2018.05.16

『修羅天魔 髑髏城の七人 Season極』 新たなる髑髏城――これぞ極みの髑髏城!?

 天魔王率いる関東髑髏党が覇を唱える関東に現れた渡り遊女・極楽太夫。色里・無界の里に腰を落ち着けた彼女には、凄腕の狙撃手というもう一つの顔があった。無界で徳川家康に天魔王暗殺を依頼された極楽。しかしその前に現れた天魔王の素顔は、かつて深い絆で結ばれた信長と瓜二つだった……

 実に1年3ヶ月にわたり、5つのバージョンで公演された劇団☆新感線の『髑髏城の七人』、その最後を飾るSeason極『修羅天魔』を観劇して参りました。
 それまでにも5回上演され、その度に様々な変更が加えられてきた『髑髏城』ですが、しかし今回の『修羅天魔』はその中でも最も大きく変わった――ほとんど新作とも言うべき物語。何しろ、これまで一環して主人公であった捨之介が登場しないのですから!

 上のあらすじにあるように、本作の主人公は、渡り遊女にして凄腕の狙撃手である極楽太夫こと雑賀のお蘭――かつては信長に協力し、その天下獲りを支えてきた人物です。
 これまでの髑髏城において登場してきた極楽太夫は、雑賀出身の銃の達人という裏の顔は同じながら、初めから無界の里の太夫という設定。そしてお蘭の名を持ち、信長と縁を持つ登場人物としては、その無界の里の主・蘭兵衛が別に存在していました。

 そう、本作の極楽太夫(お蘭)は、これまでの捨之介と極楽太夫と蘭兵衛、三人の要素を備え、それを再整理したかのようなキャラクターなのであります。

 それを踏まえて、彼女を取り巻く登場人物たちの人物関係も、これまでとはまた変わった形となります。
 もう一人のヒロインである沙霧や、豪快な傾き者・兵庫といった面々は変わらないものの、蘭兵衛に代わる無界の里の主として若衆太夫の夢三郎が登場。狸穴次郎右衛門こと徳川家康の存在もこれまで以上に大きくなりますし、何よりも新たな七人目が……

 この変更が何をもたらしたか? その最たるものは、本作における重要な背景である織田信長の存在――信長とメインキャラたちの関係性の変化があるでしょう。
 これまで信長を中心に、捨之介・天魔王・蘭兵衛が複雑な関係性を示していた『髑髏城』。それが本作では極楽太夫・天魔王の関係性に絞られることにより、ドラマの軸がより明確になった――そんな印象があります。

 これは個人的な印象ですが、これまでの『髑髏城』では蘭兵衛の存在――というか第二幕での蘭兵衛の変貌が今一つ腑に落ちないところがありました(色々と理由はあったとはいえ、あそこまでやるかなあ、と)。
 今回、その辺りがバッサリとクリアされた――正確には異なるのですがその変更も含めて――のは、大いに好印象であります。

 閑話休題、その信長を頂点とした「三角関係」の明確化は、これまで(私が見たバージョンでは)背景に留まっていた信長の存在が、回想の形とはいえはっきりと前面に登場したことと無関係ではないでしょう。
 かつては雑賀の狙撃手として信長を狙ったお蘭が、信長の「同志」にして最も愛すべき者となったか――それを描く物語は、古田新太の好演もあって素晴らしい説得力であり、そしてそれだけに登場人物たちの因縁の根深さを感じさせてくれるのには感嘆するほかありません。

 さらにこの過去の物語が、第二幕早々で炸裂する意外な「真実」――これまでの物語を根底から覆すようなどんでん返しに繋がっていくのが、またたまらない。
 実はここまで、如何にこれまでの『髑髏城』と異なるかを述べるのに費やしてきましたが、同時に意外なほどに変わらない部分も多い本作。特に物語展開自体はこれまでとほぼ同じなのですが――だからこそ、この展開には、とてつもない衝撃を受けました。

 そしてその「真実」を踏まえて、極楽太夫が如何に行動するのか、どちら側の道を歩むのかという展開も、本作の人物配置――端的に言ってしまえば男と女――だからこそより重く、そして説得力を持って感じられるのであります。
 ……そしてそれがもう一回クルリと裏返るクライマックスの見事さときたら!。


 もちろん本作の魅力はこれだけではありません。また、生歌が存外に少なかったことや、過剰にエキセントリックな演技(それも演出のうちではありますが)で興ざめのキャラがいたことなど、不満点もあります。
 しかしそれでもなお、本作はこれまで30年近くにわたって培われてきたものを踏まえつつ、それを見直すことでまた新しい魅力を与えた新しい『髑髏城の七人』であり――そして、この1年3ヶ月の最後を飾るに相応しい、まさしく「極」であったということは、はっきり言うことができます。

 実に素晴らしい舞台でした。



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2018.03.24

舞台『江戸は燃えているか』 メチャクチャ楽しいでは終わらない勝と西郷の替玉騒動

 西郷隆盛率いる官軍が迫る江戸。西郷は幕府側の代表である勝海舟と極秘裏に会談を望むが、気が小さい勝は会談は無理だと逃げ出してしまう。このままでは江戸が戦火に包まれてしまうと悩む勝家の人々は、勝に似ているという庭師の平次を身代わりに立て、西郷と会談させてしまおうとするのだが……

 新橋演舞場でこの3月に上演されている三谷幸喜の舞台『江戸は燃えているか』を観劇しました。江戸無血開城――勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸を舞台にした新政府軍と旧幕軍の全面戦争が回避された、この幕末史に残る出来事の裏側で起きていた(かもしれない)騒動を描いたコメディであります。

 三谷作品で勝海舟というと、やはり思い出すのは『新選組!』で野田秀樹が演じた勝海舟――べらんめえ口調でどこか人を食ったような人物、新選組に対しては決して好意的とは言えなかったものの、大局を見据えた一個の人物と描かれていた勝を思い出します。
 が、本作の勝は、べらんめえ口調こそ共通なものの、およそ逆――喧嘩っ早いが気が小さく、自意識過剰で調子に乗りやすい女好きという人物。なるほど、史実の勝を見ているとそういう側面も確かにあるように思えるのが面白いところですが、何はともあれ、面倒な男であります。

 その面倒な勝を演じるのが中村獅童ですが――これが実にはまり役。上に述べたような、江戸っ子の困った面を集めたような、大きな子供のようなキャラクターを、ほとんど最初っから最後までハイテンションで演じていて、これがもう実に楽しく、芸達者ぶりをには最後まで感心させられました。。
 その勝が逃げ出した後、金につられて勝の替玉を務める平次は松岡昌宏。『必殺仕事人』をはじめとして(そういえば獅童とは『必殺仕事人2013』で競演していました)時代劇にはそれなりに出ていることもあり、安定の存在感であります。

 その他、そもそもこの替玉を言い出した勝の娘・ゆめを松岡茉優、勝の妹婿・村上俊五郎を田中圭、西郷隆盛(ともう一人)を藤本隆宏、さらに勝家の女中頭・かねを高田聖子というキャスティングで、この手のキャラでは水を得た魚のような高田聖子をはじめ、皆熱演ぶりを堪能させていただきました。


 さて、お話の方は、急に事前交渉にやってくるという西郷から逃げ出した勝に代わり、平次が身代わりとなって西郷を応対――するんだけれども当然うまくいくはずがない。俊五郎やゆめ、かねが必死になってフォローするのを、事情を知らない勝家の他の人物が引っ掻き回していく――というのが一幕の展開。
 そして二幕では、何とか西郷との交渉を終わらせてほっと一息――と思いきや、やっぱり西郷と会うと言い出した勝に対し、ゆめたちが今度は西郷の替玉をこしらえて対面させるということになって……

 と、いやもうありとあらゆる手で笑わせにくる内容に、劇場は大盛り上がり、「新橋演舞場史上、もっとも笑えるコメディ」というスローガンも納得の内容でした。

 パンフレットによれば、懐かしのバラエティ番組『コメディーお江戸でござる』の舞台パートを意識したとのことで、言われてみればいかにもありそうな内容ではあります。 とはいえ江戸無血開城という大事件、様々なフィクションの題材にもなっているそれを扱った本作は、確たる史実を背景にしているだけに、ある種その反動からのおかしみというものが強烈に感じられました。
(劇中、勝と西郷の実にしょうもない(?)、しかし史実である、ある共通点がネタにされていたのも楽しい)


 しかし終盤に至り、本作は史実に向かって一気に収斂していくことになります。
 正直に申し上げて、この辺りの展開はいささか身も蓋もなさというか、これまでの騒動は何だったのかしら――という印象を受けたのですが、しかしその後に待ち受けるラストの意外な展開によって、この辺りは全て計算の上だったのかな、と考えを改めました。

 歴史は、その前面に立つ英雄たちのものなのか、はたまたその陰に隠れた無数の名もない庶民たちのものなのか?
 その問いかけに対して、後者の姿を中心に描きつつも、最後にガラリとひっくり返して、ある意味「正しい歴史」に変えてみせる本作。その結末は、それ自体「正しい歴史」に対する皮肉の意味を持つのではないか……と。

 もちろんこれは深読みのしすぎかもしれませんし(そもそも女性キャラのステロタイプな描き方をみるに、本作はそもそも庶民に好意的でない気もします)、ラストの展開もあまりうまく機能していない気もしますが――メチャクチャに楽しい、では終わらないのもまた、本作の味わいと言うべきでしょうか。

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2017.06.25

ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』

 本日、ESPエンタテインメント東京本館で開催された、ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』を観てきました。昨年の冬の『クロボーズ』に続くLIVEリーディングなるこのイベント、観客の前で、声優が漫画のキャラクターの声を当てるというユニークな試みであります。

 今回のLIVEリーディングの題材となっている『戦国新撰組』は、『クロボーズ』と同じく富沢義彦原作の戦国アクション漫画。
 朝日曼耀作画による本作は、以前このブログでも第1巻をご紹介いたしましたが、タイトルから察せられるように、あの新撰組が戦国時代にタイムスリップして始まる奇想天外な物語であります。


 今回のLIVEリーディングで上演されたのは、原作の第8話まで――現在発売されている単行本第1巻は第5話までが収録されていますが、おそらくは第2巻まで収録される辺りまでが今回上演されたことになります。

 池田屋事件後のある日、突如として戦国時代――桶狭間の戦いの直前の尾張にタイムスリップしてしまった新撰組。
 その一人、三浦啓之助は、土方、島田らとともに、織田家に士官する前の木下藤吉郎と蜂須賀小六と遭遇し、捕らえられて信長の前に引き出されることになります。

 その動きを察知した近藤・斎藤・井上・山崎たちは、土方らを救出するために、織田の本陣を急襲。一方、山南・沖田・藤堂は成り行きから今川軍に潜り込み、織田軍と戦うことに……

 という本作は、新撰組のキャラクター数からも察せられるように、かなりのキャラクターが登場する物語。さらにモブが入り乱れる合戦シーンなどもあり、相当賑やかな(?)展開となるのですが――それがこのLIVEリーディングという形式には実に似合っていた印象があります。

 特に物語の中で結構なウェイトを占める合戦シーンは、SEによる効果もあいまって相当の迫力。ここだけでもLIVEリーディングの甲斐があった――というのはさすがに言い過ぎですが、漫画ではさらっと読んでしまうような乱戦部分にも引き込まれたというのは、大きな効果であったと思います。

 そして内容の方も、先に触れたように第8話までと結構なボリュームではあったのですが、しかし駆け足という印象はなかったのは、これは原作自体のスピード感が相当なものであるためでしょうか。

 なにしろ、上で述べたあらすじだけではわからないような驚きの展開の連続である本作。連載の方ではかなりの頻度でショッキングな展開(特に第5話のラストの信長○○にはもう……)が飛び出してくるのですが、それを一気に観ることができたのは、原作読者としても非常に楽しい体験でありました。
(もっとも、このLIVEリーディングにおいては、個人的には第○話、というように分けなくてもよかったのでは……とは思います)

 演者の方も、声優オンチの私でも名前を知っている代永翼の三浦啓之助などはまさにハマり役。原作での、根性なしで、それでいていざとなると何をやらかすかわからない(そしてそんな中に様々に鬱屈するものを抱えた)「現代っ子」ぶりをうまく再現していたという印象があります。
 もう一つ、楠田敏之演じる土方は、声がついてみるとかなりテンパったキャラだったのだなあ……とも(これは演技への感想ではなく、作中での扱いへの感想ですが)


 何はともあれ、前回の『クロボーズ』よりも(物語のテンポなどが異なるとはいえ)より舞台にマッチした内容で、演出等も洗練された印象があった今回のLIVEリーディング。
 流行の2.5次元よりもさらに2次元に近い、2.25次元的な舞台ですが、この形式ならではの面白さをまだまだ見てみたいと思わされる舞台でありました。



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2017.05.21

『髑髏城の七人 花』(その二) 髑髏城という舞台の完成形?

 花鳥風月、この一年に四度上演されるという『髑髏城の七人』の一番手、『花』の紹介であります。前回は配役を中心に触れましたが、今回は脚本を中心に、これまでとの異同について触れたいと思います。

 七年に一度(時に二度)上演され、今回で実に六回目となる『花』。今回の脚本は新規のものですが、それでもベースとなる物語は基本的に変わることはありません。
 それだけでなく、作中の印象的な台詞などは、以前の版からほとんど変えることなく採用されているものも少なくないのですが、その一方で今回はこれまで以上に、細部に手を加えてきた印象があります。

 これは多分に記憶頼りのため、勘違いがあるかもしれませんが、これまでの舞台版と異なる箇所で、特に印象に残ったのは以下の通りであります。
・沙霧ら熊木衆と捨之介の関わり
・蘭兵衛と極楽太夫の関係性
・狸穴次郎右衛門の敵娼
・兵庫と関東荒武者隊の過去

 ご覧のとおり、これらはほとんど皆、キャラ描写を補足あるいは深化するもの。物語を大きく変えるほどのものではありませんが、しかしこのわずかな追加により、キャラクターたちの存在感が、彼らの行動の説得力が、そして物語への感情移入度が、一気に高まったと感じられます。

 この中で個人的に印象に残ったのは狸穴次郎右衛門の敵娼であります。
 歴史ファン、戦国ファンの間では半ばネタ的な意味で熟女好きとして知られる次郎右衛門(の正体)ですが、それを踏まえつつも、後半のある展開を踏まえて、次郎右衛門がよりこの戦いに深く関わっていく要素としても見ることができるのに、感心いたしました。
(そもそも、この展開自体、次郎右衛門の存在を絡めたことでよりドラマ性が深まったように感じます)

 この点からすると、キャストよりも舞台装置よりも、何よりも脚本が、今回の『花』において一番大きな変化を遂げた部分であり、そして大げさに言ってしまえば、『髑髏城の七人』という舞台の完成形に近づいたのではないか……という気持ちとなった次第です。


 もっとも、ネガティブな意味で気になる点がなかったわけではありません。これはもちろん全く個人的な印象ではありますが、今回の捨之介と天魔王にはあまりノレなかった……というのが、正直なところなのです。

 捨之介の方は、確かに言動は格好良く、何よりも非常に威勢の良い人物であり、ヒーローとしては申し分ないと言いたいところですが、しかしそれ以外の人物像、根っ子となるキャラクターが見えない印象(そもそも「玉転がし(女衒)」の設定が語られないので何をやって生きているのかわからない……のはさておき)。
 そして天魔王の方は、非常にエキセントリックかつ卑怯なキャラクターとして描かれており、新感線ファン的に一言で表せば「右近健一さんが演じそうなキャラ」なのです。

 いわばヒーローのためのヒーロー、悪役のための悪役……この二人にはベタなそんな印象を受けてしまったのですが、しかしその印象は、ラストにおいて少々変わることになります。(ラストの展開に少々触れることになりますがご勘弁を)
 天魔王を倒したものの、いわば髑髏党壊滅の証として、その首を差し出すよう徳川家康に迫られる捨之介。全ての因縁にケリをつけた今、安んじて首を差し出そうとした捨之介に対し、仲間たちが首の代わりに家康に差し出したものとは――

 これまで『髑髏城の七人』においては、天魔王や蘭兵衛の過去への執着を示す、いささか悪趣味なアイテムとして描かれていた「それ」。しかしここで「それ」が差し出されることにより、捨之介は自分を縛っていた過去を、真に捨てることができた……本作の結末で描かれるのはその構図だと言えるでしょう。天魔王という空虚な存在、戦国の亡霊とも言うべき存在の象徴を捨て去ることによって。

 いわば本作は、過去という空虚に囚われ、ある者は狂い、ある者は魅せられ、そして共に滅んでいく中、同様に囚われながらも、それを捨てることにより、真に生きる道を手に入れた男の物語だった――
 今頃何を言っているのだ、と言われるかおしれませんが、今回のキャラクター配置・描写には、そんな物語構造が背景にあると考えるべきなのでしょう。


 正直なところ、まだ360度の舞台を十全に使いこなしているという印象ではないのですが、その辺りも含め、これだけの高いレベルでスタートを切ったドクロイヤーがどのようなゴールを迎えるのか……最後まで見届けることができればと思います。



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2017.05.20

『髑髏城の七人 花』(その一) 四つの髑髏城の一番手!

 七年に一度やってくる劇団☆新感線の『髑髏城の七人』再演、いわゆるドクロイヤーですが、今年はそれより一年早い……と思いきや、来年のドクロイヤーに向けて、一年かけて花鳥風月、四つの髑髏城が上演されるというとんでもない仕掛け。その第一弾、『髑髏城の七人 花』であります。

 時は本能寺の変から八年後、突如関東に現れた髑髏城から関東髑髏党を率い、暴力でこの世に覇を唱えんとする謎の魔人・天魔王。
 この天魔王と髑髏党に追われる少女・沙霧を助けたことから、正体不明の風来坊・捨之介、関東荒武者隊を率いる傾き者・抜かずの兵庫、そして色里・無界の里の主・蘭兵衛と極楽太夫らが、死闘に飛び込んでいく姿を描く本作は、冒頭に述べたように七年ごとに再演される新感線の代表作であります。

 1990年の初演以来、1997年、2004年(こちらは二バージョン上演)、2011年と上演されてきたのですが、私は2004年のアカドクロを観て以来の大ファン。ソフト化されている1997年も含め、初演以外は全て観ている身としてはもちろん今回も見逃すわけにはいきません。

 そんな今回の髑髏城は、冒頭に述べたとおり年四回、それぞれ脚本や演出を変えて上演されるという破天荒な企画ですが、上演される劇場もユニークであります。
 本作がこけら落としとなるIHIステージアラウンド東京は、なんと客席の周囲360度に舞台が設けられ、上演中に客席が回転するという仕掛け。さすがに360度を一度に使うことはないのですが、場面転換に合わせ、結構なスピードで客席が回転するのは、なかなか楽しい経験でした。


 さて、肝心の内容の方ですが、メインキャストの配役はといえば、
 捨之介:小栗旬
 沙霧:清野菜名
 蘭兵衛:山本耕史
 極楽太夫:りょう
 兵庫:青木宗崇
 天魔王:成河
という豪華な顔ぶれ。うち小栗旬は、前回も同じ捨之介を演じていますが、それ以外のメンバーは、新感線登場も初めてではないでしょうか。
 その他、謎の狸親父・狸穴次郎右衛門を近藤芳正、そして凄腕の刀鍛冶・贋鉄斎に古田新太! と、脇を固めるメンバーも頼もしいのです(新感線純血の役者が少ないのは残念ですが、今回は脇を固める様子)。

 舞台というのは、(ほぼ)同じ内容を、異なる役者が演じていくのもまた楽しみの一つですが、それはもちろんこの髑髏城も同様。
 後述するように、今回は物語内容的にはこれまでと比べてそこまで大きく変わるものではないのですが、それだけに役者の存在感が大きく影響を与えていたと感じます。

 個人的に今回の配役で一番印象に残ったのは、山本耕史の蘭兵衛でしょうか。
 何処から現れ、関東において一種のアジールとも言うべき無界の里を数年で繰り上げた謎の男である蘭兵衛ですが、常に冷然とした態度を崩さぬ、心憎いまでの色男とくれば、これはもうはまり役というべきでしょう。

 時代劇経験者だけあって、立ち回りの安定感も大きく、もちろん着物の立ち姿も違和感なしとビジュアル的にも素晴らしいのですが、さらに良かったのは中盤以降の演技。
 未見の方のために詳細は伏せますが、中盤で大きな変転を迎える蘭兵衛という人物。それ故にこの人物の行動に説得力を与えるのは非常に難しいのですが、今回は脚本のうまさもあり、まずこれまでで最も説得力のある蘭兵衛であったと感じます。

 また沙霧の清野菜名は、恥ずかしながらお見かけするのはこれが初めてだったのですが、こちらも実に良かった。
 どこまでも真っ直ぐで元気に明るく、しかしその奥に陰と悲しみを抱えた沙霧のキャラクターをきっちり演じてみせたのはもちろんのこと、アクションが実にいい。アクションをきちんと勉強していた方のようですが、後ろ回し蹴りなど、橋本じゅんクラス(大袈裟)の美しさでありました。

 そしてもう一人、全くもって貫目が違うとしか言いようがないのが古田新太。天才刀鍛冶であり、刀を愛しすぎる故に、その刀で自分を斬ってしまうという紛れもない変態の贋鉄斎を、基本的に大真面目に演じ切ってみせたのは、これはもうこの人ならでは(一人称が「僕」なのがさらに変態度を高める)。
 かつての当たり役だった捨之介を譲っての登場は個人的には少々寂しいものがありますが、舞台上でも一歩引いた形で主人公たちをサポートする贋鉄斎と、今の姿は重なるものがあった……というのは言いすぎでしょうか。


 語りたいことが多すぎるため、次回に続きます)


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2017.04.25

劇団ヘロヘロQカムパニー『犬神家の一族』 関智一の金田一だからこそできたもの

 先週末、劇団ヘロヘロQカムパニーの『犬神家の一族』を観劇してきました。言うまでもなく横溝正史の金田一耕助もの、かつて市川崑の映画版が大ヒットした、あるいは最も有名な金田一耕助もの……その原作を見事に舞台化した作品であります。

 これまで座長の関智一を金田一耕助役として、『八つ墓村』『悪魔が来りて笛を吹く』『獄門島』と上演してきた劇団ヘロヘロQカムパニー(以下、「ヘロQ」)。残念ながら私はこれらの作品は観ていない……というよりヘロQ自体これが二度目の観劇なのですが、以前観た『魔界転生』がかなりの完成度だっただけに、期待を寄せていました。

 そしてまず結論を申し上げれば、これがかなりの完成度。決して短くはない原作を、3時間弱という上演時間の中でテンポよく消化し、過不足なく再現して見せてくれた快作であります。

 犬神佐兵衛翁の臨終の場面と、金田一のもとに依頼が届く場面を同じ舞台上で見せるという、いかにも演劇的な演出で始まる本作。
 その後のヒロイン珠世受難に代表されるような映像の投影を多用したケレン味たっぷりの演出も楽しいのですが、金田一役の関智一をはじめとする出演陣の演技もいい。

 私でも知っているようなメジャー声優の方々がメインを固めている舞台でしたが、声の演技とはまた異なる演技というものを、堪能させていただきました。
(特に三石琴乃は、登場してもしばらく気付かず驚かされました)

 その中でも関智一の金田一は、飄々とした浮き世離れした面と、明るい人懐っこさを感じさせる面がうまく同居しており、はまり役という印象。
 基本的にラストまで謎に振り回される(舞台の構造としては謎の整理役というべき)役どころながら、いるだけで不思議な安心感と好感を感じさせるのは、さすがは座長と言うべきでしょうか。


 それ以上に感心させられたのは、市川崑の映画版では省略された原作の要素の多くを、きっちりと再現している点です。
 その最たるものは、犬神家での第二の殺人のトリック(経緯)を省略せずに描いている点と、第三の殺人の犯行手段と見立ての説明でしょう。その他にも、クライマックスのある人物の逃走劇や、その人物が正体を隠していた理由なども、丹念に拾って再現しているのには、大いに好感が持てます。

 その一方で面白いのは、本作が映画版を思わせる演出を随所に取り込んでいる点でしょう。
 音楽や、特に佐清のマスクと喋りに代表されるキャラクターのビジュアルや芝居、さらにはとにかく走り回る金田一(目の前の通路を使うというのでそんな場面があったかな、と思いきや……)など、原作の展開と併存させる形で、使用しているのであります。

 原作への拘りからすると、この辺りは一見奇妙に見えるかもしれません。しかし『犬神家の一族』という物語のパブリックイメージの大半を形作っている映画版のそれに寄せることで、それしか知らない、あるいはパロディ等でしか本作を知らない方も入り込みやすい舞台を目指しているのではないか……という印象を私は受けました。
(この辺りは、『魔界転生』でも感じたところです)


 そして何よりも印象に残るのが、ラストシーンであります。本作のラストにおいては、やはり映画版を踏まえつつも、金田一と珠世の会話を通じ、物語の構造を――物語の中心となるある人物の想いを浮かび上がらせつつも、そこからの解放と未来への希望を明確に描き出すのです。

 金田一が、固陋な因習の、閉鎖的な共同体の破壊者であるというのは、しばしば言われるところではあります。

 本作はその構造を踏まえつつも、ラストシーンにおいてそれらを生み出したものの存在を浮き彫りにし、そしてそこからの解放を支える者としての金田一を描き出すことで、原作の描いていたものを、より明確に描いてみせたと言えるでしょう。
 そしてそれは、関智一の金田一だからこそできたもの……というように感じられます。


 さすがにラストの推理シーンは(事件の構造のためでもあるのですが)そこまでの快調なテンポが落ちる点、章立てながら休憩なしという点など、引っかかる部分が皆無ではないのですが――
 しかしそれを補ってあまりある舞台であった本作。これまでの作品も、そしてこれからの金田一ものも観てみたいと感じさせられた作品であります。


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2017.02.21

六本木歌舞伎『座頭市』 奮闘、海老蔵&寺島しのぶ しかし……

 この20日までEXシアター六本木で上演されていた六本木歌舞伎の『座頭市』を観ました。座頭市を演じるは市川海老蔵、二人のヒロインを演じるのは寺島しのぶ、そして脚本はリリー・フランキー、演出は三池崇史と、異色の歌舞伎であります。

 舞台は六本木温泉宿場町、時は江戸時代――それも、史実よりもずっと長く続いた(おそらくは現代に近くまで)江戸時代。
 この六本木に流れ着いた盲目の男・市は、放浪の按摩は表の姿、実は凶状持ちで莫大な賞金をかけられた侠客でありました。

 そんな市が出会ったのは、宿の女中として懸命に働く盲目の少女・おすずと、江戸随一の花魁・薄霧太夫。特に薄霧は市の危険な香りに強く惹かれるようになります。
 しかし町を牛耳る六樽組の親分・権三は、市を危険視し、六樽組の用心棒である狂剣士・風賀清志郎らに抹殺を指示。陰謀を察知した薄霧は、市を連れて町を抜けようとするのですが――


 というこの歌舞伎、物語的には上の概略がほとんど全てと、非常にシンプル。流れ者が土地を牛耳る顔役と対決、ヒロインと別れて再び旅立つ……というのは、流浪のヒーローものの定番ではありますが、相当にあっさりした内容ではあります。
 が、その分、存分に見せてくれるのは、海老蔵と寺島しのぶの演技合戦なのです。

 海老蔵の座頭市というのは、坊主頭がトレードマークの一つであるだけに、コロンブスの卵的なビジュアルですが、これがなかなかにはまっている印象。
 本作の市は、一般的な座頭市のイメージに比べれば若くまた格好良すぎるようにも見えるのですが……しかしその無頼さ・慇懃さ・無愛想さ・人懐っこさ・真摯さ・洒脱さetc.といった、相反する要素が入り混じったキャラクターは、海老蔵という役者自身のイメージとも重なって、本作ならではの座頭市像を生み出していると感じます。

 特に冒頭、なんとTシャツにスウェットという姿で現れ、本水を被りながら立ち回った後で、コンビニのビニール袋を片手にタオルで顔を拭い、袋から取り出したモンキーバナナをつまらなそうに頬張る姿は、「今の」座頭市像として、一気に心を掴まれました。
(その後、早変わりで真っ赤な衣装に着替えるのですが、これはこれで格好良い)

 そして対する寺島しのぶですが――梨園の名門に生まれながらも、女性という理由で歌舞伎役者になれなかった彼女にとって、「歌舞伎」の舞台は夢だった、と思ってもよいでしょうか。
 薄霧の情念に満ちた役どころはお得意のそれかと思いますが、しかしむしろ舞台の上でのはっちゃけぶりが凄まじく、海老蔵との濡れ場はほとんどアドリブで無茶なネタの連発ですし、後半には歌謡ショー(!)まであったりと、大暴れであります。

 二役で演じた少女・すずの方はうって変わって可愛らしい役どころですが、舞台上での二人の早変わりも楽しく、実に楽しそうに舞台上を走り回っていたのが印象に残ります。


 しかし――舞台全体として見れば、正直なところ、この二人の奮闘ぶりが全てという印象であります。

 上で述べたとおり物語としては相当に薄い本作。2時間と比較的短いためもあるかもしれませんが、その時間の多くがアドリブに割かれた印象で、二人を除けば辛うじて印象に残るのは、市川右團次演じる清志郎のみ。
 そもそも、基本的に市はただ六本木にやって来て普通に過ごしているだけなのに、一方的に薄霧や六樽組がエキサイトして彼に絡んだ末に、自滅していくのですから……

 終わらない江戸時代という舞台設定も、有効に利用されていたのは先に触れた冒頭の市の姿くらいで、「今」の物語としては突っ込み不足でありました。

 しかし何よりも驚かされたのはクライマックス。死闘の末に辛うじて清志郎を倒した市。しかしその時、周囲がにわかにかき曇り、倒されたはずの清志郎が不気味な姿で復活。そしてその背後から現れる、巨大な怪物・鵺――
 いやはや、座頭市と怪物が戦う話は初めて見ましたが、普段であれば大好物の要素も、何の伏線もなく突然出てくれば、夢でも見たかと思うほかありません。
(鵺の造形が結構良かっただけに残念)


 ラスト、市にとって美しいもの、純粋なものの象徴であるはずのすずが……という苦い結末は良かった(「厭な渡世だなァ」という台詞も納得)だけに、尚更、そこに至るまでが残念に感じられた次第です。


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2016.11.27

ことだま屋本舗EXステージ『クロボーズ』を観て(聴いて?)きました

 本日YOKOHAMA O-SITEで上演された、ことだま屋本舗EXステージ『クロボーズ』を観てきました。いわゆるモーションコミックの声の生アフレコとでも言いましょうか、舞台上のスクリーンに映し出される漫画のコマの前で、出演者が声を当てるというなかなかユニークな舞台であります。

 この舞台の原作である『クロボーズ』については以前にもこのブログで紹介いたしましたが、現代の黒人ヘビー級ボクサー・ヤーボが突如戦国時代にタイムスリップ、「弥助」と名乗って織田信長に仕えるという奇想天外な作品であります。
 現在も連載中の本作は先日単行本第1巻が刊行されましたが、今回上演されたのはその第1巻に収録された8話+その後の1話分。タイムスリップしたヤーボが信長や秀吉と出会い、そして本能寺の変で……という辺りまでとなります。

 さて、この舞台の主役はもちろん「声」ですが、これがヤーボ役をはじめとして出演者が皆はまり役、基本的には皆声優の方で、恥ずかしながら私はこの方面には暗いのですが、しかしやはりプロの力というものに素直に感心しました。
(ただ一人、望月千代女役の平田裕香は声優ではありませんが、こちらも戦隊俳優の経験ありのためか、全く違和感なし)

 出演者は基本的に特別な格好(例えば演じるキャラクターの衣装)をしているわけでもなく、舞台上でマイクの前に向かっている状態、これはまことに失礼な表現ながら、一歩間違えるとスクリーンを見るのに邪魔になりかねないのですが、これが全く気にならなくなるのは、なかなか面白いことです。

 さて、出演者の中でもやはり前面に出てくるのは弥助役の前田剛と信長役の佐藤拓也ですが、前者は漫画をスラスラと読んでいると比較的流してしまいやすい弥助の感情の振幅を丹念に拾っているのに感心であります(そして周囲と言葉が通じていない序盤と、通じるようになったそれ以降でしゃべり方を変えているというのも面白い)。
 また後者は基本的に「格好いい信長さま」というラインに忠実なのですが、作中で歌われる二つの歌をきっちりこなしていて好印象でありました。

 しかし個人的に一番印象に残ったのは、実は前田利家でありました。作中では序盤と終盤に登場して弥助に絡むキャラクターで、それほど出番は多くないのですが、しかし弥助、そして秀吉と微妙な距離を取りつつも、しかしそれぞれに好意とも興味ともつかぬものを裏に感じさせるのが実にいい。
 この辺りはもちろん原作通りではありますが、しかし声の演技がつくことで、表に見えにくいひねくれ者の人間味がくっきりと浮かび上がるのは嬉しい発見でした。

 また、弥助の妹たちと、お市の三人の娘が同じキャストなのは、ドラマ的にうまい配役で……と、色々と感心させられた舞台でした。


 ただ時間的には通しで一時間弱で、それで9話分の内容というのは相当に駆け足にも感じられたのも事実ではあります。
 とはいえ、この辺りは内容的に原作に忠実にせざるを得ない(仮に映像化された際に補われるであろう部分がない)この舞台の性質を考えれば、ある意味仕方ないと言うべきかもしれませんが――

 また、これは厳しいことを言いますが、原作でもかなり細かいコマを大きなスクリーンで映すのは書き込み的に厳しく見えるところもあり(これはもともとそういう扱いのコマなのだから仕方ないと思います)、コマのチョイスなど、そもそものスタイルにはまだ詰めるべきところもあるようにも感じます。

 しかし試みとしては非常に面白く魅力的なものであることは事実ですし、ライブだからこその熱気と吸引力があったことはまた間違いない話であります。
 ラストの盛り上がりも相当なもので、私が観たのは昼の部だったのですが、これ、夜の部に行ったら続きが観られるのでは……などと思わず考えてしまったほどです。

 漫画のメディア化には色々なやり方があるかと思いますが、このような形もあったのか、と感心させられたこの舞台。ぜひまたいずれ……と感じた次第です。



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2016.09.25

『エド魔女奇譚』第6回-第10回 二つの世界の間で彼女が選んだもの

 オンエアから一週間遅れの今ごろで大変恐縮ですが、NHK-FMの「青春アドベンチャー」で放送されたオリジナル時代伝奇ドラマ『エド魔女奇譚』の後半5回の紹介であります。八代将軍を巡る動きに絡んで暗躍する異国の魔女と、その秘密を知った人々との戦いの行方は……

 時は正徳三年、突然の死を遂げた尾張第四代藩主・徳川吉通が、生前、謎の異国の少女から将軍位に誘われたことを知った吉通の弟・通春とその腹心・星野藤馬、蘭学医・宮部牽牛と長崎から来た混血男装の少女・紅丸。
 その少女の謎を追ううちに、彼らは少女が次に紀州の徳川吉宗に魔手を伸ばしていたことを掴みます。

 その異国の少女こそは、若い少女の生き血を力の源として長き年月を生き続け、死人や動物を操るなど奇怪な力を持つ魔女。将軍位に野心を持つ吉宗はその魔女を受け入れ、その力を借りようとしていたのであります。
 その一方、日本人でもオランダ人でもなく、男でも女でもない紅丸に対して、魔女は自分とともに異教の巫女となれと誘ってくるのですが……


 というこれまでの展開を受けての後半では、魔女を裏切りその口を塞ぐべく抹殺に走る吉宗一派の動きと、新たに通春に魔手を伸ばす魔女の動きが、尾張5代藩主・五郎太の早逝という史実と絡めて描かれることになります。

 その一方、自らの力の源として少女たちの生き血を集める魔女の次のターゲットとなったのは、牽牛の助手であり、紅丸の友達でもある少女・なつ。攫われたなつを追う紅丸たちと魔女、そして吉宗の手勢との、船上での三つ巴の戦いが、本作のクライマックスとなるのであります。

 このクライマックスは、魔女により乗組員が皆殺しにされ、下僕とされた幽霊船上というシチュエーションの妙といい、非日常的な妖魔と戦うのが、紀州藩の武士というある意味日常的な存在という対比の面白さといい、伝奇時代劇ファンとしてはなかなか楽しめる展開。
 音だけという制限ゆえ、迫力という点ではどうしても他のメディアには一歩譲らざるを得ないラジオドラマの短所を、上手く補っていたかと思います。

 また、将としての気風はあるもののそのために他者の犠牲を顧みない吉宗と、いまだ若いながらも人の情を重んじる通春の関係も、後世の二人を感じさせるものがあって面白い。
 特に、死んだ家臣を打ち捨てていこうとする吉宗と、たった一人の家臣の藤馬の身を案じる通春という対比などは、物語の根幹に通じるものを感じさせました。


 そう、本作の物語の背景としてあるもの――それは、人と人との結びつきでしょう。

 一国の長の座を左右しかねない強大な魔力を持ち、他人の生き血をすすって生きながらも、同胞もないままたった一人生き続ける魔女。あるいは、将軍という権力の座を求め、そのために部下の命を擲って省みない吉宗。

 望むと望まざるとに関わらず一人で生きる彼女たちの姿は、藤馬との結びつきを何よりも重んじる通春、あるいは自らの想いを隠して愛した女の心を救うために奔走した牽牛ら、他人のために自らの力を尽くす者たちと対比する形となっていたと感じます。

 そしてその両サイドの間に立つ者が、本作の主人公・紅丸でありました。上で述べたように、二つの国の間に生まれ、女としての自分を厭って男装に身をやつす紅丸。その姿は、魔女が自らの仲間に誘ったように、「そちら側」に近いとも言えるものでもあります。

 しかし、彼女は決して望まれずに生まれた存在ではなかった、彼女は生まれた時から周囲の愛に包まれていた――それが彼女を「こちら側」に留まらせ、本作のクライマックスにおける選択に繋がったと言えるでしょう。

 もっとも、この辺りの構図が今ひとつ見えにくかった……というよりも、その選択の姿にあまりカタルシスが感じられなかったため、物語としては少々地味な結末に見えてしまった、というのも正直な印象ではあるのですが……
(もちろん、全てを描ききらないことで、未来に向けて開いた物語としたことは理解できます)


 しかし、いささかなりとも勿体ない部分はあったとはいえ、このような形で新たな伝奇時代劇が生まれたのは、何よりも嬉しいことであります。
 この「青春アドベンチャー」は今までも挑戦的な作品を取り上げてきた番組枠でしたが、これからもこのような冒険が続いて欲しいと、心から願う次第です。


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 『エド魔女奇譚』第1回-第5回 異国の魔女、徳川家を惑わす

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2016.09.15

『エド魔女奇譚』第1回-第5回 異国の魔女、徳川家を惑わす

 蘭方医・宮部牽牛を頼って長崎から江戸に出た男装の少女・紅丸は、若い侍・星野藤馬と出会う。尾張藩主・吉通の死に不審があり、牽牛の話を聞きに行くという藤馬。折しも江戸では若い娘の失血死が連続、紅丸と藤馬、牽牛、そして藤馬の主の尾張通春は、一連の事件の背後に潜む魔女の存在を知る……

 NHK-FMのラジオドラマ枠「青春アドベンチャー」は、荒山徹の『魔岩伝説』をドラマ化するなど、以前からユニークな作品チョイスで大いに気になっておりました。
 そして今回放送されるのは、なんとオリジナルの伝奇時代劇。とりあえず全10回のうち、前半の5回までを聴きましたが、なかなか丁寧に作られた作品という印象があります。

 時は七代将軍家継の治世である正徳3年、男装の少女・紅丸が、生まれ育った長崎を飛び出し、江戸を訪れた場面から物語は始まります。オランダ人と遊女の間に生まれた紅丸は、自分の境遇とこの先待つ未来を嫌い、母の馴染みであったという蘭方医・宮部牽牛を頼ってやってきたのです。

 その牽牛、実は先に若くして亡くなった尾張藩主・吉通と交流があったのですが、生前の吉通に不思議な話を聞かされていました。かつて吉通の前に不思議な異国の少女が現れ、彼を将軍位につけてやると誘うも、吉通はこれを撥ね除けたというのであります。
 さらに牽牛は、顔なじみの町方同心の依頼(というより自身の学問的興味)で町で見つかった変死体を検死した際に、死体から血液が失われていることを知ることになります。

 一見無関係に見える二つの事件。しかし吉通の前に現れた少女こそは、名も無きものの僕たるテッサリアの巫女――古代ギリシャのヘカテー女神を崇める魔女であり、その力の源は、若い娘の大量の血だったのであります。
 その魔女は謎を追う紅丸たちの前にも出現。さらに、既に死んだはずの男が彼女たちを襲います。そして紅丸たちは、魔女が紀州の吉宗の周囲にも出没していることを知り、吉宗に迫るのですが……


 タイトル通り江戸に密かに「魔女」が入り込んでいたとしたら……という本作。しかしその魔女の力の源が、ヘカテー女神というのには、オッと思わされます。

 ヘカテーとは元々は古代ギリシアの力ある女神だったものが、やがて夜や魔術、妖魔といった存在の支配者となった存在。夜に十字路や三叉路に現れる三つの体を持つ女神として、中世以降、魔術・魔女術を信奉する人々に崇拝されることになります。
 これまで時代もので黒魔術を道具立てにした作品は幾つかありますが、それらが転び伴天連らによるものであったのに対して、本作の独自性が感じられるというものでしょう。

 そしてその魔女が絡むことになるのは、第八代将軍位を巡る争い。最終的にこの位に就くのが誰であるかは言うまでもありませんが、ここに至るまでに、尾張、そして紀州で徳川家の人間が幾人も亡くなっているのは史実であります。(特に吉宗の場合、その都合の良さにしばしばフィクションでは疑いの目を向けられるほど)。

 そして主人公サイドにいるのが、その吉宗とは後年ライバル関係にあったと言える尾張藩主・徳川宗春の若き日の姿というのも面白い(ちなみに藤馬も実在の人物)。なるほど、この人物であれば、紅丸のような娘にも気さくに接し、市井に混じって怪事件に挑む――その一方で、徳川家の人間として魔女のターゲットともなる――のも違和感はありません。


 この前半部分は、題材のわりには比較的おちついた展開が続くのですが、これは後半に向けての助走と考えればよいでしょうか。
 正直なところ、まだまだこの先の展開はわかりませんが、しかし注目すべきは、紅丸の存在でしょう。

 歴史上の人物や超自然の魔女が登場する本作においては、一歩間違えればキャラが食われかねない紅丸。しかし第5回において、魔女が紅丸に語りかけた言葉が印象に残ります。
 西洋人と日本人の間に生まれながらどちらの側にも属さず、そして女であることを捨て、しかし男にもなれない紅丸。二つの世界の狭間にあって、どこにも属せぬ存在である点において、紅丸は魔女に等しく、そして共にテッサリアの巫女になるに相応しいと。

 通春や藤馬が史実を、そして武士を象徴するキャラクターだとすれば、紅丸は虚構を、庶民を象徴するキャラクターでしょう。
 その両者の間に滑り込んできた魔女に対し、彼女が、彼女の周囲の人間たちがどのように立ち向かうのか。そして両者の間にあるものは埋まるのか――

 後半戦で何が描かれるのか、そして何よりも物語の果てで紅丸を待つものは何か、楽しみにしているところであります。


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