2018.05.23

横田順彌『時の幻影館 秘聞 七幻想探偵譚』 明治の科学小説家が出会う七つの怪事件


 明治SF研究の第一人者である作者による明治ものSFの中でも中核をなす、鵜沢龍岳ものの第一弾――昨年同じシリーズの長編『星影の伝説』と合本で復刊した全七話の短編集であります。新進科学小説作家である龍岳とその師たる押川春浪が次々と出会う、奇怪で不思議な事件の真相とは……

 明治時代に発表されたSFの研究から始まり、その中心人物とも言うべき押川春浪と周囲の人々の伝記執筆、さらには明治文化の研究といった活動を行っている作者。
 しかし作者の本分はあくまでもSF小説であり、この両者が結びついて明治時代を舞台としたSFが発表されたのは、むしろ当然の成り行きというべきでしょう。

 その第一作『火星人類の逆襲』は一大冒険スペクタクルというべき大活劇でしたが、続く本作は、それとは打って変わった、どこか静謐さすら感じさせる、奇妙な味わいのSF幻想譚を集めた作品集であります。

 科学小説家を志し、念願かなって斯界の第一人者・押川春浪に認められ、彼が主筆を務める「冒険世界」誌の連載作家となった青年・鵜沢龍岳。
 ある日、春浪からとある村で起きた奇妙な事件――ギリシア人の未亡人の住む屋敷が不審火で全焼した事件の調査を依頼された彼は、そこで春浪の友人である警視庁の刑事・黒岩四郎と、その妹・時子と出会い、行動を共にすることになります。

 目の不自由な老婆と、生まれつき目の見えない孤児の少年と暮らしていたという婦人。少年の目が手術で回復するという矢先、不審火で婦人と老婆もろとも焼け落ちた屋敷の跡からは、数多くの蛇の死体が……

 という記念すべき第一話『蛇』に始まる本シリーズ。そこで共通するのは春浪・龍岳・時子・黒岩の四人、そして春浪が主催するバンカラ書生団体「天狗倶楽部」の面々が、科学では説明のつかないような事件に遭遇することであります。

 数々の女性を毒牙にかけてきた男が蠍に刺し殺され、高い鳥居の上に放置された姿で発見される『縄』
 畝傍の乗組員を名乗る男が海の上で暴行されかけた女性の前に現れ、彼女を救って消える『霧』
 隕石が落ちて以来、病人がいなくなり、人付き合いが悪くなった村に向かった龍岳が不思議な女性と出会う『馬』
 突然龍岳と友人・荒井の前に現れた何者かに追われる男。その男が荒井の妹が事故に遭う歴史を変えたと語る『夢』
 日本人初の飛行実験中、突如飛行士が取り乱して墜落する瞬間、一人の少年のみが飛行士と何者かの格闘を目撃する『空』
 事故で沈没した潜水艦の艦長の上官が、自宅で頭が内部から弾け飛ぶという奇怪な死を遂げる『心』

 いずれも実に「そそる」内容ばかりですが、しかし本作の最大の特徴は、それぞれの物語の結末にあるかもしれません。

 作者が単行本のあとがきで、どの作品も「起承転結」ならぬ「起承転迷」もしくは「起承転?」となっていると語るように、どの作品も、一応は結末で謎は解けるのですが――しかしその真相が常識では計り知れないものであったり、更なる謎を呼ぶものであったり、何とも後を引くものなのであります。
 作中で春浪が(ある意味身も蓋もないことながら)「これは科学小説、いや神秘小説の世界だ」と語るような結末を迎える本作は、まさに副題にあるように「幻想探偵譚」と評すべきものでしょう。

 もっとも、この趣向は、一歩間違えれば「こんな不思議なことがありました」という単なるエクスキューズを語って終わりになりかねない点があるのもまた事実。
 特に『縄』のオチは、は、いくら明治時代が舞台の作品でも――と、何度読んでも(悪い意味で)唖然とさせられるものがあります。

 もちろんそれだけでなく、例えば『空』は飛行機という当時最先端の科学と、一種の祟りという取り合わせの妙が素晴らしい作品。
 さらにその怪異を目撃するのが少年時代の村山槐多というのもまた、登場人物のほとんどが実在の人物という本シリーズの特徴を最大限に活かした点で、何とも心憎いところであります。

 本作が全体を通じて、いずれも一種プリミティブなSF的アイディアに依っている点は好き嫌いが分かれるでしょう。しかし全体を貫く落ち着いた、ある種品のある文章には、何とも得難い味わいがあり、読んでいて不思議な安らぎを感じるのもまた事実であります。

 今回の合本は短編集3冊と長編3作を合わせて全3巻としたもの。近日中に本作と合本の長編『星影の伝説』、そして残る作品もご紹介したいと思います。

『時の幻影館 秘聞 七幻想探偵譚』(横田順彌 柏書房『時の幻影館・星影の伝説』所収) Amazon
時の幻影館・星影の伝説 (横田順彌明治小説コレクション)

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2018.05.18

柴田錬三郎『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』 登場、名探偵狂四郎!?


 あの時代小説史上に残るニヒリスト剣客・眠狂四郎を、なんとミステリという切り口から扱った作品集であります。確かに柴錬先生の作品にはミステリもありますが、それにしても――と思いきや、これが実に面白く、興味深い一冊なのであります。

 異国人のころび伴天連が武士の娘を犯して生まれたという陰惨な出自を持ち、妖剣・円月殺法を操る異貌の剣客・眠狂四郎。
 襲いかかる敵は容赦なく斬り捨て、女性に落花狼藉も躊躇わない――それでいてこの世の全てに倦み疲れたような虚無の影を背負って放浪する、この世に恃むところのない、まさしく無頼の徒であります。

 さて、1956年に「週刊新潮」誌上で第1作『眠狂四郎無頼控』の連載がスタートし、以降実に20年近くに渡って活躍してきた狂四郎ですが、その(特に第1作の)特徴は、連作短編スタイルであること。
 週刊誌での連載であることから、毎回一話完結を志向した内容は、短いページ数の中で起承転結を収め、さらに長編としての大きな物語も進行させていく――という離れ業をものしてきたのが本シリーズなのであります。

 と、そんな眠狂四郎ものの中から、ミステリ色の強い作品を集めたのが本書。全21編のうち、第3作『殺法帖』からの1編、中短編集の『京洛勝負帖』からの3編を除けば、全て『無頼控』からの収録であります。
 その収録作は以下のとおり――

『雛の首』『禁苑の怪』『悪魔祭』『千両箱異聞』『切腹心中』『皇后悪夢像』『湯殿の謎』『疑惑の棺』『妖異碓氷峠』『家康騒動』『毒と虚無僧』『謎の春雪』『からくり門』『芳香異変』『髑髏屋敷』『狂い部屋』『恋慕幽霊』『美女放心』『消えた兇器』『花嫁首』『悪女仇討』
 いずれもタイトルを見ただけでドキドキさせられる作品揃いであります。

 さすがにこれらの作品を一話ずつ紹介はいたしませんが、収録作はどれも「らしい」作品揃い。大きな物語として見るとかなり間があいているため、混乱させられる点もあるかもしれませんが、基本的にどこから読んでも楽しめる内容であります。


 ……と、それよりも注目すべきは「ミステリ」であります。
 本書は、編者の言を借りれば「密室殺人、雪の密室、呪われた屋敷、山中の怪異、重要書類の消失、雪の密室、首切り殺人など」ミステリ要素の強いエピソードを集めた一冊であり、もちろん探偵役は狂四郎です。

 正直なところ、ミステリプロパーの作者でもなければ、元々の作品がミステリというわけでもないわけで、ガチガチのミステリを期待すれば、さすがに少々拍子抜けの印象は否めないでしょう。
 また使われているトリックなども(特に『消えた兇器』など)ちょっと驚くほどプリミティブなものもあるのも事実です。

 しかしそこまで堅いことを言わなければ、そして広義のミステリというものを含めて考えれば、本書はなかなかの高水準の作品が並んでいると感じられます。
 例えば、美人比べの候補者が次々と無惨な最期を遂げるという事件以上に、サイコスリラーめいた犯人の動機の異常性が際だつ『皇后悪夢像』。
 三幅も現れた家康直筆の天照大神画の真贋を巡り人間心理の綾を巧みに突いてみせる『家康騒動』。
 消えた宝玉の行方を巡り、いかにも本作らしいエロティシズムが漂う『芳香異変』(宝玉の隠し所はすぐ見当がつくものの、それを暴く手段が、裏腹に雅趣に富んだものなのが面白い)。

 そして特に表題作である『花嫁首』は、新婚初夜の花嫁の首が無惨にも奪われ、代わりに凶悪な面相の罪人の首が据えられていたという、猟奇色濃厚な事件のインパクトにまず驚かされるエピソード。
 犯人の企て自体はそれほどでもないのですが(というよりかなり強引ではあります)、そこにさらにある思惑が加わって事件の様相が変わるという展開の妙、そして狂四郎が真相に気付く証拠のユニークさなど、表題作に相応しい内容と感じます。


 それにしても、よく考えてみれば狂四郎は、ヒーローでもなく悪党でもなく――つまりは使命感も目的もなく、ただ自分の興味の惹いたものに首を突っ込む人物。
 そんな人物だからこそ、その『もの』が謎であった時、彼は探偵として活躍するのであり――本書はそんな狂四郎の特異なキャラクターがあってこそ成立したものと言えるのではないでしょうか。

 そんな狂四郎の立ち位置についても改めて考えさせられる本書、シリーズファンにも初読の方にもおすすめできる一冊です。


『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』(著:柴田錬三郎 編:末國善巳 創元推理文庫) Amazon
花嫁首 (眠狂四郎ミステリ傑作選 ) (創元推理文庫)

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2018.05.17

宮本昌孝『武者始め』 将の将たる者たちの第一歩


 宮本昌孝といえば、戦国時代を舞台にした稀有壮大かつ爽快な作品の数々が浮かびますが、本作は戦国時代を舞台としつつも、後世に名を残す七人の戦国武将の「武者始め」を描いたユニークな、しかし作者らしい短編集であります。

 「武者始め」という言葉はあまり馴染みがありませんが、武者が武者としてデビューすること、とでも評すればよいでしょうか。それであれば初陣とイコールではないか、という気もいたしますが、しかし必ずしもそうではないのが本書の面白いところであります。
 そして本書のテーマはその「武者始め」――以下に各話の内容を簡単にご紹介しましょう。

 烏梅(梅の燻製)好きの伊勢新九郎が、様々な勢力の思惑が入り乱れる今川家の家督争いに、快刀乱麻を断つが如き活躍を見せる『烏梅新九郎』
 幼い頃から賢しらぶると父・信虎に疎まれ、老臣にも侮られる武田太郎晴信が、股肱たちとともに鮮やかな初陣を飾る『さかしら太郎』
 幼い頃に寺に入れられ、そこで武将としての英才教育を受けた長尾虎千代が、父亡き後の越後で恐るべき早熟ぶりを見せる『いくさごっこ虎』
 赤子の頃から癇が強く実母に疎まれた織田吉法師が、乳母となった池田恒興の母・徳に支えられて新たな一歩を踏み出す『母恋い吉法師』
 上洛した信長の前に現れ、その窮地を救った持萩中納言こと日吉。やんごとなき血を引くとも言われながらも猿の如き醜貌を持つ日吉の企みを描く『やんごとなし日吉』
 今川家の人質の身からの解放を目指すためには体が資本と、自らの手で薬を作る松平次郎三郎元信の奮闘『薬研次郎三郎』
 生まれつきの醜貌で「ぶさいく」と呼ばれ、上杉・豊臣と次々と人質になりながらもその才知で運命を切り開く真田弁丸の姿を描く『ぶさいく弁丸』

 いずれも年少期の物語ということで、タイトルに付されているのは幼名ですが、それが誰のことかは、申し上げるだけ野暮でしょう。
 そしてその中で描かれるのは史実と、我々もよく知る逸話に基づいたものですが――しかし「武者始め」に視点を集約することで、これまでとは一風変わったものとして映るのが本書の魅力でしょう。

 何よりも、先に述べた通り、必ずしも武者始め=初陣とは限らないのが面白い。
 単なる武士であればその二つはイコールかもしれませんが、ここに登場するのはいずれも将――それも将の将と呼ぶに相応しい者たちであります。そんな彼らの武者始めは、必ずしも得物を手に戦うだけとは限りません。

 本書における「武者始め」とは、武士が己の目的のために初めてその命を賭けた時――そう表することができるでしょう。人生最初の好機に、あるいは窮地に、己の才を活かし、その将の将としての一歩を踏み出した瞬間を、本作は鮮やかに描き出すのです。


 そんな本書で個人的に印象に残った作品を挙げれば、『母恋い吉法師』『やんごとなし日吉』『ぶさいく弁丸』でしょうか。

 『母恋い吉法師』は、その気性の激しさから母・土田御前に疎まれながらも母の愛を求めていた吉法師の姿の切なさもさることながら、面白いのはそこでもう一人の母の存在として池田恒興の母を置き、実母と乳母の争いを重ね合わせてみせることでしょう。
 ラストに語られるもう一つの「武者始め」の存在に唸らされる作品であります。

 また『やんごとなし日吉』は本書の中では最も伝奇性の強い一編。桶狭間前の信長の上洛を背景に、謎めいた動きを見せる持萩中納言とその弟――日吉と小一郎の暗躍ぶりが面白く、ちょっとしたピカレスクもの的雰囲気すらあるのですが……
 最後の最後に、驚かされたり苦笑させられたりのどんでん返しが用意されているのも心憎いところです。

 そして『ぶさいく弁丸』は、後世にヒーローとして知られるあの武将が、実はぶさいくだった、という切り口だけで驚かされますが、その彼がほとんどギャグ漫画のようなノリで名だたる武将たちの心を掴んでいく姿が楽しく、かつどこか心温まるものを感じさせるのが魅力であります。。


 本書に収録された7編は、さすがに短編ということもあり、少々食い足りない部分はないでもありません。作品によっては、もっともっとこの先を読みたい――そう感じたものもあります。
 とはいえ、その史実に対するユニークな切り口と同時に、男たちの爽快かつ痛快な活躍ぶりを描くその内容は、まさしく宮本節。この作者ならではの戦国世界を堪能できる一冊であることは間違いありません。


『武者始め』(宮本昌孝 祥伝社) Amazon
武者始め

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2018.05.10

鳴神響一『天命 おいらん若君徳川竜之進』 意表を突いた題材に負けない物語とキャラクター


 一作一作、趣向を凝らした作品を送り出してく作者の最新作は、いわゆる若様もの。故あって外で育てられた尾張徳川家の若君が主人公なのですが――タイトルにあるように、若君の表の顔は吉原の花魁。とんでもない設定に驚かされますが、しかしその時点で作者の術中にはまっているのであります。

 将軍吉宗と対立した末に隠居に追い込まれた尾張七代・宗春と侍女との間に生まれた男子・竜之進。しかし何者かの手によって母は殺され、竜之進のみ、くノ一の美咲に救い出されることになります。
 密かに竜之進を庇護していた尾張の付家老・成瀬隼人正は、尾張にいては竜之進の身が危ないと、美咲と配下の四人の遣い手・甲賀四鬼とともに江戸に出すことになります。

 そして吉原に潜んだ竜之進主従。それから17年、吉原の女郎屋の一つの主に収まった美咲はそれぞれ使用人に収まった四鬼とともに竜之進を育て上げ、美丈夫に育った彼は吉原一の花魁・篝火として江戸の評判に……

 いやいやいやそれはおかしい、と思われるかもしれません。いや、尾張家の御落胤が吉原で育つのはいいとして、何故女装、しかも花魁に!? と驚き怪しむのが当然でしょう。
 しかし我々がそう考えるということは、竜之進を狙う者たちも同様に考えるということ。まさか徳川の血を引く若君が花魁に身をやつし、しかも吉原にその人ありと知られるような目立つ存在になるはずがない、と。

 そう、木は森の中に隠せと申しますが、これはそれを地で行く――いやむしろ目の前に隠すべきものを晒してみせるという驚くべき奇計なのであります。
 もちろん、まさか実は男の竜之進/篝火が客と同衾するはずもなく(花魁だからこそその我が侭が許されるという設定がうまい)、しかしそれこそ高嶺の花よ、とさらに評判になっていたのであります。

 しかし如何に己の身を案じた末の策とはいえ、青春真っ盛りの若者が、女に身をやつして酔客の相手が面白いはずもありません。
 かくて竜之進は暇を見ては吉原を抜け出して旗本の四男坊を名乗り、馴染みの居酒屋で貧乏御家人の太田直次郎(そう、若き日のあの人物です)や瓦版屋のお侠な少女・楓とともに、様々な事件に首を突っ込むことに……


 という基本設定の本シリーズ、その第1作で竜之進が挑むのは、彼がその二つの顔――吉原での顔と外の顔のそれぞれで聞きつけた、怪しげな事件であります。

 その一つ目は、楓が聞き込んできた天狗騒動。夜毎に江戸に天狗が現れ、怪しげな歌を歌って踊り回るというのであります。
 そしてもう一つは、吉原で、遠州から買われてきた娘たちが、家族と音信不通になってしまったという出来事。いかに篭の鳥とはいえ、手紙のやり取りはできるはずが、里からの返事が来なくなったというのです。

 一見全く関係のないこの二つの出来事。しかし天狗たちが歌の中で賄賂を取る者を批判し、そして娘たちがみな遠州相良出身であったことから、その背後にある人物の存在が浮かび上がることになります。
 そしてそこから事件は思わぬ方向に転がり、悪の姿が浮き彫りになっていくのですが――この辺りの史実との絡ませ方が実に作者らしい、とまず感心いたします。

 これまで縷々述べてきたように、かなり意表を突いた設定の本作ですが、しかしその背後にあるのは、あくまでも確たる史実であり、描かれる事件もそこから生まれたもの。
 この史実の生かし方と距離感、緩急をつけた物語の付け方――題材としてはある意味定番、これまでで最も「文庫書き下ろし時代小説」的な本作ですが、しかしその中でも作者らしさは薄れることはない、と感じました。


 しかしそれ以上に嬉しいのは、竜之進の人物像――彼が悪に挑む、その理由であります。
 そこにはもちろん、若者らしい正義感や好奇心、冒険心というものはあるでしょう。しかしそれだけではありません。彼にはそれ以上に、吉原に暮らす遊女たちへの強い共感があるのです。

 金で売り買いされ、吉原に縛り付けられる遊女たち。もちろん竜之進の場合、その事情は大きく異なりますが、しかし吉原に縛り付けられ、表舞台に立てぬ身という点では彼も同様であります。
 だからこそ、竜之進は彼女たちを傷つける者を、利用する者たちを許さない。単なる(と敢えて言いましょう)正義の味方ではなく、吉原の女性たちの代弁者として破邪顕正の刃を振るう男――それがまた、花魁としての自分を活かした剣法なのも実にいい。

 意表を突いた題材に負けない物語とキャラクターを備えた物語――また一つ、先が楽しみなシリーズの開幕であります。


『天命 おいらん若君徳川竜之進』(鳴神響一 双葉文庫) Amazon
天命-おいらん若君 徳川竜之進(1) (双葉文庫)

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2018.05.07

武内涼『敗れども負けず』(その二) 彼らは何故、何に負けなかったのか?


 歴史上の敗者を題材にした短編集の紹介の後編であります。今回ご紹介する二編は、本書のテーマに即しながらも、作者の小説に通底するものがより色濃く現れた作品です。

『春王と安王』
 足利義教と対立した末に討たれた足利持氏の子として奉じられ、結城合戦の大将となった足利春王丸・安王丸。圧倒的な力の前に散った幼い子供たちの姿を、本作は瞽女――盲目の女性芸能者を通して描きます。

 幼い頃に瞽女となり、長じてのち琵琶法師の夫と出会い、坂東に出た千寿。ならず者に襲われていたところを二人の少年に助けられた彼女は、やがてその二人が春王丸・安王丸であったことを知ります。
 義教に反旗を翻し、結城城に依った二公子に求められ、その心を慰めるために城に入った千寿たち。善戦を続けるものの、幕府軍の物量に押されついに迎えた落城の日、城を脱した二公子の伴をする千寿たちですが……

 現代でいえば小学生くらいの年齢ながら、反幕府の旗頭として祭り上げられ、そして非業の最期を遂げた春王丸と安王丸。
 本作はその二人の姿を――その少年らしい素顔を、千寿という第三者の目を通じて瑞々しく、だからこそ痛々しく描きます。そしてそれと対比する形で、「万人恐怖」と呼ばれた暴君・義教の姿が浮かぶのですが――しかし本作が描くのはそれだけに留まりません。本作が描くのはもう一つ、そんな「力」に抗する者――芸能の形で敗者たちの物語を愛し、語り継いできた庶民たちの姿なのです。

 思えば、作者の作品は常に弱者――忍者や暗殺者など、常人離れした力を持っていたとしても社会的にはマイノリティに属する存在――を主人公として描いてきました。その作者が描く歴史小説が、強者・勝者の視点に立つものではないことはむしろ当然でしょう。
 そして本作においてその立場を代表するのが、千寿であることは言うまでもありません。強者たる義教があっさりと命を落とした後に、春王丸・安王丸の姿が芸能として後世に語り継がれることを暗示する本作の結末は、決して彼らが、千寿たちを愛した者たちが負けなかったことを示すのであります。


『もう一人の源氏』
 最後の作品の主人公は、源氏嫡流の血を引きながらも、将軍位を継ぐことはなかった貞暁。頼朝亡き後、頼家が、実朝が、公暁が相次いで死に、源氏の血が途絶えたかに見えた中、ただ一人残された頼朝の子の物語です。

 頼朝が側室に産ませ、妻・政子の目を恐れて逃し、高野山に登った貞暁。彼を四代将軍に望む声が高まる中、政子は九度山で貞暁と対面することになります。表向きは将軍就任への意思を問いつつも、是と答えればこれを討とうとしていた政子に対し、貞暁は己の師の教えを語るのですが……

 本書に登場する中で、最も知名度が低い人物かもしれない貞暁。幼い頃に出家し、高野山で生き、没したという彼の人生は、メインストリームから外れた武士の子の典型に思えますが――しかし本作は政子に対する貞暁の言葉の中で、それが一面的な見方に過ぎないことを示します。
 高野聖に加わり、自然の中で暮らした貞暁。初めは己の抱えた屈託に苦しみつつも、しかし師との修行の日々が、彼を仏教者として、いや人間として、より高みに近づけていく――そんな彼の姿が露わなっていく政子の対話は、静かな感動を生み出します。

 そしてその師の言葉――「この世界は……愛でても、愛でても、愛で足りんほど美しく、さがしても、さがしても、さがし切れぬほどの喜びで溢れとる」は、作者の作品における自然観を明確に示していると言えるでしょう。
 デビュー以来、作者の作品の中で欠かさずに描かれてきた自然の姿。登場人物を、物語を包むこの自然は、この世の美しさを、そして何よりも、決して一つの枠に押し込めることのできないその多様性を示しているのだと――そう感じられます。

 その多様性に触れた末に、武士の戦いの世界を乗り越えた貞暁の姿は、本書の掉尾を飾るに相応しいというべきでしょう。


 以上全五作の登場人物たちが戦いに敗れた理由は、そしてその結果は様々です。しかしその者たちは、あるいはその者たちの周囲の者たちは、戦いに敗れたとしても決して負けなかったと、本作は高らかに謳い上げます。何に負けなかったか? その人生に――と。

 作者はこれまでその伝奇小説において、正史の陰に存在したかもしれない敗者の、弱者の姿を描いてきました。勝者の、強者の力に苦しめられながらも、決してそれに屈することなく、自分自身を貫いた者たちを。
 本書は、そんな作者の姿勢を以て描かれた歴史小説――作者ならではの、作者にしか描けない歴史小説なのであります。


『敗れども負けず』(武内涼 新潮社) Amazon
敗れども負けず


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2018.05.06

武内涼『敗れども負けず』(その一) 様々な敗者の姿、そして残ったものの姿


 デビュー以来、常に時代伝奇小説を手がけてきた一方で、最近は独自の視点に立った歴史小説『駒姫 三条河原異聞』を発表している作者。本書も伝奇色のない歴史小説――歴史上の敗者とその周囲にあった者を主人公に、「その先」を描いてみせる全五編の短編集であります。以下、一作ずつ紹介してきます。

『管領の馬』
 関東管領でありながら、北条氏康に惨敗し、居城の平井城を喪った上杉憲政。本作の巻頭に言及されるように、甲陽軍鑑において臆病な大将などと厳しい評価を与えられた武将ですが――本作はその己の愚かさから敗北を喫した憲政のその後の姿を、その若き臣・曾我祐俊の目を通じて描く物語であります。

 それまで幾度も北条氏との戦を繰り返しながらも、腰巾着の甘言に乗せられ、戦に出ようとしなかった憲政。その果てに上杉軍は追いつめられて嫡男の龍若丸は討たれ、さらに混乱の中で憲政は居城の平井城を喪うことになります。何とか死を思い留まって再起のために逃れ、平井からの難民の中に潜り込んだ憲政が見たものとは……

 城を奪われた末に民たちの間に身を隠し、そして信じていた者たちから次々と裏切られ、ついには命を狙われる――敗軍の将としての辛酸をこれ以上はないほど舐めた憲政。本作はその苦しみをつぶさに描きつつも、それだからこそ再び立ち上がる力を得た憲政の姿を浮かび上がらせます。
 主がいつまでも主が戦場に出なかったことから、動かぬことの喩えに使われた憲政の馬。その馬が放たれ、自然の中で厳しくも新たな道を歩み始めた姿を、憲政自身が求める新たな戦いの姿に重ねて見せる結末が、何とも爽やかな後味を残します。


『越後の女傑』
 巴御前と並び、女傑として歴史に名を残す板額御前。並の男の及びもつかぬ力を持ちつつも、鎌倉幕府を向こうに回し、いわば時流の前に敗れた女性を本作は瑞々しく描きます。
 叔父・長茂とともに倒幕計画に加わりながらも、長茂を討たれ、鳥坂城に籠城を余儀なくされた城資盛。その甥の救援に駆けつけた板額は、寡兵を率いて幕府の討伐軍を散々に悩ませながらも、しかし衆寡敵せず、ついに城を落とされることとなります。そして捕らえられた板額を待ち受けるものとは……

 正史に記録は残るものの、むしろ浄瑠璃や歌舞伎などの芸能で後世に知られる板額。越後の豪族・城氏に連なる彼女を、しかし本作は蝦夷の血を引く者として描くのが面白い。
 なるほど、彼女が身の丈八尺、美女とも醜女などと評されるのは、当時の人々の尺度から外れる人物であったことを示すものでしょう。しかしその源流に蝦夷を設定したのは、伝奇小説家たる作者ならではの発想であります。(城氏の祖が蝦夷と戦っていた史実からすればあり得ないものではないと感じます)

 自然の中で獣を狩り、そして狩った動物を神として崇める誇り高き狩人であった蝦夷。その血を引く彼女は、武内主人公の一人として相応しいと言えるのではないでしょうか。

 本作の結末は、そんな彼女が武器を捨てて「女の幸せ」を得たように見えるかもしれません。しかし彼女が求めていたのが自分と同じ価値観を持ち、そして自分を一個の人間として認める相手であったと明示されているのを思えば、本作がそのような浅薄な結末を描いた作品ではないことは、明らかでしょう。


『沖田畷』
 その勇猛さと冷酷さから「肥前の熊」と呼ばれながらも、絶対的に有利なはずの戦で大敗し、首を取られたことで後世の評判は甚だ悪い龍造寺隆信。本作で描かれるのは、その疑心故に自滅した彼の姿であります。

 主君の疑心により祖父と父をはじめとする一族のほとんどを討たれ、以来幾度も裏切り裏切られながら、ついに肥前を支配するに至った隆信。本作の隆信は、そんな過去から一度疑った相手は無残に処断する冷酷さを持ちながらも、同時に自ら包丁を振るい周囲に振る舞う美食家という側面をも持つ複雑な人物として描かれます。
 そんな彼とは兄弟同様に育ちつつも、彼に諫言するうちに溝が深まり、冷遇されるに至った鍋島信生(後の直茂)。彼の懸念は当たり、ついに隆信は沖田畷で……

 数万対数千という圧倒的な戦力差、しかも相手の島津家は当初持久戦を狙っていたにもかかわらず、大敗することとなった沖田畷の戦い。しばしばその敗因を増長に求められる隆信ですが、本作においてはむしろ、疑心とそれと背中合わせの独善に求めています。
 その視点は非常に説得力がありますが――敗れた隆信の姿が強烈すぎて、「負け」なかった信生の姿が薄いのは、少々残念なところではあります。

 残り二話は次回に紹介いたします。


『敗れども負けず』(武内涼 新潮社) Amazon
敗れども負けず


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2018.05.04

田中啓文『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(その二) ホームズをホームズたらしめたもの


 様々な有名人が名探偵として活躍す短編集の紹介の後編であります。残る三話も、これまたいずれも趣向を凝らした物語揃いです。

『2001年問題』
 本作に登場するのは、あの黒後家蜘蛛の会の面々――様々な謎を抱えた人々をゲストに、喧々囂々と謎解きを楽しむ六人の男たちと一人の給仕の姿を描いた、アイザック・アシモフの連作ミステリの登場人物たちが、現代を舞台に謎に挑むのですが――その謎というのが、アシモフがアーサー・C・クラークに宛てた手紙から失われた秘密なのであります。

 それも『2001年宇宙の旅』に隠された謎、ディスカバリー号で起きたことの真実――そう、本作はあの名作が現実の出来事として起きた世界での物語。木星に向かったディスカバリー号の事件の顛末をドキュメンタリー化したものがキューブリックの映画であり、クラークの小説だというのであります!

 映画の終盤の、数々の難解な映像。本作では、それは木星で保護され、後に姿を消したボーマン船長の供述によるというのですが――さて本当は船内で何が起きていたのか、船長以外の乗組員の死の真相は何なのか? 
 いやはや、謎のために物語世界を作ってしまうのが本書の特徴の一つですが、ここまでやってしまうとは驚くほかありません。

 しかし、給仕のヘンリーが解き明かすあまりに合理的なその真相もさることながら、彼がそこにたどり着く、その根拠が実に楽しい。
 そういえばアシモフ先生にはそういうミステリもあったなあ……と愉快な気持ちになってしまう本作。その先の更なる真実はどうかと思いますが、本書でも一二を争う好編です。


『旅に病んで……』
 とくれば松尾芭蕉の辞世の句。本作は同じく死を目前とした大俳人・正岡子規と弟子の高浜虚子が、芭蕉の門人・服部土芳の書状から、芭蕉の死の真相に迫ります。

 大阪で客死した芭蕉が直前まで健康であったことから死因に疑問を抱き、調査を進めていたという土芳。芭蕉が死の間際に残した句に着目した土芳は、ついにたどり着いた恐るべき真実は――それは書状に残されていなかったのですが、子規はそこまでの内容から、自力で真相にたどり着いたと語ります。
 しかしその子規もそれを語ることなく亡くなり、残された虚子は一人謎に挑むことになります。そして彼も真相に至るのですが……

 本作は一種の暗号ミステリですが、ある事物を詠んだ俳句の中にまた別の意味が、というのは技巧として存在するわけで、ミステリとの親和性は高いのでしょう。
 そしてそれはまた、一つの言葉を別の言葉に繋げてみせる駄洒落とも親和性が――というのは言いすぎですが、こじつけのような言葉合わせが、とんでもない伝奇的真実を導き出すのは、(人を食ったような結末も含めて)作者ならではのダイナミズムと感じるのです。


『ホームズの転生』
 そしてラストはホームズを探偵役に据えた物語――なのですが本作のホームズは老人。しかも探偵になることなく老いさらばえてしまったホームズなのですから驚かされます。

 町医者として平凡かつ平和な人生を送り、妻に先立たれて一人暮らす老ワトスンが訪れた小さなコンサート。その舞台上で、ホルン奏者が背中から撃たれて死亡するという事件が発生します。警察は当然、被害者の後ろにいた人間を疑うのですが――しかしそれに異論を唱えた人物がいました。
 それは舞台に上がっていた老バイオリニスト・ホームズ――音楽家を志すも芽が出ず、場末の楽団で演奏していた彼は、実は類稀なる推理の才能を持っていたのであります。たちまち意気投合したホームズとワトスンは、事件の捜査に乗り出すのですが……

 ホームズものと言うものの、そのほとんどは正確にはホームズとワトスンものと言うべきでしょう。名探偵は、彼の助手にして記録者、そして親友があってこそ存在し得る――それを本作は、これ以上なく力強く語ります。
 若き日に一度出会いながらも、些細な行き違いからベイカー街で同居することはなかった二人。それが大きな歴史の分岐となってしまうとは――二人のファンには大いに悲しくも、しかし大きく頷ける内容であります。

 もちろん事件の方も、そのトリックの面白さ(そして時代がかった豪快さ)も含めて、実に「らしい」本作。できることなら、ここから始まる二人の物語をもっと読みたくなってしまうような快作でした。

 そして数々のトリッキーな作品を描いた本作のラストに、それらにも負けずトリッキーでいて、しかし見事なパスティーシュを描いてみせる、作者のセンスには脱帽するほかありません。もちろん三冊目も期待したくなる快作であります。


『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文 東京創元社) Amazon
シャーロック・ホームズたちの新冒険

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2018.05.03

田中啓文『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(その一) 有名人探偵たちの饗宴ふたたび


 多芸多才の作家・田中啓文が、実在の、あるいは虚構の中で実在の(?)人物を探偵役に描くミステリ短編集の続編が刊行されました。いずれの作品も、お馴染みの人物が探偵役として、奇想天外なシチュエーションで活躍する作品ばかり。まさしく作者ならではの作品集であります。

 5年前に刊行された前作『シャーロック・ホームズたちの冒険』同様、 巻末の一作を除いて、いずれもホームズとは直接の関係がない名探偵を描く作品が収録されている本書ですが、いずれもユニークな作品揃い。以下、収録作品を一作ずつ紹介していきます。

『トキワ荘事件』
 ミステリではしばしば舞台となる(タイトルに冠される)「○○荘」。では日本で一番有名な○○荘といえば――というわけで本書の舞台となるのは、後に日本を代表する漫画家たちを次々と輩出したトキワ荘。漫画界の特異点のようなこの地を舞台に、ユニークなミステリが展開します。

 今日も若き漫画家たちが奮闘を続けるトキワ荘に現れた編集者・丸谷。某社の手塚治虫番である彼は、〆切当日になっても手塚が行方不明で、このままでは二ヶ月連続で連載に穴が空いてしまうと語るのでした。
 そこで丸谷の依頼に応え、手塚の代作に挑んだトキワ荘の面々は、協力しあって何とか〆切に間に合わせたのですが、描き上げたばかりの原稿がどこかに消えてしまい……

 というわけで、活気溢れる日本漫画界の創世期あるいは青春期の空気も楽しい本作。探偵役も藤子・石森・赤塚・寺田という錚々たる面々が努めることになりますが――実は原稿紛失の謎自体はそこまで面白いものではありません(というよりちょっと無理が?)
 しかしハウではなくホワイダニットの方はなかなか面白く、漫画界のある種の空気(と手塚治虫の逸話)に親しんだ者ほど、気付きにくい真相なのが愉快であります。

 そしてもう一つ、本作には隠れた(?)真実があるのですが――これは正直に申し上げてあまり必然性はないようにも感じられます。
 しかし彼らの存在が一つの分岐点に――それも明るい歴史への――なっていたとすれば、それはそれで素晴らしいことではあると、ちょっと良い気分になれました。


『ふたりの明智』
 名探偵で明智といえばもちろん小五郎。しかしタイトルは「ふたり」、もう一人有名な明智とは――その遠い祖先だという光秀であります。本作はその二人が競演するのであります。死の世界で!

 太平洋戦争中にさる華族邸に届けられた怪人二十面相の予告状。警視庁の中村警部も一度見事に出し抜かれ、明智小五郎が出馬するも、二十面相がまんまと密室から目的の品を盗んだかにみえたのですが――小五郎は皆の前で謎解きを始めることになります。
 しかしそこで何が起きたのか、気付けば死の世界にいた小五郎。そこは自分の死んだ理由がわからなければ天国にも地獄にもいけないルール、同様の立場の光秀を前に、小五郎は自分の死の真相を探ることになります。

 ……密室からの盗難の謎、明智小五郎殺害の謎、それに加えて明智光秀死亡の謎という三つを解き明かそうという本作。いくら何でもそれは――と思えば、それぞれにきっちりと謎が解かれてしまうのはなかなか面白い。
 とはいえ、かなり強引に感じられる部分もあって、特に二番目の謎は、その結末も相まって、どうにもすっきりしないものが残ります(三番目の謎までくると、もう作者らしいとしか言いようがないのですが)。

 この辺り、謎を語るために作られた世界が、逆にその物語を縛る形となってしまっているというべきでしょうか……

 これはちょっと核心に触れずに書くのが難しいのですが、戦前と戦後の乱歩の作風の違い(そして○○○○の年齢の謎)に一つの回答を与えようとしているようにも感じられるのですが、どうにもすっきりしないものが残る結末でした。


 残る三話は次回ご紹介いたします。


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シャーロック・ホームズたちの新冒険

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2018.05.02

浅田靖丸『乱十郎、疾走る』 ユニークな超伝奇時代青春アクション小説!?

 秩父・大嶽村で祖父と暮らし、村の若い者を集めて日々暴れ回る少年・乱十郎。しかし村に謎めいた男女が現れたことをきっかけに、彼の日常は崩れていく。乱十郎と祖父を狙う者たちの正体とは、彼を悩ます悪夢の正体とは――そして死闘の末、「神」と対峙することとなった乱十郎の運命は!?

 約5年前に忍者アクション『咎忍』を発表した作者の久々の新作は、江戸時代の農村を主な舞台とした、超伝奇時代青春アクション小説とも呼ぶべき作品です――と書くと違和感があるかもしれませんが、これが本当、そして面白いのであります。

 開幕早々描かれるのは、「宗主」と呼ばれる男が、奇怪な儀式の末に鬼に変化し、それを止めようとした息子に襲いかかるという惨劇。何とかその場を逃れた宗主の息子は、妻と生まれたばかりの子と故郷を捨て――そして十数年後、物語が始まるのです。

 本作の主人公は、秩父の大嶽村で住職にして剣の士の祖父に育てられた少年・乱十郎。根っからの乱暴者の彼は、村の若い者を集めて「乱鬼党」なるグループを作り、似たような隣村の若い衆と喧嘩したり、酒盛りをしたり、農作業に勤しんだりの毎日であります。

 しかしそんな暮らしに安住している乱十郎に業を煮やした乱鬼党のナンバー2・由利ノ丞が、ある日、乱十郎に反発し、村を飛び出してしまうことになります。
 よくある仲間同士の諍いに思えた二人の衝突。しかし由利ノ丞が、山中で怪しげな男女と出会ったことで、大きく運命が動き出すことになります。その男女が探していたものこそは、かつて喪われた「神」の降臨に必要なものだったのですから……


 序章に登場したある一族の物語と、乱十郎たち秩父の少年たちの物語が平行して語られ、やがて合流することになる本作。
 その両者の関係は早い段階で察しがつきますが、全く異なる世界に暮らす人々の運命が徐々に結びつき、やがて「神」との対決にまでエスカレートしていくというのは、伝奇ものならではの醍醐味でしょう。

 筋立ては比較的シンプルな物語なのですが、しかし最後まで一気に読み通したくなるのは、この構成の巧みさが一つにあることは間違いありません。しかしそれ以上に大きな魅力が、本作にはあります。
 それは本作が伝奇時代小説であると同時に青春小説、成長小説でもある点であります。

 上で述べたように、本作の主人公・乱十郎は、力でも武術でも村一番、村の血気盛んな青少年たちのリーダー格であるわけですが――しかし厳しい言い方をすれば、その程度でしかない。将来の夢があるわけでもなく、ただ己の力を持て余すばかり――ちょっとおかしな譬えになりますが、地方都市のヤンキーグループのリーダー的存在なのであります。

 そんな彼が、彼の仲間たちが、外の世界に――それも地理的にというだけでなく、人としての(さらに言ってしまえばこの世の則の)外に在る連中と出会った時、何が起こるか? 先ほどの譬えを続ければ、ヤンキー少年が、その道の「本職」に出会ってしまった時に生まれる衝撃を、本作は描くのです。

 今まで小さな世界しか知らなかった少年たちが外の世界に出会った時に経験するもの――それは必ずしもポジティブなものだけではありません。
 むしろそれは時に大きな痛みをもたらすものですが、しかし同時に、成長のためには避けては通れないものであり、そしてその中で人は自分自身を知ることができる――我々は誰でも大なり小なり、そんな経験があるのではないでしょうか。

 本作で描かれる乱十郎の戦いは、いささか過激であり、スケールも大きなものではありますが、まさにそんな外側の世界と出会い、成長するための通過儀礼と言えるでしょう。
 そしてその視点は、本作のサブ主人公であり、乱十郎のように強くもなければヒロイックでもないフツーの少年・小太郎の存在を通すことで、より強調されるのであります。

 そう、本作は伝奇小説ならではの要素を「外」として描くことによって成立する、一個の青春小説。そしてその「日常」と「非日常」のせめぎ合いが、同時に伝奇小説の構造と巧みに重ね合わされていることは言うまでもありません。


 スケールの大きな伝奇活劇を展開させつつも、それを背景に少年たちの成長を描き、そしてそれによってスケール感を殺すことなく良い意味で我々との身近さを、キャラの人間味を感じさせてくれる……
 唯一、敵キャラに今一つ魅力がないのだけが残念ですが、それを差し引いても非常にユニークで、そして魅力的な作品であることは間違いありません。


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乱十郎、疾走る (光文社時代小説文庫)

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2018.05.01

久賀理世『ふりむけばそこにいる 奇譚蒐集家小泉八雲』 英国怪談の香気溢れる名品

 母を亡くし、故あってダラムの神学校に送られることになった「おれ」が、ダラムに向かう列車の中で出会った少年・パトリック。周囲から怪談を好んで集めているという彼は、この世ならざるものを見る力を持っていた。寄宿舎でパトリックと同室になった「おれ」は、様々な怪事に巻き込まれることに……

 妖怪や怪異といったモノになにがしかの関わりを持っていた実在の人物は、フィクションの世界においては、そうしたモノたちと実際に出会っていたという設定で描かれることが多いものです。
 その最たるものが、ラフカディオ・ハーン、すなわち小泉八雲でしょう。彼を主人公/狂言回しにした伝奇もの、ホラーものはこれまでこのブログで幾つも取り上げてきましたが、その最新の作品が本作であります。

 しかし本作は副題とは裏腹に、まだハーンが八雲になる、はるか以前の物語――それもまだ彼が十代の少年であった頃、彼が神学校に在学していた時代を舞台とした物語であることが大きな特徴となっています。
 父と母が離婚して母に引き取られたものの、ある事情から母と別れた少年時代のハーン。敬虔なキリスト教徒だった大叔母にによってダラムの神学校に送られた彼は、そこで数年を過ごすのですが――本作はそのダラムを舞台とした連作短編集なのです。


 母を亡くし、父の親族から放り出されるように神学校に入れられることとなった語り手が、ダラムに向かう列車の中で出会った少年から、この列車と神学校にまつわる因縁話を聞かされる第一話『境界の少年』に始まり、全四編で構成される本作。
 ここで少年――彼の生国流に発音すればパトリキオス・レフカディオス・ハーン、ダラムではパトリック・ハーンと名乗る彼と意気投合した語り手は、同室となったパトリックに半ば引きずり込まれるように、様々な怪異と遭遇することになるのです。

 このパトリック、下級生などからわざわざ怖い話を蒐集しているほどの好事家。しかしそれだけでなく、あちら側と交感し、この世ならざるもののを見る力までも持っているののです(何しろ、亡き兄の魂が姿を変えたという鴉を連れ歩いているというのですから「本物」であります)。

 そんなわけで自分から怪異に首を突っ込んだり、あるいは向こうからやってきたり――第二話以降は、二人が巻き込まれた三つの物語が語られることになります。

 寄宿舎で新入生たちのもとに現れ、目に砂を投げ込むという怪人「砂男」と、学内である生徒が目撃した聖母の存在が、意外な形で交わる『眠れぬ子らのみる夢は』
 曰く付きの品の蒐集家である友人の父が手に入れた日本の人魚の木乃伊を見て以来、語り手の片手の感覚がなくなっていくという怪異の背後に潜むある想いが語られる『忘れじのセイレーン』
 街の無縁墓地に首を吊ったような形の子供の人形が備えられていることをパトリックの顔なじみの墓守から聞かされ、調べることとなった二人が、思わぬ邪悪なモノと対峙する『誰がために鐘は』

 ご覧のとおり、本作に収録されているのは、題材も内容もバラエティに富んだ怪異譚ですが――しかしこれら四編に共通するのは、いずれも良い意味で抑制の効いた、落ち着いて風格のある語り口と物語展開であります。

 言ってみれば本作は、日本の作家の手になるものでありながらも、「英国怪談」という言葉が誠に相応しい物語揃い。
 単に英国が舞台だから、というだけではもちろんなく、背景となる風物の描き方から題材のチョイスとその活かし方、そして何よりもその空気感が、古き良き英国怪談作家たちのそれに通底するものを感じさせる――というのは褒めすぎかもしれませんが、愛好家としてはたまらないものがあるのです。

 そしてそれ以上に嬉しいのは、本作に収録された物語の全てに通底する、怪異に――いやその背景にある人間の想いに向けられた、優しい眼差しであります。

 本作の主役であるパトリックも語り手も、どちらも少年らしい活発さと明るさに満ちたキャラクターでありつつも、しかしその家庭環境に、両親に深い屈託を抱えた者同士。
 そんな二人だからこそ、同様に屈託を抱えた者の想いに共感することができる。(それが危機に繋がることもあるのですが)その構図は、本作に独特の暖かみと後味の良さを与えていると感じます。


 「ふりむけばそこにいる」――怪談小説の題名としては、そこにいるのはどうしても恐ろしいモノを想像してしまうかもしれません。しかしそこにいるのはそれだけではない、確かに温かいものもそこにはいるのだと――そんなことを感じさせてくれる名品であります。


『ふりむけばそこにいる 奇譚蒐集家小泉八雲』(久賀理世 講談社タイガ) Amazon
ふりむけばそこにいる 奇譚蒐集家 小泉八雲 (講談社タイガ)

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