2018.11.15

柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』 ホームズになった男が見た世界


 夏目漱石がロンドンに留学していた時期は、奇しくもと言うべきか、シャーロック・ホームズの活躍していた時期と重なっています。それ故、漱石が登場するパスティーシュも幾つかありますが――本作はその中でも最もユニークな作品でしょう。何しろ、漱石自身がホームズになってしまうのですから!

 ホームズが遠方の捜査でベーカー街を留守にしていた時に、ワトスンの前に現れた奇妙な日本人・ナツメ。
 留学中に神経衰弱に陥り、ついには自分のことをシャーロック・ホームズだと思いこんでしまったという彼の治療を依頼されたホームズは、ワトスンにナツメの行動につきあって欲しいと頼んでくるのでした。

 ホームズの真似をして、しかし結果は頓珍漢な推理を繰り広げるナツメに辟易しつつも、彼をホームズとして扱って共に行動するワトスン。
 そんな中、著名な霊媒師の降霊会に参加することになった二人は、ナツメが密かに想いを寄せる美女――かのアイリーン・アドラーの妹であるキャスリーンや、旧知の記者(元病院の助手)スタンフォドと出会うことになります。

 そして彼女たちとともに降霊会に参加したワトスンとナツメですが――真っ暗闇の中で奇怪な現象が次々と起こる中、当の霊媒師が何者かに毒殺されるという事件が発生。隣同士で手を繋ぐしきたりの降霊会の最中に、誰が、どうやって霊媒師を殺したのか。そして何のために?
 勇躍推理を始めたナツメと彼に振り回されるワトスン、二人の捜査はやがてロンドン塔を騒がす魔女騒動に繋がっていくことになるのですが……


 冒頭に述べたような理由で、山田風太郎や島田荘司によって描かれているホームズと漱石の共演。本作もそうした作品の一つなのですが――タイトルの「吾輩は」というワードは、漱石の代表作を指している=本作に漱石が登場しているという意味だろうと思ってみれば、いやはや、本当にタイトル通りの作品だったとは!

 ロンドン留学中の夏目漱石が神経衰弱に陥って大いに苦しんだのは有名な話ですが、本作はそのエピソードを大胆に活用、気晴らしにホームズ譚を読むことを勧められた漱石が、自分がホームズになったと思い込んでしまうというのは、これは空前絶後のアイディアというべきでしょう。
 しかもそれが他の作品のようにホームズ顔負けの推理力を発揮するのではなく、いわゆるホームズもどきものの定番どおり、ホームズの真似をして全然見当違いの推理をするのも、実に可笑しいのであります。(もちろんそれだけではないのですが……)

 そしてホームズの「あの女性」であるアイリーン・アドラーのその後が語られたり、ホームズとワトスンを出会わせて以来登場の機会がなかったスタンフォード(本作ではスタンフォド)が登場したりと、ホームズ譚としても面白い試みがなされているのも目を引きます。
 個人的には、作中の出来事としての『最後の事件』『空き屋の冒険』の発生年と、作品としてのそれらの発表年のズレがガジェットの一つとして使われている――それゆえホームズの不在がさほど不自然に思われない――
というのにも感心いたしました。


 しかし本作は、面白可笑しいパスティーシュだけではないということが、やがて明らかになることになります。
 物語の核心に触れるためにここでは詳述はできませんが、この事件の背後にあるもの、事件を引き起こしたのは、この当時に海外で起きたある出来事であり――そしてそれはやがて、当時のイギリスの、そして白人社会の矛盾と闇を容赦なくえぐり出していくのであります。

 そしてその矛先は、ホームズ譚の現実の生みの親であるコナン・ドイル自身にも向けられることになるのですが――作中でワトスン=ドイルであると、非常にインパクトのある形で指摘が行われるのも印象に残ります――これはドイルの事績を見れば、なるほどと頷けるところであります。
 またその視点が、まさしくそんな白人たちの世界である国際社会の中の、日本の在り方に悩んでいた漱石が本作に登場する必然性、漱石が主人公である理由にまで――漱石の作品を巧みに引用しつつ――繋がっていくに至っては、感嘆するほかありません。


 ユニークなホームズ譚であると同時に有名人探偵ものであり、そしてそれを通じて当時の社会の様相を鋭く剔抉してみせる――これまで様々な有名人探偵ものを送り出してきた作者ならではの作品であります。

『吾輩はシャーロック・ホームズである』(柳広司 角川文庫)

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2018.11.13

須垣りつ『あやかし長屋の猫とごはん』 少年を広い世界に導くおかしな面々


 この夏に誕生した二見書房のキャラクター文芸レーベル・二見サラ文庫の第2弾ラインナップとして刊行された本作――仇討ちのために江戸に出てきた少年武士を主人公に、「あやかし」「猫」「ごはん」と鉄板の題材3つを贅沢に(?)盛り合わせた、妖怪あり人情ありのお話であります。

 不正を発見した父を殺して逃げた相手を追い、小瀬木藩から江戸にやってきた13歳の少年・大浜秀介。しかし路銀が尽きて行き倒れ寸前となり、もはやこれまでと腹を切ろうとしたその時、彼の前に純白の子猫が現れます。
 寿命が尽きた時に秀介に弔ってもらい、猫又になった今、彼に恩を返すために現れたという猫・まんじゅう(という名前)に導かれ、秀介はまんじゅうの元飼い主が大家を務める長屋を訪ね、成り行きからその住人の一人となるのでした。

 しかしその長屋は、幽霊やら妖怪やらが出没することから、つけられたあだ名が「あやかし長屋」。そんな長屋で秀介は、まんじゅうや隣人の少年職人・弥吉に助けられ、長屋の、江戸の住人として少しずつ馴染んでいくのでした。
 そんなある日、両国で憎き父の仇を見つけた秀介。まんじゅうの止めるのにもかかわらず、単身仇を追った秀介の選択は……


 冒頭に述べたとおり、ライト文芸、いや文庫書き下ろし時代小説鉄板の題材3つをタイトルに掲げた本作。
 なるほど主人公・秀介の住む長屋は妖怪や幽霊が現れるあやかしスポット、彼を助けるのは猫(又。しかし概念的には猫又というより猫の幽霊では――という気も)、そして作中では秀介が様々な江戸の食べ物を口にして――と看板に偽りなしであります。

 その題材通りと言うべきか、非常に気軽に読める本作。深みや重みという点では食い足りない方はいるかと思いますが、こうして楽しくサラっと読める作品も、当然のことながらあってよいと思います。


 しかし本作ならではの魅力もしっかりとあることは言うまでもありません。
 個人的に感心したのは、主人公である秀介が地方の小藩出身の、まだ元服もしていない少年として設定されている点であります。

 特に時代小説にあまり馴染みがない――というよりその舞台となる江戸の文化風物の知識が多くない――方向けの作品として、地方から初めて江戸に出てきた「世間知らず」の人物を主人公として、読者と主人公の視点をできるだけ近づけるのは、これは一つの定番と言えます。
 その意味では本作もそれに則っていることは間違いありませんが、しかしそれだけではありません。本作の秀介はまだ年若く、知識というだけでなく、人としての機微にまだ疎いという、いわば二重に世間知らずの存在なのであります。

 さらに父の仇討ちという武士としてある意味究極の目的を背負ったことで、非常に「堅い」キャラとなっているわけで、そんな(厳しい言い方をすれば)非常に狭い世界に生きていたキャラクターが、一歩一歩人情を、武士以外の世界を知って成長していく様が、本作の魅力と言えるのではないでしょうか。

 しかし秀介を導くのが、ものわかりのいい大人たちであったりすると、何だか説教臭くなりかねないところではあります。
 そこを本作では彼とほとんど同い年ながら、江戸の町人として苦労を重ねてきた弥吉や、見かけは卑怯なくらいに可愛いのに妙に分別臭い(元は享年17歳の老猫なので)まんじゅうという、ちょっとイレギュラーな面々がその役を務めるというのも、また巧みと感じます。


 本作の作者は、幻の(賞は決定したものの刊行されなかった)第2回招き猫文庫時代小説新人賞の受賞者。本作は新作ではありますが、そう言われてみると、あのレーベルの香りが――初心者にも優しく読みやすい時代ものという方向性が――強く漂っている印象があります。

 そんな理由もあって、大いに応援したくなる作者と本作。この先も本作のように、ライトでキャッチーで、それだからこそ新しい読者を惹きつけ、時代小説読者の裾野を広げるような作品を発表していただきたいものです。

『あやかし長屋の猫とごはん』(須垣りつ 二見サラ文庫)

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2018.11.10

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第6章の1『願いの手』 第6章の2『ちゃんちゃんこを着た猫』 第6章の3『潮の魔縁』


 北から来た盲目の美少女修法師・百夜の活躍を描く短編シリーズの第6章前半――第6章の1(第31話)から3(第33話)の紹介であります。今回からは、第6章のゲストキャラクターである傳通院の助次郎親分と博徒・不動の長五郎が登場することになります。


『願いの手』
 傳通院の助次郎が開く賭場に顔を出した左吉。しかし丁半博打が始まった時、盆ゴザが突然動き出し、丸く盛り上がると大年増女の腕に変化するという怪異が起こります。
 長五郎の刀の一撃で斬り落とされた腕はい草に戻ったものの、何故そんな怪異が起きたのかはわからぬまま、その後も毎晩のように女の手は出現。音を上げた助次郎は長五郎を通じて百夜に解決を依頼してきたのですが……

 というわけで助次郎と長五郎の初登場回である本作。やくざの親分でありつつもどこかすっとぼけた男の助次郎と上州無宿のクールな渡世人の長五郎と、いかにも本シリーズらしい個性を持った二人であります(ちなみに助次郎に賭場の場所を貸していた住持の人を食ったキャラクターもいい)。

 さて、今回の怪異はそんな二人にふさわしいというべきか、賭場で起きた不可思議な事件。その怪異を、百夜が快刀乱麻を断つ――いや断たないようにして解き明かす真実は、意外かつ、この設定ならではの異形の人情話となっており、強く印象に残ります。


『ちゃんちゃんこを着た猫』
 助次郎が妾の芸者・梅太郎のところに泊まった晩に現れた、紅いちゃんちゃんこを着た虎縞の猫。梅太郎は猫を飼っておらず、しかも密室にもかかわらず猫が出没するようになって以来、彼女の周囲には変事が続くことになります。梅太郎から依頼を受けた桔梗は、この一件が付喪神によるものと見抜くのですが……

 表紙イラストの、恐ろしくもなんだか可愛らしい猫の姿が実に味わいのある本作。今回も助次郎周りの事件となるのですが、そんな状況でも登場するなり「百夜ちゃん」呼ばわりするところが助次郎のキャラの面白さであります。
 それにしてもどうみても化け猫としか思えない今回の怪異の正体は何なのか、そして何故梅太郎のもとに現れ、彼女を害しようとするのか? 百夜の推理が解き明かすその謎は、本作ならではの奇怪な、しかし一種の論理性を以て語られるのですが――しかし猫好きとしては、クライマックスに登場するこの猫の姿が何とも泣かせます。

 ちなみに今回久々にゴミソの鐵次がゲスト出演。百夜とは相変わらずのぶっきらぼうなやりとりですが、しかしそれが実にらしくて良い感じです。。


『潮の魔縁』
 紅柄党の一人の屋敷で開かれていた助次郎の賭場に顔を出した紅柄党の頭目・宮口大学。そこで宮口から強烈な磯のにおいを嗅いだ清五郎ですが、宮口はそれが霊的なものではないかと考え、百夜のもとに事件を持ち込むのですが――百夜は宮口の実家で何かが起きたのではないかと語ります。
 はたして彼の実家では、父の寝所に奇怪なものたち――伸び縮みする棒、巨大な黒い幼虫、凄まじい水飛沫、黒壁と巨大な目が出没していたのですが……

 『内侍所』事件以来久々の登場となった宮口大学。強面という点ではやくざ顔負けの不良旗本子弟の頭目ですが、百夜の前では形無しというのはこれまで通りであります。
 それはさておき、今回登場する怪異は、奇怪な現象が少なくなる本作においても滅多にないようなもの。謎が解き明かされてみればなるほど、となるのですが、正直に言って百夜は何でも知っているなあ――という印象もあります。

 ちなみに本作のラストで、一旦清五郎が江戸を去り、故郷に帰ることになるのですが――そこで清五郎が何を見るのか、それはまた次回、であります。


『百夜・百鬼夜行帖 31 願いの手』『32 ちゃんちゃんこを着た猫』『33 潮の魔縁』(平谷美樹 小学館)

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2018.11.07

陸秋槎『元年春之祭』 彼女たちが挑む謎、彼女たちを縛るもの


 若手中国人作家による、作中に二度の読者への挑戦状が織り込まれた本格ミステリとして、そして何よりも前漢時代の中国を舞台として時代ミステリとして話題となった作品であります。山中の名家で起きた連続殺人に挑む天才少女を待ち受ける真実とは……

 時は武帝の下で漢(前漢)が栄華の絶頂を極めた天漢元年(紀元前100年)、長安の富豪の娘・於陵葵が、楚の山中に住まう観家を訪ねたことから物語は始まります。
 かつて楚に仕えて祭祀を司りながら、今は山中で古えの教えを守って暮らす観家。古礼に並々ならぬ関心を寄せる葵は、忠実な従僕の少女・小休を連れ、春の祭儀を目前としたこの地を訪れたのであります。

 そこで観家当主の末娘・観露申と出会った葵。才気煥発で広く世を旅してきた葵と、人は良いが世間知らずの露申は、正反対の性格ながらたちまち親しくなるのですが――しかしそこに思わぬ事件が起きます。
 この祭りのために長安から帰省していた露申の叔母が何者かに――それも周囲に人の目があった場所で――殺害されたのであります。

 若年ながら多くの知識を持ち、鋭い観察眼を持つことを見込んで、この一件の調べを露申の父から任された葵。露申を助手代わりに調査を始める葵ですが、しかしほどなくして第二の犠牲者がダイイングメッセージを残して殺害され、さらにまた……

 次々と観家に関わる人々を襲う姿なき魔手はどうやって犯行を行い、そしてその動機は何なのか。四年前に起きた観家の前当主一家惨殺事件との関係は。調査と対立の末、葵と露申は、犯人の恐るべき、そして深い想いを知ることになるのであります。


 古からのしきたりに縛られた旧家で起こる連続殺人という、実に古典的かつ魅力的なシチュエーションに、暴君のケのある天才少女探偵が世間知らずのお嬢様と忠実な召使いの少女を振り回すという、ある意味実に今らしい構図の本作。
 そのスタイルは、一種日本の新本格ミステリ的と言ってよいほどで――その衒学的な中国史の知識の連打をさて置けば、日本の読者にとってはむしろ親しみ易さを感じさせるのではないでしょうか。
(というのは、作者が日本のミステリファンであるため、むしろ当然の仕儀なのかもしれませんが……)

 しかしそのフェアで端正に描かれたミステリとしての部分、様々な中国古典の引用が(訳文抜きで)乱れ飛ぶ衒学味など、本作を構成する数々のユニークな要素の中で、何よりも強烈に印象に残るのは、実にヒロインたちの関係性であります。
 強烈なキャラクターの葵を中心に、露甲や小休といった若い女の子たちがわちゃわちゃと入り乱れる様は、ある種の趣味を持った方にはおそらく非常に魅力的であるはず。さらにその関係性は後半に至って全く意外な方向に変質し、とてつもない泥沼ぶりを見せてくれるのですからなおさらであります。

 しかしあるいはこの葵の暴君ぶりに、その知識に裏付けされた突拍子もない視点に、反感を覚える方も少なくないかもしれません。
 そして本作の他の女性キャラのほとんどが――そしてそれは同時代の女性たちも同様だったはずですが――家というものに縛られているのに対し、供を連れて気ままに旅する彼女の姿はあまりに異質にも感じられます。

 しかし本作においては冒頭からさりげなく、そして物語が進むにつれてはっきりと、葵もまた古からの理不尽なしきたりに縛られた存在であることを、明確に描くことになります。
 そして彼女が自由奔放に振る舞えば振る舞うほど、冷徹な論理を振りかざせば振りかざすほど、彼女を縛るものの大きさ、重さはより鮮明なものとして感じられるのです。

 ……先に述べたとおり、本作はミステリであると同時に、様々な顔をを持つ作品であります。それゆえに、どこに魅力を感じるかは人それぞれかもしれません。しかし私はまさにこの点――彼女を、彼女たちを縛るものの大きさと、それに必死に挑む彼女たちの姿を描いた点に魅力を感じます。
 それは本作がこの時代を舞台にして初めて描けるもの、すなわち、本作をして時代ミステリたらしめている根幹なのですから。
(そしてその構図を、現代の隣国の人々に重ねて見るのはさすがに牽強付会が過ぎるかもしれませんが)


 邦訳ではオミットされていますが、本作の原題に付された副題は「巫女主義殺人事件」。何とも奇妙なものを感じさせるこの副題が、どれだけ本作の内容を忠実に反映したものであるか――本作を最後まで読み通した時、痛切なまでに胸に突き刺さるのです。


『元年春之祭』(陸秋槎 ハヤカワ・ミステリ)

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2018.11.05

平谷美樹『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 月下狐の舞』 江戸の出版界を駆ける個性豊かな彼女たち


 江戸の本屋・草紙屋薬楽堂に集う風変わりな面々が、本や出版にまつわる奇妙な事件に挑むシリーズも本作で第4弾。推当(推理)に冴えを見せる女戯作者・鉢野金魚と残念イケメンの貧乏戯作者・本能寺無念を中心とする面々に加え、今回は新顔も登場していよいよ賑やかな物語が展開されます。

 持ち前の頭の冴えと好奇心、気っぷのよさで様々な事件に首を突っ込んでは解決し、それを題材に戯作を書いてきた金魚。
 そんな彼女が顔を出すのは薬楽堂――大旦那から奉公人に至るまで曲者揃いの上に、金魚とはつかず離れずの間柄の無念、女流文学者の只野真葛、薬楽堂の旦那の娘の天才少女・おけいなど、一癖も二癖もある面々が集う草紙屋であります。

 さて、その薬楽堂に居候する無念を訪ねてきた金魚。自分のアイディアがある戯作者とネタかぶりした憤懣を聞いてもらおうとして来た金魚ですが、無念は無念で自分の戯作で忙しくロクに相手もしてくれない状況におかんむりであります。
 と、そんな中に現れたのが、当の戯作者である千両萬両こと紙くず拾いの千吉。一度死にかけた時に、あの世で故人の戯作者・小野萬了に出会って書いたという作品がヒット中の彼ですが、萬了の孫という武士に脅されて弱っているというのです。

 自分が使おうと思っていたネタを使った奴を助ける必要はねェとけんもほろろな金魚ですが、しかし千吉が何かを隠していることを察した彼女は、騒動の裏にある事情を探ることに――という「千両萬両 冥途の道行」に始まる本作、残る3話も個性的なエピソード揃いであります。

 夜な夜な店に現れる河童に友人が脅かされているという事件を戯作に書こうとするおけいとともに、金魚・真葛が真実を探る 「戯作修業 加賀屋河童騒動」
 写本の書き手との身分違いの恋に悩む呉服屋の娘が狐憑きになったという事件を八方丸く収めるため、金魚と新たな仲間が奔走する「月下狐之舞 つゆの出立」
 薬楽堂の新企画・素人戯作試合の最終選考に残った二人の正体を追う金魚と無念が、思わぬ「殺人事件」に巻き込まれる 「春吉殺し 薬楽堂天手古舞」

 日常の(?)謎あり、怪談の真相暴きあり、人助けあり――バラエティに富んだ各話の趣向が魅力であるのはもちろんですが、それぞれが皆、戯作や江戸の出版業界に絡んだ内容となっているのが実に面白い。
 特にラストのエピソードは、江戸の新人賞ともいうべき素人戯作試合の応募者の正体探しというシチュエーション自体が非常に楽しく、推理に関してはほとんど無敵だった金魚が初めて外した!? という興味も相まって、ファンには様々な意味で必見の作品です。


 そしてまた、本作の魅力は物語の内容自体には留まりません。上に述べたように、薬楽堂に集う面々の個性も大きな魅力なのですが――特に本作においては、新顔をはじめとして、女性陣のキャラクターが際立って感じられます。

 その新顔とは、葛飾応為ことお栄――あの葛飾北斎の娘であり、自身も優れた絵師であった女性であります。もちろんお栄は実在の人物ですが、本作では金魚の戯作に興味を持って薬楽堂を訪れ、たちまち金魚と意気投合。その勢いで狐憑き事件の解決にともに奔走することになります。

 このお栄は、小説のみならず映像作品などでも最近様々に題材となっていますが、本作では金魚以上にあけっぴろげでさっぱりした性格の持ち主――それでいて優れた芸術的感性の持ち主として描かれているのが面白い。
 金魚とお栄の感性がシンクロして、月下に舞う妖しい狐の姿を幻視する場面は、本作随一の名場面と呼んで良いかと思います。

 そして面白いのは、そんな金魚とお栄、さらに真葛やおけいといった面々の、その個性を説明するのに、「不思議」に対する態度で表現するのも、またユニークなところでしょう。
 頭っから信じない金魚、信じている真葛、自分で見たことがないものは判断しないおけい、あった方が世の中面白いというお栄――キャラクターの描き分けという点において、このような視点を用意してみせるのもまた、本作らしい巧みさと感じます。


 と、またもや女性キャラクターが増えたことで「少しは活躍させてもらえねぇと、影が薄くなっちまうじゃねぇか」とボヤく無念ですが――その彼と金魚の距離が微妙に、いやかなり近づきつつあるのもまたニヤニヤとさせられる本作。
 この先の作品世界の広がり同様、二人の行き先もまた大いに気になるシリーズなのであります。


『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 月下狐の舞』(平谷美樹 だいわ文庫)

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2018.11.04

遠藤遼『平安あかしあやかし陰陽師 怪鳥放たれしは京の都』 二人の好人物が挑む怪異


 平安京を守る陰陽師――といえば、もちろん真っ先に名が挙がるのは安倍晴明。しかしそもそも陰陽道の本流は賀茂家であり、この時代、晴明と並ぶ達人として名が挙がるのが賀茂光栄であります。本作はその光栄が紫式部の叔父である藤原為頼を相棒に、都を騒がす怪異に挑む物語です。

 太宰府への赴任を終え、京に帰って早々に幼なじみである光栄のもとを訪れた為頼。実は為頼は、肝試しに訪れた廃屋敷で何かに取り憑かれたので陰陽師を紹介してほしいという貴族から仲立ちを頼まれていたのであります。
 その一件をあっさりと片付けた光栄ですが、それがきっかけで今度は時の権力者である藤原師輔が人面の怪鳥に襲われたという事件に関わることに。さらに宮中でもうち続く怪事に対し、光栄は弟子の晴明、師輔の娘である中宮安子、そして為頼の力を借りて挑むことになります。

 一連の怪事に共通する「もの」とは何か、そしてその背後に潜む存在とは……


 天才陰陽師が、お人好しで心優しい友人とともに怪事件に挑む――このシチュエーションは、もはや平安ものでは定番中の定番と呼んでも良いでしょう。本作もまた、その一つであるわけですが、目を惹くのは、主人公の光栄のキャラクターです。

 陰陽道の天才であり若くして陰陽寮のエースとして知られる存在、そして何より女性と見間違うほどの年齢不詳の美貌の持ち主――実に陰陽師ヒーロー的な光栄ですが、しかしその性格は至って「いいひと」。
 普段は近所の童たちに交じって遊びに汗をかき、甘いものに目がないという人物で、陰陽師という言葉から感じる孤高の天才、あるいは近寄りがたい奇人というイメージからはかけ離れたキャラクターなのです。
(といっても、自分の納得いかないことであれば、師輔を前に一歩も引かない硬骨漢でもあります)

 そしてそんな光栄の幼なじみであり、親友である為頼もまた実に素直な好人物。その歌人らしい豊かな感受性は、時に亡魂相手であっても悲しみや慈しみの念を隠さない――と、こちらは定番の気味がありますが、単なる驚き役で終わらず、彼ならではの特技が役に立つ場面があるのは実に面白いところであります。

 また、光栄が必ずしも作中の事件を超自然的な解釈で片付けない点も目を引くところですが、陰陽師が魔術師である以前に技術者であることを考えればこれも納得で、この辺りのある種の生真面目さは、本作の特色と言って良いかもしれません。


 しかしその生真面目さが少々物足りないと感じてしまうところで、意外性という点では類作に一歩譲る印象があります。
 上で述べたように為頼の特技が事件の真相解明に役立つという部分は面白いのですが、その真相というのがある意味直球であったため、意外性に薄いのは残念なところであります。

 光栄と為頼、さらに晴明や安子のキャラクターもそれなりに面白くはあり、また登場する女性たちに向ける視線の優しさ、温かさも印象に残るところではあるのですが――もう少し尖った部分があっても良かったのではないでしょうか。
 ……というのは派手好きの読者の勝手な感想かもしれませんが、少々もったいなさを感じたというのが正直なところであります。


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2018.11.03

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第5章の4『蛇精』 第5章の5『聖塚と三童子』 第5章の6『侘助の男』


 北から来た盲目の美少女修法師・百夜の活躍を描く短編シリーズの第5章後半、第5章の4(第28話)から6(第30話)の紹介であります。第5章を貫く謎――昌平橋のたもとに侘助の裏地の着物を着て現れ、彼女を誘う謎の色男と、ついに百夜は対峙することになります。

『蛇精』
 ある晩、婚儀を間近に控えた荏原の大庄屋の娘を襲った怪異。夜中に畳が何かを擦る音で目覚めてみれば、彼女の周囲を這い回るのは蟒蛇――それも笑い声を上げ、髪を生やした物の怪だったのであります。
 依頼を受けた百夜は、「蛇精に気をつけな」という侘助の男の託宣を背に調伏に向かうのですが、娘から感じたのは嫉妬と人ならぬモノの気配。そして娘の母も、かつて同様に奇怪な目に遭っていたことがわかり……

 冒頭、寝ていた娘を蟒蛇が襲うシーンの怪談めいた描写(特に蟒蛇に髪が生えていることに気付くくだりが良い)が中々に恐ろしい本作。しかし真に恐ろしいのは、中盤で語られるある人物の情念の存在でしょう(尤も、そこにきちんと救いが用意されているのもいいのですが)。

 事件は百夜の景迹によって比較的あっさりと解決するのですが――ある意味真のクライマックスはその先。再び百夜の前に現れた侘助の男は、何と百夜を――という表紙の場面がインパクト絶大であります。
 百夜が失明した時も側にいたという侘助の男。百夜を共に行こうと誘い、従わないのであれば別の者を連れていくと語る男の正体は果たして……


『聖塚と三童子』
 陸奥で修行中の桔梗が百夜の危機を察知し、立ち上がる――という冒頭から、クライマックスの近さを感じさせる本作。
 それはさておき、百夜は日野のとある村の入り口にある聖塚――百年ほど前に上人が入定して即身成仏となった地――の麓に、三人の童子が現れるという怪異の調伏を依頼されることになります。

 尖った髪で、左右の童子は直立した真ん中の童子の方に上半身を傾けて現れるという三人。これだけなら別におかしなことはありませんが、真ん中の童子が西瓜でも丸呑みできるほどに口を大きく開き、中で舌を蠢かす――というのは、三人が目撃されるのが夕刻ということもあってなかなかに不気味ではあります。
 しかし有徳の上人が眠る地に、何故このような怪異が起こるのか、そして何故今起きるようになったのか――この辺りの謎解きが、本作の一番の面白さでしょう。

 物語的には小品という印象は否めませんが、クライマックスには思わぬ人物(?)の登場もあり、ちょっと民話めいた味わいもある楽しい一編であります。


『侘助の男』
 そして第5章のラストでは、ついにあの侘助の男を巡る事件が描かれることとなります。

 ある真冬の日、大伝馬町の呉服屋の庭で狂い咲きした侘助の木の傍らに倒れていた店の娘・桃代。一方、原因不明の衰弱状態に陥った百夜は、瓦版でその狂い咲きを知ると、左吉と桔梗に支えられて呉服屋を訪れ、変事の存在を知るのでした。

 そしてその前に現れる侘助の男。自分は百夜が遠い昔に産み落とした存在だと語るその正体は。そして何故今になって彼女の前に現れたのか。烏帽子に狩衣姿の男が夢に現れたと桃代から聞かされた百夜が、たどり着いた真実とは……

 冒頭にも述べたとおり、この第5章において一貫して謎として存在してきた侘助の男。男女間の情とは全く無縁にも見えてきた百夜が、彼の誘いを拒絶しながらも明らかに娘らしく心を動かすという、意外な(?)描写がこの章では繰り返し描かれてきました。
 本作はその解決編、いわば侘助の男との決戦とも言うべき内容なのですが――決して派手な戦いとはなるのではなく、しかし心の深い部分に刺さる展開となるのが、本作らしいところでしょう。

 その詳細はここでは伏せます。しかしこれまで断片的に語られてきた百夜の過去が改めて語られ、そしてその中で――という、いわば過去との対峙編でありつつも、そこに少女修法師が付喪神に挑むという、本作の基本構造を踏まえた物語が生み出されているのが、実に素晴らしいのであります。
 第5章は正直なところ比較的小粒なエピソードが多い印象でしたが、このクライマックスはそれを補って余りある名品と言ってもよいかと思います。


『百夜・百鬼夜行帖 28 蛇精』『29 聖塚と三童子』『30 侘助の男』(平谷美樹 小学館)

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 「冬の蝶 修法師百夜まじない帖」 北からの女修法師、付喪神に挑む
 「慚愧の赤鬼 修法師百夜まじない帖」 付喪神が描く異形の人情譚
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2018.10.28

風野真知雄『恋の川、春の町』 現代の戯作者が描く、江戸の戯作者の矜持と怒り


 黄表紙本の元祖と言うべき戯作者・恋川春町。彼は晩年、その作品がもとで時の老中・松平定信に睨まれ、その最中に亡くなったことから、自殺説もある人物であります。本作はその春町の姿を通じて戯作者の魂を描く、いかにも作者らしくユニークで、そして一つの矜持を感じさせる物語であります。

 駿河小島藩の年寄本役という歴とした侍でありながらも、売れっ子戯作者として活躍してきた春町。黄表紙の生みの親として、お上を皮肉り、人々を楽しませてきた彼は、共に世の中を遊べる「菩薩のような女」を探す日々を送っていたのですが――そこに思わぬ筆禍が降りかかります。

 時は松平定信による寛政の改革の真っ只中、庶民の生活――なかんずく娯楽への規制が続く中、武家社会を面白おかしく描いた『鸚鵡返文武二道』が大ヒットしたことで、周囲からは不安の目で見られるようになった春町。
 はたして春町に対して届けられたのは、松平定信からの呼び出し。盟友であった朋誠堂喜三二は筆を折って地方に隠居し、太田南畝は文化人に鞍替えし――と周囲が慌ただしくなる中、春町は如何にすべきか、深い悩みを抱えることになります。

 愛する女たち、戯作の道、武士の矜持――様々なものの間に挟まれ、悩み抜いたその果てに、春町が選んだ道とは……


 冒頭に述べたように、その最期には不審な点もある春町。その真実がどうであれ、そこには、寛政の改革の影が色濃く落ちていたことは間違いのないことなのでしょう。
 本作はその春町が最期の日に向かう姿を描いた物語なのですが――それを悲劇のみで終わらせないのが、作者の作者たる所以です。

 何しろ本作の恋川春町は、今一つ格好良くない。歴とした妻子がありながらも、ある時はうなぎ屋の看板娘、ある時は吉原の女郎に熱を上げ、またある時には女性戯作者や幼馴染と怪しからん雰囲気になったりと忙しい。
 と言っても艶福家というわけではなく、むしろ女の子と仲良くなりたいのになかなかなれない冴えないおっさん――というのが正直なところで、その辺りの何ともいえぬユーモアとペーソスは、これはもう作者の作品でお馴染みの味わいであります。

 しかしそんなおっさんでありつつも、しかし戯作者としての誇りは誰にも負けないのが春町。自分の作品で世の中を楽しませることが信条の彼が密かに信奉するのは馬場文耕――30年ほど前にその作品が幕府の逆鱗に触れ、打ち首獄門となった講釈師――なのですから、その根性は筋金入りであります。

 その文耕に倣って権力に屈することなく、ただ己の目指す作品を描く――そんな意気軒昂なところを見せる春町ではありますが、しかしそんな彼に忍び寄るのは、定信の影だけではありません。
 売れっ子戯作者として追い上げてきた山東京伝の存在、自分を応援するといいつつ今一つ信頼できない蔦屋(本屋)――さらに先に述べたような周囲の戯作者たちの変節が、彼を悩ませ、弱らせていくことになります。

 そしてもう一つ、武士であるという己の矜持ににも縛られ、どんどん追い込まれていく(己を追い込んでいく)彼の姿は、それまでが生き生きとしていただけに実に辛い。
 その一方でその姿には作者の自己投影を見てしまうわけで、特に終盤に描かれる春町の八方破れの姿などは、ほとんど私小説の味わいを感じてしまう――というのはもちろん、読者の勝手な思い入れではありますが……


 そんなわけで、様々な意味で実に作者らしい本作なのですが――しかしもう一つ作者らしいのは、それは権力の理不尽に対する怒りが、作品の基調を成していることでしょう。

 本作の悪役ともいうべき定信。しかし彼は最後の最後に至るまで、その姿をはっきりと見せることなく、その真意が明示されるわけでもありません。しかしここに在るのは確かに権力の理不尽の姿であり――そしてそれに押し潰され、消されていく者の姿なのです。

 これは折りに触れて述べてきたことでありますが、デビュー以来作者の作品の底流に着実に脈打っているのは、この権力への怒りであり、そして弱くとも必死に生きる者たちへの慈しみであることは、愛読者であればよくご存じでしょう。
 いわば本作は、その二つの想いに揺れ続けた一人の戯作者の姿を、現代の戯作者たらんとする作者が描いた物語であり――そしてそんな本作が、今この時に書かれたことには、必ず意味があると感じさせられます。

 あくまでもユーモアとペーソスを漂わせつつ、その核にあるのは作者の叫びのような想い――そんな本作を、私はこよなく愛するものです。


『恋の川、春の町』(風野真知雄 KADOKAWA)

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2018.10.26

武川佑『弓の舞(クリムセ)』 天下がもたらすものと舞に込められた想い

 これまで戦国時代を題材とした作品を中心に発表してきた武川佑。その作者が、戦国時代の一つの終わりを描く短編――九戸政実の乱の結末を、そこに加わった青年とアイヌの姿から描く短編であります。

 秀吉の奥州仕置が終わり、ひとまずは奥州に新たな秩序が生まれたものの、なおも続く一揆や兵乱。そんな中、南部家の中でも有力者であった九戸政実が、当主・南部信直に対して挙兵し、散々に本家側を苦しめることになります。
 これに対して秀吉は諸大名に号令して大討伐軍を編成、追い詰められた政実は九戸城に籠もり、6万の包囲軍を相手にすることになるのですが……

 本作は、この九戸政実の乱に参加した青年・小本兵次郎を主人公とした物語。半漁半士の閉伊郡船越党の一人として、九戸家への助太刀を命じられた兵次郎が、やはり九戸家に味方するアイヌのシウラキと出会い、彼とともに九戸城に入る場面から物語は始まります。

 彼らが入ってすぐに始まった包囲軍の猛攻の中、シラウキが敵方についたアイヌと戦おうとしたのを兵次郎が止めたことをきっかけに、親しくなった二人。
 その晩、対陣する兵から蝦夷舞の勝負を持ちかけられたシラウキは、兵次郎をパートナーに指名し、見事な『弓の舞(クリムセ)』を舞ってみせるのでした。

 しかし劣勢は覆せず、兵や民を坑道から逃し、開城することとなった九戸城。アイヌに扮するとシラウキと二人、敵陣に潜り込んだ兵次郎は、敵将・蒲生氏郷の前でクリムセを舞うことになるのですが……


 その前年に行われた奥州仕置の、ある意味締めくくりとも言う形となった九戸政実の乱。この局地戦ともいうべき戦いによって奥州は統一され――すなわち、天下は秀吉の下に統一されたことになります。
 この戦いの結末、九戸城落城の際に、「夷人二人」が許され、氏郷の前で舞ったという『氏郷記』の記述を基とした本作。このわずか数行の記述から、本作は深く重い、そして豊かな物語を生み出してみせるのです。

 主人公たる兵次郎は、いわば一族の代表という形で九戸城に入った青年。かつて父を奪った大浦為信が敵方にいることもあり、敵討ちと心を励まして激戦に身を投じるのですが――しかしその実、一族は南部方に付き、彼は一人梯子を外された格好となります。
 そして彼と厚誼を結ぶシラウキは、その大浦氏によって故郷であるト・ワタラ(十和田)の地を奪われ、戦うことで土地を取り戻そうとする男として描かれます。

 この二人に共通するのは大浦氏への遺恨――ではありますが、それ以上に大きいのは、舞台となる九戸城においては局外者であること。彼らは九戸と南部、九戸と豊臣の戦には直接関係のない身でありつつも、二人は九戸城に入ったのであります。

 そんな二人が、城内から脱出する人々のため、アイヌとして敵陣に乗り込むというのは、見方によっては非常に盛り上がる展開ではありますが――しかしそれを単純なヒロイズムの発露として描かないのは、本作の巧みな点でしょう。
 そしてその印象は、氏郷を前にして兵次郎が取ろうとした行動と、それに対するシラウキの行動によって、より印象的なものとなります。

 そこに浮かび上がるのは、この戦いの先に生まれる「天下」がもたらすものの真の姿であり、そしてそれによって踏みにじられる者たちの存在であり、そしてそれに対する「もう一つの」戦いの在り方なのですから。


 本作において二度にわたり描かれることとなるクリムセ。それは野で美しい鳥に出会った男が、弓で射るか射るまいか惑う姿を表した舞であります。それは自然とその美に対する敬虔の念の現れであると同時に、それを奪うことを躊躇う人間性の現れと言うことができるのではないでしょうか。
 だとすればその舞を戦いの最中に、そして敵将を前に踊ることにどれだけの意味が、想いが込められているのか――それを考えたとき、我々の胸は、あるいは熱く高鳴り、あるいは冷たく沈むのであります。

 しかし私は、兵次郎とシラウキが最初にクリムセを舞ったとき、兵次郎は鉄砲を、シラウキは弓を手にしていたことに、一つの希望を感じます。
 アイヌにとっては禁忌でもある鉄砲。それを手にした兵次郎とシラウキが共に舞う時、そこにあるのは決して破壊ではなく、人と人との融和の姿であると――そう信じたいのであります。

『弓の舞(クリムセ)』(武川佑 「小説現代」2018年8月号)

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2018.10.25

門井慶喜『新選組の料理人』 人間になった狼の終焉、武士の時代の終焉


 幕末きっての武闘集団である新選組。しかし彼らも飯を食わなければやっていけない――というわけで、成り行きから新選組の賄方(料理人)となってしまった運の悪い男・菅沼鉢四郎の視点から新選組の興亡を描いた、極めてユニークな作品であります。

 禁門の変によって発生した大火――どんどん焼けによって、住んでいた長屋を焼かれた浪人・菅沼鉢四郎。妻子ともはぐれた彼は、偶然口にした会津藩の炊き出しを「まずい」と言ったことがきっかけで、新選組に引っ張り込まれることになります。
 というのもその炊き出しを担当していたのは新選組の十番隊組長・原田左之助。その左之助に見込まれてしまった鉢四郎は、唯一の取り柄である料理の腕を振るい、会津の炊き出しは大評判となるのですが……

 という第一話の展開を見れば――そして作品の題名をみれば――本作は鉢四郎がその料理の腕を活かして、新選組に降りかかる難題を解決していくのだな、と思ってしまうところですが、さにあらず。
 第一話でも、良かれと思って行った炊き出しの工夫が、彼の全く預かり知らぬところで大問題となり、文字通り詰め腹を切らされる寸前までいくことに――と、万事彼は貧乏くじを引く役回りなのであります。

 料理の腕以外は、侍としてはからっきしの鉢四郎。そんな彼は、左之助ら新選組の面々に振り回され、面倒に巻き込まれるばかり。
 ぜんざい屋事件、寺田屋事件、天満屋事件――そんな新選組と幕末の京阪で起きた事件の数々を、鉢四郎はそんな中で目撃していくことになるのであります。

 そしてその鉢四郎が目の当たりにする新選組の姿なのですが、これが良くも悪くも――いや主に後者の意味で――実に生々しい。
 政治家として隊士を駒のように動かす近藤(彼が坂本竜馬と対面した時の一手には仰天!)、剣の腕はいまいちだが内務の鬼の土方、女と酒にだらしない左之助、そんな左之助を軽蔑し対立する斎藤一……

 どれもお馴染みの新選組像から少し(悪い方向に)はずれつつ、それでいて妙に説得ある描写は、新選組ファンとしては実にツラいものがあるのですが、しかしその一方で妙に目を引き寄せられるものがあります。

 それは鉢四郎というある種の局外者の存在を通して描かれる点が大と思われますが、本作においては、そんな鉢四郎とは対になる、もう一人の主人公とも言うべき存在がいます。
 それが原田左之助――ある意味最も新選組隊士らしい男であります。

 先に述べたように、悪い意味で体育会系のキャラクターとして鉢四郎を大いに振り回す役どころの左之助。しかし本作はそれだけでなく、彼のある特徴に注目して物語を描いていくことになります。
 他の誰にもない、左之助のある特徴――それは彼が妻子持ちであることであります。

 いやもちろん、彼のほかに妻(というか愛人)がいる隊士は幾人もいます。作中で言及されるように、近藤には多摩に娘がいるわけですが――しかし京に妻と子を置いていたのは、なるほど左之助くらいのものであります。
 常在戦場は武士の習いですが、幕末においてそれを最も体現していたのは新選組でしょう。そんな状況で、さすがに同居はしていないものの、ごく身近に妻と子を置いている左之助は、ある意味士道不覚悟と言えます。

 士道と縁遠い鉢四郎ですら、成り行きとはいえ妻子と引き離されているという状況で、左之助の姿を面白くないと感じる者も少なくありません。
 そしてそれがやがて、決定的な事件を引き起こすのですが――なるほど、左之助を描くにこういう視点があったか、と感心させられるところですが、しかし本作はさらにその先を描いていくこととなります。

 戦場に生きる武士が一度家族を持ち、その温もりを知った時どうなるか。本作は左之助の姿を通じて、それを容赦なく剔抉するのであります。
 そしてさらにその武士から人間への――他の作品で描かれるのとはある意味逆のベクトルの――変化は、一人左之助だけのものではなく、新選組全体を覆うものであることが、終盤において明らかになるのです。

 しかし、そんな人間になってしまった新選組隊士たちから、その人間性を奪うかのような、二重に皮肉な結末をどう解すべきか――その変化を前にした鉢四郎と左之助の、ある意味逆転した姿は強く印象に残ります。


 料理という題材との食い合わせについては首を傾げる部分はありますが、「新選組」の、武士の時代の終焉を描く、ひどくシニカルで残酷な物語として、珍重すべき作品というべきでしょうか。


『新選組の料理人』(門井慶喜 光文社)

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