医師が生み出した臓器の移植により異能を得た存在「スナーク」が跳梁するヴィクトリア朝のロンドンを舞台に、熱血青年刑事・アッシュとスナークの不良中年・ジジのコンビが、スナーク絡みの怪事件に挑む連作の待望の続編であります。

 優れた才能を持ちつつも、忌まわしき実験に手を染めた末に処刑された狂気の天才外科医ブラッド・ロングローゾ。
 生前、彼が摘出した突出した能力を持つ犯罪者の臓器を移植され、人知を超えた異能を獲た者は「スナーク」と呼ばれ、畏怖と嫌悪の対象とされた――という異形のビクトリア朝が本作の舞台であります。

 そんなスナークが引き起こす事件に対し、スコットランド・ヤードは対スナーク班を設置。そしてそこに配属されたのが、ヤードの高官を父に持ちながら、父に強く反発する熱血青年アッシュであります。
 ロングローゾの養子であり、スナークの能力を熟知した中年男――自らも人の感情の音を聴く能力を持つスナークであるジジとコンビを組むことになった彼は、互いにぶつかり合いながらも怪事件に挑むことに……


 と、そんな彼らの冒険を描く第2弾である本書は、4つの物語から構成されます。
 堅物のくせに(だからこそ?)美人局に引っかかり、免職の危機に陥ったアッシュが、スナークの美声で人を操るという評判の歌姫と出会う第1話。
 美人局の背後に潜むスナークの存在に気付いてしまった少女が、謎のスナークの力を借りてジジに接近するも、それが次なる騒動を招く第2話。
 死んだ者が復活するとの噂の酒場の調査の中で、二人がスナークの力を得たことで全てを失った少年に希望を与える第3話。
 ロンドン中の女性たちに感謝され、警察も見て見ぬふりだという「殺人者」を捕らえたアッシュが、その背後にある闇に直面する第4話。

 底抜けのお人好しで理想主義者で正義感の塊の(でも目つきが悪い)アッシュと、この世の裏も表も見尽くして飄々とシニカルに生きる(でも結構いい人)ジジと……
 対照的な二人の会話の面白さは相変わらず、いやパワーアップして、ただ二人が会話しているだけで楽しい状態。この舞台ならではの小粋な言葉遊びの数々も、物語の良いスパイスであります。

 そんな中でも、実質的に前後編となっている前半2話は、アッシュが休職状態でコンビ解消の危機の中、それぞれの身に降りかかった厄介事に二人が挑み、その末に粋な結末が――とその完成度に驚かされるエピソード。
 さらに第3話も、アンデッド酒場という奇想天外な場と人生を諦めきった少年という全く無関係に見える題材を二人の活躍が結びつけ(特に前者の正体には仰天)、感動的な結末が……と、これまた実にイイのです。


 ……しかし、本書の真骨頂は第4話――冒頭で「犯人」が捕まり、その能力と動機が語られるという少々トリッキーなスタイルのエピソード――にあります。それまでのちょっとイイ話の余韻を吹き飛ばすような、ひたすら重く、キツい内容のエピソードに……
 その具体的な内容は伏せますが、当時のロンドンのある状況を踏まえて描かれるそれは、重いボディーブローを喰らってダウンした後に、なおも顔面をギリギリ踏みつけるような――そんな衝撃を与えてくれます。

 そしてその物語の中で、アッシュは一つの選択を迫られることになります。このスナークを罰するのか、それとも見逃すのか――と。
 そしてその答えに、いやその理由に、僕は大いに驚かされ、そして胸打たれました。それは、僕にとっては考えもつかなかったような意外極まりない、しかしそれでいてアッシュであれば、彼がこの状況であれば必ず選ぶであろう当然のものだったのですから。

 それは残酷にもほどがある現実にぶち当たりながらも、なおも理想を、いや現実をより良くすることを求めることを止めないアッシュならではのものであり――そしてそれはまた、彼を見守るジジの存在あってのものとも言うことができるでしょう。


 本作は、この特異な舞台でなければ描けない物語であるとともに、程度の差こそあれ、いつもいかなる時と場所で存在する非情な現実を前に、人に何ができるのか、何をすべきなのか――それを描いた物語でもあります。

 その物語の中で時に対立し、時に手を携えて進むアッシュとジジの姿は、一つの希望として感じられます。
 その希望が小さな火で終わるのか、はたまた大きな輝きとなるのか――この先の姿も是非とも描いて欲しいものです。

(にしても本作のサブタイトル……)


『刑事と怪物 ヴィクトリア朝エンブリオ』(佐野しなの メディアワークス文庫) Amazon
刑事と怪物―ヴィクトリア朝エンブリオ― (メディアワークス文庫)


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 佐野しなの『刑事と怪物 ヴィクトリア朝臓器奇譚』 異なる二人の相互理解

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2017.10.15

北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ

 梁山泊対金、梁山泊対南宋――北で、南で、海で繰り広げられる戦いはいよいよ佳境に向かい、北方『岳飛伝』もついに二桁の大台に突入。波乱に次ぐ波乱の末に、次代を背負う若者たちに、それぞれの幸せが訪れるのですが――しかしそれで安心できないのが北方大水滸の恐ろしさであります。

 共通の敵のために同盟を結んだ金と南宋、それぞれを迎撃することとなった梁山泊。
 梁山泊近くでは呼延凌と兀朮が率いるそれぞれの本隊が激突、南方では梁山泊と岳飛双方に因縁深い辛晃が秦容と岳飛を窺い、そして海上では張朔と韓世忠の水軍が一進一退の攻防を見せることになります。
 そしてこれらの戦いの陰では、米と麦の買い占めにより相手国の根底を揺るがそうという、いわば経済戦争(というより経済攻撃)というべき、梁山泊の奇策が……

 そして、互いの首を狙って呼延凌と兀朮がいつ果てるともしれぬ戦いを続ける中、ついに正面から激突する史進と胡土児。互いの策の読み合いの末、韓世忠に父譲りの飛礫を放つ張朔。その張朔の命令で、造船所焼き討ちという死地に向かう狄成と項充。ついに秦容と手を携え、辛晃の心理を読み取って乾坤一擲の勝負に出る岳飛。
 彼らだけでなく、今は商人として活動する王清や蔡豹もまた、それぞれの立場で戦いに参加することになります。

 物語の舞台の広がりに伴い、各地で同時進行的に繰り広げられるこれらの戦いは、中盤のクライマックスに相応しいものというべきでしょう。
 個人的には、梁山泊にとっては鬼門である造船所焼き討ちに向かう狄成と、彼に強引に付き合う項充の二人のエピソードが、その結末も含めて、実にグッとくる内容でありました。


 さて、戦いが奪うもの、失うものだとすれば、生まれるもの、与えるものもまたあります。この巻においては、これらの戦いと並行して、あるいは戦いの後に、三人の若者たちが伴侶を得る姿が描かれることになります。

 王貴、王清、蔡豹――王貴と王清は異母兄弟、そして王清と蔡豹は子午山で兄弟同様に育ったという関係にある三人が、それぞれ全く異なる形で、しかしこのように同時期に素晴らしい伴侶を得たのには、彼らが生まれる前から物語を追いかけてきた身にとっては何やら感慨深いものがあります。

 特に王貴と岳飛の娘・崔蘭の結婚は、以前からずっと引っ張られていただけにようやく――といったところですが、何よりも花嫁の父たる岳飛のリアクションが面白い。

 王貴に対しては唸るだけで、思わぬ形で月下氷人となった蕭炫材(ちなみにこの巻で一番化けたのは彼ではないかと思います)に当たり散らし、真情を吐露する姿が、何とも人間臭くて良いのです。
 この辺りは、本作の始まりから一貫して描かれてきた、これまでの物語の主人公たちとはまた異なる彼の魅力が、強く出ていると言ってもよいでしょう。

 そしてまた、ここしばらくはある意味一番危なっかしかった王清が、複雑な関係にあった鄭涼と結ばれることになったのも嬉しい。
 特に王清の象徴とも言える笛を通じて描かれる二人の交流が感動的で、彼の心を受け止めてみせた鄭涼は、本作において今のところ最も好感の持てる女性とすら感じられます。

 そして蔡豹――母から義父への怨念を吹き込まれ、さらに目の前でその母が首を吊るという過去から深いトラウマを背負っていた彼も、ある意味意外と言えば意外な相手を見つけることになります。
 子午山でも癒やせなかった深い闇を背負ってきた彼が、ついにそれから解放され、自分が真に戦うべき理由を見つける場面は、これもまた感動的なのですが……


 しかしこの巻において、本作が、いやこの大水滸が、どれだけ人の命において無情な――いや無常な物語であるかを、我々は嫌と言うほど思い出さされることとなります。
 あまりにあっけない、そしてあまりに無惨な死。死の重みに軽重をつけることは、本来であれば許されるものではないかもしれませんが、しかしここで描かれるそれは、戦場でのその他の死よりもはるかに重く、衝撃的なものであったと言うほかありません。

 この巻においてもう一つ印象的な、梁山泊と替天行道の在り方、そしてその行方も含め、まだまだ進んでいく道は、その行き着くところはわからない――そんな印象を新たにしたところでもあります。


 しかし梁紅玉が出会った日本人「炳成世」、人から言われて気づいたその正体に吃驚……


『岳飛伝 十 天雷の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十 天雷の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
 北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる
 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵

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2017.10.14

仁木英之『くるすの残光 最後の審判』の解説を担当しました

 この12日に発売された仁木英之『くるすの残光 最後の審判』の解説を担当させていただきました。神の力を授けられた切支丹の聖騎士たちと、南光坊天海率いる幕府の切支丹討伐部隊・閻羅衆との最後の戦いが描かれる、シリーズ第5巻にして完結編の文庫化であります。

 島原の乱で討たれ、神の力を秘めた七つの聖遺物を奪われた天草四郎。四郎に異能を与えられ、彼の復活を目指す切支丹の聖騎士たちは、江戸に潜伏して聖遺物奪還を目指すものの、その前に怪僧・南光坊天海が立ち塞がります。
 聖遺物を様々な者に与え、その力で切支丹を滅ぼさんとする天海。かくて、植木職人見習いに身をやつす少年・寅太郎をはじめとする聖騎士たちは、江戸をはじめとする各地で、聖遺物の力を操る者たちと激闘を繰り広げることになります。

 切支丹のみならず、この国の古き神々をも平らげんとする天海との戦いは、山の民や海の民らをも巻き込み、多大な犠牲を払った末に聖騎士たちが勝利を手にしたかに見えたのですが……
 しかし天海が姿を消した後も閻羅衆による弾圧は続き、切支丹たちは解放されるどころか追い詰められる一方。思わぬことから周囲に正体が露見してしまい、追われる身となった寅太郎たちに手を差し伸べたのは、あの由井正雪でした。

 自らも聖遺物を持ち、そして幕府の手からこぼれ落ちる者を救おうとする意思を持つ正雪とともに戦うことになる寅太郎を待つ運命は……


 というわけで、大団円に相応しい展開が次から次へと描かれる本作。シリーズ最終巻ということで、シリーズの総括として解説を書かせていただきました。
 しかしそれだけでなく、作者の作品全体、特に『僕僕先生』『千里伝』『魔神航路』といった作者のファンタジー活劇に通底するものについても触れております。

 その内容についてはこれ以上ここでは書きませんが、これまであまり指摘されたことはない点ではないかなあ――と自画自賛しております。
 そしてもう一つ、本作が伝奇時代小説である意味、作者が伝奇時代小説を書く意味についても、触れさせていただいております。

 ぜひ、お手にとってご覧いただければと思います。


 さて――ここでもう一点、このブログにおいては述べなければならないことがあります。
 実はこのブログでも以前に(単行本刊行時に)本作を取り上げているのですが、その際には、かなり厳しい評価をしておりました。

 実は今回解説を担当させていただくに当たり、その時のことがいささか気になっていたのですが――再読してみれば、これが僕の読みの甘さであったことがはっきりとわかり、これはこれで頭を抱えることに……
 もちろん、その時のブログの文章を修正したりはいたしませんが、こうして解説の機会を与えていただいたことにより、本作の魅力をしっかりと再確認することができて本当に良かった、と思います。

 解説(に限らずこのブログの文章もですが)を書く時には、もちろんあらかじめある程度の先の見通しを持っているわけですが、しかしそれでも実際に文章を書いているうちに、改めて自分の中から湧いてくるものがある……
 それは自分の考えが言語化されたということであり、これまで何度も経験してきたところですが、今回改めてその素晴らしさを再確認した次第です。


 そんな言い訳と自己満足はさておき、この文庫化を機会に、改めて『くるすの残光』の、作者の時代伝奇小説の魅力に触れてくださる方が増えれば――そして少しでもそのお手伝いができれば――これに勝る喜びはありません。
 どうぞよろしくお願いいたします。


『くるすの残光 最後の審判』(仁木英之 祥伝社文庫) Amazon
くるすの残光 最後の審判 (祥伝社文庫)


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 仁木英之『くるすの残光 最後の審判』 そして残った最後の希望、しかし……

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2017.10.10

鳥飼否宇『紅城奇譚』 呪われた城に浮かびあがる時代の縮図

 天正8年(1580年)、九州で島津家らがしのぎを削っていた頃、その豪勇ぶりで他家から怖れられていた鷹生龍政。主家を滅ぼし、居城と美しい姫君を奪った龍政は、その城を真っ赤な色に塗り、紅城と名を改めた。しかしその紅城で、龍政の周囲の人間が次々と奇怪な死を遂げていく……

 奇想に満ちたミステリを得意とする鳥飼否宇初の時代ミステリは、一種のゴシックロマンとも言うべき物語――真っ赤に塗り上げられた城を舞台に、そこに住まう暴君一族を巡る奇怪かつ陰惨な事件の数々を描く連作ミステリであります。

 戦国時代真っ只中の九州で、下克上を地で行くような形で成り上がった鷹生の当主・龍政。
 略奪したかつての主家の姫君・鶴姫を正室とし、雪・月・花の名を持つ三人の美しい側室を侍らせる龍政は、今が盛りとばかりに気ままな日々を送っていたのですが――ある日突然に恐るべき凶事が起きることとなります。

 城の井戸曲輪で首なし死体となって発見された鶴姫と、その直後に月見櫓から飛び降りて命を絶った雪。
 正室として一男一女を生んだ鶴姫と、懐妊中の雪――事件は妻妾の間の怨恨のもつれと思われたのですが……

 そんな『妻妾の策略』を皮切りに、本作は4つの怪事件を描くパートが中心となって構成されています。
 宴の最中、龍政の娘が汲んできた鶴姫秘蔵の酒を飲んだ者が怪死を遂げる『暴君の毒死

 龍政の息子をはじめとする若武者たちの弓比べで逸れた矢が思わぬ犠牲者を生む『一族の非業』
 ある雪の日、相次ぐ凶事に天守に籠もった龍政を襲う最後の怪事件『天守の密室』

 最初の事件を含め、いずれも加害者は明白に思われる事件の数々。それを受けて、龍政の暴君ぶりがさらに死者を増やしていく中、本作の探偵役は、全く異なる答えを示すことになります。

 その探偵役は、龍政の腹心である弓削月之丞――眉目秀麗にして知勇に優れた彼は、事件の背後に隠された真実を次々と解き明かしていくのですが……


 呪われた過去を持つ城という、一種の――空間的なだけでなく、精神的な意味でも――密室を共通した舞台に設定した本作。そこで繰り広げられる事件の数々は、いずれも趣向を凝らしたものばかりであります。
 機械的なトリックあり、心理の綾をついたトリックありと様々ですが、実に面白いのは、上で述べたとおり、一見犯人は明らかなようでいて、実は――と更なる真相が月之丞によって解き明かされるという、実に凝った構図でしょう(しかもさらに……)。

 個人的に特に印象に残ったのは、酒盃の中に投入された毒を巡る『暴君の毒死』であります。
 盃に注がれた酒の壺と毒の入った壺が近くに、しかし明確に外観でわかるように置かれていた、というシチュエーションから、これは○○ネタに違いないと思ってみれば――それを遙かに上回る怨念の系譜を感じさせるトリック(きちんと伏線も用意されていて)には、大いに唸らされました。


 そして謎解きもさることながら、本作はその舞台設定、物語構造もまた魅力的であると感じます。
 絶対的な暴君として城内の者の生殺与奪の権を握り、淫欲にふける龍政。本作で描かれるのは、紅城に君臨する彼の、そして彼の一族の末路であります。

 それはもちろん本作独自の物語であり、それ以前に紅城や鷹生龍政も(鷹生氏自体も)架空の存在であります。
 しかし、ここで描かれる龍政の生き様や、彼が過去に働いた所業、そしてそれ以上に作中で彼と彼の一族が図らずも働く所業――それはこの時代の縮図、戦国大名たちの姿の象徴であるようにも感じられるのです。

 正直に申し上げれば、物語が進んでいくにつれて、オヤ? という部分があり、物語の構造自体は途中で読めてしまう(こちらは最後まで予想通りでした)のはいささか残念な点ではあります。
 そこからもたらされる結末も、ある意味意外性はありません。

 しかしこうした点も含めて、奇想に富んだミステリであると同時に――そして戦国ゴシックとも言うべき世界を作り出しつつ――その中で戦国という狂った時代の縮図を描き出してみせた点に、僕は惹かれるものを感じるのです。


『紅城奇譚』(鳥飼否宇 講談社) Amazon
紅城奇譚

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2017.10.09

入門者向け時代伝奇小説百選 江戸(その一)

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回は本丸ともいうべき江戸時代を舞台とした作品のその一であります。

71.『蛍丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)


71.『蛍丸伝奇』(えとう乱星) 【剣豪】 Amazon
 最近の名刀ブームで俄かに知名度の上がった名刀・蛍丸。本作はその蛍丸を巡り、幾多の剣豪たちが激突する物語です。

 勤王の象徴である螢丸を所望した後水尾上皇の動きを警戒する幕府。上皇を抑えるために西国に向かうことになったのは、沢庵和尚の弟子であり、上皇の異母弟である青年僧・化龍でした。しかし彼の前には、柳生一門、宮本武蔵、そして松山主水がそれぞれの思惑を秘めて立ち塞がることに……

 名刀を巡る剣豪バトルロイヤルが展開される本作。しかしそれと同時に、そこでは化龍をはじめとする登場人物たちが抱えた哀しみの存在と、その浄化をも描き出します。派手な伝奇活劇と、切なく暖かい群像劇を得意とする作者ならではの作品です。


72.『吉原御免状』(隆慶一郎) 【剣豪】 Amazon
 その作家としての活動期間の短さにもかかわらず、今なお多くの読者を魅了して止まぬ作者のデビュー作であります。
 宮本武蔵に育てられ、師の遺言に従って吉原に現れた好青年・松永誠一郎。彼はそこで吉原に隠された神君家康の御免状を狙う柳生一門と対峙することになります。そしてそれはやがて彼自身の出生の秘密にも関わっていくことに……

 吉原に秘められた秘密、幕府と天皇家の激しい暗闘と、娯楽性の高さは言うまでもないことながら、無縁・公界など網野善彦の歴史学の成果をも取り込んだ、一種アカデミックな伝奇世界を作り出した本作。
 その一方で、一人の無垢な青年の成長を描く青春小説としても第一級の作品であります。

(その他おすすめ)
『かくれさと苦界行』(隆慶一郎) Amazon
『死ぬことと見つけたり』(隆慶一郎) Amazon


73.『かげろう絵図』(松本清張) 【ミステリ】 Amazon
 言うまでもなく社会派ミステリの巨匠である作者が天保期を舞台に、権力に群がる人々の姿を描いた大作です。

 大御所家斉や大奥と結び、権勢をほしいままにする中野石翁。寺社奉行・脇坂淡路守が大奥の腐敗を暴かんとする中、淡路守派の旗本の甥・島田新之助もこの暗闘に巻き込まれていくことになります。敵味方を問わず次々と犠牲者が出る中、新之助が見たものは……

 政治を牛耳る巨悪という如何にも作者らしい題材を描きつつも(下山事件を思わせる展開も……)、単純な善悪の戦いに留まらず、人々の現世的な欲望の世界を描いた本作。
 ヒーローの立場にありつつも、超然とした視点から人々の右往左往する様を見る新之助の存在が強く印象に残ります。


74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人) Amazon
 いまや文庫書き下ろし時代小説界の代表選手の一人となった作者のデビュー作にして、作者の魅力が色濃く現れた快作です。

 八代将軍吉宗の時代、将軍嗣子・家重暗殺の企みに巻き込まれた南町同心・三田村元八郎。その功績を買われて抜擢された彼は、将軍宣下を巡る陰謀を探るため、京に向かうことに。暗闘が帝の身辺にも及ぶ中、元八郎の宝蔵院一刀流が唸る……!

 その作品の多くで、権力を巡る幕閣たちの暗闘と、それに巻き込まれた剣の達人の苦闘、そしてその背後の伝奇的秘密を描いてきた作者。そんな特徴は、第一作である本作の時点で、はっきりと現れています。
 巨大な権力を前にしても己を失わない主人公の活躍が爽快な名作です。

(その他おすすめ)
『幻影の天守閣』(上田秀人) Amazon
『奥右筆秘帳』シリーズ(上田秀人) Amazon


75.『魔岩伝説』(荒山徹) Amazon
 日本と朝鮮の交流史を背景に、奇想天外な作品を次々に発表してきた作者。その作者の魅力が最もストレートに現れた作品です。

 50年ぶりの朝鮮通信使来日を控えた頃、対馬藩江戸屋敷に出現した怪人。この騒動に巻き込まれたことから、若き日の遠山景元は、朝鮮の美少女・春香とともに海を越え、通信使に秘められた秘密を追うことになります。しかし二人の後を追い、若き日の鳥居耀蔵、剣豪・柳生卍兵衛も朝鮮に向かうことに……

 徳川幕府と李氏朝鮮の間に隠された巨大すぎる秘密の存在を朝鮮妖術を絡めつつ描く本作。本作はそんな伝奇活劇と同時に、権力に屈せぬ人々の姿、そして戦いの中で成長する青年の姿を描いていきます。美しいラストも必見!

(その他おすすめ)
『高麗秘帖』(荒山徹) Amazon
『鳳凰の黙示録』(荒山徹) Amazon



今回紹介した本
螢丸伝奇吉原御免状 (新潮文庫)かげろう絵図〈上〉 (文春文庫)将軍家見聞役 元八郎 一  竜門の衛<新装版> (徳間文庫)魔岩伝説 (祥伝社文庫)


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 「魔岩伝説」 荒山作品ここにあり! の快作

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2017.10.04

畠中恵『とるとだす』 若だんな、妙薬を求めて奔走す

 シリーズ第1作刊行から既に16年を経つつも、なおも快調の『しゃばけ』シリーズの最新作であります。突如人事不省の身になってしまった長崎屋の主・藤兵衛を救うため、若だんなこと一太郎と妖たちが、江戸の町を奔走することになります。

 これまで同様、短編集でありつつも、全体で一つの物語を構成する本作。その発端となるのが冒頭のエピソードにして表題作の『とるとだす』であります。
 ある日、お馴染み寛朝和尚の広徳寺に集められた薬種屋の主人たち。その中には、藤兵衛と一太郎も含まれていたのですが――何やら集まった薬種屋たちの間に険悪なムードが漂う中、藤兵衛が倒れてしまいます。

 医者でも、いや年経りた妖である兄やたちでも手の施しようのない状態となってしまった父に驚き悲しむ若だんな。しかし父を救うには、その身に何が起きたのかを知る必要があります。
 そのために、広徳寺に集まった薬種屋たちを向こうに回して推理を巡らせる若だんなと妖たち。そして明らかになった真相は、何とも切ないもので……


 そんな物語を皮切りに、本作ではなかなか快復しない藤兵衛を救うための手段を求める一太郎たちの懸命の努力が描かれることになります――が、そこに数々の妖が絡んで事件や騒動が勃発するのは言うまでもありません。

 第2話『しんのいみ』は、自分が見たこともない町にいることに気付いた若だんな、という謎めいた状況から始まる物語。
 留まっているうちに徐々に記憶が失われていくというその町があるのは、どうやら江戸の沖に現れた蜃気楼の中らしいと知る若だんなですが、そこから脱出するためには、この世界の主を見つけ、その正体を告げる必要があるというのですが……

 作中に秘められた謎の答えは比較的早い段階で気付くのですが、幻の町というシチュエーションと、そこに暮らす者たちの秘めた想いが印象に残るエピソードであります。

 続く第3話『ばけねこつき』では、とある染物屋が一太郎に縁談を持ち込むという不可解な事件(?)から物語がスタート。
 そもそも一太郎には既に許嫁がいるのはファンにはご存じのとおりですが、染物屋の娘は化け猫憑きの噂を立てられて縁談を立て続けに断られている状態。持参金代わりに秘伝の薬をつけるので、妖と縁が深い(らしい)若旦那にもらってほしいというのです。

 もちろん断ったものの、この一件が瓦版に書き立てられ、ややこしくなってく状況。
 事態を収めるべく、背後の事情を探り始めた一太郎が解き明かした真相が浮き彫りにする、人間の心が時に嵌まる陥穽の存在が強く印象に残ります

 そして題名だけでギョッとさせられる第4話『長崎屋の主が死んだ』は、シリーズには比較的珍しい、人に仇なす凶悪な妖との対決を描く一編であります。
 ある日突然長崎屋に現れ、長崎屋の主は死ななければならないと告げた、骸骨のような異形――狂骨。寛朝の護符の力で一度は撃退したものの、野放しにはできたないと追う若だんなたちの耳には、狂骨の犠牲者と思われる噂が次々と飛び込んでくるのでした。

 一見全くバラバラに見える犠牲者たちにどのような繋がりがあるのか。狂骨は彼らにどのような怨みを持つのか。そして狂骨の正体は――
 背筋の凍るような怨霊の跳梁を描きつつも、しかしその陰にあるのは、世の理不尽に為すすべもなかった人間の哀しい涙。事件を解決しても割り切れないものが残る、本作で最も印象的なエピソードであります。

 そしてラストの『ふろうふし』では、大黒様から、少彦名ならば藤兵衛を救う解毒薬が作れるのではないかと聞いた若だんなが常世の国に向かうも、着いたのはなんと――という物語。
 そのすっとぼけた展開は面白いのですが、一太郎の出会った神仙たちの正体をはじめとして、作中に登場する名前を使った仕掛けが、本シリーズにしてはわかりやすすぎるのが残念なところでした(特に若だんなが出会った「一寸法師」の正体など……)


 と、駆け足で紹介しましたが、今回もまた、コミカルなキャラクターたちのやりとりとユニークなシチュエーション、そしてミステリ要素とほろ苦い味付けを存分に楽しませていただきました。
 ラストのエピソードのキレが今ひとつだったこと、また藤兵衛を救うという目的が後ろにいくにつれ薄れてきたことなど、少々残念な点はあるのですが、それでもラストまで一気に読まされる、読まずにはいられない物語りであるのは、さすがというほかないのであります。


『とるとだす』(畠中恵 新潮社) Amazon
とるとだす


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 『すえずえ』 若だんなと妖怪たちの行く末に
 畠中恵『なりたい』 今の自分ではない何かへ、という願い
 畠中恵『おおあたり』 嬉しくも苦い大当たりの味

 『えどさがし』(その一) 旅の果てに彼が見出したもの
 『えどさがし』(その二) 旅の先に彼が探すもの
 「しゃばけ読本」 シリーズそのまま、楽しい一冊

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2017.10.02

入門者向け時代伝奇小説百選 戦国(その二)

 入門者向け伝奇時代小説百選の戦国ものその二であります。今回は戦国ものの中でも近年の作品、フレッシュな魅力に溢れる作品を紹介いたします。

66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)


66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希) Amazon
 次世代の歴史小説家の中で先頭集団を行く作者のデビュー作である本作は、安土桃山時代の京を舞台にロック魂が炸裂する、破天荒な作品であります。

 流れ流れて芸能の中心地・京の五条河原に集った四人の若者。既成の音楽に飽き足らない四人は、型破りな演奏と言動で一気に民衆の支持を集めるものの、やがて武士による芸人への締め付けが強まっていくこととなります。さらに豊臣秀次と石田三成の政争に巻き込まれることとなった彼らは……

 いわゆるバンドものの基本を踏まえつつ、それをこの時代ならではの物語として見事に再生してみせた本作。新しい芸能と古い時代のせめぎ合いの中に自由な精神への希望を描く爽快な作品です。

(その他おすすめ)
『青嵐の譜』(天野純希) Amazon
『風吹く谷の守人』(天野純希) Amazon


67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男) 【忍者】 Amazon
 作者のシリーズキャラクターである肥満体の暗号師・蒼海と、隻腕の少年忍者・友海の凸凹コンビが、日本消滅の危機に挑む奇想天外な物語であります。

 家康と三成の間の対立が深まる中で流行する手まり歌。天下分け目の大戦に太閤秀吉が甦るという奇怪なその歌の秘密を求めて様々な勢力の間で繰り広げられる暗闘に、蒼海と友海は巻き込まれることになります。
 そして死闘の末、大坂城で開催される暗号競会「太閤の復活祭」。そこで明かされる恐るべき秘事とは――

 時代伝奇小説数ある中でも、破天荒さと意外性では屈指の本作。バトルと暗号解読がこれでもかと散りばめられた末に明かされるスケールの大きすぎる真相は必見であります。


(その他おすすめ)
『官兵衛の陰謀 忍者八門』(中見利男) Amazon


68.『覇王の贄』(矢野隆) 【剣豪】 Amazon
 天下統一を目前とした覇王・信長が配下の武将たちに下した命。自慢の武芸者・新免無二斎を一対一で殺せる者を連れてこいという信長に対し、六人の武将たちは、悩みつつもそれぞれ「贄」を選ぶことに……

 無双の強さを誇る無二斎を倒せる者はいるのか? そして信長の真意はどこにあるのか? 本作で描かれるのは、無二斎と武芸者たちの決闘はもちろんのこと、信長と配下の武将たちの心理戦であります。
 デビュー以来ほぼ一貫して、命を賭けた戦いと、その中で己の生の意味を見いだす者たちを描いてきた作者。その作者が、武芸者たちと武将たちと、二重のバトルを通じて武将たちの生き様を浮き彫りにしてみせた名品です。

(その他おすすめ)
『蛇衆』(矢野隆) Amazon


69.『三人孫市』(谷津矢車) Amazon
 デビュー以来「二十代最強の歴史作家」と呼ばれてきた作者が、鉄砲術でその名を轟かせた雑賀孫市を、タイトルのとおり三人の、それも血の繋がった三兄弟として描き出した物語であります。
 体は弱いものの鉄砲用兵に精通した長男・義方、鉄砲と金砕棒を自在に操る剛勇の次男・重秀、無口無表情ながら凄腕の狙撃手である三男・重朝。この三兄弟を擁することで無双の傭兵集団となった雑賀衆は、やがて信長の軍と対峙することになるのですが……

 同じ孫市の名を得ながらも、三人三様の道を選んだ兄弟たち。意外性に富んだ物語の面白さのみならず、作者の作品に通底するする「個」と「時代」の相剋を、より先鋭化して描いてみせた名品です。

(その他おすすめ)
『曽呂利!』(谷津矢車) Amazon


70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴) 【忍者】【児童文学】 Amazon
 いつの時代も衰えぬ人気を持つ真田幸村と十勇士。本作はその十勇士を描く、最も新しく、最も独創的な物語であります。

 上田の地を守るため、天下人の間で独自の戦いを続ける真田幸村と十勇士。彼らはその戦いの中で、天下人たちの背後に潜む存在を知ります。その名は百地三太夫――荼枳尼天の法を用い、時空を超えた力を振るう三太夫に対し十勇士は戦いを挑むのですが……

 そんな壮大な伝奇活劇を展開させつつ、本作は「天下」という概念を「人間」個人の存在を否定するものとして描写。天下を窺う三太夫との戦いは、人間性を否定された過去を持つ十勇士たちにとって人間性回復の戦いでもある――そんな構図の独創性に唸らされるのです。

(その他おすすめ)
『真田十勇士(小学館文庫版)』(松尾清貴) Amazon



今回紹介した本
桃山ビート・トライブ (集英社文庫)秀吉の暗号 太閤の復活祭〈一〉 (ハルキ文庫 な 7-3)覇王の贄(にえ)三人孫市真田十勇士〈1〉忍術使い


関連記事
 入門者向け時代伝奇小説百選

 「桃山ビート・トライブ」 うますぎるのが玉に瑕?
 「秀吉の暗号 太閤の復活祭」第1巻 恐るべき暗号トーナメント
 矢野隆『覇王の贄』 二重のバトルが描き出す信長とその時代
 谷津矢車『三人孫市』 三人の「個」と「時代」の対峙の姿
 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その一) 容赦なき勇士たちの過去

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2017.10.01

楠章子『まぼろしの薬売り』 薬と希望をもたらす二人旅

 認知症を扱った絵本『ばあばは、だいじょうぶ』で話題の作者が、5年前に発表した児童文学――「まぼろしの薬売り」と呼ばれた流浪の薬売り・時雨と弟子の小雨が旅する先での人々との出会いを描く連作集であります。

 時は明治初頭、満足に治療を得られない人々も多い僻地で、魔法のような効き目の薬を売り歩く時雨。
 役者にしたいような美形の時雨は、組合に入ることなく自由に各地を巡ったことから「まぼろしの薬売り」と呼ばれた……

 という基本設定の本作は、時雨とその弟子の元気な少年・小雨とともに出会った様々な人々や事件を描く4つの物語から構成されています。

 椿屋敷と呼ばれる村一番の豪邸に住む優しい少女が奇怪な行動を取るようになった意外な真相を語る「椿屋敷の娘」
 なみだが止まらなくなり、高熱からやがて死に至るなみだ病に冒された少年と時雨の出会い、そして時雨の過去を描く「なみだ病の生き残り」
 万事に鈍いために周囲からバカ吉と呼ばれる少年・正吉の妹と、時雨や小雨の交流「バカ吉の薬」
 小さな小さな山村を訪れた時雨たちが、目の見えない友達のために伝説の獣・土もこを探す少女たちと出会う「土もこの目玉」

 いずれも穏やかでちょっと呑気な時雨と、少年らしい元気さに溢れた小雨のやり取りが楽しく、そして美しいトミイマサコの挿画もあって、明るい印象を受けるのですが――しかしそこで描かれる物語は、決して明るいばかりではない、むしろ非常に重い内容なのが印象に残ります。

 ファンタジー色の強い「椿屋敷の娘」はひとまず置いておくとしても(もちろんそこで描かれるものは途方もなく重いのですが)、「なみだ病の生き残り」の少年と家族を襲う残酷すぎる運命、おそらくは何らかの障害を持つのであろう「バカ吉の薬」の正吉、少女の目と絶滅寸前の小さな命が天秤にかけられる「土もこの目玉」……

 本作で描かれるエピソードは、どれも児童文学と油断していると、重いボディブローを食らわされる、重く苦い味わいの物語なのであります。

 そしてその物語を見つめ、受け止める時雨もまた、自分自身が重い過去を背負い、そしてある秘密を抱えた身であります。
 そもそも「まぼろしの薬売り」とファンタジー的な呼び名を持ちつつも、時雨自身はあくまでも普通の人間。その作り出す薬がいくら優れているとしても、神ならぬ身に作り出せる薬の効力には限りがあるのです。

 そんな時雨が病に、あるいは己の持って生まれたものに苦しむ子供たちと出会った時、そしてそれに対して己にできることに限りがあると悟った時、何を思うか――その過去を思えばなおさら、胸に迫るものがあります。


 しかしそんな重く苦い物語にも、一つの希望が存在します。それは小雨の存在――ある意味時雨と重なる過去を持つ小雨であります。
 弟子とは言うものの、年端のいかぬ子供である小雨に薬売りとしてできることはほんどありません。しかし小雨には、時雨にもできないものを人に与えることができます。

 それは元気――あるいは希望と呼び替えてもよいもの。
 それは現実を知らないからこそのものかもしれません。しかし未来を野放図に夢見ることができるのは子供だけの特権であり、そしてそれが思わぬ結果を――決してそれが100%の答えではなくとも――生み出すこともあるのです。

 だからこそ時雨は小雨と出会った時にこう語ったのでしょう
「大事なのは、ぼくは薬をくばるから、弟子の小雨は元気をくばるってことだ」
と……


 時雨の師匠に関するちょっとだけ伝奇的な正体や、時雨自身の秘密などが、こうした物語にあまり有機的に結びついていないように感じられる部分はあります。

 それでも、どれだけ重く苦い現実を前にしても決して諦めず、希望をもたらそうとする二人の姿は、美しく魅力的に感じられるものであることは、間違いないのです。


『まぼろしの薬売り』(楠章子 あかね書房) Amazon
まぼろしの薬売り

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