2017.06.24

上田秀人『日雇い浪人生活録 2 金の諍い』 「敵」の登場と左馬介の危険な生活

 幕府を米本位制から金本位制に切り替えるという吉宗の遺命を受けた田沼意次に力を貸すこととなった両替商・分銅屋仁左衛門。その分銅屋に挟まれた日雇い浪人・諫山左馬介の苦闘を描くユニークなシリーズの第2弾であります。早くも現れた「敵」に対し、左馬介と分銅屋はいかに挑むのでしょうか。

 分銅屋仁左衛門に雇われ、分銅屋が買った隣の空き店の片付けをしていた際に不審な帳面を見つけた左馬介。その帳面がきっかけで、二人の周囲には怪しげな連中が出没することになります。
 一方、吉宗がし残した最後の改革として、既に行き詰まりを見せた米本位制を、金本位制に切り替えることを命じられたお側御用取次・田沼意次は、餅は餅屋と、江戸市中の商人を手駒に引き入れることを目論みます。

 かくて交錯することとなった江戸屈指の両替商と、幕府きっての出世頭の運命。そしてその誠実さを見込まれて分銅屋の用心棒となった左馬介も、否応無しに江戸の世を動かす企てに巻き込まれることになって……


 と、一見人情ものめいたタイトルとは裏腹に、やっぱり危険な「生活」を送ることになってしまった左馬介の奮闘を描く本作。
 今回はいよいよ本格的に分銅屋を狙う敵が登場、江戸有数の札差・加賀屋に加え、幕府側にも分銅屋を、いや田沼を敵視する勢力がいることから、状況はいよいよややこしく、上田作品らしくなってきました。

 そしてそんな敵勢力が数々登場する中で重要になるのは、言うまでもなく左馬介の存在なのですが――しかし人柄は申し分なしなれど、腕前の方は少々心許ないのが面白い。
 剣豪ものでは定番の、相手の殺気を背中で感じ取るというスキルがあるはずもなく、そのままでは心配だからとわざわざ剣術道場に通わされるのですから(そんな主人公初めて見ました)、用心棒としてはいささか心許ないキャラクターが、逆に個性的に映ります。

 しかしもちろん全くの役立たずではなく、父譲りの鉄扇術の遣い手というのがユニークで、間合いは狭く、ほとんど完全に防御主体という鉄扇術が果たして実戦でどこまで役に立つのか――と興味をそそられます。
 強すぎる主人公は時に興を削ぐものですが、その辺りをうまくかわし、個性的な殺陣を用意してみせたのは、さすがというべきでしょう。

 そして、これは前作の紹介でも述べたかと思いますが、武士の世界――「権」の世界と、商人(庶民)の世界――「財」の世界、二つの世界を描く本シリーズにおいて、武士と庶民の間の存在である、強すぎない主人公、武士だけれども刀を使えない主人公という設定は、物語のテーマに即したものと言えるでしょう。

 そしてそんな彼と対照的に、ヒロイン(?)のクールビューティーな御庭番の神出鬼没ぶりも楽しく、この辺りの人物配置も、またベテランの技であります。


 さて、こうして「敵」は登場してきたものの、田沼と分銅屋の壮大すぎるプロジェクトはまだまだ始まったばかり。
 帳面を武器に、幕府の財務担当たる勘定吟味役に揺さぶりをかける分銅屋の策は当たるのか。動き出した政敵たちの攻撃を、田沼はかわすことができるのか。

 そしてその中で左馬介の生活はどうなってしまうのか――いよいよ本格化する金の諍いがどこに向かうのか、最新巻の第3巻も近々にご紹介いたします。

『日雇い浪人生活録 2 金の諍い』(上田秀人 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
金の諍い―日雇い浪人生活録〈2〉 (時代小説文庫)


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2017.06.22

渡辺仙州『封魔鬼譚 3 渾沌』 もう一人の封魔の少年と閉ざされた村

 犠牲者の姿はおろか、記憶までも完全に模倣する怪生物・封魔によって生まれ変わった少年の冒険を描く『封魔鬼譚』の第3弾は、もう一人の封魔の少年・楊月を主人公とした一種の外伝。乗合馬車に同乗した客たちと共に、閉鎖空間と化した奇怪な村に閉じこめられた楊月の姿が描かれることになります。

 かつて貧しさ故に売られ、宋国による封魔開発の実験台とされた楊月。その経験故に国に恨みを抱き、福州で封魔を密かに育ててばらまくことで多大な混乱を招こうとした彼は、その犠牲者である李斗との出会いをきっかけに、ひとまずは矛を収めることとして……

 というのが彼の側から見た第1巻の物語ですが、本作はその後の物語。福州を離れるために乗合馬車に乗った楊月ですが、事故で御者が深手を負い、馬車を離れた楊月と乗客たちは、とある村に足を踏み入れることになります。
 無人となって久しいと思われるその村で一行に襲いかかったのは、伝説の妖魔・渾沌を思わせる毛むくじゃらの怪物。人を砂に変えるその怪物に乗客の一人が犠牲となり、慌てて村から脱出しようとした一行は、しかし行けども行けども村の外に出れないことに気付くことになります。

 何者かが村の中の空間をねじ曲げ、自分たちを閉じこめたことに気付き、一癖ありげな数学者や旅の画家を中心に、迷宮と化した空間の法則性を見つけよう試行錯誤を重ねる一行。
 そしてそんな彼らと距離を置く楊月の心に語りかける謎の声が……


 奇妙かつ奇怪な怪物の跳梁と、それが引き起こす一種不可能犯罪めいた怪事件を描いてきた本シリーズですが、本作はその基本を踏まえつつも、何と閉鎖空間ものとして展開。
 謎の空間に閉じこめられ、命の危険に晒された人々が、時に協力し、時に反目しながら脱出を試みるも――というのはホラー映画などでしばしば見る趣向ですが、このシリーズでお目にかかれるとは思ってもみませんでした。

 こうした物語では、利己的な者、冷静な者、狂信的な者、得体の知れぬ者などが入り乱れて様々な人間模様を描き出すのが常ですが、本作においても、それは同様。様々なキャラクターたちが織りなす人間模様は、あっさり目ではあるものの、その様を冷たく見据える楊月の存在もあって、なかなか面白い内容となっております。

 しかしその一方で、楊月の意外な人間性もまた、本作では同時に描かれることになります。物語の途中、楊月が微睡むたびに彼が夢見る過去の風景――それは彼が封魔になる直前の出来事の記憶なのです。
 それは言い換えれば彼が人間であった時代の最後の記憶……文字通り彼が人間の心を持っていた時の姿を描くこのエピソードは、同時に彼の失ったものの大きさを、そして本シリーズにおいて真の悪とは何であるかを考えさせます。

 そしてまた、本作において記憶と人格が同義であるのであれば、その記憶を持ち続ける彼は、たとえ体は封魔に変わろうともやはり以前の彼と変わらぬままの存在ではないのだろうか、とも感じさせるのですが……


 しかしそんなドラマ面と同時に見逃せないのは、超自然的な現象が発生し、超自然的な存在が跳梁する世界であろうとも、その中に一つの法則が――言い換えれば一種の科学的視点が存在することであります。

 本作における超自然現象の最たるものは、閉鎖空間と化した村の存在でしょう。
 閉鎖区間――正確に言えば、村内の道を歩いているうちにいつの間にか別の場所に転移させられているという状況から、どのようにして脱出するのか? そもそも現在位置すらわからぬ状況で……

 と、そこから繰り広げられる脱出劇が、本作の最大の見どころ。観察と分析という、まさに「科学的」というべき思考と方法論に貫かれた行為によって超自然現象を解明し、打破してみせるのは、相手が超自然的なものであるからこそ一層、痛快ですらあります。

 そしてそれは、これまでのシリーズで描かれたアプローチをより推し進めた本シリーズならでの魅力と言うべきでしょう。
 さらにこの視点が、人間の記憶と人格を巡る物語に一定の説得力を与えていることも見逃せません。


 外伝と言いつつも、思わぬところで李斗の物語と絡めるなど(そういえば……! と感心)の趣向も心憎い本作。シリーズは今のところ三部作と表記されていますが、まだまだ李斗の物語も楊月の物語も道半ば、続編を心から希望するところであります。


『封魔鬼譚 3 渾沌』(渡辺仙州 偕成社) Amazon
封魔鬼譚(3)渾沌


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2017.06.17

上田秀人『茜の茶碗 裏用心棒譚』 盗を以って盗に易う大勝負

 これまで幕府や諸藩の政治の世界で繰り広げられる暗闘を中心に描いてきた作者。しかし本作は盗賊たちの用心棒を主人公とした白浪ものと、異色作に感じられますが――しかしそれでいて、その奥に広がるのは作者ならではの作品世界という、ユニークな作品であります。

 近頃江戸を騒がす盗賊たちに共通する、凄腕の見張り役の存在。その正体は本作の主人公・小宮山一之臣――その腕の冴えと、謙虚で無欲、真面目な人柄から、たちまち江戸の盗賊たちの間でなくてはならない存在となった彼には、しかしある悲願があったのです。

 実は相馬中村藩で一番の剣の遣い手であった小宮山。しかし藩から将軍下賜の茜の茶碗が盗まれたことで、彼の運命は大きく狂わされたのであります。
 将軍下賜の品といえば、大名にとっては将軍本人にも等しい存在。それがこともあろうに盗まれるとは、それが露呈すれば藩の存続の危機――というわけで、小宮山に白羽の矢が立ったのです。

 浪人という形で藩を離れ、茶碗の行方を追うことになった小宮山。しかし藩からは金も人も与えられず途方に暮れた彼は、盗賊のことは盗賊とばかりに盗賊の仲間に加わり、そのネットワークを通じて茶碗を探すことにしたのであります。
 しかしそれでも茶碗は見つからぬままに時間だけが過ぎていく中、次なる難事が中村藩に襲いかかることになります。それはすなわち、彼にも無理難題が降りかかるということで……


 冒頭で作者の(文庫書き下ろしの)作品は政治の世界が中心と述べましたが、その中でも何シリーズか、アウトローに近い人々を中心に据えたものがあります。
 『闕所物奉行裏帳合』、『妾屋昼兵衛女帳面』、『日雇い浪人生活録』……実は私の好きな作品ばかりであります。

 これらの作品に共通するのは、市井に近い、すなわち政治の世界から見れば「下」の位置に暮らしつつ、「上」の横暴にも負けず、したたかに生きてやろうという人々の姿でしょう。
 無理難題を押しつけるばかりの上司に振り回される(我々にとっては非常に身につまされる)主人公が多い上田作品ですが、そんな状況でも自分自身の牙を失わず、人と人との繋がりを武器に立ち向かう彼らの存在は、一つの希望として感じられるのです。

 そして本作の主人公・小宮山も、その系譜に属するものと言えます。

 直接に命じられたわけではないとはいえ藩命のために盗賊に身を落とす――まさか白浪ものでも主人公が上司の横暴に振り回されるとは思いませんでした――という境遇にありながらも、それでも真っ直ぐに己の道を行く。
 そんな彼の姿は、作中でも語られるように裏稼業の世界では珍しい清冽なものであり、そしてそれだからこそ、彼の周囲には(様々な欲得も絡むものの)仲間たちが集うのでしょう。


 もちろん、彼のしていることは悪事には違いありません。雇われる盗賊は、いずれも殺さず犯さず金を盗むだけの者ばかりとはいえ、盗まれた者の運命は大きく狂わされるのですから。
 そして本作はその罪の重さ、因果応報の姿をも描き出すのですが――しかし物語後半で、更なる「悪」を描き、それに盗みを以て鉄槌を下すことで、物語に痛快な印象を与えます。

 己の所業を顧みず、その結果をより立場の弱い人間に押しつけ、自分は逃げようとする――そんな行為は、確かに盗みに比べれば、その直接的被害は小さいかもしれません。
 しかしそれを為政者が行えば、その害はその下にいる者、下にある世界全てを傷つけ、腐らせる――それは古今東西変わらない真実でしょう。何よりも本作においては、主人公自身がその最大の犠牲者なのであります。

 そんな小宮山が、クライマックスで仲間たちとともに挑む大勝負は、政を私する者に対して、財を私する者が挑んだと言えるでしょう。
 暴を以って暴に易うのではなく、盗を以って盗に易う――それは確かに無益であり、有害なことかもしれませんが、しかしそこには追いつめられた者たちの牙の、最後の煌めきがあると、私は感じます。

 そしてまだまだ、彼らの牙が向けられるべき相手は存在するとも……


『茜の茶碗 裏用心棒譚』(上田秀人 徳間書店) Amazon
茜の茶碗: 裏用心棒譚 (文芸書)

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2017.06.15

北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり

 好敵手・兀朮率いる金軍との大決戦をほぼ互角の形で終え、帰還した岳飛。この先を巡り、南宋を代表する秦檜と対峙する岳飛ですが――史実を考えれば、岳飛と秦檜の対立の先にあるものはただ一つ。しかしそこで梁山泊が思わぬ役割を果たし、本作は新たな領域に踏み込んでいくこととなります。

 互いに数十万の軍を率いながらも、最後は一対一に等しい死闘を繰り広げた末、共に矛を収めた岳飛と兀朮。岳飛は岳家軍の本拠に帰還したものの、秦檜から臨安府への出頭を命じられることになります。
 一方、梁山泊では呉用が「岳飛を救え」という言葉を遺して息を引き取り……

 という嵐の予感から始まる第6巻ですが、前半は比較的静かな展開が続きます。

 理由を付けて出頭を引き伸ばす岳飛は、またもやふらりとごく僅かな人数で旅に出て蕭炫材と出会い(ここで蕭炫材の父・蕭珪材のことを語る二人が実にいい)、秦容は相変わらず南方開拓に精を出し、宣凱は微妙にフラグっぽいものを立てたり……
 その中で、燕青のみは岳飛の遺言を踏まえ、一人動き始めるのですが、それはさておき。

 しかし中盤からこの巻は、いやこの物語は、激動とも言うべき展開を見せることになります。
 ついに臨安府に出頭して帝に拝謁した岳飛に対し、岳家軍を解体し、南宋軍の総帥に就くよう迫る秦檜。それを拒否した岳飛は、秦檜に捕らえられることになるのですが――この対立の根底にあるのは、二人の男にとっての、国の在り方であります。

 それは民(民族)を取るか、国(政体)を取るかという、物語の冒頭から描かれてきた二人にとっての国の在り方の違い。
 金に取り残された国の民を救うために戦いを続けようとする岳飛と、南宋が再び中原に君臨するため今は休戦して国力を蓄えようとする秦檜と――二人にとって国に尽くすということは、その根本において大きく異なるのです。

 しかし、岳飛が秦檜の言葉を拒絶するのは、国に逆らうということ、すなわち国家への反逆に等しいことでもあります。かくて岳飛は謀叛人として処刑されることに……


 ついに来たか、という印象であります。実は主戦派の岳飛が、和平派の秦檜と対立の末、謀叛の科で処刑されるというのは、これは史実どおりの展開なのですから。

 理想を胸に抱いて戦い続けながらも、道半ばにして、周囲から汚名を着せられた末に斃れる――これはある意味、実に作者の作品の主人公らしい最期と言えるでしょう。
 当然、この『岳飛伝』の結末は、この岳飛の最期であろうと考えていたのですが……

 が、ここで物語はとてつもない動きを見せることになります。上で述べたように、呉用の遺言に動き始めた燕青。その彼と梁山泊致死軍が、岳飛救出のために動き出すのであります。そう来たか!

 もちろん、南宋の首都深くに囚われた岳飛を救い出すのは容易ではありません。果たしていかにして岳飛を救い、そして逃がすのか……
 その詳細はここでは伏せますが、ここで使われるのが、はるか以前に描かれていたあの伏線であり、そしてそれが南宋という国の正当性すら揺るがしかねないものという皮肉さが実に面白い。

 しかしそれ以上に盛り上がるのは、岳飛救出のために出動した致死軍の活躍であります。
 しばらく大きな動きを見せることがなかった致死軍ですが(そしてそれはそれで当然なのですが)、ここで彼らが見せた動きは、何とも痛快なもので、実に「水滸伝」らしいと感じさせてくれるのが嬉しいのです。


 何はともあれ、表向きは処刑されたものの、その実、梁山泊により救出された岳飛。
 なるほど、本作における梁山泊の役割の一つはここにあったか、と感心させられたのはさておき、ここにおいて物語は史実から大きく異なる領域に踏み出すこととなります。

 梁山泊に加わることなく、同じく死んだはずの身の姚平を供に、南へ南へ、雲南は大理国を目指す岳飛。
 奇しくも南方は、国力増強を目指す秦檜が目を向ける先であり、そして秦容が新天地として開拓を続ける地でもあります。

 この先の物語の中心となるのは南方なのか――それはまだわかりませんが、ある意味これからが、真の北方『岳飛伝』の始まりであることは間違いありません。


『岳飛伝 六 転遠の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 六 転遠の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり

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2017.06.14

渡辺仙州『封魔鬼譚 2 太歳』 怪奇の事件と彼自身の存在の揺らぎと

 人の血を吸収し、その相手の記憶を含めた全てを複製する怪物・封魔。その封魔に殺され、そして複製された少年・李斗を主人公とした中華時代伝奇SFホラーの第2弾であります。犠牲者たちが脳を抜き取られて死ぬという奇怪な連続殺人を調査することとなった李斗が出会ったのは……

 封印されていた封魔を用いた邪悪な計画に巻き込まれて命を失い、封魔として甦った李斗。その際に出会った妖魔封じを生業とする道士集団・白鶴観――実は宋国政府の裏の事件処理機関――の一員に迎えられた彼は、その初仕事として福州に向かうこととなります。

 福州の大富豪の邸宅で起きている連続怪死事件。それは、それまで何の変わりもなかった者が突然脳を失って死に、そしてその死体を発見した者が、七日後に同じ死に方をするという奇怪極まりないものでした。
 その事件の調査のために派遣された李斗と先輩の少女道士・花蘭ですが、李斗は街で事件が太歳の呪いであると唱える女占星術師・碧紫仙子と出会うことになります。

 伝説の妖魔「太歳」――地中を太歳(木星)と軌を一にして動くという無数の目のついた肉塊――が敷地内で見つかり、その呪いだと断じる碧紫仙子。
 自分の訪れを正確に当てて見せたこと、そして何よりも、素顔は自分と大して変わらぬ年齢の美少女であった碧紫仙子にすっかり参ってしまった李斗ですが、花蘭は彼女に懐疑的な態度を取ります。

 碧紫仙子と、彼女の占いそのものを含めて彼女の言葉を否定する花蘭と――果たしてどちらが正しいのか。そして祟りではないとして、脳を失う怪死の真相は何なのか。
 やがて李斗がたどり着いた真相は……


 封魔をはじめとした妖魔の存在とそれが引き起こす怪奇の事件を描きつつも、しかし極めて理詰めの物語を描くのが一つの特徴である本シリーズ。
 その封魔が超常的な能力を持ちながらも、決して超自然の怪物ではない――人間が生み出した、特殊ながらあくまでも自然法則に従った存在である――ことを見れば、それは明らかでしょう。

 その意味で本シリーズは一種ロジカルなSFミステリ的性格を濃厚に持つのですが、それが物語の面白さを、幾重にも増しているのは間違いありません。
 特殊であっても自然法則に従う存在であれば、それを防ぎ、倒すこともまた、自然法則に則って――神ならぬ人間にも――可能である。その一種のの知恵比べが、実に興趣に富んでいるのであります。

 しかし本作の面白さはそれだけにとどまりません。本作の、本シリーズの最大の特徴、それは何よりも、主人公自身が封魔であることにあります。

 冒頭に述べたように、記憶レベルまで犠牲者を複製する存在である封魔。李斗の「オリジナル」はその封魔に殺され、そして今の李斗はオリジナルの記憶を持った封魔の「コピー」なのですが――それでは今の李斗は真の李斗と同一人であると言えるのでしょうか?
 人間の心に魔物の肉体(能力)というのは、ヒーローものでしばしば見られる設定ですが、しかし本作はそこにオリジナルとコピー、そしてそれを繋ぐ記憶の問題が絡んでいるのが、何とも刺激的なのであります。

 あるいはこれが大人のことであれば、それまでの人生経験でもって封魔という境遇に折り合いをつけていけたかもしれません。しかし李斗はまだ十代、それも自分の将来になんの展望も持てないでいた少年だったのであります。
 ここに物語は、児童文学である意味普遍的な「自分とは何か」「自分の人生とは何か」「自分は如何に生きるべきか」というテーマに、これ以上はなく深く切り込むことになります。何しろ李斗は「自分」そのものの存在が揺るがされているのですから!

 そしてまたそこに、本作のヒロインである碧紫仙子――李斗とはほぼ同年代の少女でありつつも、占い師の分厚い化粧に素顔を隠した彼女の存在が対置されるのも、また巧みな構造と言うべきでしょう。


 現在3部作とされている本シリーズ。本作に続く第3弾は、李斗と対峙すべき立場のもう一人の封魔の少年を主人公とする、一種外伝的な位置づけの作品となっています。
 そちらもまた近日中にご紹介いたしますが――それはさておき、中華伝奇、伝奇SF、伝奇ホラーファンとしても、李斗自身を主人公とした本編も続編を刊行して欲しい、彼が彼自身を見出すまでを描いて欲しいとも、心から願っているところなのです。


『封魔鬼譚 2 太歳』(渡辺仙州 偕成社) Amazon
封魔鬼譚(2)太歳


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2017.06.13

平谷美樹『でんでら国』(小学館文庫)の解説を担当いたしました

 約一年ぶりのお仕事の報告であります。今月6日に小学館文庫から発売された平谷美樹『でんでら国』の解説を担当いたしました。2015年に単行本で発売された作品が、上下巻で文庫化されたものです(解説は下巻に収録)。幕末の東北を舞台に、老人と武士が繰り広げる攻防戦を描いた快作であります。

 東北の小藩・外館藩の外れに位置する大平村。そこでは60歳になった老人は村を離れ、御山参りに行くという風習がありました。御山参りと言いつつも帰ってきた者のいないその風習を、周囲の村の者たちは棄老、すなわち姥捨と見做して嫌悪していたのですが……

 しかしそこには大きな秘密がありました。実は老人たちは、山の中で老人たちだけの国を作り、そこで自給自足、助け合いの平和な暮らしを送っていたのであります。
 その国の名は「でんでら国」――そしてでんでら国の老人たちは、自分たち自身だけではなく、大平村の人々の助けにもなっていたのであります。

 しかし財政難にあえぐ藩が大平村の豊かさに目をつけたことから、老人たちの桃源郷に危機が迫ります。
 別段廻役(犯罪捜査を役目とする役人)の探索が迫り、徐々に追い詰められていくでんでら国の人々。しかし武士たちの苛斂誅求を逃れてここまで作り上げてきた楽園を、奪うことしか知らない武士に明け渡すわけにはいきません。

 かくて老人たちは、知恵を絞ったあの手この手の作戦で、武士たちを迎え撃つことに……


 『でんでら国』を読んで以来、一体何度このあらすじを書いただろう――と個人的に感慨深くなってしまうのですが(初読時のブログと、『この時代小説がすごい!』2016年版、今回の解説とこの記事で計4回!)、しかし書くたびにワクワクする気持ちが湧いてくるのもまた事実であります。
 元々大ファンの作家の作品なのは間違いありませんが、しかしそれでもどれだけこの作品がが好きなのか――と可笑しくなったりもしますが、それだけ魅力に富んだ作品であることは間違いありません。

 弱い者たちが知恵と勇気で強い者たちを打ち破る痛快さがその理由の最たるものかもしれませんが、それだけではなく、でんでら国というシステムの独創性や、そこに関わる人々のドラマの豊かさ、そしてどんでん返しの連続のストーリー展開の面白さ――本作の魅力は多岐に渡っており、読む人によって異なる魅力を感じるのではないかとも感じます。

 そうした作品には、当然ながら書くべきことは様々にあります。この点について掘り下げるべきだろうか、あの作品にも触れておくべきだろうか……
 色々と悩みましたが、本作はこの数ヶ月に渡って開催されたKADOKAWA・徳間書店・大和書房・小学館の四社合同企画のラストを飾るということで、本作自体の解説であると同時に、一種総論的な内容とさせていただきました。


 私は初読時から、本作はある意味最も作者らしい作品であると考えています。それは、「奇想」と「気骨」と「希望」という作者の作品に通底する三つの要素が、最も色濃く表れていると感じられたからにほかなりません。
 老人たちの桃源郷たる「でんでら国」という奇想天外な舞台設定の「奇想」、武士という支配階層に一歩も引かず立ち向かう老人たちの「気骨」、そして攻防戦の先に浮かび上がる和解の「希望」――その三つの要素が。

 この三つの要素については、このブログ以外でも事あるごとに触れてきたことでもあり、繰り返すべきかは悩ましいところではありました。。
 しかし上で述べたようなタイミングということもあり、平谷作品の一種の総括として、そしてこの企画などをきっかけに初めて作者の作品に触れた方への水先案内として、敢えて取り上げさせていただいた次第です。


 いやはや、色々と書いてしまいましたが、解説の解説というのは野暮の極みであります。
 私の解説などは抜きにしても、心からお勧めできる名作だけに、この機会にぜひご一読を(既に単行本でご覧になっている方も再読を)お願いする次第であります。


『でんでら国』(平谷美樹 小学館文庫全2巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon
でんでら国 上 (小学館文庫)でんでら国 下 (小学館文庫)


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 『でんでら国』(その二) 奇想と反骨と希望の物語

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2017.06.11

平山夢明『大江戸怪談 どたんばたん』 帰ってきた江戸の怪談地獄絵図

 かつて実話怪談界を震撼させた平山夢明、久々の時代怪談集であります。以前竹書房から刊行された『大江戸怪談草紙 井戸端婢子』収録作の一部再録と、雑誌連載及び書き下ろしで構成された、全33話の怪談集です。

 ここしばらく実話怪談とはご無沙汰している私ですが、かつて平山夢明がデルモンテ平山として活躍していたころは、大いに作者の怪談に震え上がらされたものでした。
 そんな中刊行された『井戸端婢子』は、平山実話怪談のテイストを濃厚に漂わせた時代怪談集として、大いに楽しませていただいたものの、その後続編はなく、残念に感じていたのですが……

 再録が1/3程度とはいえ、ここにこうして平山時代怪談が復活したのは欣快至極。陰惨なグロ怪談あり、狂気に満ちた人間地獄あり、ちょっとすっぽぬけたような奇談あり……
 巻頭の作者の言では、杉浦日向子の『百物語』に幾度も言及していますが、怖さ面白さという点ではそちらに並びつつ、作者でなければ描けないような世界がここには展開されています。


 短編怪談集のため紹介が難しいところですが、特に印象に残った作品は以下の四作でした。

『地獄畳』:賭場の借金で追い詰められた男が狙った按摩の隠し金のおぞましい隠し場所は……
 とにかく、登場人物がほとんど全員ろくでなしという恐ろしい作品。その上でラストに描かれる怪異のインパクトも凄まじい。

『魂呼びの井戸』:死にかけた人間を生き返らせると評判の長屋の井戸に、ある晩、瀕死の娘を連れて現れた女が現れるが……
 平山作品でしばしば描かれる、人間の半ば無意識の無関心さ、残酷さを浮き彫りにする一編。それだけに身近な嫌悪感があります。

『木の顔』:吝嗇な主人にこき使われていた鬱憤を、木に浮かび出た顔を虐め抜くことで晴らしていた少女が見たものは……
 こちらも人間の残酷さを容赦なく描き切った物語。一種の因果応報譚と言えるのかもしれませんが、しかしそれをもたらしたものを考えれば複雑な気持ちにならざるを得ません。

『しゃぼん』:辛い奉公を続ける少女に、不思議なシャボン玉を見せてくれた女。ある日変わり果てた姿で少女の前に現れた女が、シャボン玉の中に見せたものは。
 どこかノスタルジックで、そして物悲しい物語を描きつつ――ラストで読者を突き落とすその非情ぶりに愕然とさせられます。


 その他、これは『井戸端婢子』に収録されていた『肉豆腐』と『人独楽』も、相変わらず厭な厭な味わいで、あっという間に読める分量ながら、しかし読み応えは相当のものがある一冊であります。

 個人的には、平山怪談の――いや平山作品の基底に流れる、人を虐げる世の不条理に対する静かな、そして激しい怒りというべきものが、少々薄いような気もしましたが、その辺りは感じ方かもしれません。
(その意味からも『魂呼びの井戸』は、やはり出色と感じます)

 何はともあれ、ここに復活した平山時代怪談。今度は途切れることなく、書き継がれていくことを期待する次第です。


『大江戸怪談 どたんばたん』(平山夢明 講談社文庫) Amazon
大江戸怪談 どたんばたん(土壇場譚) (講談社文庫)


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2017.06.10

戸南浩平『木足の猿』 変わりゆく時代と外側の世界を前にした侍

 最近の歴史時代小説界で印象に残るのは、個性的な作品をひっさげてデビューする新人作家の登場が続いていることであります。本作はその一つ――明治初期の横浜を舞台に、親友の仇を追い続ける片足の元武士が、連続する英国人殺害事件に巻き込まれる時代ハードボイルドであります。

 幕末の動乱の中、親友を殺した男を追って脱藩、江戸から明治と変わる時代を尻目に放浪を続けてきた居合いの達人・奥井。
 親友の水口の形見の刀を仕込み杖に忍ばせ、その鍔を懐に、老いの近づく年齢になりながらも、なおも仇を追う彼は、ある日一人の奇妙な男・山室の訪問を受けます。

 殺した相手の首を晒すという幕末の攘夷浪士のような所業で街を騒がせている連続英国人殺害事件――その背後に水口の仇と目される男が絡んでいると山室から聞かされた奥井。
 犠牲者の母に雇われたディテクティヴ(探偵)だという山室から協力を求められた彼は、二つ返事で事件を追うことになるのですが、やがて事件は思わぬ様相を呈することに……


 徳川幕府は倒れたものの、いまだ国の形も明確には定まらぬ混沌とした時代、侍たちが退場しつつある時代――それが物語の背景として似合うのか、明治初期を舞台としたミステリタッチの作品というのは、実は少なくありません。
 本作ももちろんその一つですが、他の作品と大きく異なるのは、そのハードボイルドタッチの味わいと、それを生み出す主人公のキャラクターでしょう。

 上で述べたとおり、主人公の奥井は、親友・水口を殺した仇を追い、時代が変わってもなお放浪を続ける男。そしてそんな彼を特徴付けるのは、その境遇以上に、左足が木製の義足であることであります。
 若き日に山津波に巻き込まれて足を岩に挟まれ、そこから脱するために、水口によって足を断たれた奥井。優れた剣の腕を持ちつつも、武芸の道を断たれた彼は、それでも来るべき時代に身を立てるべく英語を学ぶなど、未来を見据えて生きていたのですが……

 しかし、突然の水口の死、それも横領の疑いをかけられた上でのそれが、彼の運命を大きく変えます。仇の男を追って藩を捨て――すなわち侍としての境遇を捨て――それでもなお、友の形見の刀を抱いて、放浪を続ける奥井。
 彼は、侍の時代が終わった後も侍たらんとする、しかし既に侍としては不適合者であるという奇妙な存在として、物語の中を駆けるのであります。

 それは一種の象徴と言えるかもしれません。時代から取り残されたモノの、そして時代が流れても変わらぬモノの、あるいは変わりゆく時代に流されるモノの。
 そんな彼の目から描く明治維新後の世界は、畢竟、輝きに満ちた新世界などではあり得ないのであります。


 しかし本作は、そんな奥井の、変わりゆく日本に対する感傷めいたものを拒否するような「外部」を持ちます。
 それは文字通り日本の外――本作で描かれる連続殺人の被害者の母国である英国をはじめとした諸外国、外の世界の存在であります。

 ある意味、江戸から明治に変わった以上に大きな変化をもたらした開国。それは、この島国で行われていた様々な営みを根底から揺るがすインパクトをもたらしました。
 そしてそれは、この国に縛られていた人々、この国に生きる場所の無かった人々にとっては福音であったかもしれませんが――そこにもやはり、純粋な楽園はないのです。

 本作のタイトルである「木足の猿」――「木足」が、主人公たる奥井の義足であることはいうまでもありませんが、それでは「猿」は何を意味するのか。
 それが明らかにされる時、本作は、英国人殺しという直接的なもの以上に、日本が外部に開かれたことから、外部と触れたことから生まれる悲しみと理不尽の存在を描き出すのです。


 時代から遊離してしまった男の目を通じて、変わりゆく時代と、外側の世界とに翻弄されるモノたちの姿を描く本作。
 クライマックスに待ち受けるどんでん返しも見事ですが、それ以上にこの視点こそが、本作をして優れた「時代」ミステリとして成立させていると感じられるのです。


『木足の猿』(戸南浩平 光文社) Amazon
木足(もくそく)の猿

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2017.06.07

入門者向け時代伝奇小説百選 古代-平安(その一)

 ここからは作品の舞台となる時代ごとに作品を取り上げます。まずは古代から奈良時代、平安時代にかけての作品の前半です。

46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫)
47.『いまはむかし』(安澄加奈)
48.『玉藻の前』(岡本綺堂)
49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫)
50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏)


46.『諸葛孔明対卑弥呼』(町井登志夫) Amazon
 とてつもなくキャッチーなタイトルの本作は、そのタイトルどおりの内容に驚愕必至の作品。
 赤壁の戦いで大敗を喫した曹操が諸葛孔明に匹敵する奇門遁甲の遣い手として白羽の矢を立てた相手――それは邪馬台国の女王・卑弥呼だった! という内容の本作ですが、架空戦記的な内容ではなく、あったかもしれない要素を丁寧に積み上げて、世紀の対決にきっちりと必然性を持たせていくのが実に面白いのです。

 そして物語に負けず劣らず魅力的なのは、この時代の倭国の姿であります。大陸や半島から流れてきた人々が原始的都市国家を作り、そこに土着の人々が結びつく――そんな形で生まれた混沌とした世界は、統一王朝を目指す中原と対比されることにより、国とは、民族とはなにかいう見事な問いかけにもなっているのです。

 ラストの孔明のとんでもない行動も必見!

(その他おすすめ)
『倭国本土決戦』(町井登志夫) Amazon
『シャクチ』(荒山徹) Amazon


47.『いまはむかし』(安澄加奈) Amazon
 実家に馴染めず都を飛び出した末、代々の(!)かぐや姫を守ってきた二人の「月守」の民と出会った弥吹と朝香。かぐや姫がもたらす莫大な富と不死を狙う者たちにより一族を滅ぼされ、彼女の五つの宝を封印するという彼らに同行することにした弥吹たちの見たものは……

 竹取物語の意外すぎる「真実」を伝奇色豊かに描く本作。その物語そのものも魅力的ですが、見逃せないのは、少年少女の成長の姿であります。
 旅の途中、それぞれの目的で宝を求める人々との出会う中で、自分たちだけが必ずしも正しいわけではないことを知らされつつも、なお真っ直ぐに進もうという彼らの姿は実に美しく感動的なのです。

 そして「物語を語ること」を愛する弥吹がその旅の果てに知る物語の力とは――日本最古の物語・竹取物語に込められた希望を浮かび上がらせる、良質の児童文学です。


48.『玉藻の前』(岡本綺堂) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 インド・中国の王朝を騒がせた末に日本に現れ、玉藻前と名乗って朝廷に入り込むも正体を見顕され、那須で殺生石と化した九尾の狐の伝説。本作はその伝説を踏まえつつ、全く新しい魅力を与えた物語です。

 幼馴染として仲睦まじく暮らしながら、ある事件がきっかけで人が変わったようになり、玉藻の前として都に出た少女・藻と、玉藻に抗する安倍泰親の弟子となった千枝松。本作は、数奇な運命に引き裂かれつつも惹かれ合う、この二人を中心に展開します。
 そんな設定の本作は、保元の乱の前史的な性格を持った伝奇物語でありつつも、切ない味わいを濃厚に湛えた悲恋ものとしての新たな魅力を与えたのです。

 山田章博『BEAST OF EAST』等、以後様々な作品にも影響を与えた本作。九尾の狐の物語に新たな生命を吹き込むこととなった名作です。

(その他おすすめ)
『小坂部姫』(岡本綺堂) Amazon


49.『夢源氏剣祭文』(小池一夫) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 劇画界の超大物原作者による本作は、鬼と化した少女を主人公としたオールスター活劇であります。

 父・藤原秀郷を訪ねる旅の途中、鬼に襲われて鬼の毒をその身に受けた少女・茨木。不老不死となり、徐々に鬼と化していく彼女は、藤原純友、安倍晴明、渡辺綱、坂田金時等々、様々な人々と出会うことになります。そんな中、藤原一門による鬼騒動に巻き込まれた茨木の運命は……

 平安時代と言っても三百数十年ありますが、本作は不老不死の少女を狂言回しにすることにより、長い時間を背景とした豪華キャストの物語を可能としたのが実に面白い。
 しかしそれ以上に、「人ならぬ鬼」と、権力の妄執に憑かれた「人の中の鬼」を描くことで、鬼とは、裏返せば人間とは何かという、普遍的かつ重いテーマを描いてみせるのに、さすがは……と感心させられるのです。


50.『陰陽師 生成り姫』(夢枕獏) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 平安ものといえば欠かすわけにはいかないのが『陰陽師』シリーズ。誕生30周年を経てなおも色あせない魅力を持つ本シリーズは、安倍晴明の知名度を一気に上げた陰陽師ブームの牽引役であり、常に第一線にある作品です。

 その中で初心者の方にどれか一冊ということであれば、ぜひ挙げたいのが本作。元々は短編の『金輪』を長編化した本作は、恋に破れた怨念から鬼と化した女性と、安倍晴明・源博雅コンビの対峙を描く中で主人公二人の人物像について一から語り起こす、総集編的味わいがあります。

 もちろんそれだけでなく、晴明と博雅がそれぞれに実に「らしい」活躍を見せ、内容の上でも代表作といって遜色ない本作。
 特に人の心の哀れを強く感じさせる物語の中で、晴明にも負けぬ力を持つ、もう一人の主人公としての存在感を発揮する博雅の活躍に注目です。

(その他おすすめ)
『陰陽師 瀧夜叉姫』(夢枕獏) Amazon



今回紹介した本
諸葛孔明対卑弥呼 (PHP文芸文庫)(P[あ]6-1)いまはむかし (ポプラ文庫ピュアフル (P[あ]6-1))玉藻の前夢源氏剣祭文【全】 (ミューノベル)陰陽師生成り姫 (文春文庫)


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 諸葛孔明対卑弥呼
 「いまはむかし 竹取異聞」 異聞に込められた現実を乗り越える力
 玉藻の前
 夢源氏剣祭文
 

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2017.06.06

武内涼『暗殺者、野風』 力持てる弱者と強者の交錯に浮かぶもの

 「この時代小説がすごい!」で第1位を獲得した『妖草師』をはじめ、独自の視点から活劇要素の強い時代小説中心に発表してきた作者の最新作は、凄まじいまでのスピード感の大活劇。美少女暗殺者が上杉謙信暗殺のために川中島で繰り広げる死闘を通じ、戦いの意味を問いかける物語であります。

 1561年、武田信玄と上杉謙信、両雄が一触即発の状況となっていた頃――はるか昔より、武士たちの依頼で暗殺を行うのと引き替えに中立を守ってきた「杖立ての森、隠り水の里」に現れた武田の軍師・山本勘助。
 謙信暗殺を望む彼の依頼に答えて里が送り出したのはまだ十代の美少女・野風――彼女こそは、目にも止まらぬ速度で長巻を振るう、里で一二を争う刺客であったのです。

 弟分の蟹丸、薬師の甚内とチームを組み、謙信への接近を狙う野風。しかし武田方の不穏の動きを察知した上杉方は、刺客狩りでその名を知られた用心棒集団・多聞衆に警護を依頼するのでした。
 多聞衆の警護をかいくぐり、謙信に迫る野風。しかしある理由で集中力を乱した彼女は謙信襲撃を失敗、多聞衆と上杉の忍び・軒猿の追撃を受けることになります。

 そしてそれと同時期に、隠れ水の里でも大きな異変が発生。多くのものを失った野風は、復讐のため、自分が自分であるために謙信たちを討つべく、今まさに両軍の激突が始まった川中島に単身突入するのですが……


 洋の東西を問わず、様々な作品に登場する戦闘美少女――というより少女暗殺者。これは、ビジュアル的に映えるから――という理由はさておき、本来であれば殺人という世界とは最も遠いものと思われる少女を暗殺者とすることで、そこから生まれる意外性とドラマ性が好まれたということでしょう。

 その意味では本作のタイトルロールである野風は、まさしくその狙いどおりのキャラクターと言うべきかもしれません。
 武士たちの争いをきっかけに家族と故郷を奪われ、ただ一つ残された己の才でもって、武士を討つ刺客と化した彼女は、戦国という時代の生んだ混沌と矛盾を体現したような存在なのですから。

 そしてそんな彼女は、同時に、これまで作者の作品の多くに登場してきた「力持てる弱者」とでも言うべき者の一人でもあります。
 個人では群を抜いた力を持ちつつも、その時代の、その社会の支配層に虐げられる集団に属する人々――作者の得意とする忍者ものの忍者はもちろんのこと、権力者の手から自由であるために暗殺を生業とする野風たちは、そんな強くとも弱い存在なのです。

 しかし本作はそんな彼女たちと対峙する「強者」――すなわち武士を、単純に悪とすることも、略奪者とすることもありません(もちろん、そうした者も存在はするのですが)。
 本作に登場する武士たちの多くは、周囲に犠牲を生みつつも、自分たちの身をすり減らしつつも、やむにやまれぬ理由を――理想を、過去を、情念を背負って戦う者として描かれるのです。

 その代表となるのが、野風のターゲットたる謙信と、彼を守る多聞衆、その中でも頭領の静馬と、メンバーの中では若手の鬼小島弥太郎(!)であります。
 戦いと殺戮に明け暮れた父を忌避しつつも、戦いを終えるために戦いを続ける謙信。刺客に妻子を討たれて以来、刺客狩りにその生を費やす静馬。そして彼らを理想の武士と仰ぎ見つつも、野放図な明るさと優しさを持った弥太郎――彼らの存在は、本作が暗殺者と武士との、弱者と強者との戦いに留まるものではないことを示しているのです。

 だとすれば、本作で描かれるものとは何なのか――それは一つには、たとえ戦いを忌避し、嫌悪しつつも、それぞれに生きる理由を持ち、それ故にぶつかり合わざるを得ない人間存在の悲哀と、彼らにそれを強いる時代の残酷ではないでしょうか。
 彼女の標的となる存在、彼女を阻む存在が人間的であればあるほど、そして彼女が人間離れした活躍を見せるほど――そこには逆説的に彼女の、そして戦いの場に集う人々の人間性が浮き彫りとなるのです。


 しかし、本作はそれと同時に、一つの希望をも描き出します。たとえ人間がぶつかり合い、傷つけあう存在であったとしても――それでも、それでも人と人は時に分かり合い、支え合うことができるかもしれないという。
 本作はそれを描き出すからこそ、人間性と時代性が生む悲しみと無数の死を描きつつも、決して苦さ重さだけでなく、爽やかですらある後味を残してくれるのです。

 それは、これまで作者が描いてきたものの、その先を描いたものなのではないか――デビュー以来作者の作品を追い続けてきた者として、そう感じるのです。


『暗殺者、野風』(武内涼 KADOKAWA) Amazon
暗殺者、野風

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